Edu00017 コンピューターによる教育はどこまで?>という会議

#0000 sci2100  8904080230

 CAI。この可能性について話しませんか。

                   ≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0001 sci2100  8904080232

 TRONやらでいろいろともめている今日このごろですが、
 コンピューターを使った教育とは、どの点ができてどの点
ができないのか? ということについて意見の交換をしたい
と考えております。皆さまのご意見をお願いします。
 ちなみに、純粋に「教科」としての教育でありますので、
、、、あんまり人間性やら自主制やらの話とは関係ない話に
なると思います。
 と、いうわけで、、、、。
                  ≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0002 sci2759  8904091039

コンピュ−タの教育でなくコンピュータを使った教育ですよね.
よくテレビとかで小学生がパソコンにむかっていろいろやってるのを
みますが,画面をみた程度なのでなんともいえませんが
あのくらいじゃ教育には役立たないだろうし,コンピュータ自体の勉強にも
ならんと思うわけです.
なんか紙に印刷された練習帳をそのまま移植したようなプログラムじゃ
小学生の視力低下にはやくだってもなんの勉強にもなんないと思います.
せっかくコンピをつかうんならコンピでなければできないような事を
させればいいのにと思います.
あの程度で喜んでいる教師やテレビ局のひとがいるあいだは
ちっともレベルアップはしないであろう.と思う.

#0003 sci2100  8904100016

 しかし、自分の行うことに対して、何からの反応がそれぞれに得られる
という点ではすばらしいものがあるのではないでしょうか?
 一斉授業という形ですと、いろいろと質問しにくいことがあったりする
ものですから、、、、人間ですしね(人間だから、なかなかわからないこ
とをいいにくかったりするものです。小さい子どもでさえも)
 ちょっと考えがまとまっていませんが、すみません。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0004 sci2100  8904100016

 補足;コンピューターを授業で活用することにおいてであります。

#0005 sci2759  8904101642

しかし,わからないことを質問して納得いくまで
対話できるんですか?今のCAIは.
そこまでできればたいしたものですが,
ただ単にQ&A方式で全部で何点ってなもんでしょう.
そんなんだったら,わざわざ,コンピをつかわなくってもよい.
と思います.
問題に対してここがわからない」といった生徒の要求に100%対応できる
ようでなくては意味がないと思います.(特に小学生などでは…)
ま,一種のアドベンチャ−ゲ−ム+シミュレ−ションゲ−ムの様なもんでも
いいから,本当に疑問を追究できるシステムならいいと思う.

#0006 sci2100  8904101834

 納得行くまで、そのギリギリまで行くかどうかわかりませんが、
どこがどうわからないのか、ということを教員に明確を示せるも
のとして評価できると思います。
 100%とおっしゃいましたが、その点では人間さえも克服で
きない問題ですので、あまり意味がないと思います。
 もう一つ。基本的に「教える」授業は、Q&A以上のなにもので
もないと思います。ですから、Q&A方式で
 まったく問題ないと思っております。

 画面が使える。リアムタイムで経過を説明できる。この点に
優れたものがあると思うのです。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0007 sci2759  8904112120

つまり,100%といったのは,対教師の場合,生徒の疑問にたいして
何らかのレスポンスを必ず返すわけでしょう.教師は.
なんの返答もしない教師がいたとしたらそれはその生徒をシカトでもしてる
場合に限られますよね.
確かに教育はQ&Aを基本に進むでしょう.しかし,教師の出した問題に
対して答えるのが教育ではないでしょう.本当に意味のあるQ&Aは
生徒の質問に教師が答えるというQ&Aでしょう.
私は現在のCAIについては素人ですが,もし,紙のメディアの練習帳を
移植したもの+α程度だとしたら,生徒の出す疑問には満足いくこたえを
だせはしないと思います.
つまり,具体的な話をすれば,例えば,小6程度の算数を教えるCAIが
あったとしますよね.それで学んでいる生徒の「ここがわからない」部分を
CAIにどんどんぶつけていって追究していった時,「1+1=2」という
ところまでいけなければ本当のCAIではないだろうと.そう思うわけです.
これは,それほど難しいシステムではないでしょうし,実物の教師だったら
途中で「あ−るさいなぁ.おかあさんにでもききなさい」ってことまで懇切丁寧に
それもなんどでもシツコク教えてくれるという点で既に人間を越えています.
わたしはCAIにはそこまで出来る可能性が,それも今の技術で十分に可能
なのではないかと思っています.理科の実験のシュミレ−ションなんか
なんの役にもたちません.わたしの欲しいCAIは擬似人工知能CAIといえるで
しょう.なにも本物の人工知能でなくてもいいと思います.  でび.
P.S. 天文ボ−ドのほうが書き込みが少ないと思っていますが..

#0008 sci1304  8904112323

学校教育におけるコンピューターの利用方法ですか。その前にQ&Aが学習の基本
のようなことが書いてありましたが、どうなんでしょうね、教師と子どもとの問答
が基本なんでしょうかね。最近、本気で悩んでいるところなのですが、、、
教室には「教師と子ども」という関係と、「子どもと子ども」という関係とがある
んですよね。「教師と子ども」という関係の中の一部にはやはりQ&Aの部分があ
るのだとは思いますが、問題を自ら解決していく力を育てようとすると俗に言うと
ころのQ&Aだけでは不充分なところがでてくるんですよね。この辺り普通の塾と
学校との違いにもつながる所だと思うのですが、単に結果としての知識を身に付け
させるのではなく、学習の進め方を学習させる部分もあると思っています。だから
Q&Aをもって、学校教育の基本的部分とするのには抵抗があります。
 で、コンピューターを学校に持ち込んで何をやらせるか、なんていうことになる
と、学習の個別化、あるいは個別指導の徹底あたりから考えたらいいんじゃないか
と思います。子どもがキーボードに向かっていない、授業の準備段階で使う使い方
も大切に考えたいところです。
 自分でやってみたところでは、体育の授業でコンピューターを使ってみた。準備
段階の部類に入る使い方ですが、ひとりひとりの子どもの記録のめやすをプリント
して渡した、体育の授業ではともすると、一部の活発な子どもの「いい記録」に子
どもの目がいってしまい、自分の記録が向上した喜びを苦手な子が味わいにくいこ
ともあるからです。ひとりひとりが「自分の学習カード」を持つっていうことは役
にたったと思うし、ここまでだったらできるんじゃないかという気持ちで学習を進
めていた。能力別ではなく、得意な子も不得意な子も互いによく他の人の動きを見
て、教え合いもさせるためにもよかったと思えた。なんていうのがあります。
  教師が手作業でやろうと思えばできないことはないことですが、結構な労力です
し、子どもに表の中から自分のめやすを捜させても似たようなことはできるのです
が、初めから自分専用のものを渡されることは子どもにとってはある種の快感でも
あるんじゃないかと思います。そして、コンピューターを使って私も記録の変容を
楽に追跡できた。問題点と言えばプログラムを作るのに若干時間がかかること、前
の学校にコンピューターがなかったので、自宅で夜中ゴキブリのように仕事をしな
くてはいけなかったことぐらいで、子どもたちには弊害が無かった、良い面での使
い方ができたんじゃないかと思っています。
 あと、計算練習、テストの出題、シュミレーション、お楽しみ会のビンゴゲーム
の抽選機などでCAIらしき使い方をしました。自分の機械を教室に1台持ち込ん
での使い方ですから、結局大した使い方はしていません。
 でも、社会の資料活用あたりで、子どもが使えるデータベースなんかがあると、
私の授業には役立つ気がしています。
 まあ、Q&AあたりのCAIも、学習の個別化あたりでは役にたちそうですし、
教師が必要な時に必要な子どもに接することができるメリットもあるでしょう。

 私がかつて通学していた中学校では、LLだのシート学習だの20年ぐらい前
にやっていたのですが、数学のシート学習は機械の声を聞かなくても、表面を見
てできるのでサッサカ進めて、数学の先生と親しく釣の話なんぞするのが数学の
時間だったなんていう奴もいて、単位時間がきまっている今の学校では、進み方
あたりも当然問題となってくるところだと思います。

               場違いでないことを祈る こまわり

#0009 sci2910  8904120207

学校教育とCAIを切り離して考えてみたらどうでしょうか?
どの途、今の学校制度には問題があると思いますんで。

例えば学校自体をNETWORKに置き換えて考えてみるとか…
生徒は、学校に通学する必要はなくて自宅に学校から支給される
端末機を所持し,ある程度の指針に従って各自にあった速度で
学習を進めていく。
ホスト側が対応するためにはどの程度の設備、人材等が必要かも
考えなければならないのですが、「学ぶ」という事の本質に
かなり迫れるんではないか、と思います。

生徒間の交流などについては,また新たに考えるとして。
将来的な可能性としてどうでしょうか?

                NARYTA

#0010 sci2100  8904120424

  Q&Aが学習の基本かどうかということに関して、レスがありましたが、
私はこう考えています。
 まず、人間が学習するときは、そのプロセスにおいて常にQ&Aが前面
に押し出されるものだと思います。「なぜこうなるのか?」に対する答え
を出し、それを理解するのが人間の学習形態であると思います。Q&Aこ
そが基本であり、絶対であると思っております。もっとも、簡単にいって
しまえば、提示された問題に答えるのもQ&Aですし、見つけた課題をこ
なすのもQ&Aですから、あたりまえであります。動物は、Q&Aはしな
いで学習しますけれども。
  さて、このQ&Aですが、言うまでもなく現在の教室において、教員が
生徒の質問に答えるというのは、時間的にも体力的(?)にもほとんど不
可能であるわけです。それこそ、 なんの返答もしない教師がちまたには
けっこういますし、生徒をシカトする、またはシカトしなけりゃやって行
けないという現状があるわけです。
 で、こりゃコンピューターか何かに変わってもらうのがベストではない
か、と最近考えているわけです。
 ところで、関連発言中にあった、「何が本当のQ&Aか?」 という事
に関しては、私はわかりません。(話が飛びますがごめんなさい)
 その「本当」という言葉が何を意味するのかというのが私にはわかりま
せんし、私の独断と偏見に任せていただければ、その「本当」のQ&Aは、
エジソンのお母さんのような人にするべきだと思っております。大学でけっ
こう遊んで、適当に教職過程をとったそこいらのフツウの教+職員にQ&
Aをするのは、どちらにとっても酷なことではないかなどと思ってしまい
ます。警察官は法の番人と言われていますが、彼らに法律を聞くのは酷で
あるのと同じです。(この前も似たようなことを言ったような・・・。)
 さて、コンピューターによる教育になぜ興味があるかというと、私自身
がコンピューターのカリキュラムをやってみたりしたら、「こりゃヘタな
教員よりもいいかも」などと思ってしまったからであります。純粋に個人
的な経験からなんですけれどもね。
 第一、間違えても人間に怒られない。罵声がない。他人に点数がわから
ない。こりゃええわ、と思って当然であります。また、中に入っているデ
ータであれば、自由に、速く呼び出すことができる。こりゃええわ、と思っ
たわけであります。また、ソフトを改良しさえすれば、例えば遠山啓氏が
提唱した「水道方式」などによる教育を行う分には、例えばタイルで説明
する画面などはキレイに仕上げることができるであろうし、それこそテト
リスの感覚で、子供がいろいろ算数できるのではないかなどと思ったので
あります。これがコンピューター上でできるなら、小6程度の算数を教え
るCAIがあったとして、それで学んでいる生徒の「ここがわからない」
部分をCAIにどんどんぶつけていって追究していった時,「1+1=2」
というところまで容易に行けるのではないか? と思ったわけです。
  そこで、そういうことが可能な教科の領域は、どういうのがあり得るか
な? と考えているわけであります。
 個別に、楽しく、なるべく疲れずに、学ぶことができる方法はないもの
か? と。
 ところで、学校自体をNETWORKにするというのは、すごく現実的
ではないかと思ったりします。(ただし、予算は除く)
 ファックスの同報通信と、パソ通でやるというのはいかかでしょうか?
 とりあえず、レスになっているのかどうかわかりませんが、どうも。

                     ≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0011 sci2759  8904121717

確かに社会の資料なんかだったら紙の資料集をおきかえただけでも
けっこう便利でありましょう.時間的なつながりと空間てきつながりが
同時に実現できるから…(はぃぱ−か−ど関係で十分と思う)
で,
揚げ足とりになりますが…生徒の記録管理等はCAIと言うのでしょうか?
確かにコンピでアシストしてる教育ですが,ここでのCAIは,教えるコンピの
事を指すのでは?
そんで,ネットワ−クでの学校云々は,はっきり言って私はナンセンスに
限りなく近いと思います.
コスト的にもそうですが,将来,一家に一台端末機という
時代になったとしても
やっぱメリットはないと思います.緊急事態のときの宿題提出や夏休み中とか
限られた時間ならまだしも,それを通常の授業とするのは……
でび

#0012 sci2100  8904131859

 仕事でさえも、在宅勤務というのが言われている時代ですから、
教育に関しても、ネットワークを利用した在宅学習というのが言わ
れてもいいと思います。
 人間関係などを学ぶ意義において学校の存在を擁護するには、現在
の学校にはカウンセラーなどを置いた方がいいかと考えたりしている
もので・・・。

#0013 sci2100  8904131900

上の書き込みは≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ です。

#0014 sci1304  8904132321

 在宅学習を到達点と考えているなら、また、子どもがそれを望んでいると考えて
いるのなら、子どもの気持ちのとらえかたとしてはちょっとズレているのではない
かと考えてしまいます。今日(4月13日)の夕刊に「学校のどこが楽しいか」の
質問などに関する調査結果が出ていましたが、日本の場合65%の子どもたちが
「友達に会えるから」という解答をしていることからも明らかではないでしょうか。
 在宅学習は学習の効率から言えば効果がある面もあるかとは思いますが、効率を
過度に追及しはじめると弊害も出るし、何よりも「友達」というのは年齢が小さけ
れば小さいほど、共に生活する中で実感できるものと考えているからです。
 自分の言いたいことを時には、ちょっとがまんしても他の人の話を聞いたり、人
間と人間のつながりの中で、これ以上言っては相手を傷つけるとか、、、自分だけ
なく他人との付き合い方は「知識」だけでは得られない。日常の生活の中で体得し
ていくものなんじゃないでしょうか。好きな者だけが集った場ではなく、いろんな
人がいる中で初めて「教育」が成り立つと思っています。学校カウンセラーも必要
なのかもしれませんが、現状で担任は(すべてとは言いませんが)機能を果たそう
努力しているし、担任でなければできないカウンセリングもあると思っています。
ですから、学校カウンセラーがいなければ人間関係を学校で学べないとするような
発想から、在宅学習を考えているのなら、少なくとも私とは基本的に子どもに対す
る考え方が違うタイプなのかもしれません。
 「教育」は何のためにするか、、、究極的には「国家」のためかもしれませんが
集団で生活(生きる)ためなんじゃないでしょうか。
 で、CAIを進める上でも、充分に「人間と人間のつながり」を意識する必要が
あるように思っています。フレームの中にわざわざ「隣の人と話し合ってみましょ
う」とか、「協力して、、、、の作業をしてみましょう」なんていうのがあって、
コース自体も、これが終わったら次はこれ、などと機械が次々と示すのではなく、
時には、子どもが充分に悩めるようなものが必要かもしれません。
 また、CAIを実際に取り入れる段になると、教育が今以上に画一的な物になる
懸念もあります。多くの教員がプログラムを組んだり、アプリケーションを使って
コースウェアを組めるようでなければ、市販の、あるいはどこぞの既製のソフトを
使っていくようになるのではないでしょうか
 一方では、現場でコースウェアを作成する時間的な余裕があるとは思えない現実
もありこの懸念は、考える価値があるかもしれません。
  子どもの個性を尊重しているつもりが、実際にはみんな同じことを考える子ども
に育ってしまうようなCAIでは、本末転倒になってしまいます。

                   こまわり

#0015 sci2100  8904140300

 その出会いがたまたま学校になっているだけで、必ずしも
学校という場所である必要はないはずだと思います。
 マッチポンプであるように私は思いました。

 ぼの

#0016 sci2759  8904141937

CAIで教えようというのは学科の学習で人間関係の学習ではないはずです.
人間関係をつくったり,学んだりというのは学校にしろ,どこか別の場所にしろ,
とにかくCAIの管轄外でしょう.CAI(または在宅学習)の弊害とするには
無理がありませんか?
それと,
個性という言葉を安易につかわないで欲しいと思います.
そもそも「個性」とはどういう意味かが私にはよくわかりません.
数学や歴史や理科を「学ぶ」段階でどう個性を発揮するのですか?
知っておくべき知識は知識として.個性はそれを土台として成り立つものでは
ないのですか?(おぉ,偉そうだ)CAIで得た知識を基に何か自分自身のものを
得る.それでいいでしょう.CAIが画一的な「人格」を作る危険があるとは
全く思えません.
また,前提として,個人個人の(さまざまな)要求に答えられるような柔軟な
構造でなくてはCAIとして意味がないし,生徒の欲求も満たせないでしょう.
そういうシステムは第一印象として「画一的教育」という印象を与えたりは
しないものとなるでしょう.
もし,「非個性的」とCAIが見えたなら,そのシステムが舌足らずだからだと
思います.が…          でび

#0017 sci2100  8904151729

 コンピューターによる教育の管轄、学校と教員が
行い得る教育の管轄について、少し述べたいと思います。
 以下。

#0018 sci2100  8904151730

  在宅学習だけがいいと思いませんが、教員から出された問題に対して
何らかの意見交換を通して答えを出して行く、という「創造的教育」の
常套パターンを、ネットワーク上で行うことは充分可能であると思いま
す。
 さて、学校の子供に対する影響ですが、私個人は、「学校」という場
が決して子供にとって「生活」の場であってほしくないと考えておりま
す。私個人は、「いい学校」に行くために、小学校から越境通学といわ
れるものをやっていましたが、そのせいもあって、自宅近辺の友人はまっ
たくできなかった。学校を、人間関係の砦とすると、このような弊害が
あるということも考えなくてはいけません。
 極論に聞こえるかもしれませんが、私は、学校における教育には「人
間関係」など望むべくものがないと考えます。CAIは人間関係とは管
轄外であるように、学校と教員いう「機能」が カバーできる得る部分も、
人間関係とは関係ない「教科」の部分であると考えています。
 こんなことを言って悪いのかもしれませんが、教員が人間関係の教育
云々をするのであれば、教員自身が、自分の精神状態などを定期的にチ
ェックすることをやってほしいと思います。飛行機のパイロットは、人
の命を預かりますから、身体的機能、精神安定、判断能力などのチェッ
クを行った上で乗務します。教員は、その多くが「子供の人間として
の成長」を言いながら(すなわちそれは、子供の人生脚本をも預かるわ
けですから)、身体的機能は別にして、教員の判断能力、精神安定のチ
ェックを受けません。もし、そのようなチェック体制が敷かれると、労
働組合でつぶそうとするでしょう。教員の思想チェックだ、とかいろい
ろ言って。しかし、パイロットなどは、そのようなチェック体制には反
抗しない。なぜか。人の命を預かっていることがわかっているからです。
 人間関係の技術に関して何かをやる、しかもある地位にいる人間がそ
れを預かる、というのならば、ハッキリ言って「命を預かる」という部
分まで考えなくてはいけないと思います。教員は、時たま「自分は人間
としての成長を子供に教え        なくては」という言葉を言い、時た
ま、「教員だって人間だ」という言葉を言って逃げたりします。そんな
精神不安定な「職員」に、人間関係までカバーできるのでしょうか? 
また、子供の人間関係を考えるのであれば、その子の親などの接し方や
家族構成なども見なくてはならない場合も多々あります。
 そのようなことを現在の学校や教員にできると思いません。
 教科をうまく教えればいいと思うのです。
 ですから、私は学校における人間関係の代替手段としては、カウンセ
ラーなどを置いた上での人間関係技術の実習をたまに行う程度で良いと
考えているのです。
 コンピューターは、教科や技術を教えることのみが管轄です。教員
も、そうであることがもっとも適切ではないでしょうか?

 もう一つ。教科の教え方が画一的になれば、子どもの考え方が
画一的になるほど、人間は融通のきくものではないと思います。
 そうでないからこそ、「心理学」というものが発達したわけで
あります。また、たとえ小さい頃に画一的であっても、大学で4
年間遊べば充分個性的になってしまい、4年間で個性的になって
も、企業に入れば充分パターン通りの生活になってしまうものです。
(それが画一的かどうかは別にしてです)
 私は、教科内容を同じにして子どもの考え方が画一化される懸念
よりも、会社から帰ってきたら、シャツ一枚でビールを飲んで、子
どもの話もロクに聞かず野球ばかり見ている、非常に画一的な父親
たちの子どもに対するあり方の方が遥かに大きな問題だと思ってい
ます。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0019 sci1242  8904160023

「学校というところはなにをするところか」ということがどこかで論じられていた
ようですが、私は「世の中には、いろんな人がいるんだなあ」ということを
肌で感じるところなんじゃないかなあ、、、と思うのです。
そのことを必ずしも自分自身で気づく必要はないとおもうのですが、、、、
            はじめのほうからずうっとよんできて ぼのさんという人が
           とっても好きになった おばさん より

#0020 sci1304  8904160132

 人間関係云々について、CAIを語る場で深入りするつもりはあまりないのです
が、実際に使っていく立場としては、考えざるを得ない問題なのでついこだわって
しまいました。
 こだわり続けたいところですが、敢えて今はやめておきます。
 で、ここでいうようなCAIの使い方をすると小学校ではこんなところが困ると
ころや、ここは使えそうだというところを「教科の指導」という面からいくつか出
してみようと思います。
 まず、CAIが使いやすそうな教科には、算数があります。でも、算数ならすぐ
に全面的にCAI化が可能かというとそうでもない。
 例えば、高学年だとしても、具体的な物を操作することが、概念形成や理解、そ
して学習したことを使うために必要なことがよくあるように思います。単位にして
も、1平方メートルとか、1立方メートルとか、黒板に絵でも書いてわかる子もい
れば、実際にその大きさに触れないとよくわからない子もいます。ここで実際の大
きさがよくわからないと、「1立方メートルは何立方センチメートルか」なんてい
う問題は、単なる暗記になってしまいます。でも、実物のイメージがある子は、1
立方センチメートルが100個集ったぐらいでは、あの大きさにならないな。なん
いうことを、例え、暗記していなくても考えることができる。このイメージという
のは、多くの場合すでに子どもの生活の中にあるのですが、場合によっては生活の
中にないこともあるし、教科の学習と結びつかないこともあります。ですから、具
体的な物を提示したり、同じ大きさのものをみんなで作ってみることもあります。
学習の効率という面では、ばかばかしい時間の使い方かもしれませんが、小学校で
は教科の指導をする上では大切なところだと考えます。(近いところでは、昨日、
子どもたちに、縄文時代のすまいの大きさを教室の中で作らせてみた、すると写真
や、資料の数字を見た時とは違って「えっ、こんなせまいの。うちの方が広いよ」
とか、授業が終わってから「先生、うちなんか今でも縄文時代みたいだよ」なんて
言ってくる子も出るんです。まあ、出ないこともありますが。)で、こんなことを
やるのは、よほどCAIが進化しないと難かしいのではないかと思ってしまってい
ます。これなんかが、困る部分。
 同じ算数でも、概念形成が出来て、反復練習の域に入った時には当然威力を発揮
することが出来そうですし、理科の、地球や宇宙についてなどは、VHDなどを同
時に制御しながらのCAIなんかの方がわかりやすいかもしれないところもある。
これなんかが、取り入れたい部分。

 続きを書きたいけれど、眠くなってしまったので今日はこれまでにします。
  こんなんで、いいのでろうか、、、       こまわり

#0021 sci2470  8904162221

  教科教育と人間関係とをわけて考えるのは賛成ですが、教科教育というのも  
けっこう人間的なものではないでしょうか。たとえば、学ぶ楽しさを教えるの  
も教科教育のうちですよね。子どもたちは先生のいう言葉・理屈を聞いている  
だけでなく、むしろそのときの先生の態度・情熱を感じとっていることが多い  
のでは(たとえ教科の教育の場合でも)。理科の先生が好きで理科が好きにな  
ったなんて人もいるでしょう。これはCAIではとって代われないでしょう。  
こう考えるとCAIの応用範囲は単純な計算や漢字のドリルくらいにしておい  
た方が学校がつまらなくならなくてよいのでは、と思います。                
                                                             (k)

#0022 sci2449  8904170108

どーでもいーことだけど、CAIってのはものすごく手間がかかんだって。
1時間の授業をやるのに、50時間の準備が必要なんだって。
教師の労働強化、という視点もありそうですね。
      大はずしかな?        よいこ

#0023 sci2759  8904171946

だから,CAIといってもいまの学校の勉強の中で,とりいれて
使っていける程度のものじゃなんの役にも立たない.と
私は思っているんです.学校の先生が趣味でつくっている
「CAI」プログラムなどダメだといっているんです
本当にやくだつんなら,「授業」などとワクをはめずとも
それこそ家でもどこでも本格てきな理解を促すことのできるようなもので
なくては.
それと,確かに教師とふれあっているのが「人間教育」といわずとも
教科教育であっても魅力となっているのは事実でしょう.
しかし,だからといってCAIは「ドリル」程度でよい.というのは
全くの見当違いでしょう.なにも教師を全員クビにして全部コンピにしろと
いっているのではありません.
教師が人間であるがゆえの至らぬ点をCAIだったら改善してくれるでしょう
という前向きな事を言っているのです
教師は人間であるからよい.という面と同時に
教師が人間だから,やんなっちゃうよな−っという面もあるでしょう.
そういう両面から見てほしいと思います.
ちなみに私は学校の教師は全く意味ナシと思っています.(存在自体が)
               でひ゛

#0024 sci2100  8904180927

 1時間のカリキュラムを作成するのに、50時間から100時間を必要
とするのは、わかっています。それは、まったく当然のことでありますが、
それはプログラムを作成するエディタとかツールとかが揃っていない状態で
はありませんか? 基本ツールをチョイスすることによって、かなりの時
間節約になると思います。また、そうでなくても、プログラムをつくるの
は一人ではありませんから。
宣伝をやっている会社がありますけれども、
 ちなみに僕はある程度の基本カリキュラムの統一化に、悪い点がある
とは思いますが、それ自体を指摘して批判すること自体は意味がないと
思っております故に、カリキュラムの統一が行われても、批判はあまり
しないと思います。一つ作って、派生するなりバージョンアップするなり
したらいいのではないかと思っております。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0025 sci2100  8904200459

 ちなみに、こまわりさんが言われたように、確かに
現物がないと、それを理解することができにくい子ども
がいるのは事実でしょう。私は、そういうウトイ子ども
でありました。
 ただ、そういうウトイ子どもは、放っておかれるんですね。多くの場合。
 だからこそ、わかる子はCAIで、わからん子は現物を使うなりする
授業をしてもらうというのはよくありませんでしょうか?

 P.S 1242さん、どうも恐縮であります。
≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0026 sci1304  8904212350

 より人間的なつながりを確保する為のCAIという発想と、学習内容を手早く
詰め込む為のCAIという発想があるんじゃないかと思います。他になんとなく
手をつけたりする、時代の流れなんていうのもあるかもしれないし。CAIをや
らなくては人にあらず、っぽいことになれば、コンピューターの市場としては、
学校はものすごいマーケットである、なんていう違うサイドからの働きかけも
あるかもしれない。
 どの立場に立って、発言するかによってCAIの可能性は当然のように違って
きてしまうし、その人が受けた教育によっても違ってきてしまう。この辺りは、
実験的にやってみよう、という段階でさえも現場にいる私としては何か迷いがあ
るところです。要望すれば、CAIルームを作ってくれそうな話もあって、教頭
と、時間をかけて考えよう、などと話してはいるものの決心がつかない。
 ここで話されているような、未解決な基本的問題をかかえたままでいいものか
どうか。
 小学校の教員の場合、ワープロを叩くことさえ、なにか特別な技能のように
考えている現状を見ると、教材作成ツールをあやつって自ら教材を開発する教員
の割合は、そう高いものではないだろうと想像される。強引に興味がある教員を
ひとつの学校に集めるとか、初めから全員がいじくることを考えないか、CAI
を今の学校に取り入れるには、ふたつにひとつといったところかもしれない。
 で、取り入れられたとして、私は基本的には「アシスト」の域を出ない方が
良いのではないかと、今のところ考えている。具体的には、、、
 1)反復練習
 2)資料提示
 3)内容理解
 このうち(3)内容理解については、学習の個別化とあいまって、それぞれの
子どもに適切な難易度をもつ内容理解、指導段階が期待できそうではあるが、
前にも触れたように、具体物などの取り入れ方、子どもと子どもとの関係などに
充分に留意した上でなければ、弊害も懸念される。しかし、一方で教師対個々の
子どもという関係を持つ上では、有効である。が、この有効性は、複数担任など
現状のわくから離れて考えれば補えなくもない部分でもある。

              もう寝ますの     こまわり

まとまりがない書き込みで申し訳ありません。

#0027 sci2759  8904221457

↑の関連発言中の 1)反復練習については,わたしはコンピなんかを
使うのは絶対よしたほうがいい.と思う.
こんなことはプリントを作って実際に手で書いたほうがよっぽど
頭にはぃると思う.その問題原稿作りにコンピをつかって
例えば生徒ごとにちがうテストを作るとか,ランダムに問題をチョイスするとか
そゆことに使うのは別として実際にコンピ端末に生徒(児童?)を向かわせて
反復練習させるのはナンセンスだと思うです.
よく,コンピに生徒を向かわせてなんかさせればコンピに慣れさせることに
なるんだ的な考え方を聞きますが,そんなことはまるでないと思います.
せいぜい視力低下に役立つくらいでしょう.
でびっど

#0028 sci2100  8904241131

 私は、キーボートで反復する方が、手は疲れないし、より多くの反復が
できるため、記憶しやすいものだと思います。実際に、私はそういう記憶
の方法を行っています。
 歴史の年表、テンキーの感触で覚えたりするんです。ハイ。

ぼの

#0029 sci2460  8904282227

 キーボードでの反復練習で覚えられるなんて,う〜む,そんな
達人がおったのか!という感じです.私はまず,OUT!

 [文章作成についての私見です]
 私の個人的経験からは,文章を完成させるにはワープロが強力な武器に
なりますが,文章の構想(コンセプト)をまとめる/組み合わせるという
段階では,紙と鉛筆にはかなわないようです.鉛筆が紙面を自由に駆け回る
さなかに,ひらめきを感じることもありますし.また,同様に論理的整理を
するとき(学説の整理や判例のまとめ)も,パソコン(CRT)での作業は
いまいちダメなようです.

 もっとも,これは個人差が激しいでしょうから,一般化出来ないことは十分
承知しておりますが.....

では,また.      BY AKAT, 89/04/28

#0030 sci3210  8904290051

ようは,CAIと言うものを, どの辺まで学校の授業にくいこませるか 
だと思います。たとえば, 副教材のドリルだとかの部類にとどめるのか
それとも,教科書ぐらいの扱いにするのか・・・
それによって,ソフトも授業方針も変わるのではないのでしょうか

              大学に入るのに失敗して慌てているUPA
                                     SCI3210

#0031 sci2759  8904292149

うむ,ぼの氏のテンキーで年号を覚えるというのは
スゴイと思う.
わたしなんぞそれ以前に年号なんか覚える気になんなかった・・んですがね

で,UPA様,もはやcaiを考えるにあたっては
学校という枠組にとらわれる必要などないのではないですかね...
と思いますが・・・

大学に落ちたことなどすっかり忘れかけてた//david

#0032 sci1260  8905070200

まーったくお外しの話題ですが、先日セサミストリートをみていたら、
オスカーというごみ箱の中に住んでるという設定のモンスター
キャラクターが、コンピューターのことを友達に説明する、という
コーナーがあり、続けて、LOGOでの授業風景が紹介されていまし
た。

日本でも、「ぽんきっき」でトロンの説明をしたりすることになるの
だろーか...
                    とかげ

#0033 sci2100  8905170126

 LOGOではに丸を描くという教材がどこかにあったような気がする私。

 ついでに、画面差込み用文書に「NHKは皆さまの受信料金で放送しています」
なんてやって教育したらよかばい。
なんのこっちゃすみません。
?ぼの?