Wat00037 地域土着はマスコミの生命線!?

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地域土着はマスコミの生命線!?
                   by 大阪科学部・団藤
 サイエンスネットとのお付き合いを、もうしばらくで終わりにし
たいと思っています。理由は敢えて記しませんが、このネットの現
状に納得がいかないからとしておきましょう。
 年初以来、原子力発電のボードを中心に、ずいぶん禁欲的、自己
抑制的なサポートを続けて来たので、最後は言いたいことを言って
おこうと、必ずしも科学と関係ないコーナーを、
勝手に作ることにしました。「納得がいかない現状」を補う意図も
含めています。
  最初のテーマは、マスコミに刻印されている地域主義の影です。
マスコミは不偏不党を標榜していますから、はるか天上から地上で
起きる問題を分析しているような錯覚をお持ちの方があります。実
は、新聞を印刷したり、電波を出している当のその地域に強く縛ら
れているのです。反原発グループが8月下旬に北海道で展開した、
「原発泊(トマリ)記念日」行動の報道を入り口にして、次の関連
発言で考えてみましょう。




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なぜ、「原発泊(トマリ)記念日」行動は”無視”されたか
                   by 大阪科学部・団藤
 
 2月の伊方=高松3千人集会、4月の東京2万人行動の高まりを
うけて、8月の「原発泊(トマリ)記念日」行動はどうなるのか−
−わたしなりに注目していたのですが、新聞報道はほとんどゼロで
した。大阪の紙面にまでは載らないのか、と思っていましたら、東
京はもちろん、北海道の現地ですら逮捕者が出た程度にしか報じら
れていないことを知りました。
 気になったので、自前のルートでちょっと調べてみました。”無
視”は、全国紙の5大紙だけでなく、地元の北海道新聞も同じだっ
たようです。わたしが渦中にあった伊方のときに比べて、3〜40
0人という規模の小ささを考えに入れても、「冷たい」あしらいに
見えます。新左翼運動を対象にした公安事件の扱いみたいではあり
ませんか。そこで、マスコミ側から、この行動はどう見えたか−−
ここはむしろ、朝日以外の人から取材してみました。
 取材したマスコミ側は、一連の動きのヤマ場は、その前にあった
泊原発への核燃料搬入阻止闘争だと考えていたようです。おまけに、
九州などから北海道入りした市民グループが中心、現地からの参加
者はわずかで、北海道のマスコミにとって、言わば「異邦人」との
印象をもたれたように感じられました。お断りしておきますが、北
海道の人は、もともと、ほとんどの人が移入者ですから、よそ者を
排除する風はあまりないところです。
 これに対して市民グループは、「チェルノブイリの死の灰は、遥
かに離れた日本にも降った。泊原発でもし事故があれば九州も北海
道も同じだ」との論理で立ち向かったようです。しかし、北海道の
マスコミには通じなかった、としか思えぬ結果でした。現地のマス
コミが書かなければ、東京にも大阪にも記事が載る訳がありません。
 伊方出力調整試験問題でも同じ論理が語られました。九州から関
東以東まで多くの人が共鳴して、高松に駆け付けました。泊と差が
あったのは、四国の現地も沸き上がっていたことだと思います。わ
たしが取材した限りでは、小原さんたちの市民グループは、形の上
では同じ行動をとりながら、現地の草の根と結合する力が前回より
際立って弱かったようです。現場にいないわたしには分かりません
が、”自由な個人の自由な結合”といった、グループ特有の基本原
則に立たない人は出て行ってもらったためだとしたら、原発反対の
ために運動があるのか、運動のために原発反対があるのか、定かで
ない不思議なことになります。そして、その地域にいる人達を巻き
込まない運動は、マスコミから注目されなくてもやむをえない面が
あります。マスコミは、存在している地域の空気を呼吸し、地域の
人の動きを肌で感じて走りだします。頭で理解して動きだすことは、
むしろ少ないように思えます。営業成績や、広告を増やすためだけ
でない、マスコミ人の生理のようなものです。
 今年はじめ、各地の新聞社は、敢えて「組織的」と呼びたい原発
反対の投書の山に見舞われ、やがて全国的な反対運動の高揚を迎え
ました。にもかかわらず、このネットの原子力発電ボードでも盛ん
に発言があったとおり、朝日新聞東京本社の紙面は反対運動の全国
的な進展に、著しく立ち遅れました。伊方が大阪本社の管内にあっ
たことも一因です。それでも、2万人行動が東京であり、チェルノ
ブイリ2周年だった4月には、それなりに積極的に紙面化し始めま
す。記事データベースで、4月中に「原発」が登場する記事を拾う
と、60件にのぼります。同じことを、読売新聞の記事データベー
スですると、25件しか出てきません。両者の共通部分は、外国ニ
ュースだったり、官庁物などですから、少なくとも読売新聞に比べ
て手厚いことは確かです。一覧表にすると、科学部や社会部だけで
なく、いろいろなセクションが動き出していることが分かります。
 マスコミ、特に新聞には抜き難い「地ダネ」意識があります。出
来れば、地域の話で紙面を埋めたい、出来るだけ大きく扱いたい。
いえ、その意識があるからこそ、存在しているとも言えます。地域
に密着していると言われることは、勲章のようなものなのです。こ
んなエピソードがあります。全日空のPR誌だったでしようか、各
地方紙の記者にその地方の料理を紹介させる企画を取り上げたこと
があります。そのとき、大阪は朝日新聞だったので、大阪本社編集
局の幹部が「大阪の地元紙はやっぱり朝日だと認められた」と、か
なり素直に喜びました。ご存じない方のために、注を入れますと、
大阪は朝日創刊の地です。
 科学部員は、科学の真理はどこでも真理というわけで、コスモポ
リタンな面が強いのですが、100年を超す新聞の組織はそのよう
に出来ていません。全国紙とは何なのか。その問題は、稿を改めて
考えてみましょう。