Edu00049 伝習館裁判教師側敗訴

#0000 sci1951  9001182229

伝習館高校の裁判が教師側敗訴という判決が最高裁で下されました。

#0001 sci1951  9001182231

教師には

学習指導要項にしたがわなければならない
教科書を使用しなければならない

ということに法的拘束力があるそうです。

と基調だけ開いて
さっていく寒梅庵

#0002 sci3095  9001190039

どんな教育をしてたのかなあ。
ニュースではあまり触れなかったが、何か都合の悪いことでもあるのかなあ。

#0003 sci3859  9001190251

法的拘束力……この言葉が意味するものについて考えさせられて
しまいました。この判決は、現場で悪戦苦闘している先生方の熱
意を奪ってしまう、さらなる要因となるのではないかと。

三月兎

#0004 sci3448  9001190428

私は、今年「教育法」という科目をとってまして、そのなかに「学
習指導要領の法的拘束性」という論点があるんですよ。その主な事
例が今回判決が出た「伝習館高校事件」なのですが、まだ手元の資
料にほとんど目を通してないので(^-^;)とりあえず次の関連に事実
の概要を書いておきます。
                  Ohno

      次の関連は少々長いのでご注意を。

#0005 sci3448  9001190429

 「伝習館高校事件」の事実概要

 原告Xら三名は福岡県立伝習館高等学校のいずれも社会科担当教諭であっ
たところ、被告福岡県教育委員会は三名を次のような事由で地方公務員法2
9条1項各号違反として昭和45年6月6日懲戒免職処分に付した。
 原告X1は、演劇部・新聞部の指導的地位にありながら同校「伝習新聞」
等に「現体制を精神的・制度的に破壊する目的と読み取れる」ようなもの、
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あるいは「教師としてふさわしくない非教育的言辞」をもつような文章を掲
           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
載・寄稿したとし、こうした原告の教育活動が学校教育法42条の高校教育
の目標、学習指導要領における道徳教育・特別教育活動の目標”違反”であ
るとされた。また「教科書を教材として使用しなかった」こと、生徒に対す
る考査を実施せず「一律60点」と評価したことなどが学校教育法21条、
51条の教科書使用義務違反、校内規程違反とされた。
 またX2は、同じく教科書不使用、さらに日本史・地理の考査における出
題の設問が学習指導要領を逸脱しているとされ、X3は教科書不使用、考査
不実施の上での一律60点の成績評価などが処分事由とされた。
 これに対し原告Xら三名は、学習指導要領には法的拘束力がないから処分
の根拠とはなりえない等を理由として、懲戒免職処分が県教委の権限濫用で
あるとして処分の執行停止を求めた民事訴訟を提起した。

(ジュリスト丸写し! まずかったかな?)

<参考>
 「学習指導要領」

 教育課程の基準として文部省が作成するものである。1947年より
 作成され、当初は「試案」と明記された文部省著作物で教育課程編成の
 参考資料であるとされていたが、1958年から文部省告示となり、法
 的拘束性をもつと行政側は強調している。これに対して教育法学会では
 法的拘束性を否定するのが通説となっている。

(と、手元の資料には書かれております)

#0006 sci3448  9001190430

「現体制を精神的・制度的に破壊する目的と読み取れる」
「教師としてふさわしくない非教育的言辞」

というのが具体的にどのようなものであったのかわからないのですが、
学習指導要領に法的拘束性がある、という今回の判決を聞くと、なんか
戦前の「教育勅語」を連想してしまいます。

              Ohno

#0007 sci4311  9001191244

 最近の最高裁の判決を見ていると、ますます右傾化しているようです。
 長崎の市長が右翼に撃たれたことといい、困ったことです。

#0008 sci1951  9001191911

Ohnoさん、どうも資料ありがとう

>「教師としてふさわしくない非教育的言辞」

うーむ・・・、「ふさわしい」っていう言葉はどうやって解釈するんだろうか
「中学生にふさわしい服装」とかさぁ

ニュースステーションでは、当時の生徒のインタビューをやってました。
(教師弁護の生徒だったので)もしかしたら、作為的なものがあったのかもし
れませんが、「たいへん感銘をうけた」ようなことを言っていました。

僕も茅嶋先生の授業を聞いたことがありますが、とても面白かったです。
しかし、「授業をぜんぜんやらないから嫌だ」という友達が一人いました。

寒梅庵

#0009 sci1951  9001191911

あ、僕の聞いた授業は伝習館高校とは関係ありません。
3年前くらいです。

つけたし

#0010 sci3095  9001192241

  その日のDATE LNEでは暴力革命を勧めたりしたとか言ってましたけど。
社会のテストで「プロレタリア革命について」書かせたとも読んだことがある。
詳しくは19日のサンケイを。まだ読んでないけど。
 教育は教師に任せるべきだと言っている人に什麼生。
「ナチスは正しかった。反共産主義」と教える教師がいたらどうするのだろう。
国家主義教育が偏向と言うなら、共産主義教育も偏向だ。
新聞は「指導要綱」といえば、バカの一つ覚えみたいに、「君が代・日の丸」が
どうとか書く。この種の裁判に限らず、文部省・国が勝つと、「不当判決」なの
であって、自分はいつも正しいのである。共産党と同じじゃないか。
聞いた授業は河合塾ですか、面白いおっちゃんです。

#0011 sci1951  9001200250

そうです↑。だから、そう簡単には僕は「不当判決」とは書かない
のです。

だってさ、本島市長を撃ったような人が先生で、授業やらずに
教育勅語を覚えさせらたりしたら、やだもん。

先生を選べないし

じゃ、何が問題なんだろう?

でも、一つ覚えがすべてバカとは思わない

寒梅庵

#0012 sci4633  9001202220

現場の人間としては結構問題です。
次の関連に僕の考えを書き込みます。まじめに書いたら結構長くなったので、
ご注意ください。
ある中学の教師(略してアル中教師)の(新)

#0013 sci4633  9001202222

  公教育の現場にいる者としては、実に様々な問題を考えさせられる判
決です。とりあえず問題点を並べてみます。
1、教科書使用義務と言うけれど…
  僕たちは毎日、どうしたら楽しく、良く分かる授業ができるか悩み、
研修しながら仕事をしています。多くの場合自費で参加している研修も
仕事の一部なのです。僕たち自身が本当に伝えたい、学びがいがあると
思う事柄には自然に熱も入りますし、生徒にもそれが伝わります。しか
し教科書にはとても学ぶ喜びなど味わえない無味乾燥な記述ばかりが並
びます。それでも教科書を使わなければならないとするならせめて各社
の教科書の中から一番使いやすい教科書を、教師の判断で選ぶ自由が認
められるべきでしょう。しかし東京都の中学校では、区ごとに教科書が
決まってしまい教師には選ぶことができません。さらにそんな教科書で
行った授業に対して「つめこみだ」「丸暗記だ」と批判され、学校が荒
れたなら「授業がつまらないからだ」と批判され、結局「教師の力量不
足」が強調される。矛盾した話です。
2、誰のための授業か、という話。
  指導要領に従わなければならないということは、一見学校や先生によ
る差がなくなっていいことのようですが、実は「日の丸」「君が代」の
ように国民の中に賛否両論あるような事柄についても、時の権力者にと
って都合のよいように強制できるということなのです。その結果「原発」
をどう教えるかなんてところにも政府、財界の意向が入り込んでくる
のです。言うまでもなく僕らの仕事は、今と同じ体制かどうか分からな
い未来の社会を生きる子供たちが相手です。その子たちにしてあげられ
るのは様々な情報の中から「自分の判断で」「だまされずに」生き方を
決める力を付けてあげること。そして学ぶことの楽しさを伝えること。
この辺の理念は教育基本法に学ぶところが大きいのですが、しかし保守
勢力の中にはこの教育基本法を敵視する動きもあるとか。
  だから個々の事例をばらばらにみるのではなくて、社会の動きの中で
今回の判決を考える必要があります。教科書の使用義務という判決は、
教科書の検定制度と対になって初めて意味をもってくると思うのですが。
指導要領の法的拘束力についてもこの間の天皇美化キャンペーンとは
無縁でないような気がします。ああ、恐ろしい。息が詰まりそう。
  ところで「日の丸」「君が代」のついてはNo,9に「沖縄、君が代、
日の丸」という基調がありますから、そこでやりませんか。閑古鳥が
ないてる基調みたいだけど。
3、不当判決とは?
  僕も何が不当判決か分からないけど、国や自治体を相手取った裁判が
1審、2審では国が敗訴しても、最高裁では国の逆転勝訴が多いのは何
故かは気になるところです。本当に三権分立なのかな?
4、おまけ
  前の発言にあったけど、「自分はいつも正しい=共産党」みたいな硬
直化した発想が偏向なのではないですか。自民党も国民が何と言おうと
消費税は正しいと信じているではないですか。正しさは立場が変われば
変わるので、共産党も自民党も自分が正しいと思っているに違いない。
「男はつらいよ」に出てくるとらやの裏の町工場の労働者から見れば共
産党の言ってることが正しいだろうし、大会社の社長から見れば自民党
のいってることが正しいでしょう。学校ではその両面を教え、自分の判
断と責任でどちらかを選べる子供(未来の大人)を育てられればいいの
ではないでしょうか。

  ひとまず長い関連はこの辺で。いろんな意見が聞きたいです。(新)

#0014 sci1009  9001210026

余談)

最高裁の判決が気に入らない人は、
今度の選挙の時に同時に最高裁裁判官の審査(正式名称を忘れてしまった)が
ありますので、忘れずに×印をつけましょう。
      かの

#0015 sci2014  9001211147

  なんだか公立の先生が可哀相…。
  自分のやりたいことを教えられないなんて…。
                                                       from Jumbo(sci2014)

#0016 sci1009  9001221846

余談)
正式名称は「国民審査」でした。
      かの

#0017 sci2014  9001240102

  国民審査ですか…。

  少し投票のやり方をかえないと意味がないような気がして…。

  私自身は投票したことがないのでわからないのですが、裁判官の審査は「やめさせた
い人に×をつける」であって、無印は「信任」となるような記憶があります。

  だから、裁判官の審査の紙をもらって、全員いいのであれば書く必要がないのでそ
のまま投票箱に入れてしまえばいいとか…。×印をつけに机の方にいくと目立ってし
まうとか。

  信任は「○」 不信任は「×」 無印は「無効」にすればもっとちがうかもしれない。

  タト  失礼
                                                       from Jumbo(sci2014)

#0018 sci2722  9001240220

 sci4633(新)さんの関連発言13を読みました。いろんな意見が聞きたいです.と
云う一行を頼りに、自分だけ正しいと思い込んでるが如き考えを書きました。ウン
ザリしないで読んでください。

(1)教科書は教師の判断で選びたいとの事ですが、私は親が選びたい.教科書だ
けでなく先生も選びたい、学校も選びたい、義務教育の小中校へ行かせるかどうか
も親が選びたい.と強く思っている者です。

公教育と云う言葉をお使いのように、国が敷く義務教育システムには疑問をお持ち
で無いようですが、私は、義務教育自体が〔こども〕への教育の強制で、教科書は
システム末端の問題のように思うのです。

勿論(新)さん同様、この判決には反対です。

(2)日の丸、君が代を強制することが、時の権力者にとって都合が良い事だとし
ても、〔こども〕を物心付いてから働けるように成るまでの14,5年間、群れとして
同じように行動するよう訓練し続ける学校教育自体の方が、遙かに「時の権力者」
に都合の良いことに成っているのではないでしょうか。

強制出来るのも、学校教育自体が強力な、強制システムだからです。

「自分の判断で」「だまされずに」生き方を決める力を付けるには、群れとして、
自分の判断で行動できない〔こども〕を作る、同じ様に動くよう強制的訓練をする
学校教育システム(義務制の学校の事です)を、先ず外すのが必要と思うのです。

(4)二つの意見が在る時、どっちが正しいか選べる子供(未来の大人)を育てら
れればいいのですが、今の先生専制の教室からは、自分の判断を持つ〔こども〕が
育つのは難しいと思うのです。その結果が長年の一党支配と、無自覚な経済拡大で
しょう。

勿論、先生個人々に専制の責任は無いと思ってる事を先制される前に宣誓します。

判決に対する意見に対して、その大本の学校教育に対する疑問を提出するのは、す
こし気が退けるところもあるのですが、こういう判決が意味を持ってしまう事自体
〔こども〕の人権を無視してきた結果の様な気がして居たので、wします。谷口。

#0019 sci1509  9001242045

 仮に予備校講師が「授業をぜんぜんやらない」為に多くの生徒が受験に失敗
したとしたら学校以上に結果に厳しい予備校が講師をそのままにはしません.

 それでも現実にまるで教科内容が進まない「名物講師」が失業しないのは、
単に人気があるからではなくて一番大切な「生徒のやる気」を引き出して、結
果として入試というターゲットに於ても成果をあげているからでしょう.

 教育は教師と生徒相互の間に実るものだという基本を忘れた指導要領に法的
拘束力があると裁判所が御墨付を与えようと、現場で求められているものは何
ひとつ変わりはしないでしょうに.

 だから、不当とは断言できないものの、つまらない判決だったと思います.

TAKA

#0020 sci4634  9001261103

  ほんとに最近の最高裁の判決は納得できるものが少ないですね。
三権分立なんてお題目だなあ
                                                 あまのた

#0021 sci4633  9001261310

 sci2722(谷口)さんへ。僕の長ったらしい書き込みに返事をいただき
まして有難うございます。
  基本的には僕も(谷口)さんの意見に賛成です。ただ、長くならない
ように一つだけ発言します。
  公教育という言葉に疑問をお持ちのようですが、僕は公教育は必要で
あると考えています。教員の中にも勘違いをしている人がいて時々びっ
くりするのですが、戦後の義務教育には、生徒が学校にこなければなら
ないという「義務」なんて無いのです(戦前の学校は子供に学校へくる
義務がありましたけど)。「義務」というのは保護者に対するものであ
って、子供を学校にもやらずに働きに出したりしてはイカン、と言う意
味です。では生徒にとっては学校は何かと言えば、集団の中で仲間とと
もに学びあい、成長する権利を国が保証する物だと思っています。つま
り子供にとっては「権利教育」なのです。
  僕は以前障害児学校に勤めていたことがあるのですが、その時の生徒
のお母ちゃんのはなしが印象に残っています。その子が小学校に上がる
頃(今から20年近く前)には障害の重い子は「就学猶予」の名の元に
学ぶ権利を奪われていたのです。そこでそのお母ちゃんは我が子を背負
って何度も都庁に足を運んでは学校にいれてくれるように頼んだそうで
す。                     
  教育から国がいっさい手を引いたら、金のあるものは塾に通って有名
校に進み、そうでないものは満足に教育も受けられない(最近の行革路
線ではその方向が強いですが)ことにならないでしょうか。親の財力や
身分、考え方等に関係なく、子供には学校に通う権利があるのですから
それを保証するためにも公教育は必要だと思います。しかし国としては
金を出せば口も出したくなるのが世の常。文部省と日教組の長年の対立
もこの辺の公教育に対する考え方の違いに端を発しているのでは?(も
っとも、最近の日教組はおかしくなっちゃったけど)。

  だから僕は公教育必要の立場で、問題は今の学校が本当に子供たちの
ためのものになっているか、という点にあると思っているのです。

  その意味では教員自身が反省しなければならない点がかなりあります。
しかしこの仕事は問題意識を持たないと案外楽な商売で、だから勤務
評定をしっかり付けろなんてことになるのです。予備校と違ってその辺
の評価は難しいですが、少なくとも校長が勤務評定をするなんて事にな
るから話がおかしくなるので、僕らの評価は生徒と親がしてくれている
はずですしその声に耳を傾けなければなりません。
  ちなみに僕は授業の一単元が終わるたびに生徒に授業評価を付けても
らい、結果を集計して、生徒の感想と共にプリントにして公表していま
すが。(予備校じゃ当り前のことですか?)

  また長くなってしまった。すごく真面目な討論にしてしまったかな?
                                                          (新)

#0022 sci2722  9001280113

次の関連発言は、(新)さんへのresで、41行。(新)さんの権利教育と私の
義務教育廃止論です。判決その物とは少し離れますが、書き込みお許しを。谷口。

#0023 sci2722  9001280114

(新)さん。
字面を見ただけで反発したくなる筈の私のwに、丁寧なres.をw下さり恐縮です。

新さんの仕事に対する誠実な態度は分かります。熱心さや障害児に寄せる感情など
良いお人柄を感じます。従って私の、権利教育についての対極とも言える意見の違
いを、遠慮無く申し上げる事が出来る気がします。

子供と言う言葉は、義務制の学校が出来てからの言葉で、それ以前には〔親に対し
ての子供〕と言う言葉はあっても、年令集団を表す〔大人にたいしての子供〕と云
う言葉は無かった。つまり幼児からすぐに、働く半人前の人に成ったものだった。

日本では百十数年前、富国強兵の為に、集団訓練をする義務教育が始まった。命令
に絶対服従する兵隊、管理の行き届いた工員、分を弁える女。そして少数の学校エ
リートが必要だった。国は、障害のある者を、当時からすでに必要としなかった。

(新)さんの云う権利教育は敗戦後の物だとしても、百十数年前のそれは、決して
権利教育では無く、国家の為の強制教育だった。
学校が焼き打ちされた所も在り、官憲の力で〔こども〕が集められた所も在った。
それが日本近代化の柱になった。危うい所で近代化が間に合った。今、当時の義務
教育施行を全面的に否定するのは難しいし、するつもりも無いが、その功罪を把ん
でおかないと今の教育問題が全く掴めなくなると思うのです。

共同体から爪弾きにされるのを最大の恐怖とする日本で、義務教育施行後百年以上
経てば、まわりは皆義務教育をおえた人々で、義務教育に対する疑問などは、先ず
仮定としても思い浮かばない。〔子供〕と言う、他に全面的に依存して生きて行か
ねばならぬ人間を作っておいて、そこにしか仲間の居ない場所へ行くのを強制して
それを権利と思えと言うのは、アマリニモヒデエ体制ではないでしょうか。

貧家の頭のよい息子が勉強して出世すると云う話は、近代の貴種流離譚で、私達の
琴線に触れますが、今、義務教育でないと、自分の子を小中学校に通わセ・ラ・レ
ない家は、例外的でしょう。義務教育はこれを無償とする.でしたか、憲法にあり
ますが、無償はそのままに、義務だけを外せばイイと言うのが、私の主張です。

(後はメモのみ)
今はもう強制教育でなくとも、親は皆子供を学校へ上げるでしょう。
義務制を取り払うと〔こども〕が救われ、障害者も救われるでしょう。
ほとんど総ての学校問題の解決は、義務教育廃止が始まりだと思う。
取り合えず中学校を義務制から解き放す。学校よりも働きたい中学生もいる。
我も我もを無くして、一人一人違う人生を送ろうではないか。
「義務は保護者に課される」は知っています。             谷口。

#0024 sci4633  9001282136

(谷口)さんへ、またはこの基調をお読みのみなさんへ

  この基調はなかなか頭を使う討論になってきて、楽しいですね。

  先に書いた(谷口)さんの意見に基本的に賛成というのは、現在の学
校教育が少なからず国家主義的な強制教育システムになっているという
指摘についてです。僕も現場にいて、最近一層その感を強くしているの
も事実です。今回の判決も一連の国家主義的な強制教育システム(とい
う言葉があれば)の強化の中でのものと考えるべきでしょう。それを許
さないための一つの方法として、公教育の全廃という主張があることも
聞いたことがあります。今回の判決の先生方もその考えだったとか?
  しかし、国家主義的な強制教育システムとならないよう十分注意し、
あるいはそれを許さないための保護者も含めた運動に支えられた公教育
の必要性はすでに関連の21で述べました。

ところで、(谷口)さんのご意見と、僕の考えを整理する意味で2〜3
質問をさせてください。                                       

1、親が学校を選びたいというご意見ですが、親の義務としての義務教
    育を全廃した場合、学校に行くか行かないかは子供自身の判断に任
    されるのでしょうか。その場合、親の果たす役割はどうなるのでし
    ょう。子供が学校に行きたいと言った場合に限り、この学校へ行き
    なさいというのでしょうか。また、子供の判断というのは0才児か
    ら適用されるのでしょうか。働きたいと行った場合には働かせるの
    でしょうか、何才であっても。義務性を全廃した場合の具体的な学
    校の姿が想像つかないもので。

2、義務教育の「義務」をはずして、無償制度は残すというご意見です
    が、義務教育と行った場合、中学3年までの普通教育を指します。
    ただ単に教育と行った場合、特定の職業につくために必要な専門教
    育や、趣味としての通信教育なども含まれるのでしょうか。
    仮に普通学校教育に限定したとしても、無償ということは国の予算
    が使われるわけですから、現在の学校教育が抱えるような時の政府
    の介入が、当然問題になるでしょう。
    もっとも、国の予算と言っても僕らの税金(消費税も含めた!)で
    すから、国民の福祉のために使われるのが当然なのですが。
                                             
  なんだかこの判決は、現在の学校教育のあり方を問うているようで、
とても考えさせられます。
  僕ら以外の方もこれまでの関連を読んでのご意見などを聞かせてくだ
さい。3人以上集まると、討論はグッと楽しくなりますからね。(新)

#0025 sci4633  9001282145

前の書き込みに加えて一言。
基調発言の26や37も読みましたが、こっちのほうがより本質的で、知的な討論に
なっているんじゃないかな?
と、自惚れている(新)

#0026 sci2722  9001301641

1、針路を決めるのは、ファミリーによって違うのではないでしょうか。肝心なの
は、国でもない、教育委員会でもない、学校でもない、人を育てると言う事は、極
々個人的な問題だと言うことです。あの偉い判事達には理解できないでしょうが。

うちでは子供に「〇〇校へ行ったら」と言えば、推薦してる言い方ではありますが
子供は『そこへ行けって言うんだろ』と思って、結局そこへ行く事になると思いま
す。あの偉い判事達には理解できないでしょうが。お宅では如何ですか。

何才から働くか.も、ファミリーによって、又子供によって違うのではないでしょ
うか。学校とは関係なく、現に嬉々として働いている〔こども〕も、年々少なくは
なっているが、大勢居ます。あの偉い判事達には理解できないでしょうが。

義務制を全廃するのは憲法の問題もあるので、中学校からだけ外すのが、具体的で
良い案だと思っています。あの偉い判事達には理解できないでしょうが。

2、おっしゃるように、国の予算をどう使うかは基本的に、私達が決める事です。
変えるのは、教育基本法の九年間の義務教育を、六年間にする事と、学校教育法の
中学校三年間の義務教育の項を削る事、この二つだけでスタートすればいいのでは
ないでしょうか。あの偉い判事達には理解できないでしょうが。     谷口。

#0027 sci3859  9001310219

こんにちは、三月兎です。(新)さんと谷口さんの
討論に刺激されて出て参りました。

 「学校教育が、国家のための強制教育システム化している」
という、谷口さんの憂慮には私も賛成です。しかし、義務教育
撤廃には多くの疑問があります。
 何年か前にあった事件で、わが子の出生届さえ出さず、子供
の養育をほとんど放棄していた親があったように記憶していま
す。豊かになったと言われている現代日本でも、こういう例が
あるのですから、義務制度が撤廃されたら、学校に行く自由さ
え選べない子どもが必ず出て来るだろうと思うのです。子ども
は親を選べません。不幸にしてそういう親のもとに生まれてし
まった子どものために「学ぶ権利」は保護されていなければな
らないのではないでしょうか?
 また、谷口さんは<こども>という言葉が義務教育制度の産
物のように感じていらっしゃるようですが、私の記憶では、近
代になって子どもの心身両面の研究が進んだ結果、「子どもは
けして半人前の大人ではない、大人とは異なる様々な特性を持
った独自の存在である」ということが明らかになってきて、大
人の尺度では測れない彼らの人権を守るために、<こども>つ
まりは<児童>という言葉で彼らへの認識を新たにすることに
なったのではなかったでしょうか?

 学校と文部省の間に親と子どもが割ってはいることができる
ような形を、私は期待するのですが。学習指導要領や教科書検
定はあくまでも指針であって、実際に教育の内容を選択するの
は、子ども、保護者、教師の三者というのが理想ですよね。
 身近なところから考えるとせめて、教科書選択が教育委員会
や学校によって行われるのではなく、現場の教師と保護者が参
加するようになればいいなと思います。さらに子どもと保護者
による教師の勤務評定もできるといいですね。これが単なる人
気投票にならないようにするための配慮は必要になって来るで
しょうが。授業参観も現在のようなイベント的なものではなく、
希望すれば随時平常の授業を参観できるようになるといいと思
います。つまりは、今のように何から何まで学校と教師にまか
せっきりの保護者が、もっと積極的に教育に参加して行くこと
で、学校の活性化がはかれないかと思うわけです。教師の領分
を侵さず、教師を側面から支えるとともに監視もするという形
にできないものでしょうか。邪魔をするだけ、混乱させるだけ
という危険もありますが。

三月兎

#0028 sci3095  9001311923

 教育は国家を存続させるための重要な策であって、国家のためでない教育を、
どうして国家がしなければならないのか。「国民のための教育」というのは俗
耳に入り易い言葉であるが、実際は国民のことをよく知ると称する者による偏
向教育にすぎない。国家があってこそ、教育を受ける権利があるのであって、
国家から教育をする権利を取り上げてしまえば、一体何処に、教育を受ける権
利を求めればよいのだろうか。

#0029 sci3859  9002010308

国家というのは、所詮我々がよりよく存続するために
現時点で選んでいる形態のひとつにしか過ぎず、国民
から一人歩きしてあたかもそれ自体が国民を支配する
意志を持った化物のようにとらえたりはしたくないと
思っています。

三月兎

#0030 sci4633  9002012207

 sci3095さんへ。
  僕も国家に対する考えとしては前項の三月兎さんに同感です。
  ところであくまで楽しく討論を進める中で、少しでもいろいろな考え
方を吸収できれば大変有意義ですが、はたして3095さんの意見には何か
内容があるのでしょうか?歯切れのいい言葉を並べながら、実は内容を
伴わないということがよくあるものです。その原因の一つは定義のあや
ふやな言葉を一面的な立場から使う場合です。僕らが科学的立場から議
論を深める際に忘れてはならないのは事実ではないでしょうか。話がそ
れますが2〜3指摘しておきます。
1、国家とは何か(前項三月兎さんの書き込みにもありますが)

2、国家のためでない教育とはなにか(例えば沖縄戦での住民虐殺は当
    時の軍=国家にとっては隠したいことだが、事実である。これをも
    含めて国民に伝える中で反省は反省として国家を作っていくのか、
    まずい点はすべて隠して「日本良い国、神の国」とやるのか)

3、「国民のための教育」というのは俗耳に入り易い言葉であるが、実
    際は国民のことをよく知ると称する者による偏向教育にすぎない。
      この一文も意味が分からない。実際は国民のことをよく知ると称
    する者って誰ですか?それから偏向教育という言葉は基準があって
    初めて成り立つ言葉であくまで特定の主義、思想から見た相対的な
    ものです。この一文から察すると戦前のような国家主義的強制教育
    を求めているようですね。そうならその観点から、事実を基に堂々
    と主張されてはどうですか。僕はたとえ僕と正反対の意見でも、あ
    なたの発表の自由は絶対に守りますよ。

ところで最後になりますが、関連26の(谷口)さんの発言は、義務教育
制度全廃から、戦前の日本や、外国のような複線型の教育制度化へと論
が変わってきたような気がしますが。早くからコースに分けることにな
るわけですから。これについての僕の考えは今のところ保留。(新)

#0031 sci2722  9002021657

三月兎さんと sci3095の方(以下95さん)の、関連発言を読みました。

私の言っていることは、学校教育が(何時の間にか)強制教育システム化している
のでは無くて、元々強制教育なんだ.と言う事です。義務教育の英訳語、コンパル
ソリー・エデュケイションの意味を、そのママまともに再訳した程度の強さで。

事実を事実として見よう、と言うことなのです。私の国家に対する考え方は、三月
兎さんのそれと同じですが、学校教育の捉え方は、95さんのそれと同じです。勿論
95さんはそれを肯定的に捉え、私は、もうそろそろ止めようと言っているのです。

〔こども〕の学ぶ権利は保護されなければならないと、私も思います。それは現に
通学しない権利を主張して、苦しんでいる多くの登校拒否の〔こども〕達の保護と
両立するもので、なければならないと思います。

三月兎さんの<こども>と、私の〔こども〕は、ほとんど重なっているように思え
ます。ただ、原因と結果の違いが、あるかも知れません。        谷口。

#0032 sci2722  9002021722

(新)さん。義務教育制度は、全廃に持って行くべきと思っています。教育制度を
いじる必要は、無いと思っています。                 谷口。

#0033 sci4633  9002022042

  少しすっきりしました。現在の義務教育制度が強制力をもち、内容的
にも国家主義的な色合いが濃い(いつの間にかなったのか、元々そうな
のかは別にしても。ただし国家は教育を国家統制の手段にしようとする
のはいつの時代も変わらないとは思いますが)という点では皆一致して
いるのですね。その上に立って
  3095さんは、そう言った義務教育制度を(アキラメテイルノカ)肯定
する立場。
  谷口さんは、だから全て否定の立場。
  僕(や、おそらく三月兎さんも)は、そのマイナス面を(あるいは危
険性を)指摘しつつも義務教育制には一定の評価をし、より良い義務教
育制度に改革して行きたいという立場。
  じゃないですか?(新)

#0034 sci4633  9002061342

ところでいよいよ総選挙。同時に8人の裁判官が国民審査を受けます。
今回の伝習館訴訟に関わっているのは、四ツ谷巌氏と大堀誠一氏です。
今回の判決がおかしいと思われる方は、忘れずに×をつけましょう。
白紙は信任票になってしまいますからね。(新)

#0035 sci1009  9002061553

二人ということは、
あとのひとりはどうなったんでしょう?
      かの

#0036 sci2722  9002070105

私、谷口は、義務教育制度を〔だから 全て 否定の立場。〕かどうか。

日本には実際、一つの義務教育制度しか無いから、いくつかある義務教育制度の『
全て』を否定する分けにいかないし、学校教育その物を私は、全く否定していない
ので、その中に学校教育制度を含んだ意味で使われる場合には義務教育制度の『全
てを否定』する分けにもいかず、少し困っています。

今の教育制度から、ただ、義務制だけを、法的に取り外す。それだけです。谷口。

#0037 sci4633  9002072119

国民審査というのは1度に全ての裁判官が審査されるわけでは
ないそうです。
だから残りの裁判官は次の国民審査になるのではないですか。
違うかな?(新)

#0038 sci1009  9002080009

なるほど。(新)さん、了解しました。      かの

#0039 sci3763  9002102018

教育ボードでは初書き込みの山林坊です。

基調からは少々ズレてしまうのですが、最高裁国民審査の話題が出ていたので
割り込ませて下さい。

国民審査の対象になるのは、「就任してから一度も国民審査を受けていない」
判事です。あ、これでは就任から10年たったらもう一度、20年たったら
もう一度・・・という制度が正しく表現できないな。
より一般的に言えば
「就任してから(n−1)*10年たって一度も国民審査を受けていない
 (n:自然数)」判事です。
もっとも、任期が10年以上ある判事もマレですが。

さて、最高裁は五人づつの三つの小法廷から成っていますが、その中で
今回の判決(新聞によれば「全員一致の判断」)を下したのは第一小法廷で、
現在の構成員は 角田礼二郎・大内恒夫・四ツ谷巌・大堀誠一・橋本四郎平
の各氏です。角田・大内 両氏は前回のダブル選挙で審査を受けているので、
今回の対象者は残りの三氏です。橋本氏は今年に入ってからの就任(だと思った)
なので伝習館訴訟についてどれだけの知識を持って判断をしたかは不明ですが、
「全員一致」なのですから、他の判事と同罪でしょう。

にしても今度の国民審査はどうしよう・・・。前回のように島谷六郎氏でもいれば
全員に×を付けなくても済むのですが。

伝習館の判決にはいろいろ言いたいことがありますが、考えがまとまりませんので、
今の所パスさせていただきます。

             政治ボードでやった方が良かったかな? の 山林坊

#0040 sci4633  9002102132

勉強になりました。次の審査で残りの人というような単純な物じゃないんですね。
しかし、世の中には「知らなかった」で見過ごしてしまうことが結構ありますね。
「主権者」として意見を主張できる数少ない機会を有効に使うためにもいろいろ
知っておかないといけませんね。

ところで話しを蒸し返すようですが、(谷口)さんの理想とする学校教育制度が
今一つ具体的な姿として見えてこないのですが。(新)

#0041 sci1009  9002120240

なるほど、小法廷って5人構成でしたか。
3人くらいかと思ってました。^^;
詳しい審査の方法のご教示ありがとうございます。

      かの

#0042 sci3763  9002122004

すいません。ウソ書いてました。二回目の審査は「就任」の日から10年
ではなく、「前回の審査」から10年たった判事が候補らしいです。
(今朝の朝日に載ってた)
で、あわてて憲法を引っ張り出してみたら、しっかり79条に書いてあった。
うーむ。ふだん憲法を読んでないことがバレてしまった。

訂正:二回目→二回目以降    おもいっきり恥かきモード の 山林坊

割り込み解除。本論どーぞ。

#0043 sci1786  9002182003

 オンラインで斜め読みしました。「義務教育」という言葉が否定
的に使われているように感じられましたが、本来、子供の学習権を
担保するために、親に教育を受けさせる義務を課したのですよね。
           思わず話の腰を折ってしまった,,,ゆで卵