Wat00305 「科学と報道」22  体外受精<その1>ルイーズち

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  科学朝日に連載中の「科学と報道」(10月号)を関連発言に掲載します。

  「体外受精」シリーズの1回目は「ルイーズちゃん」              北村

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  コラム[科学と報道]22

  体外受精  <その1>  ルイーズちゃん


  柴田鉄治                朝日新聞出版局次長/しばた・てつじ


 1978年7月26日の夕刊各紙は、一面トップで世界初の体外
受精児の誕生を大々的に報じた。
 「初の体外授精児誕生 英の病院 帝王切開で女子
 2600グラム、母子とも順調  医学・倫理 賛否両論の中」
 といった大見出しが躍った。
 英国中西部のマンチェスターに近いオールダム病院の医師、パト
リック・ステプトー博士と、ケンブリッジ大学のロバート・エドワ
ーズ博士のコンビが12年間にわたる地道な研究のすえ、ようやく
実現させた成果だった。卵管異常のため正常の妊娠ができない鉄道
員の妻レスリー・ブラウンさん(32)の卵巣から卵子を取り出し、
夫のギルバート・ブラウン氏(38)の精子で受精させ、それをま
たレスリーさんの子宮に戻して着床させたものである。
 この日の紙面には、「元気に“世紀の赤ちゃん”不安吹っ飛ばす
産声」といったサイド記事や、「はたして医学の勝利か 賛否さま
ざま」といった各界の反応のまとめ記事、さらに「対応迫られる科
学者」といった解説記事などが大展開されている。いや、その日だ
けではない。その後、赤ちゃんはルイーズちゃんと名づけられたこ
と、母子とも健康で12日後に退院したこと、英国で体外受精の希
望者が続出していること、などの続報がつづく。ルイーズちゃんの
可愛い写真も紙面を飾った。
 心臓移植と体外受精−−これらは、20世紀後半に登場してきた
先端医療の双璧だが、それぞれの第1例の報道のトーンは、かなり
違っていた。片や第三者の「死」をともなう医療、片や新しい生命
を「誕生」させる技術と、もともと対照的な面をもっていて、本来
なら体外受精の方がずっと明るいニュースとして報じられるはずな
のに、現実はむしろ逆だった。
 前にも触れたように、医学の進歩と礼賛調だった心臓移植に対し
て、体外受精の成功には未来への危惧というか、懸念、不安の思い
がにじみ出ていたように思う。この違いをもたらしたものは、両者
の間の10年間という年月そのものだったといえよう。
 この間に、心臓移植自体も、日本第1例の「暴走」が明らかにな
り、社会の目は礼賛から非難に逆転したが、それだけでなく、この
10年間に科学技術に対する人々の見方がガラリと変わったのであ
る。きっかけは、公害・環境問題の深刻化で、科学技術は経済発展
や豊かさをもたらす「魔法の杖」から、環境破壊や資源浪費をもた
らす「元凶」へ、とイメージを一変させたのだ。「礼賛の60年代、
不信の70年代」と呼ばれるゆえんである。


                  初の試験管ベビー誕生で論争
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 もう一つ、心臓移植と体外受精の違いは、心臓移植の報道が「あ
る日突然」だったのに対して、体外受精はかなり前からにぎやかな
前ぶれ報道が続いていたことだ。
 体外受精の別称である「試験管ベビー」という言葉が新聞紙上に
現れるのは、1961年ごろからである。イタリアの研究者が受精
卵を試験管内で培養し、成育させたと発表したことが大きく報じら
れた。この研究には疑問視する声も出たが、カトリック教会から激
しい攻撃を受けて本人も研究をやめると宣言したので、結局、真偽
のほどは不明のままとなった。
 69年、前述のステプトー、エドワーズ両博士らによる「試験管
の中での受精に成功」の論文が、英国の科学誌『ネイチャー』に掲
載され、それが広く報道された。ルイーズちゃんの誕生の9年前。
この論文は世界第1例の誕生がけっして偶然の所産ではなく、長年
の研究の積み上げがあったことを示す証拠でもある。
 この研究がテレビで紹介された英国では、「不妊者への福音か、
神への冒とくか」と大論争が起こったといわれる。かつて英国の作
家、オルダス・ハックスレーが「素晴らしき新世界」というSF小
説で描いた「人間ふ化工場」を思い起こさせたこともあって、いっ
そう話題も広がったようだ。
 翌70年に、当のステプトー博士が英国のテレビで「年内にも試
験管ベビーの第1号が誕生するだろう」と予告したことが伝えられ、
「試験管ベビー」をめぐる論議がさらに活発になった。「奇形など
の心配はないのだろうか」といった現実的な問題から、受精卵を別
の女性の子宮に着床させる「借り腹」の問題や、受精卵を冷凍保存
して出産時期を選ぶ問題など、SF小説的な想像まで交えて、さま
ざまな論議が報道された。
 前ぶれ報道のなかには、誤報騒ぎもいくつかあった。たとえば、
72年に英国の日曜大衆紙が「来月出産」と報じ、日本のある新聞
もそれを受けて「ついに試験管ベビー時代」と大々的に報じた。ま
た、74年には、英国のある大学教授が「この1年半のうちに、欧
州で3人の試験管ベビーが誕生し、いずれも健康である」と発表、
これを外電が伝えて日本でも大きく報じられた。ところが、「いつ、
どこで、だれが」が不明のうえ、当の教授が「疲れた」と引退声明
を出して結局、幻に終わった。
 こうした誤報騒ぎが続いた原因の一つは、体外受精の技術が、受
精卵を子宮に戻して着床させても、なかなか出産までいかないとい
う難しさにもあったようだ。ルイーズちゃんが生まれた時、ステプ
トー、エドワーズ両博士が明らかにした「過去400例は失敗」と
いう事実が、技術の難しさを示しているといえよう。


                    違和感あった報道独占権
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 英国のデーリー・ミラー紙が78年4月に報じた「7月に誕生」
という記事は本当になった。さらに、7月中旬、デーリー・エクス
プレス紙がブラウン夫妻の氏名を明らかにして「
2、3週のうちに誕生」と報じたスクープで、騒ぎは大きくなった。
 まず、試験管ベビー第1号の報道独占権をめぐって、世界の主要
報道機関が火花を散らしたのである。
 独占料はどんどんせり上がって、結局、英国のデーリー・メール
紙などを持つアソシエーテッド・ニュースペーパー・グループが当
時の金で30万ポンド(約1億2000万円)で取得した。「生ま
れてくる子どもは経済的には恵まれることになりました」と父親の
談話まで紹介されている。
 こうした中でのルイーズちゃんの誕生である。生まれてきたルイ
ーズちゃんに心配された奇形や異常がなかったことで、報道のトー
ンは、事前よりぐっと祝福ムードに傾いたが、一方、体外受精が現
実になったことで、さまざまな問題点を指摘する声がいっそう強ま
った面もある。
 報道の面では、巨額の金で報道独占権が取引されたことは、問題
を残したといえる。外電などは、ルイーズちゃんの写真を独占掲載
したデーリー・メール紙を読者が見ているところを頭ごしに撮影し
て、その写真を配信するといった工夫をして対抗したが、この種の
事柄での報道独占には、批判が集中したようだ。1カ月後には、す
べての報道機関に、生まれた直後の写真が公表されている。
 ブラウン夫妻とルイーズちゃんの氏名が公表されたことに対して
は、英国内では何ら問題にされなかったが、日本では、ルイーズち
ゃん誕生直後に「公表すべきではなかったのではないか」と指摘す
る有識者の意見が報じられている。氏名が公表されると一生「試験
管ベビー」のレッテルがはられ、将来、何か異常があれば「試験管
ベビーだから」といわれる恐れがある、というのである。この指摘
は、のちに、日本の体外受精児第1号をめぐって大問題になるのだ
が、それはあとで触れる。

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写真説明

    ●体外受精児第1号、ルイーズちゃん
      世界で初の体外受精児として1978年7月25日に英国で
      誕生したルイーズ・ブラウンちゃん。生後間もなく撮影され、
      1カ月後にオールダム病院から公式に発表された写真(AP)