Pol00047 蛮流 日の丸論

#0000 sci3095  8905200632

 日の丸・君が代は国民統制に繋がると言うが、 もしも、国家が危なくなった場合、
国民統制ができないほうが怖い。
 沖縄で国旗を焼いたのがいたらしいが、それに拍手喝采を送るものまでいるらしい。
思想は自由だが、それが正しいと信じれば、既存のルールや秩序を無視しても良いの
か。恐らく、権力側がやれば烈火の如く怒るのは彼らだろう。
 ところで、日の丸・君が代は戦争とかの象徴であるのか。書物によると、君が代は
知らないが、日の丸はその昔から有ったらしい。もしそうだとすると、(してくださ
い),誰かがあの象徴に祭り上げたのだ。さらにそうだとすれば、国旗反対者は、同
時に、祭り上げた連中も批判すれば良いのではないか。
やれば、自分も同類だから自己矛盾してやらないのだな。これが。
 岸さんが、今の竹下さんもそうだが、嫌なら批判は自由だが、選んだ人が沢山いる
からしょうがないんだな。(民主主義のためか?)ところが、その人及びその人の党
に投票しないのなら立派だが、投票しても、投票した人を批判する人がいるのだな。
しかしこれも、投票をした人を批判することはしないんだな。「社会の木鐸」もやら
ないんだな。お客さまに文句をつける商売人はいないから。
 反権力が全て正義と這わんばかり顔をする人は、それが権力になってしまったとき、
どんな顔をするのかな。

#0001 sci2100  8905202309

 私にはたぶん、あなたの言われる秩序も既成のルールもないのでありましょう。
 しかし、私のいちおう日本国民ですけど…。
 いつも疑問点ばかり並べつらねて申しわけありませんが、どうかお答えを。

 以下の書き方、私ハッキリ言って嫌いなんですが、しょうがないのでこういう
書き方にさせていただきます。
 さて、、、

>日の丸・君が代は国民統制に繋がると言うが、 もしも、国家が危なくなった場合、国
>民統制ができないほうが怖い。

  まず、国家が危なくなった場合というのはどういうことを言うてるわけですか。
 ソ連が攻めて来るなんて言ったら、大笑いしますけど。
 石油ショックですか? 暴落ですか? 食料輸入停止ですか?
 あなたの言っている「危なくなったとき」がどれかによって、いろいろ違って
きます。それに、「危ない」ときに、「日の丸」が何か強い武器にでもなる言う
んですか? 国家が危なくなった場合の統制は、現在の日本においては純粋に経
済的統制、経済制約という形で表出するのであって(石油ショックを覚えていま
すか?私は覚えていません)、君が代・日の丸に関して文部省などが言うような、
精神的統制と何らかの関連があるとは思えないのですが。
 本当に危機がきたとき、日本なんざ何も言う余地ありません。日の丸や君が
代があろうがなかろうが、有無を言わさない経済的閉鎖状態に陥るのが考えられ
得る最大の危機でありましょう。
 もっとも、日本は石油ショックの時を見ればわかる通り、先進諸国の中でもも
っとも適切な処置により、それらを有効に乗り切ってきた過去があるわけです。
 そういう意味で、日本国民は、有事の際にはちゃんと”統制”でき得る国民で
はないでしょうか?(おおっと危ない発言)
 3095さん。この有事の際、国家の危機をおっしゃるのなら、具体的なデー
タとか、具体的比喩とかをもって説明してくれませんか。わからないんです。前
提が。
 では、質問を続けます。

>思想は自由だが、それが正しいと信じれば、既存のルールや秩序を無視して
 も良いのかをドイツなどに適用すると、こういったヘンなカタチにならざるを得ないと思う
のです。
 あと、君が代に関してですけれども、まさかあれが「国歌」だと思っていられません
よね? そのへんがちょっと不安だったもので。
 日の丸・君が代のの中でも、特に君が代の場合は、千代田区に住んでいる名字のない
世にも珍しい家族の歌ですし、それを国で歌うという根拠のなさとかあるので、そのヘ
んはハッキリさせておいて下さい。どっかの家族の歌を国民が公的機関も含めた場所で
歌うなんていうことは、少なくとも他のどの国にも見られない、誠に民主主義を逸脱し
た”既成のルール”ではないでしょうか。少なくとも、その部分においては民主主義で
はありませんね。日本は。

>投票をした人を批判することはしないんだな。

 投票するような人を批判する人もいるでしょうね。少なくとも、私は批判しますよ。
 また、投票した人を批判する方法論と、投票された人の権力の行使に関して批判・
監視するという方法論が存在するわけですから、あなたの言い方はまったく片手落ち
のように思われるふしがありますが。

 ま、君が代やら日の丸やら自民党やらが全て正義と這わんばかり顔をする人は、そ
れが本当に危機になってしまったとき、どんな顔をするのかな。

 どんな顔をしているのかな。
ぼの

#0002 sci1009  8905202319

沖縄では、既存のルール・秩序は、
君が代とか日の丸は表に出さないことではなかったでしょうか?
国体がくるというので米軍用地を借りて会場にすることで
なんとか折り合いを付けた、
ところがソフトボール協会とやらが、
その努力を無にする「日の丸を掲げよ」要求をしたために、
村側はさらに譲歩することを余儀なくされた。
文部省の通達もそれまでの沖縄でのルールを捨てて、
日の丸君が代を表に出すよう求めるものだった訳です。
単に気に入らないから火を付けたといったものとは思えません。
ああ乱文失礼。   sci1009:狩野

#0003 sci3095  8905210318

  国民統制について
国家が危機に陥るのは、自分の乗った飛行機が墜ちる可能性に等しい。いざとなれば、
統制ぐらいは出来るだろう。いいたかったのは、日の丸の話になると必ず、国民統制、
さらには戦争の話になる。少なくともこの国では、その言葉を聞いて良い印象を持つ
人はいない。そして、反日の丸派は、自分たちは「民主主義」なるものを守っている
というような態度をとる。口に出すのが、「反戦・平和」。
なぜか、水戸黄門を思い出す。これで、「民主主義」なるものが守られるのかなあ。

 君が代について 
敢えて期待に応えて(?)、今まで国歌でないと思ったことがないから、これからは
国歌であると思うようにします。

 その家族について
我々の祖先の時代も、あの方の祖先が日本の象徴であった。その制度は、途切れるこ
とはなっかたし、そのチャンスがあっても、我々の祖先はそれを廃止するどころか、
それを守ってきた。米ですらあのとき廃止しなかった。こうしたことを、先人の伝統
の知恵の一つとかと呼べば、我々はそれを軽視することは出来ないだろう。 今の憲
法を作るときでも、先人はそれを残した。国民の総意かな。

自民だけを信じる奴も困ったことだろうが、それ以外にもいるだろう。
まあ、世の中一色よりも、変わったのがあったほうが面白いわけで。

#0004 sci2100  8905210442

 3095さん。申し訳ありませんが、私の関連発言を再度
チェックしましたら、「ドイツ」というところで文章がつながっ
ていませんでした。アップロード時に、モデムが文字を落としたものと
思われます。以下、アップロード時にウエイトをかけて、文字落ちしな
いようにしたものを、再度アップしますので、そちらをご覧下さい。

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 以下の書き方、私ハッキリ言って嫌いなんですが、しょうがないのでこういう
書き方にさせていただきます。
 さて、、、

>日の丸・君が代は国民統制に繋がると言うが、 もしも、国家が危なくなった場合、国
>民統制ができないほうが怖い。

  まず、国家が危なくなった場合というのはどういうことを言うてるわけですか。
 ソ連が攻めて来るなんて言ったら、大笑いしますけど。
 石油ショックですか? 暴落ですか? 食料輸入停止ですか?
 あなたの言っている「危なくなったとき」がどれかによって、いろいろ違って
きます。それに、「危ない」ときに、「日の丸」が何か強い武器にでもなる言う
んですか? 国家が危なくなった場合の統制は、現在の日本においては純粋に経
済的統制、経済制約という形で表出するのであって(石油ショックを覚えていま
すか?私は覚えていません)、君が代・日の丸に関して文部省などが言うような、
精神的統制と何らかの関連があるとは思えないのですが。
 本当に危機がきたとき、日本なんざ何も言う余地ありません。日の丸や君が
代があろうがなかろうが、有無を言わさない経済的閉鎖状態に陥るのが考えられ
得る最大の危機でありましょう。
 もっとも、日本は石油ショックの時を見ればわかる通り、先進諸国の中でもも
っとも適切な処置により、それらを有効に乗り切ってきた過去があるわけです。
 そういう意味で、日本国民は、有事の際にはちゃんと”統制”でき得る国民で
はないでしょうか?(おおっと危ない発言)
 3095さん。この有事の際、国家の危機をおっしゃるのなら、具体的なデー
タとか、具体的比喩とかをもって説明してくれませんか。わからないんです。前
提が。
 では、質問を続けます。

>思想は自由だが、それが正しいと信じれば、既存のルールや秩序を無視して
 も良いのか。恐らく、権力側がやれば烈火の如く怒るのは彼らだろう。

 既成のルールというは何でしょう。
 「言論の自由」が既成のルールであったら、たとえ日の丸を燃やしたことに
拍手喝采しても、その人が具体的な破壊行動をしたわけじゃないんだから、
別に既成のルールを逸脱したわけではないと思います。

>ところで、日の丸・君が代は戦争とかの象徴であるのか。書物によると、君が代は知ら>ないが、日の丸はその昔から有ったらしい。もしそうだとすると、(してください),>誰かがあの象徴に祭り上げたのだ。さらにそうだとすれば、国旗反対者は、同時に、祭>り上げた連中も

 これは、薩長連合が、シンボリックな意味では最初に使ったといわれています。
 ゲーム、「信長の野望」の統一シーンの左下に、日の丸を持った武士がいますが、
あれなんかは嘘ですね。少なくとも、日の丸の歴史は非常に短い。
 「その昔」といっても、たかだか100年ではありませんか。実際に、ある軍隊、
あるいはある政府(的なもの)のシンボリックなものとして使われはじめたのはつ
い最近ではありませんか。
 君が代に関しては、もっとつい最近でありましょう。
 さらに、「日の丸」に対しての批判いうのは、ようするに第二次大戦における日の丸
のシンボリックな意味性、政治性があまりにも諸外国にとって侵略という意味において
シンボリックなものであったからいう意味で言われているわけです。明治維新の当時の
日の丸と、対外侵略を行ったときの日の丸の意味は違うし、それくらいわかってみんな
批判しているわけです。
 3095さん。あなたの言われる通りに考えますと、例えばナチスドイツを批判している
ドイツ国民は、チベットの僧侶を批判しなくてはならないのです。
 なぜならば、ハーケンクロイツ(卍の反対ですね)は、チベットの卍マークをヒトラ
ーが反対に変えて使ったわけですから。ドイツ国民は、ナチスを批判する際に、ハーケ
ンクロイツのシンボリックな意味合の危険性を語る際に、ナチスのマークの元となった、チベットの密教のマークを「盛り上げた」僧侶たちを、批判しなくてはならない。
 こういうふうになるわけです。
 薩長の使った日の丸と、対外侵略を行った頃の日の丸は、その政治的意味性からして
も、チベットとドイツくらいに離れていると思います。
 もっとも、日の丸に関する認識の差異といってしまえばそれまででしょうが、あなた
の論理をドイツなどに適用すると、こういったヘンなカタチにならざるを得ないと思う
のです。
 あと、君が代に関してですけれども、まさかあれが「国歌」だと思っていられません
よね? そのへんがちょっと不安だったもので。
 日の丸・君が代のの中でも、特に君が代の場合は、千代田区に住んでいる名字のない
世にも珍しい家族の歌ですし、それを国で歌うという根拠のなさとかあるので、そのヘ
んはハッキリさせておいて下さい。どっかの家族の歌を国民が公的機関も含めた場所で
歌うなんていうことは、少なくとも他のどの国にも見られない、誠に民主主義を逸脱し
た”既成のルール”ではないでしょうか。少なくとも、その部分においては民主主義で
はありませんね。日本は。

>投票をした人を批判することはしないんだな。

 投票するような人を批判する人もいるでしょうね。少なくとも、私は批判しますよ。
 また、投票した人を批判する方法論と、投票された人の権力の行使に関して批判・
監視するという方法論が存在するわけですから、あなたの言い方はまったく片手落ち
のように思われるふしがありますが。

 ま、君が代やら日の丸やら自民党やらが全て正義と這わんばかり顔をする人は、そ
れが本当に危機になってしまったとき、どんな顔をするのかな。

 どんな顔をしているのかな。

ぼの

#0005 sci2100  8905220319

 もう一つ。
 ちょっと長いです。150行ぐらいあります。

#0006 sci2100  8905220325

  レスポンスどうもありがとうございます。(といっても私が基調を開いたわけ
ではありませんが。とにかく、どうもありがとうございます)
 いま、ラジオから「君が代」が流れています。
 この君が代、これは単にある家族の歌なんですよね。それを、何でラジオが流
すのか。これに疑問があるわけです。
 あ、いまラジオから流れていたから、ふと思いました。
 というのはまた文中で…。

 3095さんの言われるところは、「日の丸・君が代というと、戦争になると
か国民統制につながる」ということが問題であろうということでしょうか。
 もしそうでしたら、これは私も同意するところであります。”日の丸・君が代
は、将来戦争につながるから”みたいな言い方は、日教組あたりがよく言ってま
すが、これは確かにおかしい部分があると思います。この場合、それを言う方も、
その論理の落し穴に気づいていない。先の大戦のように、いざ侵略開始となれば、
日の丸・君が代などという愛国単語を使わずとも、それこそ例の大戦のごとく「
日本は諸外国の侵略を阻止する」などという形でやればいいわけですし、また、
そうするでしょう。(これは極論です)
 つまり、日の丸・君が代を”戦争へ”という、未来形の懸念に基づいたシンボ
ルとして捉えるのは、あまり適切ではないと言えます。3095さんが、「日の
丸・君が代というと、すぐ国民統制・戦争の話になる」と言われるところが、日
本の将来における国民統制・戦争の懸念に対して言われ批判の言葉であれば、私
としても納得するところであります。
 しかしながら…これは繰り返すようですが、なぜ故に日の丸・君が代がマズイ
と言われているのか。
 これについての事実を整理してみましょう。

 これは、一つは狩野さんが言われたような、沖縄などにおける日の丸・君が代
の捉えられ方などがあります。被爆者にとって、原子爆弾が「ピカドン」という
言葉とカタチによって、それが恐怖と悲しみという形で覚えられていることと同
じように、沖縄の人にとっては「日の丸・君が代」という言葉やカタチが、(カ
タチいうのは、イメージですね)家族や友人を死なせてしまった、あの沖縄にお
ける米軍上陸作戦とつなげられて覚えられているわけです。沖縄に住んでいる人
の3人に1人は殺された。そして、多くの人は、米軍よりも、米軍に投降せずに
自決せよと強制した内地の日本軍将校などを恐れた、あの作戦を覚えているので
す。沖縄の人々にとって、日の丸・君が代というのは、そのような事実と結びつ
けられます。また、なぜあのような作戦が行われる必然性があったか。
 これは、天皇が終戦の半年程前の御前会議において、終戦の可能性の報告を受
けた時に、「もう少し戦って、降伏条件を有利に導け」と言ったその言葉が、沖
縄における「負けるとわかっている徹底抗戦」を行わせる大きな理由になってい
たからです。つまり、簡単に言えば、天皇が早々に降伏をすることを決断してい
れば、沖縄の3人に1人は殺されずに済んだ。こういう事実があるわけです。
(当然、広島・長崎が核攻撃を受けずに済んだ。蛇足ですが、原爆そのものは、
対ナチス機構師団用、つまり対軍隊用に使用されるはずだったのです。)
 ですから、沖縄の戦争を知っている世代に言わせれば、日の丸を燃やすという
行為は、向こうにとっての”既成のルール”であり、常識であるのです。これは、
誰も批判できる余地はないと思います。(もし、誰かが「日本国民なんだから」
と批判したら、「ここは琉球王国だった」と言うでしょう。沖縄における対内地
感情は、そこまでさかのぼられ得るのです)
 沖縄戦を体験した人は、何度心の中で日の丸を燃やしたことでしょう。
 つまり、日の丸・君が代のマズさというのは、主に”過去”における問題性と
して存在するのです。”将来の懸念”を根拠にそれらを否定しているわけではな
く、”過去の事実”を根拠にそれを否定しているのです。
 もちろん、米軍統治、そして核攻撃基地にさせられたという事実も複雑にから
んでいます。しかし、それらは、日の丸・君が代をシンボルにした日本の侵略、
そして天皇の英断ならぬ愚断がなければ、そもそも起こり得ない問題であったの
です。降伏後の基地化が避けられたかどうかはさだかではありませんが、多くの
人は殺されずに済んだのです。
 もっとも、米軍によるオリンピック作戦が慣行されたならば、沖縄の人たちと
だいぶ共通点のある、国民の日の丸・君が代、天皇観が形成されたことでありま
しょう。
 もう一つ。これと同じことは、沖縄に限らず、中国や韓国や台湾(は比較的少
ないけど)など、戦火をもたらされた土地の人々共通の”実体験”であったので
す。君が代、日の丸は、そういう人たちの強烈な「体験」であり、それを現時点
で積極的に掲揚したりすることは、”蒸し返し”でさえあるのです。
 簡単にいえば、問題は、日の丸・君が代というシンボルの下で、あまりにも残
虐なことが行われた、そしてその事実を知らない世代に、何の事実も伝えずに、
さらに君が代に関しては、公的なものであるという根拠が何もないにもかかわら
ず、それらを公的な場所で積極的に掲揚したりすることが、非常にマズい。これ
は、学術的な歴史的事実の継承(天皇じゃなくてね。万世一系は全然学術的じゃ
ないですよん)という立場からしても、過去の経過を、よくも悪くも根拠とした
上で行う日本という国家単位の外交的姿勢(特に諸外国に対するイメージ)から
しても、それを積極的に掲揚したり普及させたりするのはマズいんじゃないです
かということで言っているのです。

 日の丸・君が代を歌うから戦争になるなんて考えるのは、よっぽど恐ろしい体
験をくぐり抜けた人たちのイメージと、もう一つはわけのわからん教員の単純な
考えでしょう。(ちなみにこの場合経験した人とわけのわからん教員とを一緒に
するものではありません。前者には、ちゃんとした”精神的”な根拠があります)
 日の丸・君が代は、現時点での日本の対外イメージに関わる問題なのです。そ
れも、過去によってそのような状況が作り出されている故に、これを慎重に考え
なくてはならないということだと思うのです。
 繰り返します。
 将来の戦争につながるという言い方は、あまり説得性はありませんが、日の丸
・君が代を常識にしてしまうと、過去の戦争(侵略)に対する政治的姿勢や実際
の検証の姿勢を崩してしまうという懸念があるわけです。そういう意味では、日
の丸・君が代によって、「すぐ(過去の)国民統制・戦争の話になる」のである
ならば、充分根拠があると思います。

 そのヘンは、「日の丸・君が代まずいなぁ」と思うことをおかしいと思ってい
る方々には認識していただきたく存じます。
 正確にいえば、「日の丸・君が代」のセットですね。ちなみに、日の丸に赤い
線が入ったら、これはマクドナルドの39セットから、ビックマック+シェイク
にジャンプアップと同じ。影響力は多大なものになりますね。
(何ちゅう比喩じゃ)

 3095さん。日の丸・君が代は、賛成する側も、反対する側も、どちらにし
ても重要な問題だと思います。まさか、「日の丸の話になると、水戸黄門を思い
出す。民主主義なるものが守られるのかなあ」ってこれだけの結論を言いたいが
ために書かれたわけではありませんよね? もしそうだったら、ヘーカにシツレ
イでしょうから。

 ちなみに、天皇が私たちの祖先の象徴であったというのは納得できませんね。
 (民衆にとって、という意味ですよ)
  制度が途切れることはなくても、言われているような「先祖代々」ではあり
ませんしね。南朝・北朝。どちらが、より正統なルーツであるとされているか
ご存じでありましょう。そのルーツは決して継続的なものではありません。ま
た、意図的な暗殺、すり替えがあったというのは当然とされています。「ひと」
とその系図としては、常に連続的にその家系が「象徴」であったとはいえな
いですね。
 もっとも、その制度に関しては、ある程度の知恵があるでしょう。
 しかしながら、その制度が続いたのが先人の知恵というなら、それは支配を
るする者たちの知恵と申した方がよいでしょう。信長にせよ、薩長にせよ、結
果的には自分たちの権力の収奪のために、天皇という制度を利用したにすぎな
い。本質的な部分では、支配者にとって、天皇は決して恐れ多いものではなく、
その名を利用して自己の支配力を強化するための手段であり、民衆にとっては、
その支配者を”経由”することによって、恐れ多いもの、貴いものとして設定
されてきたという事実があるのです。
 すなわち、天皇というのは前時代における制度中の、ある部分の支配性を支
えてきたものであり、同時に、その意味での象徴であったとも考えられます。
 特に”支配性”として利用したという点では、マッカーサーでさえ同じよう
なことをしたという事実からして、あの制度があくまでも”支配者”による便
利な制度であるという考えは、より根拠をもったものとなり得ます。
 単独の支配者が利用するという前提において、あれ程有効な制度はないわけ
ですね。だからこそ、天皇制は、3095さんの言うところの「水戸黄門」の
ように、天皇が後ろにつけば有無を言わせないぞというような、単なる支配装
置として存続したと言えるでしょう。
 また、天皇制は、本来的にどのような制度であったか。
 差別構造です。
 生まれながら貴いとされる人間がいるから、生まれながらに差別される人間が
 いる。
 支配装置が明確であればあるほど、その政治形態においての区別、同時に社会
的差別というのも助長されるのです。
 この点、確かに、先人の”支配層”の伝統として軽視はできない。それ故に、
検証はしなくてはならない。特に近代天皇制は、問題視での検証が必要であろ
うと思います。
 特に、明治時代からの天皇制は、「近代国家」になってから、なぜそれが力を
得てきたかという問題、そしてそれが諸外国への侵略として利用されたという面
において検証する必要があると思います。

 その検証・考察がなくして、単に「昔から続いたから」「先人の知恵だから」
いうて流すのは、私にとっては理解できません。
                                                               =ぼの=

P.S ちなみに、私はノンポリです。あ、それと3095さん。ハンドル名を
    つけていただけませんか。

P.P.S そうそう。天皇制が先人の知恵で、おそろかにしてはいけないと
      いうのなら、あなたは天皇という存在の反対の極に存在し続けた、
      エタ非人と言われた人たち、被差別部落の人たちに対する差別に
      対しても、「先人の知恵」という言葉を使って、「もっと差別を
      しよう」と主張してはいかがでしょう。
      恐れ多くも、天皇制という制度は、それらも包括し、差別構造を
      作り出してこそ、その支配装置としての機能をまっとうできるの
      ですから。もちろん、それが象徴天皇というかたちに成り変わっ
      ても、結果的には被差別部落への差別が、より「象徴的」で、感
      覚的で、根拠のない差別へとつながって行くわけですからね。
      アキヒト氏や日の丸や君が代を擁護したいのなら、それくらい
      主張していただけませんか。

#0007 sci2100  8905222318

ちなみに、私はいわゆる「アカ」は嫌いですので、
誤解なきよう。共産党よりも、自民党の方が好き
ですよ。ただ、その歴史解釈の合理性というところ
において、まぁアカちゃんに似通ってしまうのかも
しれませんが。くれぐれも、天皇制廃止論=日共とい
う定義はしないで下さい。何か別の基調にそれらし
き断定発言が書かれていましたので。

#0008 sci3197  8905240035

ぼのさん、天皇制についてずいぶんしっかりしたお考えを、持っているのですね。
私めは、あなたのRESを読んで仰天しました。あと3回読んで自分の、天皇感に
ついてもう一度、考え直して見たいと思いました。私めは、そこまで考えたことも
なかったし知識も有りませんでした。

沖縄の人達については、ぼのさんと全く同感であります。一方3095さんのご意見も
その心情は理解出来たのです。

要するに、この問題について、そこまで真剣に考えたことが自分自身なかったので、
RESのしようが、有りません。勉強になりました。感謝します。
                            ひめだか

#0009 sci2100  8906051938

あややや

 いや。どうもすんません。

ぼ