Gen00539 「科学と報道」9 敦賀原発事故

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科学朝日に連載中のコラム「科学と報道」(9月号)を関連発言に
掲載します。「原子力」シリーズの6回目は敦賀原発事故の教訓。
                       管理人

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コラム[科学と報道]9

原子力<その6>敦賀事故

 一九八一年四月一八日、テレビやラジオは早朝から、敦賀原発で放射能漏れがあっ
たというニュースを繰り返し報じた。
 同日午前五時に、通産省が異例の緊急記者会見をして発表したニュースである。通
産省によると、福井県の定期モニタリング調査で、海草から異常に高い放射能が検出
され、分析した結果、平常値の約一〇倍のコバルト60などが検出された。さらに調査
を進めたところ、一般排水路の出口につもった土砂からも高濃度のコバルト60、マン
ガン54が検出されたという。
 放射能は人体に支障のないレベルだが、一般排水路はもともと、雨水や生活排水な
ど、放射能とは無関係なはずの排水系統で、なぜそこに放射性物質が混入したのかわ
からない。同省でも事態を重視して、究明に乗り出す、というのが概要である。
 テレビ、ラジオにつづいて、その日の夕刊もほとんど全紙が一面トップで報じた。
『敦賀原発で放射能もれ/海草汚染、平常値の10倍/一般排水路へ流出/土砂に高濃
度蓄積/人体にまず影響なし』
といった見出しである。さらに社会面もトップで−−
『原発銀座、不安に拍車/「また、あの敦賀で…」/通産省、異例の未明会見/住民
「恐れていた事態が」』
 これが、「敦賀原発事故」と呼ばれる一連の報道の幕開けだった。それからほぼ連
日のように、大ニュースの報道がつづく。いかに大量の報道がなされたか、朝日新聞
の紙面でたどってみると−−

 翌4・19朝刊一面、三面、社面ともトップ◇4・20朝刊一面トップ、三面4段/夕
刊一面トップ、社面4段◇4・21朝刊一面4段、三面トップ/夕刊一面トップ、社面
4段◇4・22朝刊三面4段◇4・23朝刊三面4段◇4・24朝刊一面4段、社面5段/
夕刊一面トップ、社面4段

 4・25朝刊三面トップ/夕刊一面トップ、社面5段◇4・26朝刊一面トップ、三面
4段、社面トップ◇4・27朝刊一面4段、三面4段◇4・28朝刊三面4段/夕刊二社
面トップ◇5・1朝刊一面トップ、三面トップ、社面4段◇5・3朝刊四面トップ
◇5・12朝刊三面4段◇5・15朝刊社面4段

 他紙も同じような調子で約二カ月間。事故報道では記事量も扱いも急速に減衰して
いくのがふつうなのに、敦賀事故では、日本原子力発電会社の処分が決まって一段落
するまで、なかなか減衰しなかった。

「過剰報道、騒ぎすぎ」の批判

 一段落して噴き出したのは、報道批判だった。「外へ漏れた放射能はごくわずか。
大した事故でもないのに、騒ぎすぎではないか」という批判である。
 たとえば、当時の科学技術長官は同年七月、京都で講演した際、「敦賀原発事故が
騒がれたが、一人の死者もけが人も出ていない。大きく報道したマスコミの姿勢は問
題だ」と語っている。また、新聞にも「被害はなかったのに、いたずらに原発への不
安をあおりたてたのでは」といった投書が読者から寄せられた。
 騒ぎすぎ論は、最初の報道直後からくすぶっていたもので、まず非難の矢は通産省
の「未明会見」に向けられた。「午前五時というような異例の時刻に発表したので、
騒ぎが大きくなったのだ。原発推進の立場の通産省が何ごとか」というものである。
 これは、とんだ「とばっちり」で、通産省としては、午前零時すぎに入ってきた報
告を、記者クラブと相談のうえ「できるだけ早く国民に知らせる」という原則に立っ
て対応したにすぎない。まったく影響がなかったとはいわないが、敦賀事故が大ニュー
スになった原因は別にあった。一つは放射性性物質が漏れるはずのないところから検
出されたという「ミステリー」であり、もう一つは敦賀原発がその直前にも「事故隠
し」をしていたという事実である。
 直前の事故隠しというのは、給水加熱器から冷却水が漏れているのが見つかったの
に報告もせず、原子炉を運転したままこっそり応急修理をすませたうえ、運転日誌に
も記載せずに隠ぺい工作までしていたというものである。これが明るみに出て、厳し
く糾弾された矢先の事故だったのだ。

 敦賀原発事故の報道は、このミステリーのなぞ解きと、その進行にともなって、次々
と新たな「事故隠し」が明るみに出るという経過をたどった。たとえば、第一報の出
たその日のうちに、廃棄物処理施設が汚染源らしいことが浮かび、その翌日には、こ
の処理施設に構造的な欠陥があって、一般排水口と直結していたことが明らかになる。
そして、さらに、そこで前月、大量の放射性廃液がタンクからあふれた事故があって、
その事故をまたも隠していたことが明るみにでる、といった具合だ。
 こうして次から次へと出てくる事実が、原発関係者の責任感の欠如や安全管理のず
さんさ、チェック体制のお粗末さ、行政の怠慢など、それぞれ重要な意味をもってい
たのである。したがってニュース価値も高くなる。敦賀事故の報道が、ふつうの事故
報道のように減衰せずに、ずっと大ニュースの扱いが続いた理由も、まさにそこにあっ
たといえよう。
 それがまた、過剰報道だとの批判を生んだ原因でもあるのだが、「潜在的な危険を
もっている原子力発電が、こんなずさんなやり方で運営されていいのか」という視点
に立って、社会に警鐘を鳴らすべき報道の使命を考え合わせると、一連の報道は、けっ
して過剰ではなかったと思われる。
 この敦賀事故に対して、朝日新聞では合計五回も社説を載せている。この事故で明
るみに出た事実が、実にさまざまな側面をもっていた証拠だろう。

罪深い「事故隠し」

 その点、報道の全体像からいえば、敦賀事故は、事故というより「敦賀原発事故隠
し事件」とでも呼んだ方が正確かも知れない。
 日本の原子力開発は、必要以上に安全性を強調しすぎたため、防災対策の遅れなど、
さまざまなひずみをもたらしたことを前回指摘したが、「事故隠し」の続発も、おそ
らく同じ土壌から生まれたものだろう。安全論争に不利な材料は出したくない、とい
う心理とでもいおうか。

 しかし、事故隠しほど割に合わないものはない。あとでわかった場合には、不信感
が何倍にも拡大し、それがそのままはね返ってくる。報道にしても、事故隠しが明る
みにでた場合は、ひと回り大きなニュースになる。
 日本の原発では、関西電力の美浜原発で七三年に燃料棒の折損事故があり、それを
七六年に国会で追及されるまでひた隠しにしていた事例があった。事故隠しがいかに
マイナスが大きいか、そのケースでいやというほど学んだはずなのに、敦賀原発でま
たも繰り返されたわけである。
 事故隠しの罪深さは、単に不信感の増幅という面だけではない。原子力に限らず、
どんな技術にとっても、事故とか故障とかはそれ自体、貴重な情報なのである。一つ
の事故の背後には必ず何件かの小事故があり、その小事故の背後には必ず何件かのト
ラブルがあるといわれる。事故や故障を隠していては、そこから教訓をがくみとれな
い。
 とくに原子力のように歴史の浅い技術にとっては、事故や故障を隠すのではなく、
むしろ共通の財産として、技術の向上をはかっていく必要がある。敦賀事故は、その
ことをあらためて教えてくれた。