Sky00042 干支(えと)の命名法についてお尋ねします。


#0000 sci4334  8911231202

 みなさんこんにちは。今日は一つみなさんのお知恵を拝借しようと思い、筆(キーボー
ド?)をとりました。
 実は、僕、中国文学を勉強しているものなのですが、中国古代の暦法で、一つどうして
もわからないことがあります。それは、干支紀年でいう「辰年」とか「巳年」が、いった
いどのようにして命名されたかという問題です。
 手元にある概論書によれば、

  干支は、木星(太歳)がその年、12宮(黄道360°を1宮30°ずつ12に区
 分したもの)のいずれを通過するかによって決まる。木星の公転周期は約12年で
 あるから、約12年で12宮を一巡する。

と説明されていますが、文系の悲しさ、何のことかさっぱり分かりません。そこで、

  @黄道とは何か?(黄道が、太陽の見かけ上の公転周期だということだけは分かるの
   ですが、それを実際どうやって測定するのかが分からないのです。)
  A木星が黄道を通過するというのはどういうことか?
 
という2点について、みなさんのお知恵を拝借したいと思います。
 どうかよろしくお願いいたします。
                     理科・算数がとっても苦手な
                                  鈴木


#0001 sci3842  8911240126

 干支と木星の公転を関連づけるというのは初耳です。
木星の公転周期は、正確には11.862年であって、それで
干支を定義するとしたら、正確に12年で一回りはしな
いと思うのですが……。それに、黄道12宮の概念も、
西洋のもので東洋の十二支とは関係はないだろうと思い
ます。
 十二支の由来については、私にはよくわかりませんが、
黄道についてならお答えできます。
 天球の上を動いて行く(あくまで見かけ上)太陽の軌
跡をプロットしたものが、黄道です。昼間は星は見えま
せんが、実は太陽の後ろには星々が輝いているわけです。
でもって、一日が経過すると、そのぶん地球は公転しま
したから、太陽のバックになる星座も、少し位置を変え
ますよね。そんなふうにして星図の上を動いて行く太陽
の軌跡が、黄道です。黄道は、天の赤道と約23.5度
の傾きをもって交差しています(地球の自転軸が傾いて
いるため)。
 それから、Aですが、「木星が黄道を通過する」とい
う表現は正しくありません。12宮のどれかを通過する、
というべきでしょう。前述の通り、木星は約十二年で太
陽のまわりを一周します。それを地球から見ると、星座
は動かず、木星が十二年かけて、天球の上を一周してい
るように見えるわけです(その軌跡はほぼ黄道上を通る)。

 ただし、これを使って干支を定義することは、あまり
に不正確なのでできそうにありません。鈴木さんは、何
の本でこの記述をご覧になったのですか? おそらく、
「そのとき太陽が通過している星座」という黄道12宮
の定義からの類推とは思われますが、古代中国人がその
ようなことを考えていたとは思えません。
 かといって、どこから「干支」などという発想が湧い
て出たのかは、私にもよくわからないのですが……。

             あるふへいむ


#0002 sci3448  8911260111

干支の命名については、昔話みたいなのが
ありませんでしたっけ?
神様が動物に競争をさせて、ゴールインし
た順につけていったというのが。
それで、猫がいいところまでいったんだけ
ど、途中で何かに引っ掛かって12位以内
に入れなくて...
だから十二支の中に猫は入っていない、と
か何とか...

あったかどうか保証は出来ませんが...

  天文とは無関係な話で申し訳ありません  Ohno


#0003 sci3842  8911270026

 Ohnoさんの話は、たぶんあとで作られた物語だと思います。
私の知るところによると、干支というのは最初は動物とは何の関係
もなく、あとから動物があてはめられた、ということらしいのです
が。
                    あるふへいむ


#0004 sci1004  8911270048

実はぼくも,古代の人がどのように黄道を星図に描いたのか,
その技術的具体的な方法を知りたいと思っているんですが,
なかなか資料が見つからないのですよねえ.

やはり,太陽の南中時と星の南中時を半年ずらしてプロット
するのかなあ.

社務猫


#0005 sci4334  8911271055

あるふへいむさん

 はじめまして。新入会員の鈴木と申します。
 僕のとんちんかんな質問に、さっそく懇切丁寧なご教示とご指摘をいただき、本
当にありがとうございます。
 前にも書きましたように、僕は自然科学が大の苦手で、天文についても、太陽と
月以外はみんな同じ星に見えるといった不届き者!ですから、せっかくご説明いた
だいてもはたして理解できるかどうか不安だったのですが、あるふへいむさんの懇
切丁寧なご教示とご指摘によって、問題解決の糸口が少し見えてきたような気がし
ます。
 さて、ご指摘いただいたいくつかの点につきまして、その後、僕なりにいろいろ
と調べてみましたところ、おぼろげながらではありますが、次のようなことがわか
ってきました。

 1.古代中国にも、紀元前4世紀ごろには、すでに西方における「十二宮」(zodiac)
   同様、黄道帯を12分し、それによって太陽および太陽系惑星の運行を説明する
   「十二次」という天文概念があった。
 
 2.天体観測の技術がいまだ未発達であったために、木星の公転周期が11.862
   2年、すなわち12年よりやや短いことに気付かなかった古代中国人は、木星が
   「十二次」上のいずれの位置にあるかによって年を表現する「歳星紀年法」(「
   歳星」とは木星のこと)を一時期採用していた。また、この誤差によって、86
   年に一度木星が星次を一つ飛びこしてしまう現象を「超辰」と呼んだ。
 
 3.古代中国には、純粋な天文概念である「十二次」のほかに、「十二辰」という方
   位概念があった。これは、黄道帯を12分し、時計回りに十二支を配当したもの
   であるが、その後、これが「十二次」に代わり、「紀年法」の単位として用いら
   れるようになった。今日にいう「干支紀年法」の原形である。ところで、木星の
   運行は時計とは反対回りであるから、その運行を方位概念である「十二辰」によ
   って表わしたのでは、十二支が逆行することになる。そこで、古代中国人は、木
   星の運行に逆行する「太歳」という仮想の惑星を設定し、それによって十二支が
   順行する紀年法を実現した。

 以上の、3点です。
 詳細は、やや長文になりますので、後日、次ページ以降に書き込むことにします。
お時間がありましたら、ご一読ください。
 最後に、ご質問の件ですが、僕が見た本といいますのは、『古代文化常識』(山東
教育出版社,1983)という、中国から出版された古代文化に関する概説書で、天文関
係の本ではありません。中国の天文と暦法に関しては、ずいぶんと数多くの研究書が
出ているようですが、いかにせん、天文に関する基礎知識のない僕には、どうにも歯
が立ちません。何かわかりやすい入門書でもありましたら、ご紹介くださいね。
 それでは、
                     おかげさまで「黄道」とはなにか
                     何となくわかったような気がする
 
                                鈴木


#0006 sci3842  8911292225

 どうも。あるふへいむです。
 さて、干支についてですが、私なりにいろいろと調べた結果、次のようなことがわ
かりました。
 まず、「干支」とは、ごぞんじの通り十二支と十干を合わせて呼ぶ言葉で、「干」
とはすなわち「幹」であり、「支」はすなわち「枝」を意味しています。本来は十干
は日付を表すのに、十二支は方角を表すのに用いられていたのですが、やがて二つを
組み合わせて
「六十華甲」として日や年を表すようになったそうです。

 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸という十干と、
 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支の文字は、すでに
殷の時代から使われていたそうで、由来はよくわかりません。
 また、十干を甲=きのえ、乙=きのと……と言ったりもしますが、これは漢の時代
以後に五行(木、火、土、金、水)と陰陽(剛、柔。日本では兄[え]と弟[と])
の思想を十干に及ぼしたもので、本来は関係がなかったそうです。
 次にいよいよ本題の十二支と星との関係に移ります。ここで「月建」という概念が
登場します。月建というのは、毎月のはじめに北斗七星の柄がある方角を指す、とい
うことでして、その方角を十二支で表すのです。北を向いていたら「子」、西を向い
ていたら「酉」などとなるわけです。そして、それぞれの月を十二支の名を取って、
「建子の月」とか「建酉の月」とか名づけていたのです。北斗七星は、北から東、東
から南と右回りに回るので、方角を指し示すときの十二支の順は右回りになっていま
す。

 しかし、北斗七星は天球に対して不動ですから、これだけでは星座を十二支で表す
ことはできません。そこで「十二次」という概念が現れます。これは十二支とは別に、
天の赤道を十二の分野に分割したもので、玄こう(こう=木へんに号)、星紀などと
いう名前がついています。この十二次は春秋戦国時代に成立し、歳星(後述)や他の
惑星の宿る位置を示し、吉凶を占うのに用いられましたが、前漢ごろになると、十二
支と関係し、天の区分もまた、十二支を用いて行われるようになりました。

 そこで、十二支とも大きな関わりを持つ「歳星」なのですが、これが鈴木さんも述
べられた木星のことです。木星は前にも書いた通り、およそ11.86年で全天を一
周するので、木星の位置でその年の十二支を知ることができるのですが、二つだけ困
ったことがあります。
 一つは木星の動く向きです。前述の通り、天球上での十二支の順番は、東から西へ
とつけられています。ところが、木星は地球と同じく太陽の回りを西から東へと回転
しているので、天球上を西から東へ動くことになります(順行の場合)。となると、
子の年の次は丑の年でなく、亥の年にならなくてはなりません。
 もう一つは、前に私が書いたように、木星の公転周期は正確には十二年に少し満た
ないので、十二年で0.14年分、82.64年たてばちょうど一年分十二支がずれ
てしまうことになります。鈴木さんも書いていたように、これを「超辰」と呼んで、
古代の中国人も知っていました。ただし、彼らは超辰は百四十四年に一度起こると思
っていたようですが。
 これを正常化するために、彼らは「太歳星」という概念を編み出しました。陰陽説
に基づき、陽である歳星に対する、陰の太歳星という目に見えない架空の天体を作り
出したのです。歳星(木星)が子、亥、戌と左に進むのに対し、太歳星(別名、歳陰)
は子、丑、寅と右に進みます。加えて、「超辰」などという非合理な現象も起こしま
せん。かくて、十二支は年の順番を示すのに使われるようになったのです。ちょうど
前漢の時代であったといいます。

 というわけで、十二支は本来は木星と関わりがあったのですが、年の順を表すのに
使われるようになる段階で、一支とばすなどという非合理な現象を排除するために、
木星との関係を断ち切ってしまったようです。
 なお、「なぜ十二に分割したか」というと、一年に月の満ち欠けが十二回あるため
です。「月建」での方角の定義がその証拠です。
 また、十二支以前の「十二次」ですが、これは源は西洋の十二星座と同じです。オ
リエント地方に発生した十二星座が、西洋と東洋へと伝わったもののようです。この
十二星座ももちろん月の満ち欠けと関係していますので、結局「十二」という数字は
月から来たものなのです。

 最後に十二支と動物の関係について書いておきます。これは中国だけでなく、イン
ドやペルシャにも見られるもので(ただし、インドでは虎の代わりに獅子、ペルシャ
では竜の代わりに鰐)、発生したのはインドです。インドの経典に「大方等大集経」
というものがあって、そこに鼠、牛、虎といった十二の動物が一日ごとに自分の部族
を教化する、という伝説が書かれているのです。これが中国に伝わって十二支と結び
ついたもののようです。

 参考文献は、中村清兄「宇宙動物園−−干支のルーツを探る」法政大学出版局です。
干支の動物たちとその由来についてとてもわかりやすく書いた本です。

                  以上、あるふへいむ でした。

 最後になりましたが、長い文章を読んで下さいまして、ありがとうございました。


#0007 sci4334  8911301320

あるふへいむさん
 
 長文のご説明ありがとうございます。こんなにも丁寧に説明いただけるとは思って
もいませんでした。さすがはサイエンスネットだな、と感服しております。現在のパ
ソコン(ワープロ)通信ネットの多くは、気軽なおしゃべりの場としては非常に楽し
いのですが、内容的には必ずしも充実しているとはいえず、人によっては「パソコン
通信=不毛」などと手厳しい意見を述べられる方もいらっしゃるようですが、その点、
このネットは会員のみなさんが真摯かつ親切、丁寧なので、とても心強く感じており
ます。
 さて、ここでは前回の関連発言に続き、1〜3に関するまでの詳細報告を行なおう
と思っていたのですが、あるふへいむさんのご説明のおかげで書くことがなくなって
しまいました。正直なところ、書かなくてよかったなあ、と胸をなでおろしておりま
す。やっぱりわかっている人が書くとわかりやすいですね。
 ただ、このボードをご覧になっている他の方のために、各研究書の中から関連箇所
を抜粋し、1〜3に関する詳細報告にかえさせていただきます。今回はまずその@、
1.「十二宮」と「十二次」から。


【関連発言5に続く詳細報告@】

 1.「十二宮」と「十二次」

  西方の「十二宮」と中国の「十二次」について、薮内清博士はその著『中国の天
文暦 法』(平凡社,1969)の中で、次のように説明されています。

   「天文学が精密科学となるためには、天体の位置や運行を数量的に表現するこ
  とが可能とならねばならぬ。そのためにはまず基準となる座標系の確立が必要で
  ある。中国の場合には古くから赤道を基準とし、これを十二等分した十二次と、
  かなり不規則に分割された二十八宿との二種が考えられ、これらを基準にして天
  体の運行と位置が指示された。‥‥‥
   十二次は『左伝』においてもっぱら歳星(木星のこと〜引用者)の位置を示す
  のに用いられており、いま新城博士の説(新城新蔵『東洋天文学史研究』版元不
  明(1928)〜引用者)に従って『左伝』の歳星記事を前四世紀よりの逆算とみるな
  らば、歳星記事と結びついた十二次の成立はおそくも前四世紀にさかのぼる。
   十二次は二十八宿とならんで、ほぼ同じ目的をもつ一段低い精密度の観測に有
  効なもので、従って両者を併用する必要はなく、そのいずれかがあれば十分であ
  る。他の古代文明民族のばあい、バビロンでは二十八宿が使われずに黄道十二宮
  がもっぱら使われた。この十二宮は、黄道を基準としている点で、赤道を基準に
  した中国の十二次とはちがっているが、周天を十二等分する点では全く一致して
  いる。またインドではヴェダの時代から二十八宿が使われており、西暦紀元後に
  はじめて十二宮が併用されるが、これは全くギリシア天文学の輸入による結果で
  あった。これらの点を考えると中国において二十八宿と十二次が併存する事実は、
  インドのばあいと同じように、十二次は西方から伝わった十二宮が中国でいくぶ
  ん修正されたのではないかとの疑問を持たせる。」(p.46〜49)

 以上をまとめてみますと、

  @古代中国では、紀元前4世紀、すなわち戦国時代以前から、「十二次」という
   天文座標系が用いられていた。
  A「十二宮」が黄道を12等分したものであるのに対し、「十二次」は赤道を1
   2等分したものである。
  B「十二次」は西方から伝わった「十二宮」がいくぶん修正されたものと考えら
   れが、いまだ定説はない。

  ちなみに、「十二次」の「次」とは「宿る」という動詞、あるいは「宿りの場」
とい う名詞で、「二十八宿」の「宿」と同様、日々刻々旅を続ける星たちの「宿り
の場」と いう意味でしょう。
 
 ところで、天体の動きをシュミレートできる、何かよいビデオかソフトはないので
しょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいね。
 
                高校のとき、もっと勉強しておけばよかったと
                いまさらながら後悔している
                                 鈴木


#0008 sci4785  9006222234

  これだけ詳しい議論が成された後で今更の感がありますが...
  干支についてのお話の件で,
  猫は途中で何かにひっかかったので干支に入れなかったのではなく
  神様の所に集る日をネズミが一日遅く教えたからです.
  だから今でも猫はネズミを目の敵にしているのです.
  牛が二番目なのは,牛はもともと自分がのろいのを自覚していたので
  前日から出かけていたのです.
  それなのに二番目になったのは,ネズミが牛の背中に乗っていて
  ゴール直前で牛の背中からおりて走って行ったからです.
  だからネズミが一番なのです.


#0009 sci4785  9006222238

  上の書込に名前を書き忘れました.
                     TOTORO


#0010 ultra7   9006241931

 良いですねええ。どことなく「学術的」なこういう話は
 旧ネットを思い出しますねえ。ホコホコ・・・・

 などと、老人笑いをしていても仕方がない!!

 十二支ですが、あれ国によって確か差があると記憶してます。
 例えば、「猫」ですが、確かベトナムの十二支には入っていた
 のではないでしょうか。

 どうでもいいけど、こういう話になると必ず顔を出してしまう
 金神であった。


#0011 sci1213  9006252246

そういえば、昨日TVで、帝都物語の作者が
桃太郎で鬼をやっつけに、いくのになぜ猿・キジ・犬であったか
という話をしていたのですが、鬼門は、牛と寅の間で、その鬼門
の反対側が、猿・鳥・犬であったからだみたいなことを言ってま
した。

なかなか奥の深いものなんですね

ゆうがん


#0012 ultra7   9007012004

 ええ、それ陰陽道のほうでは、良く聞く「桃太郎」の解釈ですね。
確か、小笠原某とかいう陰陽道研究家が唱えた説だったと思いまし
た(この人、もう、死んじゃったけど)。
 
 前に誰かが書いてたかもかもしれませんが、鬼がなんで角はやし
て、虎のパンツはいてるかっていうと、鬼門が丑寅の方向だから、
牛の角に、虎のパンツなのだとか、いざなぎ、いざなみが最初に国
を作るとき、あまのさか矛の周りを、なぜ、いざなぎが(確か)右
回りで、いざなぎが左周りに回ったかというと、右が陽で左が陰だ
からとか、その他色々この陰陽道の見方で見ると、一見不思議な日
本の習慣の「謎」が解けるとか・・・・いいますね。
 
 そういえば正式名称は、丑寅の金神であった、コンジン


#0013 sci1213  9007032217

そうかぁ、丑寅とウルトラをかけたのかぁ
今ごろ気がついた、

ゆうがん