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#0000 匿名     8810142226


 【天皇裕仁は戦争犯罪者でしょう】
 
天皇裕仁が「癌」の末期症状で重体の現在、このことに関する日本の報道や
行政府の対応は、ナチスに苦しんだヨーロッパ諸国や日本の侵略に苦しんだ
東南アジア諸国に”天皇裕仁を戦犯として糾弾する”多くの反応を引き起こ
している。これらの事実は日本の国民には多くは知らされていないし、議論
も少ないが、再度「日本」を世界の孤児としない為には天皇裕仁の報道以上
に重要な問題として報道され論議される必要がある。

            やはり匿名にしました。




#0001 sci1044  8810142301


同感!
やっぱり、戦争責任について回避して天皇のことは語れないでしょ!
こういう時こそ、「中立」「不偏不党」の報道姿勢を貫いてほしい。
以前の、天皇主義者になったような報道ぶりにはホトホト呆れました。
最近は落ち着いてきましたが・・・
オンライン書込で失礼しました
                                      「誤り人」




#0002 sci1009  8810151020


責任って言うと、どうやって責任を取るかってことですね。
これはむつかしい。




#0003 sci1403  8810152331


「ほのぼのおとうさん」考

 「鬼婆」という言葉はあっても、「おに爺」という言葉は聞かないでしょう。
「意地悪婆さん」というのもありますね。「意地悪爺さん」というのは聞いたこ
とがありません。罵る場合には、これはあるかもしれませんが、
一般的には、男はじいさまになると、「好々爺」になるでしょう。
 言葉がある、ということは、その言葉が表わす実態がある、ということです。
どこの国の言葉にも、「へをこく」にあたる言葉があるはずです。
この言葉がない社会では、「へをこく」ことはないのです。
 どうして男は「好々爺」になって、女は「鬼婆」になるのでしょうか?
私は、これは、じいさん、ばあさんになるまでおかれていた社会的な状況の反映
なのだと考えるのです。
 最近は、女性が強くなって、男性も年と共にストレスがたまるのか、
自動車の運転者では、他車を前へ入れようとしないとか、
バイクの進路をふさいで通さないとか、意地悪じいさんのほうが、意地悪あんち
ゃんや意地悪おっちゃんより多い(ような気がする)。
 終戦までに成人になった男は、軍隊で痛めつけられ、
他国(とは限らないらしいが)で殺人をしなくてはならなかった。
けれども、殆どの兵隊が強姦をして、もっと弱いものを痛めつけて復員したのも
事実らしい。家へ帰れば「ほのぼのおとうさん」でいられるだろう。
強いものは弱い者を、弱いものはもっと弱いものを、いじめの連鎖の
末端にあった家庭の女は、婆になって鬼婆となる。
 「ほのぼのおとうさん」はうさんくさい。「好々爺」はもっとうさんくさい。
外で苦しいおもいをするだろうが、もっと弱いものを痛めつけて、
家では絶対者として君臨する。これなら年をとって「好々爺」になってあたりま
えだ。家父長に擬せられる人が現在「好々爺」であることはあたりまえなのだ。

問題は[過去]にある。
                鬼婆の会会長    




#0004 sci1611  8810171303


テレビでやってる
あの速報は、いつまで続くのでしょうか?




#0005 sci1089  8810232134


戦争責任(いわゆるA級戦犯)は、ファシズムの遂行に指導的役割を果たした人達の
責任を問うもので、東京裁判等はこれを罰するための裁判であったと解釈して
います。確かに、天皇は、「日本のファシスト達が神棚に祭り上げた」ことは
事実ですが、現実に「指導者」であったと言えるのでしょうか?
 同じ「元首」であっても、ヒットラーやムッソリーニとは立場が違うのでは
ないかと思います。
 もちろん、全(?)国民が敬愛していたという現実を認識した上で、しかる
べき行動を取らなかった責任はあるとおもいます。(これを戦争責任とはよべ
ないでしょうが)
が、もし天皇がこれを行おうとしていれば、おそらく当時の軍部は天皇を殺す
か幽閉するかしてでも、「天皇の名のもとに」戦争を遂行したことでしょう。
Martha




#0006 sci1403  8810240222


「大日本帝国皇帝」はただのかざりだったのでしょうか?
厳しく物事を分けて考える態度に好感を持ちますが、
3代目「皇帝」は決定権も持たないおかざりだったのでしょうか?
なぜ戦争は「玉音放送」でおわったのでしょう?
1945年2月に、忠臣のいうことを聞いて、決断していたら
沖縄戦も、江東の焼け野原も、広島、長崎もなかったのです。
「外国」の悲惨はこの時には、もうどうしようもないですが、
「国内」の悲惨はさけられたのです。
「連合国は国体の変革をいっているそうではないか。
もう少し戦果をあげてからで遅くはない。」という言葉が記録されている。
「アジア」を支配しようとする「皇帝」が、飾りだったのか。
不思議でたまらない。




#0007 reader   8810240336


良くわからない事:
  戦犯(戦争犯罪人)というのは、何をした人の事なんだろう?
まさか、戦争に勝ったか、負けたかで変わるものでは無いですよね?
せめて、最小限、人類の名において定義されるものなんだろうな、きっと。
まさか、戦争に勝ったか、負けたかで変わるものではないんでしょうね?
せめて、最小限、人類の名において定義されているんでしょうね?
戦後の「処理」で、戦犯と言われた人々や、天皇が戦犯かどうか、
私にはよくわからない。(これは決して、修辞疑問文では、有りません)
  すこし、論理展開が飛躍しますが、「知ろうとしない事」、それゆえに
「無知であること」は、罪だと思うんです。だからこそ、僕自身としては
前の戦争に関する「日本」という国家の為した行為に、当時、影も形も
無かった僕自身にも、責任を感じるんです。 誰かをスケ−プゴ−ト
にしても、戦争という気分の悪さは片づかないような気がします。
いま、現天皇の健康状態と関連して突然の盛り上がりを見せている
一連の議論は、天皇という一個人あるいは一機関に留まるべき物では
無くて、戦争が本当に困った物なのか、だとしたら、何故なのか、起きない
ためには、不特定多数の主体の中で、自分が何を為すべきで、何を為し得て、
いま、何が為されているか.. という議論に転回されていかなければ、
僕にとっては、神経だけが傷む物..そんな気がしています。
  何故、戦争はいけないのか? そこまで戻って、果して僕たちに
共通の基盤は有るのでしょうか? ファッションで何事かを議論しない
限り、日本が世界の孤児になる事は心配しないでいいんじゃないですか?
今回の議論の盛り上がりが、誰にとっても一過性の物では無いことを
切に希望します。(という態度は、ひどいかな)
                          掃除機




#0008 匿名     8810242033


 戦争に負けたから、戦犯でしょう。  戦争に勝って未だがって裁かれた人
がいるのでしょうか。  残念ながら、私は聞いたことが無いですな。
 人類の名前で、何を裁こうとするのですか? 自由の名前のもとで、どれだけ
多くの血が流された事でしょう。  平和を守る為に、どれだけ多くの戦いが起
きたことでしょう。  どんなに飾ってみたところで、人を裁く行為は権力者の
行為以外の何者でもないと思いますが。
 「知ろうとしない事」、それゆえに「無知であること」は、罪である。と考え
て責任を感じているそうですが、ただ感じているだけでは、それが何になるので
すか。 「誠に遺憾に思います」で済ませて終りではないでしょうか。
 言葉だけなら、なんとでも言えます。 約束だけなら、幾らでもすることが出来
るでしょう。
                          由比峨




#0009 reader   8810260217


 で?
                        掃除機




#0010 sci1003  8810260310


あー,思うのですが,Marthaさんのおっしゃる「東京裁判で裁かれた戦争責任」と
いうのは,由比峨さんも指摘されている,「戦争に負けたから,戦犯」的なもので
あって,いくさに勝った側から見た「責任」でしょう.
それに対して,sci1403 さんの追求したい「戦争責任」とは,戦争を長引かせ,い
たずらに多くの犠牲者を出したにも関わらず,それを謝罪しないのはけしからん,
誰のせいでこんな目にあったんだ,という私たちの側から文句をいいたい「責任」
だと思います.
ですから,sci1403 さんの「天皇に責任はないのか」という問いかけに,東京裁判
の話で返答するというのは,議論がかみ合わなくなるだけのような気がします.
掃除機さんなんて,どっちの話なんだか,自分自身でわからなくなっているのでは
ありませんか.それに加えて,いくさに勝ったから負けたからに関係ない,戦争の
根本の原因みたいなものまで,視野に入れようとしている.それでは考えをまとめ
るのもたいへんです.
で,私自身は,sci1403 さんの提起された問題のほうを,まずしばらく勉強してみ
ます.これって,自分は被害者だったのか,ということですから,比較的考えやす
い問題なんですよね.
由比峨さんもおっしゃるとおり,考えているだけ,感じているだけではなんにもな
りませんが,こうやってネットに書き込みをするのも,ささやかながら,ひとつの
行動だと思って,あまり悲観的にならないことにします.
そろそろ貧困なる精神から脱却しようかなと思わなくもない RUKAS




#0011 匿名     8810262120


で?
???
お先にどうぞ。      由比峨




#0012 sci1403  8810272311


私が書きたかったことです。
内容の詳細については不足していることは、明らかなのですが、
論旨はその通りで、「戦犯」の責任ではなく、
「政治責任」について、むきになっていたのです。
ありがとうございます。




#0013 sci1089  8810290339


 sci1403さんへ。
そうですか。裕仁も、アジアの王を夢みていたのでしょうか。
 それにしても、1945年2月に「アジアで戦果が上げられる」と思って
いたとは。天皇の情報収集能力とはその程度のものだったのでしょうか?
やはり「かいらい」ですね。
 あなたからの情報提供に期待しています。
 裕仁が敗戦にあたって負うべきであった責任については、よそのネットに
少し書いたのですが、あなたの視点に付いては、私はあまり考えたことが
ありませんでしたし、情報もありませんので。
Martha




#0014 sci1403  8810290907


Marthaさんへ
どうも「天皇」問題に深入りしたようですが、書きっ放しではいけませんよね。
「科学」志向の態度、姿勢の問題だと思うのです。
これまでに読みためたものの総合でして、プロではありません。
だから、「そんな程度の情報収集力しかなかったではないか」と言われると
「そうかもしれない」とも思うのです。
1945年2月の件は、近衛文麿の日記に書かれたものです。
何で読んだかを忘れてしまったので、図書館の検索で調べて下さい。
近衛文麿という人は、天皇陛下と面談して、進言することができた高位の重臣です。
この人は、菊のカーテンの内側にいながら、的確な情勢判断をしていて、
この時点で「先が見えている。もうやめにしたら?」という意味の進言をした、
ただ一人の人(の筈)です。
これに対しての答えがさきの言葉で、ほぼ原文通りです。
強烈な印象として頭にのこったのです。
「今上天皇」(きんじょう天皇といいます。ATOK辞書にもあります。裕仁 これも
あった。ああびっくりした。裕仁とよびすてたらバチがあたりますよ。)は
これをしりぞけ、陸相(私が読んだものはみなこう書いてあった)を首相にすえて
戦争をつずけせたのです。「天皇陛下」が任命したのです。
この内閣は「天皇陛下」の意志の具体的な「実行機関」です。おわすれなく。
議会も「天皇陛下」が召集して耳をかすのであって、
勝手に議論したわけではありません。
勝手に勢力争いをして陸相が首相になったのではありません。
というわけで、「今上天皇」は決して「情報不足」で、「神棚に置かれていた」
のではないのです。
「軍部」というのものが裁決して、「天皇陛下」は「御名御璽」のはんこを押す
だけの「会長」職であったという根拠を聴きたい。まだ聴いたことがないのです。
「天皇陛下」を「ないがしろ」にすることができた高位高官がいたのならば、
その人の名前を教えて下さい。私はまだしらないのです。
「人類の平和に対する犯罪」という大きな命題を議論する以前に、
歴史を書き替えることができる「最高権力者」であったことを先ず認識し、
その上で、とてつもなく大きな「失政」であったことを認識しなければならない
と考えます。
**********************
話はかわって、MIFES98で作成したテキストをまいとーくでアップロード
すると、行間に空白行が入って、ながったらしくなります。
どうすれば空白行がなくなるのしょう。どなたかアドバイスしていただけませんか。
TURBO Cで、長いテキストをちょんぎって、改行させるプログラムを作って
わかったのですが、行端はCRコードと思っていたのが、実はLFコードだったです。
それでLFがアップロードの際2個になってしまうのでしょうか。
まいと−くの設定は受信だけCR+LFなのですが。
sci1403(ラヂオ放送局の名前みたいですがJOEKと命名しました。よろしく
おねがいします。)




#0015 sci1403  8810290912


あれ−  今度は空白行がない。不思議です。  1403(JOEK)




#0016 sci1089  8811122342


JOEKさん、どうもありがとうございます。
近衛文麿氏の日記ですか。
  まず、これに関する質問です。
 私の知識は根拠が不明なので(聞きかじり、見かじり、読みかじり)あまり信
用されても困るのですが、当時の行政の決定機関は天皇の前での閣議(「御前会
議」という名前でいろんな本にでてくる)であって、ここでの決定は「天皇」の
決定として表に出ていたはずです。(詔勅などもここで決定されたのでしょう。)
 手元の資料を見た限りでは、近衛文麿氏は、戦時中の内閣には加わっていない
はずです。そうすると、氏は「御前会議」の一員としてではなく、「元首相」と
いう立場で天皇に会い、意見を述べたのではないでしょうか?
 さらに、天皇裕仁が、その場で近衛氏に返答したということは、「御前会議
ですでにそのように決定されていた」ことを天皇裕仁が述べた(先に書いたよう
に御前会議での決定は天皇の決定となるから)のではないでしょうか?
 要するに、近衛氏が「進言」した状況が論点になると思います。
 陸相を首相にすえたいきさつに関しては、御前会議での意志決定の手順や、
決定に際して天皇がどれだけ積極的な働きかけを内閣に対してしていたのかが明
かではないので、何とも言えません。
 御前会議での内閣の意見を天皇が覆した例、御前会議を通さずに天皇が独断
で意志決定をした例などについて、第2次大戦前後の意志決定と関連して調べて
くれた方が某ネットにいますので、確認と了解が得られたら、こちらに紹介した
いと思います。
 そして、現段階での私の意見です。
 ファシズムを助長し、国策を戦争への道に向けるにあたって、天皇裕仁がその
「最高位」の特権を積極的に利用したか、内閣の意見がその方向に向かうよう政
治的工作をしたことを裏付ける事実が出て来れば、天皇裕仁の戦争責任について、
私も考えなおす必要があります。
 それまでは、御前会議は「内閣の決定を天皇の決定とするための手続き」であ
ること、従って、内閣の意志を統一できれば天皇の「意見」とは無関係に御前会
議の決定すなわち天皇の「決定」を左右することができた(すなわち天皇の「意
見」を「ないがしろ」にできた)し、ほとんどすべての内閣がこれをしてきたと
いう従来の立場を取ります。
 JOEKさんのいう「とてつもなく大きな失政」の実質的な責任は、戦前戦中
の歴代内閣にあるというべきです。そして、歴代内閣が失政を重ねた原因は、
「失政」をチェックし、バランスを保つ機能が明治憲法下の体制に根本的に欠
落していた(なぜなら、新しい首相は実質的に御前会議、すなわち旧内閣によっ
て決定されるのだから)ところにあります。
 そしてもう1つ、「特権」をもって失政を正す権利を憲法によって認められて
いた「最高位」にあった人物が、その責任と役割に対する認識を欠いていたこと
は、その責任を問われるべきです。天皇が御前会議の決定に介入し、これを覆す
ことは、「法律による定めがなかった」(最高位の機能を法で定めたりするわけ
がない)だけで、天皇裕仁が主張する「憲法違反」ではなかったことは、明治憲
法からみて明かです。多数の国民が自分の名のもとに(実際は軍部と財閥の利益
のために)死んで行こうとしているのを知りながら(実は何もわかっていなかっ
たのかもしれないが)、「失政」の積み重ねをただ見ていただけだったのですか
ら。
 こんなところです。事実が少ないのにこんな判断を示すのは、独断が過ぎるか
も知れません。私も歴史科学、政治科学のプロではありませんので。
 批判、異論、また他の方の他の意見を聞かせてほしいと思います。
Martha




#0017 sci1403  8811171550


今回はちょっと長くなりなすが、ご容赦下さい。
先ず、前置きしてから、問題を整理したいと思います。

 私は昭和30年に中学3年でした。(必然的に現在48才なのです。)
食料不足しか体験としては残っていません。今はうまいものがたらふく
食えて夢のようです。
現在、世間的に信用されて年収が保証されていた職場を抜け出して、転進準備中です。
2年後に、世間に私が何を考えていたかを報告出来るようにしたいと、努力中です。
 今昭和63年です。昭和30年から33年経過しました。昭和30年の前に
10年ありますから、戦後43年なのです。
私事を前置きにしたのは、この43年という大きい(決して小さくないでしょう。
やがて半世紀経過します)時の経過を強調したかったためです。ご記憶下さい。
 昭和30年に私は考えました。そして考えたことをクラスメ−トに話しました。
私:「天皇陛下が戦争の最高責任者ではなかったか? なぜ責任を負わないのか?」
これに対して
クラスメ−ト:「とんでもない。天皇陛下は上にのっていただけであって、戦争は
戦争したくてたまらなかった軍部がしたことだ。天皇陛下は戦争をやめさせようと
努力したのだ。」
 33年も経過して後、同じ問答をMarthaさんとしたことことになります。
どうして33年後に同じ状態なのなのでしょうか。
この際少しでも解明しておきたいのです。
ご協力下さい。
これまで前置きです。

「天皇」の問題と「戦争」の問題に分けて論じます。

 「天皇」の問題

1) 先ず注意すべきは言語です。
  誰もが同じ日本語ではないか?
  いいえ、どうも違う言葉で言ったり書いたりすることがあるようです。
  これは、動物のコミュニケ−ションに、「情報」と「操作」の2面の働きがある
  ことから生ずる違いです。
  自然科学では、簡単に言って、観察,考察の正確な「情報伝達」でしょう。
  しかし自然科学以外では、自己の意図する方向へ導く「操作」が強くなります。
  この「操作」には、わけがわからなくすることもふくまれるようです。
  歴史、特に現代史で、使われるこの「操作」に悩まされるように思えます。
  眉につばをつけて読まなくてはならないのです。
 
2) 膨大な資料が存在する筈なのに、判断の材料になる資料が極端に少ない。
  「個人としての裕仁天皇は非常にクリ−ンだ」という大学教授(秦郁彦)自身
  アメリカで資料収集して来るそうな。
  意図的なものを感じます。有利になるものなら出て来るはずでしょう。
  この資料の極端な不足ゆえに、ダイナミックな実態を知ることは不可能では
  ないでしょうか?
  庶民は大学教授様のお言葉を拝聴するしかない。
 
3) 近衛文麿が閣僚でもなんでもない時期に、力があったのか?
  帝国憲法その他法令に根拠はなかったのですが、首相経験者等の重臣が元老
  として天皇の大権行使に関与し大きな力を持っていました。
  高位高官といったのは、高位が力を持っていたからです。
  昭和12年からは、内大臣(国の官吏ではなく、宮中の官吏)が重臣の意見
  聴取後、首相候補を天皇に推薦し、天皇が首相を任命しました。
  内大臣の補弼(ほひつ)職務は官制で定められていました。
 
4) 本題にはいります。
  理解の違いは、私が帝国憲法に定める天皇を「専制君主」と理解するのに対し
  Marthaさんは「立憲君主」と理解することから始まるのではないでしょうか?

   帝国憲法第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
   同    3条:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

  1条は紛れようもなく法的な最高権力行使者であることを示しています。
  しかも政治上法律上の責任を負わないのです(3条)。
  実際に広範囲の権限が天皇の独裁大権に属していました。
  しかし、文理上は専制君主制であっても
  運用上、立憲君主制だったというのが正解のようです。

  「天皇の国務に関する大権の行使は、国務大臣の補弼により行なわれ、
  法律、勅令その他国務に関する詔勅は国務大臣の副署を要する」
  とされていたからです。
  天皇が神聖不可侵、即ち法律上政治上の責任を負わず、
  「天皇の大権行使」の責任を、国務大臣が負うので、
  補弼と副署で天皇の大権に制限をつけたからです。
  「天皇に責任はない」というのは、「天皇の政治」で「天皇」が
  法律上政治上の責任を追求されることがないということが
  「法制上保証されていた」というのが、正しい。
 
5) ところで、この運用上の立憲君主制に「大穴」があいていたのです。
  軍の統帥が国務大臣の補弼を要さない天皇直属になっていたことです。
  軍の統帥機関である参謀本部が帝国憲法制定以前より、内閣から独立していた
  という既成事実がもとになったものです。
   軍司令官と軍参謀長のトップにあたる、軍令部総長と軍参謀総長が天皇を補佐
  (補弼ではない)し、天皇の命令を軍へ伝える役をします。
  軍の指揮は天皇から委任されて行ないます。完全な「天皇の命令系統」です。

   5.15事件,2.26事件での現役軍人による高官殺害から生じる
  軍に対する恐怖感を利用して昭和11年から、陸相,海相に現役大將中將を
  あてることに成功しました。
  これがどういう効果を持つかというと、大将中將の推薦を拒否すれば
  内閣の不成立,崩壊の力を持つ、ということです。

   更に、軍事目的達成のため、国政の全分野に軍の要求を通すための装置が
  作られました。昭和12年の「大本営政府連絡会議」です。
  昭和19年から「最高戦争指導会議」となります。
  ここでの重大案件の結論を、天皇が出席する「御前会議」に付したのです。
  書類上は宣戦と講和の詔書の副署は全国務大臣だけです。

   これが「軍部」の正体と思われます。
  すべてが天皇の「直属大権下」で行なわれたことにご注目いただきたい。
  こんなに強力な「天皇の装置」が、天皇を抜きにして動いていたと、
  確たる資料を持たないまま、43年間、頭から信ずる人が絶えない。
  きっかいなことだ。

6) 次は、家永三郎氏のうけうりです。
  帝国憲法下の政治支配は、必ずしも法的な権力行使によってのみ行なわれた
  わけではない。
  帝国憲法1条、3条は君主が臣民を統治するというだけでなく、
  君主が神的尊厳を永久に保有するという、古代神権君主の観念を含み、
  これが君主を精神的忠誠の対象とさせさせた。
  教育勅語や国体観念が法的権力にまさる強制力を発揮した。

   ひょっとすると、この「ばけもの」が生きつずけていて、
  社会を拘束しているのかもしれません。

         **************

 「戦争」の問題にはいります。

A・ 歴史は現代から始めて逆向きに学習すべきではありませんか?
  将来を考える材料になるべき現代が、古代から始めたのでは間に合わない。
  大化の改新から現代にたどりつくのは大変です。
 
B・ 「侵略戦争」を心から希望したのは、実は帝国の国民だったのではないか?
  こう考えるので、私は天皇を戦犯と考えることについては不熱心なのです。
  侵略戦争の責任は第1次大戦後の英仏米の最高指導者が等しく追求
  されなくてはならない。ル−ズベルトも当然追求されなくてはならない。
  彼らの経済政策の失敗が第2次大戦に行き着かせたと考えられるからです。
  無駄な金の流れだけを作って、復興に役立たず、自国だけの目先の利益を
  はかることしか考えなかったからです。
   戦争は、戦争したくてたまらない好戦的な軍人が「戦争しよう、戦争しよう」
  といってはじまるのではなく、行詰まった経済的な問題を解決するための
  1手段なのですから。
  現代の戦争で、非戦闘員が襲撃されるのは当然かもしれない。
  何故なら、戦争で利益を得るのは、非戦闘員だからです。
   兵員としての雇用増、軍需生産による雇用増、購買力が出来て他産業
  も息をふきかえす。他国の土地が失業者を吸収して生産力を増し、他国の
  土地の資源を生産費と運賃だけでつかえる。
  不満は解消し、よいことずくめではありませんか。魅力たっぷりでしょ。
   したがって、「軍部」と「財閥」を悪者にしさえすれば、国民の責任は
  まぬかれる、ということはない。
  「軍部」と「財閥」は、政府と国民の期待に応えて、時流にのっかって
  いい思いをしたにすぎない。

C・ 天皇は軍を統帥して国家総力戦に持込み、政治の失敗を侵略戦争によって
  解決しようとつとめ、最悪の事態に持ち込んだ最高権力者としての政治責任を
  とるべきだ、というのです。
   戦後早い時期に「自分の失政のため、自国民と他国民に多大の被害を与えた
  ことをお詫びする」と声明文を出して退位していたら、考えは変わっているに
  違いない。
  最後の内大臣、木戸幸一は天皇に退位を進言したが、受け入れられなかった。

D・ Marthaさんの「とてつもなく大きな失政は内閣だ」というのは、
  これまた正しい。「天皇の大権行使」に誤りがないよう「補弼」の職務を
  全うするのが彼らの「責務」だったのですから。
  経済政策の失敗から、他国侵略を心から喜ぶ国民を作りあげた政治家の責任は
  永代追求されなくてはならない。

E・ 昭和天皇は不運な星のもとにうまれた人だ。
  史上最悪の不景気の時代に天皇の役をやってしまったのだから。
  ひと時代まえなら、敬愛だけを受けて、敵意に出っくわすことなぞ
  なかったろうに。
   「おれは軍隊にはいったら3度3度めしが食える。天国じゃ−」
   「わたしは遊廓でおつとめをすればわたしが食べられるばかりか
    親も食べられる。」
   「おまえこまったね−、うちにはみんながたべていける土地がないよ。」
  暗愚な君主と無能な政治家が考えついたのが、よその国の土地を奪うこと
  だった。時代が変わって、こういう解決策がゆるされない世界になって
  いることに気がつかなかったのでしょう。
  満州で国民に良い夢をみさせただから、最大の功績があるというべきか?

F・ 最後に
  また世界的な不況が訪れ、巷に失業者があふれ、飢えに苦しむ時代が来る
  ことは、ありえないのだろうか?
  こういう事態を迎えないですむ賢い策を用意しているのだろうか?
  また最悪の事態をむかえるこの次、多分20世紀だろうが、今世紀の解決策を
  教訓として、賢く解決することができるだろうか?
  国民全部が常時理性的な賢明な行動をとり、賢明な選択をしないと
  いずれはその時がやって来るのではないだろうか?

   各国が目先の自国利益優先を図ると、また世界大戦になることを
  1次大戦後の歴史がおしえています。
  他国の利益も考えることによって、集団的な安全保証が実現できるのですから
  状況の変化にうまく対応して、生き抜くことを考えようではありませんか。

             JOEK  1988/11/17




#0018 sci1403  8811171912


20世紀は21世紀の間違いです。訂正します。 JOEK




#0019 匿名     8811201336


  「天皇」の時代

「天皇」の役割、機能、など あまり感心が無かったからJOEKさんの論旨を
興味深く読ませて貰い感心しているところです
天皇制を古代から現在まで見ると浮き沈みが在って面白いですね
明治政府樹立後、官僚と軍部の二つの大きな組織が出来上がり明治、大正、昭和
へと段々大きく成長していった
明治時代の官僚は国作りの為、色々な制度、組織、仕組を欧米諸国から取入れ
大活躍(?)したと思います
もう一方の組織である軍部は明治時代に徴兵制と近代化を成しとげ国内平定を
をやり、昭和に入り国政にも関与するかのような成長をした
明治、大正、昭和時代の経済基盤は土地からの収益にあり、それは農業であり
国家運営(二大組織)の源泉も基本的には、そこに求められた
農業国家から工業国家への移行が行なわれたが、日本国民は地主、資本家階級
と小作農家、労働者階級に大別され現在の様に中産階級はほとんど存在しなかった
と思います
徳川時代の寺小屋から義務教育制度になりましたが、国民にとっては、酷政
であったが、国家(二大組織)と資本家にとっては質の良い労働者を
採ることが出来たことが、日本にとって欧米列強といち早く肩を並べた原因
と思います
後進国日本は富国強兵と文明開化が国策であり、欧米諸国から自然科学、
文化の摂取に熱心だったが、国家(二大組織)と地主階級、資本家階級
にとって都合の悪い思想は排除されなければならなかった
明治天皇は新政府に担ぎ出されたが、大正、昭和(今上)天皇も同じで
会長職どころではなく、神様にされた
神国日本が第二次戦争に追込まれたのは植民地主義とか、色々言われますが
やはり軍部の在り方にあるように思われます
JOEKさん、統帥権、戦前の皇室財産に付いて何か知っている事がありましたら
教えてください