Wat00352 日本の研究者組織の閉鎖性

#0000 sci6407  9108291605

日本の大学には、なぜ外国人研究者が少ないのでしょうか?
日本の研究者組織の問題として考えてみたいと思います。

                                        Alopex


#0001 sci6407  9108291606

ぼくの研究分野では、某大学に数人の外人研究者がいます(アメリ
カ人とカナダ人)。彼らはアメリカや日本で学位をとっても就職口
がありません。日本人の仲間が大学教員として就職していくものだ
から、しきりに文句をいいます。文部省の科学研究補助金は、(奨
励研究を除いて)申請者が職のある研究者に限られていますから、
これも受けられないことになります。

一方、日本からアメリカなどに留学する人はかなりにのぼります。
研究費を受け、給料をもらって生活している日本人はいくらもいる
のです。科学知識は人類共通の財産だ、というような理念があるの
でしょう。

日本の大学の閉鎖性についてはすでに指摘されており、改善の動き
もありますが、そうおいそれと変化しそうにはありません。それは
いったいどこに原因があるのでしょうか。

                             Alopex


#0002 sci1157  9108311328

 <なぜ外国人研究者が少ないか?>

 一つの原因に社会全体に雇用の流動性
が少ないために短期的・一時的に外来者
を受け入れることに慣れてないことがあ
るのではないでしょうか?せっかく日本
の研究所に入ったのに阻害感を味わい強
い不満を持って帰国する人たちの話をちょ
くちょく耳にします。

 同じ理由で外国人研究者をお客あつか
いして観光などに引きずり回し、到着し
た日からでも仕事を始めたい研究者をい
らいらさせることも多いようです。

 外国人といわず国内でももっと大学と
国立研究所そして民間との間で双方向で
研究者が行き来して半年・1年ないしそ
れ以上相手先で研究するような交流シス
テムをつくれば、研究の活性化にも大い
に役立つでしょうし海外からの一時研究
者も来やすくなるのではないでしょうか?


#0003 sci6407  9109100902

===== 大学研究者のステレオタイプ =====

大学の教員は、どうも「古き時代」のステレオタイプを後生大事に
かついでいるという気がします。つまり、「研究者は、真実を追求
する学究の徒であり、清貧をたっとぶ」というものです。

こうしたステレオタイプの役を演技し、「教授」などという肩書き
だけをたよりに社会に対するのでは、あまりにも世界が狭すぎます。

聞くところによると、アメリカでは博士号を取得してからプロフェ
ッショナルとしての道をすすむといいます。その道は、大学教員ば
かりでなく、ジャーナリスト、写真家、経営者、などがあるそうで
す。また、その相互の人事の流通もあります。価値が多様なのです。
(もっとも、落ちこぼれるとタクシー運転手になるといいます)。

教授の仕事は、大学運営から、教室の経理、教育、研究、評論、事
務などがあります。どの仕事もこなせる万能の教授は、まずいませ
ん。そして、ステレオタイプの重点は研究にあります。(大学教員
の採用には、研究業績ダケが重視されます)。そして、研究のでき
るひともできないひとも、研究をしているふりをしています。

塾や予備校が大学受験だけのためであるのと同じように、大学院が
教授への予備校になっています。そこでは、教授というステレオタ
イプの演技を学びます。

どうしてわが国の大学には、柔軟な多様性がないのでしょうか。小
さな殻になぜ閉じ込もるのでしょう。教育にひいでた人は、研究で
きなくても評価されるべきだし、大学経営をするのに教授である必
要性もありません。研究をしてから、その経験を生かしながら科学
ジャーナリストになる道も、ちゃんと開かれているべきです。(欧
米では、ジャーナリストが学会の座長をつとめたりする)。しかし、
日本の現実はそうなっていません。

この偏狭さ、世界の狭さが、肩書きにばかりよりかかり、ことさら
権威者ぶり、仲間意識をはぐくんで徒弟制度を生み、外人教師の流
入を阻んでいるように思います。

                                         Alopex


#0004 sci6407  9109100927

===== 知識の価値 =====

いま、物の時代から情報の時代へと転換しつつあります。ところが、
大学の研究者は、これに気づいている人がすくないのでは・・・・

大学の研究者の多くは、自費で学会にはいり、学術雑誌に掲載料と
か別刷り代を払い込んで論文を載せています。コマーシャルベース
の雑誌に依頼されても、その原稿料はたいがい微々たるものです。

偉大なる浪費家、大学の研究者は、その金を安易に文部省の科研費
にたよるだけで、うまく金を集める手だてを知らないし、その能力
もないのです。(営業の経験がない!)

一方、テレビ会社は情報を売って商売する関係から、多くの情報を
必要としています。企業は、イメージアップや税金対策のために、
その金の使い道に頭を悩ませています。

大学の研究者は、知的情報の提供者の一翼をになっています。それ
なのに、なぜその情報を、もっと有効に使おうとしないのでしょう?
なぜ有名学術雑誌に論文が何編掲載されたか、という尺度だけで価
値をはかるのでしょう?

学界を、より社会的な解放系にするためには、研究ができる研究バ
カや、金儲けしかしらない経営者ばかりではなく、研究のことを知
っている経営者とかジャーナリストや、経営やジャーナリズムを知
る研究者が必要です。それぞれのプロフェッショナルの道が、わき
道でつながっている必要があるのです。

                                     Alopex


#0005 sci5498  9109101300

んーこういう問題は研究の業界によってかなり違う気もしますが
大学が停滞している一つの原因はやはり post doctoral position
の様な制度がなくいきなり tenure なってしまう事もあるような気が

アメリカの大学ではほとんどの場合学位を取った(あ、博士号です)
大学に即就職する事はないそうです(もちろん例外はあります)
普通は post doctral fellow という形で 2、3年契約で別の大学で
研究をします。そうして何回か渡り歩いて業績を積めばどこかの
大学の終身教授(teture)になれるわけです。

もちろん、日本にはこのような制度はありませんし、いきなりこうやって
うまく行くかどうかは定かではありませんが、日本の大学の閉鎖性の
一つにこうゆう制度がないって事もあるのではないでしょうか。
海外の優秀な頭脳を吸収できる原因の一つにアメリカではどんどん
post doc に外国人を雇っているという事もあげられると思います。
(もちろんtenure でも外国人はいっぱいいますけど)

まぁ、この制度自体が best とは思いませんが(実際、批判を聞いた事が
あります。まぁ、その人は出身がポルトガルなので生粋のアメリカ人では
ありませんけど)何らかの形の人事交流を海外に向けてだけではなく
(政府のお仕着せの外国人研究者招聘は、形だけのような気がする)
国内でもっと活発に行なう事が日本の基礎科学のためには必要だと
思います。ま、これは大学に限った事ではありませんね。国立研究所
だってこゆうのをするときネックになるのは、公務員の身分保証だからな。

                ちょっとは大学で飯を食った事もある Shige-A