Gen00550 「科学と報道」10 チェルノブイリ事故

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科学朝日に連載中の「科学と報道」(10月号)を関連発言に掲載します。

「原子力」シリーズの7回目はチェルノブイリ事故と報道。
                              管理人

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コラム [科学と報道]10

原子力〈その7〉チェルノブイリ事故

                   柴田 鉄治  朝日新聞出版局次長

 ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故が日本で最初に報じられたのは、一九八
六年四月二九日付の朝刊だった。
 北欧のフィンランド、スウェーデン、ノルウェーなどで、大気中から平常の二〜六
倍の放射能が観測され、コバルト60も検出されたという。これは、原子力施設で事
故があったことを示しており、おそらくソ連の原発ではないか、という内容である。
 この第一報を受けた日本の新聞の扱いは、各紙まちまちで、一面トップで報じたと
ころもあれば、外電面や社会面でさらりと片づけたところもあった。記事の内容も見
出しもほとんど同じものだったのに、大きく判断が分かれた。

「感度」がよかったのは朝日新聞で、最終版では一面トップで報じた。科学ニュース
では、受け手の判断が重要だという実例の一つに、加えてもよさそうである。
 朝日新聞の記事の末尾に、他紙とは違う小さなベタ記事が載っている。モスクワ発
特派員電で、日本時間二九日午前零時半にソ連の国営タス通信に問い合わせたところ、
「午前二時に公式発表がある。何が起こったかはその発表を待ってほしい。偶然の出
来事だ」と答えたという内容である。
 外電が「ソ連当局は否定」と報じている中で、朝日の特派員はタス通信に直接問い
合わせて、「一時間半後に公式発表がある」という事実を引き出した。この一時間半
は、最終版の締め切りにとって決定的なものであり、内容はわからなくとも、ソ連が
事故の発表を準備しているらしいという事実は、ニュース判断を下すのにも大きな助
けになった。受け手の感度のよさと特派員の機敏な行動力が、「判断の特ダネ」につ
ながったケースだといえよう。

 そのソ連の公式発表は、チェルノブイリ原発で原子炉の一つが破損し、被災者(複
数)が出た、政府委員会が調査に乗り出す、といった簡単なもので、事故がいつ起こっ
たものかも明らかにされなかった。が、翌三〇日の朝刊は、さすがにどの新聞も一面
トップだった。公式発表以外にもさまざまな情報が集まってきたからである。
 ただ、その情報の中に大誤報がまぎれ込んだ。UPI電が未確認情報として「八〇
人が即死、二〇〇〇人が病院に運ばれる途中死んだ」と報じたのである。追いかける
ようにタス通信が「死者は二人」と発表したが、日本の新聞はほとんど、死者二〇〇
〇人の方を重視して報道した。最初の情報遅れから、ソ連当局の発表が、信用されて
いなかったからである。

ソ連の秘密主義に非難集中

 チェルノブイリ事故の特異性は、この第一報に端的に表れている。すなわち、当の
ソ連が沈黙を守っている中で、他国から事故の情報が世界に伝わったこと、そのあと
に、しぶしぶ(?)公表したソ連の情報が、また、きわめてそっけなかったことだ。
そういう極度の情報不足から、推測、誤報がまじって情報が混乱し、その間に被害も
拡大した。
 もともとソ連は、情報統制の厳しい国で、自国に都合の悪いことはなかなか発表し
ない性癖があった。ゴルバチョフ政権の新政策によって、かなり変わりつつあったが、
最初の情報遅れが響き、それにかつての悪いイメージが重なって、ソ連は事故隠しを
しようとしているのではないか、という疑いが広がってしまった。

 当然、ソ連に批判の矢が集中した。なかでも放射能汚染の被害をまともに受けた北
欧諸国や西独、英国などから「連絡遅れ」を非難する声が強く出され、「事故の全容
の公表」を求める声明などが相次いだ。折から東京で開かれた主要先進国首脳会議
(サミット)でも議題に取り上げられ、ソ連に情報の公開を求めることや、国際的な
事故通報体制を強化することなどが論議された。
 日本の新聞の論調も、初期の段階では、もっぱらソ連の秘密主義を批判し、情報の
公開を迫るものが多く、事故の内容や原子力開発の根幹に触れるような論説は、あま
りみられなかった。前回のこの欄で、敦賀原発事故を例に、事故隠しがどれほど不信
感を広げるかに触れたが、チェルノブイリ事故も、状況は違うといえ、事故隠し国際
版のような様相がみられた。

 ソ連の秘密主義は、国内でも深刻な事態を招いた。事故を起こした原子炉は、爆発
し、炎上したため、消火作業に大勢の消防士がかけつけたが、この消防士らが大量の
放射線を浴び、次々と死亡していった。正確な情報が与えられていなかったためと思
われる。
 周辺の住民が避難しはじめたのも、事態の重大さがモスクワに伝えられたのも事故
の二日後だったという。事故の様子を撮影した映画のスタッフまで放射能の犠牲にな
るなど、情報不足による被害の拡大は、目を覆うばかりだった。
 これには、さすがのソ連国民も憤激し、政府当局も途中から真剣に対応しはじめた。
公式発表も頻度をまし、被害状況などもしだいに明らかになってきた。患者の治療に
米国の専門医を招いたり、外国人記者団に現場周辺の取材を認めたり、同年七月には
政府委員会の調査結果も発表し、原発関係者の処分内容も公表した。

 さらに八月には、国際原子力機関(IAEA)に三八二nにおよぶ詳細な報告書を
提出した。朝日新聞がこの全文をスクープして、新聞協会賞に輝いたが、この報告書
には、安全装置を切って余力発電実験を強行するなど、六つの重大ミスを重ねて爆発
にいたった経過が赤裸々に記されていた。
 ゴルバチョフ政権は、このチェルノブイリ事故を、途中からグラスノスチ(情報公
開)政策を進める一つのテコとして活用したようだ。

原発事故に国境なし

 情報面からみたチェルノブイリ事故の特異性はともかくとして、規模からいっても
まさに史上最悪の事故だった。大気中に漏れた放射性物質は、北欧だけでなく、やが
て地球をめぐって世界中に降り注いだ。さらに牧草を通じて牛乳や乳製品に、あるい
は野菜や茶など、食品汚染へと広がっていった。
 ソ連国内の直接的な損害だけでも事故直後に五〇〇〇億円にのぼると報じられたが、
食品汚染のような各国の間接被害まで加えれば、損害額はとても算出できない。ソ連
国内の被害も、三年以上もたった八九年七月に、新たな一〇万人避難計画が発表され
るなど、いまだに拡大の一途をたどっている。
 放射能被害が国境を越えただけでなく、各国の原子力政策を直撃した衝撃波も大き
かった。原子力発電を実質的に凍結した国もあれば、この事故を契機に、脱原発政策
に転じた国もある。
 各国の国民世論に与えた影響も計り知れない。ソ連の国内でも、共産党機関紙プラ
ウダの科学部長が、それまで安易に原子力推進の記事を書いてきたことを反省し、原
発事故を描いた戯曲『石棺』を著したり、原発監視の市民団体が生まれたりしたほど
だから、もともと反原発運動が盛んだった国では大変である。
 米国スリーマイル島事故の時もそうだったが、どこの国で事故が起こっても、たち
まち世界中の世論に響くという点で、まさに「原発事故に国境なし」をあらためて実
感させた。
 日本も原子力政策こそ変わらなかったが、原子力に対する国民世論は、チェルノブ
イリ以降、地殻変動といってもいいほど激変する。それを次回にみる。