Wat00136 脳死に関する資料のコ−ナ−

#0000 sci1902  8902140148

脳死を語る時に知ってると面白い資料のコ−ナ−。
脳死のコ−ナ−は#115です。
                          つちねこ

#0001 sci1902  8902140148

脳死につきまして、「竹内基準」だの「厚生省基準」だのと言われておりますが、
何のことやら分からない方もおられると思います。
そこで、厚生省が出した脳死判定基準(いわゆる竹内基準)の全文を参考資料とし
てアップします。行数にして119行あります。この基準では、医学用語が何の注
釈もなく使われています。ですから、予備知識の十分でない方には読んでみても今
一つ意味がはっきりしないかも知れません。この基準のどこが問題とされているの
かも良く分からないかと思います。
少なくとも、医学用語の解説はその内このコ−ナ−で、一般の人にも分かるように、
行なうつもりです(しばらく時間下さい)。

著作権の問題ですが、この基準は各病院や医療施設に配られたという性質を持って
います。ですから、そう気にしなくてもいいのだ、と個人的には思ってます(著作
権に詳しい方ぜひ御教示を)。

しばらく、意見の表明は控えさせていただきますが、そのかわり(?)こういった
資料とその解説を時々アップしようと思ってます。
                          つちねこ

#0002 sci1902  8902140150

           厚   生   省
        厚生科学研究費 特別研究事業
          「脳死に関する研究班」
             脳死判定基準

    │       脳死判定基準       │

 脳死の判定は、脳死の概念、脳死の判定方法を十分理解、習熟した上で行なわね
ばならない。判定基準を個々の症例に適用する際は、まず前提条件を完全に満たし、
次いで判定上の必要項目の検査成績が、すべて要求と一致しなければならない。
                  ^^^(*1)

1.前提条件

 (1)器質的脳障害により深昏睡及び無呼吸を来たしている症例
   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 深昏睡とはIII−3方式では300、グラスゴ−・コ−マ・スケ−ルで3でな
ければならない。無呼吸とは検査開始の時点で、人工呼吸により呼吸が維持されて
いる状態である。

 (2)原疾患が確実に診断されており、それに対し現在行ないうるすべての適切な
   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
   治療をもってしても、回復の可能性が全くないと判断される症例
   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 脳死の原因となる疾患は、病歴、治療、経過、検査(特に画像診断)などから確
実に診断されていなければならない。この場合、適応と考えられるあらゆる適切な
治療が行なわれていることが前提である。もし、原疾患を明確にできなければ脳死
の判定をしてはならない。

2.除外例

 患者が、深昏睡、無呼吸であっても、脳死判定に際しては次ぎのような症例を除
外しなければならない。
 (1)小児(6才未満)
 一般に小児では脳死判定を特に慎重に行なわなければならない。小児でも脳機能
の不可逆的喪失の判断は可能であるが、6才未満の乳幼児では心停止までの期間が
長い傾向もみられるので除外する。
 (2)脳死と類似した状態になりうる症例
  [1]急性薬物中毒(*2)
   急性薬物中毒を除外する。問診、経過、臨床所見などで、少しでも薬物中毒
が疑われるときは脳死の判定をしてはならない。問診ができないときはなおさらで
ある。最も確実な方法は血液中の薬物の定量であるが、いつでもどこでもできると
は限らず、定量には時間を要し、薬物の半減期も個人差が大きい。
  [2]低体温
   低体温は反射を減弱させる可能性があるので、直腸温で32度C(*3)以
下の低体温があれば、脳死判定をしてはならない。低体温があればブランケットな
どで加温する。
  [3]代謝・内分泌障害
   肝性脳症、高浸透圧性昏睡、尿毒症性脳症などが代表的であるが、これらに
はなお可逆性が期待される場合があるので除外する。

3.判定基準

 (1)深昏睡
 III−3方式では300、グラスゴ−・コ−マ・スケ−ルで3でなければなら
ない。顔面の疼痛刺激に対する反応があってはならない。
 (2)自発呼吸の消失
 人工呼吸器をはずして自発呼吸の有無をみる検査(無呼吸テスト)は必須である。
 (3)瞳孔
 瞳孔固定し、瞳孔径は左右とも4mm以上
 (4)脳幹反射の消失
  (a)対光反射の消失
  (b)角膜反射の消失
  (c)毛様脊髄反射の消失
  (d)眼球頭反射の消失
  (e)前庭反射の消失
  (f)咽頭反射の消失
  (g)咳反射の消失
 自発運動、除脳硬直・除皮質硬直、けいれんがみられれば脳死ではない。
 (5)平坦脳波
 上記の(1)〜(4)の項目がすべて揃った場合に、正しい技術基準を守り、脳波が
平坦であることを確認する。最低4導出で、30分間にわたり記録する。
 (6)時間経過
 上記(1)〜(5)の条件が満たされた後、6時間経過をみて変化がないことを確 
認する。二次性脳障害、6才以上の小児では、6時間以上の観察期間をおく。

4.判定上の留意点

 上記判定基準を応用するにあたって、次の事項に留意する。
 (1)中枢神経抑制薬、筋弛緩薬などの影響
 脳死に到るような症例では、集中治療中にしばしば中枢神経抑制薬、筋弛緩薬な
どが用いられるので、予想される薬物の効果持続を考慮し、これらの薬物の影響を
除外する。筋弛緩薬の効果残存をみるには、簡単な神経刺激装置が有用である。刺
激により筋収縮が起これば、筋弛緩薬の影響は除外できる。
 (2)深部反射・皮膚表在反射
 本判定指針では、深昏睡を外的刺激に対する無反応と定義したが、いわゆる脊髄
反射はあってもさしつかえない。したがって深部反射、腹壁反射、足底反射などは
消失しなくてもよい。脳死で脊髄反射が存在してもよいという考えは、多くの判定
基準で認められている。
 (3)補助検査
 脳死判定には種々の補助検査法が用いられているが、本判定指針では脳波を重視
し必須項目に入れた。脳幹誘発反応、X線−CT、脳血管撮影、脳血流測定などは、
脳死判定に絶対必要な物ではなく、あくまでも補助診断法である。
 (4)時間経過
 検査を反復する目的は絶対に誤診をおかさないためと、状態が変化せず不可逆性
であることを確認するためである。本判定基準で示した時間(6時間)は絶対に必
要な観察期間である。年齢、原疾患、経過、検査所見などを考慮し、個々の症例に
応じてさらに長時間観察すべきである。脳死の最終判定を何時間後に行なうかは、
原疾患、経過を考慮した医学的判断の問題である。
 参考までに、英国基準では、初回検査までの無呼吸あるいは無呼吸・昏睡の原因
と持続を問題にしており、再検査の時間を規定してはいない。このような考えはア
メリカの共同研究にも現れており、無呼吸・昏睡が6時間以上続いた症例について
再検査の時間は30分でよいとしている。このような考えは発症から初回検査まで
の無呼吸・昏睡の持続を重視する立場である。
 一方、初回検査までの無呼吸・昏睡の持続を考慮せず、初回検査から最終回検査
の時間間隔を重視する立場がある。本判定基準では不可逆性の判定に要する時間間
隔を重視し、判定基準のすべての項目が満たされた時点から時間を起算している。
この方が判定の誤りを絶対に避けうるからである。アメリカ大統領委員会の場合も、
全脳機能の停止が適切な観察および治療期間にわたって持続していることを条件と
している。

*1 ^^^ は、原文では傍線。
*2 []は、原文では、○で囲った数字。
*3 32度Cの「度」は、原文では右上付の小さいo。

#0003 sci1902  8902140410

続いて、脳死基準を読む時の用語解説その1です。
120行あります。ご注意めされい。
                  つちねこ

#0004 sci1902  8902140413

脳死判定基準用語解説
器質的障害 形態学上の変化を来していること。例えば、脳の場合外傷で細胞その
      物がぶっ壊れているとか、脳卒中で脳細胞が死んでいるとか。形態学
      上何の変化もないのに働かない場合を機能的障害と言います。
      分かり易く言えば、ハ−ドがぶっ壊れているのが器質的、ソフトが壊
      れているのが機能的、と言ったら良いのかしら。

III−3方式 人の意識レベルを知る方法の一つです。日本では良く行なわれて
      いる方式。「III−3」方式と言うより「3−3−9方式(さんさ
      んくどほうしき)」と言う方が通りがいいのかな。
      一番意識がはっきりしないのがレベル300で、痛み刺激を与えても
      何の反応もしないような深い昏睡状態です。

│        3−3−9度分類(Japan coma scale)
│Grade I 刺激しないでも覚醒している
│    1.一見意識清明のようではあるが、今一つどこかぼんやりしていて、
│     意識清明とはいえない。
│    2.見当識障害(時、場所、人)がある。
│    3.名前、生年月日が言えない。
│Grade II 刺激で覚醒する。
│   10.普通の呼びかけで容易に開眼する。
│   20.大きな声または体を揺さぶることにより開眼する。
│   30.痛み刺激を加えつつ、呼びかけを繰り返すとかろうじて開眼する。
│Grade III 刺激をしても覚醒しない。
│  100.痛み刺激をはらいのけるような動作をする。
│  200.痛み刺激で少し、手足を動かしたり、顔をしかめたりする。
│  300.痛み刺激に反応しない。
│注1)R:Restlessness(不穏状態)、I:Incontine
│   −nce(失禁)、A:Akinetic mutism(無動性無
│   言)、Apallic state(失外套症候群)
│注2)記載方法は、例えば100−I、20−RIなどとする。

グラスゴ−・コ−マ・スケ−ル これまた、人の意識レベルを知る方法の一つです。
     こっちは、点が低いほど意識レベルが低いスケ−ルで、最低点が3点で
     す。私は、あんまり使ったことないけど、どうなんだろ。日本ではどれ
     くらい普及しているのかなあ。3−3−9の方を良く使うように思いま
     すが。

│         グラスゴ−・コ−マ・スケ−ル             │
│ 開眼(E)      自発的に開眼する。        4点    │
│            呼びかけにより開眼する。     3     │
│            痛み刺激により開眼する。     2     │
│            全く開眼しない。         1     │

│ 最良言語反応(V)  見当識あり。           5点    │
│            混乱した会話           4     │
│            混乱した言葉           3     │
│            理解不明の音声          2     │
│            全くなし             1     │

│ 最良運動反応(M)  命令に従う            6点    │
│            疼痛部へ             5     │
│            逃避する             4     │
│            異常屈曲             3     │
│            伸展する             2     │
│            全くなし             1     │

画像診断  主にX線による物、特にCTのことをここではさしているらしい。

肝性脳症・尿毒性脳症 いずれも、故陛下が陥っていたのではないか、と心配され
      ていた病態。本来体外に捨てられるべき物質が、肝・腎などの機能不
      全のため体内に貯まり、脳を障害する。

高浸透圧性昏睡 糖尿病の合併症(と言うか、糖尿病の病態の)一つ。

瞳孔径   人の瞳孔は、明るい所では小さくなり、暗い所では大きくなる。死ぬ
      と、この調節機能が失われて瞳孔はひらきっぱなしになる。

脳幹反射  ある刺激を与えた時、刺激によってはその処理(反応)を脳幹で決定
      する種類の刺激と反応の関係があることが知られている。例えば、上
      に述べた瞳孔径も「光」という刺激にたいして「瞳孔径を小さくする」
      という反応(処理)が起こるが、これは脳幹で行なわれているのであ
      る。ここから、脳幹が働いているかどうかをある種の刺激を与えるこ
      とによってしることができる。ただし、脳幹はまともでも、刺激を伝
      える神経路や反応を伝える神経路がやられていると、当然ながらこの
      反射はみられない。瞳孔の例で言えば、盲人は「光」と言う刺激を脳
      幹に伝えられないから、この反射はみられないことになる。だからと
      いって盲人は脳幹が死んでいるとは言えない。生きて、ピンピンして
      いる盲人の脳幹は当然生きている。

対光反射  光を瞳孔に入れると、瞳孔が縮小する反射。神経路により直接反射と
      間接反射がある。

角膜反射  異物で(大概、コヨリとか脱脂綿)で、角膜(黒目の部分)を触ると、
      瞬きする反射。

毛様脊髄反射 そこら辺をつねると(わぁ、いいかげんな言い方)、瞳孔が縮小す
      る反射。

眼球頭反射 頭の向きを「えいやっ」と、変えてやると、目玉はそれにもかかわら
      ず元あったほうを向いていると言う反射。(分かりづらいかな)。えっ
      と、例えば意識が無くなっている患者さんがいて仰向けに寝ていて、
      目玉はまっ直ぐ天井の方を向いていたと、考えて下さい。そこへ、医
      者がやってきて、両手で頭をむんずとつかみ「えいやっ」と、一瞬の
      うちに右を向かせたとしましょう。でも、目玉は横目を使って、やっ
      ぱり天井の方を向いている、こういう状態を言います。

前庭反射  ううんと。こりゃカロリックテストのことだったですね。耳の中に冷
      水(または温水)を注入しますと(ゾ−ッとしますね)、何と目玉が
      左右にピクピク震えるような反射を言います。皆さんも、どっか広い
      所でグルグル回って「うわあ、目が回ったい!」なんて遊んだことが
      あるでしょう。これは、耳の奥の三半規官のなかの液が、グルグル回っ
      た時の慣性で、体が止まった後でも流動していることにより起こる感
      覚です。このとき皆さんの目は、左右にピクピク動いてます。
      耳の中に冷たい水やお湯を入れますと、対流の原理で三半規官の中の
      液が流動します。で、脳幹を伝わって、目がピクピクとなる訳です。

咽頭反射  喉の奥の方に物を突っ込むと「オエッ」となる反射。酒飲んで気持ち
      悪くてはきたい時、喉に指突っ込んで吐かせるのはこの反射を利用し
      た、生活の知恵ですね。

咳反射   気管に異物が入ると咳込む反射。いわゆるむせた、という奴です。

長くなりましたので、その1終わり。その2に続きます。
                          つちねこ

#0005 sci1902  8902141705

つぎは、用語解説のその2です。
114行あります。長くて申し訳ありません。
                       つちねこ

#0006 sci1902  8902141707

平坦脳波  脳波は、大脳の電気的な働きをみるもんで、これが平坦になったと言
      うことは大脳が電気的に働いていない、と考えることができる。しか
      し一方、脳波についてはそう多くのことが分かっている訳でもない。
      健康な人でも平坦脳波になることがあり、また平坦脳波だからと言っ
      て必ずしも全く電気的活動が0かというと、それも疑問である。

深部反射・皮膚表在反射 これを(いわゆる)脊髄反射とみるならば、存在してい
      ても脳死の可能性は十分にある。私の不勉強のせいであるが、ここに
      ついての解釈は今一つはっきりしない。
疑問点1 脊髄は、どこまでを脳死に必要とされる脳幹部に入れるか。
     脊髄の極上部は、延髄から明確な境界なしに移行しており、機能の面で
     も第3、4頚髄は呼吸の自動能を司る中枢の一つとなっている。脊髄や
     延髄から出る末梢神経の面では、解剖学的には明確な区別がつくのだが
    (頭蓋骨の中で生えている末梢神経は「脳神経」と呼ばれており、一応延
     髄由来とみなされており、頭蓋骨の外で、背骨((椎骨))から生えて
     いる末梢神経は、脊髄由来と考えれられている。)、機能的に本当に脊
     髄から生えている末梢神経のおおもとが、すべて脊髄由来かと言うとそ
     うではなく、脊髄と延髄の境界面では両方から由来する末梢神経も存在
     している。(ex.延髄から生えている脳神経のXI、XII番あたりは、そ 
     のル−ツは延髄からも脊髄からも由来している。)
疑問点2 皮膚表在反射は、脊髄の反射か?
     ま、一般に言われているのは、そうなんです。反射弓は複雑で、求心路
     と遠心路の出入りする脊髄の分節も違ってたりするのでありますが、厳
     密に言えば、脳死の判定条件とされる角膜反射、咽頭反射もそれぞれ、
     橋、延髄を反射中枢とする表在反射だったりするのです。ま、こりゃ、
     揚足取だな。

脳幹誘発反応 BSR(Brain Stem Responseだったっけ)
     脳幹にいくとよく知られている神経を刺激してやり、そのさい脳幹にい
     く途中の神経や脳幹そのものが働いているかどうかを、一種の脳波のよ
     うな装置で記録するという検査。聴性誘発反応(だったっけ。日本語の
     方は良く知らん。)ABR(Auditory Brain Resp
     −onse)が代表的。
     物を「聞く」神経は、耳の中にあって(当り前か)、VIII脳神経と言われ、
     途中耳の奥の方をうにゃうにゃ通りながら、橋という脳幹のある部分に
     はいる。で、耳に音を聞かせてやった時、微弱な電気信号を体表から拾っ
     てやると、耳の神経の興奮する電気信号、途中の神経が興奮する電気信
     号、橋が興奮する電気信号、そういった信号を記録することができる。
     もし、耳の神経細胞や、途中の神経細胞は興奮しているのに、橋が興奮
     していなければ、橋が死んでいる可能性があると分かる。

X線−CT X線−Computed Tomographyの略。
     人間の回り360度からX線を当て、その吸収率をデジタル化してコン
     プ−タに入れる。すると、ああら不思議、断面の様子が手に取るように
     分かるという便利な検査。もともとは、機械の大きさの関係から脳みそ
     の断面専門だった。今は、体のどの部分も輪切り(立てぎりは駄目)で
     きる。

脳血管撮影 体のどこかの動脈(一般には、腕、ふともも、首のつけねなど)から
      細いチュ−ブを入れ脳へいく血管へとチュ−ブの先を送り込む。そし
      てX線に写るような物質(ヨ−ド剤)をチュウ−ブから流しながらX
      線撮影をする。すると普通のX線では写らない血管がばあ−っと良く
      写る。もし、この検査をしてみて血管が写らないとうことは、脳に血
      流がいっていないということである。脳は、5分血流がなければ不可
      逆的な変化を起こすから、この検査は脳死が疑われる時に、本当に脳
      死かどうか知るのに極めて有効である。ただし、厚生省基準は、機能
      死を脳死と定義しているので、器質死の有無をしるこの検査はそういっ
      た意味で直接脳死かどうかを知るのには関係ない。しかし、器質死を
      来していれば当然機能死を来しているので(ハ−ドが壊れていれば、
      当然ソフトは働いていないでしょ)、この検査を必須の物とした方が
      良いという意見もあり、ここが厚生省基準の争点の一つでもある。(
      機能死を来してたからといって、必ずしも器質死ではないことに注意
      して下さい。ソフトが壊れていても、ハ−ドはまともかも知れない。)
      現在の医学では、ハ−ドの故障もソフトの故障も直せない。将来どん
      なに医学が進んでもハ−ドの故障は直せない。けれども、ソフトの故
      障は直せるようになるかも知れない。だから、ハ−ドの故障をもって
      脳死としようと言うのが、器質死=脳死派の主張。厚生省基準では、
      ソフトの故障=脳死と言う考え。ここがまた大きな争点です。

脳血流測定 上に述べた考えで行なう補助検査の一つ。具体的には、Contra
      −st EnhancedCT(造影剤を使ったCT。もし血流があ
      るなら、造影剤によって増強されて写るが、血流が途絶えていれば造
      影剤はやってこない。)、PET、SPECT(良く知りません。C
      −Tの一種で、細胞が代謝活動をしているかどうか、つまり生きて働
      いているかどうかを直接みられる物らしい。)などが挙げられる。

補助検査  これら、今まで述べた、脳幹誘発反応、X線CT、脳血管撮影、脳血
      流測定などは、厚生省基準では、「脳死判定に絶対必要な物ではなく、
      あくまでも補助診断法である。」と、明記してあります。少なくとも、
      CTや、脳血管造影(通称angio=アンギオ、アンジオ、アンギョ
      )など、ちょっと大きな病院ならば具えているような検査は、必至項
      目にした方が良いという考えもまた別にあります。厚生省基準は、機
      能死を重視しているので、器質死を知るこれらの検査は補助検査の扱
      いにしたようです。ですが、先に述べた理由で、器質死を重視する考
      えですと、これらの検査は外せません。ここも争点の一つです。

時間経過  厚生省基準では、状態が不可逆である(良くなることはない)ことを
      確認する手立てとして、6時間の時間をおいて再検査するように規定
      しています。各国の基準も参考にしながら、6時間というラインを考
      えたようです。
      良く考えてみると、機能死を取る場合、何を持って不可逆かを知るの
      はたいへん難しい、限りなく不可能に近い物です。6時間不変だった
      からといって、12時間後には良くなっているかも知れない。けれど
      も、経験的に6時間を経過すれば先ず元に戻ることはないから、一応
      6時間を持って不可逆になったと「みなそう」くらいの確実性のもの
      です。
       もう一点、死亡時刻の問題があります。
      最初に「脳死基準の初めの5項目を満たす」と判定した時(仮に0時
      としましょう。)と、6時間後に「やっぱり変らない」と判定した時
      (つまり、6項目目を確認した時になります。6時としましょう。)
      の二つの時刻があります。どちらを死亡時刻にしたら良いのでしょう。
      厳密に、厚生省基準を読むならば、最初の5項目を満たした時点では
      「脳死」とは言えません。脳死を疑って良い時、としかいえません。
      6項目目、すなわち、6時間後の確認をもって「脳死」と判定するの
      が厳密な運用でしょう。
      医者の中には、(例えば北里大の船尾教授(法医学))のように、「
      絶対、最初の時間(0時)が死亡時刻です。6時間後というのはやっ
      ぱり死んでるとを確認したにすぎません。」と主張する人もいます。
      この点は、法律論なども絡んできます。(財産相続とか、出産とか)

や、長かったですねえ。ご免なさい、と謝りつつ、相変わらず長い、ちっとも反省
の色がみられない                   つちねこ

#0007 sci1902  8902160110

 今回の資料は、日本医師会生命倫理懇談会の最終報告(昭和63年1月12日)
です。この懇談会は、日本医師会長の私的な諮問機関ですが、後にこの報告をもっ
て日本医師会の公式見解となったものです。ですから、これは、「脳死」について
の医師会の考えと思って下さい。
 この報告は、中にも書いてありますが、医師などの専門家の集りではなく、いろ
いろな分野から委員を選んであります。ですので、非常に分かり易く、脳死の持っ
ている問題点が指摘されています。この報告自体が持っている問題も多々あります
が、「脳死」とは何かを知るには、もっとも手っ取り早く理解できるものと思いま
す。知識として、概念として脳死を知るには良い教科書です。
 例によって著作権ですが、実はこれは立花氏の「脳死再論」の巻末資料を打ち込
んだ物です。しかし、これは、立花氏の著作ではなく、この報告自体の持つ性格か
らすると「大丈夫かなあ?」と思いましたので、アップすることにしました。(ど
なたか、著作権に詳しい方、ご教示を〜。)
 あんまり長いので、7パ−トに分けました。それぞれ、81、84、72、88、
95、126、66行あります。できる限り、原文に忠実に打ち込みましたが、も
しかしたら漢字の変換など違っている所があるかもしれません。文章の意味脈絡は
全く変っていないはずです。誤字があったら、それは私のせいです。
 のうしよ、のうしよ、お、ぱっきゃらまあど
 ぱっきゃらまあど、ぱおぱおぱ          つちねこ

#0008 sci1902  8902160111

脳死および臓器移植についての最終報告   昭和63年1月12日

                   日本医師会 生命倫理懇談会

               最終報告の要旨

 当懇談会の「中間報告」にたいしては、多数の意見が寄せられ当懇談会は、これ
らを重要な資料として検討を続けた。
 この最終報告は、「中間報告」の基本を維持しつつ、寄せられた意見や疑問に答
えるため、多くの説明を加えた。

1 [死の定義]
  従来の心臓死の他に、脳の死(脳の不可逆的機能喪失)をもって人間の個体死
 と認めてよい。
2 [脳の死の判定基準]
  脳の死については、厚生省研究班(竹内一夫班長)の判定基準を必要最小限の
 基準として大学病院等の倫理委員会において基本手事項を定め、これによって疑
 義を残さないように、慎重かつ確実に判定を行なうべきである。
3 [患者本人または家族の意志の尊重]
  脳の死による死の判定は、患者本人またはその家族の意志を尊重し、その同意
 を得て行なうのが、現状では適当である。
4 [脳の死による死の判定の正当性]
  脳の死による死の判定は、それが日本医師会等で一般的に認められるとともに、
 患者側の同意を得て、適切な方法で、医師によって確実になされるのであれば、
 それを社会的および法的に正当な物と認めてよいと考えられる。
5 [脳死判定による死亡時刻]
  脳死判定による死亡時刻としては、(1)はじめの脳死判定時と、(2)その
 後6時間ないしはそれ以上たってからの脳死確認時とが考えられる。死亡診断書
 の死亡時刻は、(1)と(2)のいずれによってもよいが、死後の相続の問題に
 そなえて、もう一方の時刻も診療録に記録するものとする。
(*1)

6 [臓器移植]
  臓器移植は、臓器提供者および受容者本人、またはそれらの家族が十分な説明
 を受け、自由な意志で承認した場合に、日本移植学会の定める指針に従って行な
 うものとする。


         脳死および臓器移植についての最終報告

1 日本医師会と生命倫理懇談会
 (1)当懇談会の性格と構成
    当懇談会は、日本医師会羽田春兔会長の諮問機関として、昭和61年6月
   に設けられたもので、日本医師会からは独立して審議を行ない、得られた結
   論を会長に報告するものである。会長は、これを日本医師会の理事会等の機
   関にはかり、賛同が得られれば、それを日本医師会の方針として採択するこ
   とになる。この手続きは、すでに「男女産み分け」についての報告の場合に
   とられてきている。
    当懇談会の構成は、医師2人、法律家2人、医学者・分子生物学者・哲学
   者・文化人類学者・作家・経済人、それぞれ1人の計10名である。
 (2)これまでの日本医師会の見解
    昭和58年に花岡堅而前会長の諮問機関として「生命倫理に関する検討委
   員会」が設けられて、検討が行なわれた。その内容は、昭和59年3月に「
   答申」として出されている。しかし、そこでは、時間切れのため、総括がな
   されたにとどまり、日本医師会としてとるべき明確な方針は出されていなかっ
   た。
    その総括第7項では、「心死の認定をもって死の認定としているが、脳死
   が存在する事実も認めるべきであり、医師のみならず、一般の理解を深める
   ためのそれぞれの努力が必要である」とされている。
 (3)中間報告とこれに対する意見の検討
    当懇談会は、多数の専門家および有識者の意見を聞きながら、いろいろの
   角度から脳の死を検討し、昭和62年3月25日に、「脳死および臓器移植
   についての中間報告」を公表した。この中間報告にたいしては、649通に
   のぼる意見が関係各方面から寄せられた。当懇談会は、これらの貴重な意見
   を資料として引き続き討議をつづけるとともに、「脳死の判定指針および判
   定基準」(厚生省科学研究費特別事業、脳死に関する研究班:昭和60年度
   研究報告書)に対して提示されている疑問にたいして、竹内一夫(杏林大学
   医学部、脳神経外科学)・武下浩(山口大学医学部、麻酔・蘇生学)両教授
   および脳生理学の立場から伊藤正男教授(東大医学部、生理学)の見解をう
   かがった。
    このような経過を経て、当懇談会は、これまでの討議の結果を最終報告と
   してまとめることとした。

つづく
*1原文では、(1)、(2)はそれぞれまるで囲った数字。

#0009 sci1902  8902160113

2 問題の所在
 (1) 従来の三徴候による死の判定
    1 三つの主要臓器
      人間の身体は多数の細胞から構成されているが、生命現象を維持して
     いくためには、それらの細胞に酸素と栄養素を常に供給しなければなら
     ない。個体レベルにおける生命現象の基本はここにあるといえる。
      このような人間の生命現象の担い手として中心的な役割を演じている
     のは、肺、心臓、および脳の三つの臓器である。これら三者は、酸素を
     取り入れる呼吸機能、酸素や栄養素を体のすみずみまで送る循環機能、
     およびそれらを調節維持する機能をそれぞれ分担して、生命現象を営ん
     でいる。しかも、それらは独立して働いているのではなく、たがいに機
     能しあって個体の生命活動を保っている。なんらかの原因によって、こ
     の機能のどれか一つが失われた場合には、他の機能も働かなくなり、個
     体全体の働きは永久に失われることになる。すなわち、死が訪れること
     になるのである。
    2 死の三徴候
      従来は、肺、心臓そして脳の機能の不可逆的停止を確認して、死の判
     定を行なってきた。すなわち、医師は三つの徴候として呼吸停止、心拍
     停止、および瞳孔散大と対光反射消失を確認して、脳機能も喪失したこ
     とを判断し、死の判定をしてきたのである。ことに心臓拍動の停止は、
     脳その他の重要な臓器の機能喪失を確実にもたらし、しかも比較的容易
     に判定できることから、死の判定に際しての最も重要な徴候とされてき
     た。
      このように三徴候を確認して死を判定すること(以下、この場合を単
     に「心臓死」と略す)は、長い歴史と伝統のもとに培われてきたことで
     ある。今後も、ほとんどの場合、臨終に際して、通常、以上の三徴候を
     確認することによって死を判定することはいうまでもない。しかしなが
     ら、最近ではつぎのような新しい問題が起こってきた。
 (2) 起こってきた問題
    1 医療技術の向上による死の概念の変化
      近年、医療技術を支える機器が急速に進歩し、人工呼吸器などの生命
     維持装置が高度に発達してきた。そのため、脳が死んだ状態でも(すな
     わち、後に述べるような脳機能の不可逆的喪失状態に陥っても)、呼吸
     や血液循環など、脳以外の身体部分の機能を人為的に生前に近い状態で、
     かなりの期間維持できるようになった。例えば、脳内出血や脳外傷など
     の患者は、重体に陥っても呼吸循環機能維持装置(以下単に「人工呼吸
     器」と略す)によって生命を維持することはできるようになったのであ
     る。そして治療の甲斐なく、脳の全機能が停止してしまったときでも、
     機器による補助を続ければ、呼吸および循環機能はなお維持され、体温
     や脈拍を保ち得る。この状態がここで問題になる「脳の死」という状態
     である。脳の全機能が不可逆に停止すると、たとえ人工呼吸器による援
     助を続けても、やがては脳に依存している肺や心臓の活動は停止する。
      ここでは、臓器としての脳の機能が不可逆器に停止した状態を「脳の
     死」といい、それによって個体の死と判定した場合を「脳死」と呼ぶこ
     とにした。
    2 死を迎えることと人間の尊厳
      脳の死という状態に陥っても、脳以外の臓器の機能は、人工呼吸、薬
     物投与、電解質や栄養の補給を行うことによって維持することができる。
     心臓は自律運動をするが、心臓の拍動は脳のコントロ−ルを受けている
     ので、脳の死という状態になると、人工呼吸器を作動し続けても、その
     自発的活動は通常2〜3日続いた後に停止する。ただし、血液循環自体
     は、援助装置の改良やその他の処置を行うことによって、かなりの期間、
     継続させることも可能になってきている。
      ところが、脳の死という状態に陥った人に、人工呼吸器をこのように
     働かせて、脳以外の体の機能を人為的に維持することの是非が、今日問
     題になってきたのである。
      それは、脳が死に陥り、生命現象が回復することのない人間に、長期
     間にわたって処置をつづけることは、人間にとっての死の尊厳をけがす
     ことにならないかという問題である。人為的な処置によって、脳以外の
     臓器の機能を維持させて、事実上の死者を、あたかも生きているかのよ
     うな状態に置き続けることが、果たしてよいかどうかについて、真剣に
     考えるべき時期がきているといえよう。
    3 臓器移植
      脳の死と臓器移植とは、それ自体としては全く別の問題である。脳の
     死と臓器移植の両者を併せて論じることには、臓器移植のために脳死を
     認めようとするものだとか、あるいは、そのように受け取られるおそれ
     があるという批判がある。
      しかし、両者の間には実際上は密接な関連があり、両者を切り離して
     論じることは現実的ではないし、また責任の回避にもなる。さらにまた、
     日本医師会長からは「脳死と臓器移植」についての諮問があったので、
     当懇談会としては、この両者を併せて討議して、最終報告を作成したわ
     けである。
      近年、臓器移植の技術が発達してきたが、提供者の臓器は、その機能
     が維持されているうちに、それを必要とする患者に移植しなければ、提
     供を受けた者のなかで生かすことはできない。
      今日、諸外国では、患者本人から生前に脳の死による判定にたいして
     反対の意思表示がなく、患者の家族の同意がある場合には、脳死者から、
     心臓・肝臓・膵臓・肺などの臓器を摘出して、それを必要とする患者に
     移植することが行われるようになっている。このためには、脳の死によ
     る死の判定方法を確立しておかなければならない。
      しかし、このさい、移植のために死の判定を早めるようなことが絶対
     にあってはならないことは、いうまでもない。

#0010 sci1902  8902160114

3 脳の死と人間の個体死
  「社会における人間の死」は、単に医学的な観点だけから規定することはでき
 ない。それは文化的・社会的伝統の中で、自ら定まる物であろう。しかし、その
 基礎になる「人間の生物学的な死」は、専門家の共通見解を基準として、定めざ
 るをえない。
  ここでは、社会一般の方々の理解を容易にするために若干の解説を加えながら、
 脳の死と人間の個体死について考えることにしよう。
 (1) 脳の構成
     脳は、大別して三つの部分、すなわち、大脳、小脳および脳幹から成り
    立っている。
     大脳が、運動・感覚をつかさどる中枢であるが、さらに重要なのは、記
    憶や思考などの精神機能の座となっていることである。小脳には、運動調
    整中枢があって、体の平衡と円滑な動きを可能にしている。脳幹には、色々
    な臓器の作用を正常に保つための神経中枢があり、ことに呼吸や循環の中
    枢があって、生命維持に重要な役割を果たしている。
     大脳、小脳および脳幹の三者の機能が統合されてはじめて、脳のコント
    ロ−ルによる人間の生命活動が営まれるのである。
 (2) 個体死とはいかなる状態か
     人間は、腎臓や心臓が病気によって働かなくなっても、それらの臓器を
    移植したり、人工臓器を用いれば生きることができる。逆に、呼吸や心臓
    の拍動が停止して血流が完全に止まっても、皮下組織の細胞は何日かは生
    存している。さらに、人体のいろいろな細胞や組織、あるいは臓器でも、
    適当な補助装置によって栄養を補給すれば、長期間それ自体として生かす
    ことができる。今日の先端技術によれば、死を確認した後の動物の精子や
    卵を取り出し、受精させて、新しい個体を発生させることすら不可能では
    なくなった。すなわち、生物の体の一部が死んでも、適当な補助を続けれ
    ば他の部分を生かすことができるし、増殖させることも可能なのである。
     しかし、人間をはじめ高等多細胞動物では、その生の特徴は個々の細胞
    や臓器が相互に影響しあって、統合された働きを持つことにある。しかも、
    そのような統合は一代かぎりのものである。したがって、体を構成する細
    胞や臓器の機能を統合する能力が完全に消滅した状態は、生物学的に「個
    体死」とみなしてよいであろう。
     人間では、脳幹の働きに由来する生体の統合能力が最も重要である。ま
    た、人間らしさを代表するもう一つの機能は、精神活動であり、これは大
    脳によって営まれている。そこで、大脳および脳幹をふくめた脳全体の機
    能の完全な喪失をもって、個体の死とすることを提言したいと思う。
     なお、脳の死をもって個体の死とするのは、死んでいることを確認して
    脳死と判定することであり、かりそめにも死にかかっている患者から人工
    呼吸機をはずして死なせることではない。このことを明確にしておきたい。
 (3) 脳の死とは
     すでに述べたように、脳は主として精神活動および運動・感覚をつかさ
    どる大脳・小脳を、主として多臓器の機能の調節と維持をつかさどる脳幹
    から成り立っている。
     ここでいう脳の死とは、「それらすべての脳の機能が不可逆的に喪失し
    た状態」をいうのである。大脳の機能がほとんど失われていても、脳幹の
    機能が残っていれば、脳幹反射や自発呼吸の能力が維持されることになる。
    このような状態が、「植物状態」である。「植物状態」と、全脳が死んだ
    状態とは、根本的に違うのである。
     なお、現状では、脳の死を判定するのは、特殊な条件下においてのみと
    考えてよい。すなわち、それは、人工呼吸機を備え、しかも経験豊かな複
    数の医師がいる医療機関においてのみ判定できることである。それ以外の
    通常の場合には、医師が、従来どおり、既述の三徴候を確認して死を判定
    し、死の宣告をすることは、いうまでもない。
 (4) 脳の死に全脳の死を採用する理由
     大脳による運動・感覚活動などの維持も、他の臓器と同様に、脳幹によっ
    て助けられていることが動物実験によってほぼ確定されている。それゆえ、
    脳幹が死ねば、大脳機能も失われるという考え方があり、イギリスでは、
    脳幹の死をもって個体死としている。しかし多くの国では、全脳の死を個
    体死としている。
     わが国では、人間の生における大脳の働きを重視する専門家・有識者が
    多いので、現時点では全脳の死をもって脳の死とするのが適当であると考
    えた。
 (5) 脳の不可逆的機能喪失を脳の死とした理由
     当懇談会では、脳の不可逆的機能喪失を持って脳の死としたが、さらに
    慎重に脳の器質的変化を確認してから脳の死と判定すべきだとする意見も
    ある。脳血流の停止を確認して脳の器質死を推定すべきだと主張する人も
    いる。しかし、当懇談会としては脳の血流停止を証明しなくても、必要な
    診察と臨床検査とを組み合わせ、臨床経過を一定時間にわたって慎重に観
    察するならば、脳の不可逆的機能喪失を確認でき、これをもって、脳の死
    と判定してもよいと考えたのである。

#0011 sci1902  8902160117

4 脳の死の判定方法
 (1) 当懇談会の立場
     当懇談会は、はじめにも述べたように、脳の死の判定についての専門家
    で構成されているものではないので、当懇談会が脳の死の判定方法につい
    て具体的に立ち入ることは適当でないと考えた。従って、ここでは脳の死
    の判定について、その基本的問題のみを述べるにとどめる。
 (2) 脳の死の判定基準
     脳の死の判定基準には、厚生省の脳死に関する研究班(竹内一夫班長) 
    による「脳死の判定指針および判定基準」(以下、単に「竹内基準」とい 
    う)がある。(一九八五年[昭和60年]12月)。この判定基準は、一 
    九七四年(昭和49年)の日本脳波学会の脳死と脳波に関する委員会が発 
    表した「脳波学会の基準」を発展させたものであり、脳の死を医学的立場 
    から判定する基準を示したものである。
     竹内基準には、次のような特徴がうかがえる。
     [1]判定方法が明確に示されている。
     [2]誤診のないように十分な配慮がなされており、その内容は欧米諸
        国のものと比較して、むしろ厳しいものになっている。
     [3]ベッドサイドで、比較的簡単な検査方法によって判定できる。
                             (*1)
     「竹内基準」は、11年間にわたって用いられてきた「脳波学会の基準」
    を発展させた物であり、しかも上述の3つの特徴によってそれを補強した
    物である。さらに「竹内基準」に対する疑問点については、竹内一夫・武
    下浩両教授から、同基準が全脳死の臨床的概念に基づいて作成されたもの
    で、科学的に妥当性をもつとの回答が得られた。以上の理由により、当懇
    談会では、「竹内基準」を脳の死の判定に際して守るべき必要最小限の基
    準として採用したのである。なお、判定に当たって、必要に応じて臨床経
    過を慎重に観察し、疑義を残さないようにすべきことは当然である。
     脳の死を判定する基本事項については、大学病院等の倫理委員会におい
    て、あらかじめ取り決めをしておくことが適当であろう。そのさい、判定
    基準決定には、「竹内基準」を必要最小限の基準とするのが妥当である。
 (3) 複数の判定基準の問題
     「中間報告」では、複数の基準の問題について、「複数の基準が生じる
    ことは、混乱を起こすおそれはあるが、無理に統一する必要はなく、確実
    に判定されるのであればそれでさしつかえない」としたが、これに対して
    は、「判定基準は統一すべきである」という意見がかなりあった。
     確かに、容易にできることであれば、わが国として脳の死の判定基準を
    統一することが望ましいといえよう。それは、脳の死の判定への疑念を少
    なくするとともに、ことなる判定基準によって生体か死体かの判定が異な
    ることを防ぐことになるからである。
     しかし、「中間報告」で述べたように、「世界的にも種々の基準がある」
    し、アメリカ合衆国のように一国の中でもハ−バ−ド基準とか種々の基準
    があり、日本の国内で統一の努力をしてみても、その意味は少ないと思わ
    れる。
     わが国においても、いくつかの医療機関によって異なった基準が設けら
    れている。たとえば、大阪大学のように、竹内基準を基本としながらも、
    二次性脳障害の場合に限って、さらに判定項目を追加した基準もある。こ
    のように複数の基準があるとはいえ、その基本はいずれも同じで、細部だ
    けが異なっているといえよう。
     各機関によって作られたそれらの基準は、細部にわたって形式的に無理
    に統一する必要はない。確実に判定されるのであれば、それでさしつかえ
    なく、それぞれの判定者の責任において判定がなされればよいといえよう。
 (4) 脳の死を判定する医師の問題
     脳の死を判定する医師について、竹内基準は、「特定の資格を持つ医師
    である必要はないが、脳の死の判定に十分な経験を持ち、移植と無関係の
    医師が少なくとも2人以上で判定する。(中略)2回以上の検査を行なう
    にあたって、いつも同じ医師である必要はないが、1人は担当医師で、ど
    の回にも関与していなければならない」としている。
     これに対して、小坂二度見氏(岡山大学医学部教授、麻酔・蘇生学、日
    本学術会議会員)等の意見では、「脳死判定は脳神経外科医または神経内
    科医、麻酔科医または集中治療専従医と十分な経験を有する担当医師の組
    み合わせによる3名以上の医師の関与が必要である」としている。
     この点についても、基本的には、竹内基準にあるように「少なくとも2
    人以上の医師」で判定すれば必要最小限度の要求をみたすとしてよいが、
    できれば小坂意見のように3人以上の医師(主治医と複数の専門医師)の
    関与があることが望ましい。これらの場合に、移植医を除くことは当然で
    ある。
 (5) 脳の死の判定基準の改定
     従来の脳の死の判定基準は、主として臨床的経験の積み重ねにもとづい
    て作られている。診断機器とそれを用いた診断技術が一段と発達した今日
    においては、それらの最新技術を駆使して、従来の基準の正しさの裏付け
    をさらに強固にすることが望まれる。この点について、全国のいくつかの
    医療センタ−がその役割を分担するような制度を作ることを提案したい。
     歴史的に見て、死の判定法には多くの変遷があった。将来も、それは医
    療技術の発展によって変化していくものであろう。脳の死の判定基準とし
    ては、竹内基準が一応あるものの、さらに検討を深め、研究と技術の進展
    に応じて、よりよいものに改めていくことが必要である。
     竹内基準にたいしては、今までいくつかの疑問が提示されている。たと
    えば、二次性脳障害をなぜ判定の対象に加えたか、あるいは脳血流の停止
    を証明しなくてもよいのかなど、検討すべき問題が残されている、という
    指摘がある。これらの疑問については、当懇談会で整理し、それにたいし
    て竹内一夫・武下浩両教授に答えて頂いた。それを別に附属資料として添
    付したので、見ていただきたい。(*2)

*1 原文では、[]は、まるで囲まれた数字。
*2 そのうち、時間ができたら打ち込むかもしれませんが、今回はすみませんが、
   うにゃうにゃにゃ・・・。

#0012 sci1902  8902160119

5 脳の死による死の判定と患者または家族の意志
 (1) 患者の意志の尊重
     「中間報告」では、「脳死による死の判定は、患者本人または家族の意
    志を尊重し、その同意を得て行なうのが適当である」としていた。これに
    たいしては、「脳死の判定に患者または家族の意志が関与すべきでない」
    とする意見がかなりあった。また、本人の意志と家族の意志の意味や、両
    者の関係についても、ある程度の意見があった。
     患者または家族の同意は、必要条件とすべきだとする意見も他方にある
    が、当懇談会としては、「中間報告」に記したように、必ず同意を得る必
    要があるというのではなく、「同意を得て行なうのが適当である」とする
    にとどめている。これは、死の判定は本来は医師によって客観的になされ
    るもので、患者や家族の意志が加わるべきものではないが、脳の死をもっ
    て個体の死とすることにまだ十分納得しない人が少なくない現状では、や
    はりその意志を尊重して、状況をよく説明し、納得してもらった上で、死
    の判定をするのが適当だ、という考えに立つものである。
     以上のことは、「脳死による死の判定の正当性(中間報告要旨第4項)」
    とも関連がある。現状では、脳の死による死の判定がまだ一般的に公認さ
    れたとはいえない。しかし、脳の死による死の判定を是認しない人には、
    それをとらないことを認め、是認する人には、脳の死による死の判定を認
    めるとすれば、それでさしつかえないものと考えてよいだろう。このこと
    はまた、自分のことは自分で決めるとともに、他人の決めたことは不都合
    のないかぎり尊重するという、一種の自己決定権にも通じる考え方である
    といえよう。
 (2) 患者本人の意志と家族の意志との関係
     近頃、患者の自己決定権ということが言われる。医療に関する決定につ
    いては、患者本人の意志が第一次的であり、家族の意志は、患者が未成年
    者あるいは未成熟者か、または意思表示が不能な場合に、その代人として
    第二次的に問題とされるわけである。
     しかし、脳の死による死の判定の場合には、前述のように、患者本人ま
    たは家族の同意を要件とするものではなく、社会的な礼節上、その意志を
    尊重してその同意を得て行なうのが適当であるということである。従って、
    本人の意志か家族の意志かを厳密に論じることは、ここでは必ずしも必要
    ではない。そして、その場にいるのは家族であるから、通常は家族の同意
    を求めることになる。
     本人の意志は、あらかじめ医師に書面で表明しておかなければ、家族を
    通じて知るほかはない。従って、この場合、意志は、家族の賛否によって
    判断することになる。
     死後の遺体の処置については、「角膜及び腎臓の移植に関する法律」も、
    死体解剖保存法も、本人の意志を直接に知りえないため、家族の意志を中
    心に扱っているのが現状である。脳の死による死の判定についても、これ
    と同様の形で、本人と家族の意志を考えてよいと思われる。
     なお、上記の二法律とも「遺族」という用語を使っており、これを死者
    の親族とすれば、遺族または家族には、配偶者と、6親等内の血族及び3
    親等内の姻族が含まれることになる。これについては、配偶者、子(同居
    者を優先)というように、最近親者の順位を法律上明確にすることが望ま
    しいが、実際の運用では、その場の代表者の意見で処理してよいものと考
    えられる。

6 脳死判定による死亡時刻
 (1) 中間報告とそれに対する意見について
     「中間報告」では、脳死判定による死亡時刻については、[1]はじめ
    の脳死判定時、[2]6時間(二次性脳障害、6才以上の小児では6時間
    以上)たってからの脳死確認時、[3]心臓死の時刻の三つが問題となる
    とした上で、「死亡診断書の死亡時刻は[2]によるが、死後の相続の問
    題にそなえて、[1]の時刻も記録する物とする」としている。(*1)
     これに対しては、第1に、「死亡時刻は統一すべきである」とする意見
    が多く、第2に、どの時刻に統一すべきかについては、[1]と[2]の
    意見がほぼ同数寄せられた。
     先ず、死亡時刻の統一については、立法で決めるならともかく、立法が
    なければ最終的には裁判の判断によるほかはない。当懇談会で見解を述べ
    るとしても、それは一つの意見にすぎない。「中間報告」では、一歩退い
    て、裁判所の判断の資料として、[1]と[2]の双方を記録すべきもの
    としたわけである。この点についての当懇談会の見解は「中間報告」のま
    までよいと考える。
     ただ、仮に死亡時刻を統一するとした場合に、[1]と[2]のいずれ
    とするのがよいかについては、当懇談会の中でも意見が分かれている。
     [1]の支持者は、脳の死の確認があれば、はじめの脳の死の判定が正
    確であったことが確認されたことになるから、遡ってその時点を死亡時刻
    とすべきこと、また、脳の死の確認時は、竹内基準によると、脳の死の判
    定時から6時間以上たってからとされているので、時刻が変動することに
    なるから、はじめの脳の死と判定した時をとるべきだとする。
     これにたいして、[2]の支持者は、脳の死の確認までは、はじめの脳
    の死という判定は不確定な状態におかれていること、また、脳の死の確認
    は、脳機能の不可逆的喪失と判定した時から6時間以上とされていて、状
    況によっては変動しうるが、それは脳死判定基準の中にはじめから内包さ
    れている物であることから、脳の死を確認した時をもって死亡時刻とすべ
    きだとする。
     いずれにしても、この問題については、やはり最終的には裁判所の判断
    によるほかはないと考えられる。
 (2) 相続の問題
     死亡時刻が、法的に問題になる場合としては、相続に関連して、夫婦と
    いうような相続関係にある者の一方が脳死で死亡し、他方がほぼ同時刻に
    別に死亡(事故または病死)したという場合があげられる。この場合には、
    どちらが先に死亡したかによって、相続関係が大きく変ることになる。た
    だ、これは脳の死による死の判定についての事後処理の問題であり、脳の
    死による死亡時刻が統一的に決らなければ脳の死による死の判定ができな
    いというものではない。また、こういう死亡の先後が問題となる事例は、
    きわめてまれにしか起こらないものである。諸外国でも脳の死による死亡
    時刻が相続に関連して問題とされたという事例は、今までに見当たらず、
    これについての議論もされていない。従って、この相続の問題は、事後的
    に裁判所で判断すればすむものと考えられる。

*1 []は、原文では○で囲った数字。

#0013 sci1902  8902160121

 (3) 死亡診断書への記載
     医師が死亡診断書に記載する死亡時刻は、本来は、人間の生物としての
    死亡(個体死)の時刻であると考えられる。そうすると、脳の死が個体死
    ということになれば、それは脳死の時刻であり、それが社会的・法的にも
    人の死として認められていくことになると思われる。
     ただ、脳死判定による死亡時刻については、前述したように、[1]脳
    死判定時、[2]脳死確認時、[3]心臓死まで待った場合における心臓
    死の時刻、の3種の時刻が問題となる。(*1)死亡診断書に記載するの
    は、脳死によった時は[1]または[2]、心臓死まで待った場合には[
    3]によるのが通常であろうし、それはそれとしてさしあたり是認してよ
    い。ただ相続などに関連して厳密な意味での死亡時刻が問題となった場合
    には、家族の意志による変動を避けるため、死亡診断書および戸籍の記載
    に拘束されることなく、[1]と[2]のいずれかをとることになるであ
    ろう。そのためには、その時刻をそれぞれ診療録に記録しておくことが必
    要である。
 (4) 医療保険の適用の問題
     なお、脳死による死亡時刻に関連して、医療保険がどこまで適用される
    かという問題のあることが、指摘されている。
     [1]のはじめの脳の死と判定した時には、まだ患者は生きているもの
    として取り扱われており、人工呼吸器もつけられているから、[2]の脳
    の死と確認した時までは医療保険が適用される。脳の死が確認されれば、
    [1]の脳の死の判定が正確であったことになるとしても、それは遡って
    それを正確だったものとして取り扱うということであり、その間の医療保
    険の取り扱いは変ることがない。
     「中間報告」では、脳の死による死の判定について、家族の同意が得ら
    れない場合には、心臓死まで待つのが適当であるとしているが、この場合
    は、従来通り医療保険が適用されるべきである。
     また[2]の脳の死と確認した後においても、竹内基準でスウェ−デン
    の取り扱いについて記されているように、(i)懐妊中の母体から胎児を
    出産させる場合、および(ii)臓器移植の準備のために臓器の摘出を遅らせ
    る場合に、人工呼吸器の作動を続けることが必要になるが、これらの場合
    につき医療保険の適用の是非を検討すべきである。

7 脳死の社会的承認について
 (1) 立法の要否
     脳死を認めるための立法としては、直接に脳死を認める立法(死の定義
    とか脳死の合法性などの立法)と、臓器移植法を制定して(現行の「角膜
    及び腎臓の移植に関する法律」の改正)、その中で間接的に脳死を認める
    方法とが考えられる。
     医師としては、脳の死による死の判定の合法性が公式に認められないと、
    トラブルに巻き込まれるおそれがあるので、脳の死による死の判定につい
    て、立法を望む意見も多い。また、立法の手続きをとることによって、国
    民の議論を喚起することが望ましいという意見もある。確かに、立法をす
    れば、その点が明確になるので、なんらかの形で立法を進めることが望ま
    しいことはたしかである。
     ただ、立法がなければ何もできないかというと、諸外国の例を見ても、
    立法しなければ脳の死による死の判定ができないとしている例はなく(後
    から追認的に立法をした例はある)、事柄としては、わが国でも立法がな
    くても、それを合法的に進めることが可能であると考えられる。
 (2) 社会的合意論について
     脳の死による死の判定を認めるためには、社会的合意あるいは国民のコ
    ンセンサスが必要だ、とうことを強く主張する人々がいる。その立場から
    すれば、社会的合意なしに脳の死による死の判定を認めるのは時期尚早だ、
    ということになるであろう。しかし、社会的合意は、どのようにして成立
    し、確認されるのであろうか。
     概して時期尚早論者の説く社会的合意論は、国民の大多数の納得が必要
    だという心情を表しているに過ぎず、何をもって社会的合意とするか、ま
    たどうすれば社会的合意の成立が確認されるかについて、具体的な要件や
    手続きを明示していない。そのような社会的合意論は問題を徒らに曖昧の
    まま先送りすることにしかならないであろう。
     社会的合意を成立させ、確認するもっとも明確な方法は、国会による立
    法である。それは多数決原理によって国民全体の意志となり、反対の者を
    も拘束することになる。
     当懇談会としては、世論の動向を考え、脳の死による死の判定を是認す
    る人に、それを認めることについては、広く社会的承認が得られるものと
    考えた。
     この点に関しては、個々の患者またはその家族がそのことを了承すれば、
    他人がそれに異論を述べることを認める必要はないと思われる。最近の世
    論調査(総理府で昭和62年6月に行なった「保健医療サ−ビスに関する
    世論調査」)では、「脳死を死と認めてよいか」について、「認めてよい」
    が二三・七%、「認めない」が二四・六%であるが、「本人の意志や家族
    の意志に任せるのがよい」が三六・七%であるので、これと「認めてよい」
    を合わせれば六○・四%となる。したがって、脳死を認めることについて
    は、すでにかなりのところまで社会的合意ができていると考えてもよいと
    思われる。また、脳死を「認めない」という反対意見も、自分が脳の死に
    よって死と判定されることに対する反対と、他人が脳死を受けいれること
    に対する反対とに分けて考えれば、後者に対する反対はかなり少ないこと
    になるであろう。
 (3) 生物としての個体死と社会的・法的な人の死との関係
     人間の生物としての死(個体死)が、脳の死によって医学的に認められ
    れば、それを社会的・法的にも人の死として取り扱っていくのが自然の道
    筋と考えられる。
     ただ、それを社会的・法的にも人の死として納得するためには、ある程
    度の時間が必要であろう。そして、死の判定については、その権限を慣行
    的にもっている医師が、共通理解の下に、統一的に判定をしていくことが
    望ましい。
     この医師の死の判定権限については、現在行なわれている心臓死を前提
    としたもので、それを変更して脳死を加えるとすれば、立法ないしは明確
    な社会的合意が必要だとする意見もある。立法によって、それが明確にな
    ることは望ましいが、立法がなくても、脳の死による個体死の判定が、医
    師によって正確に誤りなくなされることが認められ、患者またはその家族
    がそれを人の死として了承するならば、それをもって社会的・法的に人の
    死として扱ってよいものと考えられる。

8 脳死に対する不安・懸念とそれへの対処
 (1) 判定方法に対する疑問
     前述したように、脳死の判定方法としての竹内基準にたいしては、いく
    つかの疑問が提起されている。これらにたいしては適切な方法でそれに答
   え、疑問を解消していくことが必要であろう。ここには前述のように、いく
   つかの疑問に対する竹内一夫・武下浩両教授の回答を附属資料として添付す
   ることとした。(*2)
 (2) 教育的活動の必要性
     現状では、脳死の問題について、広くかつ十分に理解されていない点が
    あるので、日本医師会や専門学会等が、脳死を中心とした医学・医療の現
    状について、教育的ないしは啓蒙活動を十分に行なうことが必要である。
 (3) 医師への信頼回復
     脳死に対する反対の中には、医師への不信によるものが決して少なくな
    い。これに対しては、医師への信頼を取り戻す努力が必要である。なお、
    患者側が医師の判断を信頼して、脳の死による死の判定に同意した場合に、
    それを認めていくようになれば、この問題は個別的に解決されていくこと
    になろう。
     なお、脳の死による死の判定については、その適否について、あとで問
    題とされることがありうるので、その判定の記録を明確にしておくことが
    必要である。
 (4) 問題の拡大への懸念
     脳死に対する反対としては、そのほかに、それが植物状態にまで拡大さ
    れはしないかとか、社会的な価値評価による差別を助長しはしないかとの
    疑念にもとづくものがある。それらは脳死とは別個の問題であるが、脳死
    の議論としては、それが他に不当に拡大されないことを明確にしておく必
    要がある。

*1 原文では、[]は、○で囲まれた数字。
*2 今回は、竹内一夫・武下浩両教授の回答はパス。また、時間があったら打ち
   込みます。許してちょ。

#0014 sci1902  8902160122

9 臓器移植の問題
 (1) 立法の問題
     現行の「角膜及び腎臓の移植に関する法律」は、腎臓移植について、心
    臓死を前提としており、脳死は含めていなかったとされている。そこで、
    心臓・肝臓の移植のように、脳死を前提とする臓器移植を進めるためには、
    現行法を改正して、それらを広く含めた「臓器移植法」を制定することが
    望ましい。その際には、患者の権利を保障する手続等の規定を設けるべき
    である。
     ただ、腎臓移植についても、上記の法律は、ある程度腎臓移植が行なわ
    れたのちに、それを追認する形で、その手続きを明確にするために、腎臓
    を含めるように改正されたものであって、法律がなければ臓器移植ができ
    ないというわけではない。ただ、他の臓器を移植する場合にも、上記の法
    律を参考にして、提供者と家族の人権を損なわないように、提供者側が十
    分な説明を受けて、自由な意志の下に承認した場合に限って臓器移植を行
    なうものとし、そのことを書面で明確にしておくべきである。
     なお、臓器移植については、日本移植学会で指針を作成しているが、臓
    器受容者についても、「臓器移植は、その患者にとって移植が最良の治療
    法であると判断されていて、本人あるいは親権者がその治療を希望してい
    る症例に限る」とするなど、慎重な態度をとっており、その指針に従って
    臓器移植を行なうようにすべきである。それは医師が主導する問題ではな
    いことを、とくに強調しておきたい。
     さらに、臓器提供の場合は、脳死宣告後の死後処置として、人工呼吸器
    の継続使用のほか、薬物投与、輸液などの処置を引き続き行なうことにな
    る。この際の医療費の問題については、前述したように医療保険の是非を
    今後検討すべきである。
 (2) 腎臓移植について
     腎臓移植には、生体腎を用いるものと死体腎を用いるものとがある。欧
    米諸国では死体腎の移植が大部分を占めているが、わが国では、逆に生体
    腎が大部分である。これは親から子へ、一方の腎臓を移植するものが多い
    ためで、本人の希望によるとは伊江、健康上および心理上からみてあまり
    望ましいことではなく、死体腎の移植の方が弊害が少ないといってよい。
 (3) 臓器移植の成功度
     臓器移植の成功度は、次第に高まりつつあるが、臓器移植が広く行なわ
    れるようになるためには、なおいっそう、その成功度を高める努力が必要
    である。
 (4) 人工臓器との関係
     人工臓器の中には、すでに広く利用されている物もあるが、臓器移植に
    代って一般に利用されるまでには、なお相当の時間を要するものがある。
    したがって、臓器移植もあわせて進める必要があると考えられる。
 (5) 臓器売買の許否
     臓器の売買については、自由にまかせてよいとする意見もないではない
    が、倫理的な見地、および、臓器売買による弊害を防止する見地から、臓
    器の売買を禁止し、必要があれば法的にもこれを規制するようにすべきで
    ある。
 (6) 摘出臓器を研究に使用することの可否
     摘出された臓器で移植に用いられなかったものについては、研究に使用
    することの可否が問題になりうる。これについては、臓器の提供者、また
    はその家族の感情を尊重する必要があるので、その同意を得て研究に使用
    することに制限すべきである。なお、この場合には、大学病院等の倫理委
    員会の一般的承認をあらかじめ受けておくことが必要であろう。
 (7) 外国との比較
     臓器移植については、日本人に特殊な感情もあるので、外国と単純に比
    較することは適当ではない。しかし、外国で臓器移植が進展しているのに
    日本ではあまり進まないこと、日本で臓器移植が受けられないために欧米
    諸国まで行って移植を受けたりすることなどについては、十分に考えてみ
    る必要がある。
 (8) 今後の展望
     わが国でも、死後に臓器を提供して他の患者に役立てたいという善意の
    人に対しては、その意志を活かして、脳の死による死の判定を認めていけ
    ば、それによって臓器移植への道が開かれることになろう。

以上です。読んでくれた方ありがとうございます。
                          つちねこ

#0015 sci1902  8902160351

 次は、伊藤正男東大教授(脳生理学)の問題点の総括です。たいへん簡単にまと
められています。各論には言及していないのですが、専門家が指摘する厚生省基準
(竹内基準)の問題点の大まかな所はよく分かると思います。

さて、例によって著作け〜〜〜ん、なんですが、これまた立花隆氏の「脳死再論」
(中央公論社)の巻末資料です。う−ん、良いのかなあ。どなたか教えて下さい。

66行あります。
                            つちねこ

#0016 sci1902  8902160352

             脳死についての問題点
                 東京大学医学部    伊藤正男

 問題点を次の様に整理して考えます。

1 この問題についての各人の判断には、死生観の違い、原理的に突き詰めるか実
際的に割り切るかの態度の違い、責任の所在を何処に求めるかについての考え方の
違いが関係して色々なものがありうると思いますが、先ず少なくとも、純粋に医学
の問題として医学界の中での合意を取りつけることが必要不可欠に思います。その
ためには脳死の問題の重要性についての啓蒙努力を続けることも勿論必要ですが、
より大切なのは脳死判定の基準について医学関係者自身の抱いている危惧を取り除
くことであると思います。
2 脳死判定の基準についての危惧とは要約すれば次の通りです。
 脳死に至る経過の把握が充分にされ、なおかつ充分に時間をかけてその後の経過
が追われたという前提の下では、竹内基準(時間の点は別として)による判定で間
違いはないものと思われるが、移植のドナ−とするためには交通事故のように突発
した年齢の若い対象者について、限られた時間の中で判定を下すことが多くなる。
このような場合には上記の前提が必ずしも成り立たない恐れがあるが、その際にも
誤診率ゼロの判定が保証できるであろうか。これを杞憂にすぎないとする充分な根
拠が果たして与えられているであろうか。
 脳死の判定は臓器移植とは関係なく行なうべきだとの主張があるが、移植ドナ−
として考えるかどうかにより、判定時間や対象者の年齢についての制約が実際には
影響を受けるので、両者を切り離しての議論は空論と思われる。脳死が認められ、
臓器移植が行なわれるようになった時、上記のような際どい判定を迫られる可能性
が現実にあり得ると思われるが、このような時にも竹内基準だけで本当に誤診は起
こりえないものであろうか。
3 この危惧を除くためにどうすればよいであろうか。
 剖検の裏付けにより危惧はないことを示す努力がされているが、まだ充分の症例
が得られているとは言いがたい。全国的な規模でもっと系統的に調査を行なう必要
があるのではないか。
 また、色々な臓器による検査を併用して脳死診断の正確度を増すことも有用と思
われるが、これをどこまで義務づけるかについては意見が対立している。極力機器
検査を義務づけるべきであるとの意見の根拠は次のごとくである。
 a 聴性脳幹反応は、脳幹の聴覚伝導路が健在か否かを客観的に示すよい方法で
  他の反射テストにプラスする情報を与える。こういうテストはなるべく多数行なっ
  て、一つでも陽性に出れば脳死の判定を差し控えるのが正しい態度と思われる。
 b CTスキャンの有用さはよく立証されており、その普及もまた著しい。MP
  I(*1 つちねこ注)やPETの精度も現在改善されつつあり、利用できる可
  能性も増してきている。
  これに対して、義務づけは無用とする意見の根拠は次の如くである。
 c 臨床診断以上に確実な情報を必ずしも提供しない。
 d 現場での使用が困難である。
 e 患者に侵襲となる場合がある。
 しかし、cーeについては機器の使い方の工夫や性能の向上による改善の余地が
充分にあることを指摘したい。
4 危惧の解消を促進するための方策について次の様に考えます。
 脳死の判定基準を経験法則としてだけでなく、科学的な実体のあるものとして確
立することが急務である。
 このため、いくつかの大学あるいは救急施設を指定して重装備化し、充分な費用
を与えて一定期間臨床、病理診断と機器による検査を平行して行ない、その間の一
致を確認することを目的とした新たな班研究を提案したい。
 こうして、系統的に収集された新しいデータにより充分な裏付けがなされれば、
上記のような判定基準に対する危惧も消失するであろう。
 今更時間の無駄であるとの考えもあろうが、古いデータを巡っての不毛な議論や、
擦れ違った意見の対立のまま推移することを考えれば、決して時間の無駄ではない
し、医学の進歩の観点からはこの方が寧ろ本筋であろう。
 また、現在各大学等でばらばらに行なわれている新しいデータ収集の努力を効率
化し、無駄を避ける意義もあろう。

*1 MRI(核磁気共鳴装置:磁力を使ってからだのどの部分も断面としてみる
ことができる装置。輪切りはいうにおよばず立てぎり斜めぎりなどもできる。放射
線を使わないので被爆もしない。最新の機械で、大学病院でも置いてないところが
ある。)ならば知っていますが、MPIというのは聞いたことがありません。私が
知らないだけだろうか。

#0017 sci1902  8902170355

今回は、前回「そのうち打ち込みます」と言って逃げた、「生命倫理懇談会からの、
竹内・武下両教授への質問」と、「両教授からの回答」です。
 質問編は、31行です。次の関連発言に入っています。回答編は、118行で、
次の次の関連発言にはいってます。

例によって、著作権ですが、出所は、立花隆氏の「脳死再論」の巻末資料です。
             ↑でどころ

今回の資料は、本来、生命倫理懇談会最終報告の後ろにくっつくもんです。前にアッ
プした、最終報告も参照して下さい。
                          つちねこ

#0018 sci1902  8902170356

       竹内基準に対しての生命倫理懇談会からの質問事項

1 日本脳波学会の判定基準との比較
 (1) 日本脳波学会の判定基準(前基準と略す)と比較して、あまり大きな変
    化がないのに、対象が拡大されている。その理由は?
 (2) 前基準では、判定の対象が急性一次性粗大脳病変とされていたが、竹内
    基準では急性の制限がとれ、しかも粗大病変という表現が消えた。さらに、
    対象として二次性脳障害が加えられた。その理由は?
2 研究班が対象とした脳死と疑われた症例七一八例のうち、脳波学会の判定基準
 を満たさなかったものが半数もあった由である。これは誤診とみなされるかどう
 か?なぜそのようなことが起こったか、という疑問が提示されている。それに対
 する回答を頂きたい。
3 阪大基準では、二次性脳障害の場合には、聴性脳幹反応の検査が加えられ、し
 かも脳死判定後の観察時間を24時間としている。この点をどう考えるか?
4 二次性脳障害を対象に加えるとするならば、その際の脳の死の判定には、なん
 らかの付帯条件を課したほうがよいのではないか?
  たとえば、CTなどで二次的に発生した病変の状況を確認できた場合に限ると
 か。これについてのご意見は?
5 脳死の判定方法として、聴性脳幹反応以外に視覚性誘発反応や皮膚感覚性誘発
 反応などの生理学的検査を加えるべきであるという意見もあるが、いかがか?
6 二次性脳障害を含めて、判定対象の除外例について再検討の必要はないか。少
 しでも誤診につながる可能性のある疾患は、あらかじめ判定対象から除外してお
 く必要はないか? 竹内基準のままでよいか?
7 (1) 脳の器質死を確認するために、脳血管撮影、脳循環測定に必要なSP
     ECT(Single Photon Computed Tomog
     raphy)などの検査を加えるべきであるとの意見があるが、どうか?
  (2) 脳血流停止を確認しなくても脳の死を判定できるか?
8 全脳の不可逆的機能喪失を確認することは現段階で可能といってもよいか?

#0019 sci1902  8902170358

    日本医師会生命倫理懇談会から出された質問事項に対する回答

                        竹内一夫(杏林大学医学部)
                        武下 浩(山口大学医学部)

1 (1) 脳波学会基準と比較して、対象(二次性脳障害を含む)を拡大した理
     由は、その後の脳死の画像診断の進歩とを勘案してのことである。その
     主な内容は、以下の6項目にまとめることができる。
     1 前提条件が明確にされたこと
     2 除外例が明確にされたこと
     3 原疾患を確定する場合、二次性脳障害による脳浮腫を含めて脳の粗
      大病変の有無を画像診断ー特にCTーを必須としたこと
     4 他の基準をみても、二次性脳障害を除外した基準は稀で、原因の如
      何を問わず、3の条件が重視されなければならないと考えたこと
     5 無呼吸テストの方法を明記し、10分間人工呼吸を停止するとした
      こと
     6 脳幹反射を七つ上げ、それらのすべての消失を条件としたこと
  (2) 脳波学会基準では対象を急性一次性粗大病変としたが、慢性経過中に
     急性増悪する場合があり、あえて慢性、急性の区別をしなくても判定対
     象を誤ることはないので、”急性”という用語を使用しなかった。
      ”粗大病変”の定義は必ずしも明確ではなく、内容は器質的疾患の意
     味に用いられてきた。厚生省基準ではCTを必須としたので、粗大病変
     という用語を使用しなかった。要は画像診断の進歩を取り入れたためで、
     その意味では脳波学会基準と基本的に異なるものではない。
2 厚生省班研究では、全国調査の段階で、脳波学会基準から低血圧の項目を除外
 して判定をするように依頼したが、脳死の疑いが濃いものについても調査を依頼
 した。
  調査結果は、脳波学会基準に従っていないとみなされる記載が約半数であった。
 このことは、医師あるいは施設が、独自の基準で脳死あるいは脳死の疑いが濃い
 と診断していることを示している。特に後者には脳波学会基準を満たしていない
 が、担当医師の判定により脳死と疑われた症例が多く含まれていると思われる。
 従って、それを誤診としてはならない。
  また、脳死を個体の死とみなすかどうかについては、医師の間でも、また社会
 でも合意が得られていない現状である。脳死あるいは脳死の疑いが濃いとみなさ
 れる症例にたいして、医師のとる道は、医学の水準と医道の基本にてらして、患
 者家族との成熟した信頼関係の中で、個別の方法がとられていると思われる。厚
 生省基準の作成にあたっては、脳波学会基準のうち低血圧を除外した判定項目を
 すべて満たすものを対象として取り上げているので、厚生省基準に問題はない。
3 二次性脳障害においても、発生した器質的脳障害を画像診断法で確認する必要
 があることを強調したので、それ以上に聴性脳幹反応が必須とは考えられない。
  二次性脳障害では、6時間の観察時間は短か過ぎないかというが、厚生省基準
 では、二つの前提条件が明確に記載されている。これら二つは、同時に満足され
 なければならない。すなわち、現疾患が確定されており、深昏睡・無呼吸の状態
 が続き、すべての可能で適切な治療がなされた上で、回復の可能性が全くないと
 判断された症例である。例えば、心停止の場合、深昏睡・無呼吸になって、回復
 の可能性が否定されるまでには、一般的にいって少なくとも24時間以上必要で
 ある。このことは、一次性脳障害についてもいえる。
  厚生省基準で前提条件の持続時間について述べなかった理由は、個々の病態に
 よってその時間は異なり、医学的判断の問題と考えたからである。厚生省基準で
 は不可逆性の判定に要する時間を重視しているが、基準を完全に満足するまでの
 無呼吸・昏睡の持続時間も同様に重視している。
4 厚生省基準の対象症例の記載で、二次性病変でもCTが必要であることの記述
 が十分でなく誤解を招いていると思われる。しかし、フローチャートをみると、
 二次性脳障害でも器質的脳障害の確定にCTが必要と書いてある(脳死の判定そ
 のものにCTが必要という意味ではない)。
5 必要ないと考える。脳死判定に当たって二つの意見がある。第一は脳死判定基
 準は、ほとんどすべて臨床神経学的に基づくべきであるとする考えである。第二
 は臨床的な基準だけでは不十分で、脳波、脳血管撮影、その他の補助的検査を必
 須とする考えである。後者は、脳死症例を主として臓器提供者とみなす目的から、
 より早く判定する必要性を意識している。優れた基準はこの両者のどちらでもな
 く、両方の要素を考慮している。
  厚生省基準では、神経学的検査はもちろん、無呼吸テストでの血液ガス分析、
 脳波を組み入れてあり、これで必要にしてかつ十分と考える。とかく過信されが
 ちな電気生理学的検査より厳密な無呼吸テストの方がはるかに重要である。
6 厚生省基準のままでよいと考える。誤診につながる可能性のある症例は、前提
 条件と除外例を確実に守ることで完全に除去できる。
7 (1) 脳の器質死を確認せよといわれるが、機能死と器質死との差は用語上
     の問題と基本概念の差による。脳の死を個体の死とするかどうか、死と
     は何かの根源にさかのぼらなければ議論できない。”全脳機能”の消失
     というとき、脳のすべての細胞が死ぬことを意味してはいない。全体と
     して統合的機能を営む脳の死という意味である。
      器質死の証明は、全脳の融解・壊死を確認しない限り不可能と考える。
     器質死を臨床的に確認する方法は未だ知られていない。厚生省判定基準
     では、脳死判定における脳機能の不可逆的消失には、必ず器質的障害が
     進行性、継続的に存在する。この場合、器質死と機能死とを区別して議
     論すること自体に無理がある。もし、器質死を突き詰めると、脳死では
     脳のすべての細胞が死ななければならない。正常な社会活動ができる人
     でも脳の一部に死んだ細胞群を持つ人はいる。脳の何パーセントの細胞
     が死んだら器質死による脳死というのか。SPECT、PETでどのよ
     うな所見がみられたら確実に脳死といえるのであろうか?
  (2) 脳血流の停止を確認しなくても脳の死を判定できる。脳血管撮影は、
     脳死を早く判定したい時に有用な診断法の一つと考えるが、たとえ脳血
     管撮影で脳血流の存在が否定できたとしても、それだけでは脳死の判定
     にはならない。血管撮影で、いわゆるnon-filling 現象がとらえられて
     も、決して脳の器質死の証拠にはならない。他のより感度の高い方法で、
     なお一部の脳循環(特に微小循環)が証明されることも珍しくない。
      研究班の報告書にも述べたように、現時点では、簡便で確実な脳循環
     測定法が得られないことを十分認識すべきである。臨床で血管撮影によ
     りnon-filling 像を得て、脳血流が停止したといっているのは、あくま
     でも臨床所見を総合的に判断した上でのことである。
8 臨床的に可能である。人間の生を純粋に科学的に定義できるかどうか疑わしい
 のと同様に、死を純粋に科学的に定義できるかどうか疑わしい。人間は精神と肉
 体の統一体とみなされ、そこに生命があると考えられる。また、人が自ら考え行
 動し、人がその人以外の何者でもないことにもっとも深く関わっているのが脳で
 ある。従来、循環停止、呼吸停止、瞳孔散大をもって個体の死を臨床的に判定し
 てきたと同様に、脳の死を主に神経学的所見で臨床的に判断できるところに脳死
 の意義がある。もし、脳死が、臨床的に判定不可能な状態であったら、今日のよ
 うに問題にならなかったと思われる。
  統一体としての人間の生命を細胞レベルで定量的に示すことは不可能であり、
 臨床面での関心は、臨床的に観察しうる脳機能が絶対に回復しないということに
 ある。臨床で観察された脳機能消失が永続的であるかどうかに関しては、経験的
 蓄積をもって証拠とせざるを得ない。このことは経験ある臨床家であれば容易に
 理解できるものと思われる。

 なお、本回答のみでは意を尽くせない点があるので、以下の2つの論文を参照し
て頂きたい。
 (1) 竹内一夫:「脳死判定における補助検査の進歩」(臨床麻酔)
           一一:一四○五ー一四一五(一九八七)、(真興交易医書
           出版部)
 (2) 武下 浩:「脳死」 (麻酔)
           三六:一七○六ー一七一三(一九八七)、(克誠堂出版株
           式会社)
 また、脳死に関する理解を深めて頂くために、「脳死判定基準補遺」を執筆し、
添付した。(*1)

*1 今回はパス。またそのうち打ち込みますきに。ごめんなさい。

#0020 sci1902  8902172031

今回の資料は、竹内一夫・武下 浩両教授の、脳死判定基準補遺です。91行あり
ます。著作権、ですが、これまた、立花隆氏の「脳死再論」の巻末資料が、出典で
す。(こんなに、引用しちゃっていいのかなぁ)
                          つちねこ

#0021 sci1902  8902172032

            脳死判定基準補遺

                       竹内一夫(杏林大学医学部)
                       武下 浩(山口大学医学部)
 臨床的概念

 脳死の概念には医学会にもなお異論があり、特に用語上の問題、基本的概念の差
が脳死をめぐる相互理解を困難にしているのは事実である。しかし、現在大多数の
専門医によって世界的に承認されている概念は、以下に述べる全脳死の臨床的概念
である。
 すなわち、臨床的概念とは、疾患の診断・経過・症状・治療に対する反応を総合
的に判断してとらえる病像の概念である。この場合、診断・治療のために用いる機
器は、その時の医学・医療の現状からみて一般的とみなされるものである。従来、
慣行的に行なわれてきた死の判定も臨床的概念に基づいているのと同様に、臨床に
携わる多くの医師は、臨床的基準で脳死が判定できることを期待し、また確信して
いると思われる。
 今日、世界的に広く行なわれている脳死判定の臨床は、多くの基礎的・臨床的な
研究結果に支えられているが、機能の不可逆的喪失に関しては、主として臨床医学
および病理学の資料の蓄積をもって証拠としている。厚生省脳死判定基準に関して
いえば、必ず前提条件が満たされ、充分除外例に配慮し、経験のある医師が慎重に
行なうかぎり科学的に妥当と考える。
 脳の死(脳死状態)は、脳のすべての細胞の死、すなわち全脳細胞の死滅、全脳
組織の壊死を意味するものではなく、全体としての脳の機能が不可逆的に失われた
状態で、その判定は神経学的所見を中心とする臨床診断で可能である。近年の医学
の発展は、従来は臨床で不可能と考えられたことも可能にしつつあるが、全体的に
みれば疾病の原因・治療のいずれをとってもなお未解決のことが多い。医学は脳の
生理・病態生理のすべてを解明してはいないが、臨床では重症脳障害を癒すための
医療が続けられてきた。臨床的概念に反対する立場の人の中には、脳のすべてが解
明されない限り臨床で脳(の)死を判定することはできないと考えている人もある
のではないかと思われる。

 判定基準

 厚生省判定基準は脳波学会基準を土台にし、その後の医学の発展、脳死研究の進
歩を考慮し、全国調査を行なって、その結果を解析して作成したものである。その
内容は世界的にみて、むしろ厳しい基準に属する。
 厚生省判定基準を厳格に適用すれば、脳死の判定を誤ることはなく、一般的治療
を続けるかぎり数日から数週間の間にかならず心停止に至る。一月以上も心拍動が
維持される症例は前提条件が満たされていなかったり、除外例に該当する症例や倫
理上の問題を残すが特殊な管理がなされた症例である。
 また、脳死と判定された後に呼吸様の運動が出現したり、下垂体ホルモンの産生
がみられる場合がある。前者は脊髄由来であり、後者はいくつかの基準に取り入れ
られている脳血管撮影で non-fillingの所見が確認された後でもみられることがす
でに知られている。
 どのような脳機能の消失をもって脳の死とするかについては現在のところ臨床的
に確認し得る方法に適切な補助診断法を加える以外に、よりよい方法があるとは思
えない。聴性脳幹誘発反応、体性感覚誘発反応、視覚誘発反応などをすすめる意見
もあるが、これらをあえて厚生省判定基準に加えなくても、正確な判定は可能であ
る。多くの検査を行なって神経学的所見との対応をみることはもちろん有意義と思
われるが、脳のいろいろの部位の機能・代謝を測定して、最終的にどのような結果
が得られれば脳死と判定するのであろうか。このようなアプローチは未知の、不定
の標的に対する果てしない挑戦である。現在行ないうるすべての適切な治療手段を
もってしても、回復の可能性が全くないと判断され、いかなる刺激にも反応せず、
人工的に呼吸・循環が維持され、遠からず必ず心停止に至ることが明らかな患者に
対し、脳の死を判定する目的で、繁雑で過剰な、また時には侵襲的でさえある検査
を実施することをどのように考えるのであろうか? 前述のごとく脳死判定はすべ
ての神経細胞の死を証明しようとしているのではない。問題は全体としての脳の不
可逆な機能喪失を判定することにある。報告書にも明記したように、臨床医学の関
心は個々の細胞の生死ではなく、一人の人間の運命を巡る問題である。
 脳死判定基準は、脳死症例が臓器移植における提供者になるか否かにかかわらず
同じであることが望ましい。なぜなら脳の死を個体の死とし、人工呼吸の停止とい
う処置を行なう時は、人工呼吸停止が心停止を招くからである。臓器移植の場合も
厚生省判定基準で十分と考えるが、より早く脳死を判定したい時は、いろいろな補
助診断法を併用して臨床的総合判断の資料とすることは有意義と思われる。ただし、
この場合も用いた補助診断法がそれだけでは決して決定的異議を持つものではない
ことを十分認識する必要がある。

 医の倫理

 蘇生・集中医療医学の発展により、従来は救命不可能であった症例が救命される
ようになったと同時に、人工的に呼吸、循環、代謝、排泄などが維持されながら、
脳機能が不可逆的に消失した状態すなわち脳死状態の症例がみられるようになった。
このような状態は臓器移植とは全く無関係におきたことである。脳以外の身体の臓
器機能が人工的に維持されるようになった今日、脳死は人間の死とは何かを問かけ
る命題である。
 脳死は医学の発展と医療の実践の長い歴史の線上でとらえるべきことで、医学と
医療の相克を見つめるには、文化的・倫理的視点が不可欠である。死の判定は医師
の責務であり、一般に認められている医学的基準に従って行なわれる。わが国の脳
死論議が今日のように混乱している間でも、現場では頻繁に脳死状態の判定が行な
われ、医学の水準、移動の基本にてらし、患者家族との成熟した関係の中で最も適
切と思われる処置が行なわれている。”医療の行為はただ人間的な判断と医学・生
物学的知識に基づいて死の時期を正確かつ適時に決定することである。      医師 
が自然科学的、客観的基準のみによって決断することができ、また決断すべきだと
いうのは幻想ないし夢想にすぎない。もし医師にこのような可能性が与えられてい
たならば、医師にとってその任務は本質的に間違いなく軽くなっていたであろう(
PAUL FRITSCHE:生と死の境界、佐藤・古郡訳)。”幸か不幸か脳の
死は、臨床的にベッドサイドで判定可能である。現場を離れた用語と概念の議論、
本質的には検証できない仮定にたっての議論は不毛であり、今日の脳死に関する議
論で最も重要なことは、医療の原点である人間尊重に立ち帰ることである。

#0022 sci1902  8902172034

今まで、いろいろ資料をアップしましたが、ともかく読んでほしいのは、「判定基
準」です。判定基準がどんな内容であるかを知らなくては、脳死判定を批判も支持
もできませんから。
そして、判定基準や脳死の概念・問題点を解説したものとして、「最終報告」これ
も是非目を通していただくと、何が問題点なのかうっすらと分かってくると思いま
す。

多少メンドクサクても良いから、詳しく知りたい方は、立花隆氏の「脳死」(中央
公論社:文庫本もあります)が、教科書としては最高でしょう。(いろいろ引用さ
せて貰ったから持ち上げる訳ではありません。)さらに、「脳死再論」(中央公論
社:単行本のみ)を読めば、もうオニに金棒です。そこらの医者なんかメぢゃあり
ません。私も、脳死に関する知識はこの2冊から仕入れた物がほとんどです。神経
学の教科書よりも分かりやすく、問題点もはっきりしています。おすすめします。
(ま、読んだら今の基準反対論者になってしまうかも知れませんが)

                          つちねこ

#0023 sci1902  8902180804

うわーん。はずかしいよ。
用語解説、でアップした内容に誤りがあることが分かりました。

脊髄毛様反射の解説で、「つねると瞳孔が縮小する」と書きましたが、「つねると
瞳孔が散大する」が、本当です。あ−恥ずかしい。本当に神経内科なの?
あ、この瞳孔の大小をみる類いの反射は、ネコでやるとよく分かって面白いですよ。
例)対光反射:猫は暗い所では、瞳孔の直径が1cmくらい大きく開いているが、
  明るい所では、糸のように細い。で、猫を飼っている方、暗い所でネコの目に
  ペンライトを当ててみて下さい。(ひっかかれるだけだったりして)

 人間もそうですが、交感神経が優位だと(興奮している時、強気の時、怒ってい
る時)瞳孔は散大します。副交感神経が優位だと(とろとろしている、安らかであ
る、気弱になっている)瞳孔は縮小しています。瞳孔の大小を司る神経は、自律神
経なのです。ネコをネコジャラシとかネコ釣れちゃったとかで刺激しますと、明る
い所でも瞳孔がまん丸になります。うちの実在つちねこは、お風呂に入れるとまん
丸にして怒ります。
 ちなみに、ケーサツ取調べ室で容疑者に斜め上からライトを当てるのは、瞳孔を
収縮させて=副交感神経優位にさせて=気弱にさせて、自供を得やすくする効果を
狙っているのが理由の一つにあるそうです。
                今は瞳孔の小さい つちねこ

#0024 sci1902  8902210435

臓器移植との関係について。

ASAHI BOOKLET 94
 「パネル討論 臓器移植と意識変革」
   日本人工臓器学会編        朝日新聞社280円

が、余りおすすめではないのです(学会での発表ですので、原則として臓器移植推
進の立場からだけですので。)が、安いし読んで面白い。

内容は、これから臓器移植を進めるのには、どうしたらいいか。学会(移植医たち)
は、自分の意識をどうかえたらいいのか、国民の意識をどうリードしていったらい
いのか、といったことです。当然、脳死・和田移植のことにも触れられています。

発言者は、
   立花隆(評論家)、近藤次郎(日本学術会議長)、吉村昭(作家)
   藤田真一(朝日新聞編集委員)、米本昌平(三菱化成生命科学研主任研究員)
   曲直部寿夫(国立循環器病センター総長)、岩崎洋治(筑波大教授)
です。
                         つちねこ

#0025 sci1902  8902242311

脳死について解説した本です。
平易な解説を心掛けているようですが、その余り簡単に過ぎるようです。入門用に
はいいかもしれません。著者が著者だけに、問題点の提起、分析もなく、物足りな
いかも。この本を読んだ後に、立花氏の脳死を読んだらいいかもしれません。

「脳死とは何か  基本的な理解を深めるために」
           竹内一夫著
  BLUE BACKS B688 講談社 560円

目次の紹介
 1.人の死と脳の死 2.脳死はどのようにして発生するか 3.脳死状態の脳は 
どうなるのか 4.なぜ脳死が問題なのか 5.脳死はどれくらい発生するか 6. 
脳死をどう判定するか 7.国による判定基準のちがい 8.蘇生術に限界はあるか 
9.脳死と個体死を考える 10.脳死と植物人間とはどう違うか

私の場合、1時間で読めましたから(元もと本を読むのは早い方ですが)、大体の
人が多くとも一日で読める厚さ、内容であると思います。

                         つちねこ

#0026 sci1902  8902242311

#115で、ムカシトカゲさんが、言われておりました、「個人による個人の死の
設計」について、私の持っている本から関係すると思われる一文を見つけましたの
で次の関連発言でアップします。現在の私の立場からは、何のコメントもできませ
んが、「個人の死」に対する、参考にはなりそうです。具体的な、方法論よりも、
その考え方にはおおいに賛同できる所があります。

引用は、
    「先端医療革命 その技術・思想・制度」
        米本昌平著
        中公新書874 中央公論社 500円
です。
しっかし、こんなに引用してて、著作権は、大丈夫なのであろうか。 

                             つちねこ
あ、補注。それにしたって、死の判断は、医師が行ないます。脳死の基準も、お国
から公布された物として存在してます。「死を、自分で自由に宣言できる」ことと
は違います。あくまでも、社会的通念における死への移行を選択できるということ
ですので。

#0027 sci1902  8902242312

 死を設計する権利
 本題にもどそう。患者が自分の受ける治療を選択し設計するという姿勢は、たと
えば、安楽死→尊厳死→自然死という死をめぐる現代的な言葉使いの変遷に強く反
映している。アメリカ議論のなかでは、意識がつぎつぎ脱皮するように、この言葉
を正確に使い替えてきている。伝統的には、この問題は、死期が近づいた末期患者
の苦痛に対する、治療に代るものとしての慈悲殺ということから出発したのである
が、苦痛のコントロールがかなり可能になり、むしろ精神的ケアの方が重要である
という認識が広まるに連れて、問題の中心は、巨大な装置による強引な延命が果た
して人間的かという点に移ってきた。過剰な延命治療を拒否し間接的にこれを批判
する言葉として”尊厳死 dignity of death"が一時よく使われたが、チューブや 
モニターだらけの末期患者の実態を逆に美化しかねない表現だとして、批判が出た。
そして最終的には、本人が過度の延命治療を拒否し、納得しうる死に方を自ら設計
した場合、周囲はこれを認めるべきだ、という考え方にまで進んだ。
 七六年にカリフォルニア州で世界最初に成立した自然死法(Natural Death Act )
は、死の経過を自然の進行にゆだねることをも含めて、患者が死を設計する権利を
認め、もし患者が正当な手続きのうえでそのような意志を明らかにした場合は、医
療の側がこれを実行する責務を負うと同時に、これを行なった医師が属託殺人や自
殺幇助の罪に問われない、という四点を合わせて法的に明確にしたものである。た
だし多くの場合、実際に選択できるのは、栄養チューブの停止など、極めて限られ
た範囲のものであり、これは明らかに、後で触れるカレン事件への一つの対応策と
して作られたものであった。しばしば「死ぬ権利」という誤解の起きやすい訳語が
あてられることがあるが、正確には「死を自ら設計する権利」であり、元気なうち
に自然死を希望するむね文書に表したのがリビング・ウィルである。つまり、自然
死というのはきわめて思想性が高い概念なのである。

第一章 七○年代アメリカ医療思想革命P.14〜15
                         つちねこ

#0028 ultra7   8904192202

 脳死・臓器移植を考えるときの基礎資料として、4月14日に阪大の倫理委
 が出した、中間勧告要旨をアップします。

 大阪版にしか載らなかったので、東京地方の皆様、よく読んでおくんなまし。
 これを、すべて完全に守ったら、私は日本での移植は後5年くらいはできない
 と思う。。。。。。。。

#0029 ultra7   8904192208

◆ 臓器移植 阪大倫理委の中間勧告<要旨> 【大阪】

  心臓などの臓器移植の可否について、大阪大学医学部医学倫理委
員会(委員長、垂井清一郎教授)が13日出した「移植医療の申請
に対する中間勧告」の要旨は次の通り。

 大阪大学医学部医学倫理委員会は川島康生教授らより心臓移植・
肝臓移植の臨床応用、脳死者提供の腎臓移植について審査申請書の
提出を受けて以来、公開シンポジウム開催を含め、慎重な審議を重
ねてきた。今回の申請にかかわる医療行為が、従来適切な治療法の
存在しなかった多くの重症患者の救済を果たしうるものであるなら
ば、単発的な実施ではなく、これを継続して行うにたるだけの諸準
備を尽くし、その努力の上に立って行うことが望ましい。再移植の
必要の生じる可能性を否定しえない点も考慮すると、このことはさ
らに重要である。ここに今後の整備が要求される諸項目を含め、意
見の一致をみた事項を中間勧告として通知する。

 ○脳死について

 1、脳死をもって医学的に個体死と認めることについては各委員
の意見が一致した。
ここで脳死とは、脳幹および大脳を含む脳のすべての反射・統合機
能の不可逆的な廃絶であるとする見解が支持された。

 2、現行の大阪大学医学部付属病院脳死判定実施要項(1987
年)は、脳死の判定基準として、国際的にみても厳格であり、脳死
判定に関する委員会による従来の成績では、満足すべき結果が示さ
れているが、今後、下記の諸事項を考慮しつつ実施し、現在提起さ
れている諸問題等の解明へ向けて、詳しい経過観察を伴った判定実
績の十分な集積が望まれる。

 (1)脳死と判定された対象者の一部における視床下部ホルモン
分泌の実態解明

 (2)非侵襲的方法を含む脳循環に関する検査、および「要項」
の項目中に指定された聴性脳幹反応検査の実施

 3、脳死判定の場に、家族の要請があれば、親族あるいは家族の
推薦する医師を立ち会わすことができる。

 4、脳死による個体死の判定が行われた場合には、死亡時刻は脳
死確認時とすべきと判断される。

 ○移植医療の諸条件の整備

 1、移植医療は、正当な治療目的のもとに、医療上の適正な基準
に従って行われた場合は、刑法35条にいう正当業務行為として適
法化される。しかし、それが医療上侵襲を伴うかぎり、移植を受け
る患者およびその家族に対して、必要かつ十分な情報提供後の納得
(インフォームドコンセント)を求めた上、医学的適応性と医療技
術の妥当性を満たした方法で行わねばならない。
 
 2、臓器提供者から臓器を摘出する場合は、原則として提供者本
人の生前の意思によることが求められるとともに、その存否のいか
んにかかわらず、家族の明示的な意思が摘出行為の正当性を裏付け
る前提となる。

 3、臓器提供に関する家族の意思の確認方法には、慎重な配慮が
必要である。

 4、今回の申請にかかわる医療の準備を、現時点において着実に
進めるためには、脳死判定の実績を有する数カ所以上の医療施設、
および、移植手術の可能な複数の医療施設により、地域ネットワー
クを組織することが望ましい。また、脳死判定基準に関してもネッ
トワーク内での合意が成立し、厳格な基準のもとに統一されること
が望ましい。なお、このネットワークは、将来全国規模で結成され
た場合、その中に組み込まれうることも考慮すべきである。

 5、地域ネットワークに関連して、さらに重要なものは脳死後の
臓器提供に関する登録組織の確立・整備であり、これらは本来臓器
別としてではなく、多種の臓器の提供に関与する統一した組織へ向
かって整備されることが望ましい。また提供者組織についても、全
国規模の組織が結成された場合、その中に組み込まれうるよう配慮
すべきである。

(中略)登録において多数の賛成者が存在するならば、今回申請を
受けた移植医療に関する社会的合意の具体的証左となりうると考え
られる。たとえば、まず大阪大学医学部付属病院勤務医師の自由な
意思を登録によって確かめること等から、ことを進めるのが望まし
い。

 6、すでに、受容者に関する登録制度が存在する腎移植(じんい
しょく)を除いては、受容者の登録およびそれらの症例が、移植医
療の対象となるか否かを判定するためのシステム、ならびに、臓器
の種別に応じて慎重に扱うべき組織適合性を含めた公正かつ適切な
受容者の選択方法に関して、一層の検討が加えられなければならな
い。

今回の申請にかかわる医療が実施されるとすれば、すでに欧米にお
いて問題となっている提供者と受容希望者の数の隔たりが、わが国
ではさらにかけ離れた状況となることも予想される以上、これはき
わめて重要である。

 7、今回の申請にかかわる医療が、実施において欧米の多くの国
に比べ約20年の後れをとっていることは動かし難い事実である。
しかし、医学・医療が完全に国際化している今日、これらが新たに
実施されるとしても、最先端の医学情報と豊富な海外の経験を十分
そしゃくし、移植前後のチーム医療等の体制を整備して行わねばな
らぬことはいうまでもない。

 さらに、たとえば次第に注目されるに至った移植心臓における特
有な冠動脈硬化の発症を含む最近の諸問題を顧慮するとき、組織適
合性等に関し、ほぼ固定化した軌道に沿って進んでいる欧米の移植
医療をそのままたどるだけではなく、長期の治療成績や養生生活の
質の改善につながる新たな対応を工夫しつつ、長い後れをかえって
長所へと転化せしめうるだけの努力も、惜しんではならないであろ
う。

 当委員会は、主任者として申請を行われた貴下に対し、当該申請
にかかわる医療行為の前提となる上記の基本的諸項目を検討・整備
したうえで、具体的な資料を提出されるよう求めるものである。