Fre00680 自然言語のコンピュータービギナー。

#0000 sci5243  9004140124

言語学に興味をお持ちの方(自然言語)、いらっしゃいませんか。
私は言語学をやっていて、そのやくにたたないかとコンピューターを買ったものです。
同様の方、色々お話ししませんか。私の専門はsyntaxです。

#0001 sci5243  9004140211

私はいわゆる自然言語のsyntaxを専攻しているもので、名にかの役にたてようとコンピ
ューターを買いました。ところが悲しいことに、わたしのPCはただの物覚えのいいワー
プロと化しているではないですか。どなたか私とおなじような専攻、趣味、仕事をお持
ちの方がいらっしゃいましたら、どのように使っているか、参考に差せてください。私
の専攻を少し詳しくいうと、コンピューターに詳しい方ならご存じだと思いますが、GB
又はPPと呼ばれているものです。
                                 月田ムーン

#0002 sci3818  9004160037

うーむ、GB,PPって何なのかなぁ? 自然言語処理に興味はあるんだけど
専門家じゃないからわからないなぁ。

        sci3818 nak

#0003 sci5243  9004160205

GBまたはPPとは、MITの言語学者Noam Chomskyによって30年ほど前から提唱されている自
然言語の理論です。(GBという名前になったのは10年ほど前のことですが)
人間の言語使用能力の根底に人類という種に共通な原理の体系を想定し、これを普遍文
法と呼び、そのシステムを探ろうとする試みです。PPというのは、Principles and Para
meterの略で、それぞれ、自然言語に共通の原理と個別言語に特有の変数をさしています
。たとえば、日本語環境に生まれた子供も、英語環境に生まれた子供も、同様の原理を
もって生まれてくるわけですが、言語獲得の段階で触れるデータによって、変数を調節
し、それぞれの個別言語の文法を創りだすといったことが大きな仮説になっているわけ
です。ここでいうParameterというのは、ワープロの初期設定に似たものといっていいか
も知れません。文法という用語は、学校で教わるものではなく、我々の頭のなかに入っ
ている知識を指しています。
                         月田moon

#0004 sci4920  9004192011

「変形生成文法」でしたっけ? 日本語では。
確かこれには批判もあったと思いますが,どのような批判が主にあるのか
教えてもらえませんか?

By Nori

#0005 sci5243  9004210419

批判はおおむね、言語能力が人間という種に固有の物であり、生まれたての子供の
脳にセットされたプログラムであるという生成文法の主張に対するものが多い用です。
   子供の驚異的な言語修得のスピードや、対象言語が何であろうとほぼ同一の期間で修
得が終わること、そしてある言語を母語とする話者は、まったく初めて聞く文に対する
直感を持っていて、それが同じ言語の話し手の間ではかなりの確率で一致すること、こ
れらの問題を説明するために、生まれながら人間に備わった記号処理装置としての言
語が想定されたのですが、「言語学習は習慣形成である」とする心理学者や、「言語活
動のような人間の恣意的活動は科学の対象にならない」とする哲学者達から激しい批判
がありました。また、「生まれつきの言語能力」が、進化論的にナンセンスだというの
もあります。
   どのような批判があれ、例えば、
1 太郎は彼の妹を殴った
2 彼は太郎の妹を殴った
   のような文で、1では太郎=彼であっても構わないが、2では太郎=彼が不可能になる
というようなことを我々は教わりもしないのに知っている訳ですが、このような現象を
説明するためには、情報処理システムとしての言語能力を想定するほかないと思われる
わけです。ちなみに、上の例を英語にしますと、3,4の様になりますが、
3. Taroo hit his sister.
4. He hit Taroo's sister.
   ここでも、3ではtaroo=his(he)が可能で、4では不可能になります。つまりこのよ
うな場合には、言語間の差異を超えたユニバーサルな原理が働いていると考えることも
(ことが)出来る訳です。

月田ムーン

#0006 sci3725  9004220032

ご案内があったので飛んで来ましたが、専門的な話の様で
私はお役に立ちそうにありまへん。ザンネン.....

                  tantan

#0007 sci5243  9004220230

とくに専門的なコーナーになってしまっても面白くないので、自然言語に関することな
ら何でも話しましょう。
                             月田ムーン

#0008 sci4920  9004262257

あまりアクセスされないのは,基調のタイトルと基調内容のせいかもしれません。
例えば,“「ことば」のはなし”とか別タイトルで再出発したほうが効果的だと
思います。
 
By Nori

#0009 sci4920  9004272246

「専門的」な話をクローズしてしまう前にもう二言(私は専門家ではありませんが)
書いておきたいので...
本の紹介です。
 
その1
 
5−1249にもupしましたが,次のような本が数カ月前に発売されました。
  JICC(ジック)出版局
  欠陥英和辞典の研究(別冊宝島 102)
  副島隆彦&Dictionary-Busters著
研究社の「ライトハウス英和辞典」と「新英和中辞典」を辛辣に批判したものです。
研究社からは裁判所に販売差し止め請求がされたようですが,どのように扱われたか
は知りません。
この本の中には,今日採用されている文法(特に生成文法)に対する,やはり辛辣な
批判が書かれており,機械翻訳見学の時の記述も「ダメ」だと書かれていました(何
がどうダメなのかは書いてありませんでした)。月田ムーンさん,もしかすると,あ
なたの今後に関わるかもしれませんので,販売差し止めになっておらず在庫があれば
お読みになってはいかがでしょうか。

その2

私たちは日本語の文法を知っているようで知らないのではないでしょうか?
インド・ヨーロッパ語族(が本当に存在しているかどうかは別として)に属さない日
本語を,彼らの文法を流用するなどで説明できるはずはないという意見に私は賛成で
す。では,日本人は日本語の文法をどのように構築すればいいのでしょうか。
  講談社学術文庫 43
  日本語はどういう言語か
  三浦つとむ 著
は,この問いに1つの答えを与えてくれます。4/23にNHK教育で午後11時から
放送された(東京でのスケジュールです)日本語についての話題では,明らかにこの
本から採られた解説がなされました。

By Nori

#0010 sci5243  9004290359

  「我々は、母国語の文法」を知っているのだろうか」という問いそのものはまさしく
考察に値するものだと思います。例えば我々はどうして自分達が目的語を動詞のの前に
置くのかを外国人に説明できないですし、日本語の動詞になぜ人称変化がないのかも「
知らない」訳です。しかしこれは、我々が日本語という記号の体系を操作できないとい
うことを意味するのではないのは言うまでもありません。自然言語という複雑な記号体
系をほぼその操作に留意することなく円滑に使用することを可能ならしめるシステムを
前提としないことには、言語の使用はまったく説明不可能になると思われます。
  ある言語の話者が当該の言語を「しっている」というのは、まさしくこのシステムを
脳内に収めているということと同義であるわけです。なんにしろ、知らない言葉は解か
らないわけですから、母国語を「しらない」というのは形容矛盾です。
  それから、良くいわれることですが、「日本語は特殊な言語である・日本語は難しい
・日本語の文法は外国語のそれとはまったく違うものだ」といった意見がありますが、
私はこれには反対です。語順からも、日本語は特殊なものではないですし、敬語も世界
の言語におおく観察される現象です。男性語、女性語にしたところで、むしろまったく
観察されない言語を挙げるのが困難です。
  「日本語特殊論」というのは、外国語コンプレックスの裏返しではないかとすら思わ
れます。むろん、日本語をベースにした言語論は必要で、国語学の成果は見過ごすこと
は出来ませんし、現代でも日本語は主語がないとした三上章などの研究は多大な影響を
与えました。しかしながら、現代の理論はこれらの成果をも取り込む方向に発展してい
ます。それは、興味の対象が個別言語ではなく、人間の言語である以上当然の帰結なの
です。日本語が自然言語である以上、一般的な自然言語の研究手段をもって研究される
ことになんらおかしなところはなく、それどころか日本語の研究成果がほかの自然言語
の研究に多大の影響を与えることもむろん考えられ、また実際に起こっていることでも
あります。これは、同じ枠組みで行なわれるからこそおこる事態であり、言語ごとにま
ったく異なった理論を用いていたのではありえないことです。
     月田ムーン

#0011 sci5243  9004291653

NORIさん。「欠陥英和辞書の研究」についてはもっと言っておくべきことがありますの
で目を通していただければ幸いです。  
  この本は、学問的な意味ではまったく話題になりませんでした。出版されてしばらく
は生臭い話題にはなっていたようですが。専門を同じくする友人に内容を話すと、爆笑
されたことがあります。私は読んだことが恥ずかしいようなものでした。
  著者がどのような人かは無論知りませんが、相当のペテン師であることは確かでしょ
う。たいしたものです。以前本多勝一さんが著書の中で文体について触れておられたと
き、文末にはちゃんと参考文献が挙げられ、Chomskyの著作もはいっていたことがありま
す。本文の中での引用は、必ずしも完全に正確とはいいがたいと言う人もいるかもしれ
ませんが、それでも基本的なことはおさえてありました。
  なぜこんな話を持ち出したかと言うと、ちゃんと読んでさえいれば(つまり参考文献
として挙げられるほどに読んでいればということです。これは執筆者としての自分を追
い詰めることでもあります。逃げが効かなくなるのですから)「欠陥・・・」の著者が
しているような誤解、曲解はありえないことを言いたいからです。
  あのようないい加減な本が話題になるのは、「日本人とユダヤ人」以来ではないでし
ょうか。
  NORIさんがあの本のどこかに感心されたのであれば、それがどこか教えて下さい。ま
た、「具体的にはどこが誤解、曲解なのだ」というような質問があれば出来るかぎり誠
実にお答えします。
                       ムーン

#0012 sci5243  9004291659

  「欠陥英和辞書の研究」については、私は呆れてしまったとしか言えません。どこに
呆れたのかと言っていくときりがないのですが、具体的に一例を挙げますと、著者は、
「現在の言語学には変形文法、談話文法などと並んで、格文法があり、私は今のところ
これに注目している」という主旨のことを述べていましたが、現在格文法と言うものは
学派または理論として存在しておりません。C.Fillmoreが提唱したこの理論は、生成文
法の提唱者N.Chomskyが中心となって研究が進んでいるGBに吸収されたかたちになって
は残っていますが。ですから、「格文法」そのものに注目していると言う言葉は、少な
くともChomsky理論を批判しているひとのものとしては異常としか思えず、確言はでき
ないものの、無知から来る誤解、もっとはっきり言えば、ただの知ったかぶりとしか思
えないのです。いやしくもなんらかの学説をああまでの激しい言葉で批判するのであれ
ば、それなりの反証の材料となるべき資料を提出すべきだと思われますが、私はあの本
から何一つ筋道だった反論を読み取ることが出来ませんでした。はじめから正当な反論
を目指して書かれたものではないと判断するほかありません。
  なお格文法は、独立の理論としては70年代に研究されなくなっています。

#0013 sci4920  9005021941

ムーンさんへ,

プロフィールを読んでいただくとわかりますが,私は言語学を専門とはしてお
りません。ただ,「言語」そのものが(特に音声学として)好きなのです。

ときどき読む「翻訳の世界」などに出てくる変形生成文法なるものに興味はも
っていますが,現状ではこれを勉強するとか,詳しく調べるような時間的余裕
がありません(プライオリティーが低い)。

たまたま「欠陥・・・」を読むことができたので,生成文法に対して「こんな
批判もあるんだ」と思った次第です。そこへ,あなたが基調発言をしていたた
めに「渡りに船」と(たとえは悪いですが)発言してみました。

真摯な回答をありがとうございます。関連11の最後に書いて下さったような誤
解・曲解のポイントを訪ねたいところなのですが,いま手元に「欠陥・・・」
がありません(自宅からアクセスしていないので)。また後日うかがいたいと
思います。

By ゴールデンウィーク明けまでアクセスできない Nori

#0014 sci1089  9005140218

 月田さんの書き込み興味深く拝見しました。

私は言語学についてはまったくの素人ですので、「欠陥〜」の言語学的な部分について
は、専門家である月田さんの言葉に反論することはできません。

 で、「欠陥〜」の前半、p.41〜p.160までの内容についてお伺いしたいので
すが、これは、予備校教師である著者が、その教育対象である高校生に生きた英語を教
えるという立場に立って書かれています。
 その内容には、確かにうなづける部分も多少はあるのですかが、大部分は生きた英語
にほとんど触れていない私達にとっては、判断のつきかねるものの方が多いのが現状で
す。そのあたりは、いかがお考えでしょうか?
 「このような形で辞書を批判することが間違いなのだ」という意見もあるでしょう
が、批判の対象とされている辞書の利用者層と彼らの「一般的な」使いかたを考える
とき、著者らの立場は、決して無視すべきものではないと思います。あとはその内容
が「一理ある」のか「単なる言いがかり」なのかです。
 もう1つ、内容が「一理ある」ものであるとして、あの本のような形で取り上げる
ことが適切かどうかという問題もありますが、それはまた別問題だと思いますので。

−−−

 もう1つ、あくまで科学史的な見方からの質問で、学問の内容とは無関係ですが、
「格文法」について

>C.Fillmoreが提唱したこの理論は、生成文法の提唱者N.Chomskyが中心となって研究
>が進んでいるGBに吸収されたかたちになっては残っていますが。

という部分で、GBに吸収する作業を行ったのは、格文法を提唱したFillmoreおよびその
一派の作業なのでしょうか、それともChomskyおよびその一派の作業なのでしょうか?
後者の場合、Fillmoreおよびその一派は、Chomsky一派の作業に対してどのような学問
上の評価をしているのでしょうか?
 そして後者の場合、

>なお格文法は、独立の理論としては70年代に研究されなくなっています。

というのは、Fillmore一派が後継者を得られなかったということではないでしょうか?

 「格文法はGBに吸収された」という主張がChomsky一派の主張である限り、それが
たとえ現在学会の主流であるとしても、それを認めない立場はあってもおかしくない
わけです。(もちろん、その立場を認めさせるには、「それなりの反証を挙げなくて
はいけない」という月田さんの言葉通りの作業が必要でしょうが)

 要するに、

>ですから、「格文法」そのものに注目していると言う言葉は、少なくともChomsky理
>論を批判しているひとのものとしては異常としか思えず、

という言葉を”私が”額面通りに受け取るには、Chomsky一派とFillmore一派の関係が
どのようなものだったのかがはっきりする必要があるように思うということです。

 いろいろ書きましたが、問題の部分は、別に学界の現状を紹介しようとしているので
はなく、単に著者の意見を述べているわけですから、それがどうであろうと(著者が気
違いであっても無知であっても)、私にはどうでもいいことです。「彼はそう思ってい
るのか」だけですから。
 1000円そこそこの本ですから、1つでも、トータルで1ページでも、他の本には
ない、自分のためになる記述があれば、金を投じた甲斐があった思うようにしていま
す。「欠陥〜」の場合、その点(前半部)で自分では判断できないところがあって、
????????という状況が今も続いているのです。
        マサ

#0015 sci5243  9005180235

  マサさん。こういう言い方は失礼極まりないものだと思いますが、嬉しいとしか言い
ようがありません。待っていたものが来たという気持ちです。書き込み有難うございま
した。
  さっそく本論に入ります。
  おっしゃっるとおり、現代の事情に即した辞書は必要です。それぞれの専門、それぞ
れの学習内容、その他諸々の需要に合った辞書は無しにはすまないと思います。この需
要に合わせた辞書は日々作られてもいます。おそらく供給が需要に追い付かない現状で
あることは容易に想像がつきますが。
  「欠陥・・・」での批判はそれを念頭においたものだったのでしょうか。著者の論点
は、前にも書きましたとおり、とにかく会話偏重的ではなかったでしょうか。会話を基
準としたチェックはそういう主旨で書かれた辞書にたいして行なえばいいのではないで
しょうか。また、教育の現場で、ある辞書が不適であると思うなら、使わせなければい
いだけのことでしょう。
   Fillmoreは、Chomskyに対して、自分の理論のつかえるところだけを取っていった、
ぐらいのことは思っていても仕方がないと思います。実際、Chomskyは、論的の説を叩い
ておいて、おいしいところを持っていくようなやりかたをしていると見る向きもありま
す。確かにこれはある理論の「発案者」は誰かを考えるときに興味深い話であると思い
ます。
  「欠陥・・・」での言及は、「現在の英語文法学には次の5つがある」として、その
なかで触れている訳でありやはりおかしいとしかいえません。「私はこの理論を興味深
く注目しているが」という言葉は、マサさんがおっしゃるような意味だとはとれないの
ではないでしょうか。これはやはり、現在生きて動いている対象について使われる言い
方でしょう。
   Fillmoreは現在格文法ではなく、Construction Grammarという方法を発展させていま
す。名前だけではなく、方法論自体も様変わりしたもののようです。
   蛇足になりますが、副島氏が「あーあ、これじゃ全然ダメだよ」と思ったという機械
翻訳では、格文法を重宝していたそうです。
   ご質問にありました教育については、私は何も言えません。言えるとしたら、学部時
代に中高生に塾で教えた経験から、教育は実行の問題であり、教師がするべき最大のこ
とは知的刺激を与え、動機づけをおこなうことだ、ということです。ですから、副島氏
の教育論も、現場を見ないとなんとも言えない、という消極的な感想しかもてませんで
した。
                                   ムーン

#0016 sci4109  9005250228

   ここで良いのかどうかわかりませんが、どなたかがNHK教育の日本語のシリー
  ズに触れていたのを思い出しながら書いているのです。

   言語というものとは別でしょうが、意味を橋渡しする辞書というものがあっても
  良いのではないでしょうか。論理的な比較による差を辞書にする方法が解りやすく
  て、ページも少なくて済むのではないかと思うのです。という意味は、以下のよう
  なことです。

   先の日本語番組で例にあがった「鳴る」と「鳴く」(両方とも同じ漢字でいいの
  かな?)についてですが、次のような説明がありました。
   日本語では生き物には「なく」が対応して無生物には「なる」が対応するという
  明快な切り方でした。『腹の虫がなく』『腹がなる』と言う例は、応用問題として
  出てきました。なるほど、例外はほとんどないのです。
   さて、ここまでが日本語ですね。これと対比して英語の場合は、何が鳴るか(又
  は鳴くか)によってすべて単語が変わるので、特定しないで単に鳴く単に鳴るとい
  うのはあまり一般的ではないというのです。
   それだけ、敏感なので語句が豊富というか、日本人が単に「魚をください」と普
  通には使わないようなものですね。「鯖」のなかにはもう魚が入っている訳ですね。

   しかし、そういうことを知らないで(この事だけではなくね)学習するのは非常
  に回り道と言う感じがするのです。たとえば、「唇」や「足」の定義は部位的に違
  いますから、文字で書いてくれてもいつまで経っても解らない訳ですね。
   英語の同意味語について、日本語と論理的に比較して、どういう部分がどの語と
  含む関係なのか、含まない部分はどこなのかが分かるようにしてもらいたい。とお
  もうのですが、こういう辞典がありませんか?

   もちろん、こういう論理的な(含む含まれるの関係で)説明が通用しないものが
  多いでしょうし、こういう説明が分りにくい人も多いでしょうが、私には分かりや
  すいし応用が効くと思うので、こういう風に考えてしまうのです。

   これと関連して、コンピューターの研究で「子供に作文を書かせて、それをコン
  ピューターに理解させて、漫画にして表示させて、その理解度を誇示する」という
  のを見たことがあります。この事は、またのときがあればその時にします・・・・

  ・ ・ ・ K I D O U T

#0017 sci4920  9005252004

NHKについて書いたのは私です(本当は,引用されたと思われる本の紹介
だったのですが)。
 
KIDOUTさんのように考えるのは至極もっともな面があります。どこで読んだ
のか忘れましたが,「犬」という日本語には「サツの犬」のような対立する
勢力に従っている人間(とは書いてありませんでしたが)のような意味を含
んでいるが,英語にはそのような意味はない,として集合でいうベン図が書
いてあったのを思いだしながらその本を読みました。「言語が違うとかなり
基本的だと思う単語の意味合いも違うんだ」と感じ,「本当のバイリンガル
(が存在するとして)は2つの言語のこんな意味合いの違いを把握している
んだ」と思い,「こんな風な意味合いの違いを図示してくれるものがあった
ら便利かもしれない」とは考えた私ですが,それ以来そんなものがあるのか
どうかは考えていませんでした。
 
そのような図書(ずしょ(^_^))があるのか,うまく作れるのかどうか,存在
は知らないし,作るための具体的なアイディアは私には浮かびません。
 
ただ,こんな図書にするとページ数はかえって増えてしまうようですね。
 
By Nori

#0018 sci4920  9005261632

>KIDOUTさん,
 
辞書に関しての色々な話はこの雑誌にも書いてありました。
 
翻訳の世界(バベル・プレス刊) 1990年4月号 \700(税込)
特集 辞書情報源 ジャンル別必携辞書・資料
         座談会・辞書の戦略,辞書の未来
         辞書の最新形態を探る
 
しばらく前に買ったのですが,読んでいる時間がなくて...(^。^;)
(やっと読み始めたんだよー)
 
By Nori

#0019 sci4109  9005280035

  >Noriさん

   あまり高くないので、その本、私も読んでみたいと思います。

   ページ数はかえって増えてしまう・・・・か、そうですね。基本単語だけでもこうい
  う形態だと良いと思うんです。基本5,000語とかね。それから派生する語を含
  めるとかなりの単語は類推が効くでしょう(???)。

   今のような文字を文字で説明するには、既にその言語支配下にあることがどうし
  ても必要ですね。基本単語が自己同着することから見ても明らかです。
   外国語の場合、基本単語が他の言語と意味の内包関係に異差が無いときにかぎっ
  て辞書は有効といえると思うのです。つまり今の英語の場合は不適だと結論される
  と・・・・。

   話を少し展開してみます。同じ様な状況で、たとえば、ミクロの問題として、方
  言の基本単語を考えてみます。極一部の単語で、同じ様な状況が現われても当然だ。
  しかし、同類の言語圏に属する場合はあまり問題にはなりませんが、既にその言語
  支配下にあることが重要なんだと言うのは確からしい。
   そして、もう少し先に行くと、バイリンガルにも良い面わるい面があり、基準の
  言語座標軸がないとダメなんだということが分かるのではないでしょうか。
   同類言語下にない外国語の教育は、自国語が確立する時期のあとにしないとダメ
  だということかも知れません。このことは良く分かりませんが。

   電子の時代になってMacなどで動く、電子和英英和辞典があったとして、その
  場合でも今の辞書がそのまま移行されるなら、無策だと思うのですが・・・・その前に
  自動翻訳が動きだすかな? 良い時代ですね、これからは・・・・本当だろうか(???)。

   辞書の編纂に携わっている方が居られて、気分を害したら、私は残念だと思う。
 ちょっと不愉快なところがあったら御免なさい・・・・ね。

  ・ ・ ・ K I D O U T

#0020 sci5243  9005290122

久しぶりに見ると興味深いお話しが展開されてて驚きです。コーナー名を変えて
「辞書と意味」について話しませんか。言語間の語義の差異についての話は面白
いと思います。
                             ムーン

#0021 sci1089  9006140948

rep:15 ムーンさん
 丁寧なレスポンスをありがとうございます。

「辞書と意味」について話しませんか。という魅力的な提案に竿さすようで申し訳ない
のですが、この件はこれで終わりにしたいと思っていますので、ご勘弁下さい。

 「会話偏重」かどうかを判断するだけの力量は私にはありませんが、少なくとも
訂正後の文がいわゆるColloquialな会話調のくだけた表現が大多数という印象はありま
せんでした。私の英語力では、副島氏の指摘を「とにかく会話偏重的ではなかったで
しょうか。」と言われても、いま一つ納得できないのです。が、これはムーンさんの
専門分野のことですので、ムーンさんを信じることにします。
 ただ、印象に残っているのは、「(何だったか英語の古典では用いられて
いるが、近代以降)現在では書く英語としては用いられない」(カッコ内は引用でらあ
りません、申し訳ありませんが言葉はでたらめです)という指摘のある文章があっ
たことです。(これは1つだけですので、これだけで全体を判断する気はありません
が)

 「欠陥・・・」での批判について。
 2つの英和辞典については、その大多数の利用者が、将来、会話や実務などで英語を
必要とする可能性は大きいが、英語学や英文学を専門とすることはないであろう高校生
であること、その用途は、教科学習用であり、大学入試対策であると位置づけるべきで
はないかと思います。
 学習となると、「高校で教えるべき英語とは」ということが論点になります。
 英語のレベルとしては、思い付きですが、
  会話レベル:日常会話、私用の手紙など
  実務レベル:公用の手紙、取引、その他ビジネス関連
  文化レベル:小説、評論、解説書、案内書など
  学術レベル:各学問分野の専門雑誌、学術雑誌、教科書、論文など
  英語学、英文学レベル:英文学、英語学の専門家間で使われる英語
に分けられるのではないでしょうか?
 このどのレベルをどの程度重視するかが、教育上の問題点だと思います。
 ただ、英語の「需要」からいえば、2、30年前は「文化、学術レベル」が中心であ
ったのに対して、それ以後「会話、実務レベル」の「需要」が急増してきているのが現
状ではないでしょうか?この現状に、高校の英語教育環境は十分対応できているので
しょうか?というより、どう対応すべきかが問題なのかも知れません。
 おそらく英語教科書(辞書)の編著者と副島氏とでは、この点についても意見が対立
するであろうことは十分に予想されます。
 大学入試対策となると、出題者がどちらかといえば辞書編さん者と近く、副島氏の言
う「使われない英語」が往往にして出題されることを考えれば、「副島氏の方が分が悪
い」という見方も成り立つでしょう。
 いずれにしろ、根底には、「2冊の本の主たる読者である高校生への英語教育はどう
あるべきか」という問題があると思いますが。

 「格文法」の現在の学会での位置づけについては、あなたの書き込みを信ずるしかあ
りません。
 副島氏が「注目している」というのは、受験生に文型の分類をわかりやすく教える上
でのよりどころとして、今でも「存在」している「格文法」(もはや研究はされていな
いのでしょうが、過去に公表された以上、「消滅」することはないわけです。)を、置
きたいということではないかと推察しています(題名は忘れましたが、副島氏の書いた
別冊宝島の「道具としての英語」シリーズの1冊から受けている印象です)。英語学の
専門家には当然理解できない論点でしょうし、そもそも表現不適切の批判は免れませ
ん。彼の行為の善し悪しについては、彼の教え子がどうなったかを見るしかありません
が。
 いずれにしろ、副島氏は、英語学界とは無縁の人間であり、何冊かの古い専門書を読
んで多少勉強はしているかも知れないが、英語学(文法論?)の研究の現状については
ほとんど知らない門外漢である、ということでしょう。

 終わりに、
 副島氏の勧める英語へのアプローチ法(吉野、副島「道具としての英語・やり直し
編」)は、吉野富士雄氏の勧める方法が私には大変参考になるものであったのに対し
て、私には賛成出来かねる部分が多々ありました。
 この本以後、なぜ吉野氏ではなく、副島氏にこのシリーズを主として担当させている
のか、正直言って、JICCの編集部の方針を私は理解しかねています。
        マサ
 余談ですが、「彼は専門家ではない」(従ってその書いた内容に取り上げるべきもの
は何一つあるはずがない)式の尊大な態度での批判を専門家(ムーンさんではありませ
んよ)から聞かされるのは、「いい加減にしてくれ」と言いたくなります。本当に専門
家なら、素人が納得できる形で逐一問題点を指摘できるはずであり、それをやって初め
て、「その内容に取り上げるべきものは何一つない」という主張が説得力をもつのです
が。

#0022 sci1089  9006140949

 Noriさんの「犬」と似たような話ですが、他ネットで話題になったことです。

"responsibility" = 責任

"responsible" = 責任がある

といった刷り込みが強すぎると、

"His effort is responsible for the success."

のような文の"responsible"の意味が取れなくなるようです。
   マサ
 あるいは、
 いまだに、"limit"と"restrict"のニュアンスの違いがわからない...
どちらも「制限する」でだいたい通るので、和訳の時はいいのですが、英語にしようと
すると困ってしまいます。