Gen00531 「科学と報道」8 スリーマイル島原発事故

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遅くなりましたが、科学朝日に連載中の「科学と報道」(8月号)を関連発言に
掲載します。

「原子力」シリーズの5回目はスリーマル島事故の波紋。
                               管理人

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科学と報道 8

原子力〈その5〉TMI事故
                  朝日新聞出版局長/柴田鉄治

 70年代後半になって、原子力技術には、放射性物質をどんどん蓄積してしまう非
可逆性と、核兵器技術と基本的に共通するための重荷と、二つの「弱点」を持ってい
ることが、明らかになってくるが、それらは、あくまで舞台のかげの脇役で、原子力
をめぐるホットな論争の主役は、やはり「安全性」だった。
 全国各地の原子力施設の現場で推進派と反対派が、安全論議の火花ちらす。地元
の住民にとって安全性は最大の関心事だから、これは当然のことなのだが、技術面が
専門的すぎるため、言葉だけ激しくなって、論議は必ずしもかみあってこなかった。

 いや、かみあわないというより、反対派から「本当に安全か」と激しく詰め寄られ
て、推進側が必要以上に安全性を強調しすぎてしまった、という図式である。そのた
め日本の原子力開発が、かえってゆがんでしまった面がある。
 たとえば、防災問題である。本来なら事に備えて、防災計画がきちんと立てられ
ていなければならないはずなのだが、「そんなに危ないのか」と逆襲されるのを恐れ
て、防災対策に手をつけず、ったらかしにしてきたきらいがあった。
 さに安全性の強調しすぎが、実際に混乱を招いた具体的な例として、原子力船
「むつ」のケーあげられよB「絶対に安全だから」と漁民との話し合いを一方
的に打ち切って強硬出港したため、洋上で起こした、事故としてはきわめてささいな
放射線漏れで、漁民の怒りが爆発、港に帰れなくなり、漂流をつづけざるを得なかっ
た。この最初のボタンの掛け違いが、その後拡に拡大を重ね、何百億円という税金
のムダ遣いに発展したわけである。

 どんな技術でも、予期せぬ落し穴があったり、人為ミスがからんだりして、事故
が起こる。事故とはそういうものである。そのことは、技術がわからない人でも直感
的に知っている。したがって、あまりにも安全性を強調されると、かえって不信感が
つのってしまうものなのだ。
 航空機に乗ると、非常時に備えて酸素マスクや救命胴衣の説明がある。もし、「う
ちの飛行機は絶対に安全なので、酸素マスクや救命胴衣の説明も必要ありません」と
いう航空会社が現れたらどだろう。乗客は、どちらの航空会社をより信するだろ
うか。
 原子歴めぐる日本の安全論議は、売り言葉に買い言葉のようになって、後者の航
空会社のような状況が生まれていたのではないか。

日本の安全論議を直撃

 こうした状況のさなかの1979年3月28日、米国のペンシルべニア州スリーマ
イル島(MI)原子力発電所で事故が起こった。

「放射性蒸気漏れる/冷却水ポンプが壊W(3月29日朝刊)
「炉心破損の疑い/500人汚染の恐れ/安全装置作動せず/10`先でも放射能」
(3月29日夕刊)
「牛乳も放射能汚染/住民に動揺広がる」(3月30日夕刊)
「非常事態を宣言/新たな放射燃れ/住民が避難準備」3月31日朝刊)
「放射能漏れ 打つ手なし/住民が避難を開始/炉心溶融の危険は小」(3月31日
夕刊)
「大地も溶かす核の塊/一転た楽観的見通し」(3月31日夕刊)
「広範囲に燃料棒破損/放射能漏れ沈静の方向」(4月1日朝刊)
「当面の危機は回避/あわの除極なお薫」(4月2日朝刊)
「大量疎開あり得る/米大統領原発視察し表明」(4月2日夕刊)
「水素のアワ大幅減少/大量疎開必要な」(4月3日夕刊)
「一応終息宣言/妊婦・子供避難続行」(4月5日夕刊)

 こうした報道でもわかる通り、約1週間にわたって事は二転三転、全世界がかた
ずをのんで見守った。米国では、折りから『チャイナ・シンドローム』という原発事
故を描いた映画が封切られており、一層関心を集めた面もある。
 チャイナ・ンドロームとは、原発の最悪事故のあだ名で、炉心がドロドロに溶融
して、地球を貫き中国にまで達してしまうかもしれないというブラックユーモアから
命名されたものだ。映画は、秘密主義の原発に対抗してテレビ局の女性記者と良心的
な技師が闘うという内容で、TMI事故を文る米国のテレビは、どこも「映画チャ
イナ・シンドロームを地でいくような事故が起こった」と切り出しという。
 映画の影響もあって、TMI事故では「炉心溶融」が、ひとつのキーワードのよう
になった。「炉心溶融が起こったらしい」「いや、起こってない」「恐れは消えない」
などと一喜一憂した。

 この事故は、いうまでもなく、日本の安全論議を直撃した。まず発生からの約1週
間は、反対派の発言が目立った。「それみたことか。やはり事故は起こったではない
か」という気持ちがほとばしり出たからろう。それに対して、推進側はひたすら沈
黙を守って、事故の推移を見守った。
 事故が一段落したあと、こんどは推進側が巻き返しに出た。「あれだけ人為ミスが
重なっのに、あの程度の事故ですんだ。死者もなかったし、やはり原発は安全なの
だ」という論理である。
 たとえば、冷却水ポンプがて「から炊き」状態となったため、緊急炉心冷却装
置(ECCS)が働いて炉心に水が注入されたが、それを運転員が間違って止めてし
まった。「人間がより悪い方に作動させたのに、そでも……」というわけである。
さらには、「反対派はECCSは役に立たないといっていたが、立派に役に立つこと
もわかった」といういささか我田引水の主張まであった。
 そして、「そもそも報道が、炉心溶融だなんだと騒ぎすぎなのだ」と報道批判にも
発展した。

国民世論はクールな反応

 一方、国民の受け止め方はどうだったのか。当事者たちとは違って、きわめてクー
ルだったようである。事故から3カ月たった79年6月に、朝日新聞社が原発をめぐ
る大がかりな全国世論調査を実施したが、それによると、予想外に冷静な反応が浮か
び上がった。たとえば、日本でもTMIのような住民が避難するような事故が起こ
ると思うかという質問に、7割近くの人が起こると思うと答えている。ところが、だ
から原発反対と直結するのでなAこの人たちの半数近くは原発推進に賛成している
のである。
 つまり、推進側がいくら「安全だ」と叫んでいても、「絶対安全なんてあり得ない。
いつか事故は起こる」と、とっくに見抜いていたということだろう。
 事故前の78年12月の調査に比べ、原発進への賛否も5%程度動いただけで、
賛成の方が多いという全体の傾向は変わらなった。しかも79年12月の調査では、
また元に戻っている。

 艮世論の動向に関する限り、TMI事故はそれほど大な影響を与えなかったと
いえようか。むしろ、防災計画も立てられないほど硬直していた安全論議を解きほぐ
し、防災対策が進んだことや、TMI事故直前に発足した原子力安全委員会が、徹底
的に事故の教訓をくみとって実施に移したことなど、日本の原子力開発にとって総合
的にみてプラスに作用したいっても過言ではなかろう。
 だ、あれから10年。事故を起こしたTMI原発は、10億ドルをかけた作業に
よってもまだ除染のメドが立たいほどの状況で、問題の炉心溶融も、実際には起
こっていたことがわかるなど、予想以上にひどい事故だったことが明らかになってい
る。