Edu00087 卒業式と日の丸・君が代

#0000 sci5277  9102130034


いよいよ「卒業式」の季節です。
学校での、日の丸・君が代も、入学式以上に、問題になりそうです。
各地の卒業式をめぐる状況の交流をしましょう。

本日の職員会議で、校長が日の丸・君が代の実施を言い出しそうで困ってる
BOO


#0001 sci4914  9103110058


?

卒業式での日の丸・君が代に反対するよりも、オリンピック
での日の丸・君が代の感動を生徒に伝えた方がよっぽど実際
的では?

#だいたい社会党の議員さんたちも天皇の存在をあまり気に
#しなくなったこの時代に、日の丸・君が代をupdateな問題
#と勘違いする人がいるとは。やっぱり教師という職業は社
#会の常識の外にあるのですね。

--
内田理之@東京理科大学
uchida@flats.riken.go.jp


#0002 sci5277  9103110353


オリンピック憲章の規定上は、日の丸・君が代は、国旗・国歌として使用さ
れているのではなく、JOC選手団の団体旗・団体歌として使用されている
こと、東京オリンピック以来、日の丸の赤丸が大きくなったこと、ユニバー
シアードでは国旗・国歌は全く使用しないことなどをしっかり教えるべきで
しょう。
だいたい、日の丸・君が代に感動してるのではなく、選手の頑張りに感動し
てるのだと思いますが。それから、屈辱的にも日の丸をつけて走らされたマ
ラソンランナーとその日の丸を消した新聞報道で大弾圧事件となった日本の
植民地支配の事実を、ソウルオリンピックの時に思い出させる「聖火」の最
終ランナーのことは、もっともっと語られるべきことです。確か、講談社文
庫にその本があったはずです。

時代錯誤にも、今更、無理やり学校現場に日の丸・君が代を押し付けている
文部省はじめとする教育行政の方こそ、「国際化」に反する狭い視野しかも
ててないことを示してるように思うのは、教員のひとりよがりでしょうか?
社会党は、広島県議会では、自民党と一緒になって、日の丸掲揚決議を提案
していますし、社会党一党支持を決めている日教組は日の丸・君が代では、
全国闘争はしないとか、天皇賛美の姿勢を示したりしていますので、別段、
驚くことはありません。日の丸・君が代がいいか、悪いかではなくて、学校
現場への非教育的な強制が、教職員との合意を得ないで不一致のまま、しか
も、卒業式の主人公である当人たちの意向も抜きにして、強行されつつある
ことへの危惧なのです。教育行政が熱心にやることは、もっともっと他に、
いっぱいあるのではないでしょうか?はたして、最優先するだけの意味が、
どれだけあるのでしょうか?反面教師としてはいいのかもしれませんね。

小・中・高とすっかり日の丸・君が代で「教育」されてきたことを「感謝」
している BOO


#0003 sci4914  9103122327

BOOさん:
> オリンピック憲章の規定上は、日の丸・君が代は、国旗・国歌として使用さ
> れているのではなく、JOC選手団の団体旗・団体歌として使用されている
> こと、東京オリンピック以来、日の丸の赤丸が大きくなったこと、ユニバー
> シアードでは国旗・国歌は全く使用しないことなどをしっかり教えるべきで
> しょう。

は? それがなにか。

> だいたい、日の丸・君が代に感動してるのではなく、選手の頑張りに感動し
> てるのだと思いますが。

(爆笑)

>                       それから、屈辱的にも日の丸をつけて走らされたマ
> ラソンランナーとその日の丸を消した新聞報道で大弾圧事件となった日本の
> 植民地支配の事実を、ソウルオリンピックの時に思い出させる「聖火」の最
> 終ランナーのことは、もっともっと語られるべきことです。確か、講談社文
> 庫にその本があったはずです。

はい。確かに韓国・北朝鮮両国国民が日の丸に対して不快感を抱いているこ
とは理解できます。しかし、それが学校での日の丸掲揚反対の理由になるの
でしょうか? このへんのところをBOOさんは常識として処理しているよ
うですが、そろそろわかりやすい説明をしてはいただけないでしょうか。

> 時代錯誤にも、今更、無理やり学校現場に日の丸・君が代を押し付けている
> 文部省はじめとする教育行政の方こそ、「国際化」に反する狭い視野しかも
> ててないことを示してるように思うのは、教員のひとりよがりでしょうか?

日の丸・君が代に反対することが「国際化」につながる、という理屈は全く
理解できません。したがって、BOOさんのひとりよがりという可能性は否
定できません。

> 社会党は、広島県議会では、自民党と一緒になって、日の丸掲揚決議を提案
> していますし、社会党一党支持を決めている日教組は日の丸・君が代では、
> 全国闘争はしないとか、天皇賛美の姿勢を示したりしていますので、別段、
> 驚くことはありません。日の丸・君が代がいいか、悪いかではなくて、学校
> 現場への非教育的な強制が、教職員との合意を得ないで不一致のまま、しか
> も、卒業式の主人公である当人たちの意向も抜きにして、強行されつつある
> ことへの危惧なのです。教育行政が熱心にやることは、もっともっと他に、
> いっぱいあるのではないでしょうか?はたして、最優先するだけの意味が、
> どれだけあるのでしょうか?反面教師としてはいいのかもしれませんね。

なんだ。結局日の丸・君が代には罪はないというわけですね。文部省の手続
きが悪いわけだ。しかし、なぜこの問題について文部省と教員、そして学生
までもが一致しなくてはいけないの?

> 小・中・高とすっかり日の丸・君が代で「教育」されてきたことを「感謝」
> している BOO

? 意味不明。

--
                                内田理之
                                uchida@falts.riken.go.jp


#0004 sci5277  9103130116


逐一、反論する気にもなりませんが、いくつかオンラインで書きます。
日の丸・君が代に私自身は、私自身が受けてきた「教育」への不快感ととも
に、本当に「反面教師」として感謝しているのは事実です。いいたいことは
無理やり強制しても、逆効果だろうということですが、それはそれでいいで
はないかと開き直られても、総理大臣でも、文部大臣でもない、恐らくは、
「権力者」ではない内田理之さんに言われても、困ってしまいます。
大多数の日本国民にとって、日の丸・君が代が国旗・国歌としてふさわしい
と考えているにせよ、強制は望ましくない、法制化は望ましくない、と
考えているのも多数派であるのです。
とすれば、日の丸・君が代の是非はさておいても、学校現場への押し付けに
反対するのは当然のことでしょう。
私自身は、シンボルとしての、信仰の対象としての国旗・国歌の存在自体に
疑問を持ちますが、現実に国家という権力的な集団が存在するなかで、集団
の構成員にその帰属意識をもたせるような、旗なり、歌なりが必要であろう
とは思います。とすれば、よりよい国歌・国旗をつくりだしていくことが、
必要なのだと思います。
在日の韓国・朝鮮人の生徒もいるなかで、一律に、日の丸・君が代を強制す
ることは、はたして「国際化」なのでしょうか?まだ、万国旗を盛大に掲げ
てやることの方が、卒業という祝いの場にふさわしいと私は思いますよ。
日の丸・君が代に「感動」しているということの中味を正確に分析してみて
ください。「爆笑」というのは、「なるほどということですか」それとも、
「ばかなことを書いてるということですか」。書き込みにたいして、馬鹿に
するのは、内田理之さんの自由ですが、勝手な決めつけでの感性的なコメン
トの仕方は、いたずらに対立を煽るだけで、決して討論の発展にはならない
と思いますが、いかがでしょうか?
歴史的事実に対しては、謙虚な姿勢をもちたいものです。時の権力者に迎合
することは、体制のいかんを問わず、体制を滅ぼしていくことにつながった
のです。
と書いたものの、早速の反応には感謝している BOO


#0005 sci5277  9103142111


都立高校の卒業式は、ほとんどが終了して、あとは、恐らく明日15日の数
校が最後ではないかと思う。組合の情報によれば、昨年4月の入学式での、
日の丸の掲揚が50%程度であったのに、今回の卒業式では、60%程度に
あがるのではないかという。多くの校長が、都教育委員会作成のマニュアル
に基づいて、「学習指導要領の法的拘束性」「国民多数の意見を代表する権
力のもとでの決定」「公務員としての服務」などオウムがえしに同じことを
言っているようである。最後は、その学校での教職員の団結の力量に応じた
決着となっているようである。
本校の場合、昨年までは、もちろん日の丸はなかったが、昨年の春の入学式
では、「校長の責任」の名で掲揚されてしまった。しかし、2月の定例の職
員会議には校長は高熱を出して欠席し、会議では従来通りの日の丸のないこ
とを確認したのだが、翌日、校長は、入学式と同様に、「正門に掲揚する」
と通告してきた。組合の校内委員会は、校長交渉をもって、撤回するように
求めたが、応じる様子はなく、やむなく、臨時職員会議の開催を要求して、
その日の放課後に職場会をもったのだが、発言者は皆無であった。従って、
入学式と同様の取り組みをすることを確認しただけで、臨時職員会議に臨む
ことになったのである。
13日午後の臨時職員会議では、校長とは全く折り合わず、やむなく採決を
要求して、投票によって、賛否をとうて、多数はもちろん「反対」であった
が、「賛成」も4分の1あり、それでも「即位の礼」の時よりは「反対」が
少し増えたようだ。その結果を受けて、校長はどうするかと注目していたら
今朝、職員室に次の書き込みの「掲示」がでており、結局は、明日の日の丸
掲揚が強行されることになりそうである。教職員の合意を得ることもなく、
「法的拘束性」を頼りに日の丸掲揚を強行する校長は、今回で退職であるた
めか、なにがなんでも、ということであるのだろうが、こんな思想信条にか
かわることでの教職員の間の亀裂がひろがることは、とても残念なことだし
都教育委員会の「指導」にも反している。この先、いったい何を目指してい
るのであろうか?教育行政がやるべきことは、ほかにもっといっぱいあると
思うのは、教員だけの思い込みに過ぎないのであろうか?
区立中学校は、20日が卒業式とか。できるだけ、今年度の様子を書き込ん
でもらえるとありがたいですね。
長くなったので、報告は打ち切ります。校長の文書は、あとでアップさせて
いただきます。
短くてよいので、書き込みが欲しいと思う BOO


#0006 sci5277  9103142119


某都立高校の学校長の掲示文は、次の通りです。 

 昨日、職員会議において先生方のお考えが示されましたが、再三お話いた
しましたとおり、卒業式当日は、学習指導要領の規定により、校門に国旗を
掲揚いたしますので、この旨、お伝えいたします。
 ご質問、ご意見等がありましたら、お申し出ください。
  三月十四日
              学校長

以上の通りであるが、全く残念なことである。
申し出にも、組合の配布予定の資料を持って、個人的に押し掛けたが、全く
らちがあかなかったのである。
実力阻止でもしたい?気分のBOOさんです。


#0007 sci4914  9103151141


BOOさん:
> 日の丸・君が代に私自身は、私自身が受けてきた「教育」への不快感ととも
> に、本当に「反面教師」として感謝しているのは事実です。いいたいことは
> 無理やり強制しても、逆効果だろうということですが、

なるほど。ここまでのあなたの主張は理解できます。

>                                                   それはそれでいいで
> はないかと開き直られても、総理大臣でも、文部大臣でもない、恐らくは、
> 「権力者」ではない内田理之さんに言われても、困ってしまいます。

つまり内田を説得したところで何も起こらない、したがって議論するだけ無駄
ということですか。合理的な考え方だとは思いますが、それではなぜ(おそら
くは)総理大臣も文部大臣も目を通さない、こんなパソコンネットにあなたは
意見を発表するのでしょうか?

> 大多数の日本国民にとって、日の丸・君が代が国旗・国歌としてふさわしい
> と考えているにせよ、

日の丸・君が代自身に罪はない、ということは認めていただけたようですね。

>                     強制は望ましくない、法制化は望ましくない、と
> 考えているのも多数派であるのです。

その意味はわかっていますか? こんな(当り前の)ことまで法制化しなけれ
ば学校現場は動かないのか、ばかばかしい、という意味です。

> とすれば、日の丸・君が代の是非はさておいても、学校現場への押し付けに
> 反対するのは当然のことでしょう。

これは逆です。現場が根拠もなく反対するので、わざわざ強制(法制化)せざ
るを得なかったというのが本当のところでしょう。

> 私自身は、シンボルとしての、信仰の対象としての国旗・国歌の存在自体に
> 疑問を持ちますが、現実に国家という権力的な集団が存在するなかで、集団
> の構成員にその帰属意識をもたせるような、旗なり、歌なりが必要であろう
> とは思います。とすれば、よりよい国歌・国旗をつくりだしていくことが、
> 必要なのだと思います。

ね。国歌・国旗に反対することに根拠がないことは明らかでしょ。

> 在日の韓国・朝鮮人の生徒もいるなかで、一律に、日の丸・君が代を強制す
> ることは、はたして「国際化」なのでしょうか?

前述の通り、強制の根拠作りを急がせたのは現場の先生方です。困ったもので
すね。ところで、あなたは学校のなかで在日外国人の存在をいたずらに際だた
せることが「国際化」につながるとのお考えなのですか? また、あいかわら
ず日の丸・君が代に反対することが「国際化」につながるという主張の根拠を
説明してくださらないようですが。

>                                             まだ、万国旗を盛大に掲げ
> てやることの方が、卒業という祝いの場にふさわしいと私は思いますよ。

(爆笑)

> 日の丸・君が代に「感動」しているということの中味を正確に分析してみて
> ください。

はぁ。これは甲子園大会で勝利校の選手・関係者が校旗掲揚・校歌斉唱で「感
動」しているのと同種のものと考えていますが。あなたの言葉でいうところの
"帰属意識"がキーワードになると思います。

>          「爆笑」というのは、「なるほどということですか」それとも、
> 「ばかなことを書いてるということですか」。

後者です。

>                                           書き込みにたいして、馬鹿に
> するのは、内田理之さんの自由ですが、勝手な決めつけでの感性的なコメン
> トの仕方は、いたずらに対立を煽るだけで、決して討論の発展にはならない
> と思いますが、いかがでしょうか?

逆です。あなたの勝手な決めつけ、感情的というよりはご都合主義的な主張が
私に(爆笑)というような表現をさせるのです。

> 歴史的事実に対しては、謙虚な姿勢をもちたいものです。時の権力者に迎合
> することは、体制のいかんを問わず、体制を滅ぼしていくことにつながった
> のです。

反対のための反対も何も生みません。

--
muchida (←以後、このハンドルを使います。よろしく。)


#0008 sci5277  9103160715


分析的なコメントをありがとうございます>muchidaさん
逐一の丁寧なresで、私にも(意見っは、どうやらスレ違ってるようです
が)、なるほどと思う点がありますので、ここは冷静に議論して行くように
自制したいと思います。
ところで、今の学校現場の教員の姿勢が、日の丸・君が代の強制をもたらし
た、との説には、全く同意できません。というか、事実の経過はそのように
なるのでしょうが、そもそも学校現場での国旗・国歌の扱いについて、果し
て、「国民的合意」はあるのでしょうか。とくに、本来的なきちんと法制化
された国旗・国歌が存在しない日本において、日の丸・君が代を国旗・国歌
とする「国民的合意」はあるのでしょうか?すでに指摘されている通り、ア
ンケート調査での多数を占めていることは確かですが、日の丸・君が代を、
国旗・国歌として認めないものも(とくに教員に多いということではないと
思うが)少なからず存在するなかで、その取扱については、極めて意見のわ
かれるところであり、それを「当然のことだ」と言って済ませる訳にはいか
ないと思います。
喜んで掲揚し、唱える、国旗・国歌を創り出して行く運動こそ、単なる反対
に留まらない運動として必要なことは確かです。今は、緊急避難として、お
しつけに反対せざるをえないのが実情です。今のこの時期に、なぜ日の丸・
君が代を強制することが「国際化」につながるのか、皆目、私には見当がつ
きません。なぜ、君が代・日の丸に反対することの方が「国際化」につなが
るかは(そのようなことは、ここまででは主張してないが、要望に答えると
すると)、日本には正式の国旗・国歌がないことを明確にし、過去の侵略と
天皇制の犯罪を反省し、近隣諸国との友好的な連帯関係を創り出していくた
めには、日の丸・君が代は大きな歴史的障害となっているからです。しかし
これは積極的な「国際化」の方策ではないことは確かですから、シンボルに
まどわされないで、心の中からの国際連帯をどう創り出していけるかどうか
は大きな課題ですね。この時に、もちろん、在日の特に韓国・朝鮮人の存在
を忘れる訳にはいきません。少数者であるからこそ、きちんとした配慮が公
教育では求められているのだと思います。
教員の中でも、日の丸・君が代賛成は結構いるのにもかかわらず、それを、
学校現場に一律に強制するやり方に付いては、大多数の教職員は反対してい
るのです。日の丸・君が代そのものに反対だから(私はそうですが)という
ことで、大多数が一致するような状況にはなかなかないし、そのような状況
にあっても、地域・父母とも一致できる点は、「押し付け反対」ということ
でしょう。それがご都合主義といわれる由縁かもしれませんが、民主的な合
意形成のためには、一致点を見いだして運動していくしかないのではないで
しょうか?いずれにせよ、国旗・国歌として日の丸・君が代がふさわしいの
であれば、自ずから浸透して、反対運動があっても、掲揚・斉唱(というの
はちょっとむつかしいかな?)は強制しなくとも実施されるようになってい
くのではないでしょうか?社会的に、ほとんどの家庭で掲揚しもしないのに
学校では「公的機関」だから掲揚しろ、というのは本末転倒だし、やはり、
危険な国家主義的な方向での狙いがあることを警戒せざるをえないのです。
日の丸・君が代で「国粋化」を進めることが「国際化」でしょうか?BOO


#0009 sci4914  9103180052


BOOさん:
> ところで、今の学校現場の教員の姿勢が、日の丸・君が代の強制をもたらし
> た、との説には、全く同意できません。というか、事実の経過はそのように
> なるのでしょうが、そもそも学校現場での国旗・国歌の扱いについて、果し
> て、「国民的合意」はあるのでしょうか。

? ここまで主張は、言葉として理解できません。事実の経過としては認め
られても同意できないとは?

>                                       とくに、本来的なきちんと法制化
> された国旗・国歌が存在しない日本において、日の丸・君が代を国旗・国歌
> とする「国民的合意」はあるのでしょうか?すでに指摘されている通り、ア
> ンケート調査での多数を占めていることは確かですが、日の丸・君が代を、
> 国旗・国歌として認めないものも(とくに教員に多いということではないと
> 思うが)少なからず存在するなかで、その取扱については、極めて意見のわ
> かれるところであり、それを「当然のことだ」と言って済ませる訳にはいか
> ないと思います。

日の丸・君が代を国旗・国歌とする法的根拠が明確ではないことは確かです
し、それ(法的根拠がないこと)を問題とする立場も極めて妥当なものだと
考えます。

> 喜んで掲揚し、唱える、国旗・国歌を創り出して行く運動こそ、単なる反対
> に留まらない運動として必要なことは確かです。今は、緊急避難として、お
> しつけに反対せざるをえないのが実情です。

ここでの「緊急避難」のあり方が二通りあるということではないでしょうか。
ひとつがBOOさんの立場で、法的根拠が曖昧だからとりあえず国旗・国歌
の掲揚・斉唱(演奏)はやめようという立場、そして他方が、これまで用い
られてきた日の丸・君が代をそのまま使ってしまえ、という文部省の立場。

私個人としては、実は、どちらでもいいんですけど、BOOさんと同様な立
場に立つ人たちが問題をすりかえて、すなわち、日の丸・君が代そのものが
イカン、という感情的な(というよりは、わかりやすい理由を述べないまま)
反対運動をやるものだからどうしても文部省の味方をしたくなってしまいま
す。

文部省の立場を代弁すると(といっても私個人の想像の域を出ませんが)、
まず、国旗・国歌の法律化はとてつもなく難しいし、手間がかかる。という
のも国旗・国歌を法律で定めるならば、日本国憲法で規定すべきものであり、
そうなると国民投票まで行わねばならず、そこまでのエネルギーを国会に期
待できない。また、一歩さがって、普通の法案で国歌・国旗法のようなもの
を作っても、むしろ小数であっても反対票数が目立った形になって、国旗・
国歌に望まれる威信というものが殺がれてしまう。したがって、法律化はで
きるだけ避けたい。

しかし、世界的常識から考えても国旗・国歌を持たないことは不自然だし、
また、日本人が数多く外国で活躍している現在、その日本への帰属意識を高
めるためにも国旗・国歌は必要である。ならば折角従来からの日の丸・君が
代というものがあるのだから文部省の責任で国旗・国歌としてそのまま使っ
ていけばいいではないか。

まぁ、確かに安直といえば安直ですが、これで実際上は誰も困らないでしょ
う。文部省の怠慢は否定できませんし、それは責められるべきですが、真面
目に法律化に取り組んだとしてもそれは時間のかかるものであり、それまで
の間に、現在のような措置(すなわちBOOさんいうところの押し付け)を
行ったとしても妥当性を欠いているとは思いません。

>                                         今のこの時期に、なぜ日の丸・
> 君が代を強制することが「国際化」につながるのか、皆目、私には見当がつ
> きません。

日本の経済的な発展にともなって、多くの日本人が海外で活躍するようにな
りました。海外での活躍の基本となるのは、もちろん現地の人々の考え方、
すなわち文化を深く理解することです。しかし、それ以前に前提としてわれ
われ日本人自身がどういう文化を持っているかを知ることがなにより必要で
す。そしてそのエネルギーとなるのが祖国に対する帰属意識だと思います。
日本人としての誇りと文化に対する深い理解があってこそ、海外の人々と交
流できるという考えは間違っていないと思います。その誇り(帰属意識)を
育てるためには日本を象徴的に表わす国旗・国歌は効果的なものであり、し
たがって、今こそそれを教育に取り入れる時ではないか、ということでしょ
う。

>           なぜ、君が代・日の丸に反対することの方が「国際化」につなが
> るかは(そのようなことは、ここまででは主張してないが、要望に答えると
> すると)、日本には正式の国旗・国歌がないことを明確にし、過去の侵略と
> 天皇制の犯罪を反省し、近隣諸国との友好的な連帯関係を創り出していくた
> めには、日の丸・君が代は大きな歴史的障害となっているからです。

過去の侵略に対し、日本が日の丸・君が代を放棄することが反省につながる
という主張は建設的とはいえません。むしろそんなことで成立している友好
関係ならないほうがよろしい。かつて侵略を受けたからといって、日本の国
旗・国歌がイカンなどと主張する国は極めて幼稚な国と言わねばならないで
しょう。結局そういう国は日本以外の国からも相手にされない国です。天安
門事件を起こした中国がいい例でしょう。

>                                                               しかし
> これは積極的な「国際化」の方策ではないことは確かですから、シンボルに
> まどわされないで、心の中からの国際連帯をどう創り出していけるかどうか
> は大きな課題ですね。

? ここも日本語がよくわからない。シンボルってなんのシンボル?

>                     この時に、もちろん、在日の特に韓国・朝鮮人の存在
> を忘れる訳にはいきません。少数者であるからこそ、きちんとした配慮が公
> 教育では求められているのだと思います。

日本国内の日本人向け(←外国人向けではないという意味)の学校で在日韓
国・朝鮮人に日本の国歌を歌わせないことがきちんとした配慮であるという
理由は思い当たりません。

あまり深く考えられても困りますが、日本のプロ野球で君が代の演奏・日の
丸の掲揚が行われるとき、アメリカ人選手は自国の国歌演奏・星条旗掲揚の
場合と同様に手を胸にあてて敬意を表わしますよ。ああいう感覚でいいと思
います。

> 教員の中でも、日の丸・君が代賛成は結構いるのにもかかわらず、それを、
> 学校現場に一律に強制するやり方に付いては、大多数の教職員は反対してい
> るのです。日の丸・君が代そのものに反対だから(私はそうですが)という
> ことで、大多数が一致するような状況にはなかなかないし、そのような状況
> にあっても、地域・父母とも一致できる点は、「押し付け反対」ということ
> でしょう。それがご都合主義といわれる由縁かもしれませんが、民主的な合
> 意形成のためには、一致点を見いだして運動していくしかないのではないで
> しょうか?

しかし、その地域・父母が民主的に選出した議員さん方が主となって押し付
けのエンジンにもなっているわけで、結局押し付けの責任は地域・父母にあ
るとも言えますよ。ちょっと話がズレますが、結局合意を大事にする民主政
治というのはそろそろ限界なのかもしれません。合意を得んがために実効的
に意味がない合意ができてしまっているような気がします。民主主義という
のはあくまで方法論であって、よい結論が得られるのであれば、王政であっ
てもなにも問題はありません。逆にいうと民主的な方法で得られた結論だか
らといってよい方法であるとは限りません。

>           いずれにせよ、国旗・国歌として日の丸・君が代がふさわしいの
> であれば、自ずから浸透して、反対運動があっても、掲揚・斉唱(というの
> はちょっとむつかしいかな?)は強制しなくとも実施されるようになってい
> くのではないでしょうか?

私も含めて世間一般の人々はようするにどーでもいいのであって、自ら進ん
で日の丸・君が代を推進しようとは思っていません。ですから多分強制され
なきゃ実施はされません。でも強制されてもかまわないと思っているという
ことです。

>                         社会的に、ほとんどの家庭で掲揚しもしないのに
> 学校では「公的機関」だから掲揚しろ、というのは本末転倒だし、

この主張は本末転倒です。たとえば省エネルギーのため暖房は○○度にしま
しょう、なんていうのは公的機関が率先してやるでしょ。それと同じです。
公的機関がお手本にならなきゃ。

>                                                             やはり、
> 危険な国家主義的な方向での狙いがあることを警戒せざるをえないのです。
> 日の丸・君が代で「国粋化」を進めることが「国際化」でしょうか?BOO

政治経済ばかりでなく、スポーツ・芸術などあらゆる点で国際化が進んだ現
在、日本への帰属意識を高める必要上、ある程度のナショナリズムを教育に
盛り込むことは必要であると考えます。

何度も言いますが、「国際化」するということは日本人たることを放棄する
ことではありません。

--
muchida


#0010 sci6293  9103222035

 日の丸、君が代について、私の意見を書きましょう。
なぜ、もめるか理由は 日の丸、君が代が前大戦における日本軍国主義
の侵略の象徴であった不正義な旗であり歌だからでしょう。
 ドイツの場合は、ナチスの旗であり、”世界にかんたるドイツ”の歌
でした。ドイツは、国歌は歌詞を変えて歌っています。
 歌詞を変えることで侵略的な印象をなくそうとしたのでしょう。
また、アメリカでは南北戦争当時の南軍の旗が、不正義な旗ということ
で禁止されています。それでも州によっては、掲揚されているようです。
 こうしてみると、旗や歌の問題とはいいきれないものがあります。
過去に侵略や不正義の象徴として用いられたものを、どう扱うか
それは、過去の過ちをどう清算しどう償うか、そしてどんな国をつくっ
ていくかに、関わってきます。
 戦後のドイツと日本の違いがそこにあります。
 教科書で前大戦をどう教えているか、一つとってもドイツと日本大き
くちがいます。アジアの各国と日本も違います。
 どうも最近の日の丸、君が代論争、原点が忘れられがちです。
原点に戻って論議してください。
          ふうたん


#0011 sci1509  9103240220


このコーナー、一応読んでます.コメントすることはいろいろあり
ますが、公の場における日の丸や君が代の根拠あるいは怖さという
ことについては政治ボードの47や57の基調でいろいろと話があ
りまして、その中で私も拙い感想を述べていたりするのでここでは
重複を避けようと思います.

ということで

TAKA


#0012 sci6639  9103242217

えーと、僕は読んでいますが、今までずっと小学校・中学校を通じて
日の丸・君が代ということを全くといって、気にもとめませんでした。
というより、意味がわからなかったのかも・・・
 いろいろと意見を見ていると、なるほどこういう考え方もあるのかと
思ったりして社会勉強にもなっています。
 BOOさんもmuchidaさんもこれからもいろいろと意見を書いて社会勉強
させてください。
        とっても関心のある新高校生のYASでした


#0013 sci4914  9103251158


ふうたんさん:
> なぜ、もめるか理由は 日の丸、君が代が前大戦における日本軍国主義
> の侵略の象徴であった不正義な旗であり歌だからでしょう。

この曖昧な表現が現在のいろいろな意味での騒動の原点です。
日の丸・君が代が軍国主義者に悪用されたのは事実ですが、それ以上で
もそれ以下でもありません。

日の丸・君が代自身には罪はないのです。責められるべきはそれらを悪
用した軍国主義者の方です。

>  どうも最近の日の丸、君が代論争、原点が忘れられがちです。
> 原点に戻って論議してください。

ですから、あなたのように原点を見誤っている人が一番困った存在なの
です。

--
muchida


#0014 sci5139  9103312224


 自分の国への帰属意識を高めるために、国旗、国歌が必要という考えにはあま
り賛成できません。「帰属意識」というのは裏を返せば、排他的な村意識だから
です。排他的な村意識をあまり高揚させるのはよくないことだと思います。  
                         αマトン       


#0015 sci2526  9104010454

君が代はなし、日の丸は校庭にあり。
個人的には、日の丸も君が代も空襲の下でにげまわった記憶と直結して
つらい。だから理性的論理的に是非を話せない。
国際的といえば、上げたい人があげ、歌いたい人が歌う。これがいいと思う。
日の丸がデザイン化されて、シャツになったり風呂敷になったり、君が代が
ジャズだったりワルツだったりしてなにも感じなければ、こだわりがとれて
本当の君が代日の丸と言えるかもしれませんね。 割り込んでゴメン 
                             毎年頭を痛めているイペー


#0016 sci4914  9104040104


αマトンさん:
>  自分の国への帰属意識を高めるために、国旗、国歌が必要という考えにはあま
> り賛成できません。「帰属意識」というのは裏を返せば、排他的な村意識だから
> です。排他的な村意識をあまり高揚させるのはよくないことだと思います。  

あなたの言う"排他的"の意味がよくわかりません。たとえば、私は日本で生まれ
日本の文化のなかで育った日本人ですが、それを意識することがどういう風に排
他的なのでしょう? 村意識って?

イペーさん:
> 君が代はなし、日の丸は校庭にあり。
> 個人的には、日の丸も君が代も空襲の下でにげまわった記憶と直結して
> つらい。だから理性的論理的に是非を話せない。

はい。だからあなたには議論に参加する資格はありません。理性的でない自分に
気づいたら黙るべきです。感情的にならざるをえない事柄について理性的に議論
を進めるのはいっこうにかまいませんが。

--
muchida


#0017 sci2526  9104050610

君が代と日の丸の事は、小学校でいえば、水道方式を教えたり、ドル平を
教えたりすることと同じことだと思います。
君が代日の丸を他の教材と同列においてみればいい。教えることを強制される
ところに問題がある。
教材としてみると、君が代よりいい歌がたくさんある。
でもね、そんなことを考えないで、教科書にあるからという理由だけで
子供に関係なく歌わせてしまう教師は一杯いるのです。
私はひらばの卒業式をしている。そこには君が代日の丸はあまり似合わない。
ひらばで卒業式をするということは、一つの思想をえらんだことですよ。
そんな人は授業でこどもにいたけだかにいばってはいけないし、こども叩いたり
してはいけない。ところが毎日、そんなことが起きる。
君が代日の丸は論理的歴史的に論じてこれがただしいと結論がでるとは
思えない。もともとそういう意味で教育の現場に持ち込まれた訳では
ないのだから。
今、私はどっちでもいいと思っています。大事なのは日常です。日々の授業です。
  イペー
結構、子供にびんたはりはり、君が代日の丸の議論しているひとがいます。
そこを克服したいというのが、私の希望です。    イペー


#0018 sci4914  9104060558


イペーさん:
> 君が代と日の丸の事は、小学校でいえば、水道方式を教えたり、ドル平を
> 教えたりすることと同じことだと思います。

水道方式? ドル平? なんなんでしょ?

> 君が代日の丸を他の教材と同列においてみればいい。教えることを強制される
> ところに問題がある。

? 学校の先生というのは大抵のことについて教えることを強制されている
のでは? 小学校を卒業した人なら誰でも自然数の足し算くらいできるでし
ょ。これを教師の立場からみれば自然数の足し算を教えることが強制されて
るわけで、すなわち教えることを強制される、ってことは何も不思議なこと
はないと思うけど。

> 教材としてみると、君が代よりいい歌がたくさんある。

自明ですね。

> でもね、そんなことを考えないで、教科書にあるからという理由だけで
> 子供に関係なく歌わせてしまう教師は一杯いるのです。

それが何か?

> 私はひらばの卒業式をしている。そこには君が代日の丸はあまり似合わない。
> ひらばで卒業式をするということは、一つの思想をえらんだことですよ。

"ひらば"っていうのは何かの専門用語なんでしょうか? 全く意味不明。

> そんな人は授業でこどもにいたけだかにいばってはいけないし、こども叩いたり
> してはいけない。ところが毎日、そんなことが起きる。

そんな人ってどんな人? やはり意味不明。

> 君が代日の丸は論理的歴史的に論じてこれがただしいと結論がでるとは
> 思えない。もともとそういう意味で教育の現場に持ち込まれた訳では
> ないのだから。

だ〜か〜ら〜どういう面で正しいとか正しくないとか結論が出ないんですか?
問題を絞ってください。でないと何を言っているか全然わかりません。

> 今、私はどっちでもいいと思っています。大事なのは日常です。日々の授業です。
> 結構、子供にびんたはりはり、君が代日の丸の議論しているひとがいます。

そういうことをする人をバカといいます。

> そこを克服したいというのが、私の希望です。    イペー

バカを排除したい、というのはふつーの人だったら誰でもそう思っているはず
です。

しかし、バカを排除することと、国歌・国旗の問題とは本質的に関係がありま
せん。びんたはりはり君が代・日の丸を生徒に教え込もうとしているバカ教師
がいたとしても、君が代・日の丸が学校行事にふさわしくないという理屈には
なりません。

びんたはりはり足し算を教えている教師がいても、足し算が悪いという理屈に
ならないのと一緒です。

--
muchida


#0019 sci2526  9104070554

質問をいただいたように思いますのでいくつか答えます。

水道方式とは、民間教育研究団体(民研)の一つである数教協の作
り出した計算の指導体系です。
ドル平とは、学校体育研究同士会が作りだしただれでも泳げるよう
になる優れた水泳の指導法です。
ひらばとは平場ということで、卒業式が卒業証書授与式ではなくて
卒業式である一つのしるしとして会場に段がない。校長も児童も来
賓も親も同じ高さにいるということです。
これば卒業証書をどうわたすべきかという議論が20年前に論議さ
れ、その時、校長は卒業を認定する責任者として、段のうえから渡
したい、いやそうではない、みんなで学んで6年間をすごした印と
して渡すのだから、渡すものと渡されるものと高さがちがうのはお
かしいと、綱引きをして、高さの違いを取りのぞきました。
 それは校長が変わるたびに守ってきたのですが、その時に卒業式
は平場(ひらば)がいいという主張をしてきたものですから、言葉
として使ってしまいました。
 舞台があって演壇があって、そこに呼び出されて証書をもらうの
ではない卒業式のことです。それを私達は「ひらばの卒業式」と言
っています。
 そういう卒業式をするということは、結構、抵抗もあることだし
その抵抗と張り合うには努力がいるというか、日常の実戦がものを
いうというか、そんなことを伝えたかっただけです。
 教えるということは強制することだととるか、子供が物をわかる
筋道にそって、物事を知っていく楽しみを味わってもらうことだと
取るかで随分ちがう学校になるのだろうと思うけれど、今そんな話
をしても駄目みたいですね。ただ、私は教科書は参考資料でそれを
教えなければならないとは思ったことがなくて、教える中身は自分
でさがし、教え方を工夫して楽しむといった暮らしをしてきたから
、君が代よりいい歌が沢山あるといって、それば自明といわれると
そうかなあと思います。だって音楽の先生ってたいてい子供たちが
歌わなくて泣いている人が一杯いますから。
 ある所で、一つだけ日の丸無しの学校がありまして、親は、あの
先生が反対しているけれど、なにせ熱心でいい先生だから、まず仕
方無い。先生の実践が日の丸をあげさせない。その人が転勤したら
すぐ上がりました。だから親がけしからん。他の教師がいくじない
とも言えない。日の丸と君が代になると自分でもどうどうめぐりを
してしまう。これで止めます。さようなら。


#0020 sci4914  9104071853


イペーさん:
> 水道方式とは、民間教育研究団体(民研)の一つである数教協の作
> り出した計算の指導体系です。
> ドル平とは、学校体育研究同士会が作りだしただれでも泳げるよう
> になる優れた水泳の指導法です。

はい。ありがとうございます。言葉の定義はよくわかりました。
しかし、日の丸・君が代の問題が水道方式とドル平と同じというこ
とについてはやはり(純粋に論理の上で)意味不明ですね。

> ひらばとは平場ということで、卒業式が卒業証書授与式ではなくて
> 卒業式である一つのしるしとして会場に段がない。校長も児童も来
> 賓も親も同じ高さにいるということです。
> ...
>  舞台があって演壇があって、そこに呼び出されて証書をもらうの
> ではない卒業式のことです。それを私達は「ひらばの卒業式」と言
> っています。

学校長は学校の責任者なんだから高いところにいる、というのは不
自然だとは思いませんけどねぇ。組織の長なんだから。責任者はそ
れなりに高いリスクを背負ってもいるわけだし。だからと言って学
校長の人間的な価値が高いということにはなりません。(自明)

なんていうかバカバカしい話ですね。

また、式典の演出を考える場合、クライマックスである卒業証書を
手渡す場面を、より目立つ舞台の上で行うというのは極めて自然な
考え方だと思います。そこに何ら差別的な価値観は介在していませ
ん。

よーするに、物理的な高低を人間の価値の高低に強引に結びつけて
るのはイペーさんサイドの人たちだと思いますねぇ。それは教育的
には逆効果ですよ。

>  そういう卒業式をするということは、結構、抵抗もあることだし
> その抵抗と張り合うには努力がいるというか、日常の実戦がものを
> いうというか、そんなことを伝えたかっただけです。

なんらかの努力をされている、ということは非常によくわかります
が、この「ひらば」の卒業式のように、かえって差別意識を生徒に
植え付けるような行為については何をかいわんという感じですね。

>  教えるということは強制することだととるか、子供が物をわかる
> 筋道にそって、物事を知っていく楽しみを味わってもらうことだと
> 取るかで随分ちがう学校になるのだろうと思うけれど、今そんな話
> をしても駄目みたいですね。

教えることは強制することだ、なんて言った覚えは全く有りません。
私が言ったのは、言葉を変えれば、学生・生徒が知っていなければな
らないことは(学年毎に)決まっているということです。そこに効率
的に到達できるように教師は教材を選択し、教え方を工夫するわけで
す。

>                           ただ、私は教科書は参考資料でそれを
> 教えなければならないとは思ったことがなくて、教える中身は自分
> でさがし、教え方を工夫して楽しむといった暮らしをしてきたから

だからこの態度は正しいわけです。

> 、君が代よりいい歌が沢山あるといって、それば自明といわれると
> そうかなあと思います。だって音楽の先生ってたいてい子供たちが
> 歌わなくて泣いている人が一杯いますから。

ここのくだりは例によって何をおっしゃりたいのか全く理解できま
せん。私が自明だと言ったのは、芸術作品として君が代より高い価
値をもった楽曲は世界に捨てるほどある、ということです。

>  ある所で、一つだけ日の丸無しの学校がありまして、親は、あの
> 先生が反対しているけれど、なにせ熱心でいい先生だから、まず仕
> 方無い。先生の実践が日の丸をあげさせない。その人が転勤したら
> すぐ上がりました。だから親がけしからん。他の教師がいくじない
> とも言えない。日の丸と君が代になると自分でもどうどうめぐりを
> してしまう。これで止めます。さようなら。

何かまた意味不明のことが書かれていますが、困ったものですね。
どうして学校の先生というのはこういう風に住んでいる世界が狭い
んでしょ?物理的段差が人間の段差になったり、気にしなければ気
にならないことを変にほじくり返してるだけじゃぁないですか。

元の問題に戻ると、日の丸・君が代が個人的に気に入らないという
ワガママは言うけど、それが合理的にふさわしくないという主張は
まったくといっていいほどありません。そして、その曖昧な点につ
いて正そうとすると、サヨウナラですからね。学校という職場はそ
いういう意味では甘やかされているのかなぁ。一般社会では仕事の
上で曖昧な点があるとしつこく追及されますが、職場としての学校
にはそういう習慣がないのかしら?

#だったら教員になればよかったかもしれない。(笑い)
#一応高校2級、中学1級(理科)の教員免許は持っていたりする。

まぁここの議論から撤退されるのなら以後平場の卒業式とか言わな
いことですね。でなければ折角ここへ書き込みをされたことが無駄
になってしまう。

--
muchida


#0021 sci2526  9104072046

MACHIDAさんへ 
もとにもどっていうと、君が代や日の丸の問題には上げるのが正しいとか
ただしくないとかいう根拠がなにもないということです。
学校で日の丸をあげなさいとというのは学校がそれがいいと思ったわけ
ではない。
君が代だってべつに子供と歌っておもしろい訳ではない。
だから、君が代も日の丸もあげてもあげなくてもどうということはない。
校長があげたいと言えばだめならだめと言えばよい。それでも上がる時もある。
止めておこうかということもある。
実際はどうだったのか。私の関心はそこにある。
もともと論理的に論じるように問題が提起されていない。
だから現場では対応に困ることもありどうしていいかわからないという
こともある。私には町田さんが何をしているのかわからないけれど
教師をしておいでなら、あなたの学校でどうされたのか教えてほしいし、
教育以外の方なら、こんなわけで学校に国旗国歌があるべきだと
明示しほしい。
サヨナラはこの話をつづけて多分私がまける。いつも負けるからいうのだが
負けたあとで爽やかになれるかどうか今のところ不安だからです。
剣道でいうと、貴方の気配には気持ち良く面をうたれそうでない気配を
感じるからです。            イペー


#0022 sci4914  9104072309


イペーさん:
> MACHIDAさんへ 

ええっと、私は muchida、正確には M.Uchida ですのでそこんところどうぞよ
ろしく。

> もとにもどっていうと、君が代や日の丸の問題には上げるのが正しいとか
> ただしくないとかいう根拠がなにもないということです。

ウソです。この場合、掲揚してもかまわないとする立場には根拠はいりませんが、
掲揚するのは正しくないとする立場には明確な論拠が必要です。

> 学校で日の丸をあげなさいとというのは学校がそれがいいと思ったわけ
> ではない。

現場が反対するのは勝手ですが、その場合には明確な理由を示してください。国
旗の有用性等については一応ここまでの議論で私は述べているはずです。それを
覆すくらいの明確な理由がなければダメです。

> 君が代だってべつに子供と歌っておもしろい訳ではない。
> だから、君が代も日の丸もあげてもあげなくてもどうということはない。

正論だと思います。

> 校長があげたいと言えばだめならだめと言えばよい。それでも上がる時もある。
> 止めておこうかということもある。
> 実際にどうでしたか。
> 実際はどうだったのか。私の関心はそこにある。

この調査から得られる結論はどういうものなのでしょう? まさか掲揚しない学
校が多いから、掲揚しないことが正しいとか言い出すんじゃないでしょうね?
学校の管理者(校長?)と現場の先生方との力関係ぐらいはわかるのかなぁ。で
もそんなことはここで議論している日の丸・君が代の問題とは直接関係ないはず
です。

> もともと論理的に論じるように問題が提起されていない。

日の丸に反対する立場の人が、論理的に問題を提起する義務があります。

> だから現場では対応に困ることもありどうしていいかわからないという
> こともある。私には町田さんが何をしているのかわからないけれど
> 教師をしておいでなら、あなたの学校でどうされたのか教えてほしいし、
> 教育以外の方なら、こんなわけで学校に国旗国歌があるべきだと
> 明示しほしい。

私は教員免許は持っていますが、教師ではありません。
私の基本的な態度は、国歌・国旗はあってもいいじゃないか、それが君が代・日
の丸でもいいじゃないか、ということです。

BOOさんとの議論で、私は国歌・国旗の有用性について、私なりに述べてきた
つもりです。BOOさんは国歌・国旗の問題は君が代・日の丸の問題じゃなくて、
それを強制する文部省態度に問題があるという立場です。ですから、BOOさん
は君が代・日の丸そのものの是非については判断を保留した形になっています。
イペーさんの立場は君が代・日の丸を使おうと使うまいとどうでもいい、という
立場のようですね。だからイペーさんの立場も基本的には私の理屈には反しない
はずです。

学校のなかで国歌・国旗がなくてはいけないという科学的論拠はないでしょう。
だけど、あればいろいろ有用である、ということはこれまでに述べてきました。
あれば有用であるものに反対するならば、それには明確な論拠が必要となります。
しかし、BOOさんもイペーさんもそれには答えてくれません。なぜなんでしょ
うか?

> サヨナラはこの話をつづけて多分私がまける。いつも負けるからいうのだが
> 剣道でいうと、貴方の気配には気持ち良く面をうたれそうでない気配を
> 感じるからです。            イペー

だ〜か〜ら〜その気配の根源をもっと論理的に述べればいいのです。そしてそれ
がいわれもない盲信などに基づくものなら反省すればよいのです。

--
muchida


#0023 sci5139  9104280205


 一般に、自己がある集団に属することを認識することは、それ自体としては、
単に事実に関する認識であって、善でも悪でもありません。 
 しかし、そのような認識を特に強く意識する場合、人は自己の利益を重視する
のと同様に、その集団の利益を重視する考え方を取りやすくなります。そして、
自己の属する集団の利益を重視するということは、その集団の外部の利益を軽視
することになる場合があります。そのような考え方が一般的に悪い考え方だとは
言いませんが、あまりその傾向が強くなるのは好ましくない場合があると思いま
す。
 集団の旗、集団の歌、といったものは、その集団への帰属意識を高める効果が
ありますが、あまり強く高めると、弊害も出てくると思います。 αマトン


#0024 sci7332  9112120205

教師っていうのは、きれいごとばかりならべやがるが、
でもやっぱりてめえのことがかわいいんじゃないかい。
反対だと言っても校長ににらまれるのが恐くて
日の丸上げるなら生徒を(在校生だけど)登校させないなんて言い出す始末。
校長もそれでいいってんだから、いい気なもんだね。
まあ、これは入学式の話しなんだけど。
でも、卒業式と入学式はそんなに差があるかな。
格好のいいこと言ってる教師、てめえ共産党だろう。
腹の中じゃあ、校長が恐い、給料が減るのが恐い。
くびが恐い、だって、ささい就職先がないもんね。
     
自衛隊と同じ癖して、気取るのはおやめなさい。
武装闘争路線を放棄して以来、軟派路線をひた走りに走っているから、
格好だけの馬鹿教師ができるんだよ。
そんなに嫌なら日本にピオネールでも作れよ。
赤旗揚げてさ。
そんなのやる気もないんだろう。
できっこないさ。
まあ、酔っているんでろれつが回らないからこの辺にして置く。
共産党の蛆虫は皆殺しにしたいぜ。
ANYA