Fre00326 戦争を知らない子供達?

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 「戦争を知らない子供達」という言葉がかなり昔から使い古されてきている。
しかし良く考えてみよう、この場合の「戦争を知らない」という言葉はたん
に日本がおこなった侵略戦争に直接、間接にせよ被害者、加害者ではないと
いうだけではないか。
現在でもいたるところで戦争があるという事実をみじかに引きつけて考える
ことは戦争体験と言ってもいいとおもう。現に日本人、いや世界中の人々は
戦争体験をしていると。
「戦争を知らない子供達」と若い世代を規定する人達は、自らの戦争責任を
ほごにしたうえ、若い世代をそう規定することによって若い世代の関心のほ
こさきを変えることで事実を隠蔽し、自らを隔離しているのではないか。
 2年前の沖縄、読谷高校卒業式で1人の女子高校生が式場に飾られた日の
丸を引き下した事件があるが、私はその時のテレビ報道を見ていて女子高生
がなぜそれほどの行動にでたか少し疑問が残っていた。沖縄の歴史的背景に
ついての一般的知識は持っていたつもりだが、それにしても彼女には戦後4
3年間のという時間は(沖縄から見れば43年ではないが)どのような意味
があったのか理解できないままだった。そこで去年少し時間ができたので2
ケ月沖縄いってみたのだが、一言で言うならば沖縄では戦争がいつ終わった
か、私にはまだ続いているように思える。それというのは今でも大戦当時の
犠牲者の亡骸がそのままあるということで。それだけで当時の戦闘の大きさ
がわるが、復帰後の拡大して行く経済体制の中でこの多数の犠牲者の亡骸が
なぜ当時のままであるのか、たとえば、「ひめゆりの塔」、「健児の塔」な
どがある南部戦績公園には、全国都道府県が別々に塔を立ているが、それら
は大きな墓石にしか見えないのは、これらの都道府県による”塔”が売名行
為にほかならないことで、すべての犠牲者のために立てられた「鎮魂の塔」
が物語っていたことでしょう。
さらに南部戦績公園より中南部のさとうきび畑の中を2キロぐらい歩くと背
のたかいさとうきびの間に「白梅学徒看護隊の壕」がある。南部戦績公園の
立派な塔と違い、塔は木製で字もやっと読める程度で、その一角は土が盛り
上げられ小高い丘のようになっており。その下には、南下してきた米軍の侵
略に抵抗し続けた多数の亡骸が眠っている。その塔は観光ル−トから外れ人
知れずたっているが、私には新たな侵略者の売名行為に利用されないことを
喜んでいるかのようにもかんじた。
まさに侵略者によって虐殺された人達の上に、新たな侵略者が土を被せ事実
を隠蔽してしまうような行為を見逃し続けている現状ではないかとおもう。
 話がそれたがその女子高生の環境について考えると、読谷高校がある読谷
村というところは、チビチリガマという所があり、そこでは米軍の上陸を知
り、生きることを断念した村民が集団自決をしたところで、その事実は村民
の誰もが口をつぐんでいて今からたった6年前にわっかたところです。本土
での6年前と言えば、戦後の復興がとうにおっわているころで、田中金脈政
治に多くの人が失望し、戦後のすべての総選挙でも過去最低の得票率を得て
いたころです。卒業当時18歳だった彼女が12歳の頃です、しかも彼女は
物心つくころからその事実を認識していました。そのような彼女がなやみ、
考え行動した結果です。そのような彼女が果たして「戦争を知らない子供達」
なのでしょうか。彼女もまさしく侵略による被害者でしょう。
 まさに戦争体験と言われれば、自分の視点をどこにあるのかどのような立
場からの視点なのかを明確にしておき、戦争の起こりえる侵略の構造の事実
を認識することによって本人は戦争に対し責任さえも持ちえるのではないで
しょうか。