Wat00107 科学とは何でしょう?

#0000 sci2226  8901220059

 科学とは何なんでしょう?

科学技術の発展というような用法で科学という言葉を使うとき
それは,自然科学の進歩をベースとした技術の発展をさしていうようです.

一般に科学という言葉を使うとき,自然科学の分野だけをイメージして
いることが多いのではないでしょうか?

しかし,大学の一般教養科目においては,自然科学,社会科学,人文科学
と言う分類が多いようです.
大まかには,このように分類されるようですがその趣にはかなりの
違いがありますよね.

ここサイエンスネットと名付けられた通信ネットで扱われる,あるいは
会員が意識することは自然科学に限定されているような気がします.
(全部の書き込みを読んだわけではないのですけれど・・・)

でも科学っていうのはもっと広範なもの(学問?)だろうと思うのですが
いかがなものでしょうか?
                                  サッカーボーイ
     追記
      この書き込みは科学フリートークにも書かせていただきました.

#0001 sci2086  8901230842

その通りですね.ただ,科学と言うのは,
「さあこれだけが科学ですよ」という閉じたものではなくて,
どんどん広がって行くものだと思います.というのは,客観性が
高くなればそれは科学的に扱うことができるようになったという
ことができると思うからです.たとえば,音楽だって,一部の人が
好き好きに歌を歌ったりしている間はそれは個人の感覚による
部分が多くて,客観的に論じることができる部分は少ないけど,
調性だとがリズムだとができてくるとそれは科学的に
扱えるようになってきたと言えると思います.ただ,何でも
科学的に扱えばいいかというとそうではなくて,芸術なんか全部
そうなってしまったらこれはもう味気ないわけですね.

自然科学をイメージする事が多いと言うのは,この客観性の度合が
高いせいだと言うことができます.数学,物理など
正しいことは誰でも正しいと認識できる場合が多いですよね.
でも,それさえも変わることがある(ニュートンからアインシュタインへなど)
わけですね.

#0002 sci2226  8901232229

 基調発言を書いた者です.

 確かに科学にはいわゆる客観性という要素が必要不可欠
なものであると理解されていると思います.そこでまた思うのですが,
この客観性と言うのは何で測られるのでしょうか?
客観性が高いという表現の意味は,現象を数字で表せて,しかもその値が
常に同じ(統計的に)になることである,という暗黙の了解があるような
気がします.またこれが再現性というものだ,ということになると思います.
そしてこれが,自然科学の領域における方法論だと思います.

 しかし,このような再現性を有するものだけが科学なのでしょうか?
ある生理学者は,ピカソの絵は見る人(絵のわかる人)がみれば見れば
ピカソの絵であるとわかる(認識する)ことができる,と述べています.
これはつまり,専門家が見て同じ判断を導き出すことができるということが
再現性である,と言う意味であると思います.
 このような考え方は極端かも知れませんが,医学の世界(臨床場面)では
このような判断がなされているのではないでしょうか?
   (医学は科学ではないという主張もあるでしょうが)

 数字で表せるものだけが科学なのでしょうか?

                                     サッカーボーイ
                                         または golgo

#0003 sci2086  8901250827

関連発言1のものです.
なるほどおっしゃる通りです.客観性だけでは
どうも一般に科学とは言われていないようですね.
医学と言わず工学でも,いわゆる理学の人に言わせれば
科学でない,ということになってしまう.
そこでどうも,客観性に加えて,体系性(こんな言葉あるかな?)
というのが重視されて,まあ単純に言うと
体系だっているほど科学っぽいということになっているのでは
ないでしょうか.
これも相当いいかげんといえばいいかげんな言い方ですが,
数学,物理なんかは全体が非常に体系的に整理される,
ちなみに私は工学畑で,別に理学を一生懸命弁護
してもしょうがないですが,いわゆる数学なんかは私でも
非常に体系だって整理されてるなあ,という気がします.

どうも説明になってなくてすいません.

#0004 sci2226  8901290033

 科学の発展というのは,ひょっとしたら「宗教(キリスト教)との対立
から生まれてきた」と考えられがちなんですが,そうではなく,コペルニクス
もガリレオも熱心な信仰者であったんですよね.
 こう言った時代の科学者といわれる人々は,神が創造したこの世界の真理を
探求するうちに,聖典に反する事実をはからずも発見してしまったと言えると
思います.
 同様なかたちで,本人の死後になってその功績が認められた,と言う科学者は
数多くいたと思います.その過程には宗教界の妥協というか,歩み寄りがあった
ことも事実です.  あるいは,その過程において宗教と科学は完全に分離されて
しまいました.(デカルト的な考え方というのでしょうか?)
(このことは問題提起から少しずれてしまうのでまたの機会にします.)

 上述のようなところから自然科学は発展してきたといえると思います.
しかし,その方法論は,いわゆる自然現象を説明するために生まれてきた
ものであり,人間の行動や情動,心理,表現等を説明するためには片手落ち
なのではないでしょうか? すなわち,デカルト的な2元論で切り落とされた
部分が残ってしまうような気がします.
 自然科学の分野は歴史がある,ということからか,一般に「科学」という場合,
自然科学的な分野を指すことが多いようですし,研究的な分野でも自然科学の
方法(論)にのっとっていないもの(研究成果)は,「科学」として認められない
ような風潮があるような気がします.(ごくせまい見識ですが)

 歴史の古いものというのは,体系ができているのが当り前のような気がします.
                   (そこには多くの科学者の業績がある)
しかし,ガリレオやコペルニクスらの理論は,当時は非常にうさんくさいものと
考えられたことも事実です.科学の出発点はこのようなうさんくさいところから
始まるような気がします.そんなことから,自然科学にはないような方法論による
科学というものがあって,それもこれから認めらなければならないような気がします.
 
                                         golgo