nat00074 痛みの話(HITO-NETより転載)

#0000 sci3332  8906241259

 私こと「Agnus」は今でこそしがない会社員をやっておりますが、実はこの
3月まではしがない大学院生をやっておりました。専攻は「神経行動学」で、ずい
ぶんと多くの動物の血に手を染めてきました。

 さて、そうした環境の中で、少々思うところあって「人間以外の生き物」や「自
分以外の生き物」が感じるかも知れない「苦痛」について、動物を使った実験をす
る者はどう考えるべきなのか、というテーマ(こう書くとかっこいいけどそんなに
たいした物じゃない)の文章を今年のはじめに「HITO-net」に掲示させて
いただいたところ、たいへん多くの反響をいただきました。
 
 今回、科学朝日編集部の木元様のおすすめにより、その文章、および「HITO
-net」の「分子生物学の部屋」の主催者で生化学者のShibaさんによるフ
ォローをこの「サイエンス・ネット」に再掲載させていただくこととなりました。

 ご意見等ございましたらよろしくお寄せください。

                        Agnus

#0001 sci3332  8906241301

以下の文章は「HITO-net」のボード#5「分子生物学の部屋」の今年2月中
旬の書き込みの(Shibaさんのご了承を得た上での)転載です。

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分子生物学の部屋 22/50 : >> base note <<
Subject: 痛みって痛いのよ!
Name: Agnus #163
Date: 2:20 am  Tue Feb 14, 1989

 大学で僕の属している「生物学科」は3つの教室───動物、植物、人類───か
ら成り立っています。日常、これらの教室間には学部学生から教授レベルまで通して
ほとんど交流がありません。これではいかん、同じ生物屋じゃあないか、集まってお
話をしあえば面白いかもしれない・・・というわけで、大学院生だけですが年に一度、
スライド携え泊まりがけで酒盛りをすることになってからかなりの月日がたちました
(たったのだそうです)。
 そう、それは年に一度のかるちゃぁしょっく。ジャングルでお猿を追う人も、大腸
菌をいきなりすりつぶす人も、ピンセットでサルコメアをつつく人も、(あえて名は
伏せるが)無人島で動物をはべらせて王様を気取る人も・・・・・・肝臓がDNAに
見える人も、イカが巨大神経に見える人も、カエルが神経回路網に見える人も、ゾウ
リムシが9+2に見える人も、人の顔がみんなガイコツに見える人も・・・・・みん
なみんな、自分は生物屋の集団に属していると思っているんですから、ね。一人の人
間が数年間大学で勉学に励むだけで「あらゆる」学問に通暁することができたという
コペルニクスの学生時代のような古き良き時代をいまさら持ちだそうというわけでは
ありません。ただ、その「かるちゃぁしょっく」のなかにちょっと気になるものがあ
ったので、それを分析してみたくてこれを書き始めたのです。
 
 きっかけは細胞生理(動物学)の某氏の発表の一節「潅流液のイオン強度を大きく
していったところ、ここんとこでこの運動がとまり、この細胞は死にました」という
セリフ。これは「傷口に塩を擦り込まれるような」鮮烈な苦痛のイメージを僕にもた
らしました。あいては確かに神経系など持たない細胞の塊にすぎないけど、それでも
無麻酔で「因幡の白兎」まがいのことをされれば痛くないはずがない。うわあ、なん
てことしやがるんだ、こやつは! これなどはまだ序の口。もっと酷いのは酵母菌で
RNA(だったかな?)やってる植物の某氏の発表。酵母を育てるところまではいい
んだけど、そのあとで何十億という単位で酵母たちをすりつぶして溶かしてしまう!
なんら苦痛を低減する処置をほどこさずに! まさに「アウシュビッツ」もかくや、
ですよ。聞くところによると大腸菌や培養細胞を使う人たちもほとんど同じ様なこと
をするらしい。
 さらにカチン!ときたのは、ふたりとも「こんな実験が倫理的に容認されるのか、
健全な雑誌なら reject するのではないか」という僕の質問を冗談としか受け取らな
かったこと。そうか、生化や生理の雑誌は実はSM誌だったのか、最近は対象が広く
なったものだ、人間以外ならたとえ殺してしまっても問題はないわけだ・・・・など
と思わず勘ぐってしまいました。(生化や生理のみなさん、ごめんなさい)
 
 さて、この問題はどこまでが僕個人の異常な感受性に起因し、どこからが本当の倫
理的問題となるのでしょう。動物倫理、無用な苦痛の低減、「なるたけ『レベルの低
い』実験材料を使おう運動」などの攻撃。僕が(広く浅く)かかわってきた「神経生
理、神経行動、行動学」という分野はこういう風潮の影響を真っ先にうける分野の一
つだったようです。 In vivo の神経系を実験材料とする場合、当然麻酔はかけたく
ありません。麻酔は神経の活動そのものに影響を及ぼすからです。しかし無麻酔でや
るとなると・・・・確かに脳自体には痛覚はないと言われていますが、神経回路網を
生理的に調べようとすると脳や末梢神経の直接電気刺激が必要になることがあります。
(テスターによる電気回路の導通チェックを思い出されたい。)
そして刺激される末梢神経には痛覚を司る軸索もたくさんふくまれているのです。・
・・おお! 神よ! なんてこった!(僕は一応無神論者だ)。事実、無麻酔で筋弛
緩のみの状態で行われたこうゆう実験は、材料に脊椎動物を使っている場合はまず確
実に accept されなくなっています(数年前までは問題なかったようです)。僕が比
較的深く関わっていた「視覚生理」では、未確認ながらもっとすごい噂が流れていま
す。いわく「笑気と筋弛緩剤で処理したネコの大脳の神経細胞の視覚応答を調べた論
文が reject された。その理由は『大きな物体を突然見せたときの視覚応答が報告さ
れているが、この刺激はなんの抵抗もできないネコに恐怖感を与えているはずだ。い
うまでもなく恐怖感は苦痛の一種である。こんな実験は倫理的に容認できない』とい
うものだった」。
 周囲がいつもこのての話で満ちあふれていたうえに、この問題に関して(悪い意味
でなく)かなり神経質になっていた先輩たちに「麻酔はかけたか?、動かないからっ
て意識がないわけじゃないんだぞ! 痛みって痛いんだぞ!」と大学院に入った当初
からことあるごとにびしびし言われてきた僕が(もともと根性が曲がっていたことも
手伝って)異常な感受性を身につけてしまったのは僕にとってはごく自然なことでし
た。       (↓HITO-netのこと)
 (ところで、このNetにもやってる方がいらっしゃったと思うのですが、脳切片
や切り出した脊髄を使った in vitro の実験における苦痛低減処理はどのような基準
のもとに行われているのかどなたかご存じですか?「なにをされても抵抗できない」
という点で筋弛緩などよりはるかに上を行く in vitro 実験ではよりきびしいガイ
ドラインがあるものと予想しているのですが)。
 
 さて、話を単細胞の生き物、酵母、大腸菌、培養細胞まで広げてみましょう。苦痛
というものは高度な中枢神経系しか持ち得ないものなのでしょうか。相手が痛みを感
じているかどうか確実に知る方法が無い以上この議論がほとんど空論であることはわ
かっています。正否を確かめる方法のない仮説は科学の扱うものではありません。し
かし、ことはもとより科学の領分を超えており、この議論の放棄はそのまま唯我論・
・・とまでは行かないものの自分以外の意識の存在を無視する立場に直結します。反
対になにも考えずに押し進めて行くと、臓器移植にともなう脳死判定の問題と同質の
立場、すなわち「相手に苦痛のないことが(脳の器質的死、あるいは不可逆的な「意
識の消失」が)明らかでない限りいかなる処置も(いかなる臓器摘出も)してはなら
ない、つまり生の材料を使った実験なんか絶対できない」というもう一つの極論に到
達します。そしてそれらの中間に「人間以外の生き物は苦痛を感じないとは言えない
が、たとえ感じていたとしても『この程度までは』人間の名のもとに許されることで
ある」という立場があります。現状では、多くの人がこの最後の考え方を取っている
のでしょう。しかし「どの程度か」は決められていないし決めることもできないと思
います。それに僕の知らない考え方がまだまだあるはずです。
 ヒトの知識欲にもとずく単細胞生物の(ひょっとすると苦痛すら伴わせるかもしれ
ない)大量殺戮を許す理由づけやいいわけはどんなものなのか、日常関わっている方
々に僕はお尋ねしたい。(その知識の恩恵を大勢のひとが受けているということは別
問題ですよね。)
 
 僕は・・・・僕は単細胞生物だって快不快は感じると思う。思うだけだけど、きっ
と感じてる。僕の異常な感受性にもとづく感情論ですけど。
 ネコは押さえつけられると抵抗します。だんだん怒りをつのらせながら抵抗は徐々
に激しくなっていき、ときには無意味とも思える反応をします。ゾウリムシを脱脂綿
の繊維で押さえつけたりつついたりすると、ネコと同じ反応を示します。抵抗はだん
だん激しくなり「こやつ、なに考えとるんじゃ?」と言いたくなるような行動もしま
す。ヒトの子供も同じ。「押さえつけ」に対する行動を指標として見る限りこの三者
に違いはありません。よく知らんのですが細菌の代謝系は環境が変化するとそれに合
うように変化することができ、適応しきれなくなったときに死んでしまいます。毒を
食らった人間は必死でそれに対応し、適応しきれないと死に、その過程で苦痛を味わ
います。ヒトの感じることを細菌が感じていないとは決して言えません。脱脂綿に押
さえられてもがくゾウリムシを見て、それがなんの心も感覚ももたないなどとは誰も
言えません。
 あるシステムがある。それはある程度までの環境変化やストレスに適応することが
できる。変化やストレスがある閾値より大きいと、そのシステムはきっときっと、苦
痛を感じています。おけらだって、あめんぼだって、銀行のオンラインシステムだっ
て、ね。いかに単純なものであれ、「システム」の名で呼ばれうるものはとりあえず
尊敬して接するのが無難・・・なのかな?
   (これでとりあえず結論を出したつもりになるのんきな僕であった。)


分子生物学の部屋 27/50 (follow of 25) : << followed >>
Subject: 痛みについて・・・
Name: Shiba #8
Date: 1:39 am  Sun Feb 19, 1989
 
Re: 痛みって痛いのよ!

 2月14日のAgnusさんの「痛みって痛いのよ」は、興味深く読ませて
頂きました。なによりも、驚いたのが、論文が実験動物に対して不当な苦痛を
与えているということが理由でrejectされることがあるということを知
ったことです。私なんかは、大腸菌を材料に実験を行っていますので、そのよ
うな気遣いをしたことがありませんし、そのような話を聞いたこともありませ
んでした。
 Agnusさんの「ヒトの知識欲にもとずく単細胞生物の(ひょっとすると
苦痛すら伴わせるかもしれない)大量殺戮を許す理由づけやいいわけはどんな
ものなのか、日常関わっている方々に僕はお尋ねしたい」という御発言に対し
て、日々、単細胞生物である大腸菌を大量殺菌しております、私がコメントを
述べさせて頂きたく存じます。
 まず、私は、大腸菌は苦痛を感じえないと結論します。ほんまかいな?と質
問されても大腸菌はそういう神経器官がないから当然、死ぬのがいやだとか、
アツアツアツとか感じえないと信じます。それでは、日々、大腸菌をすりつぶ
していて、良心の呵責とか、気の毒やとかを感じないかと問われますと・・・
これもぜんぜん感じません。感覚がマヒしたのではなく、こういう実験をやり
はじめたときから全然感じたことはありません。おそらく、酵母をつぶしてい
ても感じないでしょう。ただ、線虫とか、ショウジョウバエでは・・・・とな
ると、わかりません。何か感じるようになるでしょう。これは、なぜかと考え
てみると、それらの生物が苦しみを感じるか否かの問題よりも、それらの生物
の行動、クネクネ動いたり、しんどそうにしているのが視覚的に捉えることが
でき、なんとなく気の毒に思ってしまうのではないでしょうか。おそらく、大
腸菌も毎日、顕微鏡を見て、薬剤を入れると動きが激しくなって、やがて動か
なくなる・・とかそういうのを観察したりしていると、よっとして、「悪いな
・・」と思うかもしれませんが、実際には毎日扱っているのは、濁った菌液で
すので、殺しているという感覚は全然ありません。
 
 もう1つ、これは重要なことなのですが、我々単細胞生物を扱っている研究
者がもつと思われる独特の感覚を説明したいと思います。ご存じの通り、大腸
菌は分裂により増殖します。1匹の大腸菌は分裂して、全く同じの2匹となり
ます。それは、親と子ではなく、1つが2つに増えるのです。実験にはいろい
ろな菌株を用い、実際には自分の分離した変異株なんかには、非常な愛着をも
ちます。「今日は、XX株はご機嫌悪いな・・」とかなんとか、そういう非科
学的な思いも寄せます。そういう菌株は、いつも−70℃に冷凍してあり、必
要に応じて、一部を培養液に接種し、「増やしてやり」ます。この「増やして
やる」という感覚の説明が重要なポイントで、我々は大腸菌は、1匹1匹が、
意味のある単位ではなく、をある集団全体が1つの意味のある単位である感覚
(うまく表現できませんが)をもっています。いくら大量の菌をすりつぶして
も、それは「増やしてやった」ものであり、対象となる菌株自体は−70℃に
いつまでも、いくらでも増殖する潜在能力として存在します。いわゆる生物「
個体」という感覚がないのでしょう。したがって、大量の菌株を殺しても、「
XX株ちゃんをちょっと増やして、DNAとってあげたからね。うれしいでし
ょ、XXちゃん」程度の感覚しかもってないのです。
 以上が、私の意見なのですが、いかがなものでしょう。


分子生物学の部屋 28/50 (follow of 27)
Subject: ありがとうございます
Name: Agnus #163
Date: 2:56 pm  Tue Feb 21, 1989
 
Re: 痛みについて・・・

 Shibaさん、丁寧なコメントをどうもありがとうございます。まさに僕が尋ね
んとしていた点を突いていただけました。そしてその内容は僕にとって予想外、また
も「カルチャーショック」を感じてしまいました。
 苦痛を感じることのできるのが神経系だけであるかどうかは今のところは信念の問
題としかなり得ないのでとりあえず優先順位を下げておきます。
 まず、最近米英を席捲しつつある狂信的ともいえる動物愛護思想の攻撃をまだ受け
ていない分野があることに驚きました。生物化学や分子生物の世界では倫理上の問題
は起こっていない・・・・そうなのですか、と素直に認めることしかできません。動
物愛護団体の過激派が実験施設や研究者にテロ行為をしかけたなどというニュースが
海の向こうから流れてくるたびに「ああ!次は日本の番に違いない!」と、後ろめた
いところの多すぎる僕なんかは恐れおののいているのに・・・ずるいや! 手にかけ
た生き物の個体数はShibaさんの方が十桁は大きいはずじゃないか・・・
 そう、その「個体」の概念にも人によって差があるのがおもしろいですね。単細胞
生物を扱う方々の、その生き物を集団としてのみ見る捉え方もほんとうに意外なもの
でした。一読した直後に持ったイメージは「実験室内のどこにも見えない幽霊のよう
な存在を魔法と呪文で支配する生化学者たち」というわけのわからんものでしたが、
落ち着いて考えることによりなんとか理解できたように思います。「菌株の一部を解
凍して増やして実験に使う」というのは「大きな生き物から命に別状ない程度の組織
を取り出して検査する」のと同じ感覚なのだと了解したのですが、それでいいでしょ
うか? 僕も実験や殺しの際に「ガイアおばさんの組織検査をしただけだい、痛そう
にしてるけど組織片なんだから痛みなんか感じてないはずさ!」と考えればかなり気
が楽になるでしょう・・・でも自分自身も同レベルの存在なのですから、難しいだろ
うなあ・・・・

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最後の30行ほどの私の書き込みはあまりにも無内容なので見なかったことにして下
さい。また、この問題についてさらにご意見等いただけるとありがたく存じます。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
                             Agnus

#0002 sci1060  8906250143

>Agnus閣下
 なかなか面白いテーマのUP、ありがとうございました。
 小生も動物実験に関わりを持つものとして、興味深く存じまする。
 まあ、動物実験ってえのは、小生はまあ必要悪って言ってもいいんじゃないか
と思っているのですが、ただ動物実験を倫理的に問題があると感じずに、実験
やる神経って、ちょっと勘弁してもらいたいとおもっちゃうんでがす。
 やっぱり、罪なものは罪なものとして、「科学の発展のため」なんてえ白々し
い言い訳しねえで、「おいらも罪なことしてんなあ」って、「痛みを感じて」欲
しいなあと思うんですが・・・

 自分の論文のために、動物殺すのと、商売のために殺生するのってよく似てる
と思いつつ、商売のために動物虐めてる阿波でござりまする。

              地球防衛軍二代目偽長・阿波六吉

#0003 kimot    8906250350

 すいません、Agnus様、すっかりお手数をかけてしまいました。

 小生が、Agnus様のアーティクル(およびShiba様のRES)
をサイエンスネット、とくにこの「自然・環境ボード」にアクセスされ
る方に読んでいただければ、大変有意義である、と愚考いたしましたの
は、ひとえにこのアーティクルが、実験の現場というヒトとヒト以外の
生物が「面と向き合う」場面から出発して、ヒトと生物との関係をどう
とらえるべきか、という非常に重い哲学的といえる「問い」をはらんで
いるためです。しかも、こうした問題を、Agnus様のたくみな文章
で、生物学の現場の雰囲気とともに読める、というのは、たいへん私に
とっては幸福なことでありました。
 ムズムズ会議でも、問題のひとつのポイントは、ヒト側の自然観の「
あるべきよう」であり、つまり、他者として立ち現れて来る「動植物」
たちとの関係を、どのような態度で結ぶべきなのか、ということにある
ように感じます。
 私は、このHITO−netでの書き込みに、啓発されるところ大で
した。

 とりあえず、お願い者のひとことでございました。

                 科学朝日 木元・拝

#0004 sci3395  8906251038

 まず最初に、Agnus閣下ほか生物学各分野の関係者諸氏に、深く
お詫び致します。私は今まで、無意識的に「生物学系の研究者は、倫理
を公的な立場で考える事はあっても、『痛み』を感受することはないだ
ろう」という、はなはだ一方的な偏見を持っていたようです。
 基調(正確には#1)を読み進めるうち、正直な話「何だ?この人は。
本当に現場の人?」と疑いさえしてしまいました(そこで初めて自分の
偏見に気がついたのです)。本当に申し訳ない。ブッテ ブッテ ブッテェ
 もちろん別に「生物学者、人にあらず」とか考えていたわけではなく、
単純に、そんなこと一々感じてたらこの手の仕事はやってられないだろ
うナと思っていたんです。しかし、よく考えれば、どの世界でも現場ほ
どシビアものはないでしょうし、殺すのが趣味でやってるわけじゃない
んだから、当然、日々直面する選択肢自体は存在するんですものね。ま
ったくぅ、私って、あさはかみつけ永田町(別に政治批判ではない)。

 全くの門外漢ですが、私も、結構「痛み」には病的な過敏さを示す「
痛がり」なのです。以前、ゴキブリを殺そうとする姉(彼女はゴキブリ
だけは病的に嫌い)と大口論になり決裂、以来二人の間でこの問題はタ
ブーとなってしまった、という過去もあるんです。いやー、俺も若かっ
たなー、はっはっ、は、……。ウッ、 クライ カコ(?)

 さて、Agnus閣下もおっしゃった「恐怖感」を含めた「痛み」。
私は、これが実はものスゴーク重要なものなんじゃないか、と、スゴー
ク非科学的に思っています。何が非科学的って、私の場合、痛みを感じ
た個体を見た、別個体が感じるモノまで、同質の「痛み」の枠に入れち
ゃおうってんですから。
 そう、Shibaさんの文中にあった「しんどそうにしているのが視
覚的に捉えることができ、なんとなく気の毒に思ってしまうのではない
か」というあたりです。(さすがは学者さん。細かい自己分析)

 私は、どうも倫理というヤツが苦手です。自分の中に善悪の価値観が
ないわけじゃないんですが、「人間としての倫理」「人類の倫理」とか
言われるともうダメ。アメリキの保護団体が「クジラを食べる野蛮人」
とかいうと、「インドじゃ牛さんが神様なんだぞ」と小声で言いながら
裏口から逃げちゃいます(懺悔その一 私はイルカも食ったことある)。

 例えば、#1にある、人間の名のもとに許される生物殺傷とは「どの
程度か」という問題。これを「おしりムズムズ会議」語録で強引に変換
すると、「ヒトの生存にとって必要な、生物ピラミッドを脅かさない程
度の自然破壊行為」となる(強引すぎた?)。とすると「菌株の一部を
解凍して増やして実験に使う」のは、全く問題なし。でもやっぱり、そ
うは問屋がおしりムズムズ。
 ここで倫理クンの登場と相成ったわけですが、しかしどーにもボーダ
ーラインが見つけにくい…。なんかとてつもなく「不自然」さが漂うん
ですよね。いかがでしょ?

    「だいたい、なんで生物を殺しちゃいけないのヨ?」

 無謀にも「おしりムズムズ」をここに持ってきたのは、この辺の問題
なんです。阿波議長閣下のレスに大方賛成なんですが、「必要悪」とい
う表現にどうしても引っ掛かって………いえ、逆らおうなんて、めっそ
うもございま…えっ、銃殺?

    以下次号に続くか? 匿名希望の屯田兵     MUTA
PS:
>社務猫閣下
 「おしりムズムズ会議」で、私が書こうと思っていた内容が、
 どうもこちらの方向性に近かったので、この様な形になってしまいました。
ここの主旨自体、個人的には「ムズムズ分室」的な気がするんですが…。

#0005 sci2449  8906260233

 私がいた文科系の学科は、何故か生物学実験なんかが必修になっていて、あるとき、
三浦半島のさきっぽまでお出掛けしたわけです。
 ウニの発生を眺めたり、磯にいる生き物たちを採集するのです。理科系の人たちと合
同の授業で、彼らは実に真摯に実験に取り組むのですが(内容も高度です)、私たちは
ヨタ話を飛ばしながら、半分遠足気分です。
 例えば、海産物がたくさん詰まっている水槽を眺めながら、「ウニは物を考えている
か」というしょーもない議論がありました。カニ、とかタコなんかは「物を考えながら」
行動しているように思えるのです。しかしウニなんか、なあんにも考えていないよう
に見えますよね。あと、貝も考えていないだろうな。ナマコはどうかな。ゾウリムシな
んかは当然、「考えていない」部類に入ります。
 この感覚の違いがどこから出てくるかは、そのときの議論でも説明はつきませんでし
た。擬人化できるか否かが境目なのかな、という気もしますが。もっと海産物と親密な
付き合いをしている人は、また違う感覚があるでしょうね。
 私たちが下らない議論を交わしている間にも、理科系の人々は淡々と実験を進めてい
きます。「ああじゃないと、立派な科学者にはなれないんだろうなあ」とやっかみ半分
の声が上がったものです。
 というわけで(どういうわけなんだ!)、Agnusさんの話は本当に意外、でした。
それだけ動物たちに気配りしながら実験をやってたら、面倒でしょうに、という気が
しちゃったのです。
 獣医学科の女の子が「実験動物を殺すのはかわいそうだけど、さらに多くの動物の命
を救うためなの!」なあんて言ってましたっけ。
 それにしても、生物学科の現場の雰囲気がわかって、楽しかった、です。
 脈絡のないレスを入れてしまったかもしれません。     よいこ

#0006 sci2919  9005121509

現代思想の5月号の「虫の思想誌」の第5回、−マニアという名の罪人−池田
清彦箸に次のようなことが述べられていました。

「自然環境を定常システムとして保護しようとする観点からすれば、昆虫のよう
な個体数回復力の極めて大きい生物を採集禁止にすることは、ほとんど無意味に
等しいと言ってよい。昆虫の個体というのは哺乳類や鳥類の個体とは比べものに
ならないくらいに種の存続に対する比重が軽く、むしろキノコや木の実と同じよ
うなものだと思って間違いない。クマ1頭と蝶一匹の生命が同等ということはあ
り得ない。個体が特別に重く見えるのは、個人が特別に重いと考える人間原理の
無原則的拡張のせいであって、それ以上の根拠はない。」とあります。

この人間原理の無原則的拡張に対してどのような反論が可能であるのか、興味の
湧くところです。

              加藤治

#0007 kimot    9005130024

 小生はこの人の主張そのものには、とくに反論はありません。
個体の保護よりも、多くの場合その種の持続を支えるシステム
(例:森だとか湿原だとか河川だとか...)の保護のほうが、
より重要な課題であるからです。

 ただし、かすかにひっかかるのは、この主張を、ここでいう
「人間原理」にとってもっとも好ましくないように読みかえた
場合どうなるか、です。こうなります。
「個人がさして重要ではないのは、個体がさして重要ではない
とするシステム原理の無理のない拡張である」

 こんなことを書いていると、なぁんだ、また安直なマスコミ
人の定番商品の、国民社会主義運動(ナチズム)への批判かぁ、
とウンザリする人もいると思いますが...しかし、環境およ
び生態系の重視という主張を、どんどんつきつめていくと、そ
れが個人の福祉と対立するぬきさしならない場面に出会う可能
性には、留意が必要です。たとえば、呼吸を維持する電力がな
ければ生存が危うい個人が、確かにいるのです。

 個体の生命へのシンパシーを、たとえそこになんらかの歪が
あったとしても、鼻先で「ふふん」と全否定してしまうとした
ら、それはちょっとカンベンしてくださいよぉ、と言いたくな
ります。もちろん、この論文の筆者は、そんなことはないと思
いますが。

 個体の重要度のものさしとは何か。また個人(ヒトの個体)
の重要さと他の生物における個体の重要さとが異なるとすると
したら、その根拠はなにか。こういった問題をどう考えている
か、おりがあればこの論文を読んで知りたいと思います。

 いずれにせよ、基本的にはこの人の言うことに同感なので、
上に書いたのはささいな気がかりでしかありません。

木元・拝

 なお、虫の捕獲禁止やら、「ペットのねこっかわいがり」
「お濠のカルガモでバカ騒ぎ」といった個体の重視の原因につ
いては、ヒト個体の重視の延長といえばその通りですが、小生
はほんの少し付け加えてみたい誘惑にかられます。
 それは、死のリアリティの減少です。OECD諸国に限れば、
以前に比べてヒトはなかなか死ななくなりました。身近な空間
で、ヒトの個体死は、”貴重品”です。小生はそこいらに、
「個体の生命というのは全地球よりも重いんだ」(似たような
ことを言ったじいさんがいたが、関係ありましぇん)といささ
かムチャな言い方もなんとなく通ってしまう土壌があるかしん
ない、と思っています....ただし、自信はありません。