Edu00001 学校教育の管轄はどこまででしょうか?

#0000 sci2100  8903190015

 教育の広場がとうとう開かれたのは喜ばしく感じています。ども。

 ところで、常々疑問に思っていることがあります。
 というのは、日本一で語られる教育というのは、ほとんど学校に
おける教育なのですが、その学校における教育が、子どもに対して
どこまで教育すべきものであり、どこが管轄外であるかがハッキリ
していないように思うのです。
 学校教育が語られるときに、いつも「厳しくVS自由に」という図
式があるのですが、どこまで教育して、どこまでは教育しない、と
いうことについての明確なコンセンサスが得られてないように思う
のです。
 このことについて、皆さんはどうお考えでしょうか?
 学校は、教科以外のどの管轄までをカバーするべき場所か? と
いうことについて。

 P.S 私が今年卒業した○由の森学園というところでは、ご親切
にも「人間の自由と自立」まで教えて下さるそうです。しかし、教育
(学校における教育)は、ここまでカバーできるものなのでしょうか?

                   SCI 2100 ぼの     SCI2100  ぼの

#0001 sci2913  8903191223

 現場にいる一員としてお答えします。
  確かに、教科授業に向けるエネルギーが他のそれよりも大きく、当然優先して考え
るべきものだということは、誰にも否定できないでしょう。しかし、教師の望みは、
「生徒一人ひとりに問題解決能力を身に付けて欲しいんだ」ということに集約できる
のではないでしょうか。教科授
 ここまで読んで、多くの方が「校則を初め、数多くの管理教育的な側面と、それは
矛盾するのではないか」と、疑問を持たれるのではないでしょうか。そして、その矛
盾は実在し教育現場での多くの問題を産み出しているのです。
  例えば、現在多くの中学校が、一人ひとりの思考力・判断力を開発しようと遠足や、
修学旅行で“班別自主行動”が実践に移されていますが、高校受験の時には受験校の
正門前で教師が一人ひとりをチェックし確認するという現実があったり、
 例えば、“自分で判断し、行動しよう”と呼び掛けている数分後に、髪の毛の長さ
や、女子のリボンの色を注意するという現実があったり。

#0002 sci2014  8903192120

  何で髪の毛の長さを検査したり、靴下の色を決めたり、制服を決めたりしなければ
ならないのでしょうか?基本的に他人に迷惑をかけなければどうでも良いと思ってい
ますが。
Jumbo (高校生)

#0003 sci1304  8903192248

学校教育の管轄はどこまででしょうか。 確かにコンセンサスはないでしょうね。
学校の現場ですらこの件についての充分なコンセンサスは残念ながらありません。
 手元に小学校の新学習指導要領の案(2月に発表になったもの)がありますので
資料程度に参考に書きます。
 総則(教育課程編成の一般方針)では、「、、、自ら学ぶ意欲と社会の変化に
主体的に対応できる能力の育成を図るとともに、基礎的基本的な内容の指導を徹底
し、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とか「、、、道徳教育
を進めるに当たっては、、、豊かな体験を通して児童の内面に根ざした道徳性の
育成が図られるよう指導しなければならない。また、家庭や地域社会との連携を
図り、日常生活における基本的な生活習慣や望ましい人間関係の育成などにかか
わる道徳的実践が促されるよう配慮しなければならない。」などとあります。
 次に、各教科では国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、
体育について書かれ、道徳があり、特別活動があります。
 特別活動というのは、学級活動(学級や学校の生活の充実と向上に関すること
  日常の生活や学習への適応及び健康や安全に関すること)、児童会活動、クラ
ブ活動、学校行事(儀式的行事、学芸的行事、健康安全・体育的行事、遠足・
集団宿泊的行事、勤労生産・奉仕的行事)などのことです。
 まあ、以上のような内容が、今のところの「学校教育(小学校)の管轄」を
表わしているはずです。
 で、コンセンサスが得られないのは、どこまでやるか、の問題ではないかと
思います。(あるいは、どこまで期待されているか)
  sci2913の方がアップした内容も、ある程度「どこまでやるか」の
問題じゃないかと思います。
 人権の問題(子どもの、保護者の、教師の人権)だけを加味しても複雑なと
ころです。例えば、子どもが悩んでいる時、それが学校生活に起因するものな
らまだしも、家庭生活に起因するような場合を考えただけでも、「どこまで」
の問題がわかっていただけるのではないかと思います。子どもは、担任を信頼
して相談してくる(あるいは他に言う場がない)のですから、人間関係を大切
に考えていれば、担任も一緒に悩んでしまいます。では、保護者の方はどうか
というと好き好んで子どもを悩ましているわけでもない場合が多いので同じで
しょう。では、簡単に協力できるかというとそうでもない。
=================================
 ということで、今のところは「どこまで」が問題なのではないか、そこから
矛盾も生れるし、実際の指導に対する考えかたもさまざまである。にとどめま
す。
=================================
 教育の広場 が出来るのを、自らの研修を兼ねて楽しみにしていました。
 今後ともよろしくおねがいします。 それにしてもこの時期は痛いところで
通知表や指導要録などで頭が一杯です。昨日もかねて用意しておいた所見の
下書きを清書したり、要録を書いたり授業の他に12時間も机に向かっていま
た。子どもを前にした指導以外にも、いろいろ仕事はあるのです。「どこまで」
が割り切れれば、少しは楽になるのでしょうが、、、
                                   こまわり

#0004 sci2914  8903201209

 みなさんレスポンスどうもありがとうございました。
 こまわりさんの、「どこまで」は、苦労の実感がヒシヒシと伝わって
くるような感じがしました。
 
 さて、私の私見ですけれども、学校には、子供の生活時間のかなりを
使うということに基づき、生活の指導まで含めてやるという事例が多い
のですけれども、、、、、、乱暴にぶっちゃけて言えば、中学校以上か
らは、基本的に教科を教える以外はしなくてもいいのではないか、など
と思っています。、、、、、、、、そのへんは、皆さんいかがですか?

                sci2100     ボノボノ

#0005 sci2100  8903210103

 やばいっっっっ。

 上の発言は、友人がアクセスした際に、見ていて書き込んだものです。
 ですから、idがsci2914になっていますが、この書き込みの
主はsci2100です。
 今後このような不注意はしないようにします。友人に頼んで、消します
のでお許しを。
                                                       ぼの

#0006 sci2914  8903210110

 sci2914 です。sci2100の書き込みは、盗用などではありません。
 私がアクセスしている際に、彼に口頭で操作していただいた際に
書き込まれたもので、二人とも自分のIDだと思い込んでいたという
わけです。

 では、話題を戻して下さい。

#0007 sci2470  8903210216

ぼのさんと同意見です。
学校教育は、わかる授業をするというのが基本だと思います。(それだけ 
でもたいへんなことだと思います。)  「教育は技術じゃない」というけど
「教育は技術だけじゃない」のであって、わからせる技術は最低の必要条件
では。  教師は教科を教えるプロであって、それについてはプロ意識をもって
やっていただきたいのですが、生活指導など生徒の人格形成に関しては人生の
先輩というくらいの立場がちょうど良いのではなどと思います。  (k)

#0008 sci2100  8903211316

 レスポンスどうもありがとうございます。
 学校において、最も求められているのは、「わかる授業」であって、それ以上
の何かを学校に求めるのは、ちょっとズレているのではないかと最近思っていま
す。
 そういう意味では、私は「金八先生」のようなドラマは、学校に対してその制
度的な許容範囲以上の過大な期待を、生とに抱かせたというト点で、あまりい
いものとは思っていなかったりしています。
 もちろん、あのような教室も、教員のパーソナリティによっては可能であろう、
と思いますが、しかしそれ故にできない教員もいるのではないか、いて当然なの
ではないかと思ったりしています。
 「教育は技術じゃない」という言葉は、多くの場合教員のパーソナリティに期
待する言葉であったりすると思います。しかし、Kさんの言われるように、教育
には確かに技術ではない側面もある得るのかもしれないが、決して「技術ではな
い」とひらきなおれる問題ではないと思っています。
 まず、うまく教えること。それが教員に求められる技術ではないでしょうか?
 この点では、学校の教員は、もっと予備校の授業を模倣してもいいのではない
かと思ったりしています。

   ちょっとグチャグチャですが、とりあえず。
                        SCI2100  ぼの

#0009 sci2014  8903220241

  ぼのさんの意見に後ろの3行を除き賛成します。

  小学校・中学校・高校それぞれ違いますが、小学校高学年以上は、授業に専念すれ
ばいいのではないかと思います。学問以外の教育 たとえばしつけなどは本来親がする
ものだと思っています。それを学校に任せようとするから変なことになるのです。

  金八先生のドラマはドラマとしてはいいですが、実際は親のやることへの介入です
ね。
  後ろの3行を除きとかいたのは 予備校の授業は詰め込みであり、受験のためでしか
ないのです。教え方としては学校の方がよっぽどましだと思いますが。

Jumbo (高校生)

#0010 sci2100  8903220753

 うーん。詰め込みであっても、「人気がなければ生きれない」みたいな
状況である予備校教師はすごいものがあると思います。よ。
 「いままで一番楽しかった学校は?」というアンケートをとったら、
多くの人が「予備校の授業。これほどわかるという実感があるものはなか
った」と答えていたりしたとのこです。実際に、私がモグったときにも楽
しかったですし・・・。
 学校の教員は商売ではありませんから、教科を教えるときにサバイバル
しないんです。それに比較して、予備校の講師の意気込みは、悲痛といっ
ていいほど強いですよ。
 勉強というのは、集中させる環境が必要ですし、集中しなければ意味が
ありません。そして、その集中力を持続させるのは、授業内における「わ
かる」という反応、そしてその楽しさだと思うのです。
 そういう意味では、予備校の方が十年は進歩しているのではないかと思っ
たりしている今日このごろです。
                          sci2100 ぼの

#0011 sci2722  8903231406

学校が何処までやるか、決めるのは政府である。

学校は、その制度が出来てから総て、富国強兵の為のもので無かったことは無い。
義務制の小中学校が中心の学校制度は、国家の為の人間を作るのが目的で、教師自
身がどう考えて居ようと、国家目的の為の教育である。

表題の議論は、お釈迦様の掌の上の孫悟空のようなもので、何処までやるか誰が決
めても、富国強兵の戦士を教育するだけ.の話である。

学校教育とは国家の為のものだと、総ての教育者は自覚して欲しい。それが、たっ
た一つの出発点だと思う。「いや、私が教えているのは違う」と言っても、内容で
はなくて枠組みが問題なのだから、『皆と同じ様に思考し行動するよう訓致するの
が目的』の学校では、教師個人の良識などは、大局的に何の力にもならない。

学校とは、読み書きソロバンを教えると言う形式の上で、皆と同じ様に思考し行動
するよう訓致する所である。知識を教えるだけなら、効率良く短時間に教えること
が出来るのは、塾などの例でも明らかだが、そう言うと人間教育などというわけの
分からぬ事を言い出して、問題の筋道を曲げる。

群れ行動の訓練は、同地域.同年令.同質(障害児の排除など)の〔こども〕を同
じ教室に集めて、毎日.同じ時間に.同じ教科書.同じ制服.同じ帽子.同じ髪型
同じ靴下.同じ食べ物で、同じ程度の知識の提供を受ける。それが一年中、物心付
いてからずーっと働けるほど大きくなるまで続く。これでも、知識又は人間を教え
る事が目的だと言い張るのだろうか。

学校教育は、生徒児童の為のものでは無い。強制されて囲われた者への教育は、囲
った者が、自分の目的の為に行う教育である。あたかも刑務所の矯正、軍隊の調練
のようなもので、何処までやるかは、刑務専門家、軍事専門家、そして教育専門家
が、国家目的に合わせて決めるのである。

人権侵害を始めとする、あらゆる学校症状は、強制通学の学校自体に原因がある。
良心的な先生、良い教材であっても、強制通学下の教育では、事態は変わらない。
自由意思による登校以外に、勉学が成り立つと思うのは、総て幻想である。谷口。

#0012 sci2014  8903231944

  確かに「わかる」ことに関しては学校以上かも知れませんが、予備校は受験に役立つ
ことしか教えてくれません。受験には直接役立たなくても、知っておいた方がいいと
いうことは、やっぱり学校でないといけません。こういうところは先生の質にかなり
左右されるところですが。
  予備校の教師の、たとえば「ここは受験に関係無いからいい」とか「ここは試験にでな
いからやらなくていい」なんて言葉を聞くと嫌な感じがします。

あっそうだ夜蝉ぢゃなくて河合の講習の予習何もしてない

Jumbo

#0013 sci2100  8903240926

 予備校は受験に役立つことしか教えない、というのは予備校が
その機能としてカバーするべきところを明確に出していること
そのものだと思うのです。ところが、現在の学校はその点に関して
コンセンサスがないという現実があると思うのです。
 私にとっては、ある先生は「こどもの人間性も教育したい」、
そして別の先生は「教員は神様じゃないから、人間だの何だの
は責任もてない」という感じの現在の学校に、「ここは受験とは
関係ないよ」と言って自己の機能を明確にする予備校などよりも
嫌悪というか、不信を感じます。
 学校の「機能」とは何なのでしょうか?
 それをハッキリしたい、などと思うわけであります。

                       ぼの

#0014 sci2014  8903250909

  学校には予備校にない、なにか役立つことというのは、あくまで学業の話であって、
それ以外は対象外です。というかお節介に過ぎません。
  役立つこというのは、受験とはまったく関係ない、その先生の専門分野の話とか、
あるいは高校で教える範囲を超えた話とかなどです。

  学校の「機能」ですか…

  私は小学校高学年・中学校以上は学問を教えるところだと思っています。それ以外
は基本的に「お節介」です。
  ただ、実際はそうでないところが多いですね。

Jumbo (高校生)

#0015 sci2425  8903310307

jumbo君、君は小さい子が、突然与えられた遊び場に興味を示した時の目の
輝きを見たことがあるか?あの自分自身で抑えることの出来ない本能的な
体の動きを見たことがあるか?
それと同じ現象が、実際の小学校、いや、中学校でも起きているのだ。
殆どの教師というものは、理性が充分に育っていない子供を相手にしている。
だからなんとかして、理性を呼び戻そうとして努力しても所詮焼け石に水。
教えようとしてもおしえきれない。
幸い、君は、高校生である。当然自分の友人やクラスメイトが法律を侵して
いれば、「やめろよ」と言っているとおもう。
我々、教師仲間では、遅刻しただけで、お互いに「もう少し早く来いよ」と
励まし合っている。これが、社会を支えるうえでは、大事な働きをしている
と、私は、思う。理性がなくなった人間は魅力がない。
果たして、今の児童、生徒、学生に、自分たちの事は、自分たちの手でできる
と言い切れる人間がどれほど、いることか
そして、自分たちの社会の法律を、批判するだけでなく、作れる人間が
どれだけ居るのか、私は疑問である。
可笑しいと思ったら、今の君の学校で決められている校則を作り直してごらん
私達は過去に、やった。微々たるものだが、坊主頭を調髪に変えた。最も
そのころは、中学生だったが・・・
                  吹上の堀

#0016 sci2014  8904010149

  前に他の基調発言の関連発言に書きましたが、私の通っている学校は制服もないし、
校則もほとんどありません。制服がなくて、自由な校風だからその学校を選んだとい
う感じでした。制服を着たのは幼稚園の時だけです。

Jumbo (高校生)

#0017 sci2100  8904161056

 学校の管轄に関して話しているのですが、CAIの方でも、
そのあたりがチョイチョイ出ています。
 CAIのところでは、機能的な側面からの考えを出しあっ
ていろいろ考えて行くのがいいと思っています。
 さて、学校の管轄はどこまででしょう?
 そして、どの点を、どのような手段によって代替して行くの
が適切なのでしょうか?
 話を続けてみませんか。

 最近、ワークショップに興味のある     ≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0018 sci2100  8904200503

 上の方の関連発言で、谷口さんが言われた中に、「障害児の排除」というの
がありました。私は、「義務教育は権利教育として法的には設定されている」と
考えていますが、障害児の普通教育を受ける権利、という点では、非常に
憂慮すべき現状にあると思います。
 つまり、いわゆる「学校の管轄」の中には、障害児を健全者(という言葉を
使わせていただきます)と一緒に教育させるという考え自体がないようなので
あります。
  この問題については、後日まとまり次第アップしようと思います。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

#0019 sci2722  8904241120

義務教育は強制教育だ.と言う立場では、現在の障害児教育をどう考えるかという
点を簡単にwします。

現在の普通学級は、〔こども〕達を産業戦士に育てるのが目的の特殊化が進んでい
て、障害を持ったこども達の教育にも適さない状態になっている。

しかし障害児を持った親の中には、子供を普通学級に入れたいと思う人が多数居て、
拒絶する学校側との遣り取りが、新学期ごとに新聞で報道される。

養護学校の改革も必要なのだろうが、障害に合った教育が良いにも関わらず普通学
級へ子供を入れたいのは、教育の内容では無くて、多数と同じ学校に通わせたいと
言う親の願望が大きいのだろう。

気持ちは良く解る。何故なら、私達の社会は少数派には住みにくいからだ。ここで
色々に虐げらてきた人々を列挙したいところだが、それさえもこの親たちには不愉
快であろう。

これほど強い、多数と一緒で在りたいという願望を、人々は何故持つのかと言えば、
義務教育を了えた人々の多くは多数と一緒に行動したくなるからで、義務制の学校
こそが、少数者を排除する現代の差別意識を生み出す大本になっているのである。

教育そのものと外れるが、障害児の問題で一番大事なことは、私達が障害児とその
親たちを、在るがままに認め受け入れる事である。そうでないと障害児の親達自身
が、子供の障害を在るがままに受け入れ認め難いからだ。

この問題では障害児自身が一番困っている。無理心中は殺人である。   谷口。

#0020 sci2100  8904241255

 「障害に合った教育が良いにも関わらず普通学校へ子どもを入れたいというのは、
教育の内容ではなくて多数と同じ学校に通わせたいと言う親の願望が大きいのだ
ろう」
 というの言葉は、「多数と同じ学校に通わせたいとする親の願望」というところ
に関して、一部適切であろうと思いますが、「障害に合った教育が良いにも関わら
ず」というくだりに関しては賛同しかねます。
 「障害に合った教育」とは、いったい誰が規定しているのですか?
 「障害に合った教育」と言ってしまうこと自体が差別の構造を生んでいるのでは
ないでしょうか? 
 「障害児を普通学級へ、全国連絡会」というのがあります。そこは、現在の「障
害者教育」という規定と、その規格たる養護学級自体が、その存在自体が、障害児
にとっても、健全児にとっても適切ではなく、それ自体が差別の構造を増長させて
いるものだと考えられているグループです。
 このグループは、学校における人間関係という要素を考え、
「なぜ障害児が普通の子どもと友達になれないような場所に追いやられなくてはな
らないのか?」という考えに基づいて「障害児を普通学級へ」と主張しているわけ
です。それは、養護学級でなされる「社会適応訓練」的な教育などよりも、普通学
校でみんなと一緒に過ごすことをさせたい、そしてしたいと思う、親や子どもの思
いからの主張を行っているわけです。
 これは、ある意味で「教育内容」には関係ありません。障害児であることだけで、
なぜ人間関係まで分けられなくてはならないのか? とする考えが中心であります。
 計り知れない障害があればあるほど、みんなに知ってもらいたい、同じ学校の、
同じクラスの仲間としてつきあってもらいたい、とする願望をもつ親や子どもがい
るのは当然であり、そこには教科教育とは関係ない、人間への切望が存在します。
 これは、義務教育とは関係のない、自然な感情ではないでしょうか?
 「多数と一緒に在りたいという願望を、人々は何故持つのかと言えば、義務教育
を了えた人々の多くは多数と一緒に行動したくなるからで、、、」というくだりがあ
りますが、これははたして事実でありましょうか?
 多数の人々と一緒にありたい、というのはあくまでも社会心理学的なものであり、
義務教育制度とは必ずしも関連性があるものではないと思います。また、多数の人に
よって少数が差別される、あるいは少数ではなくても規定された規格にそぐわない者
を差別するという行動は、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」の中に記述され
ているように、日本の義務教育とは関係のないドイツにおいても存在していたわけで
す 問題は、それが分けられていることだと思います。
 ちなみに、私は、学校が人間関係を構築する場になっている事は、かなり適切で
はないと考えています。極論を申し上げれば、人間関係と教科は分けた方がいい、
それぞれの専門家をおいた場所を作る方がいいと思っております。
 しかし、現状では人間関係の構築という面でも学校が存在していることは否めま 
せん。

 P.S 繰り返しますが、現在の義務教育は、「強制教育」と規定されているわけで
    はないと思います。権利教育であると思います。
     「義務教育」=「強制教育」という言葉を盲信することによって、ど
    れだけの生徒が口をつぐんできたかということを考えれば、私は口がさけても
    「強制教育」とは申せません。権利を主張できる、「権利教育」であることを
    教えることの方が、よっぽど現状を変える方向へ進と思うのです。
     と、いっても焼石に水かもしれませんが。

≡≡ sci2100 ぼの ≡≡ 

  しかし、障害児をもつ親の心中に同情を示す日本の世論には、
「障害児をもつことはかわいそうだ」という根強い差別感情があ
ることには同意いたします。実際に、あれは殺人であるのに。

 障害児を普通学校へ、全国連絡会 の連作先

〒156 東京都世田谷区上北沢4−4−11 福田方 小竹雅子

 電話 03−303−4739/FAX 03−304−1857
 郵便振替口座 東京8−73366 年会費3000円

#0021 sci1260  8904260125

このボードには初書き込みでがんす。
ちよっと、基調からそれちゃいますが、谷口さんはじめ、みなさん
障害児教育について関心がおありのごようす。実は、この8月5日
から7日まで、難病の子供のキャンプ大会を伊豆で小生の知人がや
るんですけど、一緒にボランティアで行ってみよーか、という方は
いませんか?主催は、SSPE青空の会、という団体です。
難病と障害とは、行政的にはしばしば区別されちまいますが、現実
問題としては、知能・運動機能へのダメージを伴うものもあり、わ
たくしめのよーな「ごくたまーに」ボランティアの目からしても、
親のサイドの大変さとか、現実を知る上でいいチャンスと思います。

少なくとも、どんなもんだんべ、と思われた方は、練習ボードでで
も名乗りを上げて下さいませぬかのう。よろしくネ。

                 ムカシトカゲ

#0022 sci2100  8904260600

 いえいえ、貴重な情報提供ありがたく存じます。
 ムカシトカゲ閣下。

#0023 sci4968  9003042134

教育は誰が管轄するかという主題だろうと思いますが、
私は中学校教育の現場の人間として、はっきりとは
申しあげられませんが、かなりの部分担任からの人間的影響は
強いものがあります。
担任によっては全員いい子になってしまうし、
全員性格がねじまげられてしまうのも事実です。
そのような意味で、誰が教育を管轄しているかと言いますと、
文部省ではなくて、その子の担任と親と周囲の大人だと思います。
学校とは、本来純粋で自由で平和でなければなりません。
教育とは、とにかくその子の面倒をみることと私は感覚的にとらえております。

#0024 sci3859  9003060121

今日テレビ(たぶんNHK教育テレビだったと思う)で、
ちらっと見たのですが、オランダでは、教師は生徒が煙草
を吸おうが化粧をしようが、まったく関知しないそうです。
そういうことは個人の判断すべき問題と捉えているとのこ
とでした。現にバッチリメイクをしたくわえ煙草の女子生
徒(おそらく中学生)と教師が、教科書を片手になにやら
楽しげに話している映像が……。
いっそのこと、日本でもそんな形になれば、教師の負担も
減り、保護者もなにもかも教師に押しつけようとはしなく
なるのかもしれない……なんて考えさせられたのですが。

三月兎

#0025 sci5243  9004131554

私はあまりになっていない高校生でしたので、退学になりましたが、今は大学院
の間抜けな学生です。中学や高校はもはやあてにならないというのが私の素直な
感想です。sci5243 tree.

#0026 sci1009  9004150216

ううむ。画面が乱れてよく読めません。
できたらもう一度かいていただけませんか?
      かの

#0027 sci4831  9004180002

中学校の教員です。今学校にはさまざまな要求というか期待が寄せられています。
その中にはもしかしたら「家庭でやることでは?」と思われることもあります。と
くに生活面のことですが。しかし社会の要求に学校はなるべく答えようとしている
し、またそうしないと学校自体が成り
給食がなければ、セブンイレブンのサンドイッチやおにぎりを持ってくるのはクラ
スで1,2割りいます。本来服は親が着せて(選んで)登校させるべきと思います
が学校の指導なしでは奇妙な服で登校するせいとの指導はできないのが実状です。
「わかる授業をする」ことは私達の使命であり、それが私達の仕事であるわけです。
しかし教員の立場で学校に勤めているものなら誰でも感じることですが「授業をす
る」ことよりも「生活面の」指導、しつけにおおくの、ほとんどの時間を費やして
いる現状を皆さんも理解し下さい。
PS   信じ合えるから、打てば響くから、生徒が好きだから今の仕事に誇りを感
じています。

#0028 sci3859  9004180203

奇妙な服って例えばどんなのなんでしょう?
それを着てられると授業の妨げになるような
服ってあるのでしょうか?

三月兎

#0029 sci2714  9004181559

  sci4831さんの最初の部分の最後(なんと表現したらいいのだろうか)、
  えぇっと、つまり、最初の段落の最後の部分が落ちてしまってます。た
  ぶん一行の長さが256文字を越えてしまったのでホストマシンが読み
  込めなかったのでしょう。

  できれば、改行キーで短く区切って、再びその部分だけでもアップして
  いただけたら嬉しいのですが、、、、。

  kita-4

#0030 sci4794  9004181901

「生活面の」指導、しつけに多くの、ほとんどの時間を費やしているのが現状です。
 
___> 最近の親たちは本当に学校まかせなんですか?
  中にはいい加減な親がすべて学校におまかせします、と言う親もいるでしょうけ
  ど。生徒を管理する為に、学校・教師に都合のいい、指導・躾を強制してる様に
  見える時があります。
  特に校則など、おもわず笑ってしまうような規則までのせてますよね。
  勝手気ままに行動する生徒をまとめるより、最初から規則でがんじがらめに指導
  出来る方が楽ですよね。それが自分の責任で行動する人格が形成出来ず、
  他力本願・責任のとれない、甘ったれた人間になる気がします。結局苦労するのは
  子供たちですよね。
  経済大国でも、いまだに1クラス40人近くの編成・喫煙・飲酒・いじめ
  ・先生無視・受験の為の勉強、本当にどうなるのでしょう。

                         マイケルのパパ

#0031 sci3177  9004200036

 親が子供を厳しく躾ける環境にないし、子供に仕事の苦労などが
分からせることが現在の環境ではできないのがそもそもの原因だと
思いますよーーー。
 昔は農作業があった・・・・
                     ルスデン カイジョ モードT

#0032 sci4831  9004200204

学校の目的というか、なぜ学校があるのかという原点にもどって考えるともっと
こどもの教育は家庭がすべきではないでしょうか。

#0035 sci5678  9011072315

そう思いますが、他人に迷惑をかけない程度とはどの程度でしょうか.
自分ではわかっているつもりでも,回りからみるとそうでもないと思い
ます.だからある程度のルールは必要だと思います.

#0037 sci5338  9112300043

To fj.edu forum: from f37716.@sinet.ad.jp 
プログラマー97万人不足説について

私は、産業構造審議会情報産業部会情報化人材対策小委員会が、1984年9月に
「円滑なソフトウエアの供給者確立の必要性」という報告書の中の、予測・提言で
西暦2000年には、プログラマーなどソフトウエア技術者が、96万6千人不足する」という記述の中のデータが今日も一人歩きしていることに驚いています。
しかし、一方そんなに不足すると心配しなくても、大丈夫、例えば、パソコン
文化が花咲くようになり多くの方々が自在にパソコンを操れる世の中になるので恐らく、専門のソフトウエア技術者はこれくらいで間に合いましょうとゆうデータは見あたりません。
実は、1990年3月刊行の光文社’Kappa Science'著者 逢沢明氏の「コンピュータ社会の崩壊する日」にもこのことに触れていますが、具体的なデータや資料の紹介はありません。
私は、ここらのことについて、大きな関心を持っていますので、関連した報告書あるいは研究論文などご存じの方がおられましたら是非、その資料と入手方法をお教え下さい。
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