Tec00021 企画記事シリーズ「男性の生涯未婚率が東京で一割超

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 大阪本社の通信部に移って#19に次ぐ、まともな仕事で
すかね。「結婚しない女、結婚できない男」と言われる話の
人口統計からの真相・・・・・・・・・・・・・・・dando


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* 結婚しない男たち 10年で倍増、西欧に近づく           *
* 五十歳のシングル率 東京は初の一割、大阪は十五人に一人 *
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                   1992.7.18 夕刊一面

 五十歳になっても結婚しない人は女性よりも男性の方が多く、東京では
十人に一人、大阪でも十五人に一人を占める−−厚生省人口問題研究所が
十八日までに、こんな調査結果をまとめた。男女とも晩婚化が進む傾向に
あるが、五十歳の男性の未婚率が都道府県単位で一割に達したのは初めて。
フランスやスウェーデンなどでは、十年前に四十代後半の男性未婚率が一
〇%を超えている。同研究所は「女性の自立、結婚に対する価値観の変化
などが影響している。中高年の未婚率はさらに高まるだろう」と話してい
る。
 人口統計では、子供を生む可能性がぐんと小さくなる五十歳で未婚の女
性は子孫を残さないとみなされ、五十歳の未婚率を男女とも生涯未婚率と
呼ぶ。同研究所は一九九〇年の国勢調査をもとに、都道府県別に四十五〜
五十四の年齢層を平均して生涯未婚率を算出した。配偶者と死別したり、
離婚した人は除いた。
 調査結果によると、生涯未婚率の全国平均は男性が五・六%、女性が四・
三%で、男の方が高い。男女とも東京がトップで、男性では <1>東京(一
〇・五%) <2>沖縄(一〇・一%)<3>神奈川(六・九%) <4>高知(同)
<5>大阪(六・四%)−−の順。女性では <1>東京(八・三%) <2>沖縄
(六%)<3>福岡(五・六%)<4>鹿児島(五・四%)<5>京都(五・三%)
の順に高い。
 逆に生涯未婚率が低いのは、男性では奈良が最低で二・七%、富山、石
川、福井、岐阜、滋賀、佐賀、大分、鳥取、三重、岡山、青森の十一県が
三%台。女性では富山の二・四%が最低。滋賀、茨城、福井、岐阜、山形、
埼玉の六県も二%台で、三重など二十三県が三%台となっている。
 八〇年の生涯未婚率は全国平均で男性二・六%、女性四・四%。女性の
生涯未婚率はそんなに変わっていないが、男性はこの十年間に倍増してい
る。
 十歳若い三十五〜四十四歳の男性未婚率は全国平均で一五%、東京では
二四%にもなる。八〇年のデータに比べて、年齢層が若いほど未婚率の増
加が著しい。
 男性の生涯未婚率が高まったことについて、人口問題研究所の渡辺吉利・
人口統計学研修室長は「ワンルームマンション、コンビニエンスストアな
どができ、単身者がぐんと生活しやすくなった。ベビーブーム世代以降、
仕事を持って自立し、結婚にそんなにこだわらない女性が増え、結婚に対
する価値観の変化などが影響している」と分析。「十年後には全国平均で
も五十歳で未婚の男性が十人に一人になるだろう」と予測している。

◎男性の生涯未婚率増加につく談話<1>
 袖井孝子・お茶の水女子大教授(家族社会学)の話 かつて独身の男性
が東京などの都会に働きに出て、田舎のお嫁さんをもらうというパターン
があった。今は田舎の過疎化が進み、お嫁さんを世話する人も少なくなっ
た。都会の未婚者が増えて当然です。また、対等なパートナーを求める最
近の女性に対して、男性側は「生活に不便だから結婚したい」と考える傾
向がみられ、男女間のギャップは大きい。
 しかし、一割くらいの未婚者がいるのはフランスなどの先進国では当た
り前です。独身で通すことを、生き方のひとつとして認めるべきです。
 高齢者の在宅ケアは主婦におんぶする格好になってますが、独身の高齢
者が無視できないほど増えるのだから、ヘルパーの派遣制度を整備するな
ど根本的に考え直す契機にするべきでしょう。

◎男性の生涯未婚率増加につく談話<2>
 板本洋子・日本青年館結婚相談所長の話 農山村の嫁不足が言われてフィ
リピンなどアジア諸国から迎えたりしているが、むしろ、本当に深刻なの
は、女性がそばにいるのに結婚できない都市部だといえる。
 働き過ぎの日本の男性は会社人間であるあまり、女性や結婚について理
解しないから、男をどうしても結婚させなければとする企業や社会の考え
方は、女性からは冷ややかな目で見られると思う。しかし、妻や子供でし
ばられない男性がこんなに増えると、そのエネルギーがどこに向かうのか、
危うい気もする。

◎解説
 男性の結婚難が意識されるようになったのは、八五年の国勢調査が公表
されてから。八九年には、日本青年館結婚相談所(東京)が男性側の意識
を変える必要を訴えて花婿学校を開いたのを始め、大阪でも結婚へのノウ
ハウを教える花婿講座がオープンして、独身男性を集めた。こうした動き
は熊本など各地に広がっている。
 生涯未婚率が一〇%を超える国は北欧などに見られるが、これはかなり
多数の同せいカップルがいるためと考えられている。日本の生涯未婚率は
先進国中ではこれまでは低く過ぎるくらいで、九〇年時点で欧米水準に並
んだともいえる。しかし、今後、増加の勢いが止まらないと欧米を抜き去
ることになりそうだ。
 男女高齢者の独身所帯が例外扱いできないほど増えると、子供や孫の存
在を前提にした、従来の高齢者福祉の枠組みに見直しが迫られよう。耐久
消費財、住宅などの消費構造にも変化が起きると考えられる。


#0002 sci6407  9207271458

この記事を読んで、こんなことを思いました。

結婚は、社会的な取り決めであって、男と女の性関係を示すもので
はないですよね。結婚しないからといって、セックスくらいはする
だろうし、恋人がいるかもしれない。

日本では、もともと、「家」制度があって、結婚はそのなかに位置
づけされていた。そのなかで、「妾」がいたり、「赤線」があった
り、「姦通罪」があったりしたのです。
 こんな風習ができたわけはいろいろあるのでしょう。儒教などと
いった倫理規定も、それにあずかったのかもしれません。でも、生
態学的に見れば、「食う」ための財産 (田畑) が限られており、
「田分け」ができなかったのも、その原因のひとつだと思います。
それは、良くも悪くも、日本の昔の生産構造を反映した倫理規定だ
ったわけです。

そこへ、キリスト教的な(というより、当時のヨーロッパの文化に
よる)一夫一妻制が日本に導入されました。西欧では、社会主義的
な施策によって福祉が向上したこともあいまって、結婚と「家」と
は別物だった。それを、そのまま憲法の条文として、受け入れたわ
けです。

日本は、どんな文化の輸入でもそうですが、形をすぐに取り入れま
す。(結婚式を見よ!)。ところが、その中身はあいまいなままで
す。いわば、清教徒的なモラルを受け継がず、結婚が個人の勝手に
なったわけです。

日本の若者の性への意識は、すでに大きく変わっているようです。
たとえば、婚前性交渉を容認するものは、すでにスウェーデンの数
値を越えるほどで、22才で9割を越えています。スウェーデンの
人々は、性が解放的だといいながら、性のモラルを捨てているわけ
ではない。社会制度の改革を伴いながら、徐々にそういう意識に到
達したのです。なのに、日本ではその何倍もの勢いで、倫理も社会
制度も置き去りにしたまま、意識ばかりが変わったのです。

性の倫理は、どの文化でも基幹的なもので、保守的なのがふつうで
す。日本でも、若者が婚前性交渉を肯定しても、具体的にセックス
しているのは22才で7割に満たない。いろんな形で抑制が働いて
いるのです。ただ、意識ばかりが暴走しているのです。

そういう文脈で、結婚しない人の存在を考えると、日本では、やが
て、どんどん増えていくだろうと思います。家制度は崩壊したし、
それに代わって性を規制するモラルがない。まあ、いまの政治状況
と同じで、これも日本の「美風」かもしれませんね。無秩序であり
ながら、理想を追い論理を求める改革運動が起こらない・・・・。

                                    Alopex


#0003 dando    9208051936

 北欧に比べて性の意識解放は進んでいる(?)かもしれない
けれど、制度の方は進んでいないんです。例えば、日本では婚姻
外で生まれた子供の扱いは非常に差別的です。しかし、北欧では
差別がないので、安心して同棲関係で子供が持てるそうです。

 だから、北欧で生涯未婚率が高いといっても実質的な結婚生活者
を含んでいる数字だと言えそうです。・・・・・・・・・・dando


#0004 sci7157  9208092342

結婚という社会的生活形態も長い人間の歴史で作られた。
とすると、いつかは壊れるもしくは変化はやむを得ないところで、
統計的に結婚云々を概念で捉えるのも結構だが、
来る男女の生活形態を予測想像してみるのも、楽しいのではないだろうか?
                交流室より越境ID7157ネット名X


#0005 sci7157  9208101307

>ID6407,Alopexさん、
戦後、キリスト教(ヨーロッパ)的な「一夫一婦制」が導入され、とありましたが、
それ以前の日本の婚姻の形態は、「婚姻制度」というよりも、経済もしくは社会
制度の範疇にあったわけであり、この「一夫一婦制」は敗戦という多分に政治的な
背景で日本が受け入れた法律という「社会制度」である、と断言出来ましょう。

ということは、キリスト教でいうモラルとは、すなわち’夫婦=男女(個人)の
在り方’であり、日本の儒教のそれは、モラルに社会的経済的な制度をからめた
親子子孫家族等の’関係’を述べた集団(社会)規範とも言うべきものでしょう。

日本の男女、というより婚姻の在り方は、戦前はすべて社会制度の中に含まれて
いたものであり、という事は、’個人’がいなければモラルの本質は語りにくいし
(モラル=道徳は、一方的な’社会’への献身をいうのではなく、個人を認めた上
 で、その個人と社会との善的で理想とする在り方を述べたものであるを前提に)
個人のなかった日本の中世(平安・鎌倉)でも、個々に見れば、すでに一夫一婦制
を希求していたのであり、それが個人を概念として認めない仏教にあって、社会的
モラル的に(個人が存在しにくかったので)成立しにくい事情があったといって、
然るべきです。ーーーすなわち、日本人は個人として、社会制度から離れて、男女
の関係(婚姻をも含め)を真剣に希求実現した事は、かつてなかったというのが、
正しい表現と思えますが、いかが? これからが楽しみです。  ネット名 X