Edu00037 学校は要らないか。 谷口。 #0000 sci2722 8910240115 ながい間学校で先生をして来た人々に、一言話したくて、この基調を開きました。 私はこの二月から時々Edu.Sci.にもwしている者ですが、その発言の主なトーンは 義務制の学校教育は国による教育の強制で、それが学校教育界に起こっている種々 の問題の最大の原因になっている.というものです。 義務教育は、強制か権利か.をめぐってはぼのさんとの間にやり取りがあり、その 間に登校拒否の事や、障害児排除の事なども出てきました。又、学校が代表する制 度から、排除された形の人々によって起こされる暴走行為の問題なども、他のとこ ろで議論になりました。 いつも感じることですが、教育現場からの問題提起は、教師にとっての学校教育と は何か、という事に尽きていて、百歩譲っても、学校教育というのは〔こども〕に とっていい物だという事が前提されていると思えます。 一方、〔こども〕にとっての義務制の学校教育が、今や身柄どころか精神までをも 日常的に拘束されての強制教育になっている.というのが私の問題視の契機です。 その為に、学校は要らない物だ・教師と言うのは要らない事を努力しているのだ・ とでも言っているかのような感じをはっきり否定しないまま、発言をし続けていた ように思います。 結論を急げば、義務制の学校教育が〔こども〕の人権を奪っているのは事実にして も、〔こども〕の自由意志による登校を、あくまでも、大前提として学校は必要で あり、先生の仕事は、今だからこそ重要なのだと考えています。 Edu.Sci.基調26の#8で、諸発言のおだやかな流れに合わない雰囲気の発言をして、 少々気になっていたところ、ちょうどそれがEdu.Sci.への書き込みが激減した時期 と重なって来て、それほど自惚れてはいないものの、この際言っちまえ!と言い訳 めいた書き込みになりました。 谷口。 #0001 sci3927 8910251731 世界人権宣言の第二十六条では、 『初等教育は、義務的でなければならない。』 とうたつています。 私の良識に基ずく解釈、をいうと。 『初等教育を修了することは、人類社会のすべての構成員の義務である。 すなわち、人類社会は、すべての構成員に、初等教育を修了させる義務があり、 人類社会のすべての構成員は、初等教育を修得している義務がある。』 と私は、解釈します。なぜそう考えるかというと、 自分が、守られるべき人権を持つていること、ならびに、 他の人間もまた、守られるべき人権を持つていること、などを すべての、人類が、知つていなければ、基本的人権は守られないからです。 事実、基本的人権の思想は、まさに、初等教育の中において与えられます。 その意味において、初等教育は、基本的人権を守るための基盤であり、 欠くべからざるものです。したがつて、義務的な初等教育は、基本的人権 を侵害するものではなく、基本的人権、そのものを守り、 人類社会と個人の両方に益するものである、と考えます。 どこか、まちがつているでしょうか。 by sci3927 #0002 sci2722 8910300036 世界人権宣言で言っていることや、あなたの良識に基ずいての解釈を、まちがって いるとかまちがっていないとか、sci3927 さんに私が言っても意味がないと思う。 何故なら、人権宣言や自信のある良識に対抗する権威を、持ち合わせていないから です。 良識であるとか、十九世紀的教育観(人権宣言がそうかどうかは検討していないの で保留しますが)などを疑っているのが、私の基本的な態度です。 基本的人権でさえも、学校で教えるもので、教えないと、基本的人権でさえも主張 しない人々を作るのが、現実の学校だと思います。 どんなものでしょうか。 谷口。 #0003 sci3927 8910302338 まあ、こどもを教育する前に、保護者と、教師を 再教育しなおすべきなのかもしれません。 それでは、また。 by sci3927 #0004 sci3177 8910311938 >基本的人権でさえも、学校で教えるもので、 >教えないと、基本的人権でさえも主張しない >人々を作るのが、現実の学校だと思います。 確かに!鋭い指摘ですね。「常識」さえも教えないと いけなくなってますね。 T