nat00078 「闘牛」−動物愛護か伝統か

#0000 sci3487  8906262223

−−動物保護の波スペイン「闘牛」にも−−
 EC首脳会議が26日から開かれるスペインのマドリードで、これに先駆けて25日
EC諸国から集まった環境・動物保護団体のメンバー約500人が、スペインの伝統競
技である闘牛の禁止を求める集会・デモを行った。
 デモの参加者は「闘牛は芸術でも文化でもない」「闘牛は国家の恥だ」などと気勢を
上げたが、これに対して闘牛ファンはこのデモがスペインの主権を侵害するものだとし
て批判した。(以上 89年6月26日付け 読売新聞夕刊より抜粋)

 闘牛という競技はその見かけの残忍さからファン以外の人間には受け入れられにくい
ようです。しかし、スペインの伝統である闘牛には当然ながら熱心なファンが多く、そ
の是非をめぐって激しい対立が予想されます。しかも、国家の主権などの問題まで絡ん
でくるとなると、賛成派と反対派の小競合いというレベルでは片付けられなくなるでし
ょう。
 私は個人的には、闘牛に反対する気はありません。スペインの闘牛を外圧によって禁
止するということは、少し次元は違うものの、実際には日本に対する捕鯨禁止と何ら変
わるところがないと思います。私は以前スペインにいたことがあるのですが、闘牛はス
ペイン人の文化として深く浸透しており、国技と呼ぶにふさわしいものに見えました。
 また、他国の人々が闘牛に対して抱いているであろう「牛のなぶり殺し」というイメ
ージの中にも、誤解が多いように思います。競技が終わった後の観客の拍手は、闘牛士
に対すると同時に、彼と対等に、命懸けで戦った、牛に対しても送られているのです。
スペインでは、闘牛士と戦って死ぬことは、牛の名誉であると考えられているのです。
この考え方に抵抗を感じる人もいらっしゃるかと思いますが、それはスペインの文化を
距離をおいて眺めていることにも原因があるのではないでしょうか。
 ところで、自然保護団体や動物愛護団体の中には、もちろん本気で問題に取り組んで
いる団体も数多くありますが、単なる熱狂的動機から不合理な活動をしているところも
多いように思います。噂に聞くところによると、日本の捕鯨禁止のために各国政府には
たらきかけた某団体は、カリフォルニアにおける放射性廃棄物の海中投棄を黙認するこ
とを条件にアメリカ政府と取り引きしたとか。
 皆さんはどうお考えでしょうか。                    NH3

#0001 sci3395  8906270004

拳を振りあげて「闘牛をやめろ!」と言う気はありませんが。

「闘牛はスペインの伝統ある国技である」というのは解りますが、
それを、闘牛廃止への反対意見にするのはなんかおかしい気がします。
そこで命を賭て戦うことで、たとえまわりの人間から「名誉」だと称賛され
ようとも、もし「むりやり」戦わさせられているのなら、牛にとっては
なんの慰めにすらもならないでしょ?
 例えば、人間対人間だったらどうでしょう?(そもそも、闘牛って、人間対
人間の代替案でしょ?)

 イギリスの国技とさえいえる(?)競馬では、競争馬が骨折すると、
屠殺しちゃったりしますが、「闘牛」も、「捕鯨」よりはこっちに近い気がします。

コロシアムでの「人間対人間」が「人間対牛」になったことは、一つの進歩
だと思います。でも、剣術(道)の「真剣」や「木刀」が「竹刀」になった事
に比べれば、ひどく遅れているのではないでしょうか?
 ちなみに、武士の命であった真剣を痛くない(痛いんだけど)棒切れ なぞに
かえてしまっては……と思われる方がいるかもしれませんが、今の剣道にも、
「武士道」はちゃんと生きています。残そうとしたのは、「殺し合い」では
ないんですから。(かなり近いけど)

ああ、突然、剣道がやりたくなってしまった
                                                MUTA

#0002 sci1060  8906270245

>NH3閣下
 問題提起の連打。まことにおみごとにござる。
 なるほど、伝統と動物保護でござるか。
 その点、日本の南西諸島や四国(にもあったと思うが・・)などの闘牛は
おとなしいものでござるなあ。
 スペインも日本みたいに牛同士でやらせりゃあいいものを・・
 それぐらいじゃ動物愛護団体は許してくれないだろうか?

 ところで鯨問題との比較ですが、愚生も鯨問題とはちと違うようにものの
ようにも思えまするが・・・
 まず、鯨は動物保護の観点からだけ問題になったのではなく、野生動物保護
の問題としての意味が大きかったように思えますが・・・
 まあ、中には「鯨は頭いいから捕るな!」ってえのもいたでしょうが、絶滅
の危機にある種と、そうでない種とがはっきりと分けて論じられるべきだった
のを、全部まとめてひっくるめて保護しようってえのが、問題だったように
思えます。

 一方、闘牛の牛は野生動物ではありませんから、だいぶ鯨とは違って来るよ
うに思えるのです。むしろ動物実験の是非に近いように思えまするが、如何で
しょうや?

 確かに伝統は惜しいけれど、場合によっては無くなるのもしかたないことも
あるのではないかとは思います(象牙細工のようにもとの象がいなくなっちゃ
ねえ)
 しかし、どうも闘牛に関しては、残酷だからやめろと言うのはねえ・・・
人間、誰でも殺生ってえ罪を負いながら生きてるってことを、殺生禁止に
よってかえって隠蔽されちまうように思えるのですよねえ。

 本音を言えば闘牛がなくなるのは、惜しいとは思えないが、動物を殺すの
をやめろってえのは、ありがたくないですねえ。

                     阿波六吉

#0003 sci2714  8907060611

NH3閣下の基調は非常に重要なものだとおもいます。

それが、 "文化" ということに絡んでいるからです。

私個人としましては、闘牛には賛成できません。
なぜなら、自分達の楽しみのために命を奪っているからです。
生きるために他の生命を食するというのとは、かなり違うと思うのです。
 "文化" 以前の問題だとおもいます。

この基調のテーマではありませんが、捕鯨が文化かどうか、捕鯨見直しの動き、という
ことを少し。(他の事例にも共通するとおもいますが)。
捕鯨は、太地のような限定された地域での捕獲・消費であるならば文化だと云っても
良いのかも知れません。でも、商業ベースで捕獲を続け、商業ルートにのせて販売す
ることが文化なのでしょうか。そして、いま問題になっているのは、種の絶滅にもつ
ながりかねない捕鯨なのです。阿波閣下の云うようにクジラは野生生物であり、種の保
護、そして生態系の保全の観点から捕鯨の見直しが世界的に叫ばれているのです。
                                                             KITA
P.S.  NH3さまへ
      あの、某団体の名前を教えて頂けませんでしょうか。事実の確認と、事実なら
      正式に抗議をしなくてはなりませんので。

#0004 sci2956  8907061130

 私は、闘牛と言うものに無関心でした。今回の発言でいろいろと勉強させていただ
きました。 「闘牛」 やめた方が良いんじゃないか なんて無責任に思ったりいた
します。 門外漢の勝手な感想ですが、闘牛士が、客席に逃げ込むのは、見ていて卑
怯だなあ 等と思ってしまいます。あれでせいせい堂々と戦っていると言えるのでし
ょうか? よく分かりません。スペインの文化を知らない私としては、単に虐殺して
いるようにしか見えません。闘牛士の逃げ場を無くし、素手で戦う・・・・これもや
っぱり、余りにも野蛮ですね・・
 日本の剣道と同じように、スポーツとして生き残るように、闘牛も新たなルール作
りをすべき時なのかも知れませんね。

 鯨の話ですが、反捕鯨運動については、はずかしながら何も知りません。鯨資源に
ついて正確な情報を知りたいのですが、どなたか紹介していただけないでしょうか?
 ほんとに恥ずかしいんですが、「美味しんぼ」と言う漫画に出ている話くらいしか
知らないんです。鯨ってどの程度の生息数で、どの程度絶滅しかかっているのか??
この漫画ではまったく問題無いような事書いてありましたが・・・
  KITA閣下へのつたない反論ですが、捕鯨自体は文化で無くとも 「食」という
点で、文化ではないでしょうか??? また鯨の髭も日本の伝統文化(人形を操る糸
だと思いましたが・・・)に使用されていると書いてあったような気がします。(情
報源が漫画で、しかも手元に無いというむちゃくちゃ心細い記憶であります。
 KITA閣下ごめんなさい!!!)

              無知をさらけ出す Freeway

#0005 sci2714  8907070257

Freeway閣下、こんにちは。

(NH3閣下、基調とずれてしまうのですが、お許し下さい。)

・クジラの数ですが、2、3日お待下さい。(新しく基調を開いて、アップします)

・Freeway閣下の云うように、日本の伝統芸能の一つに "文楽" があります。
 手元のパンフレットに、「人形のスムーズな動きは "鯨ひげ" の柔らかい弾性が支
  配すると云われています。」とあります。

・「食」文化について。さきの関連発言にも書きましたが、太地(和歌山県)などの
  限られた地域で、その地域の人が伝統的に食べられてきたものは「文化」と云える
  かもしれません。 しかし、商業ベースに載せられたものまで「文化」と云ってし
  まって良いものかどうか。どこまでが文化で、どこからが文化でないのか。難しい
  ところだとおもいます。でも、文化は時代と共に変わりうるものだと思います。(
  逆説に取ることも出来るでしょうが)。ただ、文化だといって、種を絶滅に危機に
  さらしたり、生態系のバランスを崩すような事が許されて良いのでしょうか。すで
  に人類はいくつかの種を絶滅に追いやっているのに。

・「文化」でもう一つ。「文化」と云う言葉に惑わされているのかも知れません。日頃
  「文化」の保護・継承にあまり熱心でないのに、自己の利益が絡むと途端に「文化」
  を口実に利益保護を図ります。産業界としては当然の対応なのかも知れませんが。
  本当に其れが文化なのかどうか、考えてみることも必要では。本当に文化ならば保護
  するのに世界の目を気にする必要は無いでしょう。でも、文化の保護策として大量消
  費という対策があるのでしょうか。

  それに、文化、習慣、経験の違いは?  食べる、と云うことに関して。

  食べることだけでは基本的に文化ではなく、習慣だと思います。
  その地域では太古からそのものを食べる習慣があったとか。

  イルカを食べることを "日本の食文化である" とは、すくなくとも私は云えません。
  その地域ではイルカを食べることがある、習慣がある、とは云えますが。

  肉食を食文化と位置づけられるでしょうか。

                             別に基調を開いた方がよかったかな。  KITA

p.s. "反捕鯨" でなくて、 "捕鯨見直し" "商業捕鯨反対" の動きととらえる方がこの
     問題は混乱が少なくなると思います。

#0006 sci2956  8907072340

  TAKA閣下 私のつたない質問に丁寧なRes有難うございます。
 ダウンして、じっくり拝読致します。resは後ほど・・・

  とりあえずオンラインにて、御礼おば・・・  Freeway

#0007 sci1017  8907080632

 私も闘牛というものが、どうして存続しているのか不思議に思って
いる一人です。日本人の好きな「なんとか道」にも似て、格好にこだわる
人たちが牛と対決しています。そして観客を興奮させて結局、牛は殺されて
しまいます。どうみても動物虐待のように見えます。

 そしてこういうものは一度習慣となり生活に根付くと伝統なり、文化と
いうことになり止めにくくなります。部外者は簡単にやめろといいますが
当事者はそう簡単にはやめられないもののようです。どうしたらいいもの
でしょうか。

 さて、昨夕のスペイン海外放送では、牛に追い掛けられるあのパンプロ
ーナのサン・フェルミン祭を実況録音で紹介していました。スペインはど
うも牛にとても縁のある国のようです。
                       こっぺい

#0008 sci2714  8907090401

う〜〜、ほんとうにどうしたらいいのでしょう。
命を奪わないような別の形態に変更して(当然の激論が交わされるだろうが)、
文化(?)として継承することが出来ればなんとかなるかなぁ。

サッカーの観戦でも熱狂的になり興奮かなりできるのに、あえて 牛 の
虐待(そうですよね、これ、虐待ですよ。)にそれを求めなくても...
まあ、一緒に論議はできませんが。

これを書いていて思いました、サッカーって文化になるのかな。

                             サッカー大好き(だった?)  KITA

#0009 sci2956  8907091030

 KITA閣下 私のオポンチなresに丁寧にご回答頂有難うございました。

 閣下のおっしゃることに基本的には賛同致します。

 私の考えを述べさせていただきます。
 「文化」という用語の定義は、手元にある三省堂[大辞林]には、

 @社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の
  総体
 A学問・芸術・宗教・道徳など主として精神活動から生み出されたもの
 B世の中が開け進み生活が快適で便利になること
                               −以上抜粋−
 とあります。(「文化とは」なんてふだん考えたことがなかったので)上記の内容
を参考に愚考するに、商業ベースに乗った食品を食することをもって文化と呼んでも
何等おかしくないという気がしました。@にしたがえば、カップヌードルを食べると
いうことも「食文化」ということになってしまいませんでしょうか???
 次に、「肉食」(または「食」)についてですが、私が個人的に理想としているの
は、「霞」のみを食して生きることです。わが家では、しじみやあさりの味噌汁が食
卓に現われることは有りません。生きている彼らを殺せないからです。おすそ分けに
あったりしても、必死で飼って、逃がしに行ったりしてしまいます。 でも 牛も豚
も鶏も大好きです。これらは、牛であって牛でなく、単なる肉であって、これらから、
生きていたときの姿を想像しにくいからです。そんな矛盾から、人も生き物(けだも
の)なんだと納得してみせたりします(自分自身に)。そして思うことは、いるかで
あれ、鯨であれ、猿であれ、犬であれ、私の知らないところで調理されたのであれば、
きっと食べてしまうだろうということです。また、それをおいしいと感じたなら、(
鯨以外は食べたこと無いので解りませんが)きっとまた食べたいと思うでしょう。な
ぜなら、外食店などのあさりの味噌汁おいしいと思いますし、あさりの味噌汁自体好
きでもあるからです。
 私は、文化だから鯨を食したいのではなく、おいしいから食したいのです。だとお
もいます。ただし、

          「種の保護は全てに優先する」
    (標語のコーナーにアップするには余りに恥ずかしい・・・・)
                           ドコカノケンセツゲンバノヒョウゴミタイダ
 でありますから、本当に絶滅がしそうなのなら、「文楽」だろうが、「食文化」だ
ろうが問答無用だと思います。そこのところが知りたかったのです。そうした意味で、
「商業捕鯨に反対」というのではなく、「生息数が減少しているから反対」としたい
わけなのです。

 以上をまとめると、
 1.食事のメニューは多いほうが良い。これを「野蛮」等の理由では、減らしてほ
   しくない。
 2.種の保護は全て(文化を含む)に優先する。
 ということでしょうか・・あまりまとまってませんが・・

                              Freeway
追伸1
>「文化」でもう一つ。「文化」と云う言葉に惑わされているのかも知れません。日頃
>「文化」の保護・継承にあまり熱心でないのに、自己の利益が絡むと途端に「文化」
>を口実に利益保護を図ります。産業界としては当然の対応なのかも知れませんが。

 100%今回の私に当てはまるお言葉であります。以後気をつけます。 NZ゚ 

追伸2
 NH3閣下 関係無い話を長々と申し訳有りませんでした。どこにアップしていい
のか解らないので、ここにさせていただきました。  NZ゚

追伸3
 ここまで書いて読み返してみるに、自分の文章のつたなさに唖然とします。また、
食事亡者みたく思われないか心配ですが、アップすることにします。

追伸4
 闘牛についてですが、やはり、私には正視に耐えません。どうにかルールを変える
などして、せめて、殺さない方向で、存続を考えてほしいと思います。これは、スペ
インの当事者で考えるのが一番だと思えるので、我々には、残酷に思えるので何とか
してほしいと訴えるしかないのではないでしょうか・・・・ 

#0010 sci1509  8907091233

 ここんとこ傍観者を決め込んでる小生へのお叱りと受けとめ,真摯に反省
させて戴きます・・・
                                    TAKA

#0011 sci2956  8907110041

 関連発言6のTAKA閣下はKITA閣下の間違えですね。
 私はこの様にオポンチでございます。ごめんなさい。どうかお許しを!!!

  しばらく謹慎致します。
            Freeway

#0012 sci2714  8907110247

そんなこと気になさらないで大丈夫ですよ。

はるか昔に、同じ勘違いをした方もありましたし。
  おっ、くしゃみしてるかな?
    そして前回も、今回も、云われて初めて気が付いたぐらいですから。

Freeway閣下に負けず劣らず大ポンチの KITA ですが、
  これからも宜しくお付き合いのほどお願いいたします。

                                                 KITA ときどき KITA-2

#0013 sci2956  8907162358

 KITA-2閣下 こちらこそ宜しくお願いいたします。
              Freeway敬白