Wat00356 「科学と報道」30 南極観測<その3>意義

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科学朝日6月号に掲載された、
コラム「科学と報道」30 南極観測<その3>意義
です。

#355の続きです。

                   すずき


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コラム [科学と報道]  30

南極観測 <その3> 意義


柴田鉄治       朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ


 朝日新聞の提唱でスタートした日本の南極観測も、4年間の中断をはさ
んで回を重ね、今年で35周年を迎えた。現在、昭和基地では第32次越
冬隊が観測にあたっている。
 ところで、南極観測、ひいては南極報道の意義は、どこにあるのだろう
か。直接、間接にもたらしたものは多いが、大きくわけて2つあるように
思う。1つは、学術観測上の成果であり、もう1つは、人々に地球的視点
の大切さを強く印象づけたことである。
 学術観測上の成果は、数え上げればきりがないほどあろう。なにしろ南
極大陸は、人類がその存在すら長い間知らなかった未知の地だ。そこに初
めて科学のメスが入ったのだから、得られた観測データはすべて貴重な資
料である。
たとえば、昭和基地での気象観測データは、観測点の少ない南半球のなか
で、地球の気象分析に欠かせない研究資料を着々と蓄積してきている。昭
和基地周辺の地理、地質調査も、東・南極大陸の空白部分を埋めつつある。
 南極は「宇宙に対して開かれた地球の窓である」という言葉がある。太
陽からの荷電粒子が、地球という大きな磁石に吸い寄せられ、南極、北極
に降り注ぐことによって起こるオーロラ。この状況を指して、いわれる言
葉だ。つまり、両極は、地球を調べる特異点なのである。
 この貴重な「地球の窓」を各国の科学者が協力して調べようという、オー
ストラリアの極地探検家、カール・ワイプレヒトの提唱によって1882
年に「国際極年」が開かれた。国際協力による地球観測のはしりである。
50年後の1932年の第2回国際極年には44カ国が参加する規模に発
展、さらに25年後57年には、その名も国際地球観測年(IGY)と改
め、大がかりな国際協力のなかで南極観測がスタートしたことは先に触れ
た通りである。
 昭和基地は、「オーロラ帯」の真下にあって地の利もよく、そのうえ、
オーロラに直接、観測ロケットを打ち込む技術力も加わって、地球電磁気
学の分野での成果は、なかなかのものがある。もう1つ、南極大陸は、宇
宙からの使者、隕石の宝庫なのだ。地球と惑星の研究に欠かせないこの隕
石の収集に、日本隊の果たした役割は大きい。いまや「日本のお家芸」と
なった感さえあり、日本は、世界中の隕石標本の半数を持つ大変な「隕石
持ち」なのである。
 学術観測面では、このほか雪氷研究が、ほかではできない重要性を持っ
ている。とくに、南極大陸に何千年、何万年と振り積もった雪の厚い層は、
そのまま地球の過去帳となっており、地球の歴史を解明するカギとなる。

     地球環境のバロメーター

 こうした学術上の成果もさることながら、もう1つ、人々に地球的視点
の大切さを教えた波及効果は、さらに大きなものがあったように思う。南
極観測の計画自体、敗戦後の廃虚から立ち直って、人々の目が世界に向き
はじめたとき、その関心にこたえるという側面があったが、その後の状況
は、ますます人々の関心を世界に広げていったといってよい。
 世界への関心といても、国際的(インタナショナル)な視点と地球的
(グローバル)な視点がある。南極観測は、国とか国境とかにとらわれな
い地球的な視点を育てることに大きな役割を果たした。とくに、この地球
的な視点が大事なのは、環境問題である。
 南極は、地球環境のバロメーターだ。たとえば、南極に存在するはずの
ない人工物質のPCBが検出されたというニュースは、地球の環境汚染が
南極にまで及んできたことを示す象徴的な事柄である。未開の処女地だけ
に、汚染の広がりを検知する「リトマス試験紙」のを役割果たせるわけで
ある。
 いま世界的な関心を集めている地球温暖化の問題も、カギを握っている
のは南極の氷である。日本の40倍の広さをもつ南極大陸は、平均200
0メートルの氷で覆われている。この氷がもし全部解けたら、世界の海水
面は5、60メートル高くなるといわれる巨大な量である。
 この氷の総量が減る兆候をみせているのかどうか。二酸化炭素の増加に
よる温室効果で地球が温暖化し、海面が上昇するのではないかと心配する
世界中の人々にとって、南極の氷はやはりバロメーターの一つだといえよ
う。
 フロンガスによるオゾン層の破壊も、発見のきっかけになったのは日本
の南極観測である。南極上空のオゾン層が極端に薄くなる「オゾンホール」
の観測から、フロンの仕業とわかり、使用禁止の方向へと動きはじめたわ
けである。
 地球的な視点の重要性は、こうした環境問題だけにとどまらない。人類
の将来にとって、国際的な枠組みをどう作っていくかという問題も、地球
環境に劣らず大事なテーマである。南極は、その点でも重要な役割を演じ
ている。
 1961年に発効した南極条約は、制定のきっかけこそ、お互いに相手
国が南極に軍事基地をつくるのではないかという米ソ両国の疑心暗鬼から
生まれた無粋なものだったが、出来上がった結果は、なかなかロマンにあ
ふれた内容となった。軍事利用の全面禁止、領土権や、領土請求権の凍結、
科学観測の自由と国際協力の推進、自然環境の保全、などを高らかにうた
いあげたものである。
 いわば、地球上に国境もなければ軍事基地もない、だれもが協力しあっ
て自由に活動できる地域が出現したのである。人類の理想を地上ではじめ
て実現した「モデル地域」の制定という見方もできよう。
 この南極条約は、その後に制定された宇宙天体条約に引き継がれる。た
だ、軍事利用の全面的な禁止は、地球以外の天体に限られ、宇宙空間につ
いては大量破壊兵器の打ち上げを禁じただけの中途半端なものだったため、
宇宙軍拡競争を招いてしまったのは残念だった。とはいえ、人類の共有財
産として宇宙の平和利用をうたいあげた精神は、南極条約から引き継がれ
ているといえる。
 地球規模の国際的な枠組みとしては、さらに、このあと、深海底資源の
開発方式などを定めた海洋法条約へとつながっていく。

     人類の未来を考える「窓」

 国とか国境のレベルを超えて、地球的視点で人類の将来を考えていくと
き、南極条約−宇宙天体条約−海洋法条約とつづく大きな流れは、ひとき
わ重要な意味をもってくる。地球という人類の共有財産をこれからどう管
理していくか、という難問中の難問に対して、ひとつの回答への手がかり
を含んでいるからだ。
 ただ、南極条約制定後の状況を考えると、南極の資源問題がクローズアッ
プしてくるにつれ、生臭い風が吹き出した。オキアミなど海洋生物資源に
ついては比較的すんなりと話がまとまったが、鉱物資源ともなると、凍結
されているはずの領土権の主張まで噴き出てもめ続け、現在も大詰めの段
階で足踏み状態をつづけている。宇宙天体条約にしても、抜け穴利用の軍
拡競争が進んでおり、海洋法条約でも先進国と途上国との間の綱引きは激
しかった。
 その点では、地球管理をめぐる試みは、国際政治の荒波に大揺れに揺れ
ているという見方もできるが、観点を変えれば、人類は地球管理の道を一
歩一歩着実に踏み固めてきた、ともいえよう。
 南極条約は、いわばその原点であり、「初心」である。南極は「宇宙に
対して開かれた地球の窓」という言葉をもじれば、「人類と地球の未来を
考える窓」であるといういい方もできよう。南極条約が発効して今年がちょ
うど30年、条約に規定された見直しの時期である。人類の理想を高く掲
げた南極条約の初心を、失ったり後退させてはならない。
 南極報道は、この視点を忘れてはならないだろう。


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写真説明

ペンギンたちとも共存共栄で!

 南極の大自然は素晴らしい。なかでもペンギンたちの
可愛らしさは何ともいえない。観測船が南極に着くと
どっと見学にやってくる。そこで「見学者席」と立て札
をたててやると、リーダーが「さあ、みなさん、ここで
見学しましょう」!?=1966年1月、昭和基地近く
で筆者写す