nat00086 「かわいそう」のこと

#0000 sci3395  8907100723

日常的に我々が突き当たる「かわいそう」について、考えてみませんか?
「痛みの話」や「闘牛」のコーナーを拝見するうち、どうしても皆さんの意見を
聞きたくなってしまいました。
以下、関連1にて       MUTA

#0001 sci3395  8907100728

「闘牛」のコーナーでしたか、「理想は、霞を食って…」という書き込みを拝
見した時、私の中でいろいろな記憶が駆け巡りました。
 小学校時代、宮沢賢治ファン(なんて言ったら怒るだろうナ)の教諭に受け
持たれたこともあって、私自身「霞を食って生きたい」と思っていた事があり
ました。でも、今では、この正反対の考え方になっています。
 また、私の大好きな人が、「親元を離れたら、菜食主義をする」と言いだし
た事がありまして(彼女は当時学生)、そのあとおよそ2時間に渡って話し合
い説得した、なんて過去もあります。

 我々人間には、ある種共通の罪悪感があります。(キリスト教では「原罪」
なんて言葉でひとくくりにし、かえって曖昧な位置づけをしていますが)自分
が存在するために犯さねばならぬ殺生に対する感情です。
 私は、この「かわいそう」という感情に対し、かなりの危機感を覚えるので
す。環境問題を憂う方々の中には、「霞を食って」派もかなりいらっしゃると
思いますが、いかかでしょう。その考えの根底にある(と私が勝手に推察する)
「かわいそう」というヤツについて、ちょっと突っ込んで考えてみませんか?
人間の愚行の、かなり重大な根本原因とつながっているような気がするのですが。

 私はこう思います。
「理想は、野を駆ける獣を殺し、その鮮血を浴びながら肉を食らい、己の全身
でその美味さを堪能する事」と。

ご意見をお聞かせください。

やた!ついに私も基調ってしまった    MUTA
ps:
  ちょっと、かたーい感じの書き方になってしまいましたが(アガってるの!)
  もっと、広く「そういえばこんな時、かわいそうって思うけど…」みたいな
  話もお聞かせください。なにとぞ、何卒よろしくぅ!

#0002 sci3177  8907110030

res:MUTAさんへ

 初めての基調発言おめでとう御座います。是非、ドンドン書いてください。
しかし、この話題は答え難いですね。支離滅裂になってしまいました。

 ぢつは、私は「殺生は仕方の無いことだ」と考えております。自分が存在して
いるが故の殺生というのは、自分が存在する為に「絶対に」必要なことではない
でしょうか?「かわいそう」というのはその存在の上に成り立っているものです
から、仕方が無いことです。

 自然の状態で肉食動物が草食動物を食っているのを見て「かわいそう」と思う
人が、どうして草食動物が草を食っているのを見たり、自分が菜食をしていて、
草を殺生していて可哀相だと思わないのかって不思議ですよね。これって、神経
を持っている有機体は壊してはならないというところに行き着くと思うのですが
なんかおかしいような気がします。

 「神経を持っている有機体を壊すことに対する感情」が、可哀相ということに
なるのでしょうか?なんか、変じゃないですか?僕は可哀相というのは人間の勝
手な感情だと思うのですがどうでしょう?この感情って何処から生まれたのでし
ょう?不思議だなー。たぶん、「自分が殺されたくないから、人間社会の間で、
汝殺す勿れという戒律を作った」のがその始まりではないかな?しかし、それも
おかしいですね、だって僕だってそれ抜きで殺生の場面って見たくないもん。

 あー、考えていると気が狂いそうになるなあー。だれか、巧く言える人はいま
せんか?お願いします。
                              TTT

#0003 sci3395  8907120247

 TTT閣下、私の晴れの門出(どこが?)にお言葉を頂くとは、恐悦至極で
ありまする。ウルウルウル   NZ゜

 そうなんですよね。「菜食主義をする」少女には、結局最後まで言わなかった
んですが(彼女は自分の論拠に「かわいそう」があることを自覚してなかった)、
菜食主義を主張する人の中には、「(殺してはいけないという)生き物」の中に
植物を入れない方が結構いらっしゃるように思います。
 ただ、「かわいそう」は仕方のないことだ、という考えにも、多少の疑問をもって
いるのです。「菜食主義者が、(食用のため)植物を殺すことに罪悪感を感じない
」こと自体には、それほど抵抗を感じません。ちょっと、変に思われるかも知れ
ませんが。私が、菜食主義者に言いたいこと、というのは、
「補食のために殺された動物に対し『かわいそう』なんて言ったら、その動物が
かわいそう」だけなんです。

実は、この基調を開いたきっかけは
「巨泉のこんなモノいらない(クジラ編)」
に出てきた菜食主義女性キャスター
に、腹を立てた事だった?
                                                MUTA
今日はここまで。もっと、気軽に書き込んでもらってかまいません。

#0004 sci2714  8907130347

MUTAさま、TTTさま、こんにちわ。

ぱん、パン、パパン、バチバチバチパパン!  ひゅ〜ん、ドン!  (爆竹と花火)
MUTA閣下、初基調、おめでとうございます。
これからも、どんどん新天地を開いていって下さい。

「かわいそう」の感情は、自分をその対象から切り放して居るときに生じているの
ではないかな、と、今ふと思いました。第三者的立場。

もし、心底(ここまで云いきると、怒られそうだな)動物を食することを "かわい
そう" と思っているのなら、食しているひとに我慢がならないのではないだろうか。


生きるために、他の生物を取り込む(食べる)。
これは、他の生命を冒涜している訳ではありません。

でも、 "生きるため" と云う名の元に、無闇に他の生命を絶つことは慎むべきだと思い
ます。無闇に他の生命の死を無駄にする行為も慎むべきだと思います。(つまり、食べ
残し)
                        うっ、道徳の時間だ  KITA−2  ときどき  KITA

#0005 sci2956  8907170002

>「理想は、野を駆ける獣を殺し、その鮮血を浴びながら肉を食らい、己の全身
>でその美味さを堪能する事」と。

 もし私が、その立場になったら、やっぱり殺せずに、死肉をあさって細々と生きる
ような気がします。それとも、代償を払って肉をゆずってもらうかも知れません。
 でも、蝦はたたき殺すし、蝿も殺します。いや・・・やっぱり鮮血を浴びながら、
食らうかも知れないなあ・・・・本当に「かわいそう」って何なんでしょう・・・
 一般論としては、良く解りませんが、私の場合には、単に気が小さいだけの様な気
がします。自分ができないだけで、他人にもやめてほしいとは思ったことが有りませ
んから・・・それどころか、牛肉・豚肉、好物です。
 基本的には、(かわいそうとは関係有りませんが、)肉食については、養殖可能な
種類のものについては、しょうがないと思いますが、養殖できないもの、成功してな
いものについては、むやみに捕獲してほしくないと思います。
 でも・・養殖ってのも、考えようによっては、野生のものを捕獲するより、動物虐
待なのかなあ・・なんて思ったりもしちゃいます。

  何を書いているのか解らなくなりました。ごめんなさい。 Freeway

#0006 sci1060  8907180231

 MUTA閣下、初基調発言お待ち申しておりました!

 うーん、ケイケンなる仏教徒(のつもり)の阿波といたしましては、まことに
殺生は罪重きことなれば、禁じれればすっきりいたすと思うのでござるが、なん
といっても愚生自身が殺生で飯食っているようなところがあり、ジクジたるもの
がござるんですな!これが!

 さらに本朝の歴史を省みるに、殺生をナリワイとしているものを差別し蔑視す
るという事態もござったように聞いておりまする。

 特に、自分が殺生の末の肉を食っていることを意識しないで「美味しい生活」
をしている現代人は、自分のことを棚に挙げて、殺生を犯すものをいきなり「残
酷だ!」と、非難しやすい環境にいるように思えるのでござる。

 小生の知人でも、大学での解剖実習のおりに、「これは残酷だ、考え直して欲
しい」と言う一方で、肉を食べているのを見ると、「なんじゃこりゃ?」と思う
のでござる。

 幸か不幸か、現代人は自分のしている「気色悪いこと」は耳にも目にも入らず
に過ごせるようになっているのではないでしょうか?
 罪の意識、解決になるかどうか分かりませんが、感じないよりは、感じた方が
いいようにも思えまする。

 動物の虐待は、虐待する人(あるいは職業)の人に罪があると考えるよりも、
その人に罪を犯せている構造に目を向けるべきと考えておりまする。

 同様に、汚染なんかも、実際に汚染している人なり企業なりに目をむけるとと
もに、「汚染をしなきゃ、食えない」構造をどう考えるべきかにも、目を向けな
いと自分の罪を棚上げということをしかねない落し穴があるかと思いまする。

 ぎえええ!こいつはとんだお尻ムズムズものであった!
                             阿波六吉

#0007 sci3395  8907190550

>KITA−2閣下
 もしかすると、直接的には初めまして、でしょうか? 爆竹と花火による
祝福、誠にありがとうございました。私は、浴衣の女性が好みです(関係な
い?)。今後ともよろしくお願いします。NZ゚ Nz。NZ゚ Nz。←ミョウニ キニイッテ シマッタ
 実は、KITA−2閣下の「第三者的立場」発言が、かなり的をついてい
るように思いますが、どうでしょう? 例えば、自分をかわいそうと思う人
(思える人)は、自分の感じる痛みから逃げ、ある意味で自分を見捨ててい
る人だ、と僕は思っています。もうバレちゃったかな? 実は、「かわいそ
う」というのは、「痛み」と同レベルで両極端に位置するもの、という意味
で基調を行ったわけです。

>Freeway閣下
 もしかすると、やはり直接的には? よろしくお願いします。
 養殖の問題も、やっぱりシッカリ「かわいそう」にからんじゃってるな、
と、閣下の書き込みを拝読しつつ思いました。これは、阿波閣下のおっしゃ
った「罪を犯させている構造」問題も絡むので一概には言えませんが、鶏の
Nブロイラーなどの問題はどうでしょう? 最近、地鳥が見直されてるのは、
結構面白いポイントになるんじゃないかな?と思います。そして、僕がここ
でこだわりたい点は、「ブロイラーは不味い」、ということ。
「理想は…」については、理想論であって、「もし、そういう状況下だった
ら…」ではありませんので。私も結構気が小さいほうです(信じる?)。蚊
とか蝿とかを殺してしまった時にはかなり落ち込んでしまうくせに、「犬っ
て美味いのかナ?」と平気で考えてしまう人です(猫について言うと、同族
ハンドルの方から非難されそうなので、犬にしました)。
 今思えば、漫画「美味しんぼ」(以前読んでた)で筆者が持っている美学
(?)と、僕の感覚は結構近かったようです。味覚の個人差についてはよく
わかりませんが、「美味い」「不味い」という感覚は、人間の補食活動本来
の道標ではないか。そう思います。

>阿波議長閣下
 所詮は耕作隊の延長活動なんですが、そのようなものでよければ、これか
らも基調させて頂こうと思います。(しかし、基調ひらくのって、結構大変
なんですね。これを書きながら、今更ながらにビビッております)
 私は以前、殺生は最大の罪、と考えてました。そして、人殺しはその最た
るもの、と。でも、ある時期から「?」が頭をもたげてきたのです。「痛み
の話」でも書きましたが、「だいたい、なんで殺しちゃいけないの?」って
やつです(なんか、あの疑問符はシカトされちゃったみたいですが)。
> 動物の虐待は、虐待する人(あるいは職業)の人に罪があると考えるよ
>りも、その人に罪を犯せている構造に目を向けるべきと考えておりまする。
 この考え方は、阿波閣下が各コーナーで事あるごとに見せる一貫した主張
ですが、この場合は個人的に、諸手を挙げて賛成、が出来ません。なぜか?
「虐待する人に罪があると考えるよりも…」という部分です。構造に罪があ
るのは明白ですし、我々も共犯なんだ、ということは忘れられがちであり、
危険視しているのは私もおなじです。しかし、同時に「連帯責任」という感
覚が、「僕の担当の罪はその…%」みたいな減罪感覚につながる危険性も、
決して軽視できないと思います。「構造に罪がある」と言ってしまえば、こ
の減罪感覚に陥る人の方が多いと思います。
 で、ここで(というより僕が)は、なんでもない、ただ一人の「私」個人
が感じる感覚に、とりあえず今はこだわりたいのですが。

とりあえず今日はここまで         MUTA

#0008 sci3197  8907191806

この哲学的なコーナーに私のような俗物が入りこんで良いものだろうか。と思いつつ
も、かわいそうを私なりに考えて見ました。

★ 生埋めにされた、こうさぎちゃん
★ 聖火に焼き殺された鳩ちゃん
★ しらうおの踊り食い
★ どじょうが鍋の中でバタバタ
★ 養殖場で背骨を折られる うずらちゃん

とまあ、こんなとこが思い浮かびました。養殖場で働く人も恐らく最初のうちは、かわ
いそう、と思ったのでしょうが、慣れてしまえば余り感じなくなってしまうのでは、な
いかな、などと思いました。

私にとっての かわいそう は境目が自分でもよく分らないのでありました。肉は平気
で食べるし、はえ、蚊を殺してもなんとも思いません。

ただ、TVの動物番組なんかで良く疑問に感じるのは、主役と悪役の立場が人間により
かってに決められているように感じる事が良くあります。子育てをしているキツネは、
主役ですが、鳥さんが主役の時の、雛をねらうキツネは悪役です。
 
こういうのって、とても傲慢だと思いますけど。
かわいいか、かわいくないか、などで勝手に動物に対する価値を決めつける位なら、
「こいつは、人間に害を与えたから悪い」とゆう方が私にはなにか納得できるのです。
 
人間を襲ったくまさんが、撃ち殺されたのはしかたないとか、思いますが、パンダさん
が調教師に重傷を負わせたりすると「パンダに悪気はなかった」とかいうマスコミの
論調には、ちょっと釈然としないものをかんじます。
 
              はずしてしまいましたの ひめだか

#0009 sci2956  8907211200

 少し考えてみました。

 この「かわいそう」は、「恐い」と似ています。つまり、「かわいそうだから、鶏
を自分で殺して食べられない」ということは、「恐いから屋根に登ってアンテナの修
理ができない」・「恐いから、外科医にはなれない」などなど と 共通する部分が
多い。
 自分でできないことの表現方法の一種なのではないかと思ったわけです。これが極
端に走ると、菜食主義者になったり、バベルの塔の話になったり、エホバの**にな
ったりするのではないかなんて思ってしまいました。

 かなり外してしまいましたでしょうか???なんとなくこう考えるとすっきりする
ものですから・・・

        こちらこそ宜しくお願いします。 Freeway

#0010 sci1060  8907220236

なるほど>MUTA閣下
 
 いやあ!愚生の論点のワンパターン性を見抜かれてしまった!

 愚生は、やむにやまれず殺生戒を犯す者を「残酷だ、かわいそうだ」の
一言で片ずけられそうなケースを想定して「構造を」を申したのでござるが、
なるほど、殺す側が罪悪感の軽減の論拠として正当化に利用することもあり
うるとのご指摘、もっともでござる。
 その危険性確かにありますれば、なんだか「いい殺生はいいが、悪い殺生は
悪い」というトートロジーになってしまう自分が情けない。トホホ
                    阿波六吉

#0011 sci2714  8907222311

ひめだか閣下、始めまして。

ほんとに、そうですよね。自分に都合が良いときは寛容で、そうでなくなると
冷淡になるなんて。ペット動物もそうでしょう。小さいときは可愛いがるのに、
大きくなると邪魔者扱い。また、引越しでも置いていかれたり...。ほんに、
ペット受難の時代じゃ。でも、野良猫が逞しく生きているのを見ると、心の中
で「元気でな」と応援してしまう。その "野生" が好きだ。(でも、彼らが生
きていくのに必死なことを考えると、 '好きだ' なんて無責任だな。それこそ
第三者だ)

  これからも、宜しくお願いいたします。
                                             てつが苦       KITA−2

#0012 sci3197  8907232305

こちらこそよろしくお願いいたします。
                        ひめだか

#0013 sci2714  8907260046

何かを「かわいそう」と思う感情は、自分の体験に基づいているのでしょうか、どう
でしょうか。

ちょっと 'かわいそう' と内容が違うかもしれませんが、わたしの中に次のような気
持ち(気分)があります。

 1) クジラの保護に関してですが、頭では判っていてもクジラに親密感があまり湧か
ないのです。これは今まで一度もクジラに会ったことが無いからだと自己分析してい
ます。

 2) 逆に、尾瀬や広葉樹林(ブナ原生林など)のことになると、非常にイメージしや
すく、なんとかしなければ、という気持ちが生まれるのです。これは尾瀬や山によく
行ったので、その状況・雰囲気が体で判っているからだと思っています。また樹木が
身近にある為でもあるでしょう。だから街路樹が水不足で萎びているのをみた時に、
「かわいそうに」といつも思ってしまいます。街中の公園で地面がガチガチに固まっ
ているのをみても「かわいそうに」と思います。

        自分で何が言いたいのか判らなくなってしまいました。      KITA−2

#0014 sci2714  8907290231

#94 オルナタティブの関連#30 に関連して

木元閣下さま、

#94:#30 の本論とは離れてしまうのですが、石鹸水殺虫事件に抵抗があるのは、
小生察するに、事件の被害虫に親近感があるからだと思います。小生は、ゴキブ
リ石鹸作戦については実行に移す可能性はありますが、油虫に対しては作戦行動
を取らずに諜報活動のみになるかと思われます。これは小生に、ゴキブリと仲良
しになる気が無いのに対し、油虫だったら仲良くなってもいいという気持ちがあ
るからでしょう、おそらく。でも、これって閣下が #94:#30で指摘している「人
の好悪の情」そのものですね。んん〜、どうしたものか。
(でも石鹸作戦はゴキブリの崇りがありそうで恐いと思います。)

        てんとう虫も油虫を連れて移動する事があると信じている KITA−2

p.s. MUTAさま、突然のワープをお許しください。次元空間が複雑に絡み合っ
     てますので。

#0015 sci3395  8907292247

KITA−2閣下、ワープ大歓迎です。閣下の御活躍、本当に助かって
おります。
「親近感」の問題については、かなりのインパクトを受けているのですが、
ちょっとまだ、自分の言葉に出来ずに七転八倒してるんです。
クジラと森に対する我々の感覚の違い、という様なことはよく考えるんで
すが、うーん、ポイントの絞り方が巧い。なんか見えてきそう?

>青蛾閣下
お読みいただいて恐縮であります。でも、あんまり堅苦しく考え
ないで、気軽に感想とか投げ込む形でも一向に構いませんので。
私がちょっと先走る傾向があり、皆さんの声を封殺してしまっ
ってるのかもしれませんね。うーん、まだまだ青いナ…。

ここの話は、いろいろな会議での考察過程に結構絡んでくる
と思いますので、「××の発言を書いているときに思った
『かわいそう』のこと」って形で、どんどん投げ込んでいた
だければ、と甘い考えを持っています。よろしくー!

ひめだか閣下も、こりずによろしくお願いします。
                                                        屯田兵 MUTA

#0016 kimot    8907300419


 えー、お邪魔します。
 「農薬のオルタナティブ」のコーナーで、青蛾さまから、この
かわいそうのことをいろいろ考えるチャンスをたまわりました。
で、馬鹿者の愚かな考えを、しばし...

 小生の現時点の結論は、他者(他の生物)に対する「かわいそう」
という気持ちは、個人が自然保護・環境保全と人間の所行について
考える「契機」「きっかけ」として大変重要なものであり、一方で
同時に、この「かわいそう」という価値基準で自然を理解すること
は、慎むべきである、ということです。

 先日(7月28日)、近所の自衛隊のおまつりで、家内が娘にせ
がまれて、ノコギリクワガタのつがいを買ってきました(篭付きで
500円!しかも、看板が「生クワ」だって!でも、自分も縁日で
ヒヨコを買ったりしてたなー)。
 で、持って帰ってきてから、クワガタの雄が、雌の上にのっかる
行動をしていたのだそうです。小生は、ノコギリクワガタの生態を
知りませんが、交尾にかかわる行動だと思えます。これをみた2歳
半の娘は、「かわいそお」「かわいそおネェ」という判断を下した
そうです。
 ここで大切なのは、ヒトは、自分とは明かに異形の生物に対して
も、感情の移入を行える、という点です(わたしも、夕食の味噌汁
の具となる運命を台所のボールで待つシジミがかわいそうになって、
親に泣きわめいてその飼育を試みたことがあります...結果は惨
たんたるものでしたが)。同様の感情を、ヒト以外の生物に対して
抱いた経験をお持ちの方は、決して少なくないであろう、と考えま
す。
 この前提から出発することを許していただければ、「かわいそう」
は、人間が他の生物と「捕食」ないし「生存競争」以外の関係を結
ぶ上で、きわめて重要な契機であると思います。
 ヒトは、「かわいそう」というチャンネル、慈悲の回線を経由し
て、他の生物とかかわることが可能なのです。ほかにも、そういう
チャンネルを持つ生物がいるかわかりませんが、とにかくヒトにつ
いては、そういうことです。

 ところが、このような素晴らしい機能は、一方でその「サービス
エリア」の限界をはらんでいます。個人ないし集団によって違いは
ありますが、人間側が「かわいそう」と思う生物の範囲が、どこか
に境界をもっているようにみえるからです。

 身近な例でいいますと、朝日新聞のサンゴ傷つけ事件があります
(わたしは、サンゴ損傷、という表現はなんか文化財に対するもの
言いのようで好きではありません)。これは、「かわいそう」から
発想する自然観の限界ないし危険を、如実にあらわした事例である
と、現時点ではおもっています。すくなくとも、あの写真記者がサ
ンゴを傷つけるに至った動機の、背景部分を構成しているようにお
もえてなりません。
 あの記事は、そもそも、沖縄地方のサンゴがなぜ現在危機的な状
況におかれているか(その要因のひとつは、土地改良事業などの土
木工事に伴う土の流出、というきわめて人為的なものです)、とい
う視点ではなくて、ある塊状サンゴがある不心得ものによって傷つ
けられた、という視点で組み立てられています。「生態系の保全」
という観点よりも、「動物愛護」ないしは「かわいそう」という観
点に、近い立場で構成されています。

 ざっくりと傷ついたサンゴ、という構図は、どこかで人間の「か
わいそう」感覚へ接点を持とう、という企図のようにわたしにはお
もえます。

 そんな構図よりも、ホテルに隣接するリゾート開発されたビーチ
の砂の方が、よっぽど恐ろしいのかもしれません。サンゴが死滅し、
その骨格がちらばっていては邪魔だ、と、それを海の色がきれいに
見えるように計算したサイズで破砕して、できあがった、白い浜辺
...どこかの新聞で観光業者がとくとくと語っていたこんな気違
いじみた構造の方が、わたしにはよほど恐いのです。

 しかしそんな白い砂だけ提示しても、「かわいそう」という感覚
は、なかなかうまれないでしょう。なにか、目に見える生物が傷つ
いている方が、よけいたくさんの「かわいそう」のタネとなるよう
にみえます。推察だけで、個人的見解をいう自由を許していただけ
れば、あのサンゴは、まさにここで話題になっている「かわいそう」
の生産のために削られたのです。

 そして、さらに推測でものをいえば、もしもアザミサンゴの個体
の「顔立ち」が、たとえばマウスそっくりであり、かつチューチュ
ー鳴く生物であったならば、とてもではないが、がしがし削って殺
す、などというマネはできなかったのではないかと思います。わた
しには、あの記事の取材計画の出発点が「かわいそう」のことであ
り、そして取材者の「かわいそう」のサービスエリアが、実はサン
ゴにまで及んでいなかった、という2重の悲しい構造が、事件の基
盤にあったようにおもえてならないのです。

 「かわいそう」だけに足場を持つ自然・環境へのアプローチは、
「かわいそう」の外には出られない。こういう考えは、いかがでし
ょうか?
                         木元・廃

KITA−2閣下
 ヒトは、たぶん、好悪の情を、自分の生存の武器にしてきたので
はないかと思います。自分の生存にとって、不利なものは嫌悪、好
都合なものは好感、といった感覚で区分して、です。
 だから、わたしらが、好き嫌いによって生物をみることは、たぶ
ん避けられないのではないか、と感じます。

 ただ、その好悪の念が各人各様であるということから、その判断
が味覚や臭覚に匹敵する妥当性(腐ったものは、概ね味も臭いもマ
ズい)をもってはいないのではないか、と思えるわけです(もちろ
ん味覚や臭覚にも個人差はあるでしょうが)。

 そして、もっと重要な点は、こうした個体生存の「安全装置」(
かまれて死ぬのは困るぅ。だからヘビをおっかながるヒトが比較的
多い...)としての好悪の情は、実はその相手と対面している時
にのみ発揮されるものなのではないか、という点です。

 たぶん、KITA−2閣下もいろいろと腹を立てておられること
がらか、世の中には多かろうと思いますが、たとえばペットのネコ
のための安い牛肉が、南米のジャングルを伐開して、地味が痩せて
いて1頭のウシを飼うのにとてつもない土地がいり、ほとんど使い
捨ての放牧場で生産されるものである、とすれば、ここではネコ、
という身近な愛護対象と、南米の雨林という遠い対象との間で、と
てつもない差別が存在するのだといえますよネ。ムカムカ

MUTA閣下
 いきなり、めーわくな土石流のようにやってきて、好き放題書い
てごめんなさい。わたしは、娘の保育園の制服の背中に、ぼのぼの
のアップリケを縫いつけて、よいこに育つように念じています。し
かし娘は、体型ばかりぼのぼのしているので困ります。

#0017 sci2714  8907301813

木元閣下さま、

閣下のおっしゃる『「かわいそう」という価値基準で自然を理解することは、慎むべ
きである』に、同感です。感情論になると、まず解決策はみつけづらくなります。

「かわいそう」「感情がある」というのは、現在のところ絶対の基準があるわけでな
く、解明されているわけでもないので、各人によって感じ方・考え方が異なって当然
なのだとおもいます。ですが、それを基準に話をされると、その人の感覚の押し付け
にも成りかねなく、逆に感情がなければいいのかということにつながり、迷宮入りし
てしまします。わたくしも感情論でなく生態系という視点で展開したいと思います。

ただし、「かわいそう」に若干近いのですが、動物たちの福祉や苦しみについての配
慮は必要でしょう。いずれは屠殺するにしても、生きている間の生活環境や死に至る
までの苦しみを和らげるなどの配慮は是非必要だと思います。

これは「かわいそう」とか「苦しみを感じるか」ということよりも、その命に対する
感謝・尊厳の気持ちで本来行われるものでしょう。ある自然保護団体の会報(と思う)
に、屠殺場を見学しておくとよい、という投稿がありました。食卓に並ぶ肉と生命と
を結びつけて考えるには、一度は行く必要があると思っています。

『ヒトは、自分とは明かに異形の生物に対しても、感情の移入を行える』----------
自分の幼少のころを思いだしてみるに付け、子供の頃には感情移入の他に、仲間・同
類という気持ちがあるのかもしれませんね。(一方的なものだとしても)。

『「サービスエリア」の限界』--------
ん〜、たしかに自分の中にもありますね。

「安全装置」------------------------------------------------------
そうか、感情に基づく好悪でなく、防衛本能に基づくものもあるのですね。
気がつきませんでした。
と同時になにか免罪符をもらったような気持ちです。

--------------------------------------
話がそれますがネコのえさの為だけでなく、マク**ルドに代表されるハンバーガー
ショップの牛肉供給の為にも、熱帯林を開墾して放牧場が造られていると聞いており
ます。決められた時間が経過すると破棄されるハンバークの為に。プンプン

ぼのぼのアップリケのお嬢様に、よろしく。スリスリ.   健やかな成長を。
                                                               KITA−2

#0018 kimot    8907310304

KITA−2将軍閣下
 どうもありがとうございます。
 とさつにまつわる話は、本当にその通りと思います。
 ハンバーガーもそうですね、好物ですが以後気をつけます。

          あ、娘にまでお言葉を....
          どうもお心づかいたまわりウルウル
                 木元・拝

#0019 sci3633  8907310803

 私、基本的にはKITAさんの「『かわいそう』の感情は自分をその対象か
ら切り放しているときに生じる(第三者的立場)」というのに賛成です。
 突然ですが、人間には現在「天敵」というものがありませんよね。身を守る
武器や防具を持ち、本来なら自分より力のある動物を殺したり、ペットにした
り、生物の「王者」と言わんばかりに他生物の生態系まで変えてしまったり。
 言葉は悪いのですが、「怖いものなし」の優越感が「かわいそう」の感情に
つながっている気がします。「優越感」を「安心感」に変えてもいいかもしれ
ません。
 もし人間に天敵がいたら、自分もいつ「食用」として捕らえられるかもしれ
ないという危機感を持っていたら、それでもほかの生物が食べられるのを見て
「かわいそう」何て言ってられるでしょうか? 人間が野生から離れてしまっ
て、生存本能まで変わりつつあるのでしょうか?
 ただ、生存本能だからと言っても、Freewayさんがおっしゃる様に、
「養殖」や行き過ぎた捕獲は、残酷だと思います。ライオンだって、満腹のと
きは目の前にウサギがいても知らん振りするのに・・・。(そういえば養殖の
はまちの中には、「遺伝子に異常を起こし、絶対に次世代に悪影響を与える」
と学者保証付(?)のものがあるとか。こんなところで人間は報いを受けてい
るのかもしれませんね。)
 それと、魚の活け作りって、とても残酷な気がします。食べるために何かの
命を奪うのなら、出来るだけ苦しみを与えないのが思い遣りってもんじゃない
でしょうか? ぜいたくな楽しみのために、ほかの生物に余計な苦しみを与え
るのこそ、本当に「かわいそう」な気がします。
 長くてすみませんが、もう一つ。KITAさんの「親近感、あるいは体験に
基づく感情」についてですが・・・。
 「人間って、勝手だな。」と思うのが、この「親近感、あるいは体験に基づ
く『かわいそう』」の感情だと私は思います・・・。           
 日本の捕鯨が非難されるのは、他国で鯨を食する『文化』がないから。つま
り、鯨を「食物」としてみる日本と、「愛すべき動物」としてみる他国と、『
親近感』が違うのですね。だけど、それを言うなら、食べるのではなく、スポ
−ツとして楽しむ狩猟はどうなるんだ、アメリカなんて、インディアンを追い
出すために彼等の主食であるバッファロ−を絶滅させたじゃないか、それなの
に、何で日本の捕鯨を責めるんだ〜!!と思わず激してしまう私です。
 話がそれてしまいそう・・・つまり、人間は生存本能のほかに、文化をもっ
てしまった。この人間だけが持つ『文化』は、どうしても『食物連鎖』(でし
たっけ?)あるいは『生態系』を乱すことは免れない。だから、生存本能を基
本として、それ以外のことには緻密な配慮が必要である。と言うことを、多く
の人が忘れているのではないでしょうか?本能と文化をゴチャ混ぜにして、人
それぞれに勝手なことを言って、ベ−スに何を持ってくるかわからなくなって
るから、『かわいそう』の感じ方が矛盾したりするのではないでしょうか?

  ん〜、これも勝手な意見かもしれない。
  徹夜で書いたのでロレツの回らないところは許してね。
              KONEKO

#0020 sci3395  8907310851

>木元閣下
 まったく、閣下の間の良さにはすごいものがあるなぁ、と感服してお
ります。私が「この辺で木元さんがドバーッと来るといいんだけどなー」
と思っていたら、ホントにドバーッて来るんだもの。やっぱりこれは、
愛とパンクの絆のなせる技かしらん?(またバカなこと言ってしもた)

 それにしても、閣下の朝日新聞サンゴ障害事件「かわいそう」分析に
は恐れ入りました。まさにそのとーり!(肯定ペンギンってのもいたな)
という感じですね。私なんか全然考えてませんでした。

『「かわいそう」という名の慈悲の回線』という考え方、大変興味深い
ものだと思います。でも、私の場合、「かわいそう」をまるごとチャン
ネルとしては考えていないのです。
 同時に、人間が他の生物と結ぶ関係を、「補食」「生存競争」等と、
それ以外(共存、共生?)の関係で分けること自体にも、抵抗がありま
す。というよりは、「我々が、何者かと意識的に関係を結ぼうとする(
結ぼうと考える、結んだと考える)」ことを、ある種、危険視していま
す。この二つは、まったく同レベルのもので、(理性を育んだ)人間特
有の方法論だと思います。そして、最大の弱点だと。
 なぜ、あえて関係を結ぼうとするのだろう? といえば、少しは解り
やすくなるかもしれません。また、「かわいそう」は、少なくとも本能
ではない、という考え方です。
 この私の考え方は、ムズムズ会議で書いた「滝に打たれる修行者の愚
かさ」と同じ意味です。その話はまたそっちのほうで。

 そして、極論を言ってしまえば、我々が生存の武器として培ってきた
「好悪の情」は、そろそろ見直しの時期に来ているのではないか、と思
います。撤廃か、存続か、という考え方では(どっかの国の政治じゃな
いけど)キレイゴトに収まるしかないでしょう。だから、まず順序は、
見直しからです。たしかに好悪の情は撤廃など出来ないでしょうし、ま
た同時に個々で判断基準の違うものでしょう。しかし、我々はそれにひ
れ伏すことしかできないのでしょうか。私の答えは、否、です。(もち
ろん、自分に嘘をつく、という違法行為ではなく、です)

次回、『「かわいそう」の階層構造』
いつやるか和姦無いけど、乞ご期待!
          (↑一発変換が
      あんま凄いんで、
      そのままにしてしまう)       屯田兵 MUTA

PS:書き込みを読むかぎり、アップリケは
   木元閣下自身でつけられたみたいですが、
   そーなんですか? そういえば、買い物もこなしてる
   みたいな書き込みも以前あったなー。ちなみに、私の姪は、
   ミッキーにぞっこんの癖に、手足はゾウさんです。

ps2:あれー、なんか大盛況になってる。うるうる。
    わぁー、KONEKOさんだぁー。いらっさいませ!!
    上の文章は、木元閣下の土石流の時に書いたもので、流行遅れで
    すみません。なんか凄い面子になってきたなー。お返事はまた
    今度ということでお許しを。私も仕事で徹夜明けなんです。

#0021 kimot    8908010338

MUTA閣下

 どーも、おRESをたまわり、恐縮しております。
 以下に補足と再RESをば。

 「回線」「チャンネル」という語は、あいまいな使い方でしたスンマヘン。
 小生が「回線」という言葉を使ったとき、小生は、生態系の中での、
個体間のさまざまな相互作用を念頭に置いておりました。そして、相手
を食べたり、また相手から毒を受け取ったり、また相手が形成した環境
をすみかとして利用したり、といったそれぞれの関係は、それらを体験
する立場ではなく、それらを記述する立場にたてば、すべて情報のやり
とりと考えることができるのではないか、と思いました。
 つまり、「個体Aは、個体Bから、アスパラギン酸をOOグラム受け取
った」とか、「セイタカアワダチソウのこうげき ばししっ セイタカ
アワダチソウは毒であるポリアセチレン類を放出した 周囲の草はそれ
をくらって成長が阻害された」「kimotはMUTAに臓物をぷれぜんと
した MUTAは逃げだした」なんて感じでしょうかサイゴハムロンジョウダン。
 そして、情報の流路なら「回線」だいっ、と安直に考えました。

 だが、「かわいそう」というのは、人間の個体の思考内容ですから、
そいつが具体的行動にならないと、情報の流れは生じず、回線は形成さ
れませんね...というわけで、「チャンネル」「回線」という語は、
この「かわいそう」のことを論じる上で不適切だとおもうので、その旨
おわびして撤回します。ただ、かわいそうの念が行動となった局面では、
まだ有効な用語だと思いますので、そこんとこもよろしくネ、ウフッ。

 もう一点。

 「捕食」「寄生」「競争」「共生」などは、すべて種間関係として、
いわば横並びのものです。生態系のレベルでみた場合、どれがいい関係
で、どれが悪い関係だ、という判断は、MUTA閣下のおっしゃるよう
に避けるべきでしょう。ただ、自身がまきこまれる「現場」のレベルで
は、たとえば小生はクマに食われたりサナダムシにたかられたりするよ
うなことよりは、腸内細菌との共生(たぶん片利共生?)の方が受容し
やすい、という判断は成り立ちますが...

 これらの種間関係とは別の機構としてあるのが、「かわいそう」とか
「慈悲」、MUTA閣下の言葉を借りてもっと広くいえば、「我々が、
何者かと意識的に関係を結ぼうとする(結ぼうと考える、結んだと考え
る)」こと、でしょう。

 「かわいそう」はその代表格なのでしょうが(たとえば、よくありが
ちな共生という種間関係への素朴な思い入れ=いきものたちはみんな仲
良くしてるんだよぉっ、というのもこの範中に入るかも)、この機構を
小生なりに解釈(定義)しなおすと(とてもラフなもので、表明するの
が恥ずかしいのですが)、「ヒトの種内の個体間関係を制御するシステ
ムを、他の種(ないし物体)へと拡張すること」とでもなるでしょうか
(くどいようですが、ヒト以外でもこうした機構を持つものがいるかも
しんない)。
 「かわいそう」というのは、本来、ヒト同士の関係について適用され
る感情(そいつは種内闘争の抑制に役だつ)であったのが、どっこい、
いろんなもんに拡張できちゃったぜイエイっ、というところでしょうか。
そして、その拡張の範囲(サービスエリア)を決定するのが、「かわい
い」「かわいくない」判断の系、ということになりましょうか...

 ただ、種内関係の制御をしているものとしての「かわいそう」が、い
ったいどうやって成立してきたのか...その根源は、ひょっとしたら
とても深いかもしれませんし、思いのほか浅いのかもしれません(スズ
ムシが、エサが不足するまでは共食いをしないのはなぜか。逆に、悲惨
な殺人事件の加害者に想定できる慈悲のサービスエリアの縮退は、なぜ
起こるのかetc.)。

 ところで、
>我々が生存の武器として培ってきた「好悪の情」は、そろそろ見直し
>の時期に来ているのではないか、と思います。

 まったく、その通りであると思います。
 ただ小生は、そのような「いろいろな生物種をみる視点の平等化」と
いった作業に、ある程度成功したモデルとしては、次のひとつしか知り
ません。つまり、ヒトもヒルもナメクジも、すべて生きかわり死にかわ
る生命の相とみる、輪廻の考え方です。これは、「バトンリレーのバト
ンっつー点では、オケラもミミズも木元もみんなみんな友達だぞ」とい
うようなごういんな力技です。
 また、「信者」の数がまだはるかに少ないので、まだ成功例とみるの
には時期尚早かもしれないのですが、生態系の発見とその認識、という
ことも、同様の視座を人間にもたらしてくれているはずです。

 これらは、好悪の念(こいつは2歳児にもある)よりも、個人の成長
史の中でもう少し形成に時間がかかる部分での作業のようにみえます。
「好悪はあってもいいよ、あってもいいけどもーちょっとキミ、そこん
とこフカク考えてみないかね」という感じですね。
 で、これは、「自分の感覚はマア棚上げする」「自分の感覚よりは、
理屈のほうに優先通行してもらう」といった作業ですので、MUTA閣
下のいう「自分に嘘はつかんぞ」とバッティングしてしまう気がします。
小生は、ヒトの感覚はそー簡単に変化しないと考えているので、ダイレ
クトに好悪の感覚についてその改善をはかるよりも、まず理屈のレベル
でその非の部分を攻める、というのが道かと愚考つかまつりまする。

 でも、「自分に嘘はつかない」(小生の理解としては、自分の感覚そ
のものをまず改変する、という作業になろうかと思うのですが)で、好
悪問題をクリアするうまい手はありませんでしょうかのぉ?

 以下、追伸特集

>愛とパンクの絆

 いきなし、すごいあたっく、思わずけはけは笑ってしまいました(^_^;)
ところで一昨日、娘が「アンパンマン描いて」とせがむので、ふつーの
アンパンマンでは芸がいかにもないので、あの丸い頭にモヒカン風のト
サカ髪の毛をさかだて、目付きを三角形の白目にして、カミソリなんか
服にあしらって、「どーだ、あんぱぁんく、だ!」といってみせたら、
家内にだけウケました。悪い親ですね。

 アップリケは、某西武百貨店手芸売り場で購入したフェルトで自作い
たしたものであります。縫いぐるみと違い、2次元の作業なのでとても
ラクです。

 ところでKONEKOさま、いらっしゃいまし!今後ともよろしくお
ねがいします。

#0022 sci3633  8908010804

 あっ、木元様、こちらこそ宜しくお願い致します。
皆様、ご挨拶が遅れまして・・・。 通信初めて日も浅く、まだまだ未熟者で
ございますが、宜しくお願い致します。
 木元様はパンクとか・・・。で、お嬢様がぼのちゃん? ひょっとして〜、
奥様は魔女?  あ・・・我ながら古くて落ち込み・・・。失礼しました。
            KONEKO

#0023 kimot    8908011623

KONEKO様
 そういえば、奥様は魔女のタバサちゃんは、大きくなって
ランナウェイズになってしまったそうな。本名は忘れたけど、
いまごろどうしているのやら...ちなみに、家内はあまし
器用ではないので、鼻ぴょこぴょこ、などはできませんし、
てんぷらもできません。魔女だったらてんぷらを作れてもい
いと思うのですが、もっぱら私が揚げています。というわけ
で、たぶんてんぷらを揚げるぱんくす、というのは非常にお
まぬけなものがあるので、わたしは実はぱんくではありませ
ん。
   はっ(われにかえる音)一体僕は何を書いていたんだっ

          MUTA様ごめんなさい 木元・拝

#0024 sci3395  8908020408

うっ、しまった、こまった、はまった、ずぼっ
「回線」自体を撤回されてしまった、こまった、はまった、ずぼっ
どうしよう……ずぼっ(←キニイッテ シマッタ)

「なるほど、そういう考え方もあるなー」と、安易にイメージ拡げて、
見開き特集の図解コラムを二段抜きでレイアウトしたのに……(いや、
すみません、あと、入稿4ページあるもんで、まだ仕事モードなの。)
でもって、『「かわいそう」の階層構造』なんて予告まで書いちゃった
のに、シクシク、アタシってかわいそう。
でも、くやしいから、アップします!
   ♂回線理論におけるかわいそうかゎーいそう構造図♀

 ┃◎感覚←╂────(死に直面するなどの視覚的)刺激───
 ┃│   ┣━━━━━━━━━━┓
 ┃│   ┃第一次感情     ┃
私┃│   ┃  ┌─喜び(快感)╂─→「ほーほっほ!」と殺戮
?┃├─痛─╂恐┬┴痛み(痛そう)╂─→?
 ┃│ み ┃怖└不─┬かわいそう╂─→安易な菜食主義?
 ┃│   ┃│ 条 ├─悲しさ─╂─→「世の中って不条理ネ!」
 ┃├恐怖 ┃忘 理 ├─怒り──╂─→「何すんだ!?てめぇ!」
 ┃│   ┃却 ? ├─忘却─…┃
 ┃├忘却…┃└…  └etc──╂─→?

即興で、仕事の合間に作ったので、自信はでんでんありません。
各部の名称は、勝手に作りましたので、専門書とかは関係ありません。
「恐怖」に関しては「感覚」内のものはいらないのかもしれません。
(この図での)「第二次的感情」以降になる選択肢やループ等は、省略
しました。好悪の念は(たぶん)「第二次的感情」以降です。
あーちかれた。

 ただ、例えば、「かわいそう」回線をとっても、他の回線は切断
されちゃうわけではなく、微量の電流が流れていると思います。そ
の理論でいくと、「かわいそう」というのは、「痛み」と「悲しさ」
が、ほぼ同レベルで通電してる現象だとも考えられます。複雑にな
るのでやりませんが、位置的なニュアンスを考慮してあそこに置き
ました。それと、経験値が増えることにより、ショートカット回線
が生じてくると思います。ちなみに、「安全装置」の役を果たして
いるのはどれか? というのが、これを書いた基本コンセプトです。
たいむおーばーしちゃった。今日はこれだけ。

 1歳半の時の記憶があることが自慢?の
                      屯田兵 MUTA
PS:最近自炊は再開したんですが(半年程外食だった)、
   裁縫までの道のりは、遠く険しい……。
PS2:
   KONEKOさーん、僕だって、料理できますよー。寿司だって
   握れますよー。喫茶店もやったから、火も油もこわくないですよー。
   てんぷら……やったことない。よ、よぉーし。油の処理が面倒く
   さいんだもの。そっかー、揚げ物やれそうな中華鍋もかわなきゃ。
   アイロン……パンクがパリッとしたYシャツなんかきるかー。
   (実は、結構好きなんだけど、やってないなー)
   あたし、オヨメにいけるかしら。
                タバサは、ボーカルだったよーな気がする。
座談会ですもの、こういう話もいいでしょ?
議長閣下も、監察にこないようだし……あ、

#0025 sci2714  8908020632

KONEKOさま、いらっしゃ〜い。

      これからも宜しくお願いいたします。

★☆★☆★
「かわいそう」で、もう一つ。
            ...『保護者の位置で感じる』(いわば第2.5者的立場)。

KONEKO閣下の優越感・安心感を読んでいて思いました。
  水不足で萎びている木に対する「かわいそう」は、結果的には第三者なのですが、
   「なんとかしてあげたい」という気持ちから出ているようです。
       まるっきり切り放しているのでは無いので、第2.5者。

★☆★☆★
(前置:ほんとは、クジラ問題には関わりたくないのです...わたしはクジラ無知。)

 日本の捕鯨が非難されているのは、
   「文化が理解されていない」のでは「ない」のです。

バッファローの例で、多くの人はインディアンの側にいると考えています。
  でも、ちょっと考えて下さい。
        クジラは私達の主食でしょうか。
        クジラを食べないと食糧確保に影響が出るのでしょうか。

スポーツ、すなわち "楽しみ" でクジラを殺していない。
  でも、ちょっと考えて下さい。
         "楽しみ" で食べていませんか。

食べるから、これは生存本能でいいんだ。
  でも、ちょっと考えて下さい。
        バッファローを狩猟した人たちも食べたとは思えませんか?

生存本能は基本。
  そうですね。
    もし、絶滅寸前のトキに突然襲われて自分の生命が危険さらされ、回避するには
      そのトキを射らねばならない状況に置かれたら、おそらく私は射るでしょう。
        たとえ最後の一羽だとしても。

  でも、ちょっと考えて下さい。
        クジラを食べることは生存本能でしょうか。
        そこに食糧としてクジラしかない、と云うのなら話は別ですが。
        クジラでなければならないという必然性はないのです。
        今の日本は、クジラを食べないと死ぬ、という食糧事情では無いでしょう。
        むしろ世界中から資源(食糧も)を集めて、あり余っているのが現状です。
        反対に相手側の資源が食いつぶされているというのに、捨てている。

★☆★☆★
ここでウサちゃんにの登場してもらいます。

いま受難のウサギは、泣きはらして目が真っ赤です(天声人語)。

ウサギを食べることは文化でしょうか。

昔、ウサギを食べることが(時代が)あったと思います。いまでも、どこかの食卓に
上がっているかも知れません。これを文化だといって、保存に努めますか。みずから、
文化保存のために食べますか。

ここで考えて頂きたいのは、ウサギが愛玩動物(もっと良い表現はないかな)である
か補食の対象であるかではなく、ウサギの生態が大体判っており、飼育が可能で、種
の保存ができるということ。もうひとつ。それはウサギが、その生息する生態系での
役割が(影響が)少なくなっているということです。

★☆★☆★
種の絶滅でもうひとつ、リョコウバト。
これは、当初無数にいたものが(写真が残っている)、スポーツとして狩猟され、一
気に絶滅に追いやられてしまったものです。絶滅種では例外的に、「最後の一羽」が
確認されて(看取られて)います。そしてトキも同様の道を歩み続けています。スズ
メのごとくたくさん居たというのに。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
あー、朝だ。徹夜しちゃった。
わだぐじもコンラコトデ、ローレツがまわらなくなってきた。(ちょっと苦しいか?)

                                        それでは、ごきげんよう。KITA−2

p.s.  だいぶ時代遅れのレスになってしまた。これも浦島効果か?!

#0026 kimot    8908030207

MUTA閣下
 あ、「まるごとの回線ではない」という前回のお書き込みは、ほか
にもいろいろな種類の回線がある、という意味であったのでしょうか。
早まって撤回してごめんなさい。小生は、意味内容が不備な用語の、
定義はどうだ、といった本題と外れた論議にて閣下のお手をわずらわ
せるのは恐縮しごく、と愚考した次第...ひらに、ひらにぃ NZ゚ NZ゚

           賢明な読者はすでにお気づきのことと思うが、
           この「木元・肺」という男が回線だなどという
           言葉を使ったのは、ひとえにこの男がものを考
           えるときに周辺にあるものに引きずられるとい
           うつまらぬ性癖を持っているからである。
           さらに詳しく解説をすると、この男の98のデ
           ィスプレイの上には、電話とモデムがひしめい
           ていて、目をあげると、どうしても「回線」と
           いう言葉が浮かばざるをえないようになってい
           る。忍びとしては失格といわざるをえない。

>シクシク、アタシってかわいそう。
 ほんとうに、すいませんこつばい。ごめんなさい。

           賢明な読者はすでにお気づきのことと思うが、
           この「木元・灰」という男は、なにかうかつな
           ことをしてすぐ謝る、という安直なパターンを
           もっている。そして、だんだん謝り方があつか
           ましくなってきて、このような解説をつけるま
           でになっている。
           なお、こういう欄外説明の文をくどくどつける
           のは、阿波議長閣下が「忍びの六吉」というモ
           ードをお持ちであることを遠因としていること
           は、前回に紹介した「木元・敗」の性格から容
           易に理解できることである。つまり、筆者がか
           つて、白土三平の忍者漫画の愛読者であったこ
           とは、いうまでもない。

 でも、「回線」の語は、閣下の側で再生させていただいたここちぞ、
いたしまする。小生は、現実の行動をする(閣下の図では、→の左側か
ら右側へ移る)ということのみを取り上げて考えていたのですが、内面
の過程についていう言葉と考えてもいいはずですから。
 つまり、自分の心の内容を、相手(他者、生物)に投映する、という
過程を、「回線をつなぐ」とみるわけです。ただし、それはあくまで、
自分の内部での作業である、というただし書きは付きますが。

>ただ、例えば、「かわいそう」回線をとっても、他の回線は切断
>されちゃうわけではなく、微量の電流が流れていると思います。
>それと、経験値が増えることにより、ショートカット回線が生じ
>てくると思います。

 卓見でございましょう。そしてこれらはすでに、心理学のキモの部分
に入りつつあると感じます。
 たとえば、以前の書き込みで小生は「かわいそう」の限定使用を考え
ましたが、このショートカットというのは、なんといいますか、「かわ
いそうの暴走」(三原山噴火の時、ヘリで犬を助けにいったTVクルー
みたいなもの)を出現させるカギのようにも思えます。

           賢明な読者はすでにお気づきのことと思うが、
           筆者は白土漫画を読みなおしてこういう書き込
           みをしたのではない。「麻雀まんが王」という
           漫画本にでてきた白土漫画のパロディにかぶれ
           ただけである。まさに安直のきわみというべき
           であろう。
           このころ、風魔一族は...

 ところで、仕事モードのMUTA屯田将軍閣下に、エールをば....

「ぴぴるまぴぴるま、ぷりりんぱ、ぱぱれほぱぱれほどりみんぱ、
要求貫徹たっちで、夏休みになれー」...失礼しました。

PS:「1歳半の時の記憶」。す、すごい!

PS2:「寿司だって握れます」。す、すごい!!

PS3:「タバサは、ボーカルだったよーな気がする」。そーいえ
    ば、そんな気がします。

KITA−2閣下
 改めて、たいへん参考になりました(ウサギのこととか...)。
>わだぐじもコンラコトデ、ローレツがまわらなくなってきた。
 ぎゃははは。うーむ、なかなかシブい笑い...

KONEKO閣下
 いや、閣下のおかげでこのボードも活性化の一途...
 またの書き込みを楽しみにしておりまするぞ。
                         木元・拝

#0027 sci3395  8908050014

>木元閣下
 爆笑ものでした! もしかして閣下は、「○代麻雀」付録の「哭きの竜
組み立てキット」を作ったクチだったり?「ふっ」とか言いながら。
 心理学に関しては(も)、当方全くの無知でありますので、お教えいた
だければ幸いです。(ちょっと入口をかじった記憶も無いわけではないの
ですが、LONG TIME MEMORYを、LONG TOWN…と聞き間違えて、疑問に思わな
かった程度です)あの図解は、全部自分の中から引っ張り出しました。

>KITA−2閣下、KONEKO閣下
 なんか、話か十字砲火したまま、そちらの話題にはいれなくなってしま
って申し訳ございません。今、まだ、脳味噌ぱにっく状態ですので、もう
ちょっと。ちゃんとフォローしたいと思っております。

ミンキー木元閣下のお陰で、夏休み取れそうな    MUTA

#0028 sci3395  8908051113

 KONEKO閣下とKITA−2閣下のフォローをしようと思う私。
しかし、問題がでかすぎるなー、どっから手を付けていいのかわからな
いよー、であります。おまけに、KITA−2閣下が何を言おうとして
いるのか把握しかねているバカな私。

 だもんで、揚げ足取り(のような強引な整理)をしちゃう。
「なぜ、クジラを絶滅させてはいけないのか? もし、生態系云々の話
ならば、はたして、クジラはウサギより生態系に深く根ざしているのだ
ろうか?」
 私は「絶滅の道=生態系からの離床の道」のような気がします。だと
したら、豚も牛も兎も、養殖鯨だって絶滅種です。モチ人間も。
 私は、鯨を食べることも生存本能だと思います。鯨でなくてはいけな
い必然性はないかもしれませんが、鯨であっちゃいけない必然性を、生
存本能から導きだすことも難しいでしょう。ついでに言えば、「日本の
生存本能」なんかありゃせんでしょう。
 誤解のないように言っておけば、私は、鯨の乱獲には反対です。しか
し、捕鯨業に従事してた方々のその後の苦労を想像すると、拳降り挙げ
て、なんて気分にはなりません。レーガンの鯨救出事件なんかみると、
もう何も言えません。給食に出た鯨のタツタ揚げは好きでした。

 私は、KONEKO閣下(姫と呼びたい)の優しさが好きです。(特
に蜘を説得するその根性!) でも、
>>生存本能を基本として、それ以外のことには緻密な配慮が必要
という言葉になると、小首傾げて水の中〜、と歌って…あ、いや(古い)
悩んでしまいます。その優しさが、理念に塗り固められてしまったよう
な、そんな気がします。本能と文化を分離(対比)させようとすること
こそ、人間の、つまりは「理性」の、もっとも奢った部分なのではない
でしょうか?
 私が言った、木元閣下との話での(合意を得た?)「見直し」とは、
その辺も含めて、なのですが、どうでしょう。

かなり端折った発言なので、失礼がありましたらどうかお許しください。

                                屯田兵 MUTA

#0029 sci2714  8908051639

KONEKO閣下、MUTA閣下、
わたしが内容をハズシちゃってるんです。ごめんなさい。

半分、身を引きながらの発言だったので、おかしな内容になったのかもし
れませんね。KONEKOさんのいうこともそのとおりなんです。なんで
今までたくさん捕ってきた人たちが今になって、種の保存の為だから止め
ろだなんて、理不尽ですね。たくさん捕っていた責任はどうなっているん
だと、云いたくもなりますよ。これって、温室効果ガスやオゾン層破壊ガ
スの規制を途上国に求めているのと同じですよね。いままで先進工業国は
それらの恩恵をうけておきながら、途上国が工業化で使おうとしたら止め
てほしいなんて。この場合、先進工業国側は代替物の技術などを提供する
責任があると思います。温室効果やオゾン層破壊の原因は先進工業国に由
来する部分が大きいのですから。(ますます、基調から外れてしまった)。

********
「クジラはウサギより生態系に深く根ざしているのだろうか?」

これは、本当のところは専門家の回答を待ちたいところですね。残念なこ
とに生態がまだ詳しく判っていないのです。南氷洋で生態系での頂点にい
ることが云われているだけでしょうか、ねぇ。

********
「鯨を食べることも生存本能」

これは、 "食べることが生存本能で、あるものを食べるのは経験、または
習慣" というふうに明確に分離できると思います。

********
わたくしも誤解のないように言っておけば、大量消費に結び付く、絶滅に
結び付く、商業捕鯨による乱獲には反対です。逆に地域の人たちの生存捕
鯨には反対しません。それから、商業捕鯨反対を云うときには捕鯨業に従
事していた方への補償問題(生活・転職も)を一緒に考える必要があると、
わたくしも思っています。商業捕鯨見直し論を云う、私の知っている人た
ちは、完全なものではないにしろ補償方法を考えています。それに、クジ
ラの減少は捕鯨従事者の生活そのものに影響を及ぼすこともいっています。
クジラが居なくなれば、捕鯨そのものが成り立たなくなるのですから。

********
「鯨であっちゃいけない必然性を、生存本能から導きだすことも難しい」

上記生存本能の考え方の違いがあるので、旨く噛み合わないところもあろ
うかと思いますが、私も生存本能からは導き出せないと考えます。クジラ
であってはいけないと云うよりも、生態系への影響が懸念されるクジラの
絶滅と云う観点から、クジラを(商業捕鯨を)見直そうというのが大方の
考えです。

クジラは生態系でどんな役割をしているのか、どんな生態なのか、それら
が判らないうちに個体数を減少させて大丈夫なのか、絶滅の危機にさらし
て大丈夫なのか、個体数回復の方法・時間はどうなのか。それが判るまで
ひとまず様子を見よう調査しようというのが見直しの点です。

********
またハズシてしまうのですが、種を保存しようというのは種が豊(種の多
様性)であるほど全体として変化に強く、ひいては環境変動に人類が生き
残る可能性を高めることにもなっているのです。

********
余談ですが鯨救出事件の私的感想を云わせてください。
あれは、マスメディアが進行状況を大きく取り上げたために、クジラごと
きにあんな大騒ぎをしてと感じた方が多いのでは。私は、正義感というか
博愛感というか福祉感というか倫理感というか、そんな感覚で救出をして
いたのだと思っています。

ある晴れた昼下がり、明日にも屠殺される予定の牛が柵に挟まって圧死し
そうなのを見たら、皆さんも助けたいと思うでしょう。山道を歩いていて、
小沼で鹿が溺れそうなのを見たら見過ごすことは出来ないでしょう。(無
茶苦茶な状況設定だなぁ)。

ドナドナ、どーなんでしょう。ヘリも来ないし、マスメディアも来ないで
しょう。でも、通りかかった人は手助けしてくれると思います。

もっともあの救出は騒ぎが大きくなりすぎた結果として、後に引けなくな
って続行したり、お祭り気分だったり、生命・平和の宣伝に利用されたよ
うな気もしますが。

********
「かわいそう」から外れそうなので、できればこの問題(クジラなど)か
ら身を引きたいと思っていますが、だめかしらん。でも私には自分の発言
に責任がありますので、疑問・反論をどーぞ。

                                     ほとんど逃げ腰の KITA−2

p.s.  MUTA閣下、お休みはミンキー木元閣下が先にとられているようですよ。
      いいなぁ、夏休み。二度と来ないわだぐじの夏89を返せ〜。シクシクシク.

#0030 sci3517  8908062347

[かわいそう]について sci3517 たむけん
この文はあえて第三者の立場で書きました

かわいそう]という言葉は[生き物]の命を断つことによって 自分の命を
保つといった[罪]の意識なのではないでしょうか
牛は喰うけど鯨はかわいそうという人も どこかで間接的に牛を殺している
自分を見つめているんだと思います
そういういみでは丸ごとの魚はだめだけど切身ならといった最近の文化
のほうが わたしはこわい

#0031 sci2714  8908200215

  たむけん閣下、

  わだぐじは「罪悪感」からは、「かわいそう」はでて来ないと考えます。
  もっとも、わだぐじは他の生命体を食することで直接には罪の意識は感じな
  い(と思う)のですが。

  学生時代、チャボの「生命を絶つ」役を引き受けるのをためらい、他の人に
  まかせました。その役を拒んだのは、「罪」でも「かわいそう」でもなく、
  「死」が恐かったからです。それも自然に迎えるの「死」ではなく、自分が
  与える「死」だからです。「かわいそう」でない証拠に、そのチャボを食べ
  ました。ウィッシュ・ボーンがあるとか、卵の小さいのがたくさんあるとか言いなが
  ら食べてたくらいですから。

  もうひとつの内容の切身ですが、実はわだぐじもそうなのです。いえ、魚は
  なんともありませんが、七面鳥やチャボや豚の丸焼きは多分食べられないと
  思います。生きている姿が容易に想像できるからです。以前の書き込みで、
  わだぐじは屠殺場見学の必要性を言いました。食物が「物」として扱われる
  だけでなく、「生命」との連続で扱われるには、「生命」あるのもから「物」
  に変わる現場に立ち会うことが必要と思いました。

  偉そうなことを書きましたが、お気付きのように、わだぐじは魚は大丈夫で
  も七面鳥は駄目なのは、魚が七面鳥よりも「物」のほうに近く位置している
  からなんだと思います。(このあたりは親近感の有無かなぁ)。そして、わ
  だぐじが罪の意識を感じないというのも食物から、何等「生命」を感じ取っ
  ていないからでしょう。そんなこんなで、わだぐじは自分こそが屠殺に立ち
  会う必要があると思っています。
                                                      KITA−2
  p.s. 木元閣下、

       閣下のサンゴ引っ掻き事件に関するコメント(#16)へのコメント。
       (だいぶ古い書き込みになのですが、ちょっと気になっていたので。)

       写真記者の動機は、「サンゴが不心得者によって傷つけられた」と木元
       さんが指摘している通りで、ただそれだけだと思います。

       木元さんの言うような「かわいそう」の観点は、なかったでしょう。
       取材計画の出発点は「かわいそう」ではなく、「マナーの悪い奴がいる」
       だと思います。だからサンゴに傷が見つからなかった時に、自らがその
       悪い奴を演じた訳です。

       ちなみに、わたし自身があの記事で最初に感じたのは、「ひどいことを
       する奴がいる」という怒りに近いもので、残念ながら「サンゴがかわい
       そう」とは思いませんでした。

  p.p.s. MUTA閣下、

       「かわいそう回線」や「かわいそう階層構造」がよくわからないんです。
       んー、踏み入ってはならない難しい世界に入っているのだろうか。ろうな。

#0032 kimot    8908200503

KITA−2閣下
 結論からいいますと、閣下の前項書き込みで示されているように、
個人個人で、なにをかわいそうの対象にするかは異なっています。
このことは、すでに#16で言明した通りです。それゆえこの場で
は、個々人の感覚のありよう、つまり、何をかわいそうの対象とす
るか、ないしはかわいそうをどう定義するかが、各人ごとに内省さ
れることが期待されていると思います。

 そこで、閣下に質問です。
 「かわいそう」は、どう定義されますか。あるいはされませんか。
 もうひとつ、
 削られた生サンゴの姿が、記事(写真)として「意味」、ないし
「価値」を主張できる源泉はなんでしょうか。

 これらは、たいへん面白い問題のはずです。
                         木元・拝

#0033 kimot    8908201326

KITA−2閣下
 けさは、残業帰りでビールをがごーっとのんでの書き込み
だったので、ちょっと「つっかかる」よーな雰囲気になって
しまったかなー、と深く反省しております。ごめんなさい。
かんにんしてやって下さいまし...NZ゚ NZ*  NZ。

                                        キモト・拝

#0034 kimot    8912160145

とっ こっ ろっ でっ (間が開いてしまったなあ、という表現)

TRAFFIC JAPAN(トラフィックとは、野生動植物国際
取引調査記録特別委員会の略です。原名は、Trade Records Analysis
of Flora and Fauna in Commerce)のニューズレターvol.5 No.3/4
に、小原秀雄氏がワシントン条約に関する文を寄せておられます。
この中で、
「(野生生物の)保護を主張する団体を「動物愛護」団体と呼び、
問題を矮小化する傾向がみられる」
として、例えば朝日新聞も世界自然保護基金(WWF)を「動物
愛護団体」と称した(89年10月8日朝刊)ことに触れています。

ほかにも、グリーンピースを「動物愛護団体」とした記事もありま
した(89年4月25日朝刊経済面)。

少なくとも小生は、WWFもグリーンピースも、「ゾウさんかわい
そう」「クジラさんモリで撃たれて痛そう」とかいうレベルで運動
をしているのではないと思っていますし、また両団体とも運動の
対象が動物だけではないのですから、「動物愛護団体」というのは
不適切だと思います。

しかし、仮に「動物愛護団体」という表現が、小原氏のいうように
「保護論者は理論的でないという印象を与える意図」によって使わ
れていたにしても、現実には、「動物愛護」という言葉がきわめて
広く流通しているのも現実です。

みなさんは、「動物愛護」という言葉に、どんな印象をもたれて
おいででしょうか?   木元・拝

#0035 sci3859  8912180111

そういわれてみると「動物愛護団体」という言葉に
ずいぶんと先入観というか偏見を持っている自分に
気づきます。

豪華な毛皮を身にまとってかわいそうな動物について
声高に主張するおばさま……というような。
うーん、この偏見はいったいどこから来たのだろう?

とりあえず印象のみにて  三月兎

#0036 kimot    9002220221

というわけで、SIG内連絡ボード第五番、で行われて
おりましたお話を、ここで続けましょうか。
木元のぱーたれが、上半身がたぶんミンクの毛皮、下半身
がミニスカのねいちゃんを、なんとなくむかっとして、お
しのけてしまうていう軍事行動を展開したのは、よかった
か悪かったか、正邪善悪理非曲直(お、かしこく変換した
わい)の行方はいかにっ...というようなコトだったっ
けか、どーも違うとらせんか、まーいいか。

ちなみに、パータリプトラという町が古代インドにありました。木元・拝

#0037 sci3633  9002230835

きゃっ、木元様、おそれいりやはジュ−シ−フル−ツ、じゃない
話のお引越し、ありがとうございます。

といえども、脳味噌がすぐに書き込める状態ではないので、出直
してまいりますです。「かわいそう」の線引についてと、34の、
木元様の「動物愛護という言葉について」をからめちゃったり、
かな?
              KONEKO

#0038 sci3177  9002231940

 私も後に参加します
           T

#0039 sci4249  9002240158

おじゃましやす。金の字でやんす。

 ところで、皮を剥がされたミンク等は、その後どのように処理されているんで
やんしょ?そのまんま捨てられているなんていうのなら激怒モンでやんす!
 殺しちゃったからには、最後まで有効に使ってあげないといけねぇだ。
浮かばれないでやんしょ?

 そういえば北町奉行閣下が、「毛皮の毛を外側にして着るとは不合理だ!」と
のたまっておりやした。そうでやんす。防寒が目的なら、毛の部分を内側にして
着るのが「人の道」というものナリ。
                      やおら人道を説く  金の字

#0040 kimot    9002240649

じゅ、じゅ、じゅ、ジューシーフルーツっ!!
まあ、なんと懐かしい!!わーい。
しかし、本題のネタがない...ぐげげ。 木元・廃

#0041 sci3395  9002240649

でも、科学の力で「食用ミンク」なんて研究してたら、衝動的に
金属バットもんです。ね?

と、派手に遅刻してしまったMUTAです。ごめんなさい!
金の字閣下(御奉行?)、あらためてよろしゅうおたのもうしやす。
(元?)基調発言者だったりします。ブランクはことのほか大きく
て、防衛軍だとほとんどROMしか出来なかった私も、やっと参加
出来る場所を見つけた、と言う感じです。KONEKOさん木元さ
んありがとう。ウルウル。
                        とりあえずご挨拶まで  MUTA

#0042 natur    9002242304

 そーです。あっしは「お無業様」でやんす。エッヘン!(威張れないこった。)

ミンクを殺すのは「かわいそう」でやんす。
皮だけ剥いで捨ちゃうんであれば、なお「かわいそう」でやんす。
かと言って、殺して造った毛皮を使わないのも「かわいそう」でやんす。
そして、殺すために養殖されてしまうのも「かわいそう」でやんす。
かと言って、天然のミンクが乱獲で絶滅しちゃったら「かわいそう」でやんす。

うーむ・・・

本題はムズカシイので、とりあえずあっしの私的感想だけ。
〔毛皮を自慢しちゃってるネーチャン、オバハンは「かわいそう」でやんす。〕

            あ、やっぱり「お無業様」だ。シクシク。  金の字

#0043 sci2714  9003060149

  いまでも毛皮のファッショショーは行われているのでしょうか?

#0044 sci3395  9003150014

一番(唯一)「かわいそう」と思えるのは、
「こんな事が論点になってしまう人類」だけなんです。
ということは、一番の一番可愛そうな奴って僕かも知れない。

というわけで(?)最近白けているMUTA

#0045 sci3395  9004202322

……罪悪感を正当に評価する……

 ちょっとひっかかっちゃった。
僕は、そんなことが出来るとは思えないんだけど、防衛軍の皆さん
はどうおもってらっしゃるのでしょうか。
 これを論点にして、続けますか?    (MUTA)

#0046 natur    9004210019

うーん、あっしもこの言い回しには不十分なところがあると思うんでやんすが。

「罪悪感を正当に評価する」とは、ひとつはいわゆる「免罪符」に関する疑問で、
本当に罪悪感をもって、自分自身が「悪い行いをした」という反省を感じているの
か、公にしたことによって「悪い」と考えていた行いが浄化されたような気になっ
てはいないか、という疑問。

 もう一つは、その行為自体が「悪い」と判断するべきものだったのだろうか、と
いう疑問。たとえばあっしが例に挙げたように、壊したのがゴキブリの巣だったな
らば、「悪い」と感じなかったかもしれない。とすると、相手が鳥だったから「か
わいそうなことをした」と思っただけであって、実はうわべだけのセンチメンタリ
ズムの産物であって、「罪悪」云々とは次元が異なる心の動きではなかったのか、
という疑いを意味したつもりだったんでやんすが(うーんまだうまく言えない)。

 オンラインなので、なんかまだしっくり来ませんでやんす。

 ねぇ、MUTA閣下、とりあえず続けてみたいと思うんでやんすが。

                   しどろもどろ。 金の字

#0047 sci3395  9004210833

あ、そうだったんですか?
「免罪符」の件がここで絡んでくるとは思わなかった。

もう一方のほうだけと思ってました。
「『罪悪』云々とは次元が異なるる……」と言う意味で取り、僕は
「それが罪悪感の正体そのものなのでは?」という投げかけをし
たつもりでした。もうちょっと説明すると、ここの関連発言24
で僕が展開した「かわいそうの階層構造」でいえば、第一次感情
の中の不条理の枝の後に続く第二次感情(あそこでは省略しまし
たが)以降で形成されるのが「罪悪感」で、これは、自己の(精
神面を守ろうとする)防衛本能に起因する処理、という気がしま
す。つまり、スーパーエゴによる「悪」の基準にひっかかった自
分から、視点だけひきはがす事によって即席現実逃避する作業で
はないか、と。
 平たく言えば、そう、「免罪符」です。なんか、読んでる方が
混乱しそうな論理展開ですが……。

 つまり(こればっか)、金の字さんが「罪悪感を感じること」
によって感じてしまった「罪悪感」とは、「罪悪感」という処理
機能そのものが持つ矛盾なのでは? というのが、僕の問題提起
なんです。いかがでしょうか?
(MUTA)
トコロデ スズメ ノ タマゴハ ドウナッタンダロウ……

#0048 sci2714  9004212314

  いじめる?       
         ___    
       /    。 >  
      ●       |   
       \    ゚ >  
       / ̄ ̄ ̄\  
       \\  //  
      /   ◎   \ 
     |          |
       △―――△                                                  kita-4

#0049 sci3177  9004212322

 いぢめる >kitaさん <T

#0050 kimot    9004220118

パチパチパチ いやー笑った 木元・拝

#0051 sci3859  9004220416

どっしぇぇぇぇー ブッとんだ!
笑う余裕なんかなかった。あそこでしまりすくんを
登場させたkita-4さんの意図への想像が宇宙まで
駆け巡ってしまって……わけわかんなくなってしまって。

ぜひともその答えを知りたいと思ってしまう無粋な三月兎

#0052 sci2714  9004220430

  昨日の帰宅途中の電車から外の風景を眺めていたら、
  唐突に、実に唐突に図形(記号文字)が組み合わされ、
  これはもしかしたら絵になるかも知れないゾ、
  と思って原本と比較しながら作ったのでありました。      (天命ぢゃ)

  始めからあの形が出来た訳ではなく、頭だけでした。
  それも構成文字種も現在ものとは違っていました。

  およそ2時間くらいでしょうか、いろいろな文字を組合せ、
  また胴体も考え、できるだけ原作のイメージに近いものに仕上げました。

  で、アップする場所を考えたとき、このかわいそうコーナーが
  一番似合っているのではと思いここにした次第です。

  アップしたあと、自分で何回も表示させ(rコマンド)
  旨い旨い!と賛辞を送っていたのは誰あろう、この私。

                     遠山の金の字画伯の足元にも及びませんがkita-4

#0053 sci3395  9004220747

宇宙? チッチッチッ甘い甘い。
俺なんか、次元跳躍してディラックの海で海水浴とビーチバレー
までしちゃった。そこで出会ったハイレグのアライグマがまた、
イロッぺーのなんの。で、二人でランバダ踊ってたら、通りかか
ったのが抱き合った象のアベック。その後四人でスワッピングし
たら、雌象がエクスタシーに達したとたん俺の腹の下で十一面観
音に変身して「げに恐ろしきは異常性愛」ときたもんだ……
 うーん、悟りが開けるかも知れない
(MUTA)
てなわけで、
問題提起は生きてますので、よろしくネ。

#0054 sci3177  9004220852

>kitaさん
 金さんのあととりになれますね。それにしても
うまい、うまい。

>MUTAさん
 ひ、ひえー、意味がわからん!!!
                   T

#0055 magam    9004231435

シマリスさんの思考回路は特別なのです。   ...sigh
その昔、kita さんとシマリスさんの関係を喝破した人がおったのぉ。
                        おいぼれスナドリネコ

#0056 sci2714  9004232133

  はっはっは。
  では、本来の流れ(問題提起)に戻りましょう。                      kita-4

#0057 sci3395  9004232301

え? …………それだけで帰っちゃうの? ((MUTA))

#0058 sci1213  9004240025

動物を、必要以上にころしてしまうことに、
問題があるのですよね、昔、着るものがなく
寒くてこごえ死ぬのを防ぐために、毛皮を
とったのだとおもいます。昨今毛皮の代わり
になるものが、存在するのに毛皮を作るのは
必要でないでしょう(たぶん)
あと、食肉なんかも、必要以上に作ってしま
うのも。昔、修学旅行の時、とあるお坊さん
がいってました。動物を殺すのも殺生だけど
それで作った食べ物を残して捨てるのも殺生
だと。せめて殺生は一回だけにしたいてすね

あと、だれかが書き込んで他かしれないけど
植物も生物だから殺生になるのですよね

yougan.(ゆうがん)

#0059 sci4249  9004240030

>MUTA閣下、アースデイにうかれてRESが遅れてしまいやした。お許しを。

 ん〜、まだ頭が混乱しておりやすが……  つまりMUTA閣下のお考えは、

罪悪感(1):「××をしてしまった私は罪深い人間ではないのか」
罪悪感(2):「 (1)のように考えて自分を安心させる私は罪深い人間ではないのか」
罪悪感(3):「 (2)のように考えて自分を安心させる私は罪深い人間ではないのか」
   :
罪悪感(n):「 n-1のように考えて自分を安心させる私は罪深い人間ではないのか」
(以下果てし無く続き、一向に疑問は消えない)

 というヘンな構図を生じる可能性が「罪悪感」にはあって、あっしもその「罪悪
感のどうどうめぐり」の欠陥にはまりかけているのでは、というのがMUTA閣下
のご指摘なんでしょうか。誤解してたらごめんなさい、でやんす。

 そうだとしたらあっしも、自分の罪悪感に対する疑問の一部として、MUTA閣
下の指摘する事は納得できやす。原因の半分は、そういうことかもしれやせん。

 で、残りの半分は何かと言いやすと……
  閣下の言葉を借りて「罪悪感は精神面の自己防衛」だとしやす。そして「鳥の巣
を破壊してしまった。酷いことをした私は罪深い」という罪悪感は、先程あっしが
挙げた罪悪感レベルの(1) なわけでやんすが、どうもあっしの心中では罪悪感(1) 
の一応の達成目標である「自己防衛」もできてないようなんでやんす。
前にも言ったけど「ゴキブリの巣だったら『かわいそう』と思っただろうか?」な
んていう疑問もつきまとっていて……  罪悪感(1) の機能も、まだ十分に果たせて
いないような気がするんでやんす。つまり、

  「安心感も持てないような不完全な罪悪感を持っていいのだろうか?」

という疑問(≒罪悪感?)があるような気がするんでやんす。

                あああ、何がなんだかワカラナイ。  金の字

p.s.  も一回、この基調を読み直さなくては。
   あと、卵は仕事仲間が持ち帰って温めているようでやんす。
   孵化はまず無理だろうけど、その心根に一同関心しておりやした。

#0060 sci1213  9004240101

頼調から、全部読んでかけばいいのですが
なんか突然発言してみたくなってしまったので
かきこんでしまいます。

なぜかわいそうなのか
それば、殺されたりしている動物が、もし自分
自身だったら・・と、自然におきかえてしまっ
ているからだとおもいます。今現在人間を食する
動物がいないですが、もしいたとしたらまた
考え方がかわっていたのかもしれませんね

yougan.(ゆうがん)

#0061 sci1213  9004240147

また、書き込みたいという衝動にかられて書き
込んでしまいます。(どうしたんだろー私って)

罪悪感についてですが
たとえば、傷付けてしまったとき、それが人間
だったらあやまりますよね、人間以外の時も
あやまれば、いいのではないでしょうか、
べつに、すまないと思うだけでいいともうのです
そう、おもうことが、自分を救うのだとおもいま
す。食事をするときは、その料理が作られる
ために死んでいった生き物(植物も)に感謝
すれはいいんじゃないかなぁ

なんかこういう、話しをしてくると、どうしても
人間の本質というか、精神てきな部分にはいり
こんでいってしまうみたいでね。

多分これからの人間の進化は、精神が進化して
いくのではないでしょうか、

yougan.(ゆうがん)

#0062 sci4249  9004260033

>ゆうがん閣下
  「多分これからの人間の進化は、精神が進化していくのではないでしょうか」

 うーむ、そう願いたいもんでやんす。科学技術は着実に進歩・普及してるんでや
んすが、精神面はどうなってんでやんしょ?
 技術とそれを操る精神を自動車とドライバーに譬えれば、現代の人類社会は、高
性能車に、アクセルを踏むことしか知らないドライバーが乗っていて、しかもそん
な車が夜の新宿駅前のタクシーみたいな密度で走り回っているもののような気がし
てなりやせん。

 ところで。
 アースデイに行ったら、「動物実験の廃止を求める会(JAVA)」が、凄惨な
写真をたくさん展示してあって目をひかれやした。今あっしの手元にあるチラシに
も〔ネコの眼球を摘出して頭を固定し陰茎の神経をむき出しにして、死ぬまで電気
ショックを与える〕という凄絶な実験の写真が載っておりやす。
 前回までのあっしの発言の中に、

 壊したのがゴキブリの巣だったならば、「悪い」と感じなかったかもしれない。
とすると、相手が鳥だったから「かわいそうなことをした」と思っただけであって
・・・
 などとありやすが、やっぱりあまりに酷いものを見せられると「実験対象がゴキ
ブリだったらどーだろう」とか「ホヤだったらどうだろう」とか、他の場合と比較
して考える暇もなく、「あー、人間はなんて残酷なことをするんだろう。罪深いな
ぁ。」と『罪悪感』にひたってしまうもんでやんす。
                            金の字

#0063 sci2754  9004260105

しかし、どういった動物実験があるからこそ長生きしますね。
だったら動物を犠牲にして長生きするのはいけないことか?
私は長生きしようとするのは当たり前で、そのために動物が犠牲になるのも
当然のこと。それでいいんじゃない。

美優

#0064 sci2993  9004261021

動物実験にかんしては美優さんの書かれている事に基本的には同意なんです
が、金さんの書かれている事例は「不要な動物実験」の例に思えます。

合衆国で医学的に有用な動物実験にまで反対運動が繰り広げられ、檻を
壊されたりしている報道に接すると、反対運動に対する疑問点がふつふつ
とわき起こりますが、興味本位の研究に動物が使用されるのは、
どこかでチェックが必要と感じます。

生き物に対する感性は系統樹的に人間に近いものほど「かわいそう」
の対象になっているような気がします。
全ての殺生を禁じる宗教を信じる人たちでも、微生物の命の貴さを
いう人はいません(笑)

Mat

大腸菌だーって、ウィルスだーって、みんなみんな、生きているんだ :-)

#0065 sci3395  9004261351

うーん、あーん、
言いたいこといっぱいになってしまったけど、
                ごめんなさい
もう少し待ってて。今修羅場をシュラシュシュシュと駆け抜けてる
トコだから。
※MUTA※ノウミソ ヘドロ モード

#0066 natur    9004270753

ちょっとこれは難しい方向へ話が流れてしまいやした。

実は、あっしはJAVAの話を、「人間のために他の生物が犠牲になるのは
おかしい」という例で取り上げたのではなく、
「なんだかんだ言っても、あまりに酷な事例を聞かされると、無条件に『かわいそ
う』とか『罪だ』と感じてしまう傾向もあるなぁ(特にあっしは)」
という例として取り上げたつもりだったんでやんすが。

しかしとにかく、あっしが「難しい」と感じるのは、
「必要←→不必要」という対立が、二項的対立ではなくて、段階的対立だと思う
からでやんす。つまり、「どこまでが必要で、どこからが不必要な事なのか」と
いう線引き問題になる可能性があるからなんでやんす。

          オンラインは時間がかかるから、ここまで。 金の字

#0067 sci3395  9004270817

二項的対立でも、段階的対立でもない、と思ってます
(段階的対立=線引き、と読みましたがそれでいいですか?)
言葉じりを取るつもりはないですが、
私は「線引き作業に強く異を唱えたい」んです。
(今気がついたんだけど、これは、交流談話室の「配慮」問題でも
 展開した、僕の一貫した主張のようです)
「免罪符」が積み上がって巨大な城壁(線)が出来る。しかし、
その先に見えるのは「ラピュタ」への道だと思う。

本格始動はまだ。
修羅場より愛を込めて ※MUTA※

#0068 sci2993  9004270952

修羅場がんばってください。

私は線引きやむなし、の立場です。生物相互作用は、1面では相互の
生命の奪い合いですし。

金さんの書き込みをみて、一つ思いだした事があります。
それは「動物の赤ん坊は可愛い」が、結構多くのほ乳類間で共通らしい
という事です。赤ん坊はほとんどの場合無力ですので、この憐憫(とい
っていいのかな?)の情で他種の動物からの「作用」(補食とかですね)
を逃れるときもあるようです。(多くは失敗するんですが)

有名な例で「オオカミ少年・少女」がありますが、そのほかでも
「食」に満ち足りた動物間ではいくつかの例があるようです。

Mat

#0069 natur    9004280011

> MAT閣下
  〔生物相互作用は、1面では相互の生命の奪い合いですし〕

 うーむ、まっことそうでやんすね。なんだかんだ言っても、他の生物を利用する
ということは、その生物の生命を何らかの形で拝借する、ということでやんすもん
ね。結局全体を鳥瞰すれば、どんな形にせよ、生命が循環しているというような景
色になっているんでござんしょね。

 そして、今あっしが言った「どんな形にせよ」というところは、素通りできない
ような気がしやす。そこに、全体から見てある偏りや無駄(この辺は自分でもよく
わからない)といったものがあるとすれば、素直に「いいじゃないか」とは言えな
いと思うんでやんす。
 そこに「線引き問題」が存在するんでやんしょね。

>MUTA閣下
 連休前の修羅場でやんすか!・・・どこもかしこも忙しくって、まったくやんな
っちゃうでやんすねー。健康にはお気を付けて。連休は目の前でやんす!

 あっしが〔必要←→不必要〕を「段階的対立だ」と言ったのは、

 個人それぞれの中では〔必要←→不必要〕というものが、かなり二項的対立に近
い状態(すなわち「必要」でなければかならず「不必要」、「不必要」でなければ
かならず「必要」、という関係)に類別されていると思われるが、
これが多くの人の意見全体(たとえば「常識」など)として見れば、同じ行為も、
〔必要←→不必要〕という二つの項目に類別される性質のものではなく、むしろ
「必要な度合」といった「両極端の間に程度が段階的に存在するもの」として存在
している(認識されている)のではないか

という「現実としてはこのような存在の仕方では」という意味だったんでやんす。

 ところで、この〔必要←→不必要〕という対立(選択)は「人間がその場の自分
の損得勘定で一方的に決定すること」ではないかと思うんでやんすが、
この「一方的に選択をする(=勝手に線引きをする)」というところに異議あり、
ということでしょうか?
 MUTA閣下が「線引き」に問題を感じるのは、どのような観点からなんでやん
しょ?あっしは、直線にせよ曲線にせよ、何らかの形で線を引かなければ生きてい
けないと思うんでやんすが・・・ 線引きは、現実対応のための止むを得ない結果
ではないでしょうか(この辺りは MAT閣下と同じでやんすかね)。

 しかし、最後の段の、
   >「免罪符」が積み上がって巨大な城壁(線)が出来る。
   >しかし、その先に見えるのは「ラピュタ」への道だと思う。

 という言葉には、ハッとさせられやした! 「かわいそう」とか「罪深い」とい
う免罪符で城壁など築いてはいけやせんね、絶対に。
その城壁は、現実的には何の改善もしない城壁であり、あっしたちに目隠しをする
城壁でもありやす。

           くどくなってゴメンナサイ、でやんす。 (^^;) 金の字

#0070 sci2754  9004280140

  MATさん
  金の字さんが書かれている事例が不要かどうかなんて、判断でき
ないと思いますよ。その実験資料を読まなければね。
それと興味本位の研究から思いがけない発見ということもあります
し、不要な動物実験はあると思いますが、その研究者とかあるいは
そのへんを専門としている研究者でなければ不要かどうかは判断で
きないと思います。

  線引きについてはしなければならないと思います。本当に不要な
動物実験は辞めさせなければいけないと思いますから、しかし、そ
の線が本当に正しいかどうかはだれにも判断できないでしょう。出
来ることは分かっている範囲で線を引きそれにしたがって行動する
ことではないでしょうか。

  金の字さん
  書き込みを変に取りましてごめんなさい。平に謝りますので許し
て下さい。

  かわいそうと思う生物と思わない生物がいることについて
  これは、物理的な物あるいは精神的な物などからそういったこと
があって当たり前だと思いますし、それが自然だと思います。自分
に嘘ついてまで「かわいそう」と思っても、何もいい点はないでしょ
う。また、いままで言われて来たことですが「かわいそう」は、な
んか自分を高く見ているような気がしていやですね。「愛する」の
ほうが奇麗。
                                                美優

#0071 sci3395  9004280142

「勝手に線引きをする」に相対する言葉が
「合意して(平等の)(神的視点において)線引きをする」
というような意味でしたら、問いに対する答えは「NO」です。タブン

すみません。これ以上論理的思考が続きません。
修羅場は、どうやら連休に食い込みそうなんですシクシク

※MUTA※「しばらくおまちください」モード

#0072 sci2993  9004281111

動物実験のRESはわきにそれるかも知れませんが..

美優さんのお書きになっている事に原則賛成です。
ただ、専門家集団を動物実験必要な人たちの判断だけだと、
それこそ歯止めになりません :-)

単純な発想で動物保護を訴えた方が有効な事も多いみたいです。
例えば、かつて猿の頭をちょんぎって、生かしておく実験が
ありました。dataは有効なものがとれたでしょうけど、その
成果がいきるような医療技術はいつになることやら..

それでも遂行者たるの専門家が判断すれば、必要でしょう。
ただ、一般人の発想でいうと?な人は多いと思います。
要・不要に明快な線が引けないと考えると、動物実験に対する
社会的なプレッシャーが必要と考えます。

同時に、専門家の方も「動物側からの視点」が必要であろうかと
思います。こう、考えさせるために社会的プレッシャーが必要
ということかな?

(脇道それを..してしまった..ペコペコ)Mat

#0073 natur    9004282213

>MUTA閣下

 えっ、修羅場が連休にかかるんでやんすか!? なんともおいたわしや・・・
 膝を交えて座談会できる日を、心待ちにしておりやす。

>美優閣下
 いえいえ。その問題も、改めて提起してもいいんじゃないかと思っておりやす。
 もしかしたら、「#144鳥獣達が泣いている」でもいいかも。

> MAT閣下
 えっ!?頭をちょんぎって生かしておく?
 ・・・どっちを生かしておいたんでやんしょ?

              すでに頭をちょんぎられているのも同然。 金の字

p.s. 29/30日は知人の結婚式で、留守にいたしやすので。

#0074 sci2993  9004282251

どうも、ここの基調を落として一通り拝見してきました。

kimot閣下が前の方で、「かわいそう」という感情をもつ生物がヒト以外に
もいるのではないか?とされていますが、どうやらいるんじゃないかと思
えますね。

その「かわいそう」の感情の由来に、動物の「育児行動」をおくことにな
るのですが。だから、人間の女の子がゴマフアザラシの子供に「ゴマちゃ
ん、かわいい」という感想をもらすのも、あながち「ヒト」ゆえの性分で
もないかもしれません。

育児行動が「本能」にまで発達している場合、カッコーのように、それを
巧みに用いて他の鳥に子供を飼育させる事もできます。

ちなみに高等ほ乳類(高等ってマズイ表現ですけど)の一部では、「本能」
が壊れています。(もって生まれた「本能」で複雑な行動をとれないので
すね。変わりにあるのが、学習行動だそうです。「本能」の行動には原則
として「学習」は不要だそうです)

そのさいたる物が、人間なんだそうで、ほとんど本能がありません。よく
「本能のまま行動した」と表現される行為は、真の本能を持った動物の行
動と比較すると差が歴然とあります。「衝動のまま」とするのが正しいよ
うです。
下手すると人間には「生存本能」もないのかもしれません。ゲゲ、これっ
て怖い。

これらの書き込みは小原先生か、日高先生の著作が主なネタ本です。

動物実験に関して少々のつけ加え..
美優さんの言われるとおり、「ネコの目えぐり陰茎電極さし実験」を不要
と決めつけたのは軽率でした。(これをちゃんと言っておかないと..)
私が即断したのは「動物実験では動物に不要なストレスを与えない」のを
本義とする、栄養学実験の教えからなのです。ネコ実験が何を目的として
いるのか定かではありませんが,(実は薄々察しをつけてはいるのですが)
どう考えても通常とはかけ離れた環境にネコがおかれている事は明白です。
異常環境下のネコの反応をしらべても..ううむ..と考えました。

また、私がこの前に書いている「サル実験」は生命維持装置技術の誇示に
しかならないのだった。と思い出しました。誇示の為に首をきられては..
ううむ..という事になります。

金の字閣下へ 生かしておいたのは頭です。最初にこの報道に接したときは
「ドノヴァンの脳髄」や「サイモンライト教授」を思い出して、結構単純に
すごい技術ができたな。と考えました。
で、よくよく考えてみると「サルの首切り」しなきゃいけない理由がみあた
ら無いわけです。

合衆国にひきくらべ、日本には「動物愛護団体」(これも色々気をつけない
といけないよう言葉ですけど−笑)からの突き上げが弱いぶん、動物実験
は比較的「エグイ」レベルのものも多いようです。

Mat

うーむ、立て続けの書き込み..

#0075 sci3395  9004282351

片膝だけ出そうと思ったんですが、うーん、すでに
最初に書こうとした事UPすると、かえって混乱しそうなくらい
話が進んじゃってますね。

動物実験の問題についてと、「免罪符」を絡めようとすると、い
ささか乱暴になりそうだ。とりあえず簡単にまとめると、

「線を引く」という作業に、意識を取られるのは危険だ。

というのが、僕が持ってる意見です。もう少し意訳すると、線を
引かねばならない、という考え方意外に、取るべき道は本当にな
いのか? という問いかけです。
 ゴキブリはかわいそうじゃないのか? と自問して
その向こう側に線を引こうとすれば、「じゃあゾウリムシは?」
となり、「生物全般」線内に収めれば、「メシ喰っちゃだめか?」
「動物実験は?」となる。でも、だからどこかに線をひかなきゃ……

でもその前に僕は、「かわいそう」と思った自分自身に嫌疑を
掛けたいんです。もしかして、「かわいそう」って、悪魔の
謀略じゃないか? 

伝わったでしょうか※MUTA※(オンラインでごめんなさいモード)

#0076 sci2754  9004290024

  MUTAさん
  連休まで食い込んでしまいそうなんですか。電話がまずかったか
な。ごめんなさい。頑張って下さい。

  MATさん
  ここでは基調とずれてしまうので、新しく基調を開きましたので、
そちらでやりましょう。
                                                美優

#0077 kimot    9004290515

 MAT閣下に、愚生の書き込みを見ていただいたさうで、こりゃ
ちょっと顔出しさせてくんねえ...ト、ただ話をまぜっかえす
だけの、根拠レスの書き込みでいかんのですが、どーかごかんべ
んくださいまし。さて、予防線をはりましたので、以下にこのほ
ど愚生も考えました事をばアップいたし益荒雄は押尾川部屋(早
く幕内に戻ってきてくでー)。

 ヒトの感情について、人工知能分野で知られる北海道大学の戸
田正直先生は、確か次のように述べています。すなわち、ある状
況に対して、すばやい反応が求められる場合、たとえば怒り、悲
しみといった感情を起動することによって、それにともなう一群
の行動を効率よく準備できる。小生は、原典にあたったわけでは
ないので、この理解には錯誤があるかもしれません。しかし、な
ぜ「感情」などといった変なものがあるのか、その意義を、生物
の生存戦略のレベルで考えることは、意味なきことではないと思
います。
 例えば、怒り、というものは、ある個体が他の個体によって、
攻撃されたり、不利益をこうむった場合、ぐずぐずせずに反撃に
転ずる上で有効な「動員システム」ととらえることが、可能かも
しれません。要するに、道端でみずしらずの野郎からいきなり殴
りかかられた場合、殴られた原因について思いをめぐらす前に、
怒りの感情を起動して、「なんだこのやろーてめー」と、とりあ
えず反撃するか、あるいは恐怖の感情を起動して、被害が及ばな
い位置までさがる(つまり、あわくって逃げる)かした方が、そ
の個体の生存に有利ではないか、というわけです。
 だとすると、進化史の上での感情の起源は、ヒトの出現よりも
はるかに遡るものかもしれません。もちろん、喜怒哀楽、といっ
たような、ヒトに存在する感情のタイプが、他の生物に共通かど
うかは不明ですが。

 さて、「憐れみ」ないし「かわいそう」という感情について、
(ホラの吹き放題みたいな感じもないわけではないですが)その
本来の意義について考えてみましょう。
 まず、「かわいそう」感情の存在を、確認できるのはヒト(な
いしは、自分自身)だけですから、自分がどういう状況で「かわ
いそう」を起動するかを点検してみます。
 例えば、ヒトが不慮の死(事故死・殺人)を遂げた場合につい
ていうと、そのヒト個体が幼若であるほど、「かわいそう」感は
つのるようです。ヒトについてほど顕著ではないかもしれません
が、他の生物が遭遇した不運(事故死や、ヒトをはじめとする他
生物種による殺傷)についても、同様のことがありそうです。こ
れは、MAT 閣下がおっしゃっておられたように、幼若の個体が一
般に有している外見が、残酷な行動をセーブするための記号とな
っているためかもしれません。
 もうひとつ、「かわいそう」の強弱のスケールとなっているの
は、その生物が、種としてどれだけヒトに近いか、であるような
気がします。植物の個体を切り刻むことに、通常罪悪感は持ちま
せん。昆虫は、比較的、殺しやすい対象です。これが、鳥類にな
ると、ややひるんできます。イヌ、ネコは、たたき殺すには多分
かなり度胸がいります。そろそろ、「かわいそう」という表現で
は追いつかない強度になってきた感じです。これが、ニホンザル
となった場合、どうか。「かわいそう」は、さらに強烈な感覚と
なっている(かわいそう、という言い方ではなくなっているかも
しれない)はずです。
 前者の、幼若個体の不幸への「かわいそう」の強さは、それら
を殺さないでおいた方が、自分の種の生存にプラスだという価値
判断のプログラムかもしれません。例えば、ヒト集団が飢餓状態
になった場合、このプログラムがなければ、将来に子孫を残すチ
ャンスが期待できる子供・乳幼児が先に脱落してしまい、逆にそ
のチャンスの乏しい老齢個体が生き残りやすくなるでしょう。年
寄りとはいえ、乳幼児を集団内から除去する体力はあるはずです
(もちろん、これはヒトが採集経済の段階で、かつ飢餓が一時的
な場合=温帯における冬期=を想定した考えです)。
 後者の、「種の遠近」によるスケールは、前者よりもはっきり
したものでないとも思います。これは、個体の学習(経験)内容
によって、かなり異なると思えるからです。ニホンザルよりも、
たぶんヒトの方が殺すのが困難なはずですが、一方で他のヒト個
体に対し、自己の生存に不利益だとして冷酷な振舞いにでる事例
はあとを絶ちません。
 しかし、一般的には、ヒトにより近い形態の種の方が、「かわ
いそう」の対象となりがちなはずです。
 ひとつの解説は、その対象個体との遺伝的距離にかかわるので
はをないか、という見方です。自分の同種(つまりヒト)は、自
己に害とならない限り、もしも不幸な事態に遭遇しているならば
助けた方が、利益となります。自己と共有する遺伝子のコピーを
救えるからです。いわゆる、「利己的遺伝子」の考え方ですね。
 もうひとつの考え方は、ヒトが同種間で殺しあうのを防止する
プログラムとして獲得されたものが「かわいそう」感情であって、
他の生物にも「かわいそう」を感じるのは、本来ヒトへのみ向け
るべき感情が他へ”漏れ出した”、とみるものです。電磁気的に
きちんとシールドされていない無線機から、電波が漏れるような
ものですね。

 さて、この生存戦略の道具としてみた「かわいそう」感情には、
次の点が指摘できます。そもそもこれは、ヒトの先祖がせいぜい
骨のかけらを手にしてサバンナをうろうろしていたころの遺産で
はないのか。つまり、「かわいそう」は、自然の利用形態が採集
経済であった当時の最適システムであって、現代においてはそう
ではないかもしれない、という疑問です。
 つまり、「かわいそう」は本来、ヒトという生物をうまく生か
すためのシステムであって、「かわいそう」感情はその外見(他
の生物への情動に基づくいたわり。う、美しい..)とはうらは
らに、実は他の生物の生存とはまったく関係がないものなのでは
ないのか、ということです。

 しかし一方で、ヒトはこの「かわいそう」から逃れられません。
他の生物との関係を、「かわいそう」を出発点として、結んでい
かねばならないのかもしれません。

                  木元・拝

p.s. 利用が許容される自然の範囲は、「かわいそう」が基準に
   はたぶんならないと思います。かわいそうでないから、利
   用してよい、ということになるからです。利用の限度につ
   いては、当該地域の経験則によるしかないと思いますが、
   世界宗教としての仏教は、「午前中に一食だけ」という食
   物の規制を出家した人に求め、どの地域でも応用可能な自
   然の利用ガイドラインを設定しています。

#0078 sci3395  9004290906

 木元さんの指摘する疑問については、かなりの点で合意できるのです
が、私の判断ではいささか違うところもあります。

「自然の利用形態が採取経済だった当時の最適システムで、現代におい
ては最適ではないのでは」については、いささか補足的ではありますが、
「最適でなくなったわけではなく、適合する(一部の)環境を、このシ
ステム自体が食いつぶしてしまった」ような気がするのです。つまり、
このシステム自体、本能の代役としては余りにも役不足の欠陥システム
で、すでに自滅し、その形骸が無惨な姿を曝しているだけではないか、
と。
 で、もしそうなら、そのシステム構築の発端となった基盤とはなにか
を、探ることが重要なのではないか、というのが私の持っている方向性
です。

いかがでしょうか ※MUTA※

#0079 sci3395  9004290957

で、#59を読んで、金の字さんあてに最初にアップしようとした物。

★まず、「罪悪感の正しい使い方」
  ○A君が(何かを見たり、行なったりして)ある刺激Xを受け、その
   事が、彼の構築した「善悪の基準」の「悪」に引っかかったとしま
   す。ここでA君は罪悪感を感じます。A君の取るべき最終選択枝は
   二つ。
   (a)Xは二度と繰り返すまい、と考える。(その対策を考慮)
   (b)「Xは悪ではない」と判断し、「善悪の基準」の一部改訂を
      する。
  ○しかしここでは、例外が存在します。つまり「Xが悪であるという
   裁定には異論はないが、Xを避ける事は不可能だ」と判断された場
   合です。ここで「免罪符」の登場です。
★で、「免罪符の正しい使い方」
   (1)「Xに直面してしまうAは悪い奴だ」と御札に書く。
   (2)御札を「善悪の基準書」のXの項に添付する。
   (3)以後、裁定の際にXの項に引っかかった事件については、こ
     の御札を復唱し、裁定(つまり思考)を強制終了する。

 金の字さんが直面したループは、免罪符の(3)の手続きが不完全だか
らだと思われます。で、「安心感も持てない不完全な罪悪感をもっていい
のか」という疑問は、「罪悪感」と「免罪符」のシステムとしての目的の
違いによる物ではないかと思います。つまり、
「罪悪感」……より向上する(良くなる)ためのシステム
「免罪符」……「罪悪感」システムの欠陥による裁定の膠着を打破するた
       めの一時的リセット(つまり保安)装置(安心装置)

このように分析すると、選択枝は3つ。
(あ)「免罪符」システムの欠陥を補う新たなシステムを構築する
(い)「罪悪感」システムそのものを改修、もしくは破壊する

ちなみに、世間一般の人が選択する「いつのまにか忘れる」は(あ)です。

※MUTA※
PS:
なんか、動物実験の話を排除したかったというようにとられたのかしら。
別に、そんな意図はなかったんです。ごめんなさい。

#0080 sci2754  9004302121

  MUTAさん
  そんなことはありませんから、御心配なく。
美優

#0081 sci4249  9005010042

  #79を読んで、うーむ、なんだかMUTA閣下のお話が判りかけてきたような気
がしてきたでやんす。とりあえず、閣下の「罪悪感」と「免罪符」の区別について
は了解いたしやした。

 ところで、 ・・・と言いたいところでやんすが、残り少ないあっしの脳細胞が、
またまたお酒で減少しちまったようでござんす。旅の疲れもあいまって、じっく
り読むこともままならないでやんす。

             うう、結婚式なんて大嫌いでやんす!  金の字

#0082 sci3395  9005010244

おかえりなさいでやんす。
お気持ち痛いほどよく判りますでやんす! ※MUTA※

#0083 sci3395  9005040052

(あ)?                             シクシクシク……

#0084 natur    9005041935

選択肢(あ)=忘れる・・・・    忘れてなんかおりやせんよっ♪

     さて、基調を読み直してみようかな・・・

       連休を利用して、大規模ログ整理中!  金の字

#0085 sci3395  9005042306

恐縮至極……(((*muta*)))

(デモ アレッテ 金の字サン ヘノ メッセージ ジャ ナカッタリ シテ、ビビッテシマッタリシテ……)

#0086 sci3395  9006260022

約二ヶ月……誰一人反応無し。つまり、(あ)じゃないですか?

「かわいそう」と思って、(あ)いつの間にか忘れる。
これは単なる自分に対する甘えだと思います。

一人の男が、もう一人の男を撃ち殺した。ここで、撃った男が
「かわいそう」なんていったら、撃たれた男も浮かばれません
ね。ここまで、バカにされちゃあ。
「こいつ死んじゃってかわいそう」なんて、殺した張本人が考
えるのって、ただの自己弁護に過ぎません。それを勝手に「私
は相手の身になって考えられる思慮深い奴だ」と納得して、そ
れが罪を償う行為と同義になり、おかげで罪を忘れて行く。
 そういうレベルで、「だってあいつは、『地球を考える』商
品として地球汚染の商品を売ってる偽善者だ」とかやっても、
偽善者同士の言い争いに過ぎないんじゃないかな?

だれも、「地球を汚してやる! 自然を破壊してやる!」と豪
語してやってるわけじゃないでしょ?  ※MUTA※

#0087 sci3633  9006270325

MUTAさんへ

 最近のあなたのパワ−に、危ないものを感じてしまうのは、
深読みのしすぎだろ〜か・・・?

 この話題の、口火を切ったくせに、参加しなかったことをお詫び致します。
私が、防衛軍から足が遠のいた理由は、交流談話室で話題になっていること
と無縁ではありません、といえば、多分あなたは理解してくださるでしょう。
そしてそれが最近とみに顕著になっていくことへのとまどい。これは私だけ
ではないと思います。

 人間同志の理解を無視した自然保護に未来はない

 気づいた人も、気づかない人も、みずからの矛盾に苦しんでいくのです。
すぐに答えの出る問題ではありません。時が必要なのです。

                    KONEKO