Wat00044 "地方"体験=記者のゆりかご

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"地方"体験=記者のゆりかご
                   by 大阪科学部・団藤

 このシリーズ、わたしがフェードアウトを予定している9月末も
迫って来ましたし、世間も「ばたばた」してきましたので、今回で
おしまいにしたいと思います。地方問題なら過疎地の話、考古学報
道と科学記事との対比、医学記事など、書いてみたいテーマはある
のですが、いつの日か、サイエンスネットではないネット(??)
にでも譲りましょう。
 サイエンスネットの参加者は、首都圏が圧倒的です。今回は、そ
の皆さんに”地方”とは、あるいは、都市の空中回廊ではなく、大
地に根を下ろしている”日本”での新聞の活動について、人によっ
ては「日本ではない異郷」と言われる高知での私的な体験から、雰
囲気だけでも伝えようと試みます。お気付きでしょうが、原発問題
がシリーズの縦糸の一つになっているので、高知・窪川についても
触れます。




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土佐はいまだ坂本竜馬の地です
                   by 大阪科学部・団藤

 前回に続いて、高知に行って驚いたことを、ひとつ。土佐の酒好
きが「ショウショウ好き」というのは「升升」のことだなんてのは、
つまらないから書きませんよ。
 土佐では、まだ、「竜馬さん」が生きているのです。ひょっとす
ると、薩摩・鹿児島でも、「西郷どん」が生きているのかもしれま
せんが、いい大人が、また若い女性が、坂本竜馬への崇拝と憧憬を
口にするのは、なんとも不思議な気持ちがするものです。あの、ポ
スターにしょっちゅう登場する桂浜にある竜馬像も、どこかの元首
相の銅像とは違って、青年達の自発的な募金運動で建てられたもの
です。そして、竜馬像と朝日新聞も無縁ではない、と高知滞在も随
分永くなってから知らされました。募金運動にいざ出発しようとす
る青年達の古い古い記念写真が残っています。その背景は、朝日の
高知支局なのです。
 竜馬のような英雄が、現実の高知に存在するか。極めて疑問です。
彼はむしろ、土佐という狭い土地を離れてコスモポリタンになろう
とした人物です。現実の高知にいる人達は、狭さの中で、せいいっ
ぱい生きようとしています。竜馬の反体制ぶりは、衆議院5人の小
さな地方選挙区のくせに、社、公、共各1人に自民2人と、珍しい
構成に現れている程度でしょう。土佐人の選挙好きは、そのせいい
っぱいと反体制傾向が入り交じって、ますます高まります。サツキ
ャップの時代に、大規模な汚職、選挙違反事件に出会いました。気
心がしれたある若手検事が、呆れ果ててこぼした言葉をいまだに覚
えています。「若いころは、酒もいいし女もいい。しかし、歳をと
ったら、やっぱり選挙がたまらん−−調べの間に打ち解けて本音を
聞くと、こんな人ばっかりなんだから・・・」。

 高知支局時代の最大のイベントは、原発立地調査の導入をめぐっ
て窪川町長が住民投票でリコールされ、次いで、再度の町長選挙で
再選されたことでしょう。リコール成立の瞬間、わたしは町長側の
選挙事務所にいました。票読みでは成立するとは読めず、たいした
ことにはなるまいと構えていたのですが、開票所がある方向から、
地鳴りのようなどよめきが押し寄せてきたのを記憶しています。次
の出直し町長選を含めて、総選挙で市町村別の票読みをする要領で、
有権者1万程度の町に、記者数人を動員し、地区別の票読みをしま
した。これは必ずしも成功しませんでしたが、各地区の両派選挙事
務所などの夜回りまでしたおかげで、はるかに離れた高知市にいる
のと違って、何が起こっているのかはよく分かりました。
 家庭内でもお父さんとお母さんが賛否両派に別れたほどの、激し
い勉強会、説得、多数派工作が行われました。だいたい、8、9割
くらいの有権者は自分の態度をはっきり賛否いずれかに固定したと
思います。それは、賛否ほぼ半々だったのです。投票の行方は、残
る「沈黙する少数派」によって左右されました。リコール成立時に
は、急速に原発導入に傾斜する町長に「少数派」は歯止めを掛けた
と思います。そして、町長再選では、町が選択できる幅の中に、原
発というカードを残しておきたいと考えたようです。科学技術庁長
官だった中川一郎ら小さな町に中央から大物が訪れて、原発による
地元への利益誘導を説き、いずれの選挙でも、数千万円の金が動き
ました。それを、高知に長居したわたしは、後刻確認しましたが、
この場合は、お金の問題ではなかったと判断しています。
 原発反対派は、農民、漁民、自民党の青年部幹部から全共闘運動
の元闘士まで幅広く、推進側は商工業者などを中心にしていました
が、賛否両派とも女性たちが目覚ましい働きをしました。お父さん
たちが選挙事務所でごろごろしているときにも、晩ご飯の片付けを
早々に済ませたお母さんたちは、夜道を親類、知人を訪ねて出掛け
ました。そうした活動は反対派ばかりのように思われる方もいらっ
しゃるかもしれませんが、町の中心部に多い賛成派の婦人部隊は、
周辺部にある実家や友達を訪ねて組織的な「ジュウタン爆撃」を展
開しました。
 いま、全国で巻き起こっている反原発運動には、ニューウェーブ
とオールドウェーブがあるそうです。不思議なことに、両派でいが
み合うことすらあるそうです。原発の可否を問う国民投票でも間じ
かに控えて、主導権争いをする錯覚にでも陥っているのでしょうか。
現状ではまず見込みがない国民投票が可能になったとしても、「窪
川」が教える通り、「賛成派」以外の「沈黙派」を抱え込まなけれ
ばまず勝てっこないのです。それは、理念としての原発反対だけで
はまず不可能でしょう。もっと広い層に訴える「共通認識」を広げ
なければなりますまい。ひょっとすると、それが見付かりかかって
いるのではあるまいか−−というのがスリーマイル以来の原子力ウ
オッチャーとして、わたしの現状観測ですが、「いがみ合い」を見
聞きすると、その道は遠いなと思わざるを得ません。もっとも、わ
たしの所に寄せられる草の根グループの情報では、窪川同様に、今
回のお母さんたちの活動は動き始めた限り、止められるものではな
いと思えます。そして、「ニュー」とか「オールド」とかは声高に
聞こえないのですが・・・。
 今年、窪川原発問題は、電力需要伸び悩み状況の中で、むしろ四
国電力側が放棄する形でけりがつきました。あの報を聞いたときに、
真っ先に思い出したのは、リコール騒動の前後で聞いた吉田茂につ
いてのエピソードでした。戦後のワンマン宰相、吉田茂の選挙区が
高知だとは赴任するまで知りませんでした。山口、広島など、首相
を輩出した県に比べて、道路ひとつ取っても高知の基盤整備はあま
りに貧弱です。吉田茂は、高知県出身ではなく、縁故を頼っての落
下傘候補だったのですが、それならなおさら利益誘導を図るべきな
のに、あまりやっていません。ある地元演説会のとき、会場から「
鉄道建設はどうなっているのか」との声が出ました。そのとき、吉
田茂は「わたしは日本国の総理大臣であって、高知県の総理大臣で
はない」と突っぱねたといいます。当然、会場からはごうごうたる
不満、非難の声が沸き起こり、吉田茂は気にもしないで退場してし
ます。その場は、同行していた佐藤栄作(当時は運輸大臣)が、「
鉄道建設の計画が出来ておりましたが、首相の耳に入れるのが遅れ
ておりまして」と、とりなして収めたそうです。
 このエピソードを、わたしはいろんな人から、別々のトーンで聞
いた記憶があります。あるいは、吉田茂を誇らしく、あるいは、だ
から高知は遅れているのだと。大都市の皆さんには、原発断念は単
に理念や、損得の問題に見えるかもしれません。しかし、現地の人
たちの心のひだには、吉田茂以来の長いいきさつが刻まれているの
です。記事にするかどうかは別にして、そのなかにまで入って来る
のが、記者修行だと、再び思い返されます。