Wat00334 脳死・移植Q&A

#0000 kepel    9106061133

脳死・移植についての質問募集
    東京科学部 内村直之(KEPEL)


#0001 kepel    9106061142

解説面のなんでもQ&Aで脳死・臓器移植を取り上げることに
なりました
ごく、初歩的な解説にしようと思っているのですが、
みなさんからもなにか質問があればと、思い基調を開きました。
どちらかといえば医学的なものにしようと思っています。
「脳死してもなぜ心臓は動いたままなの」とか
「移植になぜ脳死はひつようなの」というレベルの質問が
ありましたら、お寄せください。
紙面化の取捨選択はこちらでやります。回答も紙面上で。
(ただし、ここでの議論は大いに歓迎)
わたしも暇があれば加わります。

        内村直之ことkepel拝


#0002 sci1004  9106061752

 脳死で臓器を取り出すと,臓器は死なないのですか?
 心臓が止まってからの臓器と,脳死で体から取り出した
 臓器では,なにか違いがあるのですか?

あざとい質問だったりして(^_^)
てむぽ


#0003 sci6407  9106061810

脳死ですか。記事を期待しています。

ちょっと理屈っぽくて、  あまりお役にはたてそうにもありません
が・・・

1.死になん種類もあるのはなぜか(その定義、その必要性)。

生と死は、ふつうに考えるなら全か無かのちがいです。死が定義に
よってなん種類もあるとなると、ほんとうは生と死には連続的な移
行があるということですね。ところが100%の「死」というのは
わかりやすいのですが、100%の「生」は、ちっともわかりませ
ん。「生きる」ということがわからないで、いくつも「死」があっ
ていいのでしょうか。

脳死は、臓器移植の必要性から生まれた定義で、どうも「不純」で
すね。

2.死んだら人間ではないのか。

フリートーク #840 でも議論していたのですが、人間の「価値」は、
生の状態によってちがってくるのかどうか、また、死んだら人間で
はなくなるのかという点です。それを、臓器移植を押し進める論理
では、どのようにクリアーしているのでしょう。

3.ほんとうに臓器移植で病気がなおるのか。

移植した臓器の生着率はかなり低いのでは?(よく知りません)。
癌などでも、大きな手術をすると、人はほぼ半年は苦しむことにな
ります。免疫抑制剤の副作用もあります。移植を受けた人の「生き
る」ことは、満足のいく水準になるのでしょうか。

安楽死につながる問題ですが、たとえば、先だっての島根医科大学
の生体肝移植の例では、結果的に、患者は満足のいく生を生きられ
なかったとぼくは思います。

4.制度はどういうしくみになるのか

脳死は、いままでのような「生と死」が全か無かで明確なものでは
なく、生と死のあいだのどこかに、社会的なプラスとマイナスとを
勘定にいれて境界をもうけることになります。その判断基準はだれ
がつくり、その判断をだれがするのかは、いちばんの問題点だと思
います。脳死臨調に「決めていただけばいい」問題ではないし、医
師だけが死を判定するのでは、いけないでしょう?

                                   Alopex


#0004 sci6891  9106070026

医療機器の進歩には目をみはるものがありますが、
将来、脳幹が機能を失っても大脳その他の大部分を生かしておけるような
機器がつくられたら、どういうことになりますか?

TERA


#0005 sci6891  9106070038

脳波形で測定できるのは、ある程度数のまとまった神経細胞が
同期して発振することが必要で、しかも、脳波形の電極の近傍の
信号しか拾えない、と聞きましたが、そうすると脳波形による
測定は人間の意識活動を本当にとらえているとは思えません。
(誤植訂正;脳波計)
脳波計は単に脳あるいは頭皮の表面を探っているだけで、脳の
深部での活動をとらえることはできないのではないしょうか?

てら


#0006 sci6407  9106070838

5.脳死のとき、魂はどこにいますか?

ぼく自身は唯物論者で、人間も一個の動物としてしか見ませんが、
社会はそうではありません。死体とは物ではなく、かってに遺棄し
たり運搬したりしてはいけないことになっています。そういう社会
的なきまりがあるのは、霊魂が人間に宿っているという思想がある
からでしょう。ぼくも、それに関して社会的に生きるために学習し
てきました。

では、霊魂が体に宿っているのに「死」を宣告することは許されま
すか?

                                    Alopex


#0007 sci2993  9106071520

「植物人間と脳死の違い」っていうのは、やはりほしい気がする

Mat


#0008 kepel    9106081253

ありがとうございます.
第1回脳死とはなにか
第2回脳死判定とはなにか
第3回脳死臓器移植とはなにか
第4回そしていま何がどうなってるのお
という構成で11日紙面からやりたいと思っています.
ここにもアップする予定ですので,よろしく.
(一家に一部,朝日新聞を読もう   CMでした)

      kepel拝


#0009 sci6605  9106111502

 早速第1回分を読みました。・・・学校で。新聞とってないんです(^^;
 「結構詰め込んである−」って印象でした。

 ところで、脳死についてはいろいろな議論がなされていますが、私としては死と
いう問題を「科学的に」考えるのにはどうも抵抗があります。科学万能論のようで。
 な−んか昔の宗教絶対の時代に、地球の公転問題を「宗教的」に論じていたのと
同じような”ちぐはぐな”感じがするんですよね−。

           今後の展開に期待してます。  Bear’s


#0010 kepel    9106121749

一回目をアップします.

脳死ってなに 脳死と臓器移植:1(なんでもQ&A)
          91.06.11  朝刊 5頁 解説 写図有 (全1719字)

  脳死、臓器移植という言葉が新聞やテレビでよく聞かれる。6月14日に「臨時脳
死及び臓器移植調査会(脳死臨調)」が中間意見を発表する予定だが、ここに至る間
にも激しい議論があった。「大事な問題だけど、基本的なところがよくわからないわ」
と疑問に思った高校生のQ絵さんは、医療に詳しいA太さんに脳死と臓器移植につい
て聞いてみた。
 Q 脳死ってどんなものなの。
 A 人間がものを考えたり、手足を動かしたりできるのは脳が命令を下しているた
めだね。その脳を作っている神経細胞がいろいろな原因で壊れて、全体としての脳の
機能が止まってしまい、もう絶対に元へは戻らない状態。これが脳死といわれている
状態だ。
 Q どんな原因で脳死は起こるんですか。
 A 脳出血、交通事故などで頭を強く打ったりする頭部外傷、脳腫瘍(しゅよう)、
あるいは、窒息や一時的に心臓が止まって酸素が脳に行き渡らなかった場合に起こり
やすい。どの場合でも、障害を受けた脳がぱんぱんに腫(は)れ、そのために脳に血
液が入らなくなる状況が起こる。そうすると、脳の細胞が死んで脳全体としての機能
が永久に失われるんだ。
 Q 脳死の人ってどんなふうなんですか。
 A 心臓は動いているし、触れば温かい。ひげも髪もつめも伸びる。見たところは
眠っているようだ。しかし、一番違うのは、口に人工呼吸器のチューブが差し込まれ、
そこから、機械で空気を出し入れしていることだ。脳死の人は自分の力によるいわゆ
る自発呼吸ができないんだ。だから人工呼吸器がなければ、酸素不足で心臓はまもな
く止まってしまう。実は脳死は人工呼吸器の開発と同時にこの世に現れたんだね。
 Q ということは脳が働いていなくても心臓は動けるんですね。
 A そう。心臓には筋肉自身に動くリズムを作る仕組みがあるので、脳が壊れてい
てもだれの助けもなしに動き続けることが可能なんだ。また頭だけをやられた場合は
腎臓、肝臓などのほかの臓器も臓器としての働きは残っている。しかし、自発呼吸の
ほか血圧を維持するなど体全体を統合する機能は、脳の破壊で失われている。だから
脳死した直後は眠っているように見えても、時間がたてば各臓器の働きが悪くなり、
最後には心臓が止まる。
 Q 全脳死か脳幹死かという議論もよく聞くわ。
 A 脳といってもいくつかの部分に分けられるんだね。生命維持のために不可欠な
機能を担う脳幹、運動がうまくできるよう指令を出す小脳、感じたり考えたり運動を
命令したりと脳の中でも高度な働きをする大脳の3つだ。このうち、脳幹を破壊され
ると、自発呼吸や血圧維持、意識など人間生存の基礎になる働きができなくなる。だ
から、脳全体でなく脳幹の死だけで脳死としていいのでは、という主張があるんだ。
これが脳幹死で、英国では脳幹死を脳死としている。しかし、日本で脳死の判定基準
を作った医者たちは、大脳も含めて脳の機能が失われ、永久に元には戻らない全脳死
を脳死とする立場を取っているんだ。
 Q 植物状態と脳死は同じものなのかしら。
 A とんでもない。大違いさ。植物状態では、脳幹は壊れていない。つまり、自分
で呼吸ができるわけで、基本的には人工呼吸器に頼ることはない。ただ、大脳に障害
が起きているから、動けないし、他人とのコミュニケーションも取りにくい。まれだ
けれども回復することもあるから、絶対元に戻らない脳死とは混同してはいけないよ。
人間の本質は考えることにあるから、大脳を破壊されて考えられなくなったらそれは
死だ、という大脳死説を取る人もいるが、ふつう採用されていないね。
 Q 脳死になった後で生き返る可能性はないの。
 A 脳死の定義そのものに従えば、脳死状態から回復することはないはずだ。脳死
はすべての死亡の1%未満といわれ、日本では1年間に数千人が脳死になっているは
ずだが、これまでに脳死と判定・診断された人で意識が戻るまでに回復した例は報告
されていない。問題は、目の前の患者さんがこれまでに説明したような脳死の状態に
なっているのを、正確に見きわめられるのかどうかだと思うね。どうやって判定する
のかなど詳しい話はまた明日しようね。
 (科学部・内村直之 社会部・脇阪嘉明)


#0011 sci6407  9106140920

楽しく記事を拝見しています。

ぼくは、脳死を認め臓器移植をすすめることには、(ぼく自身、臓
器移植を受けるかどうかは別にして)、理屈のうえでは容認します。
たいがいの人は長生きをしたいものだし、移植以外に治療法のない
患者を見殺しにする辛さを、医師から訴えられたりもします。

記事では脳死と判定されたのちに蘇生した例がないというのですが、
これはマトモなデータなのでしょうか? 脳死の段階で生命維持装
置をはずしたり点滴をやめるなどの処置をとらないで確かめた例が、
どれほどあるのでしょう? 客観的にデータをとれる立場の人がと
ったデータでしょうか。

しかし、ほぼ死ぬだろう人から臓器をもらって、より良く生きられ
る人がいるなら、患者にとっても治療をする医師にとってもけっこ
うなことでしょう。

いちばんの問題は、医師と脳死者、臓器の提供を受ける患者、の関
係です。情報をほぼ独占的に握るものが脳死を判定するのでは、シ
ステムとして不備です。ICを得るといっても、その判定のための
データ(カルテに記載されたもの)をすべて患者に提供するわけで
はないでしょう? 患者の家族が別の専門家の助言を受けられるか
たちになっていないのです。

とかく日本では、「契約」という概念が希薄で、患者は医師に「お
願い」する立場でしかありません。だから医師への個人的な「紹介」
が効果をもち、つけ届けが「礼儀」だとする風潮もあります。そし
て、医師のなかには弱い患者の立場につけこんで、生殺与奪権をに
ぎっているかのように錯覚しているものも、なかにはいるようです。
もっとも、これには患者側も管理され指示されるのに慣れ、自分で
は考えないという面もあります。

医療があまりにビジネスであるのも考えものですが、いまの日本の
患者と医師の関係は、臓器移植がさかんな欧米諸国とはちがったも
のだと感じています。おそらく、西欧との文化のちがいに根ざした
ものでしょう。そのちがいを無視し、外国で行われているからとか、
医学的にみて妥当だから、ということで日本で臓器移植がなしくず
し的に行うことには、はっきりと反対です。おそらく、そのシステ
ムは非合理的な利権や権力争いの温床になるでしょう。

                                    Alopex


#0012 kepel    9106141042

ありがとうございました.
4回分ここに転載しますのでみなさん,お読み下さいね

    KEPEL


#0013 sci6605  9106250131

>kepel先生
 記事のアップを楽しみにしてたんですが、第1回以降の分がまだですね。
 お忙しいんですか?

 いくら待っても関連が増えないので・・・ Bear’s


#0014 kepel    9106282115

ははははどうも

東京女子医科大学の生体肝移植のほうがちょいと忙しくて
それではこれから後3っつ分をアップします。

       kepel拝


#0015 kepel    9106282135

脳死の判定は 脳死と臓器移植:2(なんでもQ&A)
          91.06.12  朝刊 5頁 解説 写図有 (全1731字)

  Q 脳死はどうすればわかるの。
 A まず、脳が働いているかどうかを調べるわけだ。脳の各部分は異なった働きを
しているから、分けて調べる必要がある。生命維持に最も重要な脳幹については、意
識があるか、自分で呼吸ができるか、脳幹に達するいろいろな刺激を与えて反応が返
ってくるかの3つを調べる。最後のは脳幹反射というんだが、具体的には、光を当て
てもひとみが開きっぱなし、のどの中を刺激してもせきが出ないなどを確かめる。
 大脳については細胞活動の証拠である脳波が平坦(へいたん)かどうかを見るんだ
ね。小脳が生きているかどうかは調べる方法はない。いずれにしろ、脳死の判定は脳
幹に重点がある。
 Q 脳死の定義に「元へ戻らない」というのもありましたね。
 A 永久に元に戻らないというのは証明が難しいから、ある一定の時間がたった後
に同じ脳死判定の検査をしてみて、やはり脳の働きがない、と確かめることで替えて
いるんだ。その時間をどれだけにするかは議論があるが、6時間以上なら大丈夫とい
うね。
 Q 公的に認められた脳死の判定基準というのがあるの。
 A これまでに話したことをまとめたのが、杏林大学長の竹内一夫さんを班長とす
る厚生省研究班が1985年にまとめた「厚生省基準」で、これが「公的基準」の扱
いなんだ。しかし、医療の現場では移植などを考えなければ、これほど厳密にやらな
くても診断はできるというところもあるね。
 Q 立花隆さんがいろいろと批判しているのはこの基準ね。
 A 機能死か器質死かという議論だね。厚生省の基準は脳が働いていないこと(機
能死)だけしか見ていない、それだけでは不十分で本当に細胞あるいは組織として死
に始めていること(器質死)を確認しなければ、人の死とはいえない、というんだ。
脳死の人の細胞や組織が死んでいるのを確かめるのは難しく、実際にはできない、と
専門医は反対している。
 Q この基準だけでいいの。
 A 基準に盛り込まれた検査は簡単な器具でできるものばかりだが、最近の医学・
工学の発達でハイテクを使った検査ができるようになった。たとえば、脳の血管に血
が流れているかどうかを調べる脳血管撮影が代表的だね。ただ、判定基準では、これ
らの検査は脳死判定に絶対必要とはされず、補助的なものとしてしか扱われていない。
患者に負担がかかるし、1発必中という検査でもないからね。しかし大学倫理委員会
で決めた脳死基準などでは、これらの補助検査のいくつかを独自に加えているところ
もあり、基準の混乱の原因になっていると思うよ。
 Q そういう基準で脳死判定は正しく行えるのかしら。
 A 厚生省基準ができてから、それが正しいかどうか全国的に脳死の症例を調べて
フォローすべきだ、という声はあったが、いまだにしていない。そのかわり、脳死臨
調に委嘱された専門医の委員会が、救急医らから発表されていた、脳死基準に疑問を
生じさせる73症例を検討した結果を発表した。それによれば、基準をひっくり返す
例はなかったというね。
 しかし、脳死と判定した後でも、ホルモン放出など脳の機能の一部が残っているこ
と、脳死となった人の脳を心停止後に顕微鏡で調べてみたら、脳幹の一部の細胞が生
きていること、などが示された。これらがまさに器質死か機能死かという議論を起こ
している。脳の一部が生きているのに脳の死とは疑問だ、と一方はいう。片方は、一
部が生きていても「脳の死」を左右するわけではなく、全体としての脳の機能は失わ
れてしまった、と反論する。この議論を聞いていると、どの時点で脳の死と考えてよ
いのか、釈然としないものが残るね。
 Q 脳死とはなんなのかは、大体わかったわ。それで脳死はいったい人の死として
いいのかしら。
 A さあ、問題はそこだ。これまでは、心臓と呼吸が止まり、ひとみが開きっぱな
しになる、いわゆる3兆候の確認で、死と認められた。脳が死ねば、確かにその人ら
しい考え方も感じ方も永遠に失われてしまうのだから、それで死としてもいいのかも
しれない。ただ、その温かい体をどのように扱ってもいいかどうか。明日は、脳死の
人の臓器がなければ成り立たない臓器移植を考えてみよう。
 (科学部・内村直之 社会部・脇阪嘉明)


#0016 kepel    9106282136

臓器移植とは 脳死と臓器移植:3(なんでもQ&A)
          91.06.13  朝刊 5頁 解説 写図有 (全1796字)

  Q 今日は臓器移植のお話ね。臓器移植ってどんなものがあるのかしら。
 A 臓器移植というのは、病気で臓器がうまく働かなくなっている人に別の人から
同じ臓器を取ってきて植え替える治療だ。米国で1954年に一卵性双生児の2人の
間で行われた腎臓移植を最初の成功例として、臓器移植時代が幕を開けた。今、世界
で治療として行われている移植の対象となる組織、臓器は、角膜、肺、心臓、肝臓、
腎臓、すい臓、骨髄、皮膚など。それに輸血も一種の移植といえるね。
 Q 移植という医療の特徴はなにかしら。
 A 移植は臓器を提供してくれる人(ドナー)がいなければできない医療だ。つま
り、医者と患者だけでは成り立たないところが他の医療と違うところだね。もう1つ
は、もともと体を守るためにある免疫機構と闘わなければいけないということだ。移
植された臓器は患者さんにとって役立つものであっても、他人のものだから体の免疫
機構は「異物」としてしか見ず、排除しようとする。それをどう抑えるかは、移植手
術以上に難しいんだ。
 Q 日本で移植医療はどうやって進んできたのかしら。
 A 腎臓移植は64年に日本で初めて行われ、今では7000例を超えた。肝臓移
植は同じころ千葉大で2例、心臓移植は68年に札幌医大の和田寿郎教授が行った1
例があるだけだ。
 Q 移植と脳死とはどういう関係があるの。
 A さっきあげた組織や臓器の中には、心臓が止まった死体から摘出して移植して
も、うまく働かないものがあるんだ。たとえば、心臓だ。止まるまで待っていると、
その心臓の筋肉が酸素不足などで壊れてしまっていて、もう正常な働きはできない。
また、血流が止まれば全身に酸素不足が起こるので、そういう状況に弱い肝臓なども
移植には使えなくなる。こういう臓器は「心臓が動いている死体」、つまり脳死の人
からもらうしかない。心臓停止の人からももらえるとされている腎臓、すい臓も、や
はり脳死の人からもらった方が「いき」がよく、臓器をもらう患者さんは質の高い治
療を受けられることになるね。
 Q 脳死と移植を切り離して考えるわけには行かないかしら。
 A 脳死には解決すべき固有の問題もある。たとえば、脳死の人につながれた人工
呼吸器は止めていいのか、脳死の人の治療費はどうするか、などだ。そこにも、脳死
を人の死とすべきだとする理由はあるが、むしろ基本的には、脳死の人から臓器をも
らわなければ治療として成り立たない心臓移植や肝臓移植をしようとするから起きる
問題ではないかな。臓器移植と、脳死を人の死とするかどうかという問題はどうして
も切り離せないと思うね。
 Q 肝臓でも脳死を必要としない移植があるわね。
 A 生体肝移植のことだね。胆道閉鎖症などという病気のために肝臓が壊れてしま
った患者に、元気な親の肝臓の一部を切り取って移植する方法だ。しかし、肝臓は再
生力がものすごくおう盛だからできるので、心臓ではとても考えられない治療だ。
 Q 最近はずいぶんやっているようね。
 A 生体肝移植は89年に日本で初めて島根医大で行われた後、京大、信州大、東
京女子医大、広島大でも行われている。「脳死移植が本筋」といっていた移植医も、
それができない現在、生体移植を手がけ始めているね。現在のところ、日本で26人
が手術を受け、亡くなった人は5人。子供だけでなく大人の患者も対象になったが、
脳死肝移植より複雑な手術だというね。
 Q 一方で、海外へ移植を受けに行く人の話も聞くわ。
 A 心臓では英国、肝臓ではオーストラリアなどへ行って受ける人が出ている。神
戸市立中央市民病院の薗潤さんの報告では、英国・ヘアフィールド病院で心臓移植を
受けた7人はみな生存中。肝臓移植の方は、胆道閉鎖症の子供を守る会の調べで51
人が移植を受け、そのうち19人が亡くなっている。日本人が金力でその国の人を差
し置いて臓器移植を受ける「臓器摩擦」が起こるという声も聞かれるが、家族とすれ
ば必死だろう。また、オーストラリアでは、大きさとか血液型が違って自国民に使え
ない臓器を日本人に使うという実情もあるようだね。
 (科学部・内村直之 社会部・脇阪嘉明)
 ◆世界で治療として行われている臓器移植
  角膜移植
  肺移植*
  心移植*
  肝移植*
  すい移植
  腎移植
  骨髄移植
  骨移植
  皮膚移植
  輸血
 (*は心臓死からではできない)


#0017 kepel    9106282138

これからの問題 脳死と臓器移植:4(なんでもQ&A)
          91.06.14  朝刊 5頁 解説 写図有 (全1731字)

  Q 脳死の人からの移植は外国ではたくさんやっているわね。どうして日本ではで
きないの。
 A 昨年1年間で欧米の心臓移植は約3700件、肝臓移植は約4300件あった。
日本では脳死はまだ死と認められていないから、脳死の人から臓器を取り出せば形式
的には人を殺すことになる。この点の法律的処理がまだ定まっていない。
 脳死移植が明るみに出た事例では、関係医師が脳死反対論者から殺人罪で告発され
ている。告発を受けた検察は事件の処理を棚上げにしていて、それ以上事態は動かな
いのが実情だ。しかし、臓器を提供する側の救急医や移植にかかわる医師たちには、
巻き込まれたくないという人が多いね。
 Q そういえば、腎臓に関しては脳死移植が行われているということを最近聞いた
わ。
 A 年間の腎臓移植手術は700例ほど。このうち、約200例に使われた腎臓は
死んだ人から摘出されたものだが、その中に脳死状態で心臓が動いている人からのも
のが含まれていることは知られていながら実態はわからなかった。
 東京女子医大の太田和夫教授のアンケート調査によると、人工呼吸器をつけたまま、
あるいははずした直後に脳死の人から腎臓を取りだしたのは死体腎の3分の1にも上
るというんだ。このときは施設名は明らかにされていなかったが、このほど明らかに
なった岡山協立病院の場合はまさにこれだね。ここには倫理委員会もなく、すべて現
場の医師の判断で脳死の腎臓移植が行われた。こういう状況に対して「それぞれが勝
手にやったのでは事態が混乱する」という批判が聞かれるね。
 Q 大学などの倫理委員会で組織として脳死移植を認めたところもあるわね。
 A たとえば、東大医科学研究所がそうだね。昨年2月、研究所の倫理委員会が「
脳死者からの肝臓移植OK」の結論を出した。臓器移植グループは、手術の人や機材
の準備をする一方で、重い肝臓病の患者さんに移植のことを説明し、移植手術をして
いい、という承諾、いわゆるインフォームド・コンセントを取っている。こちらのグ
ループは「告発されてもかまわない」と言い切っている。しかし、1年以上も適当な
臓器提供者が見つかっていない。やはり、現段階では肝臓を提供しようとする人は非
常に少ないんだね。
 そのほか、大阪大、九州大などでも脳死移植を認めているし、大阪の国立循環器病
センターや東京女子医大のように脳死臨調の結論後に実施OKという施設もある。
 Q そういう動きと脳死臨調との関係はどうなっているの。
 A 臨調は脳死と臓器移植の問題に一定の方向性を出そうと、論議を続けてきた。
脳死・臓器移植容認という方向性は固まったが、その一方で「考え方や周辺条件が整
わない中で安易に移植を実施することに危惧(きぐ)をもつ」との意見もある。しか
し、これをにらみながら「独自の判断で行く」と断言している施設もある。
 Q 「臓器を提供したい人がいて、もらいたい患者がいて、ふたつを結び付ける医
療があればそれでいいのでは」という意見も聞くわ。
 A 1つには脳死の人の人権をどうやって守るか、という問題が大きい。脳死の人
はなにも訴えられない弱者中の弱者だ。「早すぎる脳死判定」は万が一にもあっては
ならず、それを防ぐには当事者同士だけの納得では不十分という意見があるんだ。脳
死の人の人権を守るために特別の法律が必要なのか、臓器移植を問題のない形で進め
るためのシステムがつくれるのか、本人の意思・家族の意思をどうやって生かすのか、
など問題は山積みになっている。
 もう1つ大事なのは、脳死を死とすることは、だれにも訪れる死についての考え方
を根本から変える可能性を持っている、ということだ。もちろん、脳死は死全体から
見ればほんの一部だ。しかし、死が万人のものだからこそ、だれでも脳死については
考え込んでしまう。どんな状態なら社会的合意ができたといえるのかがはっきりして
いないのに、「脳死を死と認めるには社会的合意が必要」という意見が強く聞かれる
のも、その反映だと思う。脳死・臓器移植の問題を考える場合、きみ自身あるいはき
みの身内が脳死になったときに、どうするのかを考えることが最も大切なのではない
かな。
 (科学部・内村直之 社会部・脇阪嘉明)


#0018 sci6605  9106301722

残りのアップありがとうございました。
   これから読みます(^^; Bear’s


#0019 kepel    9107022018

多くてたいへんでしょ
中間意見の多数の方は、医事新報、少数意見はわれらがジャーナルに
採録されております。(医事新報はどうして少数を載せないのかなあ)

ここでアップするより、そちらを図書館か何かでご覧になる方が
よさそうです。

中間意見固まるで書いた解説とこれまでの討論内容はアップできますけど

    kepel