Edu00060 「だから英語がしゃべれない」w #0000 sci5243 9005022152 日本人は英語が話せなければならないのでしょうか。 ムーン #0001 sci5243 9005022154 新聞広告によると、「現代」6月号に「だから英語がしゃべれない」というタイトル で「欠陥英和辞書の研究」の著者として知られる代々木ゼミナール講師の副島隆彦さん が論を寄せていらっしゃいます。 この文はまだ読んでいませんが、一つ考えて見たいのは、果たして我々は「だから三 角関数ができない」と題する文章を普通に受けとめるかと言うことです。 また、「だから英語がしゃべれない」という題の前提には「英語が喋れなくてはなら ない」という主張が伺えると私は思うのですが、我々はみんながみんな英語を話せなく てはいけないのでしょうか。 更に、我々は本当に英語が喋れないでしょうか。日本には通訳がいないのか、翻訳は どうしているのか、つまり、英語を必要とする人で、英語が使えない人などいるのか、 使いもしなければ必要でもない人が「しゃべれない」などと言っているだけではないの か、どうして英語に限って「しゃべれない」ことが問題になるのか(ヘブライ語ができ ないと言って悩んでいるひとはそれを必要としているひとでしょう)、こういう疑問が 浮かぶのです。 わたしは言語学を専攻するものですが、第一外国語である英語すら必要な範囲しか使 えません。これは、必要な日本語しか使えないのと同じことだと思っています。 国民全員が訳もなく英語が話せる国になどなって欲しくもないです。それではまるで 植民地ではないですか。 賛否両論お待ちしています。 ムーン #0002 sci4831 9005030018 必要なときにしゃべれればいいですよ。なんていったって英語はコミュニケーション の手段なのですから。 私の授業では(中学の英語教師です)一年生の初めての授業では一時間全部英語です。 でも生徒は私が何をいっているのかわかるのですよね。 つまり必要なとき解ればよいのです。 How do you do? My name is Yamazaki Satoshi. Nice to meet you. これで立派なあいさつです。一部の人だけが世界とつながっているのではないのだから ぜひ「出来る人に任せとけばよい」などと思わないためにも中学の英語で一般生活は十 分なのだからやってみてください。 ちなみに私、三週間のヨーロッパ一人旅で必要で使った英語を書き出したらすべて中二 の英語ですみました。 では。 て #0003 sci4813 9005030108 英語を身につける事は、とても大変である。第一、中学一年生の時から、 長い人では大学まで勉強しても自由に使えるようにはならないのであるから、 大変さも度を越えている。なぜ、これほどまでに大変なのであろうか。単に、 英語が日本語とは、全く異なった言語構造を有しているからという理由だけで はなさそうである。 言語というものは、文化によって形成されてきたものである。また、文化は、 言語によって形成されてきたとも言えるのである。どちらが先かを論じても、 これは卵と鶏の話しと同じで、結論は出てきそうもない。ただ言える事は、 文化も言語もその環境に適するように、そこに住む人間が、意識的に、あるいは 無意識的に作ってきたという事である。 つまり、環境という背景の上に、文化と言語、そして人間という三角関係が のっているわけである。そして、その背景とそこにのっている三者は相互に 影響を与えあうという、いわば相関関係にあるのである。 さて、言語と人間との関係についてはこれぐらいにして、本題に戻りたいと 思う。 現在の日本の文化が、我々の言語活動に深く影響を与えている事は、 先に述べた事から容易に推論できるはずである。 日本は、戦後、最悪の文化的状況からいち早く立ち直り、現在世界的な リーダーシップが取れるほどまでに成長してきたのである。さらに、その社会の 内部を細かく観察してみると、他の社会には見られないいくつかのおもしろく ユニークな現象が観察されるのである。 例えば、日本における警察の存在が、ことにアメリカのそれと大きな違いが あることは、映画などでも一般に広く知られているが、その機構の内部的な 違いは別として、それによって作られた現在の社会的環境が明らかに違うので ある。 日本で生まれ、生活し続けている日本人は、日常、自分の命が脅かされる等 という考えを一度も持ったことがないかも知れない。これは、日本の警察機構が 優秀であることの裏付けになることであり、決してそういう社会を望んでは いない等と言うことではない。そういう社会になることは、誰もが希望して いるが、実際、他の先進諸国でさえもなかなか日本のような社会的環境には たどり着けないでいるようである。 望まれる社会的環境を現実化した日本は、そのために代価としていくつかの 本能的感覚を失う羽目になったのである。その失われたものこそ、言語を身に つける上で大変重要な感覚、つまり、自己防衛である。 人間のような言語を有していない生物は、物理的に自己を防衛するため いかなる手段を取るのだろうか。ある本によれば、犬が敵から攻撃を受け、 自分の命が危ないと悟とると、とっさに自分の腹部を敵に見せてしまうそうで ある。そうすることで、敵はそれ以上攻撃できず、戦いは終わると言うのである。 この場合、人間とは異なり、物理的な自己防衛が目的であるが、人間の場合は、 いわば戦争という物理的自己防衛を強いられるものと、もうひとつは精神世界 という心理的自己防衛を強いられるのである。強いられると言う表現をあえて 使ったのは、それを有してしまったために視覚的には、他人から見ることの できない世界が存在し、さらに他人の精神世界との違いが生じるため、 一方では相手の精神世界を否定しなければならなかったり、また一方では 自分の精神世界を変えねばならなかったりするのである。 このような見方をすると、人間の持つ精神世界が、人間を苦しめている ように感じられてしまうかも知れないが、歴史に目を向けてみれば、それを 有したことでいかに多くの発見や発明が行われ、文化が発展してきたかが わかるはずである。 ここで本題にもう一度立ち返ってみると、現在の日本では物理的に自己を 防衛することが必要ではなくなったと言える。それと同時に精神的にも自己を 防衛する必要がなくなったとも言えるのである。 防衛することがなくなることは、実に平和的な印象を与えるのであるが、 果たして真に平和的なのであろうか。 うがった見方かも知れないが、守りたいと思うものが何もなくなって しまったとも言えるはずである。物理的な意味で、何も守る必要はないことと 同時に精神的にも何も守る必要がないことは、いったい何を意味するので あろうか。 ここまで論を進めてくると、どうも現在の日本人が使っている日本語は、 自己を守るために使われるのではなさそうである。 先ほど、言語は自己防衛のために使用する道具であるということを話しま したが、もしその目的では使われない言語があるとすれば、なんのために 使われるのであろうか。 TO BE CONTINUED SUNRIZE #0004 sci4813 9005032148 実は、私も『欠陥英和辞書の研究』を読んだのですが、概ね、彼の意見には 賛成です。今まで誰も批判してこなかった分野なので、批判される側としては、 かなり言いたい事があると思います。ただ、だからといって、あまり情けない 反論をして欲しくはないですね。聞くところによると、言い訳がましい反論を していたらしいので。 それはともかく、関連記事として前回アップしたものは、以前からパソコンに 入力してあったもので、後から読んでみると、随分論点がずれていたのですが、 日本人の英語運用無能力論をいくら展開しても、最終的には個人の判断になる 訳です。つまり、英語なんか話せなくても生きていけると判断するか、あるいは やっぱりこれから国際社会に生きていくんだから、話せなきゃいけないと判断するか は、他人に決めてもらうものではないはずです。だから、今までにされてきたような 論を進める事には、何ら意味がないものと思います。 SCI5243さんのおっしゃりたい事は、日本人の語学に対する大前提の認識 が甘い、という事でしょうか。これは、簡単にそう言ってしまうと、現状を改革する ために方法を考えるまでには至らず、机上の空論となってしまいます。 それから、英語に限って『話す』事ばかりが、問題になっていることへの疑問 ですが、これは、もっと根本的な問題をまず考えるべきでしょう。 つまり、日本人にとっての言語観とアメリカ人にとっての言語観の違いが、それ以前に 存在すると思います。アメリカ人も含めて欧米人、あるいはその他の外国人の多くが 持っている言語観は、言葉とは自分の身を守る武器である、ということではないで しょうか。だから、日本に来て数カ月経つと、かなり日本語が話せるようになる訳 です。もちろん、日本人が外国へ行った場合も、そうなるはずですが、現実は そうなっていないようです。何がそこで違いを作ってしまうのでしょうか。 私の推測ですが、武器としての言語観を持つためには、自分一人で言語は武器だ、 と思いこんでも駄目だと思います。そのためには、感覚的にそう感じざるを得ない ような環境がなければなりません。そうした環境の中で生活してきた結果、 感覚的にこのような言語観を持つことができるのではないでしょうか。 さらに、ひとつの言語を習得するために、母国語ではどうだったのかを 考えれられれば、自ずと、『話す』ことだけができるなんてある訳がない、と 思うはずです。つまり、先ほどの言語観の違いが、こんなことまで影響を 与えてしまうようです。 私も、現在、某塾で中学一年生に英語を教えていますが、現在の英語教育には、 不満を通り越して、失望と怒りがこみ上げてきます。 英語は話せれば良いとか文法なんか知らなくても良いとか、いい加減なことを 言う人が多いのは確かですが、私からすれば、それは、単なる手抜きとしか 思えません。特に、中学一年生の段階で、もし基本的な文法を知らなかったら どうなるかはご存知の事と思います。中学三年生になった時、まったくわからなく なってしまうはずです。ましてや、公立中学であれば、高校入試が待っている のですから、そんなことをしていれば、公立の入試問題すらできなくなります。 現在の入試制度が変わらない以上、理想としての英語教育は、百害あって一理無し ではないでしょうか。 SCI4831さんのおっしゃっていることは正しいと思います。しかし、もし そのような指導していって、その生徒達が中学三年になった時、もし高校入試に 対応するだけの英語力がなかったとしたら、どうでしょうか。教える側は、失敗だっ たと反省すれば良いのですが、教えられた生徒達はどうするのでしょうか。 現場でどのように指導しているのか、詳しくはわかりませんが、できたら授業の 内容をアップして頂きたいのですが。 英語力とは、文法力と単語力です。また、文法力とは、思考力に他なりません。 さらに、思考力とは・・・。日本人にとって思考することは、とてつもなく難しい と言わざるを得ません。思考力を理性と置き換えても良いでしょう。では、理性とは、 原理、原則に基づいて演繹的に行動する性質とでも言っておきましょう。もちろん、 経験則もその中に含まれますが、日本人が弱いのは、独自の内面世界を構築し、 自分自身の原理・原則を定め、それに基づいて行動していく事のような気がします。 その原理・原則は、新たなる経験をした時、もしそれまでの原理・原則で説明でき なければ、今までの原理・原則を作り替えなければなりません。そうする事によって、 内面世界が広がり、それは外界に対しての理解が深まる事にもなります。 かつてニュ−トン力学が当たり前であった時代から、今やアインシュタインによって 宇宙空間での自然現象までが説明できるようになったのは、ニュ−トン力学を全く 捨て去ってしまったからではなく、ニュ−トン力学では説明できなくなり、 原理・原則を変えなければならなかったからであり、同じ事が人間の内面世界の 成長にも当てはめられると思います。 では、また・・・・SUNRIZE #0005 sci5243 9005032359 SUNRIZEさん。基本的な立場の確認をしたいと思います。 私は、「日本人」が語学に対する認識が甘いなどというあいまいな主張はしておりま せん。「日本人」はこうで、「外国人」はああだ、という過剰な一般化は、「理性」を いて何かを論ずるとき、避けねばならないことだと思います、。また、言語は自己を守 る道具である、といった拡大解釈の余地がありすぎる主張も、私には受け入れがたいも のです。私が問題にしているのは、「だから英語がしゃべれない」といったまさに過剰 な一般化に基づく議論の是非なのです。 こちらの主張を理解せぬまま「それでは机上の空論である」と言っていたのでは、 それこそ議論が進展せず、その名に恥じない「空論」が出来上がってしまうでしょう。 不思議だったのが、演繹的行動の中に経験則を含めるとしか読めない主張です。経 験則を含めるのなら、帰納になりませんか。帰納からの結論を仮の原理として演繹を行 なえば、それはむしろAbductionと呼ばれるものでしょう(適当な訳語がないので原語で 書きました)。 あなたの日本の英語教育に対する意見も、批判なのか賛意を示しているのかがわか りませんでした。日本の英語教育に絶望を感じるとしながらも、まさしくその具現であ るところの入試への対策を第一目標にしている矛盾はどういうことでしょう。そのよう な矛盾を産む構造に対する批判であり、怒りであると理解すればよいのでしょうか。 「日本人にとって思考は困難である」という主張に至っては、過剰な一般化の極み でしょう。「ではあなたは?」という問いにどう答えますか。 ムーン #0006 sci5243 9005040233 SUNRIZEさん。Dwight Bolingerの'Language: The Loaded Weapon'はお読みになりま したか。もしお読みになっていなくとも、以下の論旨に変わりはありませんが、気にな ったことがあるのでので書いておきます。なお、未読であってもそれじたいを問題にす る気はまったくないのはいうまでもありません。ある本を読む読まないは他人があれこ れいうことではありませんから。 さて、上に挙げた本は、言語の'Loaded Weapon'としての一面を扱ったものです。決 して、言語=武器などという短絡的な主張をしたものではありません。 言語とはなに何 である、という主張は、あまりに対象を矮小化するものではないでしょうか。いまのと ころ我々に可能なのは、言語にはこういう性質もある、と、撫で象式に把握していくこ とではないでしょうか。 言語とはすなわちなに何である、という言明を、はたして言語を用いてなすことが出 来るのか、つまり、集合の要素に集合全体を定義させることが出来るのか、といういさ さか形而上学的な問いも設定可能でしょう。 あなたが「言語とは自己防衛のための武器である」と主張なさるのは自由です。しか し、それを前提として論を進めるためには、まずその根拠を説明することが必要でしょ う(説得できれば一番ですが)。 ムーン #0007 sci5243 9005041959 先程買い物のついでに、例の「だから英語が・・・」を立ち読みしてきました。 ざっと見たところでの、疑問点を。 This is a pen.をSVCに分類することの出来る人はほとんどいない、それは「これは」 という不自然な語が主語として不適格であるからだ、という主張があります。 なぜthisについて語るのに「これは」の適格性をいうのか。I'm surprised...という 表現を語るにおいて、「私は驚かされた」という日本語の適格性をうんぬんするのと同 じではないですか。 また、上の文を「ほとんどの人が」(一応この主張を認めたとして)SVCに分類できな いのであれば、それはむしろ5文形という分析方法の欠陥を示すものではないかと疑っ て見るべきでしょう。時代順にいって、Jespersen,Poutsma,などの伝統文法、Bloomfiel d,Sapirに代表される構造主義言語学、Comsky以後の生成文法、どれを取っても5文形を 採用してはいません。 つぎの文を5文形ではどれに分類したらいいのでしょうか。 John put the book on the table. また、驚いたことに、副島さんの批判する「日本の英語教育」こそがこの5文形の最 大の庇護者であることは、みなさんが学校で英語の時間にこれを教わっていることから も明らかです。 むしろ、5文形を愛用している点において、副島さんと「日本の英語教育」は大きな 共通点を有するのです。 今度の立ち読みで思ったことですが、英語教育への批判はおおいになされてしかるべ きですが(実際、帰国子女の問題など、いいことが書かれています)その正当化のため に、知りもしない理論への的外れな批判や、辞書を会話の教本と取り違えたとしか思え ない八当たりはやめるべきではないかということです。そうしないと、彼の主張のうち の良質な部分までが偽物扱いされてしまうでしょう。 理論への批判は、天気が悪いことについて、気象学者に文句を言うようなものです。 ムーン #0008 sci4813 9005042331 SCI5243さんの反論を読ませていただきました。 まず、議論と言うのは相手の言葉(文字)から相手の考えがどのようなもので あるのかを理解し合う事だと私は思います。相手の意見や主張に対してすぐさま 少しでも論理上のミス(?)を見つけてそれを槍玉にあげて批判しても、 それこそ議論が進まないのではないでしょうか。 誤解して欲しくないのですが、お互いの経験や環境が異なる以上、なにか一つの事に ついて話し合うときにお互いの大前提が違っているのは当然であり、そうでなければ、 話し合う事もないと私は思います。 それから、今、塾で中学生に英語を教えながら、様々な教育問題に直面している という現実問題がある訳です。自分だけではなく、多くの英語の先生達がこと英語 教育については悩んでいるはずです。明日の授業が待っている、生徒達がそれを 受ける、という中で、現実的な、あるいはプラグマティクな話し合いの方が有効では ないでしょうか。解決方法までとはいかなくても、自分自身の経験から得た教育観、 人間観、世界観等を伝えあうことの方が有益ではないでしょうか。 最後に、現実は合理的思考と全く異なる次元です。現実を考える、つまり言葉に代え る訳ですが、現実に起きている現象をすべて合理的思考のみで整理できるとは思いま せん。私の表現が矛盾している事を述べていると、あなたは受け取ったようですが、 これを理解してもらおうと思った方が悪かったのかもしれません。 ディベ−トのような議論は、自分の表現力を磨くためには良いと思いますが、相手との 理解を深める、つまり相手の内面世界に入るということから考えると、あまりうまい 方法ではないように思います。 どんなに難しい理論を知っていても、それらを自分で試してみなければ役に立ちま せん。他人の考えといくら戦っても自分には何の意味もありません。意見を言うために、理論を知らなければならないとは思いません。問題なのは、教育現場の先生方にとって どういう指導が効果的なのかということです。しかし、これはとても難しいことで あり、私自身、毎年経験を積みながら、来年はもっと効果的な教え方をしようと思いな がら教えています。 5文型についてですが、私は、英語の文の単純さを教えてくれるひとつの便利な 考え方ではないかと思います。もちろん、すべての英文を明確に5つの文型に分けら れるとは思いませんが。 私自身、常々自分に言い聞かせている事があります。『物事は考え方の数だけ存在 する。人間の生き方も考え方の数だけ存在する。ひとつの考え方しかできない人間から は、別の考え方をしている人間を理解することはできないでしょう。しかし自分の 考え方を違った視点からとらえる事ができる人間は、他人の考え方を理解できる。』 という事です。誤解を避けるためにつけ加えておきますが、理解する事と賛成する事 とは全く異なるもので、もう少し詳しく言えば、相手の言葉から相手の過去の体験等 を追体験することと言えるかも知れません。 相手に対しても、あるいは人生の問題に対しても、そこで最も大切な事は、今より 良い状況にするにはどうしたら良いのか、という事であるような気がします。 問題は、対象自体にある訳でなく、対象のとらえ方、考え方にあると思います。 そのように考えることで、すべてが自分の人生にとってプラスになる訳です。 私の中学一年生に対する英語の指導方針(90年3月より) 前提 音声指導を重視する。 アルファベット、単語、文をまず音で覚えさせ、発音できるようにし、 次に読む事、書く事と進めていく。 方法 毎時間の音声指導(繰り返し発音を練習する) 全員が覚えられるまで、ローマ字やアルファベットのテストを行う。 アルファベットはディクテ−ションのテストも行う。 授業の終わりの15分を使って、BE動詞を用いた簡単な文を音で 覚えさせる。さらに、相手に対する質問と答え方も覚えさせる。 これぐらいでしょうか。始めてからもう2カ月が過ぎてどうなっているかというと、 数名の途中入会の生徒を除けば、全員がBE動詞の文の疑問文・否定文の書換は 覚えてしまいました。一応全員ができてから、文のからくり(文法)についての 説明をしておきました。 以上が今年の指導経過です。 #0009 sci5243 9005050453 SUNRIZEさん、私が枝葉末節にこだわる揚げ足取り的な書き方をしたとおっしゃいます が、もう一度私の書き込みを読んで下さい。どうですか。むしろあなたの中心的な主張 である「言語=武器」説のあいまいさ、「日本人に思考は困難である」という意見の乱暴 さ、言語と行動の関係をあなたが演繹で捉えようとしたときの理論上の破綻を指摘した ものでしかないでしょう。 それは二次的な問題と仮におきましょう。大事なのはあなたがおっしゃるとおり、議 論によって共通の納得できる見解を見いだすことです。 5文形によって捉えられない文も存在するが、教育の手段としては便利なものである 、あなたのこの意見に、我々の共通の見解があると思います。言語は多種多様の文形を 持ち、とても5種類にすべてを分類しつくすことは出来ない、にも関わらず、教育の現 場ではある程度はっきりとこれはこういうものだと示して道筋を与えてやる必要がある 、そこで用いられるのが5文形である。こういうことであれば、なんら問題はないわけ です。ところが、副島さんは、その学習のための仮の装置である5文形をもって、はる かに大きな説明能力を持つ理論の批判をしたのです。はっきり言ってしまえば、現在の 言語理論がやっていることは、当面のあいだ、語学教育と接点を持つことはまずないで しょう。つまり、おなじ言語を扱ってはいるものの、まったく別の分野のことなのです 。理論のうちの比較的認められた部分を教育に応用しようという試みもありますが、ま だまだ成功とは言いがたいものです。 太陽が地球の周りを回っていると言う主張で、こどもに日の出、日の入を説明するこ とは可能でしょうが、それをもって天文学を批判することは的外れではありませんか。 ムーン #0010 sci4813 9005051625 SCI5243さんへ あなたにとってそうした批判を行う事にメリットを感じるのであれば、そうすべき だと思います。ただ、私にはなんらメリットが感じられないので、残念です。 それから、私がアップした言説はひとつの意見であって、一度も理論だなどと 述べた事はありません。人が何かを言うと、すべてそれは理論になるのでしょうか。 私自身、学者ではなく単なる一教師にすぎません。学者でなければ、あるいは理論を 詳しく知っていなければ、とかでないと物事について語ってはいけないのでしょうか。 それこそ、言論統制であると思います。 ここで議論するメリットとは、普通なら所属している集団内でしか伝わらないような 個人的意見や経験等をまったくの他人が知る事ができるという事です。そして、そこ から自分にとってプラスになる話があれば、それを利用して自分の人生を豊かにして いく事です。 そうだとすれば、そこにあるべきものは学識の高い学者の理論より、自分の経験に 根ざした意見の方ではないでしょうか。お互いに自分の心を開き、理解し合う姿勢が あってこそ、意見が出し合えるはずです。 哲学の歴史にしても科学の歴史にしても、今までは批判と実験の繰り返しで発展して 来た事は事実です。しかし、現代のように社会が急速に変わっていき、情報の伝達が 速度を増せば増すほど、地球自体が大変狭くなっているのです。つまり、以前では まったく社会の表面に出てこられなかった一般大衆が、これを利用する事で僅かかも 知れませんが社会に対して影響力を持つ事ができるのです。 私も、以前といってももう十年前になりますが、大学時代にそうした批判に夢中に なった事がありました。その経験は今でも決して無駄ではなかったと思っています。 しかし、あれから様々な現実に出会う中で学んだ事は、自分が自分自身を向上させる には他人に対して批判するのでなく、自分自身に対して批判する事です。よく批判し あう中から、素晴らしい創造的なものが生まれると言われますが、そうであれば一番 良いでしょう。 ただ、そこで恐ろしさを感じてしまうのは、自分の行動に対しては批判せず、他人の 言動には喜々として批判するといった状況が生じてくるのではないか、という事です。 社会的に認められている学者の理論に対していくらでも批判する事はできますが、 自分の仕事や生活には目を背けているという事になったらとんでもないと思います。 それからもう一つは、批判をするためには自分の中に具体的な代替案がなくては いくら批判しても無駄だと思います。議論とは、現実的な問題をいかに解決するのか を目的にすべきであって、ただ言葉を難しくし、複雑な表現を取る事であれば 主婦達が好きな世間話と同じ事だと思います。 >太陽が地球の周りを回っていると言う主張で、こどもに日の出、日の入を説明するこ >とは可能でしょうが、それをもって天文学を批判することは的外れではありませんか。 もう少しわかりやすくして頂かないと、私のような凡人には理解できません。 できるならば、もう少し読む人の立場に立って言葉をわかりやすくして頂ければ 良いのですが。 では、また・・・SUNRIZE #0011 sci4813 9005052145 私の場合、英語と始めて出会ったのは中学一年の時です。中学時代はほとんど4か5 をもらっていたと思います。当時の英語の先生は、私のクラスの担任でもあったのです が、今思うと、発音は下手でしたが、毎時間必ず単語のディクテ−ション・テストを してくれた事が役に立っているようです。何とかそのテストで満点を取りたくて、当時 やっと一般家庭に普及し始めたカセット・テ−プレコ−ダ−を買ってもらい、自分の 声で単語を吹き込み、それを聞いて単語を書き取る等という事をした記憶があります。 それから、高校に入学すると、そこで英語を教えて頂いた先生がやたらに文法を詳し く教えてくれました。難しいというのではなく、細かく教えてくれた事がかえって 良かったのではないかと思います。宿題で毎時間数枚のプリントが渡され、本文に ついて文法的な事と同時に内容読解も教えてくれました。現在の英語力の基礎は、その 先生に作って頂いたようです。しかし、今でも覚えているのですが、私の発音が ひどくて、授業中みんなの前で読まされた時、『あなたの発音は、下手ですね。』と 言われた事がありました。今でもこれは恥ずかしかったというより、楽しかったという 気がします。高校でも、英語の成績は4だったと思います。 さて、自分ではまさか英語を専門にするとは、思ってもいなかったのですが、漫画家 になりたいという夢を捨てなければならなくなり、大学で外国語学部英米語学科という 所に籍を置く事になりました。当時、松本道弘という人が、『英語は、道である。』と いうメッセ−ジを引っ提げて出版された本にかなり刺激を受けた事を覚えています。 彼の処女作である『私はこのようにして英語を学んだ』は何度も何度も読み返して、 しまいには表紙も中身もボロボロになってしまいましたが、彼の英語に対する考え方に 傾倒していた時代でした。授業以外に自分でハ−ド・カバ−の小説を原書で発音しな がら一日中読んでいたり、あるいはFENを暇あるごとに聞いてみたりとかなり 集中的に勉強していました。そのせいか、発音や直感的に意味をとらえたりするのは できるようになりましたが、やはり早く話されたりすると聞き取れないので、これ以上 は無理だと思い、松本氏のいう知的枠組みを広げようと読書に重点を置くようになりま した。一年間で300冊読む事を目標に4年間続けました。その習慣は今でも続いてい て、現在一か月平均20冊ぐらいは読んでいます。もちろん、漫画や週刊誌などは除い た数字です。読書については、そのうちまたアップしたいと思います。 また、夏休みにECCの夏期集中特訓に参加した事もありました。こうして、自分の 英語歴を振り返って見ると、こんなに努力してきたんだなあ、と我ながら感心してしま います。現在、英字新聞JAPAN TIMESをかなりのスピ−ドで読めるようにな りましたが、英語で必要な事は基本的な文法と英語以外に対する興味や好奇心があれば それなりにわかるようになるのではないでしょうか。いくら単語を覚えていても、 各分野での話題自体がわかっていないと、理解できなくても当然だと思います。 そして、『話す』事、つまり、『音として使う』事ですが、これも練習しないと、 発音がうまくなる等といった目的ではなく、読んだり書いたりする力がなかなかつかな いと思います。外人並の発音でペラペラと格好良く話せる事など何の意味もありま せん。そんなことより、発音は日本人ぽくても、話す内容がしっかりしていれば良いと 思います。 では、また・・・SUNRIZE #0012 sci4920 9005080012 「現代」6月号は入手するつもりですが,最初の議論によく見えない点があるので 問い合わせをします。 「だから英語がしゃべれない」というタイトルには「(英語教育が悪いから)英語 がしゃべれない」,「(自分で話したいと思っていて努力しているのに)英語がし ゃべれない」,「(とっさに話さなければならなくなったけれど)英語がしゃべれ ない」.....などの様々なニュアンスを持たせられますが,この本の中では実 際にはどういう意味を指しているのですか? By Nori #0013 sci3177 9005090057 英語を日本人が話す必要はないと考えます。 郷にはいらば郷に従えで、英語が必要な方が 話せばよろしいと考えます。 T #0014 sci5243 9005122005 SUNRIZEさん。どうもよくわからないのですが。「意見」だろうが「説」だろうが「理論 」だろうが呼び名はどうでもいいのですが、何らかの言明を行なっておいて、否定され た途端に「あれは意見だから批判はおかしい」というのはどういうことですか。それぐ らいならなぜ主張を行なうのですか。 少なくとも一度は演繹だの帰納だの「論理」の言葉をつかって「自説」を主張なさっ たあなたが批判自体への返答もせず、「批判にメリットがあるならすればいい」などと いった議論からの逃げを打つのはどういうことですか。 前回の私の書き込みへの具体的反応をお待ちしています。 また、「学者の説」の批判を私がしているとお思いの様ですが、あの著者が学者であ るとお思いですか。 「概ね賛成です」と書かれた以上、「難しくてわからない」という 言葉は言い訳になりません。賛成であると言われる以上、あなたが理解の上でそういっ ているとこちらが考えるのは当然ではないですか。 はっきりいっておきますが、こんな議論をしたところで私にはメリットはありませ ん。それを自覚したうえで私がするのですから、人に言われることではないと思いま す。また、本当に「天文学・・・」の意味がわからなかったのですか。 純粋理論と教育用の道具建てを並べて考えるのがおかしい、という意味です。 ムーン #0015 sci4813 9005130017 それほどまでに物事を合理的に割り切って議論をしたのであれば、どうぞ 勝手にしてください。ディベ−トのように議論をするならすると基調発言で 書いておいて欲しかったですね。ディベ−トというゲームを前提に進めるの であれば、当然あなたのいうようにすべきでしょう。でも、もしそうであったら 関連発言は書かなかったでしょうね。 それから、 >SUNRIZEさん。どうもよくわからないのですが。「意見」だろうが「説」だろうが >「理論」だろうが呼び名はどうでもいいのですが、何らかの言明を行なっておいて、 >否定された途端に「あれは意見だから批判はおかしい」というのはどういうことです >か。それぐらいならなぜ主張を行なうのですか。 いい加減にしてください。逃げるというなら逃げているのでしょう。あなたの語ること がすべてを決めつけていけるほど知性が優れているのであれば、自分で考えた方が良い と思います。私に批判をするななどと書いたことはありません。批判することがあなた にとって最善の方法であることはよくわかりましたが、ほかに人と話し合う方法はない のでしょうか。こういうSIGでは、自分に100%理論的合理的な主張ができない限 り主張してはいけないのでしょうか。私はあなたほど知性がないのでしょうね。 ともかくここではあなたのように知性を持たなければ主張できないということなので この辺で書き込みをやめます。 では、SUNRIZE #0016 sci5243 9005131703 いま「現代」を再び立ちよみしてきました。「だから英語がしゃべれない」の「だか ら」に含意されているのは、どうやら「日本の英語教育」のようです。 それならそれで結構ですが、「だから英語がしゃべれない人もいる」が適当だったで しょう。 読み返していただければわかりますが、私が言っているのは、どうして英語という対 象だけ教育効果が問題になるのかということです。使わなければ出来ないのは当たり前 ではないかと思うのですが。そして、それを恥じたり奇妙な劣等感に悩んだりするのは おかしいとも。 現に、必要な人はなんとかして出来るようになるではないですか。 副島氏の文は、批判というよりはむしろ自己宣伝に過ぎないものでしょう。加えてま たも間違いだらけでした。 impedimentが元来言語障害などの場合に使われる、とのことですが、何を言っている のでしょうか。それでは「障害」という日本語は元来言語障害の場合に使われると言っ ているのと同じです。ちっとも「元来」ではないのです。そういう使い方も出来る、と いうだけの話でしょう。こういっためちゃくちゃな無神経な例を出してくる人物が言葉 の教師をやっているとは恐ろしいことだと思います。 更に、look atのatが前置詞ではなくて「後置詞」だとのことですか、こういうことが いえる事自体、彼の不勉強を物語っています。確かに「後置詞」と言う用語はあります が(postpotition)、それは日本語でいう助詞や格助詞、つまり名詞の後ろに置かれる詞 を指すのです。副島氏などに言われるまでもなく、look at, take care of, laugh atな どは、全体として動詞として扱うということはもはや常識であり、いかにも自分だけの 思い付きであるような書き方をするのは異常です。アメリカの文法学者にもそう言って いる人がいる、とのことですが、だれが後置詞と言う用語でatなどを指していますか。 馬鹿なことを言ってはいけない。更に言えば、上のような動詞+(名詞)+前置詞のグ ループを全体として動詞とみなすやり方は、副島氏が知りもしないで批判する生成文法 の得意とするところです。本当にこの人はなにも知らないのだなあと思い知らされまし た。 SUNRIZEさん。あなたは「概ね賛成である」と書いた人です。議論を元に戻しましょう 。私は「私はこんなに英語が出来る」というような話に興味はないのです。それはまっ たく個人的な事であり、現在の論点に無関係です。あなたが持ち出した言語観や、これ もあなたがいい初めた言語と行動の関係、また加えてこれもあなたが言った「日本人に 思考は困難である」という意見への私の批判への、あなた自身の反応をまだ受け取って いません。 SUNRIZEさん。私も現場の人からは貴重な意見が聞けると思います。その意味で、前の 方であった中学校の先生をなさっている方からの反応は貴重なものだったと思っていま す。いまあなたは「それぞれの立場からの意見が大事だ」とおっしゃいますが、議論に 不適切な理論めいたことをいい初めたのはあなたなのです。読み返して下さい。 ムーン. #0017 sci3177 9005131957 ムーンさんのおっしゃっていることが (議論の方法として)全面的にただしく、 SUNRIZEさんのおっしゃっている やりかたは議論として最低であると思い ます。議論の内容はともかくとして、方 法としてムーンさんを全面的に支援しま す。 わたしもこういう無責任極まり無い議 論のやり方には怒りを覚えます。 T #0018 sci5243 9005140200 Tさん。ご支援有難うございます。アンフェアになるのでこれ以上の事は 言えませんが、とても嬉しかったです。 ムーン #0019 sci3177 9005142342 >ムーンさん そういっていただけるとこちらとしても うれしいです。 >SUNRIZEさん あなたの議論の方法がまずいと思うのは ここのコーナーに関してだけです。個人的 にどうこうということではありませんので ほかのコーナーに持っていくようなことは しません。 T #0020 sci3859 9005150120 英語のことはよくわからないのですが、ムーンさんの 基調が持つ視点とSUNRIZEさんの視点がかみ合って いないような気はしていました。 SUNRIZEさん、やはりご自分の主張についてその 根拠に言及することは必要だと思いますよ。 ただ、ムーンさんのアーティクルは、副島氏の文章に 対する憤りのためか、かなりテンションが高いので、 それが豊富な学識に基づいた発言だけに、私のような 素人には、結構威圧感があるというのも素直な感想です。 こちらの勝手な印象なのですが、「へたなことをいうと かみつかれてしまいそう」な感じを覚えてしまうのです。 英語あるいは言語学にたいする造詣が深くないとちょっと 発言しにくいかなあという感じです。 勝手なお願いですが、もう少しテンションを押さえていた だけると話題に加わり易いのになあと思います。 英語を話すことが必要になることはめったにないのですが、 ときたま英語圏の人と会う機会があるので、こんなとき 自在に会話を操れたらどんなに楽しいだろうと思い、 学生時代に受けた英語教育がわが身に実らなかったことを 寂しく思う三月兎です。 #0021 sci5243 9005180108 テンションの高さは私も気になっていました。仮に「いっちゃってる」と言われても 仕方のないところでした。ははは。 内容の細かさについてですが、これは議論の性質上仕方のない事だと受け取って欲し かったです。私にしたところで、あのような事をガタガタ言ってもしかたがない のですが、また、だからこそ基調では一般的な事を書いたのですが、関連発言がわたし のテンションを。言わぬが花でしょうか。 中学校で教えておられるかたのような書き込みを期待していたのです。 反論がどうしても専門的なことにならざるおえない出鱈目をぶちかますのは、やはり 卑怯である、と実感しました。ばれにくいですからね。外の分野の人には確認とるのも 大変だし。 反論の方法も場所も限られるし。反論についての確認までとらなきゃならないし。 私も私の知らない政治やなんかの世界で同じようなことがあれば騙されるのでしょう か。出鱈目はなくなって欲しいです。 ムーン