nat00183 明恵上人vsフランチェスコ

#0000 kimot    9004160404

 欧米には、アッシジの聖フランチェスコがいます。
 日本にも、明恵上人という偉い人がいました、と
 いうコーナーです。

#0001 sci1164  9004172343

アッシジの聖フランチェスコとは、あの「ブラザーサン・シスタームーン」
のフランチェスコ様のりことでしか?
ワー、ゴメンナサイ、ヨッパラッテイルヨーーーー
法王の足に口づけしたりする映画がありましたね>
                                くら

#0002 kimot    9004180212

 そう、そのフランチェスコです。本名はジョバンニ・フランチェスコ
・ベルナルドーネといい、カトリック教会の改革運動団体として歴史に
多くの影響を与えたフランチェスコ修道会の創始者です(映画「ブラザ
ー・サン、シスター・ムーン」では、小鳥と戯れる姿が印象的に描かれ
ていました)。
 彼は、異端ではなく、キリスト教体制内での改革者ではありますが、
一方で、キリスト教(および同系列の一神教)が本来的に持っている考
え方を「中和」させる部分をはらんでいたとされています。
 聖書の「創世記」において、神は、創造したばかりの人類を祝福して、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ、また海の魚と、空の鳥
と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(第1章28節)と言います。
自然に対して、ヒトを優位に置く思想です。このようなキリスト教の基
本的な考え方に対して、フランチェスコは、たとえば動物と語った、な
どの伝説が残るように、どうもちょっと異なった考えを抱いていた人の
ようです。
 これは、60年代に、たしか米国でフランチェスコの自然観をエコロ
ジストの鏡として評価する本が出て、急速に広まった見方です。実際、
ニューヨークのある教会では、聖フランチェスコの記念日にだったか、
教会の中にゾウやらいろいろな動物を入れて、ともに聖人をたたえる式
典が最近おこなわれている、とも新聞で伝えられています。

 このフランチェスコ(1182/83−1226)は、ヒト優位を前提とした現在
の自然観に、ちょっと待てよ、という効力を発揮する歴史的モデルであ
るといえるでしょう。
 では、同様なモデルが、日本国内ではないのか。そう思って見たとき、
目に入ったのが、華厳宗の中興をなした明恵、という人です。(続く)

 p.s.この話は、昨年秋に、調査捕鯨への反対キャンペーンで、グ
     リーンピース・ジャパン、およびWWFJ理事の小原秀雄・
     女子栄養大教授が記者会見したとき、同席していた埼玉大学
     の阿部先生に、つらつら話したものです。今度、発足する環
     境教育学会の場で、改めて問うてみたいと思っています。

木元・拝

#0003 natur    9004190023

 木元閣下、埼玉大学の阿部先生とは、もしや文化人類学の先生では・・・?

                「まさか」にうろたえてしまった 金の字

#0004 kimot    9004190232

教育学です。
けふはまた忙しく、続きが書けませんでした。まーたらーいー
しゅうー(しり上がりに歌う)、にはならないよう頑張ります。
木元・拝

ちなみに、このコーナーでは宗教問答や悟りやらなにやらを
考えるつもりはなく、ただ単に「こういう人がいたんだよお」
という話だけをするつもりです。

#0005 sci4249  9004192354

 ああ、ホッとしたでやんす!
 それではお話をお続け下さいまし。          金の字

#0006 kimot    9004200047

 明恵は、紀伊国(和歌山県)の出身です。その生没年(1173-
1232)は、ほぼフランチェスコと重なります。同時代人として、
「方丈記」を著した鴨長明(1155-1216)、「愚管抄」を著した
慈円(1155-1225)などのほか、歌人として藤原定家(1162-1241)、
彫刻では、運慶(?-1223)・湛慶(1173-1256)親子、宗教人と
しては、法然(1133-1212、浄土宗の開祖)、親鸞(1173-1262、
浄土真宗=一向宗の開祖)、栄西(1141-1215、臨済宗)、道元
(1200-1253、曹洞宗)がいます。平家の滅亡から、鎌倉幕府の
成立とその変容、そして方丈記に記録されているような、死体が
京の町を埋めるような激動の時代であったようです。
 平重国(本姓は藤原)という武者の子として生まれた明恵(法
名は高弁)は、9歳で神護寺に入り、のちに栂尾(とがのお)の
高山寺で、華厳宗と密教に立脚した教団を率いました。自分の耳
をそいだり、インドへの旅を企てたりと、なかなか派手なエピソ
ードにことかかない人だったそうです。      (続く)

#0007 sci1164  9004201524

明恵上人という字を見て、くらーーいくらーーい、クルミ大の
脳味噌のスミが、チクチク痛んだような気がしたのですが、
よく考えてみたら私は大学で思想史を専攻していて、そのときの
ゼミの先生が、鎌倉仏教がやけに好きな先生だったのでした。
でも、私はもう何も覚えていません。
大学教育なんて、そんなものだったのでしょうか!?

ごめんなさい、お続けください>木元様
                          くらはやし

#0008 sci5272  9004210357

あっ、こういう話、大好きです。早く続きを!
                                アマナクニ

#0009 kimot    9004210501

 ところで、ちょっと脱線しますが、鎌倉仏教、というものに
ついて言われる言葉で、易行(いぎょう)、というのがありま
すね。誰もが簡単にできる。なんだか、「全自動でラクラク」
とかいった洗濯機のウリみたいな感じがしますが、これは裏を
返すと、それだけ眼前の問題が深刻で、瞬間急速救済、的なも
のをみんなでこぞって模索した結果なのでしょう。
 念仏などを主力商品としたこれら新興セクト、いわゆる鎌倉
仏教に対し、中国の最近のトレンドだぜベイビーというような
ノリで入ってきた(うそうそ)禅宗(臨済、曹洞)は、座禅と
いう肉体を使ったメソッドで顧客をつかんでいきます。
 こうした勢力に対し、伝統的な奈良仏教は、自己改革を伴い
つつ立ち向かいます。明恵は、この奈良仏教のリフォーミスト
の一人であります。
 ...というのが、教科書的な概観ですが、明恵の率いた教
団はその後大きな発展をしたわけでもありません。河合隼雄さ
んが、「明恵 夢を生きる」(京都松柏社)という本で書いて
おられるように、思想史の中での評価はさほど重くないくせに、
その人柄・行動によって親しまれているおっさん、それが明恵
のおもろいとこです。

 とっこっろっでっ

 くらばやし閣下は、思想史のご専攻ですか!!これは、また
愚生はなんだか釈迦に説法のような愚行をしているのかもしれ
ない、と冷汗たらー(゚。゚;)にてございまする。愚生の書き込み
に変な部分があったら、ぜひぜひご指摘をばたまわりたく存じ
まする。
 アマナクニ閣下、末永くごひいきにお願いします。

木元・拝

#0010 kimot    9004220132

 明恵の世界を知る資料は、おもに次の4つです。
 まず、詠んだ歌を集めた「明恵上人歌集」、明恵自身が
自分の見た夢を記録した「夢記(ゆめのき)」。
 およびその生涯を伝えるものとして、弟子の喜海が著し
た「高山寺明恵上人行状」、さらに同じ喜海が著したこと
になっているが内容的にみて成立年代はかなり後だとみら
れている「梅尾明恵上人伝記」(注:栂尾ではなく梅尾)。
 後2者の違いですが、誇張はあるがより流布した「伝記」
の方が、明恵像の形成に与って力があるそうです。

 岩波文庫「明恵上人集」には、「歌集」「夢記」「伝記」
が収録されています。また、講談社学術文庫では「伝記」
があります。

 ここでは、明恵が実際に何をしたか、というだけでなく、
彼が持つベクトルの延長上にあるともいえるいろいろな超
人的な説話(フランチェスコの動物との対話と似たような
”奇跡”の部分ですね)も含めて、あまり数は多くないで
すが、明恵と自然との関係をピックアップします。(続く)

#0011 kimot    9004220133

 まず、「伝記」には、次のような奇跡が紹介されています。

「或る時、行法の最中に侍者を召して、『手水桶に虫の落ち
入りたると覚えぬ。取り上げて放て』と仰せあり。仍りて出
でて見るに、蜂落ち入りて死なんとす。急ぎ取り上げて放ち
けり」(岩波文庫・青326-1「明恵上人集」p111。以下、こ
の本からの引用ばかりなので、単に「上人集」と略します)

 何か修行をしていたのでしょうね。その最中に、部下に、
「手洗い水の桶に虫が落ちたから助けなさい」という訳です。
で、出てみたら本当に蜂が水に落ちていたので助けた。また、
次のような話も続けてあります。

「又、坐禅の中に侍者を召して云はく、『後の竹原の中に、
小鳥物にけらるゝと覚ゆる。行きて取りさへよ』と仰せられ
けり。急ぎ行きて見れば、小鷹に雀のけらるゝを追ひ放ちけ
り。此の如きの事、連々也」(「上人集」p111)

 座禅をしてた明恵が、「竹原で小鳥が何かに蹴られている」
というので、急いで行ったら小鷹(角川の古語辞典をみたら、
ハヤブサやハイタカ、とありました)が雀を蹴っているので
助けた。こんな事が、たくさんあった、という次第です。
 さらに、夜、眠るように座っていた明恵が、いきなり「雀
の巣に蛇が入った」とか騒ぎだし、そこで弟子たちが言われ
る所に明りを灯して行ったら、大蛇が雀の子を食うところで
あった、という話も続けてあります。

 後の二つは、生態系の食物連鎖への押し付けがましい介入
でもあるわけで、小鷹や蛇の立場はどうなる、と言いたくも
なりますが、一方で他の生物の困窮を察知するというこのよ
うな奇跡は、日照りで困っている人々のために雨を降らせた
(明恵もやっているのですが)、といった”ありきたり”な
奇跡と異なる個性があるように感じられます。  (続く)

#0012 kimot    9004250120

 虫、雀の運命にも心をかけた、このような明恵(みょうえ)
の説話は、換言すれば、彼が「倫理的に行動を起こすべき対
象」として把握していた対象が、単にヒトへだけではなく、
動物にも及んでいた、ということの表現であるでしょう。
 同様のことが、「伝記」の別の場所でも表現されています。

「凡そこの上人、蟻・螻(けら)・犬・烏・田夫・野人に至
るまで、皆是、仏性を備へて甚深の法を行ずる者也、賎しみ
思ふべからずとて、犬の臥したる傍(そば)にても、馬・牛
の前を過ぎ給ふとても、さるべき人に向へるが如く問訊し、
腰を屈めるなどしてぞ通り給ひける」(「上人集」p123)

 田夫、野人、という表現には、「すべて国民は、法の下に
平等であつて…」(日本国憲法第14条)という現代の視点か
らしても抵抗感がありますが、大昔のエリートの認識として
かんべんするべきでしょう。
 ここで強調したいのは、イヌ、ウマ、ウシにまで、ものを
尋ね、腰を低くするという、現実のアクションを、明恵がお
こなったというように表現されている点です。 (続く)

#0013 kimot    9004250120

 もしも明恵が、ただ「仏性」というテクニカルタームを使
って、「アリも、ケラも、ヒトも平等である」と説いただけ
ならば、それはただ単に、「アニミズム(パンサイキズム)
の世界に帰ろう」と雑誌の座談会などで評論家が放言してい
るのと、大差はなかったでしょう。
 そもそも、ヒト以外の生物種を平等な成員として把握する
このような気分は、「ミミズだって、オケラだって……みん
なみんな、生きているんだ友達なんだ」という小学生に歌わ
せる歌の中にすら、既に潜んでいます。問題は、その環境と
親和性をもった世界観を、どうやって実際の行動の中で表現
していくか、であるはずです。
 時代がかなり現代と隔たっていますが、イヌに腰を屈めた
という話が、ことさらに「伝記」の中に表現されているから
には、「伝記」の成立時期でもこうした行動は奇異であった
(書くに値した)ということなのでしょう。そうした奇異な
アクションを、現代においてただ外形的にまねても、たぶん
意味がないでしょう。また、現実の明恵自身がこのような行
動をしていたとして、それは彼が抱いていた思想を表明する
ためのパフォーマンスであったかもしれません。
 しかし、仮にそうだとしても、明恵のパフォーマンスには、
あっぱれとしか言いようの無い部分があります。
 彼は、島に対して、手紙を書くのです。   (続く)

#0014 sci1164  9004251041

たぶん、この時期の宗教と、それ以前の宗教とでは、受容してくれる
顧客層が違っていたんでしょうね。
明恵上人の説話は、その新しい顧客層の感性により強く訴えるものだ
ったわけでしょう。

ごめんなさい、レジャーランド大学しか出てない私です。
ときどき、「ご指摘」ではなくて「感じたこと」を書き込ませていただ
きますが、単なる相の手だと思ってください。

島への手紙とは、どんなんですか?
                         くらばやし

#0015 kimot    9004251107

おお、くらばやしさま、相の手をどうもかたじけのう
ございまする。今後とも、よろしくお願いします。
島、の話は鋭意作成中ですので、お楽しみ(?)に...
木元・拝

#0016 sci5272  9005170419

 お〜い、つづきを楽しみにしてるんですよ〜。
                               アマナクニ

#0017 kimot    9005170919

はーい、すんまへーん。 木元・はーい

#0018 kimot    9007291524

さて、この2カ月、異国へ行ったりおおわらわでありまして、
じっくり読書をする時間もなかったですが、ようやくここ2日
ほどは静かな日々が過ごせそうです。で、続きを書きますので、
よろしくお願いします。

木元・拝

#0019 sci5272  9007300012

ヨッ、待ってましたぁ。

#0020 kimot    9007300411

 明恵は、建久6年秋(1195)、つまり彼が23歳のころ、
9歳のときから修行をしていた神護寺を出て、故郷(明恵
の生地は和歌山県有田郡金屋町にある)に近い、紀伊国は
湯浅(現在の有田郡湯浅町)にある、栖原村白上(しろか
み)に小屋をたてて転居します。
 この移住の理由は、「伝記」によれば、神護寺の”法師
くささ”が嫌だった、ということです。
 彼は、建久4年から5年にかけ、東大寺に招請されます。
朝廷の法会に出仕してくれ、というのです。いわば、華厳
宗の未来を担う若手エリートとして、見込まれたのでしょ
う。今日の感覚でいうと、いきなり東大の助教授か教授に
抜てきされて、天皇家へのご進講をする、みたいなものじ
ゃないかと思います。
 しかし、彼がそこで経験したものは、幻滅でした。
「南都(引用者注:奈良)の学僧らは、僧官・僧位を得る
か、学問的な関心のみで、宗教的実践の意欲を欠いている
と判断し、遁世の別所聖とでもいうべき方向に進もうとし
たのである」(田中久夫「明恵」吉川弘文館 p32)

 彼はここで、建久9年(1198)まで過ごします。その間、
修行の邪魔だとばかり、ゴッホじゃないけど自分の右耳を
そり落したりというパンクなことをします(「伝記」によ
れば、ほとばしった血が本尊や経典にかかった、というの
だからハンパじゃないです)が、この白上は、海に面した
場所でした。そして、眼下に、湯浅の湾内の島々を望むこ
とができました。

 彼は、建久年間の終わりごろ(たぶんこの地を去る少し
前でしょう)、若手の弟子2人とともに、その島のひとつ
苅磨(かるま。現在の名は苅藻)を訪れます。
 そこでの5日間は、彼にとって忘れがたいものであった
ようです。
 そして、この島に、のちに手紙を書くのです。

#0021 kimot    9007300544

「其の後何条の御事候哉。罷(まか)り出で候ひし後、便
宜を得ず候ひて、案内を啓せず候」(久保田淳、山口明穂
校注「明恵上人集」岩波文庫 p120)

 現代語でいうと、「その後、別段お変わりはございませ
んでしょうか。あなたのもとを辞去いたしましてから、な
かなか都合がつきませんで、御無沙汰いたしております」
(しかし、どこが現代語じゃ)。

 こんな挨拶で始まる手紙(注:「行状」系の文書には挨
拶はなく、いきなり本文から入っています。また、文面も、
「伝記」より長めです)を、彼は使者に命じてつかわしま
す。使者が、「どなたに届ければよろしいんで?」ときい
たら、「苅磨島の中で、『梅尾の明恵のとこからの手紙だ
あ』と大声で怒鳴って、うっちゃってこい」と命じた、と
「伝記」にはあります。

「伝記」による手紙の中身の一部を、プロの現代語訳によ
って、ちょっと紹介しましょう。

「海辺で遊び、島と遊んだことを思いだしては忘れること
もできず、ただただ恋い慕っておりながらも、お目にかか
る時がないままに過ぎて残念でございます。またそこにあ
りました桜の大木が思い出されてなつかしく慕わしく、お
手紙など差し上げてご機嫌如何でしょうかと、申したく思
うときもありますが、口をきかない桜の大木にあてて手紙
を差し出せば、狂気かなどと、いわれることを気にして、
道理に合わぬ俗世間の習慣に同調しますばかりに、心には
思いながら表面には出さずにおりましたが、しかしながら
結局は気違い沙汰と思うような人は友達にしないことにい
たしましょう。自在海師の供をして島に渡って大海原に住
みたい、海雲比丘を友人として心からのびのびと遊べます
ならば、何の不足がありましょうか。島へ参って思い通り
に仏道を修行いたしましてより、立派な人以上に、ほんと
うにおもしろい心の通いあう遊びの友とは、貴方であると
心に深くきめ申しております」(平泉洸 全訳注「明恵上
人伝記」講談社学術文庫)

 この手紙に従えば、彼は、人間以外のものに人格を認め
ることを、決して脳天気には認めていない。無批判ではな
い。しかし、なおかつ、手紙を書いてしまう。
 これを、「理屈」が主導したパフォーマンスとみること
もできるでしょう。こうした行動が、明恵のカリズマを高
めたかもしれません。また、手紙の中身は、上記のほかに、
仏教の専門用語がちりばめられた難解な部分からなってい
ます。それは、華厳の教学のPRであったかもしれません。

 しかし、なおかつ、人間ではない自然に、手紙を書いて
しまったというところに、明恵の余人には真似できない部
分を見たいと思います。

 そして、彼がたたえる海・島のすばらしさは、浜や磯で
時を過ごして飽きない人なら、そう言いたい雰囲気を理解
できるように思います。

(続く)

#0022 sci5272  9008020424

 島にラブレター出すとは、なかなかブットンだ坊さんですねぇ。

 虫や木とお話するという知人はいますが、自然?相手に手紙を書くというのは、
想像もしたことありませんでした。
                               アマナクニ 

#0023 kimot    9008301517

では、ぶっとび明恵さんシリーズ、いよいよ最終回っ!!

 別の史料によれば,明恵は建暦三年(1213)にも旅行の
途中で苅磨島に立ち寄っています。この時明恵は経文を唱
えるなどして、「海中魚鼈鯨鯢螺鱗等衆生」の解脱を願っ
たそうです。要するに、魚、カメ(鼈はとくにスッポンを
さす字でもあるが、海中のものならウミガメかなあ)、雌
雄のクジラ、巻貝、鱗のある生き物(通常は魚)が救われ
ることを願った、というわけです。
 長良川河口ぜきでたぶんダメージを受けるサツキマス、
鼈甲の原料であるカリブのタイマイ、クジラの捕獲、海中
ではないけれど小笠原の兄島で空港建設がされれば滅びる
であろう陸生の巻貝...明恵があげた動物のリストは、
今日の自然保護問題の焦点となっている動物と重ね合わせ
ると、興味深いものがあります。

 ただし、これまで明恵を持ち上げすぎてきましたが、少
しバランスをとりたいと思います。
 明恵は歌も詠み、「明恵上人歌集」が編まれています。
 その中に次の歌があります。
「つるの子の すむ木いひては 人しらむ 
   育たむまでは 隠しおかばや」
 ツルのひなの巣立ちを邪魔しないように、巣の位置を隠
しておきましょう、というわけです。これは、ナチュラリ
ストにとっては、けっこう大切な論点だと思います。
 しかし、日本でみられるツル類は、通常は地面に営巣す
るのでは? このことは、歌が詠まれた当時から指摘され
ていたらしく、「歌集」には、「ほかの鳥のことであった
っていいじゃんか」という付記があります。
 つまり、明恵が、自然観察にたけたナチュラリストだと
いう見方をすると、ちょっとその姿を間違うのかもしれま
せん。

 さて、以下に参考文献を書いておきます。いずれも、書
店や図書館で入手・閲覧がしやすいものだと思います。

 久保田 淳ほか校注(1981) 「明恵上人集」岩波書店
 「明恵上人歌集」、「夢記」、「梅尾明恵上人伝記」な
どが収められている。岩波文庫の一冊。

 平泉 洸 訳注(1980) 「明惠上人伝記」講談社
 「明恵上人集」所収の「伝記」と底本は同じ。現代語訳、
語句説明などが付けられている。講談社学術文庫にある。

 田中 久夫(1988) 「人物叢書 明恵(新装版)」
                     吉川弘文館
 奥田 勲(1978) 「明恵 夢と遍歴」東京大学出版会
 いずれも,明恵の事績を紹介している。後者には、苅磨
島への旅についての比較的詳しい記述がある。

 河合隼雄(1987) 「明惠 夢を生きる」京都松柏社
 「夢記」についての考察が主眼だが、華厳哲学について
も紹介されており、おもしろい。

 次の一冊は、やや専門的ですが、
 高山寺典籍文書綜合調査團編(1971) 「明惠上人資料
第一」東京大学出版会
 「行状」が読める。また「伝記」系の史料も所収。ただ
し1万5000円くらいするはず。なおこのシリーズは、
第三まで発刊されており、明恵を詳しく知るためには重要
な文献です。

 以上     おっしまぁい チャンチャンっと。

#0024 sci5272  9008310352

 パチパチパチ・・・

 明恵上人なんて全然知らなかったけど、面白かったです。『名前のない新聞』で
日本の昔のエコロジストという特集か連載ものをやろうかと思っているので、参考
になりました。

 ところでフランチェスコの方ですが、『ブラザー・サン・・・』に続いて新しい
映画ができたようですね。まだ見てませんが。『ブラザー・・・』は大好きで何度
も見た位なので、新しい映画も楽しみにしてます。
 よかったら、フランチェスコの方の資料も、何かあれば教えて下さい。

                             アマナクニ

#0025 kimot    9008311245

 どうもどうも、おそれいります。

 ところで新映画の件は知りませんでした。
 フランチェスコについては、確か60年代のおわりか
70年代のはじめに、彼をエコロジストという視点でと
らえた本が米国で出版されています。題名も著者も失念
してしまいましたが、もしも訳書がある場合、国会図書
館でなんらかの検索が可能だと思います。ひょっとして
洋書として収納されていないかなあ。
 あと、みすずで、カザンツァキとかいったかな、そー
ゆー名前の著者による伝記的小説のぶ厚いのがあります。

 ところで、日本の昔のエコロジスト、という特集はお
もしろそうですね。ナチュラリストという視点では、江
戸時代の大名などにいろいろいますが、たとえば安藤昌
益などはじっくり読んでみたいと思っています。
 近代の先駆者としては、南方熊楠を欠かせないですね。
彼は、地域文化に根ざした自然保護を実践した最初の人
であったと思います。

木元・拝

#0026 sci5272  9009030128

『フランチェスコ』という映画は新宿のシネマスクエア東急でやっているようです。
それから安藤・南方(最近NHK教育TVで何回かにわたって放映してましたね)
はなんとなく知ってますが、江戸時代の大名というとどんな人がいるのでしょうか?

                              アマナクニ

#0027 kimot    9009030146

大名については、「科学朝日」89年1月号から
連載中の「殿様生物学の系譜」をご参照くだされ
ませ。いっぱつめは昭和天皇であらせられまする
が、たしか89年4月ころから、江戸の大名にな
っております。

木元・拝