Wat00311 「科学と報道」23  体外受精〈その2〉AID

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  科学朝日に連載中の「科学と報道」(11月号)を関連発言に掲載します。
  「体外受精」シリーズの2回目は「AID」                      北村

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  コラム[科学と報道]23

  体外受精  <その2>  AID


  柴田鉄治                朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ


 不妊者への福音か、神への冒涜(ボウトク )か、と論議を呼んだ「試
験管ベビー」に対して、世界第1号を誕生させた当のステプトー、
エドワーズ両博士は「われわれは女性の小さな機能欠陥に、ほんの
ちょっと医学の手助けをしたにすぎない」と語り、倫理上の問題は
ないと強調した。たしかに、その部分だけに目を向ければ、その通
りかもしれない。
 間違いなく夫婦の子どもであり、試験管ベビーといっても、母体
の外にあった時間はせいぜい1週間程度にすぎない。生命はやはり
母体が育んだのであり、SF小説の「人間製造工場」とはほど遠い
ものである。体外受精児をめぐる論争の一方の主張である「不妊へ
の治療行為」という見解には、一定の説得力があるといえよう。
 そのうえ、論争のなかで「支持派」の人たちからしばしば出てき
た議論は、「不妊治療として、これまでずっと続けられてきた人工
授精に比べれば、まったく問題ないではないか」というものだった。
男性の側に原因のある不妊に対する医療行為として、以前から人工
授精が行われており、夫の精子によって受精させるAIHと、夫以
外の男性(医学生の場合が多い)の精子によるAIDとがある。
 AIHはともかく、AIDには倫理的にも、法律的にも、さらに
は精子提供者が極秘にされることによって偶然の近親結婚の恐れが
あるなど遺伝的にも、さまざまな問題点があることは、かねてから
指摘されてきたところである。にもかかわらず、子どもがほしいと
いう不妊夫婦の願望とそれをかなえようとする医師たちの手によっ
て、欧米では19世紀の末から、日本では戦後まもなくから、盛ん
に行われてきた。
 試験管ベビー第1号のルイーズちゃんが生まれ、日本でも研究が
進んで、実現に踏み出そうとしていた80年ごろ、体外受精をどう
考えたらいいのか、担当の論説委員としてこの問題に直面した私が、
真っ先に思い悩んだのは、AIDのことだった。すでに欧米では何
万人、いやもう10万人は超えただろうといわれるほどの実績があ
り、日本でも49年の第1号の誕生以来、すでに5000人以上が
生まれ、育っていたからである。
 AIDがすでに社会的に認知されているのに、AIDよりは論理
的にも遺伝的にも問題が少ないようにみえる体外受精を認めない、
というのは倫理的におかしい。かといって、不妊治療の人工授精が、
AIHからAIDへとたちまち発展していったように、「借り腹」
とか「冷凍受精卵」とか、技術が一人歩きする恐れがもっと大きい
体外受精を、手放しで肯定するわけにもいかない。思い悩むなかで、
当時、ふと抱いた疑問は、「AIDは、本当に社会的に認知されて
いるのだろうか。希望する不妊夫婦と医師たちの間で密かに実施し、
既成事実を積み上げてしまったのではないのか」というものだった。


                  きちんと問題提起した第一報
                   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 一般に、ジャーナリズムは既成事実に弱いものである。まして、
人工授精のように人間の誕生にかかわるものは、あとから否定する
ことは不可能で、既成事実を認めざるを得ない側面を持っている。
人数が数千人ともなれば、認めるも否もなく、社会的認知を当然の
こととして迫るだけの圧力ともなろう。既成事実がある程度積み重
ねられるまで、AIDのことを報道機関に秘密にしていたのではな
いか、と想像したわけである。
 ところが、調べてみたら、事実はそうではなかった。1949年
8月の慶応大学医学部産婦人科部長、安藤畫一教授によるAID第
1号の誕生が、ニュースとして大きく報じられ、しかも、その記事
には賛否両論、さまざまな人の意見が添えられて、的確に問題提起
がなされていた。現時点から見ても、優れた報道だったといえる。
 報じたのは、当時、朝日新聞社から出ていた週刊新聞『家庭朝日』
である。『人工授精児生まる!−−安藤博士の施術に各界から是非
論−−』という大きなカットが躍り、前文につづいて、安藤博士の
談話を筆頭に8人の談話が並ぶ大々的な報道だった。
 前文には、ちょっと時代がかった表現だが、こうある。「月が満
ち8月下旬3キロ200グラムという優秀な女児を分娩、ここに文字通
り人造人間の誕生が実現し、当の夫婦は非常な喜びに包まれ近く安
藤教授ほか関係者を招いて祝宴を開くといい……一方この実験のこ
とが伝わると同じ医学者仲間はもちろん法律家、評論家、宗教家な
どの各界に大きなショックを与え賛否両論入り乱れるセンセーショ
ンをまき起こすにいたった。各方面の意見を聞いてみるに−−」
 安藤博士の談話は「不妊症を治す医療行為であり、夫婦にとって
は50%だけは自分たちの子であるから、養子よりははるかに合理
的だといえる」とし、 (1)夫婦が熱望すること (2)精子の提供者に
は悪い遺伝がなく、夫より優秀なものを選ぶこと (3)提供者はもち
ろん、子どもにも秘密にすること、の3条件の下で実施してきた、
と述べている。
 さらに同博士は「医学界には相当賛成者もあるが、一般社会、と
くに法律、宗教、道徳方面の専門家からはいろいろ批判が起こるも
のと予想している。私はむしろなるべく多くの人から真面目な批判
の声を聞きたいと考えている」と語っている。密かに既成事実を積
み重ねたのでは、という私の推測は、全く誤りであり、日本のAI
Dの先駆者は、むしろ積極的に是非を世に問うたようである。
 各界の反響は、見出しだけ拾ってみても、「人種改造ができる」
「特定な個人の場合だけ」「法律が必要」「愛情と責任に疑問」
「賛成出来ぬ」「優生学的には反対」「家庭内のこと」「ただ遺産
相続のため?」と賛否さまざま。同紙はさらに、2週間後にも「人
工授精児はつづく わきかえる是非論」という意見特集を組んでい
て、「医師としては当然」「人間改良の一手段」「医学の冐トクだ」
「ネコの子でもよいなら」「大きな疑問」「夫婦間に問題が起きる」
「人間を物あつかい」「気持ちはわかるが……」「動物実験だ」と
談話が続く。
  ちょっと興味深いのは、当時の朝日新聞の論説主幹、笠信太郎氏
もその一人に登場させ、「モラルの上からも感心しない」と言わせ
ていることだ。紙面は賛否公平に扱いながら、やや批判的なニュア
ンスがにじみ出ている印象である。


                  賛否両論、問題はらんだまま
                   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 このように、きちんと問題提起の報道がなされ、他紙もいろいろ
な形で人工授精児の問題を取り上げていたのに、当時、それ以上の
社会問題にまでは発展しなかったのはなぜだろう。おそらく、当時
はまだ科学技術に対する不信感のようなものはほとんどなく、人々
の気持ちも「そんなにまでしても子どもがほしい人がいるなら、止
めることもあるまい」といったところだったのではなかろうか。終
戦直後で日本全体がまだ貧しく、生きるのに必死の時代でもあった
からだ。
 第一報の賛否両論の並ぶ厳しいトーンに比べ、その後の報道は、
ぐっと甘い調子になる。「すくすく育って、もう3歳」とか「不妊
夫婦への福音、人工授精」とかいった見出しで、ルポや解説記事が
出る。生身の人間を目のあたりにすると、その人間の存在を否定す
るかのような批判記事は、書きにくくなるものである。
 こうしてAIDは、賛否両論、さまざまな問題点をはらんだまま、
現実はどんどん進み、第1号から30年で5000人を超えてしま
った。そして、英国での世界初の体外受精児の誕生で、あらためて
社会の関心を集め、再び賛否両論が渦巻くのである。この間の報道
の足跡をたどってみると、AIDへの論議不足を報道の責任とはい
えないような気がする。

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写真説明

    ●日本のAID第一報の紙面
      慶大医学部産婦人科、安藤畫一教授による日本で初めての非配偶
      者間人工受精(AID)児の誕生を報じた『家庭朝日』の紙面。
      1面につづき2面にも各界の意見、さらに2週間後の紙面にも賛
      否両論が掲載されている(1949年9月10日付)