Myp00066 「子供達は何を考えている?」

#0000 reader   8810032354

 「いじめ」の問題を始め、現在の子供達及び、大人達を含め、人間達が抱えて
いる問題に付いて、少し考えてみたいと思います。
 そこで、あなたの経験、例えば、昔の子供の頃のとか、最近のとか、また、そ
れらに対する自分の意見とかを、書き込んで欲しいと思います(笑い話もOK)。
                           Long
(本名:永井昌浩、IDの申し込みは行なっています。現在まだ、IDをもらっ
ていませんので、メール等は、受けれません。)
ps.readerでは発言の削除は出来ないんですね、(当然ですが)
   で、書き込み方を間違えて、一個上のは(#65)、私のミスです。
   ごめんなさい。
 

#0001 reader   8810032356

 次の書き込みは、私の経験ですが、これは”「変なおじさん」集れのコーナー
だ!”に書き込んだものと全く同じものです。そちらを読んだ人は飛ばして下さ
い。
 全部で114行あります。
 また、その次は、それと関連した書き込みです。
 全部で、91行あります。
                            Long
 

#0002 reader   8810032357

 私の場合は、おそらく「変人の中の変人」ではないかと思っています。
 ただ、通常の状況では(例えば、現在の大学の研究室でとか)、優しい普通の
学生だと思われているでしょう。それは、私が大学に入ってから出来るだけ他人
との衝突を避けているから、もしくは、本気で怒ることがなくなってしまったか
らでしょう。たとえ怒っても、心の何処かが醒めている、つまり、それはシグナ
ルとしての”怒り”を表面に出しているに過ぎないのです。それは、また、本気
で怒らなくても良い状況に生きていること言うことで、一つの幸福なのでしょう。
(戦争か何かが始まって、友人が殺されでもしたら、本気で怒るでしょうし、醒
めた部分なんてありえないでしょう。−−もしかしたら、それでも醒めていたら、
私は生きる価値がなくなってしまったと言うことでしょうね。)
 それで、私がいじめられなかったというのは、一つに私が他人とは異なりすぎ
ていて、一種の不気味さを持っていたのかも知れないと思うのですが・・・、小
学校から高校まで、私の評価としては、”天の邪鬼”と言うのが一般的だったよ
うです。(私自身は、「私は天の邪鬼ほど素直ではない。」と思っていましたが。)
 それから、小学校、中学校では、”良い子”は非常に沢山いました。特に、保
育園から、高校まで同じ学校だった女の子には、ハッキリ言って、とうていかな
わないと言う尊敬の念が絶えませんでした。(ただ、この間のクラス会で会った
とき、あんなに綺麗でスマートだったのに・・・見る影もないぐらい太って・・・・
・、スポーツも万能だったからなー、スポーツ止めたんだろうなー。・・・・あ
あ悲しい、あのイメージが・・・・)
 そのほかにも、私が喧嘩しているとき、中学1年でしたが、級長と2or3名が、
止めに入りましたし・・・、無視して喧嘩を続けていると、何かプロレスの技を
掛けられて、かなり痛かったのを覚えています。また、ナイフを持ち出した奴が
いたけど、その時も、私を含め、止めに入りました。(実は、私には止めにはい
る義務がありまして、そのナイフっていうのが私のなんですよ。私はいつもカッ
ターを持っていて、そいつが貸してくれっていうんで、鉛筆でも削るんだと思っ
て、貸しちゃったんですよね。私は、子供の頃からナイフが大好きで、いつも竹
とんぼとか、紙鉄砲、etcばっか作ってました。今でも、ナイフと錐があれば、
5分以内に、みやげ物屋さんで売ってる以上に良く飛ぶ竹とんぼを作ってみせま
すよ。後、少し時間が掛かりますけど、爪楊枝から、ミニ細工のフォークとか、
スプーンを作れますよ、更に、一辺が5mmの紙から鶴を折ることも。あ、それ
から、回転半径が1cm以下のちゃんと飛ぶ竹とんぼも・・、竹とんぼがこの大
きさで飛ぶというのは 実際に作らないと誰も信用してくれなかったですねー。
でも、作るのに、工具から作らなくてはいけなくて、例えば普通の錐は使えない
から、縫い針の先を錐みたいに断面三角形に尖らせて・・・・etc。話がずれ
たな)
 で、小学校6年の時、先生にものすごく怒られたんですが、その理由は、自習
時間中に暇だったので、隣にある倉庫みたいな部屋の押し入れから(校舎は木造
です)、天井裏に入って(埃だらけです)、逆の隣の部屋の5年生の授業を天井
裏の節穴とか隙間から、覗いていたのを見つかってなんです(5年生の教室では、
その5年生の担任の先生が授業をしていました。) でそれを高校の時、友達に
言ったら、そいつも、同じ様な事をして怒られたと聞きましたが(そいつの場合
は体育館の屋根の上に登ったとか聞きました・・・)。こういうのは普通の体験
ではないのですかねー?
 それとか、中学校から、高校では、学校行きたくないときは、そのまま家で寝
てましたし、確か、年間40日ぐらいは休んでも上の学年に上がれるんですよね
ー。だから、週休2日制。親はどうしているかって? 初め(中学校の頃)は親
はかなり怒りましたが、家出みたいな事とか、そのままパジャマ着て逃げ出すと
か、してる内に、諦めてしまったみたいですねー(いま考えると、殆ど馬鹿その
もの)。それに、年間40日以上はちゃんと計算して休みませんでしたし、行こ
うと思ったら、最後の6限だけ出るとかもしてましたから。(つまり、行かない
理由は、眠いからで、別に学校に行くのが厭なわけではなかったのです。) で
も、高校1年の時に、中学校と同じ様に週休二日でやってたら(休むのは水曜で
した)、担任に呼ばれて、「お前が、頻繁に休むと言うことは、中学(3年)の
担任から聞いていたが・・・・。」と言った後、少し考えて、「・・・・このま
まじゃ、水曜の美術の単位が危ないから、少し考えろ。」って言われた時は、「
うん? いい加減な先生だなー。」と思いました(他人の事を言える私ではなの
ですが)。つまり、てっきり説教が始まるんだと思っていましたから。でも、そ
の後生活指導の先生には頻繁に呼ばれ続けました、優しい方でしたけど。(で、
その後の変更は、休む日を、水曜から木曜に移しました。)
 また、授業も興味のないものは全く無視しました。具体的に言うと高2の歴史
ですね、世界史と日本史。テストは常に、一桁の点数。(百点満点です勿論)
 評価は10段階で1(赤点)、でも3年には上がれたんですよね。後で、「赤
点があると次の学年に上がれない」って聞いて、「なんで私は上がれたんですか?」
って聞きに行ったら、「お前は、他の成績がいいから、とりあえず仮進級で上げ
て、様子を見ることになったんだよ。」って言われて、ちょっと冷汗。(まあ確
かに、化学とか物理は成績良かったからねー、すごい偶然から、テストで平均3
0から40点の時でも、90前後は維持していましたから。で、そのまま大学に
行こうとしたら、浪人、入ってからも、同じ事してたら留年。「うーん、人生っ
て、全く、なんて楽しいんだろう。」)
 それから当時の、私のいじめに対する考え方としては、つまり自分自身がいじ
められる時を想定してですが、そのときは、たとえクラス全体を敵に回しても、
必ず相手を服従させてみせると言う気位は持っていました(具体的方法としては、
「一人一人、個別に、集団の弱いところから潰せば良い。一対一では負けやしな
い!。」 でも、実際に出来たかどうかは分からないですね、それに実際にする
必要もなかったですが。)(ただ高校の頃なんか、クラス全体での討議の時は、
常に私は、多数派に対する反対意見を言い続けていました。だから、時として、
討議では、クラス全体を敵に回して論争しなくてはならないときもありました。
心ある級友などは、私の行動が余りにクラス全体と敵対するので、「あんまり、
そういう事はしない方がいいよ。」って心配そうに言ってくれましたが、いかん
せん簡単に直る性格なわけでもなく・・・・。)
 つまり、私の性格としては、大勢に対する徹底的な反発(天の邪鬼的自己顕示
欲)、均一集団に対する嫌悪(同じ年齢の奴ばかり集まった集団の中にいるのは
大嫌いだ)、それから若干の自己神格化ですね、「悪人は許しておけない。」、
でもこの種の感情はすぐに独善へと変化するから・・・・(危ないなー)。
 以前、夢の中で(体育か何かかなー)、誰か(先生でしょうねー)に、
 「俺は他人に出来ない事をやれと言ってるんじゃない! 誰にでも出来ること
をやれと言ってるんだ!」
 って言われて、
 「他人と同じ事をやれ? 冗談じゃない! 他人と違う事をしろと言うのなら
死んだ気になってやる。でも他人と同じ事をするなんて、死んでも厭だ。」
 と言った意味の言葉を叫んでいたと思ったですが。まあ、そんな感じですね。
 ただ、現在の私には、この様な元気はないです。(上記は、過去の”栄光”へ
の郷愁ですかね? 「その人が、過去のある時期を酷く懐かしく思う時があると
したら、それはその頃と比べて、現在の自分が遥かに惨めだからだ。惨めだから、
過去の”栄光”にすがろうとする。」)
(自己満足に過ぎない文章にも、なんらかの情報は含まれるでしょう。)(それ
にしても、括弧の多い文章だな。)
                                Long
 

#0003 reader   8810032359

この書き込みは、
 ”「変なおじさん」集れのコーナーだ!”で私が以下のような書き込みをした
ところ、
  私の子供の頃は、常に”変な”奴を目指しました。つまり、行動指針が「人
に自分の考えている事を読ませないこと、特に大人には。」と言うものだったの
です。(小学生から、高校に入るまでくらいまでの間。高校になった頃から、普
通に考えていても、普通とはかなり違った考え方をしているようで、誰も、私の
ことを”普通の”とは言わなくなりましたので、その行動指針は止めました。−
−逆に自己分析の結果、「集団との協調を心がけなければいけない」と結論しま
したので。)
 こまわり(=”二児の父”)さんから、”なぜ、「集団との協調を心掛けなけ
ればいけない」と思うようになったんですか?” という質問を受けましたので
(やっぱり、さすが先生ですねー、見る所が違う)、それに対する答えとして、
以下のようにお答えします。
 私が、「集団と協調を心掛けなければいけない」と考えたのは、そのころ(高
校の1年から2年ぐらい)から、自己客観視の能力が発達し始め(それは遅かっ
た?)、自分自身の置かれた状況とか、集団内での自分の評価が気になりだした
のです(つまり、他人からどの程度の敬意を持ってみられているか、と言った意
味で)。そして、その結果、確かに”変わった奴”とは見られているのですが、
同時に、その集団の”仲間”、つまり敬意を持つ対象とは見られていないのです。
(つまり、具体的には、友達が出来にくい。) それに対する寂しさから、ある
程度、まわりへの気遣いが必要だと感じる様になったのです。
 それから(私に取って)自分が常に”変な奴”であることを主張するには、常
にある種の”天の邪鬼”的根性が必要だったのですが、この”天の邪鬼”的根性
と言うのは、実は骨身にしみた”他人の気持ちを無視する”思考パターンをも必
要とするのです。つまり、例えば、こんな事がありました。
 中学3年の時、写生大会があり、各クラスから、担任の先生が4枚ぐらい選ん
で、そこからある程度の作品群を選んで、職員室の前とかに掲示するのですが、
その作品群には入れなかったら、クラスに戻ってきてクラス内で、他のクラスメ
ートの絵と一緒にクラスの後ろに掲示されるのです。私の絵はその4枚の中には
入らなかったので、当然クラスの後ろに掲示されたのですが、美術の時間、美術
担当の先生が、私の作品を見て「あれ、この作品が、戻されたのかー?」と言っ
たわけです。つまり、私の作品が4枚の中に入っていたものと思ったのでしょう
ね。でも私の作品は、選ばれていなくて、また選ばれて戻ってきた作品がどれか、
生徒から聞いたわけです。そして「私は、こちらの方がいいと思うのだがなー。」
と私の作品を見て言ったのですね。これはある意味で非常に不用意な発言ですよ
ね。クラス担任が、選んだ作品ではなく、それ以外の作品を誉めるというのは。
当然、選ばれて、戻ってきた作品の人は面白くないでしょう。でも、私はそこで
すかさず。自信ありげにこう言ったわけです。「僕もそう思うんですけど、どう
してですかねー」と。私に取っては、絵なんて興味なかったし、写生大会も全校
生徒参加だから、しょうがなしに描いた作品で、そんなのがその4枚に選ばれる
とはまるで、思ってなかったし、それにそんな事はどうでも良かったんです。だ
から、すごく軽い気持ちで、みんなを笑わせるために言ったわけです(美術の先
生に言われた結果、私の中の傲慢さがその行動を取らせた?)。勿論、結構受け
たんですが。その後、私のと比較された人がかわいそーと言う声が上がって、美
術の先生はあわてて、その人の作品も誉めましたけど、明らかにぎこちなさが残
ってしまいました。その時はそのまま終わってしまって、私はその”事件”は殆
ど忘れていたのですが。そのけなされた作品の人は、かなり傷ついたみたいで、
その後 ことあるごとに授業中、私が何かの意見を言うと、突っかかると言うか、
まあ野次を飛ばすわけです。(しかも、もう一人と組んで、もう一人の方は何で
憎まれているのか分からない。もしかしたら、1年の時、取っ組み合の喧嘩を2
度ほどして、やりこめてしまったから、その時の恨みかなーとは思っていました
が、そんなに覚えているものでしょうか?) かなり経ってから、この二つ、つ
まり、美術の時間の私の行動と、彼の突っかかって来る行動の関係に気付きまし
た。
 つまり、こう言った不注意さ、相手への思慮の無さが、私の”天の邪鬼”的行
動を可能とさせていたと言う面があったと思うのですが。高校生になり、多少は
他人の気持ちを考える能力を持ってきたため、この行動にブレーキがかかり始め、
そしてその回りへの気持ちが「集団との協調〜〜〜」という結論を出させたのか
もしれません。(また、このエピソードを上げたのは、このエピソードが、私に
「不注意な言動が、不必要な恨みをかう。」と言う実感を覚えさせたからです。
そして、この実感も自分の行動を慎重にさせたのでしょう。)
 そして、浪人した後、大学に入ったときには、もう完全に回りへの配慮が優先
され、たとえ何かを思い付いてもすぐには口に出せなくなりました。そして、現
在、口に出せない分、十分に(私の独りよがり?)考えた上で、こうやって、思
っていることを、長々と書き綴っているのです、おそらくは。(もう一つ、考え
ることがより複雑になって来ているため、簡単にはまとまらず、すぐには口に出
して表明出来なくなっているのかもしれない。)
 それから、「天井裏」の話は確かに、こまわり(?)さんの言う通りだと思い
ます(こまわりさんに、「教師泣かせで、私は賛成できない」的に言われたので)、
その時怒った先生も、結局心配だから、怒ったのでしたから。ただ、ではそんな
ことを全くしなかった方が良いのかと言えば、そうは思わないのです。「そうす
べきではない」と論理的に結論されたとしても、おそらくそのころの私には、そ
の種の行動をせざるを得ない衝動があり、それは抑えきれるものではなかったで
しょうから。もしそれをもっと強力な力で抑えられたら(つまり、実際は怒られ
たとは言っても、1時間の説教でしたが。そのかわりに「停学1週間」とかを課
せられたら。)、その反発から更にその種の行動をエスカレートさせていたでし
ょう。私がその時以後、その種の行動を慎むようになったのは、やはり、先生の
「優しさ」から発した怒り、つまりかわいいと思うから怒る、といった行動が(
もしくはその先生の優しさが)私にも理解できたからだと思います(たとえ、先
生がそう思っていても、生徒にそれが伝わらなくては生徒に対する効果はない。)。
                                 Long