Wat00341 「科学と報道」25 体外受精<その4>倫理委

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科学朝日1月号の「科学と報道」25 体外受精<その4>倫理委
です。   #340の続きになります。
ご感想などがあればお寄せください。
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コラム [科学と報道] 25

体外受精 <その4> 倫理委


柴田鉄治        朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ


 世界第2号といわれたインドの体外受精児が幻に終わり、第2号は、同
じ英国のステプトー、エドワーズ両博士による男の子となった。ルイーズ
ちゃんから半年後、あすてあーちゃんである。
 3人目は、それからさらに1年半後の80年6月、オーストラリアのメ
ルボルンで女の子が生まれたが、日本の新聞の扱いは、1段のベタ記事だっ
た。オーストラリアは、体外受精の研究に熱心で、そのあと世界第10例
まで独占するのだが、日本での報道はきわめて地味で、わずかに第7例が
男女の双子だったため「初の双生児、豪で誕生」と目立つ扱いで報じられ
た程度だった。
 先端医療といえば、いつも世界の先頭を走ってきた米国が、体外受精で
はぐっと遅れたのは、どうしたことか。研究段階では早かったのだが、臨
床応用には反対論が強く、政府が慎重な姿勢をとって公的研究資金の支出
を一時期、停止していたからである。米国の第1号の誕生は、81年12
月のバージニア州ノーフォークのエリザベスちゃんまで待つことになる。
 実は、世界第1号が米国で生まれたかもしれない事実が、のちの裁判で
明るみに出た。
ルイーズちゃんに先立つこと約5年の73年9月、米国での体外受精研究
の第一人者といわれたコロンビア大学プレスビタリアン医療センターのシェ
トルズ博士のもとで、不妊の夫妻が体外受精を受けた。ところが、受精卵
を子宮に戻す直前まできたところで、同博士の上司にあたる産婦人科部長
が「非倫理的行為だ」と、その受精卵を無断で捨ててしまった。
 怒った夫妻がその産婦人科部長と病院を相手どって150万ドルの損害
賠償を請求する訴えを起こし、その裁判が始まったというニュースがルイー
ズちゃん誕生直前の78年7月に、日本でも大きく報じられた。そして、
その1か月後、夫妻に5万ドルの慰謝料を払えという評決が下されたこと
も、また大きく報道された。米国は、体外受精の第1号ではなく、体外受
精をめぐる裁判第1号で世界にアピールしたといえようか。

     先端医療に必要な第3者の目

 米国に加えて、西ドイツ、カナダ、イスラエル、フランス、チェコスロ
バキアなどから誕生のニュースが伝えられ、英、豪の先進2国を含めて、
約60人に達した82年の秋ごろ、日本でも体外受精に取り組むべきだと
いう機運が一気に盛り上がった。関係者の間でかねてから準備をすすめて
いた日本受精着床学会も正式に発足、いくつかの大学で研究に着手したと
の報道もつづいた。
 ちょうどそのころ、朝日新聞の論説委員として科学技術、医学を担当し
ていた私は、体外受精をどう考えたらよいのか、対応を迫られた。外国で
もやっているのだから日本でも、というだけでは、説得力はない。
 まず考えたことは、体外受精は不妊の患者への「治療」であるという側
面だった。既に、男性に原因のある不妊には人工受精があり、卵巣から卵
子が出にくい女性の治療には、排卵誘発剤が使われていることを考えると、
卵管閉そくによる不妊への治療である体外受精だけが認められない、とい
う理由は見当たらない。
 かといって、手放しで「推進すべし」ともいえない。なにしろ自然の摂
理に反して生命を操作するきわどい技術であり、とくに、受精卵を第3者
の女性の子宮に戻す「借り腹」とか、遺伝子操作と組み合わせた場合の危
険性など、ひとり歩きをする恐れがひときわ大きい技術だからである。そ
れに各種の世論調査によると、「試験管ベビー」に対する見方は非常に厳
しく、好ましくないとする意見が圧倒的であった。「子供は天からの授か
りものだ」という意識が強かったせいであろう。
 いろいろと考えたすえ、「体外受精は『治療』の範囲守れ」と題する社
説を書いた。あくまでも不妊患者への治療という枠をはみ出すことのない
よう、厳しい条件つきで認めたわけである。
 この条件がきちんと守られる保証は、どう求めたらよいのか。日本産科
婦人科学会が一応、体外受精に関する基準を定めていたが、これだけでは
十分とはいえない。
 ちょうどそのころ、体外受精に着手しようとしていた徳島大学から、医
学部外の識者も含めた倫理委員会を設置して、倫理面や法律面などさまざ
まな角度から検討し、着手の是非を判断する、というニュースが伝えられ
た。私は「これだ」と深く感ずるところがあった。
 医学の進歩のためには、どこかで臨床応用が必要になってくる。だから
といって、臨床実験が暴走することは許されない。その一線をどこに引く
かは難しい判断だが、少なくとも、この決定が当事者だけの密室のなかで
行われてはならないだろう。最大の暴走と言われる札幌医大の心臓移植に
しても、密室での決定が今日まで後遺症を引く原因となったのである。新
しい医療の臨床応用には、当事者だけでない第3者の目が注がれているこ
とがどうしても必要だ、と私は考えた。
 医学関係の倫理委員会は、米国などでは珍しくなかったが、日本では徳
島大学が初めての試みだった。それだけに、この先駆者を励まし、こうし
た倫理委の設置が全国へ広がっていくことを願って、「徳島大学の倫理委
に注目したい」「他大学はなぜ設置しないのか」などと繰り返し社説に取
り上げた。

     先導役を果たした徳島大学

 徳島大学の倫理委も、すんなり設置されたわけではなかった。体外受精
の研究を進めていた産婦人科教室の森崇英教授から「臨床応用に踏み出し
たい」と相談を受けた斉藤隆雄・附属病院長が、米国留学時の体験から倫
理委の設置を提案、教授会にはかった。ところが、教授会では異論が続出
する。
 反対論の中心は「学問の自由を侵すことにならないか」というものだっ
た。研究者がやろうとする研究に、外からあれこれ干渉するのは好ましく
ない。倫理委に学外者を加えれば、大学の自治にもかかわってくる、といっ
た主張である。
 これに対して、斉藤病院長や宮尾益英医学部長らが、先端医療の臨床応
用には社会的な合意が大事なこと、心臓移植の轍を踏んではならないこと、
などを説いて、ようやく発足にこぎつけたという。委員は医学部から6人、
学部外の哲学者、学外の法律学者の計8人。四カ月間に11階の会合を重
ね、15人の識者の意見も聞いて、83年4月に結論をまとめた。
 結論は、厳しい条件つきの承認で、治療の範囲に限ること、密室での研
究を排し、経過の詳細を倫理委に報告すること、さらに、子供の成長後の
ことまでも配慮を求める、行き届いた内容だった。さっそく私は「徳島大
の倫理委に学べ」と題する社説を書いて、高く評価したことはいうまでも
ない。
 当時、体外受精に取り組んでいた大学は、東北大など10数大学にのぼっ
ていたが、徳島大のような検討がなされたところはなく、徳島大の倫理委
に対してもスタンドプレーではと冷ややかな目でみる向きが少なくなかっ
た。朝日新聞の社説にも「徳島大を持ち上げすぎではないか」といった声
が聞こえてきたほどである。
 徳島大にとって、そうした冷ややかな目に加え、倫理委で検討している
間に日本の体外受精児第1号の栄誉を東北大に譲ってしまったこともつら
かっただろうが、その代わりに、「部外者も加えた倫理委の設置」第1号
という栄誉を得た。その点では見事な先導役を果たしたといえよう。
 いまは全国の主な医療研究機関に倫理委が設置されている。


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写真説明

●エリザベスちゃん
米国の体外受精児第1号は、1981年12月、バージニ
ア州ノーフォークで生まれ、エリザベスちゃんと名づけら
れた。米国では、「試験管ベビー」に対する研究着手は早
かったが、臨床応用への反発が強く、第1号の誕生は、ル
イーズちゃんより3年半ほど遅れた。