nat00023 会議>「おしりムズムズ会議」

#0000 sci1004  8903300723

環境問題を語るときの「態度」について話し合うコーナーです.
奮ってご参加下さい.

#0001 sci1004  8903300724

 <おしりムズムズ>とは.

 ある意見が表明されたとします.たとえばあなたがそれを聞く側だとしたら,
どんな意見だったら,聞いていて気持ちがいいでしょうか.そして,たとえば
あなたが意見を表明する立場であれば,どのような意見をだせば歓迎されると
考えるでしょうか.

 聞くにしろ言うにしろ,いちばん好感が持たれるのは,「首尾一貫」した意見
であり,態度であることは論を待ちません.一本スジが通っていて,スキッとで
きれば(こらこら,そこで笑ってはいけません),こんな気持ちのいいことはあ
りません.そうですよね.

 もとより「首尾一貫」・「言行一致」したことを表明するのは,難しいことと
されていますが,近頃の状況は,ますますこれらの態度表明を難しくしているよ
うに感じられます.B型社会,などと言われて久しいですが,長いものに巻かれ
ながら,長いものを反駁することができにくい状況が,ますます進んできてしま
っているのです.

 環境問題にしてもそうです.いくら環境破壊を嘆いても,自身が環境破壊源に
なってしまうことに気づいてしまうのです.物質文明などといいますが,その文
明の中で生きていくための欲求それ自身が,環境・自然破壊と直接間接的に関わ
っているとも言えるのです.

 しかし,「私は破壊源だから環境問題に口は出さない」「お前は破壊源なのだ
から環境問題に口を出すな」という態度に,「首尾一貫」「言行一致」という賛
辞を授けていいのでしょうか.これとは逆に,「破壊源なのは重々承知している
がやはり環境問題を語りたい」という態度は「言行不一致」というレッテルを甘
んじて受けなければならないのでしょうか.

 とこれが,いままでの地球防衛軍予備隊で語られた,「おしりムズムズ」問題
の骨子です.首尾一貫はしていないし,言行も一致していない.しかし環境問題
を語りたい.では,環境問題を語るときのバックボーンとはどうあるべきか?,
を色々な側面から語り合っていただきたいと思います.

 では,ぼちぼちと会議をはじめましょうか.社務猫.

#0002 sci1004  8903300725

 では,会議の口火を切るために,一つの問題提起をしましょう.

 「あなたが環境問題を語るときに,どんな事で『おしりムズムズ』を感じられ
 ましたか?」

 よろしければ,差障りの無い程度で具体的に教えて下さい.

 では,撃ち方ハジメ!

#0003 sci1260  8904010501

 わたしは、そのころ逗子にいて、富野市長の顔を遠くで見たりしながら、この
騒ぎはなんなんだろう、と思っていました。数日後、市議選挙があり、緑派は過
半数を取れずに共倒れとなっていました。
 わたしがお茶を飲んでいたのは、新興住宅地である開発された丘の半ばの喫茶
店で、やがてそこが自民党系の議員さんの後援会事務所であることに気が付きま
した。議員さんが、こう言うのが聞こえました。
 「この山だって、新住民が潰したみたいなモンだぜ、宅地にしてサ」

 わたし自身は、「お前は破壊源なのだから環境問題に口を出すな」というよう
な強烈な言い方をされた事はありません。でも、いつもどこかで、この議員さん
の声が耳なりの第一ホルマントになっている気がします。
 むずむずしてくるのです。自己嫌悪となるのです。

 もうひとつ、自己が自然破壊源でありつつ、一方で自然破壊に反対するという
「言行不一致」の存在について。わたしの脳の中では、これは「中庸」という概
念の定義の困難と、表裏を為しています。
 これは、おいおい、かたっていきましょう。
                            ムカシトカゲ

#0004 sci1004  8904062224

 そうですね,池子の問題で言われるところの”新住民”を攻撃する材料として,
「山を切り開いて,新住民が入ってきた」っていうのが必ずありますね.これも,
「破壊源なのだから口を出すな」のバリエーションでしょう.

 ただ,新住民が「口を出すな」と言われていることに,どのように自分達の態度
を外部に説明しているのか,ちょっと思い当たらないなあ.あまりこの点は報道さ
れなかったような気がしたのですが.どなたか御存知ありませんか?

 似たような事を某大臣も言ってましたねえ.たしか原発ボードにあったと思いま
すが,「冷蔵庫を使っている人間が,原発反対を叫ぶな」という内容だったと思い
ます.しかし大臣のこの言葉には「おしりムズムズ」とはならなかったのはなぜな
んでしょうねえ.(あ,僕の場合です.うーん反権力かな?)

 僕の場合のムズムズ源は,やはり「自動車」ですね.
 家業でも運転するし,通学には樹海の中を(ウソウソ)バイクで通学するし,いけな
いと思いながら運転してますね(最近は享楽的運転はしてません).しかしねえ,
いるんですよ,必要以上にいろいろバラまいて運転しているのが.最近,ギンギン
のトラック野郎(音はピーピーガーガー煙モウモウ つまり改造してある),と話
す機会がありまして・・・

ぼ:「いやあ,ギンギンですねえ」
ト:「かっこいいべ!」
ぼ:「しかし,でかい音ですねえ」
ト:「まあ馬力が上がるからな」
ぼ:「運転しててうるさいでしょう」
ト:「なれちまったい」
ぼ:「道路沿いもうるさいんじゃないかなあ」
ト:「まあそおかもしんねえけどよお,道路沿いの奴らだって車運転すんべえ,そ
れにおめえだって運転すんべえ?」
ぼ:「まあそうだけど・・・」

 これ以上反論することもできるけど,やはり思いとどまってしまうんですよねえ.
まさしく,「おしりムズムズ」の瞬間でした.

 うーんムツカシイ・・・社務猫

#0005 sci1260  8904070406

環境の保全を唱えるためのロジックって、実はホントにつきつめると
難しいんですよね。社務猫閣下のおっしゃるように....

フランス革命のスローガン(ひいては、現代の欧州型文明全般にまで
拡張できるかもしれませんが)は、自由、平等、博愛でした。
このうち、平等の達成という課題に最も寄与したのは、工業技術なの
かもしれません。少なくとも生活水準の点では、全体のパイがでかく
なれば、「通時的(ディアクロニック)な平等」ともいうべき幻想の
世界が発生します。つまり、1970年のサラリーマンは、1770年のブル
ジョアであり、1070年の中部欧州の豪族と同程度の生活を「部分的な
がら」達成しているのかもしれませんから。

さて、そうなると、近代社会の根幹を形成するパーツに対して、自然
保護運動は激突せざるを得なくなります。これは、ときどき、「エコ
ファシズム」という言葉で表現されますよね。たとえば、発展途上国
に対して「緑色の貧乏」を先進国が強制できるか?ああムツカシイ。
自然保護運動は、「パイの拡大」という近代民主主義社会の屋台骨を
支えてきたマジックに、いちゃもんをつけるムーブメントなのです。

                    ムカシトカゲ

#0006 sci2714  8904082050

ちょっと、KITAの出足が遅いのですが、
 待ってて下さい ナ.
       待てぬなら、待つまで待とう、まみむめも KITA

#0007 sci1060  8904130334

 確かに「エコファシズム」に、陥ることには用心した方がいいと思います。

 その辺、私は楽観的かつアバウトに、「人間の心を豊にする限りの開発
(=自然破壊)はゆるされる」と、考えています。まあ、「豊か」ってえのの
定義をしない以上、なんにも言ってないのに等しいのですが・・・
 私にとってリゾート開発だの、原発だの、米軍施設だのなんてえのは、人間の
競争だの煩悩だののタマモノであって、ちっとも「豊か」じゃない。
 「博愛」も「平等」も生まれる素地は無いと思います。

 自然破壊は、原則としては「罪」だとは、思いますが、罪を犯さずに人間
生きられない。
 しかし、「罪」を犯した奴は文句を言うなとなったら、この世の問題について
誰も言う資格がなくなっちゃう。自分が共犯者でも、その問題はしっかり見すえる
勇気が必要だと思います。
 100点満点の生き方なんて、できっこない!だったら自分の良心に忠実に
生きた方が、私は安心です。だから、なんの成果にもならないかも知れない
けど、出来る範囲でなんかはやるってところで突っ張るしかないなと思って
ます。

 それと、例えば汚染は家庭排水のせい、なんてえ言い方は、実は私、ちょっと
眉唾だと思っています。確かに工場からの露骨な排水は少なくなりましたが・・
例えば、治水工事で河床をコンクリで固めて、河川の自浄能力をなくしちゃった
行政や土建屋さんの責任とかを、隠蔽する役割を果たしていないでしょうか?
我々も犯人かも知れませんが、実は万引しかしていないのに、殺人犯人にされ
ているかも知れないんじゃないか?・・・と思っています。

                         阿波六吉

#0008 sci1260  8904140054

阿波閣下、いやあみどもも心が多少休まるここちぞいたしまする。
確かに、「程度」という視点がやはり必要でしょうね。
そして、殺人犯が「ええっ、ボク消しゴムを万引しただけだあい」
と言い逃れることがないよう、監視している必要があるでしょうネ。

                     ムカシトカゲ

#0009 sci1004  8904161924

 トカゲ議長の御卓見のように,環境保全のロジックは,前近代から近代へ
という,大きな成果を否定してしまう意味も内包していると思います.過度の
環境保全を訴えるとき,自然を愛す/緑を愛す/国土を愛す/国を愛す・・・
っていう,近代から前近代への逆戻り的思考もあながち無いとは言いきれない
し,出征していく兵士に万葉集を持たせようってな運動もあったことを考え合
わせると・・・・やはりエコファシズムっていうのは少々恐い気がします.

 しかし僕は,エコファシズムは,おしりムズムズの裏返しなのではないかと
考えています.共犯者であることを認識せずに環境保全を訴えるのが,エコフ
ァシズムで,共犯者であることを自ら認識しつつ環境保全を考えて行くのが,
おしりムズムズなのではないかと(ちょっと乱暴かな)・・・・となると,こ
れまた議長のご慧眼の如く,「中庸」っていう考え方に集束してくる面も多分
にあるのでは,と,ほとんどオンブオバケ(覚えてる?)した意見になってく
るのですねえ.

 それと,環境保全を口にするだけで,”エゴ”とレッテルをはってしまう行
政府の態度.これでは全ての環境保護運動が”エコファシズム”にされてしま
う.これも一つの問題ですね.面倒くさくなったら”エゴ”の一言で片付けち
ゃうんだから,簡単でいいよねえ.

 阿波閣下の御視座,まことにその通りだと思います.出来得れば,我々の考
える”豊かさ”をだんだんと詰めて行くのも,この会議の目玉にしたいと思っ
ています.

 というわけで,ここまででも数多くの問題提起がされていますが,基調発言
を含めて全ての呼掛けが生きていますから,どうぞ御遠慮なく参加下さい.

****
遅刻のお詫びに,余談.

横にどぶ川が流れている職場に努める公務員におしりムズムズの話をしたら,
こんな反応がありました.(わかる人向け)

「ああ,それって**塚のデモに行くのに,京成線に乗って行く***みたいな
もんかねえ.・・・京成線って座席が固いんだよねえ」

うーん,わかってんのかなあ.
                                社務猫.

#0010 sci1731  8904162349

東南アジアの森林破壊を増長させているのが、日本の大量木材輸入だとか、
プラスチックを餌と間違えて死んだアホウドリを調べたら、ほぼすべてが
日本製だったとか(おいしい?)。
                                                        Shadow

#0011 sci1260  8904180155

そう、今や日本は、「地球破壊国家」の名をほしいままにしている
よーな気がします。先日のNatureを読んでも、もうアマゾン
の破壊の元狂だ、と悪口ばあっかり。
「世界熱帯木材機関」(ITTO)の本部は、横浜の産貿ビルの中
にあります。商工会議所と同じフロアです。なんだか、経済的視点
を軸にしたシステムの象徴のような気がします。
ワダクシは新婚旅行にインドネシアとマレーシアに行きました。
フタバガキの、美林を、かいま見ました(細かい樹種は知らない)。
そんな熱帯林を、カネにあかせて切っているのが、華僑資本であり、
背後の日本の需要者だと聞きました。原木の輸出が止まっても、そ
れは製材のカタチにシフトするだけです。
たしかに、数字的には、熱帯材の輸入は減少しているみたいですが、
でも、それは、今後切られる木は、残されたわずかな森林だ、とい
うことでもある気がします。

そして、わたしの今寝ているベッドの材質は、どうやら一部はラワ
ンのようです。
Shadow閣下、考えていると、ムズムズ卒中死しそうです、ワダクシ
は。

社務猫閣下、いやー「卓見」ですか、うれしいなあ、にょほほ。
しかし、自分を認識しているかしていないか、で「エコひとらあ」
と「むずむず」が分岐するといふ学説こそ、これは防衛軍の宝と
すへきものでありましょう。

       <<<地球防衛軍人事>>>
地球防衛軍は、社務猫閣下の「ムズムズ」会議開催の労をねぎらい、
ここにおごそかに、同閣下を「地球防衛軍哲人将軍」に任じ、今後
も哲学・倫理面の思想強化にまいしんしてくんなんし、とお願いす
るものであるッ
                   地球ぼーえー軍人事部

                       ムカシトカゲ

#0012 sci1731  8904182351

私の住んでいるところは、十数年前に山を切り開いて造られた所です。
引っ越してきた当時は、原住民の友達から、「お前の住んでいるところが
出来たおかげで、魚が沢山いた池や沼がみんな埋められてしまったわい。」
といって非難されました。私には返す言葉がなかった。。。。
                                                        Shadow

#0013 sci1004  8904210311

 おっとすみません.哲人将軍の任命に嬉しさのあまり,ボーッとしておりました.

 Shadow閣下,ムズムズ体験ありがとうございました.あのシブーイ閣下におかれま
しては(一度お会いしたことがある),やはり返す言葉がないときでも,しぶくムズ
ムズされるのではないかと,想像いたします.(茶化したわけではないですよ)

 僕なんかはズルイですから,「住んでるだけで,おれが造成したわけじゃねえ」な
んて言ってしまいそうですが(ムズムズ),やはりこれは言葉を失いますね.池子問題で
は,その辺りどのように説明してるのかちょっと調べてみようかなあ.(データベー
スは高い!)

 宅地化と環境問題ってのは,えらく難しいムズムズ問題なんですよね.誰を敵?に
設定していいのかが,まず困惑してしまう.一部では宅地化の波にさらされないよう
に,ナショナルトラスト運動とかの広がりもありますが(柿田川周辺もそうなんです
よね?),やはり宅地化されてしまってはねえ・・・
 これは,政治とか経済とかの問題が複雑に絡みあってるからこそ,難しいんでしょ
うがねえ.

 だからといって,住人が悪いと断定していいものでもないだろうし.

                          頭もムズムズ.社務猫.

#0014 sci1731  8904220035

社務猫将軍閣下、憶えていて下さって光栄です。

そんなにシブーく見えましたかぁ? いつもはとても優柔不断なんですが。
でも、将軍閣下が「おれが造成したわけじゅあねえ」って言っただけで
相手は言葉を無くしてしまうように見えますよ。(茶化した訳ではないです)

 最近なんとなく思うんですが、池子が、米軍住宅でなく、一般住宅の建設
だったら、あんなにも反対運動は盛り上がっていなかったでしょうね。

 んーー、やっぱり土地を売った奴が一番悪い! というところでしょうか。

                                沈着・霊精な指令官      Shadow

#0015 sci1260  8904221450

 四角いアタマを丸くする....(すると、出家してしまうのだろーか)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「自然破壊はやめてくんろ」
「じゃ、おめーの住んでいる所はナンナンだ。おめーだって、破壊者じゃねーか」
「.....(A).....」

設問 (A)に当てはまる適切な文章を書け。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 とゆーのが、課題ですね、まとめますと。うーむ。ほんとうにえらく難しい。

 池子は、デベロッパーが日本国という大店(おおだな)なので、行政問題にな
じみやすいのですが、これが東急や国土計画や西武セゾングループや京急なんか
だったら、Shadow司令官のおっしゃるように、イマイチ迫力はなかったでしょう
ねー。そして、店子が米軍さんだったおかげで、「ナントカが丘」「カントカ台」
にならずに済んでいる、といえるかもしれません。

 今後の宅地開発については、それが行政のひと声だけで左右されてはかなわん、
というところでしょうか。具体的には、市街化調整区域の線引きの見直しを軽々に
やってくれるな、ということです。
 わが練馬でも、区と都の折衝で用途地域の線引きの改定が進んでいますが、早い
ハナシがどんどん高いビルを建てられるようになる、どんどん建坪率・容積率が緩
やかになる、とゆー傾向へ向かっての改定です。つまり、「都市化」です。

 自治体によっては、住環境維持に、きわめて心を砕いているところもあります(
例:福岡市の通勤圏内にある久山町は、町の96%が市街化調整区域となっていま
す)。
 上の設問には、まったく答えないことになってしまいますが、まず、行政の動き
を監視すること、チェックが入れられる議会人を選出すること、がひとつの解決で
はあるのでしょう。
                            ムカシトカゲ

#0016 sci1004  8904260218

 わはは,これは的確かつ意表を突く設問ですねえ.

 そうでした,市街化調整区域の簡単な変更っていうのは問題ですね.
 わが家にもビラが入ってきますが,「近い内に”宅地化確実”,値上がり必至!」
なんて不動産屋のコピーが踊っているんですよねー.

 私が住む市の選挙が終わりまして,”緑と清流を”を唱える市長が再選されました.
対立候補が不動産屋だっただけに,落ちたらどうしようかと思っていたのですが,ホ
ッとしました.この市長は緑の保全に心を砕かれる方なので,やみくもな宅地化が抑
制されているんですよね.(どことは詳しく言いませんが,この時期の選挙ですから
わかりますね)
 議会人ともどもこういう首長もいるといいんですけどねえ.

 ところで,いまいち身内の誉め合いの感もしないでもないこの会議,ちょっと刺激
をと思いまして,よそのネットから面白い意見を強奪してきました.(もちろん,了
承済みですよ) 筆者はsci1180でもあられる,TOTOさんです.次の発言
にアップしましょう. よろしければ感想なぞ.

 えーと,いままでの問題提起もすべて有効ですので,臆せず書いてね.話が見えに
くくなったら,会議室を分けちゃえばいいんだから・・・ね,議長閣下.

                               社務猫

#0017 sci1004  8904260219

-NUM-  -R.DATE- -R.TIME- -SENDER-  -CONTENTS-
00768  89-04-06 23:12:10 TOTO      一日一件:自然保護???

  自然保護運動とかやっている方たちの意見を耳にしたりすると、「ご説ご
もっとも・・・」と思わざる得ないのだけれど、その方々と「じゃー、今度い
っしょに一杯やりましょうねぇー、いけるクチなんでしょ?ムフフフッ!」な
んて感じになれないのはなぜかしら?とかねがね疑問に思っていた。

    で、まぁー、いろいろ考えてみて気付いたのだけれど、「自然を守る」た
めには、どうやら私のようにノホホンと何となく生きていては駄目なようなの
だ。自分や人間たちのやっていることを絶えず「意識的に」「反省的に」見つ
めていかなければならないのだから・・・。

    つまり、人間が何事かを「自然にやっている」といつのまにか「自然を破
壊してしまう」という不可解な事態がここにあるわけだ。
    とすると、「自然保護運動」というのは、人間に対してとても「不自然」
な在り方を要求してくる運動ということになるのであるまいか?

  よく考えてみれば、これまでの地球史における生物による最大の環境汚染
は、光合成を営む植物の登場であり、その生みだす酸素という過激な物質によ
る汚染であった。これを汚染と思わないのは、それ以降登場した酸素を利用し
て生きる生物たちの勝手な思い込みであって、当時の地球上にいた嫌気性生物
のほとんどはこれで死滅してしまった。

    これはひとつの例に過ぎないけれど、自然はとりたてて自らを守ろうなん
てしてはいないのではないだろうか?そんな気がするのだ。人間が自然に自然
を破壊してしまうのはごく自然なことであって、それもまた自然の一部なので
はあるまいかと・・・。
  自然は「調和」の代名詞ではなく。むしろ、絶えざる破壊と創造そのもの
といって良いということもある。だが、とすると「自然を守る」というのはい
ったい何を意味するのであろうか?

    まぁー、という多分にへそまがり的意見を持つのは、私が自らの内外の自
然の力を畏怖しているからに相違ない。自然に対してとうていロマンチックに
はなれないわけだ。そして、そこから改めて「人間の生存のための自然環境保
護」について考えてみたらどうなるだろうかと思ったりしている。
  おそらく、そこに必要なのは「反自然学」とでもいったものであり、それ
こそがかつては宗教であったとも・・・。

                           日々に業(ごう)を営む                                                      平凡なる営業マンのTOTOでした。

#0018 sci1260  8904260533

 おお、社務猫哲人将軍閣下、またもやお題をありがとうございました。
 「話が見えにくくなったら,会議室を分けちゃえばいい」っつーのは、
まさにその通りでありんす。皆さんも、「これは独自に問いたいぞよ」と
いうテーマがあれば、どしどし基調を開設して下さいましネ。:-)

         <<<地球防衛軍標語>>>
         「書き込み一行、血の一滴」
        「守れアクセス、ボードの生命線」
          「書きてし止まむ」
                       :ぼーえー軍宣伝省:

 ところで、TOTO閣下の書き込みのご転載、ご苦労さまでありました。
うーむ、なかなか含蓄があるので、皆さんもケンケンフクヨーしませう。

         <<<地球防衛軍布告>>>
地球防衛軍は、ここにおごそかに、前項のTOTO閣下のアーティクルが
とても意義深いので、防衛軍選定図書とさだめ、各自で読んで考えるのも
よいことであるぞう君、とおすすめするものであるッ
                   :ぼーえー軍第1図書館師団:

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて以下は、ワダクシも読んで考えた、とゆーよーな事の中身。

 ワダクシの頭の中では事態はけっこー単純です。要するに、「自然・環
境の保護・保全は大事だわい」と自分もへらへら考える。その中で、何を
大事としているかといえば、実は「自然・環境」ではなくて、ヒト、の方
なのです。ワダクシにとって自然保護の気分のコアは、「ヒト(とくに、
自分をはじめとする身内)の生存にとって必要な自然・環境」を、どのよ
うに保護・保全していくか、なのでした。

 いうなれば、自然保護というのも、ある意味でヒトが他の生物種と同様
にもっている、存続・増殖を柱にしたエゴイズムを遂行する上での、スト
ラテジーの一種なのかもしれません。それは、それまで他の生物種が利用
してきた資源を人間のために役立てる、「開発」というストラテジーと、
実はさして変わるところはないのかもしれません。あくまで、ヒトの生存
が中心にある、という点では、同一だと思います。
 両者の違いは、他の種との種間関係への配慮の程度です。最大限の配慮
をしないと、結局はエクメーネ(ヒトの生存可能圏)を狭めることになる
であろーぞ、というのが「保護・保全」派の主張だ、とワダクシはぼやー
っと考えております。
 環境保全の中でも、直接ヒトの生存にはねかえる有害化学物質や、地形
のむやみな改造など、他の種が介在しないケースについては、問題はさら
に単純であるでしょう。

 付け加えれば、ユネスコが立てた野生生物種の保護計画は、「マン・ア
ンド・バイオスフェア」(ヒトと生命圏、と訳すのかな?略称はMAB=
マブと読みます)でした。決して、単なる「バイオスフェア」だけ、では
なくて、ヒトと生態系を対等に配置し、さらに突っ込んで考えれば、ヒト
をバイオスフェアの中から「切り出して」、特別の位置に考えています。
それは、バイオスフェア全体の命運を握る地位にヒトが立っていることか
らくる待遇であると同時に、やはり、「なんつーても、人間さまが大事」
だという感覚が基底にあると思います。逆にいえば、これは「やいこら、
ヒトさまが保護してやるのだ、ありがたく思うのだ」的ゴーマンの気分と
近隣関係にもあるのですが。

 だいたい、他の生物の視座でモノを考えるなんてことは、とうていでき
る相談ではない気がします。ヘンな格好したメタン喰いの古細菌に感情移
入してニタニタ笑っている奴がいたら、やっぱ変態でしょう。
 CO2 の問題にしても、多くの植物にとっては現在よりCO2 分圧が高
い方が好都合なのではないか(コムギでの実験では、CO2 を約10倍に
すると、生育の速度が倍程度になる...ただし、全バイオマス中に占め
る穀粒の重量の比はかなり下がるので、人間の食いぶちはあんまし変わら
ない)ともいわれます。しかし、一部の植物の幸福と、ヒトの生活エリア
が海進によって失われる危険(ホントかどーかは、知りませんが)とを天
秤にかけたら、やっぱ、「まー、化石燃料ムダ使いはよすべ」というほう
に気持ちは傾く気がします。

 ただし、こうした「ヒト上位型」モデル以外の、自然保護思想の構築も
可能ではないか、とも考えています。
 「万物斉同型」とでもいいましょうか、「華厳」モデルとでもいいまし
ょうか。つまり、わりとキリスト教的なヒト上位の系ではない、ヒトを自
然の内部に取り込むための便法の体系化です。
 けれど、その場合は、生態系の中にヒトをビルトインするための、様々
な「戒」の設定が必要になってくる気もして、厄介だなーと思っています。

 ところで、「ヒト上位」系に戻ると、TOTO閣下のお言葉、

>「自然を守る」ためには、どうやら私のようにノホホンと何となく生き
>ていては駄目なようなのだ。自分や人間たちのやっていることを絶えず
>「意識的に」「反省的に」見つめていかなければならないのだから・・。

というところのしょっぱなを、「人間を守る」としても、意味は通じると
思います(勝手に換骨奪胎しましてゴメンナサイ)。ヒトが、自分たちの行動に
センシティブになっていないと、未来がペシャンコになるくらい、われわ
れヒトのパワーがでかくなってきたのではないか、ということです。ワシ
ラが操舵している船は、もはやお堀の貸しボートなんかじゃなくて、超過
密の東京湾を潜水艦や釣り船を回避しながら突っ走るタンカーに近いのか
もしれません。
                           ムカシトカゲ

#0019 sci1731  8904292236

以前、PC-VANで、

「『自然保護』というのは、人間の思い上がった考え方であって、
人間こそ自然に守られているのだ。」

とおっしゃっていた人がおりました。実にもっともな事だと私は思いました。
別にこのボードの名前が悪いって言ってるわけではありませんけど・・・。
                                                Shadowでした

#0020 sci2782  8904302341

  お金がある時は(相対的なものですが)、ヒマがなくて御無沙汰しています。
時間を金で買いたい気分です。トカゲ議長はじめ諸閣下の活躍ぶりには、頭が下
がる思いであります。神奈川の片田舎から、各方面に向かって、最敬礼。
トカゲ議長からぼーえー軍暗号通信が発信されないよう頑張らなくチャ!!
ところで本題ですが....

  富士スバルラインの両側の白樺などが、立ち枯れてしまったのは、自動車の
排気ガスによるといわれています。しかし、これは主因ではないように思います。
山岳地帯とりわけ富士山のような独立峰には、「森林限界線」と呼ばれるものがあ
るそうです。これは、文字通り樹木が生存できる生命線です。この生命線の最前線
で頑張っているのが歩兵である「コケ類」で、その後方が比較的背丈の低い草木、
その後方が背丈の高い樹木だそうです。自動車が登り易いようにと、無造作に白樺
のど真ん中を切り裂いてしまった。青白くひ弱な士官候補生である白樺が、強風が
荒れ狂う最前線にほっぽり出されて生きて行ける訳がありません。勿論司令官気ど
りでいる浅薄な「考える葦」など即死

  ですから、「コケ類を後方援護により守る」ことが、即ち「バカな考える葦を
守る」ことだと思います。勿論、コケも白樺も考える葦も、先ず自分自身を守るた
め必死に戦っているのですから、時にはコケが勢力範囲を広げることもあると思い
ます。しかし現在は、文明という武器で重装備した考える葦が、「自分を守るため」、
「豊かさを求めるため」と称し

        「コケがこけたら、かんがえるあしにはあしたがない」と思う
                                        ダサイエンチスト でした。

    「byb@sm9_dh」
                    ↑
                   シフト

#0021 sci1260  8905030258

 おおお、Shadow閣下、本当にそのPC−VANの人のご発言は
考えられさせまする。

 簡単にいえば、地球環境の破壊は、人間の思い上がりが引き起こしている。
一方で、地球環境を保護するという考え方そのものが、やはり人間の思い上が
りである。つまり、人間が自然に対して優位であるという考え方は、開発側・
保護側、ともに共通している。
 この、思い上がり部分を問い直しなせえ、というのがそのPC−VANの閣
下のいわんとするところだと、ワダクシは理解しました。

 ところで、人間の思い上がりをえぐり出す、という思考作業が貫徹されるな
らば、そのPC−VAN閣下のいう「人間が自然に守られている」という言い
方は、実は、きわめてスプラッターな話題となる可能性をもって参ります。な
ぜならば自然は、特定の個体を「守る」存在ではないからです。

 おおざっぱに言えば、自然保護派がよく口にする「生態系」というものの中
で、きわめて大きなウェイトを占める種間関係は、「捕食」であり、栄養上の
「寄生」であり、また、相手とニッチを争う「競争」であったりします。こう
したラフな種の関係が、やがて洗練されて、ムダの少ない「相利共生」へと変
化していくという考え(こいつは、人間にとって道徳的に受け入れやすいので、
人気がある)もありますが、しかし誕生以来数10億年を経た系が、依然とし
て安定化していない(すべての種間関係が「共生」になっていない)というこ
とは、物質の伝達プロセスにおいて個体の不慮の死(食われる、分解される)
が生態系の中では今後も続くことが予想されます。

 つまり、生態系の中で生きる個体は、その幸福を決して約束されません。食
われ、かじられ、のみこまれ、たかられ....といった「鮮血ほとばしるB
級ホラー映画」に直面するかもしれん、しないといいなッ、とゆーことを覚悟
しなきゃなんないわけです。
 捕食ピラミッドのトップにいる種も、安閑としてはおれません。ウイルスな
んかにたかられて、死期をはやめたりするかもしれません(軍事将棋で、元帥
がスパイに刺されるようなもんですね)。
 こうしたスプラッターな場面を、なるべく自分たちは味あわないでおこーな、
とゆームシのいい生活世界を実現してきたのが、「農耕」と「産業革命」を経
たヒトであり、とくにその近代であるとはいえるでしょう。
 自然状態での生態系への参加を「できる限り」拒否することで、僕らは現在
の「ニートでリッチでクリーン」な近代生活を維持しているともいえるわけで
す。

 人間を、現在の特権的地位からひきずりおろし、そしてたぶん現行種の存続
などといったちまちましたことには関心がないほどスケールのでかそーな自然
のなかに「うまくはめこむ」には、大変な作業が必要になるはずです。
 血をみないで済む方法、たとえば、「相利共生」からだけ成り立っている閉
鎖維持生命系を構築すること、しかもそこに人間をはめこんで、なんていう難
事業が、果たして可能なんだろうか。うーむ。

 ワダクシは、人間が自然に守られている、という表現は条件を限定して使い
たいなー、と思います。つまり、人間の生存のために地球の自然は必要なもの
だが、しかし、自然の方は人間を含めた各生物種を積極的には保護していない、
とゆーよーな程度の関係でしょうか。
                             ムカシトカゲ

#0022 sci1260  8905030330

 おほっ、ダサイエンチスト閣下、暗号解読、ありがとやんした。

 富士スバルラインのはなし、興味ぶかく読みました。とゆーのは、よく
オヤジがドライブにつれていってくれたのが、この富士スバルラインだっ
たからです。
 なんか、身近に感じました。コケの話。

 つまり、森林の維持のためには、支援部隊のコケ類がある。コケがあん
まり大切じゃなさそーにみえるんで、はぐってしまうと、森もぱあになる。
同様に、人間の支援部隊を根こそぎにしてしまっては、やばいんじゃねー
か、というわけでありまするな。

 閣下が、コケ・白樺・「考える葦」で示された、バランスの問題は、こ
れは大切なことでありましょう。いくつかの自然界の中の勢力のうちで、
人間はバランスを崩して強大になってきた。
 そして肝心なことは、このバランスの乱れを、少なくとも遅延させるこ
とも人間にはできるのに、それを怠って、かえって自分のクビをしめるか
もしれないということなのでしょう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           <<<地球防衛軍布告>>>

 地球防衛軍の誇る人工無能システム「田圃ぱすかる」は、最近の文明のあり方
を深く憂慮しちゃったりして、ここにおごそかに、人間を「考える葦」と表現す
るのを改め、新たに「人間とは、考え梨、である」とするものであるッ

                          :ぼーえー軍AI局:
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところで、ダサイエンチスト閣下、「baobc!」
                             ムカシトカゲ

#0023 sci1004  8905030926

またもや ぼーーーっとしておりました.GW中は閉じ込もってデスクワーク
なもんで,時として幽体離脱のようなぼけーっとした状況に陥りそうです.
こんなのがボケーとしていたら,世間の迷惑でしょうねえ.あはは.

 ムズムズ問題を考えるときの一つの基盤っていうのは,やはり 自然と人間の
関係についての認識でしょうね.

 まあ,よく自然を表わすモデルとして「生物ピラミッド」なんていうのがあり
ますよねえ.その頂上に巣くっているのが,人間であるとする.その人間の事を
なんていうのだっけなあ,ターミナルアニマルだっけ,まあそんなように呼ぶん
だそうですね.(南極でのそれは,ペンギンだそうですね)

 しかし,人間はピラミッド上で果たすべき行動を放棄してしまった.では何を
したのかと言えば,自分達の生物的土台である,生物ピラミッド=自然,から利
用価値を取り出すことを発見してしまったのです.自然から利用価値を取り出す
行為=つまり生産行為であり,生産するなら商品という形態も発生する.要する
に経済行為なのですね.
 ということは,経済という知恵を持ってしまったときから人間は,ピラミッド
の頂上にいるという生物的(物理的)地位を利用しながら,ピラミッドを破壊す
る行為を続けざるを得なくなってしまった.そして,人間は何を得たのかと言え
ば,過酷な自然に束縛されない自由を獲得したのですね.

 と,ここまで書いて議長閣下の書き込みに気がつきました.いやあー困ったな
あ,議長さんはキレルなあ・・・・こりゃあ焼き直しだなあ・・・まあ続けます

 では,この自由を獲得した人間がする”自然”な行為とは,ピラミッドにとっ
てどんな意味があるのかと考えたとき,それはピラミッドにとって”不自然”な
敵対行為ではあるのですね.だから,TOTO閣下が,”自然にやっているとい
つのまにか自然を破壊してしまうという不可解な事態がここにある”と言われた
不可解な意味は,まさに経済に起因した問題であると思っています.

 しかし面白いことに,自然から束縛されない自由は何によって保証されている
かと問われれば,それはやはり自然なんですよね.つまり,「自然に保護されて
いるのが人間である」という考え方は,そのように解釈することも可能なのでは
と僕は考えます.ただPC−VAN氏がどのような意図で発言されたのかは不明
ですが.この辺が議長閣下とちょっと違いますかな?

 要するに環境問題とは,ピラミッドに乗っかっていながら,ピラミッドを破壊
してしまうという行為の矛盾を投影した問題ではないでしょうか.スバルライン
の白樺も正にピラミッドの破壊ですよね.・・・ははは,気がつきましたか?こ
の矛盾.まさにこの矛盾は,われわれのムズムズの矛盾の反転した意味をもって
いるように感じるのですがね.(反転の反転は元の意味だったりして)

 経済学から環境の問題が語られだしたのも,この矛盾からなのです.つまり,
パイの拡大を達成してきた経済がこの矛盾に直面し始めたのです.たゆまぬ発展
のための原資である自然が,産業革命以後の生産に於て消耗しつくす危険が見え
てきたのですね.つまりパイの縮小におびえつつ発展しているのが,現代の基本
的な状況認識とされています(この話はまた日を改めて書きましょう).・・・
と経済機構はある程度の危機を具現してからでないとなーんにも変わらないので
すよねえ.(などと経済学の無力さを感じたりする今日この頃)

            経済的な説明はかなり強引な話になるなあと感じる
                             社務猫でした.

***
 おっとダサイエンチストさま,いらっしゃいまし.大山の麓に友達が引っ越しまして
近々遊びに行くことになってます.おいしいと噂の例のわき水を飲んで来ますね.

 それから上の転載元のTOTO閣下ですが,胴元のネットの用事が落ち着き次第
こちらにも参加していただける由,お返事を戴きました.

 それと#1の実質基調発言ですが,どうも文章がおかしいことに気がつきました.
会議室を分ける際にでも直しますので,どうか御勘弁のほど.

 考え梨ねえ,ロクデ梨ってな気もしますねえ.しかしおかしいな!

#0024 sci1260  8905031240

 まー、パソ通なんてのは「幽体離脱」の最たるものかもしれませんね。
 「はやく書き込みがしたぁい」(妖怪人間ROM)
 「鬼太郎、早くCTRL-Cを投げるんじゃっ」(みかかの鬼太郎)
とくると、このボードなどで御用達の怪奇まんがは、そう、あれしかない!

 「エコ、エコ、アザラク」.....

 長いネタふりだったわりには、つまんなかったですね。もちろん、「エコ」に
意味があるのであって、「アザラク」にはなんの意義もありません。同じ様な構
造のネタとしては、妻の高校時代の世界史の先生がいっていたという、「わしは
アルタミラの洞窟」とゆーのがあります。これは、その先生が短足で、胴の下が
すぐ靴、だから「どうくつ」というつまんねー話題で、途中に思わせぶりに介在
する「アルタミラ」という単語には全くなんの意味も付与されていないという恐
るべきネタです。これこそ脱構築のだじゃれなのではないか、そう、「構造と力
うどん」だ、「ポスト・もんだみん」だ、くどくどくど.....

 ようするに、「キレル」などと望外のおほめをいただいたので、血管が切れた
だけです。もう治りました。「でも、のーそっちゅーなんて、そーしょっちゅー
あるもんではねーだ」。 やっぱ、治ってねーだ。

以上、余談>>>ブホブホブホ

 ワダクシは、きっと「自然に守られた人間」という表現の中に、自然を、その
構成者各個体にまでも慈愛に満ちたシステムととらえたり、あるいは自然への回
帰を全ての問題解決の快刀乱麻、むけばタマちる・・(げ、下劣じゃ、やめッ)
とにかく「万病快癒あうふへえべん丸」とする思考がひそんでおるのではないか、
と短絡的に考えてむきむきまんになっただけです。

 チナミニ、過酷な自然に束縛されない自由が自然によって保証されている、と
いう考え方(もしもワダクシの理解で間違っていなければ、後者の自然とはヒト
にとっての資源としての自然どえっす)に異をとなえるもんだみんではありなみ
ん...うう、ようするに、となえませんでしたのです。

 でも、「ピラミッド上で果たすべき行動を放棄してしまった」とゆーのは、ヒ
ト種の現状をスルドク表現しておられますな。ヒトが人間として生きるための行
動、人間にとっての「自然」な活動、つまり「経済活動」の獲得が、生命圏に対
して、さよなら、さよなら、さよなら(ここで淀長を思い浮かべるか、オフコー
スを想起するかで、盛り上がりが全然違います、うう、なんと親切なぼーえー軍
ドコガ)となったわけですねー。

 ところで、白樺を逆さに読むと「ばからし」です。昔、近所にあった「白樺荘」
というアパートは、「うそばからし」になります。二流別荘地でいかにもありそ
うな安直なネーミング「白樺の里」となると、「とさのばからし」となって、一
気に豪快な響きを帯びてきますが、小説にしても漫画にしても、とてもメジャー
な作品の題名とは思えません。結局、現在の白樺の多くは、ピラミッド構成の人
為的交替によってえばってる、スカな奴、とゆーところかもしれません。

 「パイの縮小におびえつつ発展しているのが,現代の基本的な状況認識とされ
ています」の話、楽しみにしておりまする。でも、あまりニートでリッチでクリ
ーンでルーシーショーなGWではないご様子...根をお詰めになられませぬよ
うに、「ぽれぽれ」でお願いしまするぞっ

 末筆ながら、TOTO閣下のご参加、まちどおーしーなあっと、るんるん。
                              ムカシトカゲ

#0025 sci2714  8905032053

(いきなりですが、これはおしりムズムズというより、おしりムリョクなのですが)

先月で連載が終了しましたが、毎週日曜日に連載されてました大江志乃夫さんの「花綵
(はなづな)の海辺から」は話が分かりやすかった。3月5日と19日には白保に関連
したことも書いていた。

環境保護の面だけでなく開発による経済的影響、大資本の観光産業が入ってくることに
よる地元の観光産業の影響などを具体例で示している。どこの開発でも同様なのかは判
りませんが、開発を進めるときは地元への利益を最大限に打ち出しておきながら、結局
大手資本の進出で旨味は大手に流れてしまうのだろうことが見えてくる。そんな中での
地元の人の苦悩も見えてくる。

こういった問題をみていると、結局自分は外野というか観客席にいるだけなんだなぁ、
と思ってしまう。
                                             野球には興味がないKITA

#0026 sci1260  8905040027

ぼうえい軍通信>>>トトトトトピピピピヒ

KITA閣下へのRESを書いたのですが、ムズムズ問題と
やや離れてしまいましたので、#7連絡コオナアにアップし
ましてん。ゆるしてくんなはれ。
                      ムカシトカゲ

#0027 sci1731  8905050035

 渋滞の間を抜け、先ほど帰宅したShadowであります。

ムカシトカゲ閣下、社務猫閣下、ご意見をありがとうございました。

「人間が自然に守られている」というのは、とかげ閣下のおっしゃられる通り、
人間の自然に対する優位感、自然は人間の手で自由にコントロール出来るのだ、
とゆー思想に警告1を与えるものでありました。
 しかし、社務猫閣下がおっしゃる、「自然に束縛されない自由は、自然から
保証されている」という考えもまったくその通りであり、「守られている」
理由であると思います。そろそろ無償保証期間も期限切れが来たようです。

 さて、自然は人間を守るような事はしない、とゆー事に関して一言。
(うわー、議長に逆らったりしたら銃殺かなー。)
自然は生き物ではないので、たしかに、「守ってあげたい」などという、某OLの
守護神が歌っている歌のようには思わないかも知れません。

でも、自然が人間やその他の生き物をあたかも保護しているように見えることは
多々あると思います。例えば、今話題のオゾン層でも、それがカットする波長の
光が、たまたま人間に(その他の生き物も含めて)有害である、とか、
地球の自転と、流体核と、高い電気伝導率から、たまたま形成された地球磁場が
ヴァン・アレン帯を形成し、降り注ぐ荷電粒子から守っているとか、
地球の回りに、たまたま存在する大気が、雲を作り雨を降らせ、平均気温を14度に
保ち、はたまた、宇宙からのメテオのたぐいを防いでいる、等々。上げれば他にも
いろいろあるでしょう。こういう自然の仕組みを見ていると、まるで自然が我々の
ために有害要素を排除してくれているように思えて来るのは、私だけではないはずで、
PC−VANの氏もこういう感じを受けて、ああいう表現をしたのだと思います。
さて、憲兵隊がやって来るといけませんので、この位にしたいと思います。

 話はちょっと脱線しますけど、鯛の骨まで食べる竹内均氏の編集する科学雑誌の
4月号で、イェロー・ストーンの森林火災の問題が出ていました。自然の為すまま
にしておくとゆー管理局の方針のため、消火活動が遅れ、被害を甚大なものにした
というものです。自然保護の観点からの方針なんでしょうけど、果してこのことは
正しかったのだろうか?? 皆さんの意見を聴かせて下さい。
私には、もはや人間に愛想を尽かして、人間を滅ぼして新しい種族の支配を望んでいる
自然が、「自然は我が下僕」といって思い上がっている人類の盲点を突いて攻撃を
仕掛けてきたような気がします。(ヨハネの黙示録的になってしまった)

                                        渋滞はまっぴら、Shadow

#0028 sci1180  8905051301

  はじめまして(ここへは・・・ですが)。知る人しか知らないtoto
であります。なんか私の駄文がこちらに転移したとのことで、ご迷惑をお
かけしてなければ・・・、と心配のあまりやってまいりました。

 そしたら、なんと「推薦図書」に?!?!恐縮しごくもございません。
なんとかこりゃー、アフターケアーしなけりゃ。と思ってはおるのですが
何かと多忙にて、まともな文をしたためるゆとりがございません。

 で、以下に、かつての私の書き込みの中から、このコーナーに関係ある
かもしれない部分を抜き出してアップいたします。

 以下、2アーティクルは多少(どころでないかな?)長いのでご注意く
ださい。
                 恐怖のオン・ライン書き込み
                      のtotoでした。

#0029 sci1180  8905051306

00113  88-11-28 02:15:11 MENU      月見の作法 (36)
(24)アース・シャインのもとで
・・・
  なるほど近代に至り、散文的な科学の言説の元に月は長い間忘れ去られて
いたし、今なお多分にそうなのかも知れない。だが、十分に人工化され、生命
の大地から遠退きつつある世界には、再び、月のあの青白いクールな光が似合
い始めてきているように思えるのだ。そう「限りなく透明に近いブルー」のあ
の非生命的な冷光が・・・。
 
・・・
    当初に述べたごとく、都市はもともとスペース・シップなのである。そし
て、その延長線上に月へと人類を送りこんだアポロ計画のスペース・シップが
あり、我々もまた、そのアポロ宇宙船のクルーたちと同様、すでに人工カプセ
ル化された環境の中で、電子的に拡張された神経系を利用して生きはじめてい
るわけでもある。

・・・
    第二のステージは高等宗教のステージで、これは第一のステージによって
大地からの浮上を果たした都市文明への「自然=神」を鏡とした批判と、そこ
に生きる人々の心の救済という形で登場してきている。

・・・
    このキリスト教を創出してきた人々から見れば、アポロ宇宙船やスペース
・シャトルの打ち上げ光景も、おそらくこの「十字架の上昇」として映ること
になるだろう。「生命の樹」ではなく「知恵の樹=十字架」を選び取った人類
がついには辿るであろう姿としてである。

00114  88-11-28 02:16:27 MENU      月見の作法 (37)

    むろん、高等宗教はいずれもこうした都市への批判を通して、その行き過
ぎを抑制する役目を果たしてきた。が、皮肉なことに、そこで絶えず育まれ、
夢見られてきたのは「理想の都市」の姿でもあったのだ。
    それらは取あえず曼陀羅や教会、モスク、寺院といった図像や建築物、あ
るいは庭園などとして表現されたわけであるが・・・。

・・・
00115  88-11-29 21:38:41 MENU      月見の作法 (38)

    クリフォード・シマックはそのSF小説「都市」の中で、ドームに包まれ
た都市をまるごと宇宙へと飛び立たせてしまったし、ジェィムス・ブリッシュ
は、その「宇宙都市」シリーズで相変らず「ニューヨーク市」を宇宙航行させ
ている。また、批判的な文脈で描かれてはいるが宮崎駿のアニメ「天空の城・
ラピュタ」などもここに加えてもよいだろう。
    一見、荒唐無稽に思えるかも知れない。だが、これらはいずれも都市が本
来的に持っている欲望と夢を捉えた作品たちなのだ。

・・・
 むしろ、大地から離脱しようとする都市の本性がなせる技なのだ。そして、
「足元が地についていない」という浮遊感と漂流感こそ都市生活に特有のもの
であり、そこにある「高度」こそが都市に生きる人々の不安の根源ともなって
いる。
    そこから再び大地に還ろうとする志向が出てくるのは当然のことだし、実
際に都市文明が登場すると同時にこの自然コンプレックスも発生している。都
市が出来るまで「自然」なんて改めて意識することもなかったわけだ。
・・・
16  88-11-30 21:58:43 MENU      月見の作法 (39)

    こうした事態を最も明確に示しているのは、実は、この時代の持つ視線の
方向なのである。例えば、アメリカのアポロ計画のもたらした最もステキなプ
レゼントは宇宙から見た美しい地球の映像であった。この時から映画などに現
われる地球の像がそれまでの地球儀的なものではなくなった、というばかりで
はない。私たちの地球に対するイメージ、そして、そこに生きる在り方も何か
しら深く静かに変化を開始したように思うのだ。

    漆黒の宇宙に浮かぶ生命ある小さな惑星。その全体像を人類はようやく手
に入れたのだ。そして大事なこと、それはその映像が「距離」によって初めて
獲得し得たということだろう。生命維持装装置なくしては生存できない死の世
界の直中へ飛び出すことにより獲得した生命の大地との距離によってである。
    特に岩と砂しかないような荒涼とした月面から見た地球の写真は、両者の
対比が際立っているだけに私たちへのインパクトも強烈だった。

・・・
    ここでふと思い出したのは、アーサー・クラークの原作でスタンリー・キ
ューブリックによって映画化もされた「2001年・宇宙の旅」である。
  この作品は、我々の祖先の類人猿の時代の出来事から始まる。そして、こ
の折の出来事の主人公とも言える一匹の類人猿をクラークは「月を見るもの」
と名付けてはいなかっただろうか。そして、この作品は「地球を見るもの」で
あるスター・チャイルドの登場で終わるのであるが・・・。

                 ****自然に対する我々の視点の位置について
                 何かの参考になるかもしれません。
                          by toto

#0030 sci1180  8905051330

00032  88-06-01 19:03:18 MENU      「超・植物」論 (9)

(9)脳とコンピューター
・・・
  だが、その手がかり位はある。他でもない、それは「脳」なのだ。脳は植
物器官と動物器官、ホルモンによる分子言語情報系と神経による電子情報系と
の最大のターミナルであるからに他ならない。
    極端な言い方をすれば、ホルモンの海に浮かぶ複雑な神経の塊、それが我
々の脳なのである。その意味でもコンピューターとは随分と違うわけだ。

・・・
    ところで、人間の作り出したコンピューターは今のところ電子を媒体とし
た情報処理システムとなっている。そして、そのこともあって脳の主体も神経
による電子情報系にあると思われている節がある。
    しかし、もしかするとそうではないのかも知れない。これは全くの私個人
の意見なのだが、より重要なのは分子言語情報系の方にあると考えても決して
おかしくないからなのだ。

00033  88-06-03 15:31:05 MENU      「超・植物」論 (10)

  例えば、ホルモンによる分子言語情報系の場合、先ずホルモンの発信者が
おり、それを郵便のように運ぶ血液の輸送システムがあり、そのホルモンを受
信する受容体を持った細胞があるわけだが、ひとつの細胞だっていくつものホ
ルモンの受容体を持っており、独自のメモリーを持った演算素子として機能し
ていると見てほとんど間違いない。

    また、その細胞の働きの結果は様々な方法でホルモンの発信側にフィード
バックされることにより、全体としてひとつの制御ループが形成されている。
    様々なホルモンによるこうしたいくつもの制御ループは、相互にその働き
を促進、あるいは抑制し合ったりしながら、全体としてダイナミックなバラン
スを生みだしている。
    そして、このバランスを乱すストレスに対しては全体として敏感に対応す
るわけであるが、そのストレスが恒常的となればそれに見合ったバランスへと
全体をシフトさせてもゆく。

    また、もうひとつ忘れてはならない分子言語情報系がある。それはエイズ
問題で注目を浴びた「免疫系」だ。その仕組みの詳細をここで述べるゆとりは
ないが、認識と情報伝達、情報変換、対応と記憶、記憶の活用といったかなり
高度な情報処理をこなしている。専門家の間でも、我々の体内で最も「脳」に
近いシステムだと言われている由縁がここにある。

    「ホメオスタシス」と呼ばれているホルモンによる動的平衡系もこの免疫
システムも、自らが創出してきた自らの在り様を基準として様々な事態に対処
しているがゆえに「自己参照系(セルフ・レファレンシャル・システム)と呼
ばれている。
   意外に思われるだろうが、神経系がなければ「脳」のような働きを持つも
のが出来ないというわけではないのだ。いや、むしろ事態は逆なのではないの
だろうか。

・・・
00034  88-06-07 18:23:30 MENU      「超・植物」論 (11)

(10)ふたつの技術
    「これまでの技術は身体の拡張であり、電気通信技術は神経の拡張。」と
述べたのはメディア理論で知られているM・マクルーハンである。この論理で
ゆけばコンピューターなどの電子情報処理技術も人間の記号や言語を扱う能力
の拡張ということになり、さらに言えば、こうした技術はすべて人間の動物器
官系の拡張だという言い方が出来るのではないだろうか。
    では、なぜこうした動物器官系の拡張が起きるのか?そのすべてを答える
ことは容易ではないが、その重要な要因のひとつをここで取り上げておこう。

    生物学者J・V・ユクスキュルはその「環境世界論」の中で、動物たちは
行動による周囲の物事との関わりを通して、まさにクモが糸を張り巡らすよう
に自らの世界を織り上げているとしている。
    それは、行動のための動物器官とは「自らを囲む世界とは何か、そこでい
かに行動するか」を問うものであり、「なぜ生き、そのように行動するのか」
とかいった自らの存在根拠を問題とするシステムではないということだ。

   ところが、大脳の神経組織を爆発的に増大させた人間に至り、この動物器
官の世界解釈システムは独自の世界を形成し始める。自らの外部に置かれた記
号や言語や物などの構成に自らを投影させることにより、疑似的なもうひとつ
の「自己参照系」を生み出してしまったのだ。
    簡単に言えば、「世界とは何か?」を問うシステムの中で「僕って何?」
とか「生きる意味は?」なんてことを問い始め出したということである。

  これは画期的と言えば画期的であり、そこから人間の偉大さと愚かさのす
べてが紡ぎ出されてくるのであるが、現代の我々が直面しているように、いず
れは破綻を約束された在り方であった。

・・・
    そして、動物器官の生み出した疑似的な自己参照系のこうした破綻含みの
不安定さの中で、それでも安定を求めようとする人間の傾向こそ、技術による
動物器官拡張の原動力となっているのである。

00035  88-06-07 18:25:35 MENU      「超・植物」論 (12)・完

  ところで、人類はもうひとつの自己拡張技術を持っている。それは、なぜ
を問わず、在るが故に在ろうとするもの。光と闇のリズム、移りゆく季節のリ
ズムと響応しつつ食と性を営む宇宙の振動子。そう「植物」へと立ち帰ろうと
する「逆−技術(反技術ではない!)」である。
    つまり、「石が飛んできたから避ける」といった身近な事態に対応するた
めの動物器官を出来る限り沈黙させ、内なる植物を通して宇宙と一体化しよう
とする、普通の技術とは手段が全く逆な技術も存在するということだ。

  それは、例えば、「禅の極意は?」と問われた白雲禅師が「そのまま、そ
のまま」と答えたこと。つまり、「このまま」ではやはりいけない。かと言っ
て他人の示す「あのまま」になる無理も不必要。「そのまま」という微妙なる
近さへと展出しなさい、といった方向を志す技術のことだ。
  そして、この「このままからそのままへ!」の道を、道元禅師ならば「ひ
たすら座れ!」と言うだろう。まさに木々のごとく“場所”へと立ち帰りなさ
い。宇宙の諸力の結接点である“場所”へと…、というわけだ。

    人類は、独自の世界を形成してしまった自らの動物器官に対し、究極的な
目的は同じでも手段としては全く正反対の対応法を編み出してきたのである。
    そのどちらが善いかなどということを問う気は全然ない。むしろ、大事な
ことは、私たちは今、その両者を人類の共有財産として利用できる時代に至っ
ているということの方だと思うからである。

               ****自然に対して持つ人間の自由の問題
                      について考える際の参考にどうぞ。
                             by toto

#0031 sci2782  8905060202

  げげげぇ!!! #20のres、あっちこっちが尻切れトカゲじゃなかった
トンボになっている。  大変失礼しました。 NZ゚ NZ゚ NZ゚ NZ゚

 「考え梨」、「ロクデ梨」、「ばからし」には、笑ってしまいました。

  ここまでくると、「自然、人間(おっと考え梨)、経済、豊かさ」の三題噺いや
四題噺が、真打トカゲ家子猫の登場で聞けそうで、楽しみにしています。
自由亭都々さんも顔をチラット出されたみたいだし...

          おあとがよろしいようで....        ダサイエンチスト

PS.社務猫閣下:丹沢の名水、推奨品です。3月の末、飲んで来ました。
                  私も近々ポリタンクもって、また飲みに行くつもりです。

      Shadow 閣下:森林火災の件ですが、考え梨の不始末で発生したのなら話は
          別ですが、私は管理局の方針に賛成です。下手に考え梨が手
                    を出さない方が、大きな・長い目でみて正解のような気がし
          ます。

#0032 sci1004  8905061949

 お! なんだこの盛り上がりは!

 HDがぶっとんで,ボーっとしていたら大入りですねえ.こりゃあスゴイ!

 あっと,とかげ議長さんにおかれましては,なんとも素早いレスを賜わりまして,
光栄です.しかも私のわかりづらい説明に明快な御解釈をお示し頂きましてありがと
うございました.いえいえ,その通りの解釈でまちがいございませぬ.
(しかしなあ,エコエコアザラクはいつか誰かが言うのではないかと,恐ろしかった
のですが,やーっぱり議長閣下でありましたか.期待を裏切らぬ御所作,ありがとう
ございました.思わず喝采してしまいました.)

 おお,Shadow閣下は渋滞の敵中突破でありますか.それで,今回の調査は,地下水
の地熱的ラジエター的熱交換的現象の実地見学兼体感研究であられますかな? え?
ウサギちゃんも研究のパートナーですか・・・いやいやお疲れさまでありました.
(と,勝手なことを言う)
 しかし,”自然が我々のために有害要素を排除してくれているように思える”とい
う御認識はもっともであります.つまりヴァンアレン帯やオゾン層などの存在も自然
の範疇であるとのお考えですね.ただ逆に考えることも可能でありますね.つまり,
そのような地球をとりまく各種存在があったから,現在の地球の自然があるのだとい
う,つまりなんといいますか「自然」を生命体として捉えて,ヴァンアレン帯などは,
生命体即ち自然を運命づける,自然にとっての存立条件として認識することもできま
すね.この辺が両閣下の違いなのかな?とか思ったりしますが.(大外しかな?)
 まあどちらにしましても,環境であることには変わり無いのでありまして,憲兵隊
の出番などは滅相もございません.

 ところで,このように「自然」の認識はかなり多様なものみたいでありますね.も
しかして,「自然保護」というタームにも様々な意味が内包されているのではないか
と愚考します.つまり,一言「自然保護」と発しても受け取り方は各人各様でありま
すまいか.とその辺を考えるのに材料となりそうなのがTOTO閣下の金言の数々で
ありますなあ.興味のある方はいろいろ考えてみるのも一興なのではと思います.
 そのうち,「そもさ!せっぱ! 自然とは何ぞや?」会議などが興されてもいいテ
ーマではありますまいか.興味をお持ちの方,どうですか?
 遅ればせながら,TOTO閣下ありがとうございました.後日御礼に伺います.

 おおっとダサイエンチスト閣下,そんなにおいしいのですか.これは楽しみです.
 ところで,「はか梨」などはニヒリズムを感じさせますし,「かた梨」なんてのは
悲嘆を呼び起こしますねえ..(あほやあほや!)

 KITA閣下,いらっしゃいまし.げげげ,重大資料を読み落としていたようです.
連休明けにデータベースをためらわず使うとしましょう.こりゃあ論文のネタになるか
もしれません...と下心丸だしにする.

              こっち方面への分野へ商売替えをしようかと考え始めた
                  技術論のサブゼミ元担当,社務猫でした.

#0033 sci1260  8905070051

 銃殺じゃーっ、ガス室送りじゃーっ、ぐわっはははっ...とゆーよーな、
ファンキーなことを口走るトーキング人形を企画してもおもしろいかも...
名付けて「粛正くん」。オプションで、チョビひげか、スターリンひげか、ど
ちらかを選んで楽しく遊べます。やはり、リカちゃんかバービーちゃんシリー
ズとコンパチビリティがあるといいですね。「リカちゃんベルゲン・ベルゼン
ハウス」とか、いろいろおままごとができるセットをつくるわけです。

 さらに発展させて、「環境破壊ままごとセット」を演出してもよいかもしれ
ない。「ケンちゃん、はやく水銀中毒からよくなってね」というような世界が
提示されるわけですね、これは。

 そして、きっとバービーちゃんの生まれ故郷のロサンゼルスは、すっかり定
食コースとなっている「酸性雨」と「わかもと」の支配する技術文明の終点に
なっちゃってて、ケンとバービーは高分子化合物で出来た自身の姿を呪ったり
するわけです。
 ちなみに、バービーちゃんがロス出身で、かつ恋人がケン(身長175cm、
体重59kg、趣味チェス・テニス、特技フェンシング、好きなものパスタ、好
きな色ブルー、好きな場所・海、得意な教科・数学)であることは、徳間書店
刊の「バービー100%ブック」で確認済みでありますッ。おっほんヘンタイ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
以下Shadow閣下へ、ぼーえー軍軍務通信>>>トピートトピー

 へえ、まったくめんぼくねーデすだよ。ワダクシのいいたかったのは、閣下
のいう「某OLの守護神が歌っている歌」的な思考(だれのことかなー)の否
定だけなんですう。しくしく。
 地球の生命圏の均衡は、知人の言葉の受け売りですが、「デザインに見せか
けたひとつの事故(偶発事態)」と、とりあえず考えたい、というのがホンネ
なんですぅ、しくしく。
 「守って下さい」(こいつは宗教だ、きっと)が、例のガイア仮説といった
検証不能にみえる言説にからみあって(マルグリスのいうようなガイア説を小
生は否定できるとするほど偉くはありませんのですが)、地球を一個の生命体
のようにみなすはともかく、そこに何等かの「意志」の存在を設定することは、
やっぱ、今のところ、お人形の「よしとく」としときたいなー、と思っただけ
なんです。しくしく。

 たぶん、PC−VAN閣下のいった言葉の含意は、市場での「見えざる手」
というような意味での、一見すると意思にみえる機構の存在なのでしょう。

 ワダクシのぶつぶつは、よく考えると、「自然がヒトを守る」という言葉尻
への、老人にありがちなくどい八つ当りでやんした。
 「守る」という語には、「超越的意思」の導入の余地(神のお席)がある、
という点がぶつぶつの原因のひとつ。
 もうひとつは、とりあえず現在の自然保護の思想は、神の似姿たるヒトの自
然に対する優位、というキリスト教文化圏から発達した「人間さまが自然を保
護してあげちゃうんだかんね」という思考に多くの立脚点を持っており、この
現実にある程度機能している思考を代替プランなしに手放してしまう路線は、
いけないんじゃないかなー、という点。つまり、「自然がヒトを守る」という
考え方をすすめていくと、それはヒトの優位の放棄へとつながっていき、現実
の自然保護活動グループの運動方針としては、近代文明の否定=ビフォア・サ
イエンスへの回帰の主張(成算乏しいラッダイトの思想。つまり、工場や企業
へのテロリズムみたいな、あんましやっても意味なしほーいち的単なるレトロ
・ムーブメントになる危険)と、結びつきやすいんでは、と思ったからです。

 でも、やっぱ思うのは、産業革命はむろん、自然の人間向け改変である農耕
を否定した体制、つまり採集経済へと回帰するシナリオもきっとあるわけです
し、そのようなタイプの未来社会では、自然は苛酷だけど、めいっぱいの賞賛
もすべき(恵みをもたらしてくれるから)対象として敬うのが、しっくりくる
はずですねー。
 なんつーか、僕らを守りみそなわす新たな八百万(やおよろず)の神々(自
然の諸機能を象徴する神)を、「O3 ノ命」や「地球磁場ノ命」とかゆー具合
いに再設定できそうにも思う。んー、「スサノおぞんノ命」...ううう、セ
ンスのないネーミングじゃのう...

 と、ゆーわけで、ムカシトカゲはいたらなさに反省して、演芸場へ..

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

      <<<ぼーえー軍おたのしみアワー>>>

 地球大気に阻まれて、燃えちゃった隕石の捨てぜりふ....

 「いまにめておー」

 さらに、失敗したら、

 「今度こそ、めておー」
                     チャカチャンチャン、チャカチキチャカチキ......
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                             ムカシトカゲ

#0034 sci1260  8905070052

           <<<地球防衛軍布告>>>

 Shadow閣下がおたずねになられた、「イェロー・ストーンの森林火災の問題」
(火災を人為的に消すべきだったか、放置しておいてよかったのか)について、
これはとってもためになるテーマなので、地球防衛軍本営は、ここにおごそかに、
新たに基調を開いて、広く隊員各位にご意見をたまわりたいぞと思うものであるッ

           <<<地球防衛軍おわび>>>

 Shadow閣下、かってに上記のようにさせてもらって、ごめんなさい。ここに
おごそかに、改めて独断専行をおわび NZ゚ NZ゚ NZ゚ NZ゚ いたしますッ
 なお、渋滞突破、ごくろうさまでございました。

                           :地球防衛軍本営:
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

TOTO閣下へ、防衛軍ぐんむ通信>>>ツーツーツーツツツツツツーー

 これはこれは、すばらしい書き込みをばありがとうございました。一読して、
ううむこりは含蓄が深い、とゆーか、ワダクシの貧弱な頭脳のバッファから溢れ
てしまいました。とゆーわけで、つもる話はまたのちほど..(と、舌と尻尾を
巻いて去るトカゲ)。
 ご参加、いたみいります。今後とも、よろしくお願いいたしまするぞッ

ダサイエンチスト閣下へ、防衛軍ぐんむ通信>>>ツツトトツツトトツツトト.....

 いろいろお心くばりのお言葉、いたみいりまする。
 なお、上記のような次第ですんで、また改めて、イェロー問題についての
コメントをおねげーしますです、へえ。

社務猫閣下へ、防衛軍ぐんむ通信>>>ピロピロピ ピロピロピ

 ダサイエンチスト閣下より、とうとう、トカゲ家子猫、という高座で使う名前を
たまわってしまいましたぞっ。うーむ、「禁酒番屋」のようなきたねー噺なら
ワダクシ好きなんですが...(さむらいに、小便をのましちゃうやつ)
 いろいろとほめていただき、お礼をいうべきことがたくさんたまってるので、
一括して、

 ささげーッ、つつッ。
 「礼」ッ
 やすめっ

 と、インスタントぎじょう兵整列でした。
 「この辺が両閣下の違いなのかな?とか思ったりしますが.(大外しかな?)」
 このあたり、手際よくまとめていただき、恐縮しておりまする。

              ちきゅー防衛軍最低会議ぎちょ   ムカシトカゲ

#0035 sci1731  8905142312

 お久、の ”影” こと Shadowです。しばらく時間がなくて、ROMってました。

 ダサイエンチスト閣下は管理局方針に賛成派でいらっしゃいますな。
これは別にコーナーが出来ているようなので、私の意見はそちらで
述べさせていただきます。

社務猫閣下>

 「地下水の地熱的ラジエター的熱交換的現象の実地見学兼体感研究」とはうまい
言い回しですなー。今度からそれで行きましょう。なお、ウサギちゃんは、現地雇用
が原則となっております。(?)

>そのような地球をとりまく各種存在があったから,現在の地球の自然があるのだ

それはまったくその通りなのでありますが、私の場合、どちらが先にあるかということ
はあまり考えていないのです。もっとも、オゾン層のように、生命活動の営みの結果
として発生したのもありますけど・・・。
 「自然とはなんぞや?」。難しそうでありますが、自然保護を論じるからには
こーいう議論もする必要があるかも知れませんね。

議長閣下>

 イェロー・ストーンの基調開設ありがとうございました。

 私の言っていたのは、ガイア仮説のような大それたものではなく、ただ気軽な
気持ちで、「守っている」と言っただけなのであります。(意志を持たないのは
承知の上で)
自然保護、という行為が、守も攻めるもクロガネの・・・じゃなくて、
保護するも破壊するも、人間は自由に出来るのである、という思想から来ては
いないだろうか、ということだけでありまする。
八百万の神々、というのはインディアンではマニトゥということになるのでしょうね。
                                                        Shadow

#0036 sci1260  8905160156

 おおっ、Shadow閣下、どうもご不在中に、閣下のお話にて基調を開くなど
出すぎたマネをば NZ゚ NZ゚ NZ゚ ひらに、お許しをば...

 「守っちゃう」小会議は、閣下のおっしゃられる「自然保護という行為が、
保護するも破壊するも、人間は自由に出来るのである、という思想から来ては
いないだろうか」、というご指摘で、もうトドメでありまするな。ワダクシの
思うところも一緒でございます。
 いや、いろいろとごめーわくかけつつ、一方で考えるためのよいお題をたま
わった、と恐縮しております。今後とも、よろしくたのみまするぞっ

 ところで、ぼくちんは映画「マニトゥ」を見ていません。なんだか、すごそ
ーですね。
                           ムカシトカゲ

#0037 sci1004  8906240159

すすすいません,蜘蛛の巣を張り巡らしてしまいまして.
近々新たな問題提起をしたいと思ってます. 社務猫

#0038 sci3395  8906242341

 新しい問題提起ということは、「ムズムズ会議」は一応の区切りが
ついてしまったのでしょうか?

(ここでは)はじめまして、であります。
 私、この「地球防衛軍のバイブル」と言われる(言われてない?)「ムズムズ
会議」議事録のダウンを、最近やっと終え、現在、一生懸命ない頭をフル稼働
させているところなのです。入隊したての新兵である自分にとって、諸閣下の
金言の数々を拝読する作業はなかなかの大仕事でして、はい。
 で、様々な既出の問題提起を前に、やっとこさ自分の思いをそのレベルまで
持って行き、さぁーて屯田とんでんトンデン……と耕作活動に移ろうとしていた
わけであります。
 すくなくとも、蜘の巣など決して張ってません。
 ムカシトカゲ前議長閣下の#18、TOTO閣下の#29、30長編転載
等に、痛く感銘を受けて、その辺から掘り返してみたいなどと考えておりますが
もしかして、その辺は終わっちゃってるのかしら? シクシク
(以前、科学フリートーク(だっけ?)の「呪術と人間」関連6で、
 理性と生物進化についての自分の考えをアップしましたが、それが、
 いみじくもこの件に関わってくるな、などと思っておりますが、
 私の問題としていることは、もしかして枝葉末節なのでしょうか?
 御参照していた抱ければ幸い至極に存じます。
 エーン、慣れない頭使って痴呆状態になってるかも?)

職務怠慢屯田兵    MUTA

#0039 sci1004  8906250335

 いえいえ,時間的に間が出来てしまったので,別の視点からまた会議の口火を
切れるかな? とか思ったもんであのように書いた訳ですが,MUTAさまから
御書き込みを戴けるのならば,それを発端などに,と喜んでおります.よろしけ
れば,ご指導たまわれば幸せでございます.             社務猫

#0040 sci1060  8906260316

>社務猫閣下
 MUTA閣下のネタは#74にふられているようなので、どうぞ
従前通りのご予定で、ご存分に議事運営下され。
                      阿波六吉・拝

#0041 sci3395  8906270035

ひえぇぇ
>阿波議長閣下
あぁ、閣下の御手を煩わせてしまうとは、MUTA、一生の不覚。誠に、誠に
申し訳もござりませんんん! あのレスはこちらの方に書くべきでした。
平にぃー、平に御容赦を。

>社務猫閣下
基調74に、どうしても謝罪文を乗せたくなり、その勢いで、こちらに
書こうとしていた内容を、あちらに書き始めてしまいました。私としては、
今もってどちらがふさわしいのか、判断がつきかねているのです。
ついては、両コーナーの展開状況を見つつ、書き分けていきたいと思いますので
一度水をさした後で勝手を申しまして誠に恐縮ですが、従前通り進めて頂ければ
幸いであります。
(うろたえて、ひどい文章になってしまった)
(あ、誤植まである…)
                                打ち首寸前屯田兵  MUTA

#0042 sci1004  8906270116

いえいえ,まあまあ,お気になさらずに.全て了解いたしました.
あちらでもこちらでも,ご活躍期待してますよん. 社務猫

#0043 sci1004  8906291710

 てなわけで,おしりムズムズ会議もそろそろ再始動の準備に入ろうかと思います.

 ここまでのムズムズ会議での話題は,「自然を守る」という場合の「守る」ことと
は,どういう意味なのかを 人間・自然・守る のそれぞれから見てみようというも
ので,いろいろと面白い意見が参集してまいりました.
 つまり,おしりムズムズの日の当たる部分の「保護」をテーマとしてきたのですね.
 いうまでもなく,おしりムズムズの「ムズムズ」とは,「破壊と保護」,いうなれ
ば「陰と陽」を自己の中に合わせもってしまうことの相克を表現しているのですが,
では,「自然を破壊」することの「破壊」とは,どういう意味を持つのかを,多面的
に考えていくのも,ムズムズ的に意味があることではないかと,愚僧(コーナーが違
うってば)ではない小生愚考する次第であります.

 破壊のどこまでが,許容範囲で,どこからが許容外なのかも併せて考えていければ
と考えています.

 で,またしても問題提起です.

 「これは環境破壊だとわかってはいるけど,しょうがないなあ」と思われることを
教えていただけませんか? ちょっと書きにくいとは思いますが,そこから糸口にし
ていきましょう.
            そう言えば哲人将軍だったのね.で,お妾さんが28人
            一人指三本で計84本か.指が足りないなあ..社務猫
                        ^^(おいおい)

#0044 sci1180  8907031816

 お久しぶりです。このコーナーに以前、大量のゴミを腐放投記したままに
御無沙汰してしまっていたtotoでございます。

 順序からすれば、前回のアップのフォローからやり始めるべきなのでしょ
うが、若干話題の方向が振られたようですので、遠まわりしながら少しづつ
書き進めていきたいと思います。

 では、まず皆さまのご反論の的になりそうなことから述べていくことにし
ます。

 まぁー、どうしようもなくなってきているものの筆頭に、これだけ地上に
繁殖してしまった「人間」があるわけです。
 そして、そのたくさんの人間たちによって構成される大規模な社会システ
ムがある。

 そして、さらにその大規模な社会システムそのものを支えていくための、
人間たちのさまざまな努力がある。
 えー、ものの本によると、現在の人類全体のエネルギー消費量をひとりあ
たりに換算して、さらにそれを生物の代謝エネルギーに換算してみると、現
在の人類のひとりひとりが体重40トンの恐竜と同じだけのエネルギーを消
費していることになるそうです。

 で、ここで問題になるのが、実際の人間の体重を引いた39.9トン余の
消費エネルギーはいったいなになのか?ということなのに他なりません。
 私は、それがこの大規模社会そのものを支えるためのエネルギーなのだと
考えております。そして、ここに「考えてみれば無駄」と思われる私たちの
愚行のすべてが入りこんでいると・・・。

 そして、この「無駄」によって大規模社会ははじめて支えていくことが出
来るのではないかと・・・。
 この辺は、狩猟採集社会よりも文明社会の人間の方が長時間労働しなけれ
ばならなくなっている、という問題と重なりあっていることなのですが。

 つまり、個々人の合理的な思考から見れば不条理で無駄と思われることが
これだけの大規模な社会の存続のためには不可欠となっているというやっか
いな事態がここにあるのではないかということです。

 別の角度から見れば、多くの不条理や無駄も「合理」になっているという
ことでもあります。私なりに言えば、それらもごく「自然」なものであると
いうことです。制度にもそういうものが多くあります。人間のつくり出した
「制度」だからといって、人間の意識的思考だけで取り去ることは出来ない
ものもあるということです。それらの制度はやはり「自然」だから・・・。

 「存在するものには、すべてそれなりの理由がある。」ということも、や
はり踏まえていきたいと思う、ハリネズミを覚悟のtotoでした。

#0045 sci1004  8907050208

 うーんむ,提案のアイディアは良かったとは思ったんだけど,ボードには
必ずしもそぐわなかったなあとか反省しておりましたら,遠く長野から助け
船をいただきまして,ほっとしております.

 何ゆえあのような無謀ともいえる提案をしたかと申せば,それはトカゲ前
議長の発言にありますところの,”中庸”を探るための一つの手懸かりにな
ればと思ったからであります.
 ムズムズが「陰と陽」の相克,つまり消費文明と保護的視点の葛藤を表す
ことは,何度となくここの会議でも語られてきました.で,どちらか片方に
身を置くということに,正当性を見出すこともどうやら出来そうにもない.
そりでは,作業仮説的意味合いはあるけれど,「中庸」という視点に身を置
くため(まあ要するにムズムズを終生抱えることでもありますが)には,ど
のような作業をしていけばいいのだろうか...そのための一作業として,
「破壊」の論理とはなんだべえ...と,こー考えた訳であります.

 と,そこにtoto閣下からのいきなし核心をつく御指摘があったのであ
りますなあ.「存在するものは全て合理か?」っていう哲学的問題もハラム
疑問も無いわけではないのだけど,閣下が仰せのことは,むずむずがむずむ
ずであることの,アイデンティティ(どうも好きになれないこの言葉)なの
でありますね.

 例えば,ちょっと乱暴になってしまうけど,「経済」っていうのは各種既
得権の上に存在する運動形態なわけで,「経済成長」が経済の生き残る道で
ある以上,当然ながら既得権も拡大することになる.もちろんそれは利益に
直結するのであって,販売の既得権,生産の既得権,原料取得の既得権,伐
採の既得権...なども当然拡大することになるのですね.それは確かにた
しかに,生産社会(資本主義も社会主義も含みますよ)での合理であり「自
然」なことなんですよね. (この件については,またフォローします)

 ところで,toto閣下のアーティクルを拝読して考えたことなんだけど
「自然」という言葉の意味が,どうもここの会議では色々な意味で使われて
いるなあとか思ってしまいました.つまり,必然的合理を意味する「自然」,
環境を意味する「自然」,人間的という意味での「自然」,etc....
 これは,いっちょ会議のネタになると思ったのだけど,いかがでしょうか
みなさん.                         社務猫

#0046 sci1180  8907070018

 えーとっ、「中庸」ですか。古代ギリシア流に言えば「節度」であり、「何
事もやり過ぎないこと」となり、中国流では「極まれば転ず」という“成行き
のタオ”になるのでしょうが、一応は東洋の人である私も、「中庸」というも
のをもっとダイナミックに捉えたいと思っております。
 
 なんと言いますか、両端が分からなくてなんで真ん中が分かるのかと思うわ
けですね。生き方や考え方の「振れ幅」が小さいと、「ここが真ん中だ」と思
ってた位置が実は極端に近かったりしても気が付かないのではないかと。
 その意味では、現代の日本人の「当り前」は、随分と過激で極端なのではな
いかと思ったりするのですが・・・。
 
 てなわけで、生き方や考え方の「振れ幅」の大きさを知るということが「中
庸」であるための大事な条件になるのではと思う次第です。あくまでも「そう
思っている」だけでして、私の「振れ幅」が大きいのは「気」だけですが。
 
 で、ついでに言いますと、「誰もが同じように考えている時、誰もがそのこ
とについて深く考えてはいない。」なんて言葉があります。
 そんな場合、たとえそれが間違っていても、わざと異論を立てたり、逆の行
動をしてみるというのも「中庸のワザ」なんではないでしょうか。演劇なんか
では、このことを「異化効果」なんて呼んでおりますけれども。
 
 また、このことに若干関わる問題なんですが、「善い行動をしたからといっ
て、善い結果が得られるとは限らない。」というゲーテの言葉にあるような、
実に皮肉な現実があるわけです。逆に言えば、望んでいる「善い結果」を得る
ためには、いったい何をしたらよいのかなんて誰にも分かってはいないという
ことですね。
 だから「善い行動、正しい行動」も謙虚なければいけないし、ましてそこに
大儀名分をおっ立てて自己擁護してはならないと思うわけです。そして、その
時はじめて他の生き方や考え方との「対話」も可能となるのだろうと。
 
 先の言葉に続けてゲーテは「・・・その事を知っているいる人はもっと大胆
に生きています。」と述べておりますが、そうした大胆さと謙虚さを合わせ持
っていくことも「中庸」ということではありますまいか。
 私流に言えば、「他人が真剣にやっていることをチャカしたり、笑ったりす
べきではないが、自分が一番真剣にやっていることは大いに笑っちまおう!」
てなことになるわけですが・・・。
 
         ワァーッ、つい「THE 哲学」をしてしまった
            お尻もじもじの有言不実行の権化totoでした。

#0047 sci1180  8907070019

 経済に関しては、社務猫師がこの場を取り仕切ってもおり、間違えば即座に
訂正と補足が舞い込んでくると思いますので、その意味ではどっか安心して書
けるわけですが・・・。

 実のところ、私が注目していますのは、そうした経済現象自体ではなく、そ
のように人間を突き動かしているものは何か?ということなのです。

 これは経済問題とは外れますが、例えば、いま私は「合理の塊」とも言える
パソコンでこれを書いておりますが、この「合理の塊」を作り出してきた人た
ちを支えてきたのは「合理的な動機」であったろうか?と思うわけですね。
  さらに言えば、世の科学者や技術者たちを、日夜、研究や開発に駆り立てて
いるのは何であろうかと・・・。

 あるいは、こうして何とか「理性的?」に文章を書き綴っている私でありま
すが、その動機はちっとも「理性的」でも「高尚」でもないという感じがする
わけでもあります。こんなん東京までカネかけてアップするなんて、むしろ異
常でもありますね。

 しかし、そこには別のレベルでの「合理」があり、そこから見れば決して不
自然ではない。
 他の場所で「痛み」の問題を論じておりますが、その「痛さ」同様に、人間
の意識や自我にとっては「他者」的な存在として襲いかかってくるもの、突き
動かさんとするものがある。

 以前に私が「内、外の自然に畏怖している」と述べたのは、この辺の問題意
識があったからに他なりません。
  つまり、人間はアクティブな存在である以上にパッセティック(受苦的)な
存在なのではないのか?ということです。
 もしかすると、人間の意識というものは二つの自然の裂け目に張られた薄い
ベールのようなものなのかも知れませんね。

 という言い方の背景には「自然はひとつではない」、そこには様々な亀裂が
走っているという発想があるのですが、それはまたいずれ・・・。

   チャイコフスキーの交響曲「パセティック」のフアンのtotoでした。

#0048 sci1004  8907090252

 おー,またまたTOTO閣下のご投書が..
 お返事は鋭意執筆中ですので,いましばらくご猶予を..(ちょいと旅行の予定が
 あったりしまして)

 えー,ほかの諸賢人のご発言はございませんか? 最近の呼び掛けに関わらず,か
ってのアーティクル等にもご意見なぞございますれば,ありがたく存じます.
 「わたしはこれがむずむずです」というご意見などもありますれば是非お越しくだ
さいませ.

 そろそろ会議室を別けてもいいかなあ,などと考えている社務猫でした.

#0049 sci3395  8907090556

あ、
 いきなり、書き難いフォローを……。
では、僭越ではございますが、モト、シズオカ県人が、ちょっとだけ。

 なんか、すっごいマクロな話で、自分如きの脳味噌では突っ込みにくくなっ
てきました。とくにtoto閣下の先の書き込みでは、脳味噌が常温核融合し
てしまいそうでした。グツグツ…
 それでも、僕はやっぱり、「合理」という言葉と「自然」という言葉はちゃ
んと分けたいなぁ、と思う次第であります。
 合理なんてものは、種々雑多としている前提条件と目的の中から、何を選ぶ
かによって、如何様にでも変容可能な「評価」でしょ? 自然ってのは、本来
評価云々とは別次元にあると思うのです。勿論「自然」という言葉がひとり歩
きしてそういった用語(基準)になっているとは思いますが、我々が問題とし
ているものは、現在「有る」自然なんだ、と。

 toto閣下のおっしゃるのは「『己の中の自然』と『己を取り巻く自然』
の間で当惑する人間」像みたいなものでしょうか? もしかすると、それに、
「中庸/振れ幅の真ん中」の話も絡んでいるのかナ? 私の読解力のなさが一
番悪いのですが、閣下の、やや要点をぼかした(周りからつめていく?)書き
方から(勝手に)拝察する「自然」観も、やはり、合理との混同があるように
思います。
 私は、toto閣下の自然観に強い共感を覚える一方、違和感を感じてしま
うのです。「ここからここまでが自然」若しくは「これがその裂け目で…」み
たいな、デジタルな自然像に。

 では、その「自然」とは、何を指すのか?
 いえ、自然というのは、評価する基準どころかその対象にさえできるものな
どではなく、感受するものでしかない、と。そう、漠然と思います。

 じつは、その感覚の延長線を辿っていくと、矛盾めいた絡まりに到達してし
まいます。そこが「痛み」の話と接点だと、いう話は、またいずれ…。

toto閣下の続編に痛く期待を持つ
                                        屯田兵MUTA
ps:
        妙に書き方が閉鎖的のような気がするな、やっぱ、「ドグラ・マグラ」
(ビデオ)を観た直後だからだろうか? うーん、おもしろかった。

#0050 sci1180  8907091711

  MUTAさん、はじめまして。あちこちのコーナーでのご活躍をば信州信濃の
善光寺さんのお膝元より拝見させていただいております。
 突然の乱入と、いつもながらの始末の悪い書き込みで、胴元の社務猫師にもご
迷惑をばおかしておりますが、「さぁーて、どうやって収拾をつけようか?」と
書いてしまった本人も困惑しておる次第であります。

 えーと、「合理」ということに関しては、MUTAさんのおっしゃられる通り
だと私も考えております。
 で、その言葉をもって私の言いたかった事は、これまでのヒューマニズとか近
代合理主義的な発想のワクの中では「非合理」なことも、その枠組みをとっぱら
って考えてみれば「理屈に合っている」面が多分にあるということなL別の合理
から見た自然像は「バラバラな自然」ということに
なるのですが、それは本来の自然の実像について述べているわけではなく、あく
までもひとつの体系の元での「合理的な自然像」なのに他なりません。
 
 仏教的に言えば「本来無事」である自然は「オール・イン・ワン」であり、ま
た同時に「オール・イン・オール」であるのかも知れません。
 そのことは一方でにらみつつも、「今日ただ今」の私たちの現状を考え、対応
していくために必要な「作業仮設」としての「合理的な自然観」は何かというこ
との方を私は問いたいし、また、ここで論議していけたらと思うわけなのです。

 えーと、まぁー、個々の様々な存在のいわば「ベース」として、すべてを一つ
から派生させ、またそこに戻そうとする一神的な発想と、仏教のようにすべてを
「空」から派生させ、ふたたび「空じてし┥、」という発想があったりするわけ
ですが、どちらも「ひとつの自然」というものを考えていることには変わりない
と思うのですね。
 つまり、超越神を仰ぐキリスト教なんかと、「空」を論ずる仏教あたりは一枚
の紙の裏表にすぎず、実際には似た者同志だということです。

 しかし、私たちが現実のレベルで触れている自然は、やはりバラバラなのでは
ないでしょうか。
 例えば、生体膜に包まれた独自の構造の出現をもって、私たちはそれを「生命
の誕生」としています。つまり、環境と生命独自の構造を仕切る「生体膜」の登
場をもって・・・、ということですね。

 この「生体膜」は、生命独自の構造が単独で作り出したものでもなければ、そ
の環境が作り出したものでもない。両者のあり方の違いがそのものが作り出して
きたインターフェイスなのに他なりません。
 自然はなめらかに連続してひと@@ノ調和しているわけではなく、様々なあり方
の自然が存在し、それぞれに消長を繰り返している。そして、その「様々の在り
方」の間には、このようなインターフェイスが形成されているということです。

 そして、私たちの現在にとって必要なのは、この「インターフェイス」という
存在に着目した自然観なのではないかと思うわけなのです。
 例えば、私の胴元BBSの「トークながの」の方で、社務猫師と「不均衡動学」
という経済理論について話題にしたことがありますが、「ふたつの異なる世界の
間に利潤が発生する。」というこの理論も、やはりインターフェイスに関わる問
題なのであり、「経済成長と環境問題」を考える際の要点になるだろうと考えて
もおります。
               つい長くなってしまいましたが
                 とりあえず、マタネ!!のtotoでした。

#0051 sci1004  8907120550

すいませんが,これからチョイト緊急のお仕事に出てきますので,レスが
遅くなりますが,48時間以内(こればっかし)にはアップ致しますんで
諸閣下におかれましては,ご理解賜りますれば幸せにてございます.  社務猫

#0052 sci3395  8907130303

あ、
toto閣下、はじめまして!(申し遅れて申し訳ありません)
 toto閣下に「活躍」なんて御言葉を頂くと、真夜中にこっそり冷蔵庫を
漁る居候が、家主に「今夜の二段目は豪華だぜ!」と耳打ちされた、みたいな
感じで、ビビッております。ヒエヒエ

> そのことは一方でにらみつつも、「今日ただ今」の私たちの現状を考え、対応
>していくために必要な「作業仮設」としての「合理的な自然観」は何かというこ
>との方を私は問いたいし、また、ここで論議していけたらと思うわけなのです。

 誤解のないように弁明させていただくと、上の方向づけに関しては、なんら
意義を唱えようとは思っておりません。私の言いたかったことは、「合理的な
自然観」を問うためには、純粋な(つまりは合理的考察に値する)自然観の摘
出が必要不可欠だ、ということです。今現在、環境保護活動が後手後手と回っ
ている原因が、その自然観の曖昧さ(つまり都合の言いようにしか見ない部分
把握)にあるのではないか、と思うからなのです。

> そして、私たちの現在にとって必要なのは、この「インターフェイス」という
>存在に着目した自然観なのではないかと思うわけなのです。

 この考え方自体には、当方も非常に共感いたします。では、先の書き込みで
振れた「違和感」とは何か? それがつまり、「自然バラバラ」感覚なのです
(あ、なんてセンスの無い引用かしら。ごめんなさい)。

「神が創りたもうた、インターフェイスの複合美」なんて言うつもりはありま
せん(ホントだってば!)。ただ、我々が漠然と「自然」という言葉を認識す
る裏には、それなりの複合インターフェイス形勢プロセスのパターンがあり、
それを今まで、我々は誤認してきたのではないか、と思うのです。

 この感覚でいくと、どうしても「ケース・バイ・ケースに勝ものなし」とい
うところに帰着しそうに思うのですが。とすれば、自然観という言葉自体の必
要性も無くなってしまいます。内なる自然、外なる自然というデジタル感覚の
中には、その手の矛盾が存在しているように思うのです。

 今日、これに近い話を姉と(愚かにも電話で1時間半)繰り広げた時、「滝」
の話がでました。この矛盾をそれに照らし合わせるなら、「滝に打たれる修行
者」の行動内にある矛盾、という感じでしょうか。「滝」を前にして、「滝を
描く水墨画家」の在り方が、本来の(勿論今後の)人間の姿であるべきなのに、
ということです。ちなみに「滝」=「自然」です。
 非常に抽象的かつ説明不足(不可能?)な表現ですので、なんとなく、とい
うレベルでイメージして頂ければ幸いです。

うーん、この気候もあって頭が煮立ってマス   MUTA

#0053 sci1180  8907131821

  ムホッ!そうですか。MUTAさんにはお姉さまがいらっしゃる・・・。
(と、ヒRにヤxが変わる・・・デ、ヘヘヘ・・・。)
 どうかよろしくお`え下さいませ。(もみ手でニコニコ・・・。)

 あー、いかんいかん。つい「お邪魔虫」の頃の悪い癖が出てしまった。

 コッホメI

 「黶vのお話ですが、分かったような分からないような?というところで、も
う少しMUTAさんのお言葉をまちたいと思います。 

 江戸時繻繩@@フ喧kの医師であった安。昌益は、「自R」という言葉を「ひと
り(自)しか(R)する」とヌんだそうですが、私も「自R」を名詞としてィえ
るべきではないだろうと考えております。
 「自R」は「物」Iなカ在ではなく、「ュき」なのであり、いつだって「プロ
セス」であろうと・・・。

 それも、竃に自律Iな様々なプロセスの集合フとしてあるのではないのだろ
うかと・・・。つまり、「バラバラな自R」という言葉を言い換えれば「様々な
プロセス」ということになるわけですね。

 その場合、その個々のプロセスは必ずしも互いに調整しあったり、それを包む
より蛯ォなプロセスと調和を取ったりしているわけではない。自己のプロセスの
維持のために勝手なハミ出しをして、かえってワ小路にはまり込んだり、窮地に
陥ってしまったりすることはいくらでもあるということです。
 さらに言えば、こうした危機を絶えず生み出してくるあり方にこそ、自Rのn
「の秘密があるのではないかと考えるのです。

 私たち人間ひとりひとりも、様々な集団や社会もこうした様々なプロセスのゥ
なのであり、私たちは様々なプロセスの流れのゥのただ中に置かれた「プロセス
の流れゥ」そのものなのではないでしょうか。
 便宜Iに「烽ネる自R」「外部の自R」という分け方をしてまいりましたが、
実際にはそんなに単純ではないということでもあります。

 そして、人間の意識のチ徴のひとつは、このような「プロセスの流れ、あるい
はプロセス間の関係」を停止させ、あるいは「殺し」、物Iに固定化して見るこ
とが出来るということにあるのではないでしょうか。
 その固定怩鏡とすることによって、初めて可能となる「反省」をどう生かす
かがやはり今問われているのだろうと・・・。

 黷ノナたれつつ、黷フ外に置かれた「鏡」に自分を映すことが出来る・・・て
なことでしょうかね。

                 夕方になると涼しくなる長野の
                   懐だけはいつも寒いtotoでした。    
                 (お姉さまによろしく・・・マダ、イッテル)

#0054 sci1004  8907131906

げ toto閣下が御来室.まあ追突だけど,後からゆっくり読むとして
このまま書いてしまいます.

 つらつら思うに,MUTA閣下がおっしゃられる,「自然とは評価云々とは別次
元にある」ということ,これは閣下の自然観であるのですよね?つまり,閣下がお
持ちの価値観とか理念がそう言わしめている訳で,そう思われていることが閣下に
とって「合理」なのではないでしょうか..などと小生愚考するのでありますね.
(ちょっと,へ理屈ぽいけど)

 つまり,toto閣下が言われる「バラバラな自然」っていうのは,MUTA閣
下の小生のtoto閣下の,各々の多様な自然観の存在を表現しているのではない
かと,私は理解したのですね.で,現実レベルの「バラバラな自然」っていうのも,
センスなく言ってしまえば,そうした在り方または観念の反映なのではないのかと
も理解できるのです.

 おもしろいと思うのは,この「バラバラな自然」っていう見方は,自然を一律に
征服対象と見てきた近代合理主義的「自然観」とは,また別の見方であるというこ
となんですね.(個別各様の「合理」と,近代合理主義における合理とは,全くか
け離れたものかもしれないという意味もあるのですが)
 で,ここでハタと気がつくのは,自然を一つのシステムとして一様に認識する事
ってのは,たとえそれが自然保護という観点に立脚していようとも,「征服」の呪
縛からは逃れられないのではないか,という疑念なんです.自然を他者として対象
として見る限り,本当の自然保護なんてできないのかも知れません.

 ここで,アオ臭くM・ウエーバーなぞ引用しますれば,「合理とは質的なものを
量的なものに変換すること」なんだそうで,こう考えると,我々も自然の「質」を
量的に変換しているのではないかという,そういう不安もムクムク湧いてくるので
すよ.

 しかし,破壊と保護という図式の中で,一様VS多様っていう対立が可能か?
 つまり近代合理主義的枠からはみ出した保護理念は,実効的であるかと問うた時,
やはり解答の選択肢は,近代合理主義の枠内にあるのではないのかなあ..と思う
のです.なぜなら,私たちは近代合理主義の合理体系に乗った合理方法論しか知り
得ないから,なのではないでしょうか.

 ここで,良くも悪くもバランス感覚が顔を出します.
 個別的合理は各人各様に引きづっていてよろしい.それを一般的合理に如何に集
約(アウフヘーベンとか申しますが)させ得るか..これが作業仮説の一つの課題
なのではねえべかな? とこう思いますし,それも「中庸」だべな,なんて考えま
す.

 ところで,だんだんとお話がテツガクしてますので,「むずむず分室テツガクし
ましょ」なんてコーナーを考えているのですが,いかがでしょうねえ.

              朝帰り ぼけたオツムでゴタクいい  社務猫
              太陽が黄色く...(ウソツケ!ミエハルナ!!)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            <近代合理主義小噺>

学生A:「デカルトが”方法序説”を書いて,それがヒットしたから,ヨーロッパ
     で近代合理主義が始まった訳で,それが”デカルト以後”なのですね」

 私の先輩です,これを言ったのは.笑ってやってください.

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
PS. なんのフォローにもなっとらん.

#0055 sci1004  8907131910

しかしtoto閣下,妖怪文字化けが出没してませんか?
こんどはお札持参がいいかもしれませんねえ,善光寺の..

#0056 sci1017  8907142125

 妖怪文字化けには、お血脈が一番です。    こっぺい

#0057 sci1180  8907200046

  ワッワッ!!!ほんとひどい文字化けになってたんですねぇー。送出する時に気づいて
3度送りなおしたんですが、遠距離通勤者の悲しさで「まぁー、この程度であき
らめよう!」てなとこで放り込んであわてて帰ってきちゃったんですが、こんな
にヒドイとは思いませんでした。

 で、友引町のさくらさんにお願いして、こらしめに一匹、妖怪「文字化け」を
つかまえてもらいました。 

            ←これです。思わず目を背けたくなる形相をしてます
             ねぇー。うーーむ、こんなのが、たくさんいるんで
             しょうねぇー。おぉー、イヤダイヤダ。
               (見えない方は、もっと霊能力きたえてね。)

 わーーい、コッペイさんお久しぶりです。(これでお侍さんが出てきたらお邪魔
虫があらぬ所で復活してしまうなぁー)
 なにかとガタガタしてましたが、やっとこさ一段落いたしまして、またぞろのこ
のこお上りさんをしはじめております。また、よろしゅう願いいたします。
 
 では、モデムの上に善光寺さんの「お血脈」をのっけまして、とりあえず前回の
文をば再送しておきたいと思います。

            社務猫さんのへのRESは近々に・・・
              今日も元気だビールがウマイ!のtotoでした。

#0058 sci1180  8907200047

  ムホッ!そうですか。MUTAさんにはお姉さまがいらっしゃる・・・。
(と、突然に態度が変わる・・・デ、ヘヘヘ・・・。)
 どうかよろしくお伝ええ下さいませ。(もみ手でニコニコ・・・。)

 あー、いかんいかん。つい「お邪魔虫」の頃の悪い癖が出てしまった。

 コッホン!

 「滝」のお話ですが、分かったような分からないような?というところで、
もう少しMUTAさんのお言葉をまちたいと思います。 

 江戸時代の東北の医師であった安藤昌益は、「自然」という言葉を「ひと
り(自)しか(然)する」と読んだそうですが、私も「自然」を名詞として
捉えるべきではないだろうと考えております。
 「自然」は「物」敵的な存在ではなく、「働き」なのであり、いつだって
「プロセス」であろうと・・・。

 それも、相当に自律的な様々なプロセスの集合としてあるのではないのだ
ろうかと・・・。つまり、「バラバラな自然」という言葉を言い換えれば「
様々なプロセス」ということになるわけですね。

 その場合、その個々のプロセスは必ずしも互いに調整しあったり、それを
包むより大きななプロセスと調和を取ったりしているわけではない。自己の
プロセスの維持のために勝手なハミ出しをして、かえって袋小路にはまり込
んだり、窮地に陥ってしまったりすることはいくらでもあるということです。
 さらに言えば、こうした危機を絶えず生み出してくるあり方にこそ、自然
の想像力の秘密があるのではないかと考えるのです。

 私たち人間ひとりひとりも、様々な集団や社会もこうした様々なプロセス
の束なのであり、私たちは様々なプロセスの流れの束のまっただ中に置かれ
た「プロセスの流れ束」そのものなのではないでしょうか。
 便宜的に「内なる自然」「外部の自然」という分け方をしてまいりました
が実際にはそんなに単純ではないということでもあります。

 そして、人間の意識の特徴のひとつは、このような「プロセスの流れ、ある
いはプロセス間の関係」を停止させ、あるいは「殺し」、物的に固定化して見
ることが出来るということにあるのではないでしょうか。
 この固定化することによって、初めて可能となる「反省」をどう生かすかが
やはり今問われているのだろうと・・・。

 滝に打たれつつ、流れの外に置かれた「鏡」に自分を映すことが出来る・・
・てなことでしょうかね。
                 夕方になると涼しくなる長野の
                   懐だけはいつも寒いtotoでした。    
                 (お姉さまによろしく・・・マダ、イッテル)

#0059 sci3395  8907220456

toto閣下の再アップを無言でのうのうと待ち続けてしまった、
ズルイ屯田兵、MUTAであります。お許しを。

 滝は、様々な意味で、我々の「知っている」自然に似ていると思いま
す。人間が滝に特別な思い入れを持つのは、そこに圧倒されるのだ、と
思います。その荒々しさに、静かさに、乱雑さと規則正しさの同居する
美しさに、とめどない生気に、…。
 日本の水墨画に、人間と自然との在り方の未来を見た、というような
事を、アインシュタイン叔父ちゃんの友達(直接はその子供)が語るT
V番組があったそうです。残念ながら見逃しましたが、私は、その話を
聞いて、なんか凄く判るような気がしました。そしてそこから姉との話
が展開していったわけです。
 で、滝に打たれる修行者の気持ちとは? というところまで来たとき、
私は、言葉で言い表せない「ひっかかり」を感じてしまいました。そし
て、思わず行った言葉が、「修行者はズルイ」。
 そこで修行者が求めたもの(こと)は、本来滝に打たれずとも得られ
るはずなのに、安直に走ったのだと。それどころか、そういった行為に
よって得たもの(こと)は、それ本来の形を歪められているだろうと。

 toto閣下が先に書かれたことには、ほとんど異論はありません。
ただ、
> 人間の意識の特徴のひとつは、このような「プロセスの流れ、ある
>いはプロセス間の関係」を停止させ、あるいは「殺し」、物的に固定
>化して見ることが出来るということにあるのではないでしょうか。
という部分を、
「〜に固定化して見ようとする傾向がある」としたいのです。

 今、確かに我々は『滝に打たれつつ、流れの外に置かれた「鏡」に自
分を映す』必要に迫られているのかも知れません。しかしこの方法は、
拳銃を持った犯罪者をショットガンで制する方法に似ている気がします。
確かに必要かも知れません。でも、犯罪者に対してネゴ(説得)という
方法があるように、もっと根本的な方法論の模索も必要だと思います。
失われた対話を取り戻すことによって、犯罪を解決することのように。

>toto閣下
 よろしく伝えときました。姉からの返信
「コブ(父子)付きでよければ…」
(よかったりして?)                     屯田兵 MUTA

#0060 kimot    8907230544

 ちょっと参加していいですか...自然観と、対自然行動規範のことを
つらつら考えてみました。全然ねられていない考えなので、厳密さはあり
ません。駄ぼらとして、読み流して下さいまし。

******************************************************************

 原始仏教のころからある「不殺生戒」は、宗教のドグマのなかに組み入
れられた世界観・環境観としては、とても高度なものかもしれません。

 自由な想像を許させてもらえば、紀元前数世紀のころ既にインドの人口
圧力は(土地の生産性に比して)けっこう高く、食料生産・生活環境への
不断のストレスがあったのではないでしょうか。そして、むやみに野生生
物を殺傷することが、まさにストレスであるという認識が(殺生戒がドグ
マとなる以前から)、当時の人々の文化の中に広く存在していたから、そ
れが仏教なり、ジャイナ教なりに組み込まれたのかなぁ、と思います。

 不殺生の必要を基礎づけるための構造として、転生の考えをあげること
ができるでしょう。
 生態系というものは、現代の目でつきつめれば炭素などの循環ですが、
生物種・個体間に密接な関係があることを表現した、という点では転生の
システムの考案は、生態系の存在の認識に遥か先行しています。
 ひょっとして輪廻転生というシステムは、土地生産性維持、というきわ
めて具体的な課題を引きずったものなのかもしれません。

 さて、「不殺生戒」の前駆体というか幼生のようなもの、個別・具体的
な「環境への禁止事項」は、たぶんかなり広く存在してきたのではないか、
とも感じます。
 たとえば、小生が国内で知っている範囲では、山間部の村で、集落のす
ぐ上にあたる山を「留め山」として草一本むしらないとか(理由は山抜け
=エロージョンが起こりやすくなり、大雨なんかあると集落が事前になん
の断わりもなしに埋められたりするため)、川魚の猟期を限るとか(これ
はおなじみですね)....
 こうした個別事項を、普遍的概念に成長させる以前に、日本には完成度
の高い宗教である仏教が入ってきたのかもしれません。
 そして、逆にいえば、個別的な環境への禁止事項は、それぞれがアニミ
ズムの小さな地域神による「やっちゃだめ」の段階にとどまってしまった、
といえるのかもしれません。つまり、なんといいますか、中央集権的普遍
的な戒律ではなく、抑止力に乏しい小さな神々がばらばらに存在する状況
のままできてしまった、のかもしれません。

 旧約聖書のモーセの諸戒律の中には、「不殺生戒」に相当するものはみ
あたらないようです(畑を6年耕したら1年休耕する、といったものはあ
りますが)。クラーン(コーラン)の中にも、星の運行や果樹の実りを司
るのは神だ、といったことが繰り返しでてきますが、やはり上記戒律はな
いみたいです。
 これは、再び想像の自由をさせていただければ、定住型の文化では生活
のためには環境の恒常性が死活問題なのに対し、遊牧民のウェイトが高か
った移動性能が高い文化では、「東京がダメなら名古屋があるさ」、でも
どこでもおんなじ神様の統治があるから安心だよーん的環境観で済ませら
れるからなのかもしれません。

 上記世界に於ける世界(自然)は、神を一種のメディアとして客体化さ
れたもののように思えます。スコラ哲学の始祖とされるエリウゲナ(9世
紀)は、naturaを「創造して創造されぬ自然」(絶対神)、「創造
されて創造する自然」(神のうちにあるイデア)、「創造されて創造せぬ
自然」(時空のうちなる事象)、「創造もせず創造されもせぬ自然」(信
仰対象としての神)の4つに区分しました。これらから、神のかかわる項
を抜き、3番目の「創造されて創造せぬ自然」を残せば、それは現代の自
然観の祖型に近い気がします。
 イブン・シーナー(アビケンナ、10-11世紀)は、事象が、「存在」とい
う属性を付与される(神によって、です)ためには、付与に先立つものが
なくてはならないとし、それはラテン語訳ではnaturaとされていま
す。本質、といった意義でしょうか。いずれにせよ、事象になるためには、
神の立会いがなくてはならぬ、というどこかだらしねーnaturaです。
 こいつらは、近代欧州型の自然理解の原型でしょう(ただし、当時の、
naturaの語が、一直線に現代のnatureという語と対応するか
についてはハッキリしたことを言える知識はありません)。

 自然を、その中にヒト=自分もビルトインされているものとしてみる、
という点ではアニミズムはピカいちのはずです。しかし、悲しいかな、こ
の世界を統べる無力な小神たちは、水木しげるが描くが如く、坂を転がり
落ちるような退却を繰り返しております。
 もともとが、ささやかな地域経済維持のための神ですから、その力は、
「生き物の命を助けたらごほうびがあった」(浦島太郎とか)というよう
なストーリーを構成する程度のものでしかなかったのでは...この程度
のインセンティブでは、圧倒的に巨大な近代資本主義の”恩恵”(山には
コンクリ砂防ダム、危険手当もついて日当1万、etc.)にはひとたまりも
ありません。

 不殺生戒は、アニミズムのような地域限定型商品ではないのが強みで、
すでに文化規範として、われわれの心にかなりがっちりと組み込まれてい
ます。が、しかし、その力の有効範囲(第5の力みたいですネ)が、やや
狭いように思います。つまり、論理としては自分が正しい道を歩まんがた
めのむやみな殺生の禁止ですから、それは、自らが手を下すことを中心に、
あくまで身近な環境中のことです。
 たとえば、車に乗って排ガスを出す、といった、寄与分は小さいけれど
間接的に、いつかどこかで生命を圧迫する、といった行為(見えない殺生)
に対しては、あまり効いてこないようにみえます。

 これらのバリュー・システムが、近代という化物に対して役不足である
ならば、では西欧近代それ自身の中から出てきた「保護・保全」概念は、
どこまで有効なのでしょうか?(たとえば、コンサベーションなどの考え
方です)

 以下は本当に私見ですが、自然環境に対して威圧的である近代の似姿で
ある、自然環境に「保護者」として君臨するタイプの保護・保全概念は、
たとえば自然公園の管理、といった課題にはそれなりの成績をあげうると
思いますし、事実、北米などでは「うまく」いっているみたいです。アフ
リカでの密漁防止といったタスクや、大気汚染物質の規制といったものに
も、有益なはずです。
 つまり、自然を、「かくあるべきもの」というヒト側の判断に乗せ、客
体として把握する、というのがこの方法論のミソにあります。そして、対
象が対象として、自分の「外なるもの」として把握されている場合に、最
大の効力が発揮されるのが、このタイプの概念に思えます。

 私は、近代社会が存続する以上、この最後のタイプの自然観に基づく手
法が、やはり最も強力なのかなぁ、と思っています。それはいわば、「神
々の闘争」という様相をもって続くでしょう。「神々」とは、神の視点に
たって「開発か」「保全か」を論争し、決裁するヒトのことです。
 ただしこの点は、私は最もぐらぐらしているところです。つまり、もっ
と有効なモデルがありうるかもしれない、と思うからです。

 付け加えれば、近代の技術は、かつてはほぼなかった消費の現場と破壊
の現場との間の距離を、おそろしく拡大してしまいました。それを埋める
には、皮肉なことに、ジェット機やVTR、マスメディアといった近代技
術がなくてはとても無理です。

                   地球防衛軍こーもん 木元・拝

余談:ジャイナ教徒は今でも数百万人いて、実業家=富裕層に多いそう
   です。教義とどう調和しているのか、インド人て不思議ですね。

#0061 sci3395  8907230702

うわっと、木元閣下のお出まし!!! おひさしぶりであります。
すごく勉強になってしまいました。やっぱ、100年かかっても
木元閣下には太刀打ちできそうにないなぁ、と思う私。
 しかし、コーランに不殺生戒がない、というのは意外な事実でした。
 生態系の循環と輪廻転生の関連性については、僕も良く考えるのです。
ただ、「土地生産性の維持」によって転生が導かれたのではなく、逆に
(とはいえないか)「土地生産性を維持」しようとする考えが、「転生」観
によって導かれたのではないか、と思っています。我々(生物)は、生
態系の循環メカニズムさえ、何らかの形(たとえば遺伝子情報)で本当
は知っているのではないか、と。
 僕がここでこだわってみようとしているのは、木元閣下が
(ご推察されてるでしょうが)最もぐらぐらしているところ
なのです。ですから、ちょっと非現実的な作業と判断される
方もいらっしゃるのでは、という不安はあります。

以上、オンライン感想文    MUTA

#0062 kimot    8907231729

MUTAさま
 あれもったいないお言葉をば...小生の駄文など、
現実遊離のたわごとでございましょう(おおさわゆうり
ののんびりワイド、というラジオ番組があったような
気がしますが、ああ、記憶力が大減衰陛下であります)
 ところで、アニメディアを買ってしまいました。以前
たしか買ったことがある気もするのですが、ひょっとし
てはじめてかもしれません。いのまたむつみ様のカラー
イラストを壁にはろうとして、家内の視線と戦っていま
すが、戦況はかんばしくありません、うーむ。

 とりあえず、御礼でした。本当に今日は暑いですね。
        ぼーえー軍けつめど 木元・拝

#0063 sci3395  8907232344

ひえぇぇ〜! これまた恐れ多い。…毎度(?)ありがとうございますです。
これでまた、木元閣下の本棚がさらにトワイライト・ゾーンと化して…?
イラスト家庭内戦のご武運を、心からお祈りして止まない次第であります。
(確かにあれはイロッポイ)  MUTA

#0064 sci1180  8907242342

 わぁーっ、しばし風邪で伏せっている間に日本の政治は大激動しちゃったみ
たいだし、MUTAさんのお姉さまは結婚して子供さんまで出来ちゃったよう
だし、ここも木元顧問さまのお出ましで、突然、格調EMSボードになっちゃ
ってるし・・・ドウシヨウ?・・・アタフタアタフタ・・・。

  えー、何はともあれ木元顧問さまはじめまして!おウワサはかねがね定期購
読はしてないけれどなぜか毎月買ってはいる某科学雑誌の方で・・・。いやで
も、こういう切込みが出来るお方とは思いませんでした。うーーむ、ただただ
うなっております。

 古くはネグリート族、ドラヴィダ族などが流入し、しまいにゃアーリア族が
入り込み、しかし、入る一方で出ては行かないインド亜大陸の「気圧の高さ」
というのはインド思想を考える上で非常に重要であろうと私も考えてまいりま
した。
 それは、同じ印欧語族でありながら、ペストの流行で突如「気圧低下」した
西欧と比較する上でもということなのですが、この比較文化論の方は別の機会
にまわしまして・・・。

 お説の通りアミニズム的な生命倫理と、いったん自然を対象化したところか
ら生まれた「不殺生戒」は機能する世界が違うわけですね。前者が共同社会的
な世界のものであるとすれば、後者は都市とともに育まれてきた「自我」の救
済と深くからんでいるわけですから。
 そして、もしかすると私は、かつてアミニズムとは別のレベルでの八百万の
神々の復活を考えているのかもしれません。

 その場合、重要なポイントとなるのは「滝の外におかれた鏡」なのであり、
その位置であると考えるのです。

 おおざっぱに言えば、都市という「人間の世界(神の世界ではない)」の登
場と共に、神の世界たる自然へのコンプレックスも生まれ、その「神の自然」
を「鏡」とするいくつかの高等宗教も生まれてきました。
 これは、天空のメガ・マシーンの秩序を地上に移そうとした(天体の秩序を
鏡とした)文明の第一ステージにひきつづいて起きたことでもあります。

 そして、これらの勢力の果つる地である西欧と日本(今日、先進国と呼ばれ
たりしている国々ですね)において、遅れに遅れた宗教革命が生じたのが16
世紀。これが高等宗教にとって代わる「経済」という「鏡」が登場した時であ
り、また地であったわけです。

 言い方を変えますと、「独自の価格調整機構をもった市場」の登場によって
「経済が社会から離床」した。(もっとも、完ぺきに離床したわけではありま
せんが・・・)  
  つまり、経済現象というものが社会に埋没しているのでなく、そこから離れ
て独自に動きだした。そして、そこに生じた社会との距離によって経済が人間
と社会を映す鏡となり得るようになったということです。

 しかし、我々は今日に至って、経済にとって代わるもっと「遠い鏡」を手に
しつつあるのではないでしょうか。
 生命維持装置がなければ一刻たりとも生きれない場所から撮影された地球の
写真なんかもそのひとつです。それは、生命の世界からの距離を得ることによ
って初めて可能となるような視点なのであり、その意味では「死の世界」を鏡
とすることができるようになったということなのかもしれません。

 私は、このかつてない「距離」に期待したいと思うのです。人間の掲げる様
々な理念、ヒューマニズムも自然主義も、すべてがそこでは冷えきってしまう
ような位置に置かれた鏡にです。
 そこに映るのは、まさに神話のごとく、諸力のせめぎあいのそのものとして
の自然であり、それに翻弄され押し流されている人間たちでもあるはずです。

 もし、人類が生き延びようとするのなら、なによりも「自然」と戦わねばな
らないのではないでしょうか。そして、その時に必要な冷理な「死の鏡」は整
いつつあるのでは・・・。まぁー、で、なけりゃ、このまま自然にやってまし
ょうよ、ということになるのでしょうね。

    長くなりすぎましたのでこの辺でひとまず・・・
     風邪の熱で何書いてんのかわかんなくなっているTOTOでした。

PS:MUTAさん、私も妻子がいますんでちょうどいいですね。(何がじゃ?)

#0065 sci1004  8908010115

 ポッチンぽっちんと,レスを打っていたのでありますが,困ったことに
時間切れであります.あすは,またまた築地近辺でおしごとなどがありま
して,申し訳ありませんがこれで寝かせていただきます.ということで,
24時間のレス延期届けを議長殿に提出して,おやすみなさーい.

社務猫

#0066 sci1004  8908022035

 まずは皆様に御礼であります.なんと当会議はおかげさまで,10万バ
イトを突破するにいたりました.これもひとえに私の努..ではなくて,
みなさまのご愛顧のたまものと,ちきうぼうえいぐんたま支部一同,感謝
かんしゃでございます.

 最初から期待していたことですが,やはり,「世にむずむずのタネはつ
きまじ」ということではあるようで,多方面への話しの展開は,当会議の
真骨頂でありまして,変に私が口を出しますとおもしろさ半減・・・とい
うわけで,ぐうたらを決め込んでおりました.

 では,ボチボチと・・

 みなさまのお話の柱の一つには,「自然」の捉え方,という視点があっ
たのですが,これについて私もちょいとおせっかい.

 わたしも,自然をプロセスとして捉えるのには賛成です.つまり,自然を
動的に見ることによって開けてくる視点もあるのではないかとも思います.
 ただ,その方法論が,近代合理主義的に可能かという問題点も不可避だと
は考えているんです.

 前にもちょいと書きましたが,「デカルト以後」とシンボリックに言い表
す事の合理の精神というのは,方法序説を読み返すまでもなく,「細分化」
の歴史であると思っています.つまり,物事を突き詰める手段として,対象
を細かく分断して,その一つ一つに説明を与えた上で,再び総合を試みると
いう,手段なわけですね.
 で,この方法論に多少なりとも関わっている方なら(理系の研究者さんな
ら特に)実感されていることと思いますが,そうした手段に一番適している
観察対象は,静的モデルであって,動的モデルではないのですよね.じゃあ
動的モデルはどう観察するのかといえば,動的なものを1コマづつ分解して
静的なモノとして扱うのが普通だと思います.ただし,それを総合的にに統
合するのは,大変な苦労が伴います.

 つまり,一般に言われている合理方法論とは,細分化・専門化を促進する
傾向にあって,その反比例として全般的総合理解を難しくしているとは言え
ないでしょうか.

 身近なヤツでは,例えば病気.具合が良くないから総合病院に行ったとし
ます.各科では,それぞれに病名はつけてくれるけど,それは各科でわかる
範囲の病名であって,病気の全般的究明にはなってないかもしれない.つま
り一つの病気に対して,各専門毎の輪切りの診察かもしれない.
 自然保護という場合でも,これは同じはずです.動的運動体であることが
わかっていても,静的に処理せざるを得ない. これは本来の,自然という
動的プロセスを把握するのには,不適格な方法論かもしれません.

 静的に処理するのは,ことほど左様に弊害的側面が見出せます.しかし,
破壊の歯止めとする方法においては,これが一番強力な方法だとは思ってい
ます. 開発の側の合理による破壊をセープできるのは,やはり同じ質の合
理ではないだろうか. 敢えて誤謬を恐れず言ってしまえば,こうした保護
は自然を視野に入れての保護ではなくて,破壊の側のみを視野に入れた逆説
的保護ではないだろうか.が,それゆえに効果もあるのではないか・・もち
ろん破壊側の論理に組みされやすいという欠点もあるのですが,それは,木
元こーもんさまのいうところの「神々」の相克に負うもとしてもエエでない
のかなぁ・・とか.

 こういうのが,後ろ向きだと批判するのは容易です.しかし対案を出すの
は非常に困難であるはずです.もしかしてそれは新しい合理方法論を示すの
と同等かもしれませんから.

 もしかしたら,破壊をセーブすること=環境を保全すること,というのは,
あまい考えかもしれませんねえ.分離して相克するという考え方や,なんと
か相互理解・・・なんていい加減なことも考えてみるのですが,うーむ.
(穴だらけもいいところ・・) おや,この関係,もしかしてTOTOさん
のいう「離床」かしら・・・

 一番理想的なのは,たとえ困難であっても,静的観察と静的処理の積み重
ねで,動的自然の姿態が浮き出てくればとは思うのですが(これって,フラ
クタルをスーパーコンピュータで解析してるみたいですねえ)

 MUTA閣下TOTO閣下の言われる「鏡」ですが,距離をおいて初めて
見ることができるその鏡の映像は,もしかしてそれは,我々が見たことがな
い初めての,自然の動的姿態なのかも知れませんねえ.

    遅れてごめんちゃい.悪いアタシをブッて    社務猫

 経済については,書きかけにつき,おっつけ・・・

#0067 sci3395  8908051111

 えっと、ちょっとブランクあいちゃって、強力なフォローが出来る状
態じゃないんだけど、ちょこっと。

 結論から言ってしまえば、「静的観察と静的処理の積み重ねで,動的
自然の姿態を浮き出させていく」方法論が、もっとも妥当な線なんじゃ
ないかな、と、漠然と思います。自然をプロセスで見る行為とは、結局
そのことなんだと思いますし。
 ただ、それは決して「動的自然」そのものではない、ということだけ
は、当たり前だけど、あらためて押さえておきたいなぁ、とひとりごち
るMUTA。

 社務猫閣下には、まとめて扱われてしまいましたが「滝の中に身を投
じる」こと自体に(もちろん、鏡を置こうが置くまいが)、私は、否定
的なのです。具体的な言い回しが見付からないので、また、修行者の話
になりますが、「悟り」を求めて「滝に打たれた修行者」は、たとえ滝
の中で「悟り」を得ようともそれを持ち帰ることは出来ないと思います。
滝を出た途端、「滝のなかで悟り」だったものを振り回す、ただの狂信
者にしかなれないと。そして、修行者は滝の中では生きられない。そう
いうことを言いたかったのです。
「お前の言ってることは、理論ではなく宗教だ」とおっしゃる方が居る
かも知れませんが、はたしてそうでしょうか。私には、近代の人間の過
ちの、その多くが、理論という名の宗教に振り回された結果のような気
さえします。サイエンスネットには相応しくない言い方かも知れません
が。
                    MUTA

#0068 sci1180  8908071810

  どもども、ご無沙汰しております。暑い日が続いておりますが皆様お元気で
しょうか?私も元気です。・・・なんて書くと、ほとんど子供の手紙みたいにな
ってしまいますが・・・、とりあえず暑中お見舞い!
 
 えーと、この時期にふさわしく涼しげなMUTAさんの滝のお話ですが、そ
れ自体としてはなんとなく分かるのですが、それは何の例えなのかしら?ある
いは一般論としてはどういう問題として捉えたらよろしいのでしょうか?
 
 例えば、自然というプロセスを滝と見立てた場合、その中に生きている私た
ちは「滝の外に立つ」ということは不可能なわけですね。
 
 近代の合理主義への批判として言えば、「客観的立場に立つ」などというこ
とは不可能ということでもあります。私がわざわざ「鏡」という言葉を使用し
たのは、あくまでもそれに映して物事を見るのは「主観」の方であるという意
味も含めているわけです。

 で、そのことにちょっと関わる問題なんですが、私は少なくとも「科学的な
合理性」という特定の鏡に映った像だけが正しい、あるいは優れているという
発想だけはそろそろやめた方がいいと思っております。
 その場で、ごく普通に生きている人たちの実感的な把握と科学的方法による
把握とどちらが優れているという比較手段などないわけで、ただ、前者の場合
は「定量的な表現」が難しい、あるいは表現方法や手段を持っていない場合が
多いということだけなのですね。

 その辺をどう克服していくか、ということも意外と現実的で重要な問題なん
ではないかと思っております。

 えーと、それと宗教の問題ですが、たとえば仏教なんかはどっちかというと
「自然論理学」みたいなとこがあるわけですし、MUTAさんの言われるごと
く、科学も下手すると「ほとんど宗教」になってしまう。
 少なくとも、「科学的に正しい!」ということと、「科学的だから正しい!」
ということの大きな違いだけはハッキリさせておきたいものですね。   

                   ではでは、またねのtotoでした。

#0069 sci3395  8908100419

えっと、返信遅れてすみません。
 僕が扱った「滝」の話とは、実際に山かなんかを歩いてて、「滝に出
会った人」の話なんです。滝自体を、世界観が完結したリアルモデルと
してみると、toto閣下のおしゃるような矛盾が出てくるのも当然で
す。混乱させて申し訳ありません。
 修行者は、なぜ滝に打たれるのか。この場合修行者は、滝をある意味
で宇宙(自然、現実)そのものに見立て、その中に身を投じることによ
って、宇宙の中で己自身が「法(仏法)」をつかみ取れるかどうかのシ
ミュレーションをしている。僕は、そう(言葉にするとちょっと語弊が
ありますが)いう解釈をしています。
 このやり方は、荒行苦行の中では、かなり理想的な方法だと(私は勝
手に)思っています。でも、根本的なところに矛盾があるゾ、というの
が、今回の例え話の意図なのです。

つまり、
》 例えば、自然というプロセスを滝と見立てた場合、その中に生きて
》いる私たちは「滝の外に立つ」ということは不可能なわけですね。
ということなのです。
「滝を見立てる」のは、「滝の外」での「客観」なのに、「主観的存在」
のまま、つまり「本当に」滝の中に入ってしまう。そこで何を得ようと
も、それは「私の客観に身を置いた主観の私」が得たもの、という矛盾
を内包しているわけです。

 だから、僕の書いた「滝の話」では、鏡で見る行為は、なんの意味も
ない無駄な事。でも、もし鏡で見たとすれば、自分が感動した「滝」の
景観を自分自身で乱していることに気付ける、というのはありますね。

説明になったでしょうか? 最近不調なので今日はこれでご勘弁を。

                                                MUTA

#0070 sci1004  9002122228

 久しぶりに時間が出来たので,唐突ですが,ちょっとだけ書きます.
 HDに,昔用意しておいた「経済と環境」のメモが残ってたもんで.

 経済と環境・自然の接点をいろいろ考えてみたので,ちょっと挙げて
みます.

 実に,経済活動の範疇に生活行為全般がはめ込まれてしまったときか
ら,ムズムズの悩みが始まったわけではありますよね.アレしてもコレ
しても,自給自足自廃棄処理をしないかぎりはムズムズの呪縛からは逃
れられません.それから逃れる術は唯一つ,経済圏から脱出することで
すけれど,それできますか?

 つまり,経済っていうのは,非常に利便を保証してくれる機構ではあ
るけれど,一度経済圏にはまったら最後,そこからの脱出を保証してく
れない,麻薬みたいな機構ではあります.ちょっと話が横道に逸れます
が,*1「経済っていうのは麻薬と同じだ」という話があります.つまり
麻薬っていうのは,未来から力を借りていることであって,いつかは借
りを返さなければならない.経済も同様であって,未来から力を借りて
我々がレベルの高い(と信じられている)生活ができるのであって,こ
れもいつかは借りを返さなければならない.
 この「未来から力を借りる」っていうのは,資源の事を念頭に置くと
非常に解りやすいし,さらに「ムズムズ」を借財の不安で表現すること
ができましょうか.

 要するに否応無しに,どこかで経済の接点を持たねばならない存在で
あるんですよね.この経済と自然の接点というのが,実は非常に密接で
あって大変分離しにくいというのが,経済学と環境問題を永年結び付け
ずにおいた,一つの鬼門であるんだそうです.

 続く・・・ トカイテオケバ ナマケルワケニハ イカナイダロウネ トイウ ジカイ

#0071 sci3859  9002140252

わーい! ついに<始まった>ぞ!
これって前に予告してくださってたあれですよね。
「未来から力を借りている」というのは言い得て妙ですねえ。
そう、経済圏から脱出してはもうたぶん生きられない……と
いうところがムズムズのメビウスの輪現象を引き起こしてる
んですよ、うん。

<始まった>を強調して、続きを期待する 三月兎でした。

#0072 natur    9002150103

待ってました!

「哲人将軍」閣下さま、金の字もお待ち申し上げておりやした。思えばこの金の字
も、このボードに参加してはじめて洗礼を受けたのが、閣下の「おしりムズムズ会
議」でありやした。それからというもの、このコーナーが早く再開せぬかと待ち詫
びること幾星霜、一日を千秋と思うほどでございやした。あっしは経済関係にから
きしなもんですから、閣下の得意なその方面からの「ムズムズ」の分析、期待して
おりまする。
           といって、三月兎閣下同様プレッシャーをかけちゃう 金

#0073 sci1004  9002150116

あ,金さんまでぇ・・・・
 しまった,三月兎さんに首根っこを押えられてしまった.ぐるじい.
−−

 例えば環境(自然)の意味合いですけれど,これがそれぞれの経済的
立場によって,いろいろな視点が出てきます.

 生産者の視点で言うなら,自然は経済手段である.しかしある面にお
いては,消費者であっても,その経済手段の上に結論とすべき自然を見
出し享受して(しまって?)いるんです.これはかって流行った「宇宙
船地球号」という言葉と関連して語られた「自然は手段か結論か?」の
経済的一断面です.

 もう一つ,環境は「商品」になる場合があるのです.経済っていうの
は価値を求めてうごめく運動体ですから,環境というものに産業的価値
を見出すならば,環境産業さえ立地の余地はあるんです.つまり経済的
目的の上に環境保護というムーブメントを載せてしまえる,無気味な懐
の深さもあります.

 つまり,生産者(企業) VS 消費者 という対立図式を描く傾向
はあるのですが,ところが経済的立場を表すこの存在を,環境をキーワー
ドとして見つめ直した場合に,この対立を対立として分離可能なのだろ
うか? 即ち環境保護というムーブメントだけを経済的に記述すること
は可能なのだろうか・・という提起も一部分析経済学者からはされてい
るのです.(特に公共経済(ORガバメントエコノミスト)の分野で)

 似たような論点は,いまや骨董といわれるマルクス経済学の分野でも
指摘されています.つまり「商品」というのは自然の転変であって,生
産者ばかりではなく消費者も同じく「自然」を消費しているのだ云々.
 大抵マルクス経済学というものは,「資本主義」というものを徹底的
に独自分析し,批判することを主眼とした学派なのですが,この「自然」
を消費するという観点だけは批判しようがない(原始共産制なら別です
けどね)んです.

 まだ続く

#0074 natur    9002160044

 うーむ、物語は「起」「承」から「転」に移るわけでやんすね。
まだ質疑応答には早いか!?(本当は何か質問したくてウズウズしてる)

        「序・破・急」だったらゴメンナサイ。 金の字

p.s.
 せかしてるわけじゃないんでやんす。只、久々なもんで待ち遠しいんでやんす。

  「 <おしりムズムズ> 開いて読めば 痒いところに 手がとどく 」

                      都々逸でやんした。