Wat00007 シャトル打ち上げ延期について

#0000 reader 8807301933


前略 はじめて書き込みさせていただきます。
7月29日付夕刊の『シャトル打ち上げまた延期?!』を読んで、少々ガッ
カリしています。
実は私、NASAのスペースシャトルの大ファンなのです。あの、超重量級
のシャトルがリフトオフするとき、あるいはオービターが帰還するときの興奮
は、とても言葉では表現できません(当然テレビで見ているわけですが……)。
その興奮というのは、単なる興奮ではなくて、なんとなく郷愁にも似た一種
独特の感情です。
何に郷愁を感じるのか?
それはあの偉大なるアポロ計画に対してなのです。
アームストロング船長が、人類最初の第一歩を“静かの海”に記したのは
1969年7月。当時私は10歳。月からの中継をテレビで見ながら、いいよ
うの無い興奮に胸ときめかしたものでした。その興奮の勢いで、『月へ行くア
ポロ宇宙船』とかいう、1961年に始まるアポロ計画の全容を描いた本を読
み、それ以来、すっかりアポロ、あるいはサターンロケットのとりこになって
しまったのです。
でも実際、あのサターンV型ロケットの打ち上げは迫力あると思いませんか?
全長約110m。最大直径約10m。長さからいえば、ソ連のエネルギア(全
長約60m)なんて比ではありません。とにかく、当時小学校4年の私にとっ
ては、アメリカ人に勝るとも劣らない狂喜の興奮を感じていたのです。
そのサターンV型ロケット打ち上げ、月着陸の様子、そして指令船での帰還
をテレビで目にしたときの興奮と、スペースシャトルの打ち上げ・帰還をテレ
ビで見たときの興奮には、何か共通のものを感じるのです。
アポロ、あるいはスペースシャトルは、アメリカ人にとって『“偉大なるア
メリカ”の象徴』だとよく聞きます。私にとって、アポロ計画は“少年の大き
な夢・ロマン”の象徴であり、スペースシャトル計画は、その少年の夢・ロマ
ンを郷愁とともに呼び覚ます、憧れの象徴なのです。
シャトルの事故以来、シャトル計画のイメージか落ちています。近頃、シャ
トル関連の記事を読むたび、なんとなく寂しくなるのは正直な私の気持ちです。
『シャトル打ち上げまた延期?!』(7/29夕)の記事をネタに、まった
く個人的な感情を書いてしまいました。お許しください。
以上
ツトム




#0001 dando 8808021553


 ツトムさんには、申し訳ないのですが、シャトルの打ち上げは
もっと遅れるのではないでしょうか。
 これだけ、大統領選挙が近づくと、打ち上げ失敗の政治的影響
が大きくなりすぎます。思えば、NASAの仕事は一面では政治
の世界と深く関わってきたのです。     (団藤)




#0002 dando 8808031202


 ところで、この電子会議システムは、もともとNASAで
使われていたものが原型だそうですよ。   (団藤)




#0003 匿名 8808031710

aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa




#0004 reader 8808031721


オイ ツトム アノ ゲツメンチヤクリク ノ エ-ゾ-ハナ- ドツッカノSFエイガヨウ ノ スタジオ デ トッタノダゾ-
YOU ノ スキナ NASAハ, children ノ ユメ ヲ コヲワスカラ イワナカッタノダッテ! NASA ニ ダマサレタネ.




#0005 匿名 8808041030


まったく、同感です。




#0006 sci1050 8808050153


半角カナでかかれたreaderさんの話しは ″第三の選択″のですか?
テレビなどで見せるほど健全な事はしていないのではないかと思います.
そんなにおいしい 宇宙なら 軍事機密でやっても無理はないと考えます.
それにしてもスペ−スシャトルは事故が多いですね.昔の使い捨てロケット
と比べて信頼度とか,総合的なコストでどのように違うか資料が欲しいですね.




#0007 sci1104 8808071053


そーなんですか?
しらなかったね〜(といっても当時私は2歳なので、見た記憶がない)




#0008 gennai 8808072332


ツトムさんと同じく、僕もアポロ11号のときは小学校4年生
でしたが、実に興奮しました。同時通訳の西山千さんの、
「こちらコロンビア、すべて順調、すべて順調(ピーッ)」
というのが懐かしいです。そしてリフトオフの感動!
サターンVにせよ、スペースシャトルにせよ、巨体が
震えながらゆっくりと上昇していくところは、何回みても
感動してしまいます。
それにしても、シャトルはそうとう改造されたようですが、
いじりすぎて別のところがおかしくならないか、少々不安です。
再開1回目のフライトが順調に終わって、そんな不安が
杞憂だったことを証明してほしいです。

           源内こと、小暮謙作でした。