Fre00707 島根医科大学の生体肝移植

#0000 sci5614  9007152143

 京大の方の患者さんは退院なさったそうです。おめでとうございます。一方
の杉本くんはいまだに退院の見通しの立つ状態では無いようです。
 はたしてあの手術はされるべきものだったのでしょうか。

                               sci5614  SAABE

#0001 sci5614  9007152143

 例の手術の直後にとある話を耳にしました。杉本ゆうやちゃんに執刀した医
師に対する批判です。この手の批判はいつでも先んじた者にやっかみで出るも
のなのでそう思って無視していたのですが、どうもそうとも言い切れないよう
な気がしてきたのでここで皆さんの意見をうかがいたいと思います。

1.執刀医は一切の移植手術の経験が無い。免疫抑制剤というのは劇薬であり、
  経験の無いものが扱える薬ではない。今回の手術は例えて言えば原付の免許
  しか無い人間に大型バスを運転させたようなものである。

2.執刀医はもともと自分の力量と患者の状態よりも功名を取る傾向があった。
  そのため首都圏の某私大の教授職を狙ったものの教授会にはねられた。

 後の方の、某私大は名前も出ているのですが、ニュースソースに関わってし
まうので名前を秘させて頂きます。ただ、このニュースは教授会で阻止のため
に尽力した筋の方からうかがった話です。

                               sci5614  SAABE

#0002 ultra7   9007152314

 私は、裕弥ちゃんの手術の後、移植担当の記者として、執刀医の
永末さんと1月近くご一緒させてもらいましたが、

 1の「移植の経験はない」というのは、まったくその通りです。
彼は、豚で移植の練習はしてましたが、人間の肝臓移植は「見た事
すらありません」。免疫抑制剤は、まあ劇薬みたいなものかもしれ
ませんが、彼が使えないほど薬かどうかは、私にはよく分かりませ
ん。

 2の教授云々の話は噂では聞きました。が、それが、今回の手術
とどう関係するのか良く分かりません。助教授が、教授の椅子を狙
ったってことだけならば、まあ普通の話のような気がしますが・・
・・。

 彼に名誉欲がなかったかというと、多分それはあったと思います。
しかし、それが生体肝移植に踏み切った「主要因」かというと、そ
れは違う気がします。

 私だったら、名誉欲があれば、あんな失敗する恐れ、それも手術
中にしんじまう可能性のえらく高い手術はやりませんね。手術直前
に心臓が止まってしまい、強心剤のジキタリスを打ちながら行った裕弥
ちゃんの手術と、京大の子供の場合では、手術前のコンデイションが全然
違ったのではないでしょうか。

 彼らは、外科医として、患者から求められた助けを振り切るくら
いならば、外科医をやめようという思いから、万全な体勢とはとて
もいえない状態のまま、今回の手術に望んだようです。

 私はどちらかというと移植医療がきらいな方なのです。しかし、
それマスコミが悪いだの、コンセンサスがないだのと言って、20年以上
も移植の勉強を積んでいながら、移植ができないのを他人のせいに
してきた移植医をずっと見てきた記者としては、「蛮勇」を振るっ
て突然手術してしまった彼ら「田舎医者」の姿に、議論を超越して
いる、外科医の原点を見た気がしました。

 永末さんのお宅に伺ったとき、奥さんがこう言わたのが感動的で
した。

 「テレビをつけたら突然、島根医大で生体肝移植って、同時中継
が始まってしまって・・・。私は、近くにいた娘を抱き寄せて、も
しお父さんがこの手術に失敗したら、みんなで九州のおじいちゃん
ところに帰りましょうね、っていいながら震えてテレビを見ていま
した」

 また、ある著名な移植医は「俺だったら、もう三回裕弥ちゃんを
殺しているね」といったそうです。

 やはり、名誉欲は二の次の手術ではなかったかと思います。

 手術そのものが適正であったかどうかは、また、別個に議論にな
るでしょうが・・・・。

 コンジン

#0003 sci2919  9007162318

 丸山圭三郎箸「言葉と無意識」講談社現代新書、からの抜粋です。
科学という<物神>
・・・・・自らを健常人と信じて疑わない科学実在論者たちは、自然
科学以外の<死>の物語をすべて迷妄として斥けてしまい、そうする
ことによって死を実体化している。M・ケーンレヒナーも言うように、
「医学は広く普及した機械的人間像の結果としての治療唯物論によって
生きている」(健康は幻想か)のではあるまいか。

実体論パラダイムの下では、<死>は対象化され、「死に行く人は死の
ドラマにおける主役ではなくなり、医療担当者による処置の単なる対象
と化してしまった。患者はいかに死ぬべきかを知らず、主役である医師
の役割は、患者の肉体的生命をいかに延長するかということだけである」
(A・デーケン)。

脳死判定と臓器移植
 これは人間の生・死をも医学が自由に操作できるという不気味な事態
でもある。死を手前にずらす典型的手段が<脳死判定>であるとすれば、
死を先にずらす手段のうちの典型的なものが<臓器移植>にほかならない。
従来、人の死は呼吸停止・心臓停止・瞳孔拡大によって診断されてきたが、
この三大主徴以前に起こる<脳死>を判定する基準を認めることは、とり
もなをさず、より新鮮な臓器の提供を可能にしたいという希求に基づいて
いると言えるであろう。
・・・・・・
以上

文中に、人間の生・死を医学が自由に操作できるという不気味な事態・・
というくだりがありますが、一般の人がこの不気味な事態を不気味と感じ
なくなったとき臓器移植(人工臓器は除く)は認知されるのであろう。

そして、一般の人はいかなる理由、情報によって不気味さを忘れていくの
でしょうか?

       藤治

#0004 ultra7   9007172044

 藤治さんのかなり難しい引用ですが、これは、どちらかというと
いわゆる「脳死による臓器移植」に対する意見及び哲学ではないで
しょうか。

 私も、脳死からの移植は、「脳死の曖昧さ」や現代医学の「死に
いく者への眼差し」の欠如、といった問題から今ひとつ進める気に
なりませんが、生体肝移植については、わが子を救うため自らの臓
器を提供するを決心した親の気持ちの前に、もはやそれを止める言
葉は、見つけられませんでした。

 脳死移植と生体移植。このふたつは、分けて考えるべきと思いま
す。

 移植医達は、たいした理由もなく「脳死が本筋」などとアプリオリな
決めつけをやっていますが、それは、私は多分逆だろう(特に日本
で)、と思っています。

 コンジン

#0005 ultra7   9007172108

 それから、SAABEさんの書き込みに「止める側に尽力した教授筋
」の話が出てきますが、その教授は、何故止める事に尽力したので
しょうか。(以下の文章は、その教授に対する私の疑問であって、
SAABEさんへの批判ではありませんから誤解しないでね!!)

 まず、2の永末さんの人格に関する「医学界内の足の引っ張り合
い」みたいな部分の意見ですが、今にも死に行こうとしている裕弥
ちゃんと、一か八か、自らの体を子供に投げ与えて助けてみようと、
必死な決心をした父親に対する教授の「眼差し」は、どこ入ってい
るのでしょうか。

 また、1の「医学」の部分ですが、その「教授」は、永末さんの
実力や、生体肝臓移植のことをどれだけご存知の上で「永末にはさ
せるべきではない」と判断されたのでしょうか。

 たとえば、あの手術が正式に倫理委員会に掛けられていたら、ど
うなったでしょうか。

 まず、手術が間に合うほど、簡単にOKが出た事は無かったと思い
ます。逆に、NOを出して裕弥ちゃんを事実上、「殺す」ことを「倫
理委」で決断できたとも思えません。

 ありえたケースは、結論をズルズルと引き延ばし、結果的に間に合
わない、つまり事実上の「見殺し」が起きたと推測します。

 何故、永末さんが倫理委に掛けなかったか、掛けなかったことを、
病院長が何故容認したか、この当たりに鍵があると、私は思ってま
す。

 その教授が「生体肝移植」何故止めようとしたのか。

 裕弥ちゃんのためを、考えたヒューマニズムからか。

 手術が失敗することで起こるであろう、日本の移植界の行方を思い
はかったのか

 それとも、大学や自分を巻き込みかねない「ごたごた」を避けた
かったのか・・。

ぜひ、お聞きしたいところですね。

    コンジン

#0006 sci5614  9007190354

SAABEです。まず、私がどう思っているかをはっきりさせておきますね。
私は、ある意味では生体肝移植は必要だったと思っています。ただし全
く移植手術の経験の無いひとがやってよいものかどうか、の1点は今で
疑問です。

さて、コンジンさんが気にしておられることですが、うーんあんまり詳しく
書くとニュース・ソースが判ってしまうなぁ。一つだけ私の書き方が悪
かったところがあるようなので、そこを訂正しておきます。この某大学
筋の方は、自分の大学に末永先生が来るのを阻止していたわけです。そ
の意味では「自分のところで問題が起きなきゃいいや」という風に見え
てもしかたがないでしょうね。ただ、この手術の第1報を聞いたこの方
の感想が「あいつか!」だったという当たりが私には気になっています。
先走りをしかねない性格という様に見えていたようです、この方には。
実際、コンジンさんも言っておられる「倫理委員会」あたりの問題がこの
方の末永先生に対する見方の更に悪い材料になっているように見えました。
SAABE

#0007 ultra7   9007192108

 うーーん、ということは外国で移植を正式に勉強してきた医師し
かできないことになるけど、確かに勉強してきた方がしないよりい
いですねええ。
 
 でも、外国で、その国の正式な医師免許を取って、ちゃんと移植
の最初から最後まで自分でできる人って、日本に何人居るかなあ。
2、3人とちゃうでしょか。
 
 そんな人やそんな人のいる大学が、裕弥ちゃんの生体肝移植を引
き受けるべきだったのかもしれないけど、なぜか、引き受けなかっ
たみたいですね。
 
 実は、島根医大に泣きつくまでに、某有名大学なども打診して、
断られたりしてたんですね。
 
 それに、移植の最右翼なんていわれてた阪大なんか「移植は脳死
」って、勝手に決めてるからいまだに生体肝移植なんて、申請もし
ていない。
 
 ただ、いえるのは、あそこで、島根医大が「蛮勇」を振るわねば、
裕弥ちゃんは、すでに死んでいた、ということでしょう。うーーー
ん、僕には島根医大や裕弥ちゃんの親に対して、「移植をしたこと
がなければするな」といって、もしかしたら生き残れるかも知れな
いチャンスを諦めよ、とはいえなかったなああ。
 
コンジン

#0008 sci5614  9007202357

 だれでも最初は初めてなんだ、と言えばそれまででなんですが....。どうも
割り切れないものも感じています。

> ただ、いえるのは、あそこで、島根医大が「蛮勇」を振るわねば、
>裕弥ちゃんは、すでに死んでいた、ということでしょう。

 これが最大の問題なんですよね。生体肝移植で助かる人がいるのに、それを
無暗に止めるのは、それはそれで問題がありますから。

 それに、社会的な問題もあるように思います。私としては札幌医大(当時)
の和田先生のケースが気になっています。あれも(医学的にどうだったかをま
ったく別にして)社会的に拙速だったがために後続までも絶ってしまった。

 それともう一つ気になるのは、日本の風潮です。この国では老人やら病人や
らの健康障害のある弱者は家族が面倒を見て当然、のような部分がありません
か? 厚生省までが寝たきり老人は家族で面倒見ろとも取れることを言い出す
国ですから。阪大あたりの態度はこのあたりにここでクサビを打ち込んでおか
ないといつまで経っても本当の意味での移植医療がはじめられないと考えてい
るからではないかと思うのですが。

 こういった社会的な意味でもやっぱりどうだったのかなぁ、という疑問は消
せないんですが。

 だからと言って裕弥ちゃんを見殺しにしてよいわけでもない。うーん、難し
い。コンジンさん、藤治さん以外の方のご意見もうかがいたいと思います。

                                      sci5614  SAABE

#0009 ultra7   9007211847

 札幌医大の例は、拙速だったかというと、(私は、その後の資料
を読むだけで、取材をしたことはありませんが・・・)、明らかに
拙速、そして「殺人」であった可能性が非常に高いと思っています。
 
 しかし、あれはあくまで「脳死モドキ移植」です。殺人というのは、
患者を殺したのではなく、臓器提供者(ドナー)を殺した恐れが高い、
ということです。生体肝移植では、肝臓を提供した父親を「殺す」
ことは、まあ、(ヨホドノヤブデナイト)ありえないと思います。
 
 だから、札幌医大のようなことは、原理的にほとんどありえない
でしょう。移植を殺人罪等で、摘発するのを常としている、あの「
東大PRC」の皆様が、何故、この「生体肝移植」については、ほ
とんど何も発言しないのか。そこらの「区別」をよく考えて下さい。
 
 やはり、「生体」と「脳死」をきっぱり分け、それぞれ何が問題
か考えないと、この問題は話がグチャグチャになります。その上、「生
体移植」の実績を持って、「移植解禁」などと馬鹿なことを言い出
す人がでかねませんから、困ります。
 
 あと、一つ間違えるとこれ問題発言になりますが、移植であろう
が、ほかの病気であろうが、基本的にはその面倒は、「まず」は、
家族の中で見るべきだと、私は思っています。
 
 社会補償をなどをかるんじていいという意味では、決してありま
せん。
 
 特に、臓器移植は他の医療と違って、「金」がいくらあっても、
基本問題の解決にはなにもなりません。
 
 家族の中でさえ、なかなか出せない「臓器」を、他の人が「うち
の家族のために出してくれるのが当たり前」とは、絶対、いえない
と思います。(マア、ゼンイデ クレルトキハ モラットケバ イインデスガ)
 
 日本ではどうせ絶対「臓器」が足りなくなります、数の上では、
生体移植で行くよりしかたないと思っています。
 
 コンジン   

#0010 sci2919  9007221159

 移植(生体、脳死を含めて)の問題があくまでもドナーとレシピエントとの問題な
のか、移植医を含めた問題なのかよくわからないのですが、現在、一般的には移植医
の問題は一般的に論議には入ってないようですが、移植医を聖域に置いてしまえば、
移植問題はドナーとレシピエントとの問題がクローズアップされ、脳死と生体移植と
では捉え方が大きく異なってくることになりそうですが。どうでしょうか?

SAABEさんは移植医を含めた問題と捉え、コンジンさんは移植医を含めない問題
として捉えているように感じられます。
確かに、医療関係者以外に移植医の問題を論議するのは困難かも知れませんが、移植
自体を推進しようとしているのは移植医であり、移植医の移植に対する生命倫理がド
ナーやレシピエントの生命倫理と分離したものとなってしまうことに不安を感じるの
は私だけでしょうか・・・・

人間に行う移植以前には、動物の移植しかありえないわけで、それは新薬場合でも同
じ方法(死を免れない場合に本人の承諾のもとに実験が行われますよね)で人間に実
施されますよね。
医師は人間と他の動物の生理を等価とする医学的根拠をきっともっているのでしょう。

しかし、病気で死にかけている人の生命を救うという気持ちと、動物実験でしか試し
たことのない医療技術を実施することは、例え、動物と人間の生理が等価としても、
実際に生体移植をする際、動物と人間との生命の重さを等価とせず、移植を試みるこ
とができることに私はパラドックスを感じるのですが、感じない移植医がいるわけで
すから、感じない移植医の生命倫理を聞きただしたいという気持ちがあるのですが。

極めて個人的な心情としては「このままでは死を免れません(この言葉って移植を勧
める際の錦の御旗みたいに感じるのですが)でも、移植によって救われる」という
選択肢を患者あるいは家族に提示する医師としない医師との相違はどこにあるのでし
ょうか。もし、移植によって助かるものならば、逆にいえば生体移植を勧めない医師
が助かる生命をむざむざ殺してることになるのでは?

 蛇足
 生体移植の場合、ドナーは生きているから、例え、ドナーが亡くなられても法的な責
任は生じにくいというメリットがあるように・・・・
生体移植で移植技術の腕を磨けるといったら、問題発言でしょうねぇ。

              藤治

#0011 sci5614  9007221654

 うーん、やっぱり私の書き方が悪いみたい。新聞記者にはなれん
な、これは。

> やはり、「生体」と「脳死」をきっぱり分け、それぞれ何が問題
>か考えないと、この問題は話がグチャグチャになります。その上、「生
>体移植」の実績を持って、「移植解禁」などと馬鹿なことを言い出
>す人がでかねませんから、困ります。

 この区別はした上で書いたつもりなんですが....。もう一度私が心
配している事態を書いてみますね。

1. (大変失礼ながら)末永先生の、スタンドプレー説
2. (同じく失礼ながら)末永先生の人徳への疑問
3. 臓器なんて家族が出しゃいいんで、脳死での提供なんてとんでもな
 いと言い出しかねない社会風潮
4. 健康上その他の理由で臓器の提供ができない患者を持つ家族への風
 あたり

 ただし、最初の2つを全面的に信じているわけではありません。雑音
であることを願っています。(でなければゆうやちゃんがかわいそう)

 そして、「社会的に拙速では」というのは3.、4.あたりの議論を全く
しないでやっていいことだったの? ということです。

 でもって、移植が(あるいは医療技術が)社会よりも先走った例とし
てパッと思い付いたのが和田先生の例だったんでそう書いたんですが..
誤解を生んでしまったようです。反省。

> 家族の中でさえ、なかなか出せない「臓器」を、他の人が「うち
>の家族のために出してくれるのが当たり前」とは、絶対、いえない
>と思います。(マア、ゼンイデ クレルトキハ モラットケバ イインデスガ)

 というのは生体のことですよね。でも血液型などの組織的適合性の高
い臓器は家族間に限定して捜しても必ずしも見つからないのでは? こ
のままだと3.の心配のようになって、家族での移植が出来ない人(こっ
ちの方が多そうに思う)にはかえって厳しい状況になるのではないでし
ょうか。生体移植ではほぼ確実に満たされない、「臓器の大きさ」とい
う問題もありますし。

 それと、骨髄(これも移植に関しては臓器と考えてもいいと思うんで
す)などでは外国人とは統計的に適合性が極めて低く、また家族内で移
植が出来る確率もかなり低いはずです。(まてまて、こんなことを書く
とまた誤解の元になるかな)。

> 日本ではどうせ絶対「臓器」が足りなくなります、数の上では、
>生体移植で行くよりしかたないと思っています。

 今まで普通に行われている生体移植としては腎臓がありますよね。コン
ジンさんは臓器の絶対数が足り無くなるとおっしゃっていますが、 これ
は死体臓器のことですよね。ところが(私の不確かな記憶をたどると)
腎臓移植って死体腎よりも家族間の移植の方が多いんじゃありませんで
したっけ? これって、家族間での移植があんまり美談にされてしまっ
て死体腎の提供が進まないからだ、って聞いた覚えがあるんですが。腎
臓の場合は脳死段階ではない、心臓死からの摘出でも間に合うのに。

#文章(の構成?)が悪くてごめんなさい

                                sci5614  SAABE

#0012 sci5614  9007221733

藤治さん:
>SAABEさんは移植医を含めた問題と捉え、コンジンさんは移植医を含めない問題
>として捉えているように感じられます。

 そうか! 判りました、何で私の言っていることがコンジンさんに
通じなかったか。私の方ではこの違いを認識していませんでした。
ということは悪いのは文章じゃなくて頭なわけやね>私

                                sci5614  SAABE

#0013 ultra7   9007241905

 移植医に生命倫理なんて大層なものは、ほとんどありません。彼
らにあるのは、理屈である前に「この自分の前にいる死にそうな人
間を私の技術は救い得るのかどうか」という、感覚、直感だけです。
 
 それから、藤治さんの上の書き込みの意味が、完全に飲み込めま
せんでした。
 
 すみませんが、「動物実験でしか確かめられていない医療を死に
掛けている人間に及ぼす」ということが、どうパラドックスと関係する
のでしょうか。
 
 (生体肝移植が動物実験しかやられていない本当にレベルの移植なのか、
また、どんな種類の医療でもどこかでは、動物実験から人体の臨床
へとジャンプしなくてはならないと思いますが、その当たりどうでしょうか)
 
 それから、皆さんの意見を聞きたいのですが、あの移植に疑問が
あるというのと、あの移植はやるべきではなかった、というのは違
うと思いますが、どちらの意見でしょうか。
 
 やるべきでなかったとすると、当然「見殺し説」になると思いま
すが、その当たりは、どう考えればいいのでしょうか。
 
 私は、生体移植反対論者の最大の弱点は、生体肝移植医の言ってくる
この「見殺し説」に対し、有効な反論のできないところだと思いま
す。
 
 みなさんのお子さんが生体移植を必要としたら、その時でも反対を唱
えられるものなのでしょうか。
 
 コンジン

 私の視点は、移植医を視点にいれないというよりも、今にも死に掛けている
患者の家族の視点に近いものと思います。

#0014 ultra7   9007241956

 後、生体肝移植の場合、(話が肝臓移植ならば、脳死からでも同
じことですが)、実は、組織適合性や血液型は、ほとんど移植に関
係なく、誰からでも移植できます。
 
 ドナーの選択に関係あるのは、「大きさ」くらいのものです。
 
 この点は、誤解が多く、朝日の論壇でも、組織適合性がきびしい
腎臓移植とゴッチャに批判が書かれてしまい、永末さんのところに誤
りに行った覚えがあります。
 
 だから、実はその気になれば、誰でもドナーになれるのです。
 
後、腎臓は「心臓死でも間に合う」というのは、半分本当で、実は、
半分は嘘です。
 
 腎臓でも死後10分くらい(正確な時間は忘れましたが)で取り
出さないと鮮度が間に合わなくなります。
 
 だから、移植のすべての準備を終えて起き、いつ心臓が止まるか
と、脳死患者が心臓死するのをみんなでじっと待っていて、「せい
の!!」で一斉に取り出すのです。それで、取り出す腎臓を冷やす
カテーテルなんてのは、実は、脳死段階で患者の体につっこみ、冷やし
初めています。
 
 ですから、実質上は、専門家にいわせれば「あれは脳死移植なん
です」、だそうです。
 
艮神

#0015 ultra7   9007242006

 あとついでに、もう一個。

 腎臓移植は、確かに2対8くらいで、家族から臓器を分けてくれ
る「生体腎移植」のほう圧倒的に多いのが現状です。
 
 つまり、死体腎であっても、誰も腎臓をくれないのです。
 
 たとえ脳死移植が解禁となったとしても、脳死臓器の絶対数は、
依然不足するというのが大方の見方です。
 
 それが良かろうと悪かろうと、現実問題としては、胆道閉鎖症の
我が子を救う「臓器」は、親や親戚が提供せざる終えない状態が続
くだろう、だから、生体肝移植が主流に「ならざるを得ない」だろ
う、と言う事です。
 
 艮神

#0016 ultra7   9007251443

 仙台の肝移植研究会で、永末さんが、手術の全貌を明らかにしま
した。
 
 手術中、胆道ぬちゃったことまで、ついに話してしまったのね。
(プライベートには以前から聞いてたけど・・・・・・)
 
 このように、手術後の永末さんは、自分に不利なこと、有利なこ
と、あたり構わず全手術の過程を公表しています。本人にいわせる
と、「移植医療がが誤解を受けないためにはすべてを知って貰うの
が一番。公表は、私の義務」だそうです。
 
 こういう態度を見て、「売名家」という人もいましたが、ちょっ
と違うのでは。売名だったら、何も胆道を間違って縫ったことなど、
都合の悪い事まで、みな明らかにしなくてもいいと思います。
 
 私は、手術後の永末さんの姿しか知りませんが、どちらかという
と、まずい手術のことは絶対話さない普通の外科医と違った、こう
いった彼の態度に「まあ、ヨカヨカ。隠すことなんかなにもなか」とみ
んな話してしまう、「一本気な典型的福岡県人」の姿をみるのであ
ります。
 
 どうぞ、話しを続けて下さい。
 
 艮神

#0017 sci2919  9007252337

 コンジンさん>

 うまく表現できなくて、意味不明の書込になってしまったみたいですが、次のよう
な意味です。
人の生命を救うために、動物実験でしか経験していない医療技術を人に実施する際、
人と動物とが同じ生命価値だという認識を持ったことによって、(人の生命が動物よ
りも高いものならば、動物実験で経験済だからといって安易に人に実施できるもので
はないのでは?)その医療技術を実施できたのではないかということです。
<「・・私の技術で救い得るかどうか」という、感覚、直感だけです。>というコン
ジンさんの考えが正しければ、動物実験から人体に対する移行(原初を含めて)も私
が考えているような意味(生命倫理上)において、移植医にとっては障害にはなりま
せんね。

でも、ヒューマニズムというより科学信仰の嫌いが有ると感じられますね。

それから、生体肝移植が主流になった際において、子供が親ないし親族に生体移植の
臓器の提供を求めた時、親ないし親族がそれを拒否した際、法的には問題はないとし
ても、社会的に非難される可能性がでてきそうですね。

もし、私の子に肝移植が必要となれば、確信を持って云えますが、親として私は臓器
を子供に与えますね。

第三者の「やるべきでない」という見解は仮想的「見殺し」であって、法的には問題
はないでしょう。ただ、それらの考え方が決定権(親あるいは親族)を持った人の選
択肢として重要な意味を持ってくると考えられます。だから、「やるべきでない」と
いう考えも善し悪しの判断は別として必要なことではないでしょうか。

続く           藤治

#0018 sci2919  9007252338

生体肝移植がいくら安全だからと云っても、健康な人を積極的に危機にさらすことは、
病気で不可避的に死が訪れる人の場合とでは大きな差があるのではないでしょうか。

あっそうか。移植しない移植医はいないわけだから、移植医の見殺しはないのか。
前回の自分の発言の間違いに気付いてしまった。

しかし、移植をするために健康体にネガティブな要素を与えること自体に問題はないの
でしょうか。
不可避的な死から人を救うために、不可避的な死に捉えられていない人に危機を与え
ることのパラドックス。
これが移植医にとってはパラドックスとはならないとは・・・・移植医にとっては当然
のことなのだが。

でも、万が一にも提供者が亡くなれば、これは本来ならば、業務上の過失致死かな?
もし、100%確実でないなら、当然、万に一つでも死ぬ可能性があることを認識しつ
つ健康体から臓器の摘出を行うのならば・・・・

しかし、死ぬ権利も、死なせる権利も欲しいと思う今日この頃です。

「胆道縫っちゃった。」の話は御粗末の限りです。
工業生産物でももっと厳しい検査を受けているのに、生命を扱ってる移植医ってこんな
程度かって気持ちです。
確かに、公表した勇気に対しては最大の賛辞を送りますが。
でも亡くなっていたら、どうだったのでしょうか?

まだまだ、無影燈の裏側は真っ暗闇のように思いますが。これを機会に光が届くように
なれば・・・
           藤治

#0019 sci2722  9007310151

永末氏の医療カンケイシャとは思えないほどの、率直で真摯な生肝移植報告の態度
は、私にとって初めての経験でした。そして、やったことはすべて公開することが
移植医療への道を開くのに必要なことだ.という考えに、全く同感しました。

同時に、善意のパイオニアが切り開いたあとに、世論の警戒する、善意に拠らない
大量の施術が待ち構えているのを感じ、ここの議論を見るに付け、未だ移植一般へ
の道筋に、生肝移植も乗っては居ない.と思いました。

私達は、自然をどのように捕らえ係わっていくか.の態度決定を迫られているが、
皮膚の内なる自然とはどのように係わっていくのか.を臓器移植は、迫っていると
思えてならない。輸血もしない信仰者の行為を、私達は自分の内へ取り込むことが
あるのだろうか。                          谷口。

#0020 ultra7   9007311450

 ええ、あの永末さんの「潔さ」は、常識の「外科医」の範疇を越
えてますね。
 (あれでは、まるで、もう裕弥が亡くなってしまったみたいでは
ないか、というと顰蹙ものでしょうか・・・)
 
 もうひとつ、永末さんのことを書きますと、あの人、よく外科医
が入っている、医療事故に対して代わりに賠償金を払ってくれる「
保険」に入ってないのです。それだけ、自分の腕に自信があるとと
もに、万が一の手術ミスに関する事故は、本人の「責任」で、取る
つもりのようです。
 
 うーーん、正直いって、こういう潔良くて、勇気のある外科医、
僕、好きなんですよ。さっぱりしてて。(タンナル シュカンダナ、コリャ)
 
 外科医の「業界内」の評判は、よく分かりませんが、もし、私が
患者として永末さんにかかるなら、今回のことがあっても、やっぱ
り、私は彼のところに行きますね。
 
 彼、いい男ですよ。人間としてみても。あの潔さを見ても、やっ
ぱり売名のみでやったとは、とっても僕には思えないなあ。
 
 逆に、言わせて貰えば、他の大学で、あんな簡単に退院できると
いうのは、元々結構症状の軽い子だったのではないでしょうか。
 
 そんな症状の軽い子供に、今回のような「生体肝移植」なんてスコ
゙イことをする必然性があったのか、かえって疑問に思いますね。(
シュザイモシテナイノデ コレモ タンナル シュカンデスガ・・)
 
 それから、あの永末を我が大学に入れるなと頑張られた方。ああ
いった子どもの命を救うという、「医師の原点」の意味で、その嫌
ってられる永末さんを越えるような努力をされてはいるのでしょう
か???
 
 今回、永末さんは、手術やその予後に成功したとはいえないよう
です。でも、その努力をされたということで、彼のできることで医
師としての最善を尽くされたと思っています。その某教授は、何を
尽くされたのでしょうか。

 艮神

#0021 sci5614  9008091605

 ディスプレイの修理で1週間ほど出てこれませんでした。しっか
しこいつは欠陥商品かもなぁ。

 さて、永末センセのことです。

 外科学会で詳細を報告なさったことは非常によい事だとは思いま
す。しかし、これは私が最初に提示した不安の内の、功名を急ぎが
ちの人だ、というのとは全く矛盾しませんよね。

 それと同時に「肝道縫っちまった」発言! コンジンさんは以前に「
よっぽどヤブでない限り」肝臓の提供者を死亡させることはない、
って書いてましたよね。その「よっぽどのヤブ」であることを白状
しただけではないですか? (認めないよりも格段に評価するべき
行動ですが)

 杉本さんは、「肝道閉鎖症」だったから肝臓移植が必要になった
んですよね。だというのに移植手術で肝道を縫ってしまったらどう
なるのでしょう。私は肝道閉鎖症と、肝道結さで起きる症状の違い
を存じませんのでどなたかにお教えいただければ幸いです。

 私のニュースソースになっている某先生は、こうした医療不信が
起きないように努力しておられるのだと思います。

                                sci5614  SAABE

#0022 ultra7   9008092023

 確かに、胆道ぬっちまったのは、ミスですね。でも、これ、結構
ありうるミスらしいですね。部分肝移植では。
 
 切りとった肝臓の表面を、ちゃきん寿司を丸めるみたいに、縫っ
ていくのですが、そのちゃきんを作るとき糸を引っかける、恐れは、
結構あるようです。(だから、ミスっていいというわけではない!)

 よっぽどの薮かどうかは、知りませんが、これ、間違いない「失
敗」です。ただ、ちゃきん作りは、かなり難しい技術のようで、こ
れと、レエシピエントを殺す可能性が、パラに評価できるかどうかは分か
りません。
 
 永末さんは、「功名を急ぎがち」というより、自分の腕を過信し
すぎて、こういうミスを犯したのかも知れません。また、単なる、
運の悪いケアレスミスだったのかも知れません。その当たりは、正確な評
価は、よく分かりません。
 
 ただ、どちらにしても、家族から「自分の肝臓を提供するから部
分肝移植をしてくれ。一か八か、賭けさえてくれ」と頼まれた場合、
あそこで、手術をせずに、いわば裕弥ちゃんを「見殺し」にすべき
であったかどうか、という点から見れば、可能性0より、自分の腕
に賭けた彼の選択は正しかった、と判断しています。
 
 そして、その賭けの結果が、今のところは、裏目に出ている、と
いうことでしょう。
 
 もし、逆に、彼がその時、胆道を縫わずに、今、裕弥ちゃんが、
たまたま退院するほど元気に復活できていたら、彼のやったことは「正
しかった」といえるのでしょうか。
 
 その当たりは、どう思われるでしょうか。
 
 コンジン

#0023 sci5614  9008100237

> もし、逆に、彼がその時、胆道を縫わずに、今、裕弥ちゃんが、
>たまたま退院するほど元気に復活できていたら、彼のやったことは「正
>しかった」といえるのでしょうか。

 それでもやっぱり問題なのではないかと思います。私や某先生が
この事を気にしだしたのは手術「成功」という報道を聞いた直後で
すし。

 自分の技術の過信ですか。う〜ん、あってもらっては困るけどあ
るかも知れませんね。でもどちらかというと本人も技術が足りない
(あるいは第3者が見たら足りないと判断される)という自覚が少
しはあったんじゃないかと思っています。

 その理由は「倫理委員会にかけていない」からです。倫理委員会
にかけたらつぶされるという確信があったのではないでしょうか、
彼には(もっともOKが出るにしても時間的に間にあわないという
説ももっともなんですけど)。

 ただ、、、、じゃ見殺しにしていいのか! と言われるとそれに
は反論のしようが無いんですけど。

 先週だったか先々週だったかの日曜版に生体腎移植の場合のドナ
ーとレシピエントの間の精神的影響の話が出ていましたよね。私が
気にしていることにはあのあたりの問題もあるのですが、これは今
の話の本筋からずれますので置いておきます。

                                sci5614  SAABE

#0024 sci4143  9008100904

こんなことを申すのも何ですが,もう少し基本的な知識を勉強してから,批評,批判を
行って下さい.専門用語(テクニカルターム)と日常の言葉では同じ単語でも意味する
ものが全く異なる場合がしばしばあります.卑近な例ですが,植木屋さんの「わらう」
(物を動かすこと)が漫才のネタにありまして,勝手な類推と憶測で判断すると大恥を
かくことになります.
幸い,“家庭の医学”といった類の本でも,専門的に高度な内容を平易に解説しようと
試みていますし,医療スタッフ向けの書籍は一般の大きな書店でも置いてある様です.

肝移植術に附いては,もちろん医学界全体が賛成している訳ではありません.しかし,
専門的な学説,あるいは医療に対する信条,倫理観を背景として,賛成,反対の議論が
行われているのです.満場一致のシャンシャン総会では学会を開く意味がありません.
どこからそんな情報を仕入れたのか見当も附きませんが,事実と伝聞(とデマ)を区別
出来ずに,他人の意見のお先棒を担ぐなんて,反省して頂きたいものです.

あえて私の率直な感想を言わせて頂くと,医療不信は“起きる”のではなく“扇動して
起こす輩がいる”と考えざるを得ません.『教授選考の疑惑』なんて根も葉もない噂を
持ち出さなければ出来ない批判なんて,今すぐ止めなさい.

                    from たこべえ

#0025 sci5614  9008101507

たこべえさん、あなたの言い方が高圧的できわめて不愉快なので、
私は感情的に言わせてもらいます。

>こんなことを申すのも何ですが,もう少し基本的な知識を勉強してから,批評,批判を
>行って下さい.
 ふんふん、つまり素人は医者のすることに文句をつけるなという
ことですね。患者は黙ってみていろ、と。拒否します。

>専門用語(テクニカルターム)と日常の言葉では同じ単語でも意味する
>ものが全く異なる場合がしばしばあります.卑近な例ですが,植木屋さんの「わらう」
>(物を動かすこと)が漫才のネタにありまして,勝手な類推と憶測で判断すると大恥を
>かくことになります.
 私がどこを‘勝手な判断’をしているのか言わずにこういう書き
方をする輩を
                       卑怯者
言います。

>『教授選考の疑惑』なんて根も葉もない噂を
>持ち出さなければ出来ない批判なんて,今すぐ止めなさい.
 どうして根も葉もないとあなたにわかるのですか? 根拠を述べ
なさい。私も直接聞いたわけではないことは認めますが、しかし噂
ではありません。もし読者間のメールがあれば事実をお教えしても
よいぐらいですが。
                                sci5614  SAABE

#0026 ultra7   9008101526

 まあまあ、SAABEさん、抑えて、抑えて。確かにたこべえさんの
書き込みはキツイ印象を受けますが、「ツンツン」すると、荒れている某コ
ーナーみたいな展開になっちゃいますよ。
 
 倫理委員会に掛けなかった話ですが、多分、いちばん大きな理由
は、倫理委員長=病院長が、「倫理委にかけなくていいよ」って、
永末さんにいっちゃたことだと、思いますが・・・・。まあ、そう
委員長に言われれば、普通、面倒くさいもの、かけないわなああ。
 
では、なぜ、委員長がそういったのか?、そのことについての私の
読みは、前にも書きましたので、昔の書き込みを見て下さい。
 
 それから、読者間メールってないですが、私宛には、メール出せますの
で、その「事実」教えてくれません???。「根も葉もない」かど
うか知りませんが、私も、同種の噂を聞いた気がするものですから
・・・・
 
 コンジン

#0027 sci5614  9008102209

 いけない、いけない私としたことが。

 ‘勝手な判断’とか言われたもので、「知らないことは知らない
というように書いたつもりなんだけどなぁ」と思いながら続きを読
む。‘医療不信は“起きる”のではなく“扇動して起こす輩がいる”
と考えざるを得ません’「ふーん、幸せなんだね、この人。私なん
か、患者や家族の言うことを素人考えだ、とあたまごなしにする医
者のせいで肉親を2人も手遅れや薬害で亡くしているんだけど」、
と思ってからプロフィールを見る。

 週末医者になるだぁ?! ざけんじゃねーよ! おめーみたいな
医者のせいでおれの祖母は癌の発見が手遅れになるし(咳が止まら
ないと1年以上訴え続けたのに取りあわなかった)、祖父は肝硬変
で入院しているのにホパテン酸を投与されて、死亡診断書には‘肝
不全’と書いてすましてるし(厚生省の例の通達のあとだったので
父が医者に念を押したのだが)、もう一人の祖父は祖母と同様に下
痢を訴え続けていたのに無視され、医者をかえた途端、「手遅れか
もしれない」と言われるし、医者が患者や家族のことを素人扱いし
たために家には2人の死人を出し、いま1人はたった今も集中治療
室で苦しんでいるんだぞ!

 という経過をたどって、あの文章になったわけです。お恥ずかし
い。その後電話があって、祖父の方は手術そのものはうまくいった
という連絡があったのですこしばかりおちついて読み直そうと思っ
ていたら、 コンジンさんのご指摘。恥じいっております。

 さて、こいつの本題の方ですが、私自身のいくつかの疑問と永末
先生への疑問は、 コンジンさんのお蔭で解消しました。また、いくつ
かは残ってはいますが、こっちは「見解の相違」としか言い様がな
いものと思います。少なくとも売名だけのためにあのようなリスク
の大きな事をなさる方ではないことは納得しました。

 で、私としてはそろそろお開きにしようかと思っています。その
かわりと言ってはなんですけど、医療不信(と言って悪ければ医療
従事者不信)のための基調でも新たに開きますか。

 お、そうそう、『教授選考の疑惑』なんて私は言ってませんよ。
これではまるで私は永末先生が不正な方法で島根医大に就職なさっ
たと言っているようじゃありませんか。‘勝手な判断’しないでね。
私は、ある大学(島根医大とは全く別の大学)の教授選考で、良い
線まで行っていた永末先生に反対した人が居る、と言ってるんです
よ、たこべえさん。その理由についてはいくつか前の関連を読んで
くださいね。
                                sci5614  SAABE

#0028 sci4143  9008120058

私の発言#24についてのお詫びです.

私の言い方が高圧的で不快の念を抱かせる文面であったことについて,深くお詫び申し
上げます.特に『今すぐ止めなさい』などという態度は,著しくマナーを欠いたもので
あり,ここで議論をされていた方はもとより,私の発言を目に止められた方々全てに,
本当に申し訳ないことをしてしまったと自責の念に駆られ,重ね重ねお詫び申し上げる
次第です.以後この様なことの無い様に努めますので,どうぞ悪しからずお許し下さい.

いまさら詫び事を並べても,皆様の受けられた不快の念が消え去る筈もありませんが,
取り合えず一筆認めさせて頂きます.

#0029 sci5614  9008130041

たこべえ様:

 あ、いえ、その後激怒モードでレスつけた私の方も同罪です。私
も皆様におわび致します。とくに私をなだめにかかってくださった
艮神様には言葉もありません。

 で、冷静に戻ってのお願いですが、私がタームの誤用をしている
(あるいは誤解が推測できる)箇所があるようなので、それを指摘
してはいただけませんか。お手数かとは存じますが。

艮神様:

 ほとんど内容の無いもので、かえって失礼かとは思いましたがメ
ールを差し上げました。艮神様のご存知のお話と同じものかどうか
これでおわかりになるでしょうか。

 おかしなことを言うようですが、艮神様が新聞記者でなかったら
もっとお話してもいいんですけど。某先生の方へ話がいってしまう
と大変困ったことになるものですから。

               いまだに恥じ入りモード    sci5614  SAABE

#0030 sci4143  9008191155

[帰省モード]&[電話不通モード]&[本業モード]でレスが遅くなって済みません.

テクニカル・タームと云えば聞こえが良いのですが,要するに殆ど隠語に近い業界用語
でして,世間ずれした定義を決めた学者先生達が悪いと云えなくもありません.

私はここの発言を詳細に検討した訳ではありませんし,書き込みを添削する様な行為は
心情的に気が進みませんので,御容赦下さい.尤も貴兄が心配される程の誤用はないと
思いますので,御安心を.

胆管を傷つけた話が出ていたと思いますが,もちろん外科医として褒められることでは
ありませんが,肝移植術の症例は全例が再手術例であることを考えると,違う意味合い
が見えてきます.

先天性胆道閉鎖症は文字どおり生まれつきの病気です.遅くとも生後3カ月から6カ月
の間に,胆道腸管吻合術(葛西の術式)を行わなければなりません.これで胆汁排泄が
得られない症例が肝移植術の対象となります.

一般的に再手術は手技が難しくなります.前回の手術から日数を経ていると,腹腔内が
線維性に癒着していることがあり(傷口が直ったときに白く痕を残す,あれです)再び
開腹した時に難渋します.臓器や血管,神経を傷つけない様に丁寧に剥していくのです
が,胆管は位置的に傷つけてしまい易い(言葉では説明できません.立体的に位置関係
を捉えて下さい),場合によっては不可抗力としか言い様の無いことです.

胆道を傷つけたという言葉の裏に,現在の手術手技の問題点,手術計画をたてる上での
留意点が示唆されている,あるいは議論をしていると思うのですが.

                         from たこべえ

#0031 sci4993  9008241045

 杉本裕弥君が、本日(8月24日)午前2時にお亡くなりになりました。

 今日の朝のラジオはイラク状勢もアジア大会出場選手交通事故死も無視
されていました。

 御冥福をお祈りしましょう。

              By ”意見を書かない”綾綺和海
                          アヤキ・カズミ
p.s:しかし、「多臓器疾患」とは何と適当な死因なんだろう。

#0032 ultra7   9008241122

 当手術に対する、ご意見をお待ちしています。

 手術肯定派の艮神

#0033 sci5614  9008241836

 祐弥ちゃんはとうとう亡くなってしまいました。心からご冥福を
お祈りいたします。

たこべえ様:

>書き込みを添削する様な行為は心情的に気が進みませんので

 私もそうです。新たにご覧になる皆さんには一瞬不快かもしれな
いので申し訳ないとは思いますが、 SAABEってときどきプッツンす
る奴なんだな、と思ってくださいまし。

 祐弥ちゃんの(手術前の)病状がもっと軽くて、体が大きかった
らうまくいっていたかもしれないのでしょうね。

                                sci5614  SAABE

#0034 sci5574  9008241934

 私が思うに、祐弥ちゃんの手術がもう少し早ければ、もしかすれば助かったのでは
と思っています。

 倫理委員会の決議がもう少し早ければ・・・。

 祐弥ちゃんの御冥福をお祈りします。
                                            ベネア

#0035 sci2919  9008242221

 現代思想の6月号の「胎児は誰のものか」にこんな事が書かれてました。
以下抜粋
「外科医は、ヨーロッパでも日本でも、医者とは別の存在でした。むしろ技
術者でした。ヨーロッパでも外科医はフィジシャンではなくてサージシャン
でしょう。サージシャンはフィジシャンのように大学を出ているわけではな
く、もともと理髪師だったり動物の屠殺業の人だったり、刃物を使うのにな
れていたから、といった人が多い。そういうルーツの外科医が近代医学を作
っていく。」だそうです。

医師団の会見での気になる小坂教授の発言。
「・・・私としてはもう一日、二日は持ちこたえてくれるのでは、と思って
いた。・・・」裕弥ちゃんにとってこの一日、二日はどのようなものなので
しょうか。
258日が260日になることが裕弥ちゃんにとってなんの意味があるのか
よくわかりませんが、医師団にとっては重要なのでしょうね。
これが医師の功名心でないとすると医師のヒューマニズムということになり
そうです。

信州大医学部の石曽根助手は「・・・・よく9ヶ月も生き延びることができ
たと、ご遺族も医師たちも思っているだろう・・・・」

9ヶ月延命出来るなら手術する価値があるといってるようにも読み取れます
が。

 蛇足
 などといいながらも脳の移植やフランケンシュタインあるいはサイボーグ、
さらには生命が創造される日を心待ちにしてる。

           えせヒューマニスト藤治

#0036 sci1089  9008250952

藤治さんの10番
>しかし、病気で死にかけている人の生命を救うという気持ちと、動物実験でしか試し
>たことのない医療技術を実施することは、例え、動物と人間の生理が等価としても、
>実際に生体移植をする際、動物と人間との生命の重さを等価とせず、移植を試みるこ
>とができることに私はパラドックスを感じるのですが、感じない移植医がいるわけで
>すから、感じない移植医の生命倫理を聞きただしたいという気持ちがあるのですが。

 そのパラドクスは,医療という人間の命を預かる分野で新しい技術(治療法の場合も
あれば薬の場合もあるでしょう)の開発に従事している人たち(移植医だけではない)
が常に感じていることではないでしょうか?
 動物と人間では生理もまったく等価ではないのですから、どれだけ動物実験を行って
も、人間に有効かどうか、害を及ぼすことがないかどうかはわからないはずです。
 ですから、既知の療法だけを用いて、治せる患者だけを治すのも、パラドクスを切り
抜ける一つの方策であり、医師の一つの見識だと思います。

 しかし、それだけでは、既存の技術では治療できない患者には、座して死を待つこと
しか残されません。新しい技術の開発の試みは、そうした患者に死と戦う新しい可能性
を提供することではないでしょうか?

 生命倫理を考えるとき、医師の側の医療行為の「安全性」の立場からの倫理のみがク
ローズアップされているように思われますが、「死を宣告された患者が、残された命を
どのように生きようとしているか、それに対して医師にはどのような医療行為で援助が
できるか」という、患者の生への意志とそれをサポートする医師との関連において倫理
を考えることもまた必要ではないかと思います。患者の「生命倫理」を無視した医師(
あるいは社会その他の第3者)の「生命倫理」の押し付けもまた、「生命倫理にもと
る」ことになるのでないでしょうか?

>選択肢を患者あるいは家族に提示する医師としない医師との相違はどこにあるのでし
>ょうか。もし、移植によって助かるものならば、逆にいえば生体移植を勧めない医師
>が助かる生命をむざむざ殺してることになるのでは?
 次の2つの要素のかねあいで、選択が決まるのではないでしょうか?
 第1は、移植手術の成功率を医師がどの程度だと評価しているか?
 第2は、どの程度の成功率があれば「失敗して命を縮める危険を冒しても、成功して
より長く生きていたい」と患者が考えるか?

 第1の要素は、移植手術のように未確立の技術では、医師によってその判断に大きな
開きが生じるでしょう。
 また、第2の要素も患者(あるいはその家族)によって千差万別でしょう。

 このように不定要素が多いので、医師が移植を勧めても患者が断わったり、患者が求
めても医師が断わったり、さまざまの状況が起こるのではないでしょうか?

それからコンジンさんの13番、
>「この自分の前にいる死にそうな人
>間を私の技術は救い得るのかどうか」という、感覚、直感だけです。
 この問いかけは、「生命倫理」に関わる重要な問いかけではないかと私は思うのです
が。
                             マサ

#0037 ultra7   9008251303

 ええ、昔は、床屋さんが外科医でした。だから、あの床屋さんの
前で必ず回っている、あの赤、青、白の渦巻くるくる広告塔は、人
間の体を流れる三種の体液を象徴してるとか・・・なんとか。
 
 毎日新聞が、永末さんの手術に対する手厳しい内容の「検証」の
連載を始めましたね。
 
確かに、明かな準備不足など、言われても仕方ないとこは、多分に
ある手術だったと、思います。
 
 ただ、(まあ、何回も書きますが)、あの手術をせず「見殺し」
の道を選ぶべきだったかと言うと、私は「ノー」と言いたい。
 
 永末さんは、裕弥ちゃんの命を救おうと、一か八かの大勝負をか
けた・・・・。そして、彼は賭に破れたのです。  
 
 サイコロが違う目に出たのを見届けてから、さも予知していたかの「
そーーらみろ、移植はやるべきじゃなかった」という人がいそうな
気がしますが、これは、ちょっとねえ。
 
 あの手術を巡る、準備不足や永末さんの「技量」など(人格も少
々かな)や、社会の移植の容認度、一般的先端医療の抱える倫理問
題などなどについては、議論になること、検証すべきことは多く残
されていると思います。
 
 ただ、一人の子供が目前で死を迎えかけている、という状況で踏
み切られた、あの手術そのものを、行うべきでなかったどうかは、
そこらの議論と(無関係ではないが)、別次元の問題と、私には、
思えます。
 
 艮神

#0038 sci5614  9008251603

> サイコロが違う目に出たのを見届けてから、さも予知していたかの「
>そーーらみろ、移植はやるべきじゃなかった」という人がいそうな
>気がしますが、これは、ちょっとねえ。
(艮神さんの関連より)

 私もこれだけは避けなくてはいけないと思います。問題にするべ
きことがあるとすれば、技術とそれを人間に適応するときのアセス
メントのことであって、あとからどうこう言うのならだれにでもで
きることなのですから。

「今、ひとりの人が苦しんでいる。放置すれば間もなく死ぬ。一つ
考えられる処置があるが、助かるとは限らない。むしろそれが直接
の原因になって死ぬかも知れない。」

 という状態で、どういう選択をするかという問題なのであってそ
の人が亡くなったあとでやっぱりあの処置はどうだったこうだった、
なんて言ったってしょうがないのです。

 私が最初にこの基調に書いたときに思っていたのも、あの時点で
可能な手術であったかどうか、なのであって、後からうんぬんした
い訳ではありません。

 それにしても、祐弥ちゃんがなくなったあとで出てくる「識者」
なる方々が判で押したように「脳死臨調の答申を待て」と言ってい
るのが気になります。この人達の多くは脳死臨調が活動を始める前
には「厚生省の脳死に関する研究班の報告を待て」と言っていた人
達なんですよね。人の生死をいったいなんだと思っているんだろう。
脳死移植の出来ないことで亡くなって行く多くの患者と、そして官
製の死の基準などとは全く無関係に日々亡くなって行く人びとの命
を。
                                sci5614  SAABE

#0039 sci2919  9008260026

 マサさん
> そのパラドクスは,医療という人間の命を預かる分野で新しい技術(治療法の場合も
>あれば薬の場合もあるでしょう)の開発に従事している人たち(移植医だけではない)
>が常に感じていることではないでしょうか?

 どう感じるかが問題です。それは医師がどのような生命感をもつかどうかであり、
それはどのような医学教育を受けるかによって決まるはずです。門外漢の私には医師が
どのような医学教育を受けるかわかりませが、西洋医学は生命を生化学的なレベルで理
解しようとしていると思われます。
分子レベルの生命にヒューマニズムが入り込む余地はないと私は思います。
医師も科学者です。科学がヒューマニズムを変えることはあっても、その逆は難しい。

> しかし、それだけでは、既存の技術では治療できない患者には、座して死を待つこと
>しか残されません。新しい技術の開発の試みは、そうした患者に死と戦う新しい可能性
>を提供することではないでしょうか?

生きる希望を与えることに異存はありませんが、最近、エイズの新しい治療薬が余命いく
ばくもないエイズ患者に投与されることがありますが、新薬のモルモットになる以外選択
の余地がない患者に死と戦う新しい可能性を提供するとする論理は・・・・遣り切れなさ
がありませんか。

> 生命倫理を考えるとき、医師の側の医療行為の「安全性」の立場からの倫理のみがク
>ローズアップされているように思われますが、「死を宣告された患者が、残された命を
>どのように生きようとしているか、それに対して医師にはどのような医療行為で援助が
>できるか」という、患者の生への意志とそれをサポートする医師との関連において倫理
>を考えることもまた必要ではないかと思います。患者の「生命倫理」を無視した医師(
>あるいは社会その他の第3者)の「生命倫理」の押し付けもまた、「生命倫理にもと
>る」ことになるのでないでしょうか?

全くその通りですね。その前提条件として正確な知識が患者に与えられているかどうかが
問題になります。選択する患者が的確に判断できるだけの知識を医師その他の人が与える
という条件が満たされれば非常にすっきりしそうですね。

SAABさん
>「今、ひとりの人が苦しんでいる。放置すれば間もなく死ぬ。一つ
>考えられる処置があるが、助かるとは限らない。むしろそれが直接
>の原因になって死ぬかも知れない。」

 でも、助かるとは限らない状況を認めつつ、手術をすることが問題な
のでは?
それが直接の原因となって死ぬかも知れないのに手術をする医師の意志に
一般的なヒューマニズムとは異なるヒューマニズムを感じませんか?
但し、前述のように医師あるいはその他の人が正確な知識を患者あるいは
家族に与えていれば第三者がとやかく口を挟む問題ではないでしょうね。

> それにしても、祐弥ちゃんがなくなったあとで出てくる「識者」
>なる方々が判で押したように「脳死臨調の答申を待て」と言ってい
>るのが気になります。この人達の多くは脳死臨調が活動を始める前
>には「厚生省の脳死に関する研究班の報告を待て」と言っていた人
>達なんですよね。人の生死をいったいなんだと思っているんだろう。
>脳死移植の出来ないことで亡くなって行く多くの患者と、そして官
>製の死の基準などとは全く無関係に日々亡くなって行く人びとの命
>を。

 個人的には識者も医師も人の生命を同じレベルで見ているとしか思
えないという気がしますが、お互い議論は必要でしょう。
この手術が生体肝移植を技術的に進歩させるという意味においては極
めて有用であり、今後行われる生体肝移植技術レベルを向上させて生
存率を高めることは間違いがないと思います。
裕弥ちゃんにとって意味はないが。

経験を積むことによる技術レベルの向上は最終的には同じような疾患
をもった各個人のサバイバルゲームの様相を呈するように感じられま
す。
簡単にいうと、生体肝移植の技術が安定するまで待つことができるか
どうかが生死をわけるという。

       藤治

#0040 sci5614  9008260338

>>「今、ひとりの人が苦しんでいる。放置すれば間もなく死ぬ。一つ
>>考えられる処置があるが、助かるとは限らない。むしろそれが直接
>>の原因になって死ぬかも知れない。」

> でも、助かるとは限らない状況を認めつつ、手術をすることが問題な
>のでは?
(藤治さんの関連より)

 難問です。私の考えている現時点での(いずれ変わるかも知れま
せんが)意見では、
「あの手術そのものは必要だったに違いない。だが、できれば永末
先生ではなく、移植技術に長けたたの外科医によって執刀されてい
ればよかった。」
と思っています。

 ほうっておけば死ぬことが判っている人を放置することは、これ
はこれで問題だと思うのです。

 極端な話、次のようなことを考えてください。例えば獣医師かな
にかで、かなりの技術を持ってはいるが、医師ではない、という人
の目前で大怪我をした人がいる。もし放置すれば間違い無く死亡す
る。だが、手か足か、怪我の部位を切断すれば助かる かも しれ
ない。ただし、切断の仕方を誤ればそれが原因で死亡することもあ
りうる。

 さて、この人がとりうる選択肢のうちどれがもっともヒューマニ
スティックなのでしょう。

 私には判りません。法的には簡単ですけれど。

 しかし、自分では技術があると信じ込んでいたものの、実は大変
な未熟者でそれが原因で患者を死に至らすとしたらそれは問題です。
私がこの基調を開いた時に考えていたのは、永末先生は自分の技術
のレベルを把握せずに手術に走ったのではないか、そしてそれは彼
の性格的な問題ではないか、という疑問です。しかし、現在ではこ
の疑問はかなり薄れています。

                                sci5614  SAABE

#0041 sci2919  9008260811

 SAABEさんの名前を間違えてしまいました。
失礼しました。

       藤治

#0042 ultra7   9008261105

 インフォームド・コンセント(医療に関する患者への正確な説明と、納得、
同意)問題で、少しずれた話を書きます。論点が、複雑になるので、
こんな見方もあるかも知れない、として、一応読んでおいとかれる
だけでも結構です。
 
 私は、大ざっぱに言うと「原則的には、医療はサービス業で、医
療行為の決断権は患者側にある」と考える、「インフォームドコンセントしな
きゃダメよ」派の人間です。
 
 しかし!!!!!
 
 これも、現実問題として考えると、すごく酷なことが多い!。
 
 例えば、余り学が無くて、気が弱くて、なんでもおじいさんの言
うとおりハイハイと聞くだけで暮らしてきたような、おばあさんが、あ
る日複雑怪奇な難病になってしまった。こういう人にガチガチとインフォ
ームドコンセントして、専門医にも、うまくいくかどうかまるで分からな
い手術を受けるどうかを自分で決めろ、というシーンになったら、
本人に決断させるのが、本当にベターなのでしょうか。
 
 こういうおばあさんは、やはり「なにやら分かりませんが、先生
におまかせしますのでよろしくお願いします」って頭下げるのが、
やっぱり一番本人が「楽」でいいんじゃないでしょうか。
 
 これもまああ一種の「まかせる」という選択ではありますが、本
人は「選択した」って気はないでしょう。できれば、自分で責任を
取らねばならない酷な選択はやらないで済まして、うまくいった結
果だけは享受したいってところじゃないでしょうか。
 
  いままで日本の医療で、ある意味で患者は自分の事なのに自分
で決断できず、しかし、その分責任も感じなくていい地位にいまし
た。これは一概に悪いばかりでなく、日本的良さもあった気もします。
 
 自分の運命は、自分で選択していく、というのは、西洋的であり、
なんとなく格好はいいのですが、体も心も弱っている病人には、気
が重くなるだけのことも多いのでは。
 
 ガンの告知などを先端問題として、相手が誰ならインフォームドコンセント
すべきか、という、必ずしも万人に平等することががベストとも限
らない、難しい問題もあると思います。
 
 だからしなくていいってもんじゃねえぞの艮神

#0043 sci2754  9009011515

  8月7日08:30から09:30にNHK総合
  おはようジャーナル
  「列島ホットライン・生体肝移植・その時家族は」

  という番組をやります。
                                                美優

#0044 sci1089  9009190147

藤治さん(39番)
> どう感じるかが問題です。
 私はそうは思いません。パラドクスをパラドクスと感じていなければ問題だとは思
いますが、パラドクスであることを認識していればそれでいいと思います。
 パラドクスである以上、どちらを選んでも問題が残るのであり、しかもどちらかを
選ばなくてはならない宿命に、職業的に立たされているわけです。(一方を選ぶこと
が正しいのなら、パラドクスは成立しません。
 そして、どちらを選ぶ人も必要だと私は思います。

>それはどのような医学教育を受けるかによって決まるはずです。門外漢の私には医師
>がどのような医学教育を受けるかわかりませが、西洋医学は生命を生化学的なレベル
>で理解しようとしていると思われます。
 西洋医学の原点は、「ヒポクラテスの誓い」(正確な内容は覚えていませんが)にあ
るはずですが。
これを逸脱したら、現在でも、医師、医学者としては失格では?
 正確なところは、は医師(つちねこ氏など)のコメントを戴きたいところです。

>分子レベルの生命にヒューマニズムが入り込む余地はないと私は思います。
 生体を生化学的なレベルで見るという側面も、医療に関するの研究の中にはあると思
います。それは、生体をよりよく理解するために必要であり、その成果に基づいて、新
しい医療技術を開発することが可能になるからだと思います。
 しかし、患者に接するという医療行為そのものは、生化学とはまったく異なる「科
学」に立脚していると思うし、その中には、ヒューマニズムが不可欠なものとして、
盛り込まれているのではないかと思います。
 その意味で、「医学は純然たる自然科学ではない」という見方も可能でしょう。
 が、私は、「分子レベルの生命にヒューマニズム(あるいは「生命の尊厳」)を感じ
ることができないなら、(医学をはじめ)生命科学に従事する資格がない」と言うべき
だと思います。

>新薬のモルモットになる以外選択の余地がない患者に死と戦う新しい可能性を提供す
>るとする論理は・・・・遣り切れなさがありませんか。
 患者には、「新薬のモルモットにならないで死と戦う」という選択があるのではない
ですか?
 また、どこがやりきれないのですか?人間(だけでなくすべての生物)はいつも「死
との勝ち目のない戦い」を戦っているのではないですか?医療はそのために使われる
「手段」の1つではないのですか?そして、新薬や新しい治療法でなくても、医療は常
に、大なり小なり結果的に命を縮める危険を秘めているのではないですか?となると、
医療そのものが、「やりきれない」ということになりませんか?
(もっとも、私はそう思っていますが。)
 「患者の生死をかけた戦いが、新しい医療技術や新薬の開発にともなう富や名誉に
結び付く形で利用されている」とまで言うのなら、藤治さんのおっしゃる「やりきれ
ない」もわからないではありません。
 が、新薬や新しい治療法の開発の過程に必然的にともなうステップが「やりきれな
い」というのは、「死との勝ち目のない戦い」を戦うこと自体が「やりきれない」と
いうのと同義ではないでしょうか?

 私自身は、この戦いは「やりきれない」戦いであると思います(ですから、少し上
で「医療はやりきれない」と書いたのです)。が、同時に、この戦いこそが、「生命
の尊厳」の根本にあるのではないかとも思います。
                         マサ

#0045 sci2919  9009231209

 マサさん

 医師と医学者との違いは?医師は医学者ではなく、医学者は医師ではない?
あるいは医学者は医師でもある?

医療そのものが死との対決を強制したのではないのでしょうか。医療が死をやりき
れないものにしたのではないか。
医療がなければ死をあるがままのこととして受け入れたのではないでしょうか。

死を死として受け入れる考え方があまりにも否定されていることにも問題がある
と思われます。
とはいうものの、死を恐れるのは人が人であるゆえんなのでしょうが。
それゆえ人には不死への憧れがあります。でも不死は「生命の尊厳」を否定するもの
です。
不死に生命の尊厳は不要です。やはり死があるから生命の尊厳があるのでしょう。

医療が「死との勝ち目のない戦い」を戦い続けるものならば、生命倫理にタブーは
ないことになりませか?
そう考えると医療はフランケンシュタインを創造する方向に向かってると思わざる
をえないのですが。あるいはサイボーグかな。

            藤治

#0046 sci1089  9009250107

 藤治さん、
ちょっと私の議論を誤解しているように感じますが。

 私は、「生命」が「死との勝ち目のない戦いを戦う」と書いたはずで、
また、「医療はその手段の1つ」として位置づけたつもりですが。
 「フランケンシュタイン」や「サイボーグ」は、医療のはんちゅうを越えた
概念ではないでしょうか?
 そして、「勝ち目のない」とは、最後には「死を受け入れざるを得ない」と
いう意味ですが。
 だから、最初から「不死」を否定しているので、不死を否定するコメントを
付けられても、当惑するばかりです。
                         マサ
 「死を受け入れる」ことは避けられないにせよ、最後まで「生への執着」を
抱き続けるのが「生」の本質だと思っています。このあたりに、藤治さんとの
違いがあるのではないかと思います。
(私が「悟っていない」ということかもしれませんが)

#0047 sci2919  9009252203

 マサさん

 極端な言い方だったかも知れませんが、医療そのものが向かう方向は不死を
目指していると思われるのですが。
でなければ、どこまでを治療の限界とするのですか。

私は臓器移植自体フランケンシュタインの発想からうまれたものではないかと
勘繰っているのですが。
そして、人工臓器の発想はサイボーグから・・・・・・・

それはともかく、臓器移植の研究はいまなお進められてるわけだし、現在、移
植は行われています、これは一種の人間のフランケン化とはいえませんか。あ
るいはサイボーグ化と・・・・

言い方を変えると「勝ち目のない戦い」をどこで止めればいいのですか、とい
うよりも止められますか。もし、「生の執着」が「生」の本質ならば、

 死をあるがままのものとして受け入れられるように悟ってみたい藤治

   サイボーグになってみたいとも思う矛盾の藤治
      フランケンはいやだの藤治

#0048 sci1089  9010090932

 47番の藤治さん、
>私は臓器移植自体フランケンシュタインの発想からうまれたものではないかと
>勘繰っているのですが。
>そして、人工臓器の発想はサイボーグから・・・・・・・

 それは,逆ではないでしょうか?

 「臓器移植」というアイデアから「フランケンシュタイン」という小説が生まれ、
「人工臓器」というアイデアから「サイボーグ」というSFの小道具が生まれたの
です。
 どちらも、「現実」に有効な医療技術としての可能性が見えるようになったのは比較
的最近ですが、医療技術上の「アイデア」としては相当古くからあったはずです。

>言い方を変えると「勝ち目のない戦い」をどこで止めればいいのですか、とい
>うよりも止められますか。もし、「生の執着」が「生」の本質ならば、
 だから、移植のタイモング云々とは別の観点から、「脳死」問題が浮き上がって来る
のではないでしょうか?

 心臓という臓器だけに限れば、さまざまな技術の発達により、「脳死」後も長期間
動かし続けることが可能になるでしょう。
 心臓の筋肉に鼓動を続けさせる技術も進むでしょうし、そのポンプを利用して、心臓
に栄養を送り、老廃物を取り出すことも可能でしょう。
 肉体の他の部分や神経系とは切り離して、心臓だけを健常な器官と同様の状態でいつ
までも動かし続ける技術が確立されるのも、そう遠い未来ではないと思います。

 逆に、個々の器官だけを取れば他人のものや人工物で代用できるとしても、それらが
構成するネットワークを維持し、器官相互の協調関係を成り立たせて、人体の「正常
な」生の営みを可能にしているハードウエア(脳神経系)やソフトウエア(そこに蓄え
られ、利用される制御のための情報)がダメになったとしたら、生の営みを続けること
は、もはや不可能なはずです。
そのような状態の”1つの表現形”が、「脳死」ではないかと思います。

 しかし、逆に、この生来の”統合的調節、思考、行動制御システム”が健在なのに、
”生命の維持に必要不可欠だが、他人のものあるいは人工物で代替可能な””個々の”
器官の(病気あるいは怪我による)損傷が原因で「死」がもたらされるとしたら、それ
は「残念なこと」とは言えないでしょうか?
 このレベルまでの”フランケンシュタイン”化、”サイボーグ”化なら、容認されて
いいのではないでしょうか?

 もちろん、コンピューターを用いた人工的な制御システムの開発により、脳の一部に
代わって肉体の活動を維持する程度のことは、将来、可能になると思います。

 しかし、当分は不可能でしょう。
 だから、当分の間は、「脳死」すなわちこの「全肉体および精神の統合的な制御シス
テム」の不可逆的な停止をもって、「勝ち目のない戦い」の終わりと考えてもいいので
はないかと思いますし、そこまでは「戦い」を続けてもいいのではないかと思います。

 やがては、脳機能のすべてを代行し、人間の脳のすべての情報を脳から引き出して蓄
え、人間と同等に活用する人工知能も、そのうちに実現するかも知れません。
 そのシステムは、ある人の肉体の生の営みを維持し、その思考や行動のパターンを忠
実に再現することができるでしょう。
 その時には、果してその物体を「その人だ」と言えるのかどうか、人工的な制御シス
テムと人工知能が動かしているその肉体を指して、「”その人が”生きている」と言え
るかどうかという問題が、議論の対象となるでしょう。しかし、この議論については、
(SFにはしばしば登場しますが)現実に答えを出すのは我々の子孫に任せておけばい
いのではないでしょうか?

 いかがでしょうか?
                               マサ

#0049 sci2919  9010122101

 いわれてみれば、逆かもしれませんねぇ。
ギリシャ神話とか、魔術書あたりに移植の原点のようなものがでてるかもしれま
せんねぇ。もしそのような文献をご存じでしたら教えて下さい。

脳以外の器官を人工物に置き換えるところまでは大抵の人は認めてしまうでしょうね。
私自身もね。

しかし、脳が人格の全てならば、無脳児のような奇形児は人でなく単なる各器官の寄せ
集めに過ぎなくなります。
さすれば、脳を形成する部分の成長を止めるようにしておけば、人工受精等の技術によ
り生体の臓器は無制限に得られることになります。
極端な話、男なら自分の体とマッチングした卵子を選び出し、自分の精子と受精させて
無脳児を作り、自分の必要とする臓器を切りだすことができるようになることも可能に
なると思います。

移植医療がありふれた治療とならない前に生命倫理を議論して、限界を明示しない限り
研究が進められてゆくから、勝ち目のない戦いを止めることは無理と思います。

そもそも人間の好奇心は底無しだから、研究にヒューマニズムは期待出来ないし、得ら
れた知識を秘密にすることなど無理で、新しい知見が得られれば、当然生体で試したく
なるのが人間の性でしょう。

移植は生命倫理観を根底から覆すインパクトを持っているわけで、今までの生命倫理の
危機といってもいいと思うのですが。
脳を破壊しなければ殺人罪が適用されなかったりする時代が近かったりして。

      藤治

#0050 sci2919  9010152110

 移植された臓器の生着率を高める免疫抑制剤はいいことずくめのように思われますが
 気になるところがあります。

免疫抑制剤は体が持っている本来の免疫システムを弱めることになるから、場合によっ
て患者は感染症で亡くなる危険性を持っている。

確かに、臓器移植をしなければ、死んでしまうという事実があるのだけれども、
普通では死ぬことのない症状で死んでしまうような治療が認められのは、人は死が不確
定であれば納得できるということになるようです。

移植をしなければあと何年で死んでしまうという状況は受け入れられないが、いつ死ぬ
か分からなければ、普通では死なないような感染症で死んでも納得できるということ。

ということは、後何年しか生きられないと診断を下す医師がいなければ、移植にこだわ
ることなく死も受け入れられるようにも・・・・

また、免疫抑制剤のシクロスポリンの免疫抑制は、IL2を作るヘルパーT細胞の能力を
阻害することによって細胞障害性T細胞を不活性化するらしいのですが、この免疫抑制に
よる感染症は当然として癌に対する影響はどうかという疑問。

普通、免疫においてT細胞は癌細胞を認識できず、癌細胞に正常細胞にない抗原が発現し
ていれば、認識するらしい。

ところが、「内なる治癒力」スティーヴン・ロック+ダグラス・コリガン共著という
本には免疫力の違いによって癌の増大や縮小が起こる書いてあります。

本当のところ免疫と癌は関係があるのかわかりませんが、もし、あるのならば免疫抑制剤
を用いた臓器移植は癌をプロモートする可能性がある・・・・・・

         藤治