Edu00057 登校拒否の問題について

#0000 sci5073  9004180027

 今日、あるテレビ局のニュースで教育問題について特集していましたが、
登校拒否児の多さに驚きました。

#0001 sci5073  9004180028

 今日、あるテレビ局のニュースで教育問題について特集していましたが、
正直言って、登校拒否児の多さに驚きました。
去年の数字とのことですが、現在登校拒否児は約4万人おり、10年前の
約3〜4倍とのことでした。これは、報告された数字であって実際はこの
4倍くらいいるということもつけ加えていました。(事実であれば大変な
数字だと思うのですが・・・   私が、小学校・中学校・高校に通って
いたときには、まわりのクラスも含めて登校拒否をする子は一人もいなか
ったように記憶しています。)  また、その最大の原因は、”教員に対
する不信感”だそうです。

 みなさんは、どう御感じになりますか?

        初めて基調書き込みをした  
                      すずめ  
                           でした。

#0002 sci4794  9004181231

現役を離れて、いくらか間が開きまして、そんなに多いとは知りませんでした。
                   マイケルのパパ

#0003 sci2714  9004181631

  単に私個人の言葉の好き嫌いというの問題なのですが、
  登校拒否児童という表現、特に登校拒否の部分が好きではありません。

  不登校児童とか学校に行きたがらない児童とかの表現ではいけないのかなぁ?

  kita-4

  p.s.  この関係で、「東京シューレ」に詳しい人の話が聞きたいなぁ.

#0004 sci3177  9004200040

 kitaさんの意見に賛成です。その子が行きたくないだけでなく、
事情があっていけないこともあるからです。
                  ルスデン カイジョ モードT

#0005 sci5277  9004260055

話は違うかも知れないけれど、教師の登校拒否の問題も深刻だと思う。
実際、今日は学校に行きたくないな、と思う教師は私だけではない。
学校が大好き、という教師はいるのかも知れませんが。
私のまわりには、一日でも、一時間でもいいから、学校から離れていたい
という教員が多い。
私にとっては、教師とか、先生とかいう言葉自体が重荷である。
食べて行くための職業の名称としての「教員」は仕方ないかなと思う。
登校拒否児の多さも問題でしょうが、登校拒否教員の問題も深刻である。
少なくとも登校拒否教員の潜在者が相当に多いことは断言できる。
                                              BOO

#0006 sci4813  9005012213

どうも 初めまして、SUNRIZEというハンドルで書かせて頂きます。
登校拒否についてですか、まず、基調発言されたSCI5073さんのおっしゃる

>その最大の原因は、”教員に対する不信感”だそうです。

ですが、その通りではないでしょうか。もちろん、すべての教師に対してではないと
思いますが、そう思う子供達が増えている事は、私自身塾で教えているのでわかり
ますが、事実です。

例えば、自分の通っている中学校が荒れていて、授業になっていないとか、あるいは、
学校では不良として見られているような子供が、塾では素直な姿を見せてくれて、
その子供が、『自分だって授業中しゃべったり、言う事を聞かなかったり
しているけど、学校の先生はおかしいよ。自分勝手な事いったって、生徒が
困るだけで、自分は別に困らないんだから。』と言ったり。

塾の教師だから、子供に甘いのでは、と思われるかも知れません。学校のような厳しい
校則などは一切ありませんが、だからといってまったく野放しでいるという訳でも
ありません。私が生徒達に望む事は、遅刻や欠席をせず、宿題を間違えていても
良いから自分でやってくることと、授業内と授業外とのけじめをつけることぐらい
です。だから、授業の始まる前と後で、かなり生徒達とアニメの話しや歌手の話し、
はたまた恋愛の相談までと様々な話題で持ちきりになります。

 次に、SCI2714さんの

>登校拒否児童という表現、特に登校拒否の部分が好きではありません。
>不登校児童とか学校に行きたがらない児童とかの表現ではいけないのかなぁ?

ですが、これはまだ良い方だと思います。

例えば、軽度の精神病患者の場合、それでも精神病という病名で呼ばれるわけで、
登校拒否の比ではありません。精神病とは、精神の正常な働きを失ってしまい、
異常な状態にあるということが、常識的に知られている意味ではないかと思います。
そうでない我々からすれば、別になにも問題はないと思えるのですが、

一度、自分自身をその立場に立たせてみると、全く感じ方が変わってくるはずです。
つまり、自分は異常であると他者から決めつけられてしまうことによって、自分は
正常な社会(多数社会)から排除されることの恐さを感じずにはいられないはずです。
同じ事が、登校拒否にも言えるのではないでしょうか。
そうでない側から名付けられ、一方的に『登校拒否』という檻の中に閉じ込められて
しまう恐怖が、そこにもあるように思います。

この問題は、文化人類学的な問題であると同時に、生態学的な問題もはらんでいる
ため、かなり難しいと思います。

最後に、SCI5277さんの

>話は違うかも知れないけれど、教師の登校拒否の問題も深刻だと思う。
>私にとっては、教師とか、先生とかいう言葉自体が重荷である。

ですが、この問題も前出の問題と同様だと思います。
ここで少しだけその難しさについて言えば、一方には社会という多数の正統派によって
構成されているグループがあり、また一方ではそれに対する異端派がある訳です。
だからこそ、社会がダイナミックに変容していけるのですが、そのため正統派の
絶えず必要とするものが、異端派の存在であり、その存在によって自分達が正統派
であることを確認するわけです。

さて、この二つのグループの存在とともに理解しなければならないのは、
ことに日本人に多いのかも知れませんが、自分の認識、つまり自己認識ができない
ことが、さらにそのことに重なってくると複雑になってきます。
自己認識ができないという事は、自分が他人によって何も強制されてはいないのに
自分はあたかも強制されていると思いこんでしまう事なのですが、自己認識が
できていれば自分を苦しめるような観念やイメージから解放されるので、
何か自分にとって不都合な事があっても、それを解決すべき問題として客観的に
とらえる事ができるはずです。だから、そこで自分がすべき事は、悩んだり、
心理的に逃げたりするのではなく、解決するために自分が行動することであると
いう結論に至るわけです。
しかし、これは理想的な場合であって、ほとんどの日本人は、幼い頃から他人の考えに
自分の考えや行動を委ねて成長してくるのです。そのため、そうした日本人の取る行動
や考えの基準は、すべて他者にあって、自分の中には何一つ基準を持たない大人に
なってしまうのです。

ここまで話してきても、まだ結論に至らないほど大変に難しい問題なのです。

では、また・・・・

#0007 sci5277  9005112325

組合の主催ですが、東京シューレ主宰の奥地圭子氏の講演があります。
日時:5月26日(土)13:30開場、14:00講演、終了後交流会。
場所:主婦会館(JR・四谷駅下車)
主催:東京都高等学校教職員組合
名称:1990年度新任教職員歓迎集会
講師:奥地圭子氏(登校拒否を考える会代表・東京シューレ主宰)
組合の機関紙には「あなたの参加をお待ちしています」とあります。
関心ある方は、参加してみて下さいませ。
                      BOO

#0008 sci2714  9005141532

  BOOさん、案内ありがとうございました。
  ちなみに奥地圭子さん(東京シューレ主宰)の紹介が
  朝日新聞5月11日(金)夕刊=東京本社発行
  「現代人物誌」に掲載されています。
  興味のある方は併せてご覧ください。

  kita-4